女帝からは逃げないと。   作:霧江牡丹

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第七十四話「アナモルフォーシス」

 緑州に入った時、いいや、緑宮廷が見えてきた時にはもう、赤積君の唇が固く結ばれていることに気づいていた。

 伝達で何かあったか、感知したか。

 とにかく全速力で向かったその先で──。

 

 処刑が、行われていた。

 磔に処された年若い男女。中にはまだ子供もいる。その横で……震える手で、大きく、重そうな剣を手にする大人。身体的特徴から言って、恐らくは。

 

「……明蘭(ミンラン)、見てはいけない。……いくら死に慣れていようと、あれは」

「親に子を殺させ、その血で子の顔を親に描かせる……ああいや、逆だったか?」

「……ッ」

 

 であればやはり、準圭(ヂャオガイ)は結衣の立ち位置で間違いないのだろう。

 帝と州君という違いあれど、だ。

 

「……やめよう。近付かない方が良い」

「逆らえないか?」

「うん。帝が……どれほどの非道を行っていても、処刑である以上私達に大義はない。あくまで罪人を処するものだから」

「私が、楽土より帰りし神子である、と知っても、その態度は変えないか?」

「!?」

 

 昔、祭唄と夜雀さんにした問い。

 州君と帝のどちらが偉いのか。力では州君、権限では帝であると答えられたそれは──そのどちらもが、楽土より帰りし神子に勝るものなのか。

 

「……本当、かい」

「ああ。加えて準圭という男もそうだろうな。つまり同等だ。そこに帝であるか平民であるかの付加価値は何か関わるものか?」

 

 付加価値込みなら負けるやもしれん。

 だが──。

 

「……いいね。後ろ盾ができた。じゃあ方針を決めよう。君、あれ、止めたいかい?」

「事情に依る。本当に罪を犯してのものであれば、子の育成を阻むものであろうと私は目を瞑る。だが、大人の責任で子が罪を被っているのなら潰す」

「意地悪なコトを聞くけれど、片腕の折れた平民に何ができるのかな。私は赤州の人間以外に命を賭すほど優しくはないよ」

「ノコギリとトンカチを生成してくれるか?」

「え? あ、ああ。いいけど」

 

 なんでもないことであるかのように光を集め、それを出してくれる赤積君。

 折れた木剣は腰に佩き、左手に鋸、右手にトンカチのスタイルを取る。勿論左腕は折れているので、鋸の柄に左手を巻き付けるだけだ。

 

「事情を聞くことも、恐らく緑宮廷で起きている連続自殺事件についてを解くことも、御史處のあれやそれも、全てお前に任せよう。私をあの処刑場へ降ろしてくれ」

「……私に君を、殺させろ、と?」

「不敬も不義理も不条理も不正も、すべて私に押し付けろと言っている。お前は正しい立場から世を糺せ。私は私の道を征く」

 

 言葉に。

 

「いいね。凄く良い言葉だ。……その鋸とトンカチに、固定の輝術をかけておいた。同じ州君の攻撃でもない限り折れることはない。君の身体がどうなるかは知らないけれど……充分だろう?」

「十二分だ、莫迦者」

 

 投げ捨てられるように落とされる。ただし身を纏う風が、確かな軌道を取って私を処刑場へと連れて行く。

 百メートル。五十メートル。二十メートル。

 近づいても近づいても減速しない輝術に若干の不安を抱くけれど、それは……それは、別の要素で解消された。

 

 斬撃の輝術。それが飛んできたのだ。

 

 ゆえに鋸で防ぎ、真下の木の中、枝葉の中へと落下する。

 

 ……流石にいるか、守衛や兵士の類、が……。

 

「ハ……はは」

「輝術の気配を感じられない。鬼である可能性が高い。夜梟(イェシァォ)、気を付けて」

「そっちもね、祭鳴(ジーミン)!」

 

 木々の中に一瞬見えた顔。要人護衛の服装ではないから、顔が見易かった、というのもある。

 それもあるだろうけど──ああ、やはり見慣れているからだ。

 

 平民だけじゃないのか。

 そういうケースも、そりゃ当然、か。

 

 少々、どころじゃなく……さすがに愕然としてしまったかな。

 ああ。まぁ。そうか、って。

 

 ──代わってやろうか?

 

「莫迦者。どのような結果に落ち着くのであれ、二人は私の護衛だ。主が責を負わずしてなんとする」

 

 しゃがむ。その上を通り抜けるは、目で追えない速さの剣。夜雀さん……じゃない、夜梟さんの剣だ。

 ただし、しゃがみこんだ先にあったのは足。祭唄もとい祭鳴の鋭い蹴りが私に突き刺さ……らない。鋸の腹で防いだから。

 

 さすがは州君の輝術だ。左腕にはすさまじい衝撃が走っているのに、鋸そのものにはたわみさえ無い。

 

「こいつ、戦い慣れてる!」

「油断は捨てて。緑宮廷に入れないで」

「そしてもう一人いるのだろう」

 

 上体を後ろに反らし、後頭部への横薙ぎをしてきた男性と逆さに目を合わせる。……多分玉帰さんの、その辺だ。

 

「く、奇怪な!」

「ああ、奇怪であろうともさ。だが楽しいな、この状況は今までにない。──時に問うが、お前達はこの処刑の理由を知っているのか?」

「知らない。知る必要はない。私達は帝に従うだけ」

「祭鳴、鬼と話すな。何を気取られるかわからん」

「理由次第では退くと言っているのが伝わらないか、生真面目輝術師め」

 

 質ではなく量に切り替えたのだろうか、林の中から無数の斬撃が飛んでくる……が。

 もういい。わかった。理解した。

 

 少なくとも発射されたものであれば、避けずとも良い。

 

「ッ、外した!」

「外……した? 今のは……」

「もう一度問うぞ、輝術師。この処刑は誰が何の罪を犯したものか」

 

 答えは、無い。

 無いなら良い。

 

「顔が似ているからと期待した私が馬鹿だったよ。じゃあな」

 

 威圧する。その意識を圧し潰す。

 そして、緑宮廷へと走る。

 

 はずだった。

 

「さ──せない!」

「!?」

 

 咄嗟の防御が間に合いはしたけど、身体は大きく吹き飛ばされる。

 背骨を樹木などに強打しないよう姿勢を整えつつそちらを見れば……額に手を当てながらも、こちらを睨みつける祭鳴さんの姿が。

 他二人は泡を食って倒れているというのに、だ。

 

「よく……動けたな。素直に感服するよ、輝術師」

「自分でも……驚いている。今のは、威圧。州君や歴戦の戦士の使うもの。……鬼に使えるとは思っていなかった」

「ここになって私はただの平民だ、と言っても流石に信じられんか」

「……どちらでもいい。脅威。……緑宮廷には行かせない」

 

 仮説が浮かぶ。ただ、今は命の取り合い中。

 間違えていたら死だ。だけど。

 

 ──やりたいようにやれ。私にはもう答えが見えているし、お前もそうだと信じている。

 

 ハ。

 良い相棒だな、つくづく。

 とても私の身体を乗っ取ろうとしている奴とは思えない。

 

 彼女の足に力が入るのが見える。私はその姿を追うことはできないから、チャンスは一瞬だ。

 躱した直後。……いいや、躱せていない。私が咄嗟に動ける範囲をしっかり見極めて、それを補えるほどに長い斬撃を繰り出して来ている。

 だから、避けない。剣ではなく、剣を揮うその腕、いいや肘へと頭突きをかましながら、彼女の耳元で囁く。

 

「『自思之(思うままにやれ)』!」

「!?」

 

 輝術師の身体だ。当然身体強化の為されているそこ……しかも肘なんかに頭突きをかませば……額が裂ける。

 岩か何かか、全く。

 

 ……ま、彼女の身体は止まったらしい。言われた言葉を反芻しているようだ。

 だから額の血を拭い、緑宮廷へ急ぐ。

 

 この仮説が正しいのであれば……ってな。

 

 

 

 処刑広場に着いたとき、すでにそれは始まってしまっていた。

 端の方から順に、ほとんど乾涸びた我が子の首を断たんとする……悲痛な顔の親たち。

 

 探す。探して、すぐに見つけた。木で編まれた櫓のような場所に立っている男。

 

「準圭!!」

 

 銀の混じった髪色。ポニーテールのように括られた後ろ髪。百八十はあろうかという背丈に、筋肉質な地肌が見え隠れしている。

 

 名を呼んだ。同時に、この場に居る全員に剣気を向けた。

 だから今まさに振り下ろされんとしていた剣は空を切るし。

 

 それを高い所から眺めていた者は、私を認める。

 

「……誰だ、この楽しい宴を邪魔するのは」

 

 冷ややかな目。冷たい冷たい、こちらを何とも思っていない目。

 

 の、進史さん。

 ……いや、進史さんは吊り眉だけど、こいつは下がり眉だから、そこだけ違うかな。

 

「明蘭という平民だ」

「平民だと? ……衛兵は何をしている」

「そんなどうでもいい話はいい。この処刑、何の罪で行われているのかだけ教えてくれ。それを知りたい」

「平民と交わす口など持たぬ……と言いたいところだが、子供か。……ふむ、お前、親は?」

「いない。姐と二人暮らしだ」

「それは良い。それは良いな。──私に逆らった罪だ、この者の処刑をその姐にやらせるか!」

 

 苦労人な進史さんの顔が邪悪に染まる。うーん、もう色々と絡繰りはわかったけど、なんとかならなかったものか。

 

「さぁ出会え出会え! 賊の侵入だ! 罪状はいくらでもつけてやろう!」

「正当な罪なくこの処刑を行っている、と判断するが、構わないのだな」

「この期に及んで何を言うかと思えば。──私に逆らった。その事実だけで充分だと言っているのがわからないか!」

 

 飛来して来た輝術を、避けない。

 勝手に明後日の方向へ飛んで行った輝術に「まだ言うことを聞かん奴がいるのか」なんて感想を抱きながら……前へ進む。

 

 ざわつき。ざわめき。

 それは……刑の執行人である親たちが、「このまま続けるべきか否か」を迷う声だろう。

 一度は遮られたそれも、もう一度であればできてしまう。

 

 この帝に従うべきか。

 突然現れた平民に義を燃やすべきか。

 

 決まり切った問答に、けれど悩む者がいるのだ。

 

「……なんだ? 何を迷っている? 私よりそこの子供の方が怖いとでも?」

「そんなことはなかろうさ。折れた左腕とトンカチだけのガキ一匹。何を恐れる理由がある」

 

 殺到する輝術は、全てが外れていく。

 時折来る物理的な攻撃はしっかりと往なす。

 緑宮廷に帝の手の者たる輝術師がどれほどいるかは知らないが、その全てが殺到して……私一人、殺し得ない。

 

 歩く。歩く。

 額から再度流れ出てくる血液など気にも留めずに歩く。

 

「殺せ! この娘をどうにかする、などはどうでもいい! お前達だ! 子を殺し、親であるお前達がその罪を濯ぐのだ!!」

「二千年前。……ああいや、六千年後か。結衣がその立ち位置で、それを敢行し得た理由は二つある。一つは結衣が非常に強い輝術師で、そして鬼であったということ。そしてもう一つが──」

 

 剣気を発する。常に。常に。常に。

 かかってこいと……処刑場にいる親たち全てに。役人たち全てに。

 

 ヘイトを、私へ向けさせる。

 

「あの時代に、私がいなかった。ただそれだけだ、莫迦者」

 

 櫓の根元に鋸の刃を当て、それをトンカチで殴る。

 普通なら鋸の刃が負けてボロボロになってしまうけれど、固定の輝術によりそれは起きない。この櫓にもかけられていたのであろう固定の輝術は、けれど赤積君の輝術には敵わない。

 

 だけど、私の腕力なんて微微たるものだ。壊すにしたって時間がかかりすぎる。

 勝手に避けてくれるらしい輝術も、乱射されたのなら一発くらいは掠めるだろう。暴発としてでも逸れた結果でも、なんでも。

 それだけで十二分に私の肉体は終わる。

 

 打つ。カン、カンと。

 鋸の刃を少しずつ櫓へ入れて行く。

 カン、カンと。カン、カンと。

 

 ふと……体温を感じなくなった。

 穢れが暴走してまた体内から、とか。

 音も聞こえない、発射ではなく操作された輝術によって一瞬で、とか。

 

 色々考えたけど……まぁ、案外、なんてことはなくて。

 

「まずはこちらの不手際を……というか、予測のできなかった事態を謝るべきではあることは承知していますが、それよりもまず聞きたいことがあります」

 

 時間の止まったような世界。先程までワーギャー喚いていた下がり眉進史さんこと準圭も、動いていない。

 震える手で剣を持つ親も。

 浅い呼吸で枷に繋がれた子も。

 どちらに義があるのかわからず、けれど役割を全うし続けた輝術師たちも。

 

「なぜそうも、無策なので?」

「……なぜそうも、何もしないでいられる」

「なぜそうも、無謀なので?」

「……なぜそうも、他人事でいられる」

「なぜそうも、死を好むので?」

「……なぜそうも、生を愛する」

「なぜそうも──保身を考えることができないので?」

「……──なぜそうも、賭けに出ることを嫌がるのか」

 

 左腕の痛みは消えている。

 代わりに身体は動いていない。動かせる全身は、けれど肉体を操り得ない。

 

「簡単だ。策などそもそも考えつかんからだ」

「……飽いてしまったからだろうね」

「簡単だ。自信があるからだ」

「……彼らを同族とはもう、思えないからだろうね」

「簡単だ。好んでいるわけではなく、知っているだけだ。この程度では、とな」

「……愛しているわけではないよ」

「簡単だ。それよりも大事なことが、目の前に広がっている」

「……賭けに出ても良いのかな。もう──落胆するのは、面倒なのだけど」

 

 問答は終わった。

 だから、最後の問いにだけ答えよう。

 

「『自思之(思うままにやれ)』。私はお前達の母親ではない。許可など取るな。失敗を恐れるな。何千何億何兆の挫折を経ても、前へと進み続けろ」

「……厳しいね」

「停滞だけはするな。──今の名は?」

「変わらず、咲着(シャオシー)と」

「そうか。手を貸せ、(スェイ)

 

 身体に熱が戻る。痛みが戻る。肺の軋みが、筋肉の悲鳴が戻る。

 額から溢れる血液が生を教える。時が進み始めたことを告げる。

 

「莫迦者だと!? 娘、私に向かって莫迦者と言ったか──」

「ああ、言った。そして燧。手を貸せとはいったが、力になれとは言っていない。好きにやれ。私も好きにやる」

 

 半分くらい、だろうか。

 櫓に突き刺さった鋸は、もう私が持っていなくとも刺さったままとなる。

 

 だから、そこに足をかけて……跳躍する。

 

 流石に飛距離が足りない。だから櫓にトンカチの釘抜き部分をぶっ刺して、逆上がりの要領で身を翻せば……ほら。

 

 準圭と、並ぶことができた。

 

「これは単なる結果か、準圭。それとも因果なのか?」

「……娘、そこまでの……死にたがりか」

「お前は今に至るまで、まだ、ただの一度も輝術を使っていない。使えるか、私に」

「殺せ、殺せ! この者を──」

 

 ゆえに。

 それを未来とさせぬために。

 

「今、鬼だろう、お前」

「──ッ」

「進史様がそうなることのないよう──可能性の芽は、潰させてもらうぞ」

 

 ぐさり、と。

 彼の背後から……巨大な剣が、突き刺さる。

 

 ……なんだ、早かったな。私の見せ場を奪うなよ。

 

「やっぱり、鬼は鬼でも色々いるんだね。それを知れただけで良かった。……おっと、このままだと私が帝殺しにされかねない。少し全体への情報伝達をするから、待っていて欲しい」

 

 言って、こめかみに指を当てて目を瞑る赤積君。巨剣の生成主。

 

 しかし。

 

「……好きにやれとは言ったがな。()()()()()()()()()程度が手助けなのか?」

 

 ──充分、「自分で考えて動いた」方だ。やはり燧は話が通じるな。

 ──お前の考えている以上に奴らの力は大きい。殺生を好まぬのならば、妥当な干渉だろうよ。

 

 そんなものなのか。

 

「……ん。今、この場に居る輝術師たちに事実を伝えた。すぐに医院の者もやってくる。……()()()()()()()()()()()()による人間の大量殺戮はこれで終わりだよ」

「そういう筋書きで行くのか。元の準圭はどうする」

「燃やされちゃったんじゃないかなぁ。どこかの人の好い鬼にでも」

 

 はぁ。……ま、大立ち回りではあったけど、ほとんど何もしていない。

 結局はこいつが全て一人で終わらせたようなものだ。あとは桃湯と令樹が無事であればと願うばかりだが……。

 

「というか君……大丈夫かい? 左腕、血が滲み出ているけれど」

「ん? ……ああ、そうか。骨だけが折れている状態で攻撃を防げば、そうなるか」

 

 当然の帰結ではあった。

 折られた骨が防御時の衝撃で肉や筋を突き破り、悪化、と。

 額も……思ったより深いな。頭突きだけでこうなるってどういうことなんだ輝術師。

 

「赤積君。後処理は全て任せられると思って良いか」

「当然! ……って、え!?」

 

 ばた、と倒れる。

 痛みはどうでもいいけど、これは……血を流し過ぎたな。

 

 あー。

 やめてくれよ。私の気絶している間に世界が進む、なんてことは。

 

 ……やめよやめよ。考えると逆に実現しそうだし。

 いえーい。唐突な気絶専門家、気絶しまーす……。

 

 

 

 どこまでも続く草原(くさはら)。突き抜けるような蒼穹。見渡す限り存在しない山々。

 心地の良い風が、肌を撫でる。

 

「……ここに来るのも久方振り、か?」

「いつでも来られるくせに、来ないお前が悪い」

「いや良い悪いなど初めから話していないが……」

 

 私の背後で、何やら本らしきものをペラペラ捲っているのは、当然私。……の姿をした媧。

 そして今回はそれだけではなかった。

 

「新鮮だなぁ。混ざった者の姿を借りることなく言葉を発することができる。……良い御身分だね、媧。いつもこのような空間にいるのかな」

「どういう皮肉だそれは。……顔を突き合わせる、というのはまた違うが、今度こそ久方振りだな、燧」

「ええ」

 

 光の球、としか形容できないもの。

 あるいは……うすらぼんやりとシルエットは咲着さんで、頭だけが光っているナニカ、にすべきか。まぁなんでもいい。

 

「なぜ燧がここにいる」

「いちいち魂を抜き取って話をしていては面倒なので、来ちゃいました」

「怖気の走る言葉遣いはやめろ、燧」

「そちらこそ、私達の知る媧はもう少し女性らしい口調だったような。ああ、依代に影響されると聞いた覚えも」

「それもあるが、それ以上だな。祆蘭の魂の影響は大きすぎる。最悪次の依代に入ったあともこの口調で固定されかねん」

「最悪とか言うなよ。いいだろ別に」

「……」

 

 肩を竦める媧。

 

「それで。……その本は何だ、媧」

「いや、燧に用件を聞く流れだろう」

「それもする。ただそっちも気になる」

「……。……これは、私の記憶を本の形にしたものだ。今回準圭に関して記憶違いがあったからな。一応調べていた。私は依代に憑くたびに少しずつ魂を変質させてしまうから、付随する記憶が間違っている可能性がある、と」

「真面目の極み。流石は媧だね」

「……で、不真面目の極みは何用だ。ここは祆蘭の心の中だぞ。つまり乙女の心の中だ。お前の弟子と同じ道を辿るとは、流石は師弟か?」

「烈豊をあんな子に育てた覚えは無いのだけどね」

 

 華胥の同窓会は後にしてくれないだろうか。

 物事はスピーディーに、だ。

 

「……私が烈豊を知っていることを驚かないのだね」

「なんだ、答えが先に欲しいのか? ()()()()()()()()()()()()()()()。ほれ、これで満足か」

 

 あっさりと。溜めなく、余韻なく。

 後ろで媧が溜息を吐いているけれど、知らん知らん。

 

「……参考までに、どうして気付いたのかを教えてくれるかな」

「何の参考にするかは知らんが、先ほど気付いて仮説を立てて、賭けに出た。それに勝った。それだけだ」

「媧、詳しくお願いしてもいいかい?」

「なぜ私に振る……。はぁ、まぁなんだ、この娘は己の護衛にだけ通じる言語を教えている。それは……混ざった者が覚えるには、あまりにも厳しいものだ。それくらいは理解できるな?」

「無論だとも」

「だが、その護衛はしっかりと覚えた。しっかりと魂へ刻み込んだ。それがどれほどの偉業か、というのはまた後で語るとして……つまり、"立場や記憶が変わったとしても"、"あるいは何かが混じってしまっているのだとしても"、"その者の魂が損なわれているわけではないのではないか"とこいつは考えた。加えて、"自分たちは時代を遡行したのではなく、世界が一変しただけだ"、ともな」

 

 そう。

 八千年前だからタイムパラドックスに影響が出ないのではなく、現代だから関係がない。

 この世は閉じている。だから、「平民の血」あるいは「同一因子」と「神なりし者」の配合が変わることはない。

 変わるとしたら「配列」で、さらにこの世に転移というものは存在せず──方位も存在しない。

 

 だから、太陽を見た時に違和感を覚えた。

 微微たるものであるのはわかっているけれど、青州にいた時に見た太陽と、赤州で見た太陽が変わらぬ位置に……変わらぬ軌道にあるように思えたのだ。

 

 地球と太陽の遠さであれば人間の認識範囲外だろうそのおかしさも、かなり近い所にある天体であると知っていれば違和感となる。

 そこで、「実は私達、転移なんてしていないんじゃないか」説が浮かんだ。そんなものはないとも知らされていたしな。

 

 けど、事実として世界は一変している。

 だから。

 

「伏が私達を外に送る、と言ったあの時、何かが起きたのだろう? 穢れによる妨害か、別の何かか。それによって世界の……"世界の組成"とでもいうべきものが、八千年前にまで戻った。あらゆるものが八千年前の組成に置き換えられた、と表しても良い」

「良い理解だね。これで媧から助言を貰っていないのだから、素晴らしい」

「いや、貰ったさ。準圭に会え、とな。……そこで確信した。つまり、私と媧……というか華胥の一族は、代替が利かないのだろう? ゆえに低位の輝術師であった準圭は、本来媧が乗っ取って鬼子母神となることであの非道を行えていたはずなのに、不可となってしまった。よって世界はさらなる代替として結衣の呼応を用い、準圭を州君で在りながら鬼となった者、という呼応に重ねた。進史様の肉体を使ったのは、進史様が最も"近かったから"。そうだな」

 

 答えはない。

 答えるつもりは無い、ということだ。まぁそれがほぼ答えだが。

 

「そこまで辿り着けば後は簡単だ。桃湯と令樹の実力が拮抗したのは、あれが令樹ではないから。恐らく私の近くにいたせい、あるいはあの地下にいたせいで桃湯を弱体化することが叶わなかった世界は、令樹側を引き上げることにした。令樹が桃湯に倒されてしまうようではまた代替案を考えなくてはいけなくなる」

 

 あくまで私や桃湯には「タイムスリップした」と思わせておきつつ、私達の見えないところで役者を弄る。

 私が来なければ表面化しない。スポットライトが当たらない。だからどうとでもできる。

 

「とはいえ記憶は全員八千年前のものなのだろう? ……そこの齟齬の埋め方は、いまいちよくわかっていない。鬼は各地に溜まった穢れで何とかしているのだとは思うが」

「輝術師も同じだよ。輝術というのは私達神の御業。その知識に至るまでもがそうだ。文字を規格通りにしか認識できないのは同一因子のせいだけど、知識は輝術の……なんだったかな。君が良く使っているという言葉」

「輝術インストール、か」

「そう、それ。それによって再現できる。平民は同一因子なのだから、奴らの掌の上。どうかな、これでその場を動くことのない時間遡行の完成だ」

 

 久方ぶりにトリックらしいトリックに出会った、というべきか。

 まぁ、真相なんてものはぶっちゃけどうでもいい。

 

「どうしたら元に戻る? あと再発防止は何をすればいい?」

 

 問いに。

 

「……現在調査中、と言ったら……さしもの君も、流石に怒りそうだね」

「怒りはしないが呆れる。……伏は? あいつが全てを知っているんじゃないのか」

「彼は責任を覚えていてね。世界がこうなってからずっと調査を行っている。私は君を探すように、と頼まれたのだけど、知っての通り混ざった者の肉体を借りなければ意思を発することができない。だから、また君が有名になるまで待つ必要があった。世界がどう動いたのかを伏に調査してもらうのが先か、有名になった君を私が見つけるのが先か、という話ではあったけれど……まさか君の方から飛び込んでくるとは、驚きだよ」

 

 あー。

 ……まぁ、問答をした結果。

 

 元の世界に戻す方法は未だにわからない。神でもわからない。鬼でもわからない。

 

「ただし、渦の中心であることは間違いない。この認識は正しいか?」

「正しい。君、自分で言っていたらしいじゃないか。己が渦の中心になるのだと。そう、その通りだよ。君のいる場所が渦の中心になる。だから、どれほど世界が一変したとしても、君の"事象の呼応"は発動し続けるし、"符合の呼応"も起きる」

「──発生源以外では、だろう」

 

 媧が。

 見下すように、言う。吐き捨てる。

 

「祆蘭。お前は渦の中心にいるというのに、渦を発生させているわけではない。つまり、この閉じた世を発生させているモノは別に存在する。それが物であるか者であるかはわからぬが、少なくともお前ではなく、そしてお前が渦の発生源に辿り着きさえすれば……本当の意味で世界を変えることもできるやもしれない」

「……奴らの思い描くままに、か?」

「なに?」

「いや、八千年前の時代遡行をしたと思わせたのには何か理由があると思っていてな。もし、だ。仮にこれで、私がなんらかの成功体験を得たとしよう。たとえば、桃湯に足が生える、だとか。結衣が鬼とならない、現帝陣営が消える……いくらでもある。"過去に干渉することで消し得る未来の障害"が」

 

 だけど、私は己に結び付いた特別をそこまで信用していない。

 だって「符合の呼応」は、いつだって不幸を呼ぶ。推理の種にはなるけれど、今回の「砂時計」や少し前の「弾き猿」、「曲げわっぱ」のような、"故意に良い結果を狙った場合"を除き、悪意的な事象が巻き起こる。起こっている、気がする。

 

「そうなった時、もし現象が……再現性が確保できたのなら。奴らにとってもリセット用の穢れが食い尽くされることは痛手だろうが、それを差し引いても私を思うままに動かすことができれば」

「……全ての不幸を失くそう、とでも"発生源"に干渉した瞬間、逆が起こり得る、か」

「逆かどうかはわからない。ただ、お前達華胥の一族を閉じ込めたもの。便宜上世界結界とでも呼ぶべきこれを、お前達が壊すことのできない理由。穢れを駆逐できるお前達が、穢れの主たる奴らの作った世界結界を壊せない理由は、そこにあるのではないか、と考えている。……伏はあのとき、確定していない未来が存在すると言っていた。別たれた枝葉は四本あり、その内の一つは折り取られた、とも」

 

 折り取った者は多分、あの影だ。

 私に似ているナニカ。「ここしか干渉するところがない」と言っていたアレは、多分「事象の呼応」をすり抜ける知識を有している。

 

「もう一つが、リセットによる終末。……あれが夢なのか妄想なのか未来視なのかはわからんが、そういうことが起きる懸念はずっとあるのだろう。となればシナリオはもう二つだ」

 

 即ち、奴らの思惑に乗せられて、伏ら神々がこの世から脱する機会を永遠に手放す、というシナリオか。

 その全てを振り払い、私が鬼も人も神も……あと遮光鉱も、全てを外に出してやる、というシナリオか。

 

 私の推測に、小さく舌打ちをする媧。

 

「……やはり思考の汚染が酷いな。私は今、発生源へ触れる、という発想における不利益の一切を考慮できていなかった。……これも穢れの思し召しか?」

「というかだね、媧。そろそろ話してくれてもいいんじゃないかな。どうして君は私達を裏切り、鬼子母神などという位置についたのか。君の言う必要なこととはなんだったのか」

「うるさい。他力本願で何もせぬ奴らに話すことはない」

 

 頑なな態度の媧に……けれど、燧はにたりと笑う。

 おかしな話だ。光の塊にしか見えないのに、今確実に笑ったとわかった。

 

「……なんだ」

「どの道私達燧の一族は他者を間借りしないと意識を保ちえない。──だから、祆蘭。悪いけれど、居候させてもらうよ」

「……おい、お前、一応男性人格だろう。こいつは女らしくないとはいえ女だぞ。厠にも行けば湯浴みもする」

「そんなことを気にするほど気に入っているのかい。……ま、安心してほしい。男性人格であるのはそうだけど、我々に性的欲求は存在しないし、外界を見ようとしなければ見ないこともできる」

「別にみられても構わんよ。貧相なガキの身体だ、燧とて川で水浴びをする子供に欲情する変態ではなかろうさ」

「青州の州君が知ったら、ありとあらゆる手段を使って追い出させようとするだろうな……」

 

 とまぁ、そんな感じで。

 色々あって、燧が心象風景に住み着くことになったのである。

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