女帝からは逃げないと。   作:霧江牡丹

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第七十五話「残滓」

 帝を失った緑州。すぐさま赤州が帝のいる州になる……というとそんなことはなく、紙で残さねばならない手続きなんかが結構あるらしい。

 一瞬にして世界を一変させられるというのに物的証拠なんか意味あるのかねぇ、なんて考えていたら、新しい住人こと(スェイ)曰く、「むしろ奴らにはこっちの社会のあれそれなんて関係ない……気にも留めないから、手段としては有効だろうね。ただし知っての通り、存在が忘れ去られたら証拠も消えてしまうわけだけど」との助言が。フォローなんだかよくわからん話だ。

 とまぁそういう理由で赤積君は行政に出ずっぱり。桃湯や令樹(リンシュ)の現状を把握したくとも、流石に私の足では月単位がかかる。

 なにより──。

 

「……大げさすぎないか。たかだか腕の複雑骨折と額を七針縫った程度だろうに」

「たかだか。程度? さっすが平民は怪我に慣れていますね。慣れ過ぎて感覚が麻痺している。入院は妥当ですし、なんなら今でさえ酷い痛みを訴えて来ていてもおかしくはありません。というか痛いでしょ? 痛くないはずないんですよ。こっちの投与した鎮痛剤程度では抑えきれる痛みじゃないから」

 

 入院なう。

 ……うーむ。未だ原理はわかっていないものの、青宮城にさえ戻れば怪我の治りは早くなると思うのだが、ここは緑宮廷。こっちの理屈は通じない。

 

 目の前にいるのは醫師(イーシー)と呼ばれる医師で、謂わば外科医だ。

 この世界の男尊女卑がどの程度のものなのかをいまいち把握できていない上で言うけど、一応珍しく女性のお医者さん、だと思う。青宮廷も青宮城も男性医師ばっかりだったし。

 浅黒い肌は地肌ではなく日焼けの痕。黒縁メガネ。黒の混じっていない完全な緑髪。

 顔立ちは完全に見たことのない人……つまり、一変する前からも絡みの無かった人……だと思う。

 

 名前を、衿泉(ジンチュェン)さん。

 

「まぁ、痛いには痛い。なんなら複雑骨折をする前からな。だが騒ぐほどじゃない」

「それがおかしいと言っているのですがね。ま、患者さんが暴れられるよりよっぽどいいです。ただしこれ、点滴は抜かないように。死にますよ?」

「そんなにか。もう腕の固定も額の縫合も終わっているのではないのか」

「あなたがどういう立場でどういう環境にあったのか知りませんけど、体内に微量な毒が入っていたこと、加えて甚大な栄養失調。貧血も見られましたがこっちは急性。毒の頒布からして、恐らく長期間にわたって長く長く摂取したもの。大体七日から十日くらいですかね」

「なるほど。心当たりがある」

 

 やはり飲み水も毒だったか。

 加えて栄養失調とは。ま、桃湯も一日に子供がどれほど食べるのか、なんて覚えていなかっただろうし、世話になっている身でもっと寄越せとも言えなかった。そういうことだな。

 

「そ・れ・と。……額の傷、残りますよ。崖から落ちて岩礁に額をぶつけた、みたいな傷痕でしたし。頭蓋骨に達していないのが奇跡なくらい。幸運な方ですねぇ」

「輝術師の揮う腕……というか肘へ頭突きをかましただけだ。それでそんなになるのか。ま、痕はいいよ。勲章のようなものさ。こういう経緯ならな」

「ふむ。脈拍の乱れ、瞳孔の開き具合、爪先の血管収縮などから嘘を発見する術が存在しますが、あなたには必要なさそうですね。全て本当で、全て気が触れているとしか思えない。輝術師と戦うのは初めてではないと聞いていましたが、身体の硬さを知らなかったんですか?」

「知っていたが、顔を近づけるにはそれしかなかった。こう見えて馬鹿なのでな、咄嗟にいい方法を思いつけるほど出来が良くない」

「今までで一番納得できた言葉です。……さて、私は他の病室へ……行くと思いました?」

 

 行くと見せかけて、思いました? でぐりんと身体を曲げる衿泉さん。……とても直近、輝霊院で似た動きを見たような。

 血縁か?

 

「忙しいのではないのか」

「忙しいですよ。ただあなたには最優先であたれ、と赤積君からのご命令でして。加えて咲着(シャオシー)様からも、です。今代赤積君と先代緑涼君の双方から"最優先で治療するように"且つ"決して目を離さないように"と言われています。前者は慈しみに聞こえますが、後者は暴れまわる罪人や脱獄犯に対する言葉です。心当たりは?」

「今心当たりの無い思い出話を探している」

「ということで、少なくともその点滴が要らなくなるまではこの病室で私と一緒です。朝昼夕餉、厠、身体の汚れ拭きまで」

「ちなみにそこの窓。少しだけ風の入るよう開いてはいるが、明らかに支え木である撑木(チェンバン)が無理な角度をしているように思う」

「この部屋の窓や入り口には全て固定輝術が使われています。万全の体勢でしょう? あなたが先代帝を信奉するような集団に逆恨みされないとも限りませんし」

「素晴らしいな。たかだか平民にかける費用としては考えられないのではないか?」

「ええ、たかだか平民に多くの子供が未来を奪われずに済みましたから。これは感謝の気持ちですよ」

 

 ……参った。

 とっとと黄州や『山灰庇炉處(シャンフゥイビールーチュ)』がどうなっているか、などを調べたいのに。

 

 八千年の時間遡行をしていないのだとしても、今この時には現帝陣営が存在しない。笈溌(ジーボォ)もいない。

 つまり、調べ放題のはずなのだ。まぁ似た役割を持つ奴が居る可能性はあるけど、それでも四千七百歳の鬼を相手にするよりはマシだろう。

 だというのに入院だと。確かに痛い。痛いさ。私だって人間だ。別に痛みの感じないサイボーグか何か、ってわけじゃない。鎮痛剤を服用していても左腕は灼熱のように痛むし、額は嫌な軋みを聞かせてくる。

 けどそれがなんだ。そんなことが私の歩みを止める理由になるのか。

 

 そんな──安全策を。

 

「何を生き急いでいるんですか、あなた」

「……そんなつもりはないが」

「私、専門は外科手術ですけど、多少は心の病も勉強していました。だから言います。あなた今焦っていますね。それも、何か……外的要因ではなく、内部的な……あなたの生き方に関わるような焦り」

 

 舌を打ちたくなる。

 今までにいなかったタイプだ。

 私を「理解できないもの」とか「遠いもの」、「成り得ないもの」、「別の生き物」のように扱うのではなく、ちゃんと一個人として見てくるタイプ。

 

 ……前世の親友のようなタイプ。まぁアイツはそこに「偏屈で偏狭で変人で変」で「色々最低で色々最悪で色々劣悪」なのに「綺麗な嫁さん持ち」というワードが付くのだが。

 アレとの結婚に踏み切った奥さんは本当に聖人だと思うよ。

 

「見えた感情は怒り。自分を探られるのは嫌いですか」

「仕方が無かろう。割る腹には痛いものしか詰まっていないし、偽りだらけの人生だ。ガキはガキらしくしていろと何度言われたことか。ガキはガキらしく遊んでいろと、子供らしいことをしていろと何度──」

「それ、言ってきたのは身内ですね。それも……かなり心を許した身内。だから余計に傷ついている」

 

 ピンセットのような器具をぴしっとこちらに向けてくる衿泉さん。……尖ったものを他人に向けるんじゃありません。

 

「なるほど? 大人扱いされたいわけでも子供扱いされたいわけでもない。ただ、想像以上にその人が自分を知らなかった。……よくある友情への亀裂ですね。出せる処方箋は、他人に期待しない事、ですか。……ああいえ、わかっていますよ。あなたみたいな人は他人に期待などしていない。というか失望している。……だのに理解者が現れてしまった。うんうん、少しわかって来ました、あなたのこと」

 

 プロファイリングでもされている気分だった。

 なんだ。私は凶悪犯罪者か何かか。

 

「私もあなたが治るまでの間、ここで過ごすのは流石に退屈だな、と思っていたんです。平民と話すことなんてないし、って。……でも、俄然興味が湧きました。湧いてきました。──お話し、しましょう。私にあなたを教えてください」

「……言い方が多少淫猥だ。こちとらまだ九歳だぞ」

「私は十四歳。互いに成人前ですから、違法にはなりませんよ」

 

 ……厄介なのに捕まったかもしれない。

 

 

 

 そうして、外の状況を知るとか以前の、面倒な問答が始まる。

 

「まず自己紹介を。あなたの話ばかり聞いていては、肝心なところで"まずお前の話を聞かせろ。話はそれからだ"みたいに口を挟まれかねません」

「いるのか、そんな無粋な奴」

「ええ、全身の映る鏡をご用意しましょうか?」

「いや結構だ。この病室を別角度から客観視できる頭脳がある」

「それは重畳。では改めて。私の名前は衿泉。先程も述べたように成人前ですが、知識と技量を買われて宮廷医院になりました。ただ輝術の腕はあまり良くないので、城に上がることはできませんでした。……ここが帝のいる州でよかった、なんて呆けている内にそうではなくなってしまって。これからの行く末が気になって仕方のない華の十四歳です」

「成程許婚か何かがいる、と」

「おやおや、舌戦をご希望ですか? ええその通り。既に婚約相手がいるので欠片も焦っていませんよ」

 

 止まっていられないのか、そのピンセットのようなものをくるくると……ペン回しの要領で遊んでいる彼女。余裕綽々な態度ではあるけれど、突ける穴はそれなりにありそうだ。ただし、故意に作られた隙かどうかは考えなければならない。

 ……一瞬くだらん前世を思い出しそうになった。嫌だね、ビジネスで対等な相手とやる腹の探り合いなんて。もっと公明正大にいけないものか。

 

「それで、自己紹介はそれで終わりか」

「あなたの自己紹介はこれ以上に長文で?」

「いいや。名は明蘭(ミンラン)。平民。以上だ」

「素晴らしいですね。出自を聞いて見下してくる相手には同等の見下しを、そうでない相手には様子見を。私のように踏み込んでくる相手には多少排他的に。……あと、恐らくですが、善人には偽悪的に振る舞うのでは?」

「惜しいな。善悪がはっきりしている奴には、だ」

「なるほど、惜しい回答を出せば答えはくださるんですね。思ったより秘密主義者ではないけれど、聞かれない限りは決して口を割らない、聞かれたとしてもそれが相手の不利、あるいは不利益になると察した瞬間に隠す。ふむ……、……誰かに影響を与えたせいで、取り返しのつかないことになった、という経験がある。そう見ました。如何ですか?」

「それも、逆も、両の手足指では足りんな」

 

 退屈であるのは私も同じだ。

 だから付き合ってやる。暇つぶしだからな、こんなもの。……ただ十四歳時点で"コレ"だと、成長した時どんなヒネた大人になるのか怖……見物だが。

 

「──人を殺した経験は?」

「あるよ。野盗を何人も殺している」

「おや、核心を突いたつもりだったのですが、そうでした。あなたは平民。私達貴族よりも命の危険に晒される頻度は高い」

「貴族も言うほど安全じゃないだろう。上からの命令には逆らえんし、幽鬼も鬼もいる。後者二つは平民をほとんど狙わんのだから、確率で言えばある程度にまでは収束しそうなものだ」

「ちなみに私はありません。幽鬼殺しも経験ありませんし、鬼は対峙経験さえありませんね。ああいえ、帝がそうだった、というのであれば、墓祭りで何度か、ですが」

「蚊や羽虫を殺した経験は? あるいは患者を助けられなかった経験。お前が手を下さずとも、目の前で人が死んだ経験」

「……何度か?」

「なら特別感を見出す必要はない。命に優劣はないし、罪悪感も悔悟も己だけで完結する感情だ。他者に後ろ指を指される話ではなかろうさ。それがどれだけ悪逆非道な殺人であろうともな」

「……帝の……失礼、元帝の行為を糾弾しておいて、彼は悪ではない、と?」

「ああ。それは奴の信念に基づく行為で、それは奴の信仰に沿う行為だ。それが快楽に集められたものであれ、本当に罪を覚え、怒りに任せた行動であれ、悪ではなかろうさ」

「ふむ……。もしかしてあなたは、正義の反対は別の正義、という論調で戦おうとしていますか?」

「馬鹿言え、それは大義あってこそ使える話だ。善悪というものは己の中にしかないという話で、此度私が帝を止めに入ったのはそれが私にとっての悪逆非道であったからだ」

「よくわかりませんね。同じことでは?」

 

 ……なんかないか。楊枝とか、竹串とか。

 口が寂しい。

 

「世間一般から見て悪だとしても、私にとってそうだとは限らんと、単純な話だろう」

「ああ、つまり人殺しも、羽虫を殺すことも、患者を助けられなかったことも、目の前の命を救えなかったことも──己の中の善悪だけで判断しろ、と。些か以上に暴論で、子供に聞かせるべき思想ではありませんね」

「お前には芯がある。話してもお前は己を曲げんだろう?」

「ええ、ですが成長過程において歪みが出てしまうかもしれません。その"過程"で私が他者を害したり、あるいは己を、となったら」

「その時は存分に私を恨みに来い。幽鬼となりても鬼となりても、私の命を取りに来い。それは"摂理"だからな」

「そうですか? 逆恨みでは?」

「逆恨みに蔑みの目を向けられるほど高尚な人間であるつもりはないよ」

 

 恨むこと。憎むこと。怒ること。憤ること。

 それは正当な感情だ。矛先が間違っている、なんて……誰が決められる話なのか。

 

 前にも言ったな、これ。

 逆恨みは同時に摂理だと。また懐かしい話だことで。

 

「失礼。先程の言葉、幾つか訂正……いえ、撤回させていただいても?」

「ああ」

「あなたは凄まじい秘密主義者ですね。寛容に見えたり、超然としているように見えるのは、誰も核心に辿り着けていないから。そして、焦っているのは事実ですが、怒りなど欠片も抱いていない。むしろ……痛み? 苦しみ? 何か……もっと深いところであなたの心は苦痛を訴えている。あなたはそれに気付いていながら、無視しようとしている。……違う。あ、ああ。だから焦っているのですか」

「妄想癖も時には芯を食うか。中々面白い」

「早くしないと同じ結末を迎えてしまうから。……同時に、試したい。変えたことで変わるのかどうかを。期待という安心を得られるのかどうかを。……明蘭さん。あなた、親はいますか?」

「いるよ。存命だ」

「嘘に聞こえました。いえ、いるのかもしれませんが、親だと思っていない。……ああいえ、薄情であると責めるつもりはありません。ただ、()()()()()()()()()()()()()()

 

 左眉の上を撫でる。……撫でようとして、そういえば左腕が固定されていたことを思い出した。

 昔はここに傷があったからな。撫でようとしてしまうんだ。

 

「親はいるか、衿泉」

「ええ。存命です」

「愛しているし、愛されている。誇りにも思われているな」

「そうですね。喜ばしく思っています」

「ただ……罪悪感がある。ふむ。一年以上会いに行ってやっていないな? 忙しさなんかを理由に」

「……あなたも心の勉強を?」

「いいや、経験則と勘だ。……お前がそう思っているということは、あちらは倍以上思っている。連絡を取りたくとも、お前の仕事が仕事なだけに、邪魔してはいけないのではないか、と取り得ない。……ああ、緑宮廷内にいないのか。だから伝達が届かない。輝術伝達の詳細については良く知らんが、外廷と内廷でもない限り、宮廷内の家族とはいつでも連絡は取りあえるものだろう?」

「そうですね。……はい。もうすぐで、一年と……六つ月、ですか。会っていません」

「ちょっとこっち来い」

 

 動く右手で招き寄せる。

 不審そうな顔をしながらも、こちらへ来てくれる衿泉さん。

 

 その頬をぎゅむ、とした。

 彼女が膨れ面になったことで弾かれる指。

 

「……」

「撫でるのは親の仕事だ。あるいは師の、な。……お前、思ったより子供だよ。まだ愛情が足りていない。……人はさ、案外簡単に死ぬよ。それに、案外簡単にいなくなる。連絡を取ることができなくなる。……なぁ、私からも少し問答をしても良いか」

「今までのがそうではなかったというのであれば、脳の検査まで必要かもしれません」

「いいから」

「はぁ。……はい、なんですか。どうぞ」

 

 窓を見る。雲の少ない空だ。快晴ではないのが残念だけど、まぁこの世界を思えばこれでも良い方だろう。

 

「長らく会っていない友人は、友人と言えるのか。お前はどう思う?」

「……つまり、会わない期間を広く開くと、友は友でなくなるかどうか、というお話ですか?」

「わざわざ言い換える必要があったのかは知らんが、まぁそうだな」

「であれば否です。どれほど長い間話していなくとも、友は友でしょう」

「私はそう考えない」

 

 はぁ。痛みでアドレナリンが多少出ているのだろうな。あるいは鎮痛剤に、地球じゃ違反とされるような薬物でも入っていたか。

 子供に何を話しているのやら。

 

「その友は、記憶にある時点の友だ。己の記憶の中に存在する友とは友人かもしれないが、長い間連絡を取っていないどこかの誰かとは友ではない」

「文脈で言うと、私の親が親ではなくなる、と?」

「問答は問答だ。切り離して考えろ。……だから、私達は人間関係を逐一更新する必要があるんだ。長い間会っていなくて……それで変貌を遂げていたら、こう口にする。"昔のあいつはあんなやつじゃなかった"とな。時間経過程度で関係性の根拠は変わる。何が好きだから友。どんな気が合うから友。通じ合うものがあったから、同じ学び舎で学んだから、目指すところが同じだったから。……友と呼べるもの。親しいと呼べる相手には、そう呼び得るだけの根拠があるんだ」

「……」

「だから、友を友とするのなら。今でも親しいと、今でも愛しているというのなら、やはり関係性を更新する必要がある。結果的に変わりがないのだとしても、あるいは変わっていてもそれはそれで、と言えるのだとしても……時というのは関係を引き裂く刃だよ」

「結局両親の話じゃないですか」

「ああ、私が正直者に見えていたのか?」

「……。……そうですね。ここを離れることはできませんが、両親を呼び寄せることはできます。……なんだか癪ですが、わかりました。ちょっと……会いたい、と。文を出すことにします」

 

 余計な世話な自覚はあるさ。

 ただ……忙殺されているのなら、どうしてもな。……私にこの年頃の子供を近づけないでほしい。今並もだけど、どうしても親心のようなものが湧いてしまう。

 

 ──まぁ確かにそれくらいの年齢か。

 ──そうなのかい? 私はてっきり、もっともっと老齢で強かな女性なのかと。

 

 あまり煩くすると言葉の濁流で圧し潰すぞお前達。

 

「なぜ、を問うても良いですか?」

「……親の愛情の話か?」

「はい」

「……特に大した理由ではないさ。捨てられた。それだけだよ」

「それだけ……でも、なさそうですね」

 

 いいや。生まれの"不都合"はそれだ。

 不義の子だった。本当にただそれだけ。……だけど、彼ら彼女らが捨てた、ということが法的機関に発覚しかけて……面倒を避けるために拾い直された、までがオマケにつくが。

 

 雨の日。灰色の空。銀色の雨。

 覚えているはずのない原風景。赤子も赤子の……その目に灼かれた、空模様。

 

 そして育ちの"不都合"があり。

 終わりの"不都合"があった。そこまで大した人生じゃないさ。どこにでもある、最早同情を受けることさえない一生。

 

「良い人生だよ、本当に」

「……おかしいですね。今のは、心からの言葉に聞こえました」

 

 ああ、そりゃそうだ。

 こっちの人生の話だからな。

 まー世界の成り立ちだの悪意だの謀りだのはふざけているけれど、ちゃんと親がいて、家族がいて、今は……なんだ、友もいれば、愛情とかいうものを向けてくる者までいる。期待を寄せる阿呆も多いが。

 恵まれていようさ。

 

「存命であるなら、ご両親はいまどこに?」

「出稼ぎさ。定期的に仕送りが入るから、元気ではあるのだろうよ」

「いつから会っていないのですか?」

「そろそろ六年か」

「よく私に説教できましたね」

「説教したつもりはない。諭しただけだ」

「同じでしょう」

「同じじゃないよ。……後悔してからじゃ遅いって、ただそれだけだから」

 

 ありきたりに、な。

 

「……。来客ですね。お友達がいたのですか、緑州に」

「ん? ……あー、まぁな。少ないが」

「ふむ。……逃げないと、約束してくれますか?」

「逃げたらお前が叱られるのだろう。逃げないよ」

「では、私は席を外してあげます。何やら込み入った事情がありそうなので」

 

 言って、衿泉さんはツカツカと出ていく。……十四歳には見えないけど、最近の子供の発育の良さを褒めるべきか、彼女も「突貫工事で混ぜられたから」なのか。

 真相は杳として知れず、だな。

 

 ……っと。

 

「入って良いぞ」

 

 声に、扉が開く。

 そこに……三人がいた。

 

「失礼する」

 

 拱手礼をして入ってくるは。

 

夜梟(イェシァォ)様に、祭鳴(ジーメイ)様に……もう一人の衛兵の人、だったか」

玉行(ユーホン)という。……入室を許可されたが、身動きの取れぬ女性の病室に入ることはない。俺……私はここで待っている」

 

 自ら締め出される形で外に残る玉行さん。

 だから、部屋の中には二人が残った。

 

 ……やっぱり、二人とも少しずつ違うな。それが少し面白い。

 

 して……片膝を突き、腕を組んで顔を伏せる二人。

 だから平民にすることじゃないって。

 

「赤積君の配下の方であるとは知らず、無礼を働いたこと。並びに……鬼の蛮行を止めるための貴方様の行動、その全てを妨害し、剰え鬼として扱ったこと。ここに謝罪をしたく思います」

「片膝であるのは、それが命令だったからか」

「……はい。本来であれば()を取るべきであるとは理解しております。ですが……申し訳ございません」

 

 ()。文字通り両膝で跪くことだ。その行為は相手への尊敬や服従、また礼儀を示す際に使われる。ただしその相手は普通立場が上のものであるとか、あるいは祭事官へ行うもの。

 言うなれば片膝突きは少々「軽い」のだ。ヨーロッパなんかの騎士のするそれとは重みが違う。あくまで「ごめんなさい」程度のもの。

 それでも貴族が平民に、というのは凄まじいことだけど。

 

「明蘭だ。無学且つ卑賎の身につき、粗野な話し言葉を許してくれると助かる」

「何を言うこともありません。……貴方様のご記憶通り、私達は夜梟、祭鳴と申します。緑宮廷では帝の側付きをしておりました。……この未曾有の事態を見抜けなかったことから責を受け、貴方様の傷が癒えるまでの間、最大限の警戒をさせていただく所存でございます」

「お前達が先帝を信奉していて、奴を殺したようなものである私を襲わない、という可能性は?」

「十二分にあるものです。……ですので、許可をいただきに参りました。貴方様が否を返すのであれば、私達は別の術で償いを」

「では是だ。近くにいてくれるだけで安心できる」

「……それは、ありがたいのですが……些か無用心ではありませんか。いえ、信頼し過ぎ、と言いますか」

「祭鳴様。()()()には既に伝えたはずだ。それ以上の言葉はないよ」

「!」

 

 配列、あるいは配役か。

 それを変えられる、というのがどれほどの影響を齎すのかは知らない。

 だけど……。

 

 ま、ここにいてくれてよかったよ。充分だろ、それで。

 

「それと、むず痒い。なんだ貴方様って。私は平民だぞ。もっと言葉を砕け莫迦者。加えて……私が赤積君の配下だと? ふん、やつめ、勝手なことを言うものだ」

「ち……違うのですか?」

「対等だ。私とアレは。戦えば五分だろうよ」

 

 十割負けるだろうが、気持ちでは十割勝つ。なら五分だろう。

 

 ……空気が死んだ。何か言いた気だけど……ああ。

 

「腕は、全治十四日だと。ふざけているだろう? こんなもの三日で治る」

「……必要なものがあれば言ってください。用意いたします」

「言葉が硬い。が、まぁ追々砕いてくれたらいい。……そうだな、鑿と木が欲しい。今欲しいものはそれくらいだ」

「用意しま……え? あの、左腕は絶対安静と……」

「だから、お前達か、衿泉様に手伝ってもらう。趣味が木工細工でな。十四日も暇であるのは耐えられん」

 

 あとはまぁ、桃湯待ちか。

 私にだけ音を届けるくらいはおちゃのこさいさいだろうし、令樹と合流して情報を貰うかね。

 

「と……流石に体力不足だな。眠い。……衿泉様に伝えてくれ。単純に体力不足で眠りに就いたと。無理はしていないと」

「ちょ……え──蘭様──様──!?」

 

 暗転。

 

 

 して、夜。昼間の変な時間に寝たから、変な時間に起きた、という奴だ。

 隣では……しっかり衿泉さんが眠っている。

 

 そして溜め息は吐かせてもらいたい。

 

「……ここでもか。いい、話せ」

 

 目の前に立ち、こちらを見つめるは……男性。男性の、幽鬼。

 見たことのある奴じゃない。けど、害ある幽鬼では無さそうだし、何か話したそうなので、ちゃんと聞く。

 

「……」

「ああ」

「……。……」

「……そうか。情報提供感謝するが……お前自身の望みはないのか?」

「……?」

「ああ。幽鬼になったんだ、何か未練があるのだろう?」

「……。……」

「無欲な奴だな。……ああいや、わかった。妻子の無事、だな。誰かに確認させる。妻子の名は?」

「……」

劉醒(リィゥシン)真奈(ヂェンナイ)ね。……ああ。もう一度逢いたい、という未練があるのであれば」

 

 私の魂に触れろ、という前に。

 男は、優しく笑って……消えた。光の粒になることもなく。

 

 ……男の名前、聞き忘れたな。というかお前、消えるなら無事の確認なんて……。

 はぁ。

 

 ま、承ったよ。どうせそれくらいしかやることないしな。

 幽鬼関係の専門家を名乗ってはいるんだ、ちゃんとやるさ。

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