女帝からは逃げないと。   作:霧江牡丹

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第七十七話「旗袍」

 黄州から黒州へと続く道を、桃湯と共に行く。今回は馬車で。

 なんとなくの防音結界を張っているそうで、御者に幌の言葉が聞こえることはない、とのことなので──切り出してみる。

 

「実際のところ、どう思う。私はお前が原因だと考えているのだが」

「いきなり過ぎないかしら。……それと、なに? 私が黒幕だとでも言いたいワケ?」

「"八千年前の組成"になったのは、お前が原因だとしか考えられんだろう」

「……最初からそう言いなさいよ。……。……まぁ、そうね。符合……八千年前に合致するのは私しかいないわけだし、あの場に居たのも私なわけだし。けれど……そう言うってことは、"現代の組成"には」

「ああ。今潮を使い、もう一度どこかの州の地下の穢れを食えば、あるいは伏に"送り出す"なることをしてもらえば、複雑なことをせずとも戻し得るのではないか、と」

「一理、どころか百理くらいはありそうな説だけれど、わかっているのでしょう? その説の穴」

「無論だ。今潮がいない。……凛凛様がいたのは、あれは輝術の化身だから、という例外だろうし……」

 

 今潮、もしくは点展。

 この二名が「現代の鬼」と言える存在だ。

 配列、あるいは組成が過去に戻った理由に関しては未だわからんままだが、「八千年前のもの」になった理由は桃湯がいたから、としか思えない。もちろんそう思わせるために穢れの主が合わせた、という可能性も無きにしも非ずだが……どうにもそれは、しっくりこない。

 ただし、今ここも現代と言えば現代、ではある。だから今鬼となった者がいたのなら、それに手伝ってもらう、ということもできなくはなさそうだけど、鬼となることを強制することなど……。

 

 ……。

 

「なぁ、桃湯」

「私も今同じ可能性に至ったわ」

「……今回のことは、伏……つまり華胥の一族と鬼だけで成り立つこと。なんであれば私は関係がない。だとしたら」

「現帝陣営、だったかしら。それらが()()()()()()()()()()()()()という可能性は……それなりにあるわよね」

 

 華胥の一族。つまりは神だ。そして赤積君の言葉が正しいのなら、州君は神にほど近い存在。その純度が高ければ高いほど神に接近する。

 なれば……彼らは、「その年代の鬼」さえ確保してしまえば、好きに時間を……組成を操り得るのではないだろうか。

 

「そして、あの方は、それほど近い存在、だと思う。彼女は青清君よりも更に純度が高いでしょう?」

「だから玻璃に近付いたのか、現帝は」

「あの方が見つけた、とは仰っていたけれど、どこまで仕組まれたことなのかはわからないわよね。加えて目の見えないあの方になら、多少の無理はさせられる。他ならぬ愛息子の頼みなら」

 

 今回は不慮の事故だった。

 けど、「できる」ことが分かっていた者がいたのなら、なんならデモンストレーションにさえ近いものになっているかもしれない。

 こんな簡単に過去を再現できるのなら、と。

 

「最古の鬼は、誰だ。知り合いか?」

「いいえ。最古の鬼は死んだわ。死んで……あなたの中にいる」

 

 ──華胥の一族から鬼となったのが私なのだから、当然だろう。

 

 何を偉そうにしているんだこいつ。

 

「そう考えると一応は安全、なのか?」

「お馬鹿さん。狙われる、ということよ。いえ、既に……かしら」

「……今、現帝陣営は世界組成を最古に戻したい、という前提で話を進めたが……その理由は何だと思う?」

「さぁ? 何かやりたいことがあるか、その時代にいた人間でないといけない理由があるか」

「現帝陣営はそもそも四千七百年前に発足した陣営のはずだ。現帝がそこで生まれたのだから。それが最古を目指す理由は……」

 

 だから。

 

「……最古を知る奴が、現帝陣営にいる、か」

「誰よ、それ」

 

 決まっている。

 最古を知るのは。そして媧が最古であることを知っているのは。さらにデモンストレーションにほくそ笑んでいる可能性があるのは。

 

「華胥の一族の誰か、だ」

 

 出てきていない、残りの三つ。

 (シィェン)(チー)(ヂュ)の誰かが……現帝陣営にいるのだと。

 

 ──神が、鬼に与している。あるいは利用している、と?

 ──神から鬼となったものとして言わせてもらうが、そんなことはあり得ん。伏と燧を見て来ただろう。主体性もなければ主張もない。願われる存在だからと諦めてふんぞり返っているのが華胥の一族というものだ。加えて、仮にそれが本当だったとしても、だとしたらもっと苛烈であるはずだ。

 ──華胥の一族の輝術を考えるのなら、玻璃の輝術など不要だし、もっと大々的に動いているはず。たかだか四千七百年前から、など……浅すぎる。

 

 捲し立てるような否定だが、そこまで言うということは、心当たりがあるのだろう?

 加えて、四千七百年前からではない、としたら。

 

 ──どういうことだ。

 

 つまり……リセット前。この世が何度リセットされているのかは知らんが、それよりも前から……お前達に全てを秘して動いていたとしたら、理解できなくも無いだろう。

 あるいはリセットはそいつにとっても悪なのかもしれない。華胥の一族だけでは世界結界を破壊できない。だから鬼を使っているのだとすれば、リセットされてしまえば文字通り水泡だ。

 ……私が青州地下の穢れを食い尽くしてもリセットが起きなかったのは、そいつが何かしらで食い止めていたから、か?

 

 推測を吐露してもだんまりになってしまった媧。

 なればお前にも問おう、燧。

 

 ──心当たりはね、あるんだよ。ただ……疑いたくない、というのが事実かな。私は今でも媧を仲間だと思っているし。

 ──……いや、良い。こいつは情報を秘されることで致命的な欠陥推理に繋がることの多いやつだ。……疑い得るものは多い方が良いだろう。

 ──本当に気に入っているようだね。……華胥の一族は六つから成る。伏、顕、蚩、燧、媧、祝。けれど、最初は五つだった。一つだけ後から入って来た神がいるんだ。

 

 ではそいつが。

 

「もしかしないでも"母"と話しているのでしょうけれど、一度戻ってきて」

「ん、どうした」

「敵襲よ」

 

 ……敵?

 

 

 

 拡声された声が響き渡る。

 

「対象は狐面を被った女二人! 片方は童女だが気にするな! どちらも超級の危険存在であると、赤積君から達しを受けている!! 赤州は武の州! 怖気づくことはない!」

「何を言っている赤州軍! どちらも生け捕りにしろとの達しだっただろう! 勝手に言葉を歪めるな! 我ら緑州、童女の方には救いをいただいた身! 抵抗しないのであればできるだけ穏便に保護することを約束する! その姐御も、だ!」

「毎回毎回煩いですねぇ赤州と緑州は。……全軍、静かに周囲を囲みなさい。輝術師は伝達通りの配置を。平民は弓を構えて、合図があるまで攻撃しないように」

 

 揃い踏み、というのか。

 黄州と青州はいないようだけど……赤緑黒の服や甲冑を着込んだ兵士たちが、この馬車を囲んでいた。気付けば御者がいないあたり、途中で気付いて通報でもしたかな。

 想像以上に手配書のようなものは出回っていた、というわけだ。

 

「……どうする?」

「お前が聞くのか。私が発する言葉だとばかり」

「殺すか、殺さないか、よ。この程度の人数と輝術師、加えて平民の混合軍であれば、刹那とかけることなく終わらせられる。……命を奪って良いのなら、だけど」

「ここで殺しをしたら、現代の組成に影響が出る。そう思っているわけだ」

「……違うの?」

「だとしたら私は進史様殺しを見逃してはいないよ。というか殺そうとしていない。魂さえ無事なら肉体はどうとでもなる、というのがこの世界らしいからな。……そういう意味では、誰かが混じっている可能性もあるから……」

「やっぱり、戦闘不能にまで追い込め、ってことよね」

「でき得るのなら」

 

 桃湯はふんと鼻を鳴らして、胡弓を弾く。

 直後。

 

 周囲から──大音量の悲鳴が上がった。上がり果てた。

 

「……何を?」

「"たとえ出血に依るものだったとしても死なない程度に"という加減で、彼等の全身の薄皮を切り裂いただけよ。さ、行きましょう。外は惨憺たる有様だろうから、飛んで、その後に徒歩で。服装も変える必要があるわね、これ」

 

 えげつな。

 というか怖いな桃湯。そういえば海岸で暴走した時もそういうことしてきたっけ。

 ……音、とは?

 

 ──君にわかりやすく言うと、鎌鼬のようなものだからね、攻撃的な彼女の音は。

 

 なるほどなー……。

 

 さて、桃湯に連れられふわりと浮き上がれば……なるほど確かに惨憺たる有様。

 血の海である。でも確かに傷口は浅そうだ。浅いけど、指の根本付近とか膝窩とか、考えただけでも痛い場所をパックリ斬られている。あかぎれの化身か何かか。

 

「……少し飛ばすわ。闘志の折れていない奴がいる」

「ああ」

 

 ぐん、とGがかかる。

 高速飛翔を始めた私達に、けれど確かに追い縋るものがあった。

 背後より飛んでくるは、輝術の斬撃。鋸で対抗しようとして、身体ごと逸らされる。

 

「相手にしないの。私が避けるから。あと威圧もダメよ。この高さから落ちたら、流石の輝術師といえど死ぬでしょうし」

「……承知した、媽媽(マーマ)

「誰がよ! あんまりふざけているとこのまま落とすわよ?」

「構わんぞ」

「……私が構うの。はい、大人しくしていなさい」

「はぁーい」

 

 飛翔速度が上がる。

 次第に輝術の刃も届かなくなり……そして、消えた。

 雲に紛れたことで、こちらを捕捉しきれなくなったのだろう。

 

「私達の通って来た道、威圧できる? 短めの範囲で」

「ああ……ああ、穢れの痕跡を消すのか」

「そういうこと」

 

 掃除屋か、私は。

 まぁ現状お荷物だからいいけど。

 

 消えろー。

 

 ……桃湯の袖を引っ張る。

 彼女が鬱陶し気に「なによ?」とこちらを振り向いた、その真横。

 

 そこを先程までの刃とは比ではない威力の斬撃が通り抜けて行った。

 

「ッ……!?」

「おや、避けられましたか。完全に捉えたと思ったのですが、なかなかどうして難しい……と、あら?」

 

 ふわふわと、なのにこちらの飛翔速度に追いつく速さで近づいてきたのは……顔布をつけた少女。……今実年齢がどうかは知らんが。

 

「……、んー。……ふむふむ。……少しお待ちいただけますか?」

「欠片も待っていないし、欠片も速度を落としていないのに同じ速度でついてきているのはそっちなのだけど」

「あなた達は"見覚え"がありますね。初対面のはずですが……いえ。初対面ではない。あなた達は……私にとって、大切な方々だったような。それに……その元結は……」

 

 見た目。見た目は完璧に童女だ。

 私のように髪を流しているわけでもない、ともすれば明未にも似た……そのあたりでトンボだのなんだのを追いかけていそうなくらいの童女。白無垢を思わせる色味の小袖は、かなりの質の良さを持っている。大切に育てられてきたのだろうことを窺わせる。

 

「記憶に齟齬がありますね。原因はこちら。……なるほど、今の私は……()()()()()()()()()()

「桃湯、一旦止まってくれ」

「……責任取れるのでしょうね。こいつ、かなりの手練れよ」

「むしろお前はなぜ気付かないんだ」

 

 突然だった。突然、唐突に。

 

 どくんと心臓が跳ねるくらいの、威圧が来る。

 いや……私達に向けられたものではない。ただの余波だ。

 

「ちょ……」

「ご安心ください。すぐに捻じ伏せますので」

 

 童女は……そうして。

 右手を強く握る。瞬間、雲散霧消する黒い何か。

 

「ふぅ。……体内で侵蝕を起こさないままに留まっている穢れなど初めて見ましたが、やはりやってみれば大体何とかなりますね。というわけで、お久しぶりです」

「え……ぁ!」

「ふふ。祆蘭はすぐに気付いたのに、あなたは中々気付かなかった。恐らくあなたの中の穢れのせいでしょうね。──おはようございます、桃湯」

「色々な、立て込んでいるのだ。許してやってくれ。で、今の名は?」

瑠璃(リィゥリー)らしいですが、今まで通り玻璃でいいですよ。瑠璃なる者は今消えましたので」

 

 事象には足る理由がある。

 ……瑠璃は足り得なかった。玻璃に潰されることに。

 

「さて、いつまでも空にいるのもおかしな話ですし……現在の私の家、黒州へと案内しますね。呆けている桃湯は……あなたが掴んでいてください。輝術で運ぶと痛いでしょうし」

「承知した」

 

 ぁ! とはなったものの、どうしていいかわからない、という様子の桃湯を背負う。……体格差的にかなり厳しいものがあるけれど、まぁ、なんとか、うん。

 で、そんな私を掴む不可視の力。桃湯に触れぬよう調整されたそれが、身体を運んでいく。

 

 顔布をしているあたり、今も盲目なのだろうけど。

 ……頼りになるなぁ、ホント。

 

 

 辿り着いたのは、黒州にある巨大な家。THE☆金持ちの家と言わんばかりのそこは、やはり貴族の中でも有数の金持ちの証なんだとか。

 その中の一室に通されて、溜息が出た。

 

「お前……またか……」

「ええ。瑠璃であったときも趣味といいますか、やりたいことは同じだったようで」

 

 メルヒェンでファンシーな部屋。

 黄金城だったから許されていたことじゃないのか。普通のこの……中華風な貴族街の一室がこれだともう頭がおかしくなるが。

 

「では立て込んでいるという状況の説明を。……こういう時に輝術師がいないのは不便ですね。輝術があると情報共有など一瞬で終わるのですが」

「ないことに文句を言っても仕方なかろうよ」

 

 なんて。

 まーだ呆けている桃湯を放置して、色々を語ったあと。

 

 ようやく彼女が再起動を果たす。

 

「……そ、その……ご迷惑をおかけしました……」

「あら、起きたのですか桃湯。ふふ、相変わらず私にだけ畏まってしまって。私はもう鬼子母神でもなんでもないですよ、と何度も伝えているのに」

「い……いえ、その」

 

 そういえばそうだな。

 結局なんで桃湯って玻璃を敬っているんだ。

 

「ま、いいでしょう。現状は把握いたしました。ただ……今の黒州に『輝園』はありません。ですから泉過(チュェングゥォ)さんもいないと思われます。……とはいえ私の場合は輝術か魂でしか判断ができないため、顔などについてはあなた方が目視をした方が精度も高まるでしょう」

「ゆっくり探してみるよ。焦ると見逃すものも多い」

「常に焦っているようなあなたがそれを言いますか。……しかし、ふむ。……ゆっくり探す、というのなら……先ほど見て来た惨状、及び聞こえて来た声を察するに、服装を変える必要がある、ということですよね。私には見えないのでそもそもがどのような格好なのかはわかりませんが……」

「ああ、私はともかく桃湯が目立つんだ。赤い反物を着ているから」

 

 でしたら、と。

 顔布をしているのににこやかさが伝わってくるほど……周囲に花か何かが散っているエフェクトが出ていると錯覚するほど、嬉しそうに。

 

「祆蘭。服飾をしてみませんか?」

「そう来ると思ったよ。練習台にしていい服は?」

「山ほどに」

 

 仕方ない。

 久々の──スキルアップの時間、である。

 

 

 といっても裁縫はできる。和裁もある程度ならできる。ただし、桃湯の着ているような「反物」としか表現できない着物は構造が分からない。

 ちなみに桃湯に「脱いでじっくり見せてくれ」と言ったら例の唇べべんが返って来た。着替えはできるらしいけど、脱ぐのは嫌らしい。よくわからん。

 あと、染物はできる。なんなら得意だ。あとはこの世界ナイズしたデザインにすることと、余計な技巧を使わないことを徹底するだけでいい。……プラスして、地味めにすることを忘れない。

 デザイン性は知らないので桃湯に選んでもらう。どの布がいいか、とか、何枚重ねたいか、とか。

 

 美しさとは無礙である時に極まる、とは名言だが、まぁ美しさとそうでないものの中間しか作り得ない針仕事にしか出せない味もある、ということで。

 

 ……あとはまぁ、作るのはお着物というより旗袍(チーパオ)なので、和裁の技術を学び得るわけではない。

 習うべきは縁取り。和裁は私が勝手に組み込もうとしているだけのものだ。失敗したらやめる。

 加えてイチから作るのではなく、既存の服をアレンジというかリメイクするだけだ。イチから、はたまた青宮城に戻ってゆっくりできるようになってから……がいつ来るかはわからないけど、やろうかね。

 

 ということで始めて行く。

 まず、そもそもの歴史というかなんというか、一応みんな州の色ごとに服装は揃え気味であるらしく、だから今回の変装地が黒州であることも相俟って、黒をベースカラーにする。

 旗袍に必要な布は大きく分けて五つ。前身頃、後身頃、右肩上、右肩下、立領。ただし右肩の大きく開いた布は既存のものを使うので除外。前身頃と後身頃も服の本体だけど、あくまでリメイクなので大きく変えることはない。サイズ調整と若干の修正、及びアレンジが今回の仕事。

 

 ではその本体を作っていく。

 黒めの反物を拝借。絹の羽尺であるそれに鋏を入れるのは若干忍びない感じはしたけれど、「着せられた時以外では着ないので」だそうで、選択させてもらった。見えないから服選びも何もないのだとか。

 また、サイズ調整もちょっと難しい。桃湯は足がないため、ある想定でサイズを測り、測った上で少しだけ短くする。常に浮いて移動している彼女が裾を引き摺ってしまわないようにする調整だ。「そんなことは自分でやる」「いつもは音で浮かせている」との談だけど、まぁまぁ、できるならね、ってことで。ちなみにここで使うのが和裁。本来であれば仕立て直しの際に使う用の「織り込み」を使い、手縫いで反物の裾を膨らましていく。

 旗袍にそんな技術は使われていないので目立たない程度に、だ。この上からさらに布を被せるので、本当に慎重に。

 

 被せる布は、鑲滾(シィァンガン)と呼ばれる縁取り技術。ベースとなる生地の回りをパイプ状にした別の布で包み、それが幾何学模様になるよう縫っていく。ミシンがあればなぁ、とか思いつつも、無いものは無いので手縫いで頑張る。左手はまぁ、凛凛さんの固定がまだ残っているのかぎこちないままだけど、抑えるだけならなんとかなるのでいける。

 ベースカラーが黒であるのに対し、縁取りは錆紺。今回私が着手しているものは、玻璃曰く、結構デフォルトな形の平肩連袖旗袍(ピンジェンリェンシゥチーパオ)というものであるらしく、最初は怪訝な……というか嫌そうな顔をしていた桃湯も、段々とその顔の顰めをほぐしていく程度にはよくできているようで何より。

 器用さに関しては任せろ。右手だけでも裁縫は何とかなることを見せつけてやる。

 

 なお、今回は「目立たないようにするため」の変装なので、派手な柄は入れない。……嘘だ。派手な柄を入れないのではなく、入れられない。できないだけ。元から入っていた皿か何かの柄をそのまま使う。柄合わせはしない。こっちもできないから。

 首元の立領にせめてもの抵抗として絞り染めを入れて、花っぽくする。薄く裁った布の三か所に、泥をつけた紐でてるてる坊主のような箇所を作成。コツはかなり強めに絞ること。流石に桃湯には奇異の目で見られたけれど押し通す。染料に浸した薄布を取り出し、乾かしてから紐と泥を取り除けば……当然その「縛り付けられていた部分」には染料が染み込んでおらず、そこだけ白くなる。布地の撚れが良い感じに花を演出していて、我ながらいい出来だと言える。

 この立領はスーツの袖口や襟首なんかと同じで、布の中に硬い芯が入っているのが特徴。まずその芯を先程の絞り染めで作った薄布で包み込み、さらにその上からパイプ状にした鑲滾を縫い付けて、まるで芯など入っていないかのように見せる。

 また、前面にはチャイナボタンというゼンマイ形状を点対称にしたボタンを嵌めて、完成。

 他、前身頃や右肩の布にも同様のチャイナボタンをつけて……OK。

 

「どうだ」

「……ま、なんでもいいわ」

「祆蘭!」

「お、おう。どうした玻璃。大声を出すとかお前らしくないぞ」

「見えます! それ……見えます! 私にも作ってください!!」

 

 今、子供の肉体なのだそうで。

 それに引っ張られているのか……現代組成の玻璃より元気いっぱいな彼女。基本接触というものをしない中華風世界の中でもかなりスキンシップが激しく、ハグしてくるし手を握ってくるし頬や額にキスしてくるしで、「あー、多分こいつの元いた世界ってそういう場所だったんだろうなー」がヒシヒシと伝わってくる。

 無論世話になっているので作りはするけど、今度は逆の問題点が。

 

「色……わからんよな」

「なんでもいいですよ。見えませんし」

 

 ……。

 それが一番困るって易経にも書いてある。

 

 

 結局私含め全員分の服を作り終えた頃には、夜が更けていた。

 高位貴族らしい玻璃が言えば食事を多くする程度造作もないらしく、それに与る。

 

「……最初にする贈り物、琴だと決めていたのだがな。それが未練だ」

「だから、言ったでしょう。これは緊急事態。緊急事態に助けてあげているのだから、緊急事態に作ったものでお返しをするのなら、それは関係のないこと。現代組成に戻ったら改めて、でいいわ」

 

 なんて会話を挟みつつ。

 

 その日はおやすみなさい、になった……が。

 

「寝ないの?」

「よく慣れた相手でもなければ、側に人がいると寝られん」

「なにそれ。歴戦の輝術師か何か?」

「お前こそ寝ないのか。眠れはするのだろう?」

「眠ることができるからって、眠らなくていいのだから、そんな時間の浪費はしないわ」

 

 ま、確かにそうだ。

 玻璃はすやすやだけど……私達は、眠らないし眠れない。

 この世界の屋根は上るに適していない形をしているけれど、今更そんなことを気にする私達じゃない。多少のバランス感覚が必要になるけれど、頂点まで上って……座る。座って。

 

 夜を見上げた。

 

「月も、星も……全て敵、なのよね」

「いいのか。お前達の身体を作るものだろう、穢れは」

「もう理解はしているもの。……私達がどれほど愚かなのか。外に出ることを夢見ておきながら……外に出さないための尖兵となった私達が、なぜ憐れまれているのか」

「……そうか」

 

 信念を以て肉体の檻を捨てた者達、鬼。

 その結果が操り人形であるなんて、……やはり憤りが勝る。穢れの主というのは、どうにも……やることなすこと全てが目に余る。

 

「なぁ、桃湯」

「……」

「余計な感傷であるのは理解しているが……この、"八千年前の組成"には、お前がいる。お前が見て来て、それが時間遡行を誤認させる結果となったのだから、確実に」

「ええ、そうね。あんなことをしなければ、調査はこんなに遅れていなかったかもしれない」

「そんな話はしていない。余計な感傷だと言っただろう。……その桃湯は、生前のお前の知識を、お前の記憶を、お前の感情を宿した別人だ。……このまま何もしなければ、彼女は令樹と会うことなく……死んでいくのだろう。人間として。けれど、足の無い人間の行く先など……ほとんど決まっているようなもの」

 

 車椅子でもくれてやれたらいいんだけどな。

 絶賛指名手配中らしいしなぁ。……この時代、というと語弊があるけれど、身体欠損に理解の無い社会では、色々難しかろうに。

 

「あなた、彼女らには輝術があるって忘れていない?」

「……あ。あ……あ、え? じゃあ、大丈夫なのか? 足がなくとも……普通の人間のように?」

「普通の人間のように、は無理よ。憐憫の目では見られるでしょうね。狂った役人の犠牲者、って。……けど、私と同じ境遇の娘は十数人いて、彼女らもそれぞれの道を歩んでいく。むしろ……私はずるいのよ。私だけが、私の勝手な罪悪感で令樹を助けて……彼女の全てを受け継いだ。あの十数人のうちの一人でしかなかった私が、外の世界を見せつけられて……信念なんてものを抱いた」

 

 いつもとは違う黒に身を染めた桃湯。彼女が手を伸ばす(ソラ)は、依然変わらず輝いている。

 

「余計な感傷、って。……つまり、殺してやるとか、鬼にさせるとか、そういうことを言いたかったワケ?」

「それは発想が鬼過ぎる。ああいや鬼じゃなくて。……そうじゃなくて……なんだ、どうせ元に戻す世界で、いなくなる相手だとしても……未来の自分からの言葉を贈る、というのはどうだろうか、と思ってな」

「なぁに、それ。……あなた時々おかしな……いえ、いつもおかしいけれど、時折とんでもないことを言うわよね。鬼となって数多の人間を殺し、食い尽くしてきた私から、人間の輝術師である私に言葉を、なんて……言うことなんかあると思う?」

「……わからん。ただなんとなく……私が寂しいだけだ」

「はぁ? なんであなたが寂しがっているのよ。それこそ同情じゃない」

「同情とは違う。……私も昔。本当に昔……己の不幸を嘆いたことがあって……まぁ、誰に救われるでもなく、勝手に立ち直ったのだが……」

 

 本当に昔。

 だから、前世の話。

 生まれが"ソレ"だから、当然育ちも"ソレ"だった。愛情など欠片もなく、「殺しては法に触れる。だから勝手に死ねばいいのに」という感情をぶつけられ続ける日々。

 当然苦しんだし、当然嘆いた。なまじ彼ら彼女らが理性的だったがゆえに、苦しんだ。最初に捨てかけたこと以外、法に触れるようなことは一切してこないまま……邪魔者であり続けたから。

 

 社会人となり、親元を離れてからは普通だった。あの劣悪親友ができたこともそうだけど、普通の人間になれた。

 ゆえに時々思う。考える。いや、考えていた、が正しい。今は考えないから。

 

「あの時誰かが救ってくれていたら、何か違ったのか、と……。くだらん話さ。摂理を摂理として受け入れることのできなかった頃の、未熟なガキの妄想」

「……よくわからないけれど。……。……はぁ。ま、少しだけ真面目に返してあげる。いい? 私はね、"未来の自分からの助言"というものが益になるとは決して考えていないの。私の未来も、私の意思も、私自身が決める。過去の私も未来の私も別人だから……そんな奴の言葉なんて受け入れるものですか」

 

 強い意志があった。

 硬い芯がそこにあった。

 

「もっとも……穢れの意思によって()り動かされているこの身で何を言っても、道化にしか聞こえないでしょうけれどね」

「否定はしない」

「そこはしなさ──」

「否定はしないが、だからこそ思いも固まった。やはりお前は、お前達は、外の世界へ出ていくべきだ。どれほどの困難が、艱難辛苦が待ち受けているのだとしても……こんな狭い世界にいるべきじゃない」

 

 操り人形でいるべきじゃない。

 

「……私のいた楽土ではな、桃湯。今日は願いの日なんだ」

「ふぅん」

「出て行こう。世界を」

 

 この世界の一年を勝手に十二か月として見た時の、八月二十九日。

 七夕節。……まぁこの世界十三つ月あるっぽいから一個後ろにズレそうなんだけど。

 

「……一つだけ、訂正。良いかしら」

「ん?」

「これ。……どうでもいい、とか言ったけど……結構気に入っているわ。世界が戻っても残っていたら、たまに着てあげる」

「……正統派ツンデレ、だと……!?」

「なに? 今なんて?」

 

 見たかお前達。

 これがツンデレだ莫迦者。私のとは格が違う!

 

 ──大体同じだろう。

 ──可愛らしい鬼もいたものだね。

 

 そんな、夜の、静かな出来事。

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