女帝からは逃げないと。   作:霧江牡丹

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第七十六話「金櫻蟲切鈴」

 翌日。

 当然病室、当然衿泉(ジンチュェン)さんの隣にて。

 

尸體處(シーティチュ)へ運び込まれる遺体の金品について……ですか。もし平民が知ってもどうしようもないことに関する順列表を作るのなら、その最上位か二位あたりには浮上しそうな話題ですね」

「三位は?」

「輝術の使い方」

 

 なるほどそれ以上。

 ……で。

 

寄存處(ジーツンチュ)。基本的に、遺体の持っていた金品、及び所持している財産は遺族に引き取られるものですが、中には身元不明遺体や天涯孤独の身でいらっしゃる方もいます。そういう方の金品や財産は正しい相続者がいないかどうかを確認した後、寄存處に集められ、最終的には州のお金……公共資金というか、行政金になりますね」

「相続者の確認はどうやる。生前にどの臓器を明け渡すかの紙でも持ち歩いていなければダメか?」

「どういう例えですかそれ……。……おほん。普通に輝術伝達ですよ。該当者を聞いて回って、それでもいなければ、といった具合です。死者の持ち物をそう簡単に暴くほど州の倫理も落ちてはいません」

「それがそうでもないらしい」

「……と言いますと?」

 

 太ももで挟んだ木を支え無しに片手で彫る、という……見る人が見れば危なすぎて目をそむけたくなるだろう行為をしながら、答える。

 

「昨夜、ここに幽鬼が出た」

「は……は!? お、起こしてくださいよ! 害ある幽鬼だったらあなた、対抗できないでしょ!?」

「幸い害のない幽鬼でな。何かを伝えようとしているようだったが、当然何も伝わらん。だから指で空中に文字を書かせた。その幽鬼はなんて書いたと思う?」

「いやいやいや色々と色々と!」

「尸體處、寄存處、間、横領。これだけを書き残して幽鬼は消えた。お前の権限でどうにかならないか、調査」

「あー……まぁ掛け合ってはみますが、私はただの醫師(イーシー)ですから期待はしないでください。……というか文字、読めたんですね。しかも空中に書かれるものなんかを」

「寄存處は輝霊院の内部にあるのだろう? だからわかった。輝霊院の外にあったら無理だったな」

「……??」

 

 こんなところで一夜漬け輝霊院内部名称の暗記が活きるとは。

 多分遺体の金品の検分は、害ある幽鬼が襲ってくることがあるから、とかいう理由で輝霊院の中にあるんだろうな、と予測している。

 

「あーっと……その幽鬼は、他に何か書いていましたか? あと己の名前とか、顔の特徴とか」

「ほれ」

 

 ぽい、と彫っていたものを衿泉さんに投げ渡す。

 彼女は「わ、わっ」……とはならずに普通にキャッチした。輝術師だもんね。動体視力もね。うん。

 

「へぇ、良く出来た木彫りですねぇ……ってまさか」

「ああ。昨日の幽鬼の男だ。名を名乗らなかったのでな、覚えている限りの特徴を掘り込んだ。それと、書いてあったことだが……毒、という言葉も使っていた。子供、という言葉もかきかけていたように思う」

「……!」

 

 後者二つは後付けだ。あの幽鬼はそんなことを言ってはいない。

 彼が言っていたのは、寄存處と尸體處で金品を漁っている役人がいる、ということと、今後処刑される者には「贈り物」を用意している、とその役人が声高々に語っていたという話。

 まぁ、推理でも何でもない。一応私風に言うなら「符合の合致」か?

 

「毒って……あなたが見事に言い当てた、芋貝の、ですか?」

「知らん。基本的に私は字が読めん。知っている単語しかわからん。もしかしたらそれらしいものを書いていたのやもしれんが、すまんな。読み取れなかった」

「いえ……いえ! 先帝の件に関わる話である可能性が浮上したのなら、私の権限が低かろうと何だろうと通せます。他に何か聞いたことは、本当に無いのですか?」

「……あと、人名が二つ」

「犯人の名前、でしょうか」

「いや、妻子の名だそうだ。それを言って……言い渡して消えた。まるで私に伝えさえすれば後は大丈夫だ、とでもいうかのようにな。……奴は消えたが、奴を裏切りたくはない」

「ええ、お任せください。元からあなたは赤積君の身内。言葉の信頼も厚いでしょう。……少し出ますね。私の伝達範囲では、ここからだと行政区にまで届かないので……」

 

 慌ただしく病室を出ていく衿泉さん。

 

 彼女が行ったことを見届けて。

 

「……聞いたな。劉醒(リィゥシン)真奈(ヂェンナイ)という妻子が危ない状態にあるらしい。恐らく衿泉様が本件を告発したのなら、情報源が割れる。男はそういう位置にいたのだろう。そうした場合、妻子にも危害が及びかねない、という位置に。……頼めるか、要人護衛」

「勿論頼まれはする……しますが、私達は要人護衛ではありません」

「ん。すまん、つい癖で。……衿泉様はあまり荒事に向いているとは思えない。ゆえに頼めなかった」

「任せて! ……じゃなくて、お任せください」

「言葉は砕けと言ったのだがな。頼んだ」

「はい」

 

 壁越しの会話。窓が少し開いているからこそできること。

 まだ仲良くなれたとは言えない二人……あるいはもう一人もいたのかもしれないけれど、その「無事」は彼女らに任せるしかない。

 

 んで。

 それで、だ。ようやく本題に入り得る。

 

 ──音。

 

「どうにもお疲れのようだが、どうだった、桃湯」

「よくわかるわね……。はぁ、確かに疲れたわ。古い鬼……今は初対面になっている、ってことを失念していて、いつもの調子で話しかけたら生意気だとか何者だとか……。全員力で捻じ伏せたとはいえ、余計な体力を使ったのよ」

「失念していたお前が悪い」

「それはそうなのだけどね。……とりあえず、"(とこしなえ)の命"は潰して来たわ。そこから生まれた意思なき鬼も。ただ、周囲の人間の腹部に虫は見つからなかった。そういうところは一致していないのねぇ」

「ん、ああ。そういえば。……昨日至った最終結論について共有する。それでもう一度色々判断してくれ」

 

 伝える。時間遡行などしておらず、配列が変わっただけ、という話を。

 これは媧とも協議した結果である、というのも伝えた。これで信憑性というか信頼性も上がるだろう。

 

 全て伝えると、桃湯は「はぁ~……」と大きな溜息を吐いた。……お前、だから肺は使っていないんじゃなかったのか。

 

「……今更疑ったりしないけれど。あなた……よくそれで推理ができない、なんて言えるわね」

「結果から生じた仮説を試してみたら偶然が嵌っただけだ。確信があったわけじゃない」

「……なら、もし間違っていたら?」

「どこぞかで死んでいたんじゃないか?」

「頭おかしいわ、あなた」

 

 ──ようやく言われたな。いいぞ桃湯。

 ──以前から気が触れている、とは言われていなかったかい?

 ──いや、こうして面と向かって「頭がおかしい」と言ってやるのは大事なことだ。流石は私の"子"。誇らしいよ。

 

 ……サルヴェンドリヤグナーバーサン、サルヴェンドリヤヴィヴァルジタム。アサクタン、サルヴァブリッチャイヴァ、ニルグナン、グナボークトリ チャ。マラニルモーチャナン、プンサーン、ジャラスナーナン、ディネ、ディネ。サクリッドギータームバシ、スナーナン、サンサーラマラナーシャナン2、アクリッティヤマピ、クルヴァーノー、ブンジャーノーピ、ヤター、タター。カダーチンナーカラン、ドゥッカン……。

 

 よし、静かになった。

 情報量の濁流で心の中を洗い流す術を身に付けた……これは瞑想の一種か、一応。

 

令樹(リンシュ)とは?」

「合流はしていないけれど、弓で会話はした。人身売買組織があったこと、沖林(チュンリン)という輝術師がやたらちくちくしてきて煩いこと、霊廟と言われるような場所は無かった、という話まで聞けたわ」

「……そうか。結衣の霊廟は、あいつがいてこそ……あるいは此度の帝が後年殺されたその時に作られるもの、か」

「多分ね。それで、今は地下通路、というものを捜索している最中。ただ時間遡行したわけではないのなら、無いのかもしれないのよね?」

「だがあるかもしれん。気の遠くなる作業やもしれんが、頼みたい」

「ええ、彼女も人身売買組織の話のあたりで怒り狂っていたから、やる気は充分でしょう。……ただ、彼女は……彼女ではない、のよね」

「本物ではないというだけだ。そういう意味では私も本物ではなかろうさ」

「……どういう意味?」

 

 音しか聞こえないけど、多分めちゃくちゃ眉を顰めているんだろうなぁ、と感じる。

 

 前にも述べた話だ。

 私は前世から、身体が変わっている。容れ物が変わっているのだから別人で、前世の私の偽物だろう。あるいはこの世界の祆蘭ちゃん、のな。

 が、どうでもいい話だ。

 そいつが己をそいつだと思えるのなら、なんだっていい。コギトエルゴスムなんて最早赤子でも知っているワードだろうよ。

 

「とりあえずお前は手持ち無沙汰になったわけだな」

「ああそう、無視なのね。……はぁ。わかったわ。それで話を進めてあげる。お姫様からのご要望はなにかしら?」

「こうなってくると、黒州の位置に緑州の役割を持つ者達がいることになる。睡蓮塔(シュイリィェンター)に該当する組織がいるかどうか、濁戒(ヂャオジェ)に該当する鬼がいるかどうか。そして点展(デンヂャン)関連のことが起きているかどうか」

「……確かにその辺は必要でしょうね。わかった、従ってあげる。……あなたの傷は、どういう状況?」

「全治十三日だそうで。困った話だよ」

「ま、良いんじゃないかしら。あなた普通に働き過ぎだし。動き過ぎだし。このあたりでゆっくりしなさいな。動ける私達がやれることをやれるだけやってあげるから」

「……もう完全に助っ人のようじゃないか」

「今は緊急事態だから、よ」

 

 桃湯の場合はツンデレではなく本気で言っているのだろうなぁ。

 ちゃんと……ちゃんと、いざとなれば背後から背を刺してくるタイプだから。

 

「あなた達の推測が正しいのであれば、考えるべきは"どうしたら元の世界に戻すことができるか"。それとなくこちらでも色々情報を集めてみるわ。……ただ、だからこそ、なのだけど」

「あまり今の世界の人間との仲を深めるな、だろう?」

「……ええ。いずれ消える存在よ。令樹や赤積君含めて、ね」

 

 ああ。

 わかっているさ。

 

「それじゃ」

「お前こそ、令樹と離れたくなさすぎて最後の最後泣きわめいたりす、(たぁ)ッ!?」

 

 べいん、と。

 唇が弦によって弾かれた……みたいな感覚があった。……そういうこともできるのかー。

 

「あまり鬼を揶揄わないこと。じゃあね」

「心配いらんとは思うが、気を付けろよ。緊急事態、だからな」

「ええ」

 

 ……音が聞こえなくなる。

 行ったか。

 

 ん。

 一人に……なったな。どうせもうすぐ衿泉さんが帰ってくるのだろうが。

 

 そして、うん、まぁ。

 誰かと話していないと、痛みに集中できてしまって……痛い。

 オデ、ウデ、イタイ。

 ヒタイモ、ケッコウ、イタイ。

 

「……まぁ、こっちの方が摂理か」

 

 青宮城での治りが早すぎたんだ。

 怪我をしたら、普通はこれくらい痛いし、これくらい治りが遅い。

 

 ゆっくり、ねぇ。

 するかぁ。

 

 

 

 竹を真横に、両端を太ももで挟み込み、ガツ、ガツ、と鑿で穴を開けていく。危険極まりないので良い子は真似しないように。

 

「あの……見ているだけで怖いのですが」

「まぁ隣に醫師がいるわけだし」

「いえあの確かに私は外科を専門としていますが、だからといって真横で少女が己の太ももを自傷する行為を見逃すのはちょっと……」

「なら暇を潰せる話題でも出せ」

 

 穴の間隔は一応等間隔。下の方だけ少し広めに。

 

 ……ん、まぁこんな感じか。

 

 で、これを口につけて……ブォーという音を鳴らす。

 

「えっと……なんですか、それ」

「竹法螺という、かなり原始的な笙のようなものだ」

「へえ……楽器はお得意なんですか?」

「いや全然。ああでも」

 

 口琴(ハーモニカ)は吹けるぞ、と言おうとして……多分そんなものないので、口を噤む。

 桃湯に作る琴もそうだけど、楽器関係はもっと広めていきたいな。才華競演や『輝園』の人達を考えると、現物さえ渡せば一瞬で上手くなってくれる気がするから……つまり私が奏でられなくても、できるひとができること……いい曲を奏でてくれると思っている。

 それが楽しみだ、と。ただそれだけのモチベーション。

 

「ああでも?」

「演奏を視聴するのは好きだ、という話さ。それだけ」

「あぁ~。……私音楽はからっきしで。まぁこの十四日間……十三日間ですか。その間によく知ることができたら幸いですね」

「期待はするな。教えられるほどの能がない」

「ええ、もちろん」

 

 ……どこまでも捻くれた子供だことで。

 

 ()()()

 ここで、"そうして"という言葉を使う。

 

 そうして……月日が過ぎて行った。

 私が何を作ろうとも「符合の呼応」は起きない。いいや、起きていたとしても私が観測し得ない。「事象の呼応」は知る限りを全て伝えてしまってあるから、全てが起きる前に潰される。

 まるで──私が現地に行っていないから、明るみに出なかった、とでもいうかのように。

 もちろんその間赤積君や祭鳴などが見舞いに来たし、桃湯曰く令樹も無事。沖林にもおかしな兆候はないとかで、もうすぐ……本当にもうすぐ、赤積君が帝になる手続きが済む、のだとか。

 まだ新緑涼君は育ちきっていないので、異例ではあるものの先代の咲着が緑涼君の座に就き、守り人をする、とか。

 黄州にはアリの巣状の地下などない、とか。

 火薪はあったけど水生はなかった、とか。外の話は、色々聞いた。

 

 でもなんだかんだいって、やっぱり一番多く話したのは衿泉さんだ。彼女とは沢山の話をした。沢山だ。たくさん、沢山。いっぱい、一杯。

 ヒネたガキ……なのはお互い様だけど、専門分野が違うので色々とためになったし、一人の人間とこんなにも長く共にいたことが久方振りで、彼女が側にいても普通に眠ることのできるようにまではなった。

 何か特筆するエピソードを上げるとするならば、そう。

 

「まーたモノ作りですか。飽きませんねえ。休むとかないんですか、あなたの頭の中」

「一年中働いているようなものだったんだ、今くらい趣味をさせろ」

「……あなたの過去、聞きましたよ。最低な貴族もいたものですね」

「同情か?」

「あなたから"憐憫は悪感情である"と聞き、それに納得した日から他者へ欲されてもいない感情を押し付けるのはやめましたよ。ただ事実を述べたまでです」

「お前の人生の中で、最高の貴族は何人いた?」

「ああ。……そういう話であれば、なるほど。最低な貴族などいませんでしたね」

 

 なんて、いつもの軽口の最中にぽいっと渡す。それをいつも通りに受け取る衿泉さん。

 

「これは……木の実のついた、輪?」

金櫻蟲切鈴(ジンインチョンチィェリン)。腕か、あるいは大事なものにでもつけておいて、自然に壊れたのなら良い事がある。そんなお守りだ」

「へえ……お守り」

「家族には会えたのか?」

「ああ、はい。確かに会ってみて正解でした。……抱きしめられた時の暖かさは……何物にも代え難いと、心から思いましたよ」

「なんだ随分と素直じゃないか」

「これはあなたを反面教師にした結果です」

 

 ふん。

 なら、充分かね。

 

 ……なんて。

 こんなことが特筆するエピソードなのか、と問われたら、まぁ、他は大体学術的な話や哲学的な話ばかりだったし……とそっぽを向くしかないのだけど。

 

 一応、アルバムにしまっておけるくらいの思い出だろう。

 

 迎えしは、十三日目。

 一応まだ包帯の巻かれたままの手に鋸を縛り付け、点滴を抜き、病衣を走りやすく破っている……そんな最中に、衿泉さんが来た。

 連絡などを終えた彼女が来たのだ。

 

「……何をしているんですか?」

「旅支度、かねぇ」

「その腕。まだ治っていませんよ。あなたが……醫師の言葉を信じない患者だとは思いませんでした。……早く横になってください」

 

 開いていた窓から、ふわりと。

 蒲公英の綿毛のようなものが入ってくる。それは私と衿泉さんの中間に降り立ち──()()()()と、急成長を見せる。

 

「んなっ!?」

「時間をかけ過ぎだろう、凛凛様」

「アンタ、ぬけぬけと……よくもそんな言葉吐けるわね! こっちは青州全土捜しまわってあげたのよ!? なんで緑州にいるのよ!!」

「そういうこともある」

「無いわよ!!」

 

 急成長を見せた植物。明らかに蒲公英ではない巨大な花弁から、キンキンという幼い少女の声がする。うーん懐かしい。

 

「き……緊急事態! 緊急事態! ……あれ、輝術が……伝達が阻害されて」

「ん? あぁ、そりゃそうでしょ。私に吸われるわよそんなもの。……ああいいの、"今"の人間と言葉を交わすつもりはないから」

「それで? 本物の華胥の一族と出会って、どうだった」

「思ったより使えない奴らだったわ。自責の念で動いているから、少しはまともな意見が出てくるのかと思えば、ずーっと輝術方面からしか捜査をしない。普通、一個失敗したら違うやり方を模索するでしょ。それがない。輝術でなんでもかんでも思い通りになる連中だからこそ、それ以外の技能がまるでない。──これならまだあんたや鬼の方が信頼できる」

 

 ──言われているぞ燧。

 ──言われているのは伏じゃないかい?

 

「く……植物なら、燃やしてしまえば……!」

「要らん世話だ、衿泉。この珍妙な草花は私の手下でな」

「だーれが手下よ!」

「お別れ、ということさ」

 

 右腕が動く。未だ赤積君の固定輝術がかかったままのトンカチ。そのくぎ抜き部分で、"巨剣"の切っ先を僅かに逸らす。

 彼女が来たのだ。

 

「痛っ……ったいわね、いきなり何……よ……って」

「君のような化け物には先手必勝だからね。……良く耐えてくれたね、衿泉さん。あとは任せてほしい。明蘭は私が取り戻すよ」

 

 溜め息を吐く。盛大に。

 凛凛さんの反応で確定したようなものだが……まぁ。

 

「取り戻す、も何も。今、この化け物にとっての致命傷になりかけたその巨剣を私が逸らしたところを見ていなかったのか? つまり、この奇怪な化け物を私が守った、ということを」

「化け物化け物うっさいわね!」

「騒ぐのも喚くのも好きにしてくれていいがな。外にも私達を阻む者がいる。先に経路を確保しておいてくれ」

「……はぁ。ええ、わかったわかった。……一応言っておくけれど」

「言わなくていい。わかっている」

「あっそ。じゃあせめてもの応援。その左腕に固定の輝術をかけたから。ま、石膏くらいの硬さはあると思っていいわ」

「感謝はしておくよ」

 

 右手にトンカチ。左手に鋸。

 して……トンカチの頭を()()()に向けて、笑う。

 

「……本気かい? また大怪我をしたい、という願望を持っているのでもなければ……ゆっくりとでいい。こちらに来るんだ。その植物がおかしな動きを見せた瞬間、消し飛ばすから」

「さっきの一撃。先手必勝と言ったな。手加減無しに、彼女を殺すつもりで放った巨剣。──私はその射出を見てから反応し、軌道を逸らしている」

「……」

「いつか言ったな。私達は対等だと。あれはあの場の強がりでも虚勢でもない。本気だ、赤積君」

 

 ごくりと喉が鳴る。私じゃない。

 赤積君だ。

 

 そして彼女は……今、自らが生唾を飲んだ事実に、ようやく気付いたようだった。

 

「は……はは。すごいな。私は今、君に対して……緊張を覚えた。こんなこと初めてだよ。……州君同士の戦いくらいでしか得られないと思っていた緊迫感がある……!」

「ち、赤積君! お、恐れながら、彼女は怪我人です! それに、先帝の悪事を見破った──」

「すまん、衿泉」

 

 威圧で気絶させる。

 もう随分と慣れたな、これにも。

 

「……経路は確保した。私も残るわ」

「好きにしろ。言われるまでもなく」

「……つらく、ないから」

「聞いていないよ。だが……まぁ、良かったな、とは言っておく。私のこと以上に探し回ったのだろう?」

「ふん。……ふん、だ」

 

 二撃目。鋸の腹を使って巨剣を滑らせ、医院の壁にぶち当てる。そのまま外へと貫通していく剣。

 左腕が固定されていたからできたことだ。感謝はしておこう、再度。

 

「偶然では、ないんだね。平民の身で……私に渡りあう。──甘美だ、君は」

「そういえば、強い者と戦えなくて退屈している、のだったか。井の中の蛙大海を知らずとはまさにこのことだな。ここにいるぞ。お前の上を行くか弱き乙女が」

 

 生成される剣。射出……ではなく、斬りかかり。

 おっとこれは反応不可。目では追うことができていても、身体が追いつかない。

 けれど直後、床から生えて来た鋭い根が私を守ってくれた。そのまま赤積君との距離を離すために追撃を行う根。

 

「つらいんじゃないか、結局」

「うっさいわね!!」

「そこまでの不意打ちが可能なら、背後から脳天を一突き、くらいはできただろう?」

「だからうっさいって言ってんの、よ!?」

 

 今度は射出。だからまたくぎ抜きで逸らした。

 やはり。彼女の自己申告通りだ。

 物質生成は得意でも、輝術全般に秀でるわけではない。身体強化も私が目で追い切れる速度なのだから、お察しだろう。

 

「っと……準備が整ったわ。そろそろ行くけど、お別れの言葉、要らないの?」

「凛凛様こそ、だろう」

「私は会えるもの」

「そうか」

 

 では、と。

 

 威圧をする。

 

 ──赤積君に、膝を突かせるほどの。

 

「な、ぁ──!?」

「刻んでおけ、衿泉。また私に会いたいと思うのなら。そして赤積君。お前とまた会うためにお前と敵対する彼女を、心から愛するのならば」

「ぐ……ウソ、みたいな威圧……重圧……みたいな……なんだこれ……!」

「魂に刻め。事象には足る理由がある。お前がいることには理由がある。だから、お前が()()()()()()()にも理由がある。……受け入れられぬというのなら、受け入れるな。勝ち取れ。跳ね退けろ」

「ちょっと、何言って──」

「摂理も、理も! 意志の力だけで乗り越えろ!!」

 

 ゆえに今は、おやすみだ。

 さようなら──赤積君。さようなら、衿泉。

 

 また逢う日まで。

 

 

 

 超巨大な綿毛、みたいなものに掴まって空を行く。眼下、こちらを見上げる三人の姿が見えたけれど……それさえも、だ。

 

「……あんた、現状をわかっていない、と言うわけじゃないんでしょ? ……消えるのよ、あの子たちは。私達が世界を戻せば」

「わからんだろう。可能性は零じゃないさ」

「それだと私が困るというか、嫌なんだけど」

「そこの両立も、という話だ。……と」

 

 雲の陰から、影が一つつ。

 赤い反物の美人。風になびく黒髪は艶やかで……けれど、心なしかしょんぼりしているような。

 ま……別れはな。……探りはせんさ。

 

「無事だったか、桃湯」

「ええ、当然でしょう。……それで、後ろの……緑の化け物は誰? 新手の鬼? 果てしなく嫌な気配がするのだけど」

「輝術の化身のようなものだからな。鬼にとっては嫌に映るのだろう。安心しろ、味方だ」

「え、あなたあのちびっこ? ……まるっきり……その、植物を扱うようになった鬼、みたいな姿だけど」

「鬼に姿形を揶揄される日が来るとは思わなかったわ。……別に良いでしょ。全身から出していた方が何かと便利なのよ。見た目が受け入れられないというのなら、拠点につき次第しまうから」

 

 拠点。そう、綿毛の行く先にあるもの。私達はそこへと向かっている。

 それは──。

 

「黄州の庫、ね。……こんなところにあったのか」

 

 三古厥が一つ。城、宮の最後、厥。

 地底にあるせいか鬼の隠れ処になりやすいそこが、拠点であるらしかった。

 

 中にはそれはもう、というレベルで植物が密集していて、攻め入られたとしても迎撃準備ばっちり、みたいな空気を感じる。

 また、私達が入り切ると蔦が動き、岩石を集めて蓋とした。カムフラージュもばっちり、と。

 

 庫。宮殿にしか見えないその中を、人間フォルムに戻ったちびっここと凛凛さんに案内される。やっぱり人間用の高さではない扉や家具やらをじっくり見て回っての……奥の部屋。

 

 編み笠を被った、一見してみすぼらしい恰好の男性が一人。

 

「……来たか」

「久方振りになるか? (フー)

「ああ。(なれ)とも、汝の中にいる者達ともな」

 

 なるほど。大体を知っている、ということで。

 

 彼は私達に向き直る。直って、重々しく口を開いた。

 

「現状……我々は、窮地に立たされている。我々を閉じ込めたもの……肉体の檻を逸した者達に声をかける者どもは、世の初期化こそできてもここまでの改編能力は有していなかったはずだ。それはつまり」

「奴らの力が強まっている、か。あるいは私という媒介が、奴らにとっても最高の素材であるか、だな」

「ああ。我々は後者であると考えているが、楽観視はできない」

 

 その通りだ。敵の力は想像を遥かに超えている。

 世界結界の中身を好き勝手に弄り得るのなら、世界から出るという計画も危うい。

 同時にすぐさまリセットをかけなかったということは、やはり何かがある。その何かを早急にみつけなければならない。

 

「そこで、私達は姑且同盟(グーチィェトンモン)を結ぶことにしたの。現代……というか、変わる前の世界を覚えている者だけの同盟ね」

「……名前、もう少し何とかならなかったのかしら」

 

 姑且、ってなんだっけ。

 ──とりあえず、だ。

 

 え、じゃあ『とりあえず同盟』ってこと?

 

「人員はまず私、凛凛。昔に輝術を身体に取り込んで、輝術の意思と同一化した愚かな小娘よ。けど行動指針なんかを示したがらないそこの"襤褸布"のせい……に、代わって、私が姑且同盟の指揮を執っているわ」

「我々に主体性を求められてもな。元より願われる存在。汝らのような人間がいてこそ成り立つものだ」

 

 ──くだらん。だというのなら初めから不満など持つな、腰抜けめ。

 ──まぁまぁ。多かれ少なかれ、私達はそうである……というか、そうではなければいけなかっただろう? そこは媧も納得してくれると思うのだけどね。

 ──限度がある、という話をしている。

 

「だから、自己紹介をしろ、って今促したの!」

「……(フー)という」

「……。……本当にいらいらする……!」

「黒州の奴らが言葉を繰りすぎなだけじゃないか? ……と、なら私が続くか。私は祆蘭。知っての通り平民で、知っての通り鬼子母神候補で、知っての通り楽土より帰りし神子だ。以上」

「確かに知っての通りだけど、肩書が強すぎる……!」

「こういう賑わいのある集団、苦手なのだけど。……桃湯よ。齢八千の鬼。人間とも……輝術師とも仲良くする気は無いけれど、まぁ、世界を戻すため、であるならば協力するわ」

「どうして、どうして唯一まともそうなのが鬼なのよ……!!」

 

 ──私達もいるのだけどね?

 ──どうせ表には出ない。必要ないだろう。

 

 いやぁ。

 ツッコミ属性、凛凛さんだけだから……大変そうだなぁ。

 

「……ふぅ。……そうね。そう。話しを続けるわ。……現状の話をするからよく聞いて」

 

 凛凛さんの腕。その至る所から蔦が生えて来て、板みたいなものが形成される。

 そこに……蕾だろうか、細い色付き花弁のようなものが育ってきて、絵を作り始めた。

 

「今、私とそこの襤褸布は、世界の解析を行っている。これは簡単に言えば、前の世界と今の世界で何が変わったのかを調べる行為よ」

「何もかも、ではないの?」

「ええ、そう。だから、言葉を違えたわね。──何か変わっていないものが無いか、を探している、というべきかしら。それが世界を紐解く鍵になりそうだから」

「私達以外にもいる可能性がある、と?」

「可能性は零じゃない。そうでしょ?」

 

 それはそうだけど。

 ……見つけたとして、何になるんだ。

 

「だから、鬼側にもそれを手伝って欲しい。古い鬼に、何も変わっていない奴がいないか、とか、あと穢れだまりや……穢れの卵? とかいう奴がおかしくなっていないか、とか」

「はいはい雑用ね」

「私達だって雑用よ」

「どちらも、大事な仕事と言える」

「そこは口を挟むのね……で、最後に祆蘭。あなたには当然、モノ作りをしてほしい」

「……伏が話したのか」

「ええ。粗方聞いたわ。あの時も多少聞いていたけれど、それは最早神なりし者の所業。故意に引き起こす手段があるのなら、是非」

 

 責任重大、と。

 バラバラになった世界を元に戻す工作物、ねぇ。……ジグソーパズルとかか?

 

「基本的に私と襤褸布はここにいる。私はここから天染峰全土に根を伸ばし、世界を探る。襤褸布は輝術の方面から世界を探る。鬼……桃湯は穢れから探るわけだけれど、一か所から、が無理なら現地に行ってもらう」

「ええ、わかった」

「祆蘭。あなたはどちらでもいいわ。桃湯について回ってもいいし、ここでモノ作りをするのでもいい。ただし単独行動だけはやめて。なにをしでかすかわからないから」

「はいはい」

 

 よーし、と。

 凛凛さんはパンと一拍する。そして、「行動開」まで言った。

 

 言い切れなかった理由は。

 

「ああ待ってくれ、凛凛様。一つ心当たりがある」

 

 私が遮ったからだ。

 ……彼女は「ふぅ」とため息を吐き……にこやかに笑う。「なにかしら? くだらない事だったらぶちのめすわよ?」という幻聴が聞こえた気がした。

 

「『輝園』の泉過(チュェングゥォ)様を当たってみたい。彼が今誰で、どのような立場にいるのかは知らないが、十何年、あるいは何十年と続けた雑技団の観客の顔全てを覚えている、という彼なら」

「……確かに。私達を覚えている可能性はあるかもしれないわね」

「回転している、という可能性を考えると青州にいるように思うのだが、凛凛様はもう青州を全て見終わったのだよな」

「ええ。ちなみに青清君は全然青清君じゃなかったわ」

「別に聞いていない。……だとすると、普通に黒州にいるのか、あるいは青州にいるけれど、雑技団の仕事をしていない、もしくは顔が変わり過ぎている……その辺りか」

 

 今は少しでも仲間を増やすべき。

 だけど同時に、その仲間は「いずれ消える仲間」である。のなら、できるだけ前と同じである人材を選ぶべきだ。

 

「黒州と青州へ、祆蘭を連れまわせ。そういうことでしょう」

「……そうね。そうしてちょうだい。……それと、これ」

 

 ぱらぱらと……種……コーヒー豆みたいな種を渡してくる凛凛さん。

 

「これ、地面に蒔くだけで一直線に私のいる所まで根を張るから。緊急の連絡手段に使いなさい。……量産はできないから、いたずらに使わないように」

「ああ、頼もしいよ」

 

 では、と。

 とりあえず同盟、ここに発足である。

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