女帝からは逃げないと。 作:霧江牡丹
といっても、推理なんて大したものじゃあない。
ただの考証……考察だ。
世界は私を中心に渦を描くようにして回っている。
私が作ったものは世界へ呼応し波及し、私が行ったこともまた同じ。
であれば、一周目……どこが起点でどこが終点かはわからないものの、恐らくやじろべえを作ったあたりからどこかまでが「一の渦」。遮光鉱の鉱山の前後が「二の渦」。そして今が、差し詰め「
重要なのは、「一の渦」が「
あくまで私が基準だ。だから、この「過去」という時間さえも、私の行動によって左右される。事実は変わらずとも、だ。
なぜかと言えば──あくまで中心は私だから。
私は、渦のどこに行っても中心になる。中心になり始める。だから、やろうと思えば好きな世界を創り得る。……何がどう呼応するかがわかれば、だがな。
これらを前提に本題と行こう。
今回私は「砂時計」を作った。「一の渦」で作ったものは「オイルタイマー」。両者の違いは何か。
上から下に行くか、下から上に行くかの違い……も、まぁあるのかもしれない。
だけど本当に着目すべきはそこではなかったんだ。
オイルタイマー。鎮魂水槽は、「混じり合うことのないものが存在する」ということの呼応。
鬼と人。輝術師と穢れ。輝術と遮光鉱。その他多数。今思えば現帝も呼応していたのかな。
あれのせいで「一の渦」の全てが手を取り合えなくなった……とは、流石に思わないけれど、少なくない波及効果があったはずだ。改心しようとしていた者を悪の道に再度戻し、赦しを与えようとしていた者に警鐘を鳴らした。あんなものを"世の理"扱いした今潮には頭が下がる。彼の知り得ぬことだろうが、まさに、だったのだから。
そうして、であれば、である。
であれば……「砂時計」は、何を意味するか。
逆さオイルタイマーと同じようなものでありながら、決定的な違いは「中身が同じである」ということ。どちらも時を計るものであるけれど、中身が同じ。
同じならば手を取り合うことができる。亀裂が入らない。鬼は人の敵ではない。鬼の目的は世界からの逸脱であり、輝術師の全滅ではない。
そう考えて、私は砂時計を作った。……ただし、「一の渦」で逆さオイルタイマーを作ったのはモビールを作る前。つまり雨妃の事件の前だ。
順番を変えても呼応は起きるのか。
答えはYes。呼応は起き、
ただし同時に、「一の渦」で起きた火災は私の関与しないもの。明るみに出ないだけで私の知らぬところで世界は動き続けている。だから「減去八千の渦」は「一の渦」で起きた火災を起こすために、令樹と桃湯に不和を起こさせ、赤宮廷を火の海にしようとした。既に拡大鏡は敷かれていたのかもしれない。そうして燃え尽きた赤宮廷で、新たなる鬼が……「一の渦」では今潮が、「減去八千の渦」では桃湯が生まれようとした。
で、それをさらに阻止したのが先程の出来事。
あのまま鬼と鬼の戦いになっていれば、赤宮廷に着火するのは目に見えていたから、天体への剣気と威圧で鬼の理性を失わせて赤積君に丸投げした、と。
左腕の痛みが激しくなり続けていたことも"予定調和"を進めるためだろう。私が掌の上で踊っている内は力を貸すことまでするが、それを崩すのならばどんな手をも使う……そんな感じだろうな。
「というわけで、私と
「……」
「……」
はぁ、と頭を抱える桃湯。おいおい、鬼に呼吸は必要ないんじゃなかったのか?
赤積君と令樹は共に無言。でも、絶句、という感じではない。何かを考えている。
二人の内、初めに口を開いたのは令樹の方だった。
「……理解は、正直できない。荒唐無稽が過ぎるからね。けれど納得は行った。……桃水。アンタは……アタシと、仲が良かった。そうだね」
「……。……──ええ。そう。……ずっと行動を共にしていた、というわけではないけれど、あなたが……誰にも聞かせたことのない、己が鬼となった経緯を話す程度には、仲が良かった」
「そうかい。……悪かったね」
「何が、よ。むしろ無神経にあなたの過去を晒した私の方が」
「つらかっただろ。自分は仲が良いと思っている相手に……少なくとも過去、知らぬ仲ではなかった相手に殺意を向けられるのはさ。……アタシにはそれ、わかるから」
桃湯の言葉がすべて真実なら。令樹が桃湯に語った言葉が真実なら、彼女もまた裏切られた者。
そして裏切った者なれば、かつての同僚から追われたり、あるいは殺したり、もあったのだろう。
「……凄く。とても。あり得ない程に無神経な言葉を吐いても良いかい?」
「なんだい」
「なによ」
「ああいや、君達にじゃなく。……
ふと、影が差す。暗くなる。
太陽が雲に隠れたのかと上を見上げれば、そこに。
「今、君を殺したら、世界はどうなる?」
「……お前、脅しの演技下手過ぎないか」
「え」
「言葉に殺気も闘気も剣気もない。他者の命を奪う覚悟は持っているようだが、他者の人生を変える覚悟は有していない。朗らかで冷静という二面性を持つ割に、感情の発露が……他者に影響を与えすぎる感情の発露が壊滅的に下手だな」
脅しというのはな。
「こうやるんだ、赤積君」
瞬間、三人が動いた。
あまりにも早く……私の手から、折れた木剣を奪う。……おいおい、輝術師と鬼の力でそこまで強く引っ張られたら、指など簡単に折れてしまうよ。
「え……あ、え?」
「今のなに……?」
「……確実に死んだ、と思った。……殺気だけで死の幻影を見せる、という達人は数多くいるけど、自殺の幻視を見せてきたのはアンタが初めてだよ……」
「ふん。続きがあると信じて死んだ者にはわからんさ」
「どういう……」
「それより早く上のを消せ、赤積君。位置が割れる」
解けていく巨剣。……生成の輝術はいつ見ても意味わからんな。あと、それこそ赤積君がぼそっと言っていた、「州君の輝術は他と違う」という発言も問い詰めたいところ。
輝術の力量差や得意不得意の話には聞こえなかった。……この赤積君は、何か核心となるものを知っていると見ている。
「ん、位置が割れる、って誰に?」
「さてな。……で、だ。理解も納得も要らぬから、いくつか確認したい」
この件……というかこの渦理論自体にも、そして現状自体にも疑問がある。
まず。
「赤積君。お前達はなぜ鬼対策をしていた?」
「なぜ、というのは? 輝術師が鬼対策をすることが、何か不思議かい?」
「ああ、不思議だ。城内に鬼が出たのでもない限り、対策はしない。だがお前の付き人
「……ふむ。……答えられないな」
「それは、機密であるから言えない、ではなく、州君であるお前を以てしても思い出せない、あるいは知らない、という意味の答えられないだな?」
「流石だね。お見通しだ」
なればそれも予定調和だ。
桃湯の言葉は正しい。あの城に私がいなければ、そして桃湯がいなければ、エリート輝術師の巣窟とも言える場所に潜入調査などしない。
「次だ。赤積君、お前は初め、人捜しをしていると言っていたな。誰を探していた」
「ああ、赤州のある役人だよ。そうか、そういえばそこを話していなかったね。君が提案してきた問題点は確かに私達の抱えるものだったけど、あの時の目的は違った。通報にあった君達を捜していた、というわけでもなかったんだ」
「……その役人の名は、
「知っているのかい!?」
見逃さない。盛り上がる二人の陰で、薄まる令樹の双眸を。
「ええ。……もう色々と隠す意味が無くなったから言うけれど、私の足を斬ったのがそいつなのよ。私以外にも被害者は数十人いたはず」
「……そうだったのか……。いや、一昨日、匿名で
「……ナルホドナルホド。で、その匿名の投函を行った者が令樹、お前だな」
「ええっ!?」
目を向けられて……令樹は、心底嫌そうな顔をする。
「あなた……なんなの、さっきから。そこまで冴える頭を有していたかしら」
「他者を愚かであると定義した時の推理力は抜群に良い、そうだ」
「……言ったのは今潮ね。あの男、本当に……」
ハンロンの剃刀。オッカムより適性があったと、それだけの話。
「はぁ……。やっていることは、汚い事ばかりだ。だから……そんな目で見られても困るよ。アタシはアタシの愛した赤州を守りたい。だから、先代赤積君の残した禍根で飯を食う奴らを最悪の目に遭わせ続けて来た。それがたまたまその役人だったってだけさ」
「……けれど、令樹。あなたは……あなたの次の標的は、
「なんだい、アタシはどこまでアンタに……。……まて、アンタ……桃水、って呼ばれてたね」
「ええ」
「偽名だろう、それ。本当の名前は桃湯だ。……あの糞野郎の管理していた女の管理表に、名前があった」
「ええ、そう。だから私はあなたに助けられた。己に靡かなかったから、という理由で女を罰し、"
「臏? ……最古も最古の刑罰じゃないか。そんなものはとっくの昔に廃止されただろう」
常識のていで話しているけれど、私にはさっぱりだ。
ただ……その臏、というのが、桃湯の足を斬る話に繋がるのだろうな。刑罰……ふん、不快な話だ。
「話を戻す。令樹、あなたはね、劫妃の不正を暴き、その命を奪おうとしていた。彼女は幼馴染を殺されたことで……その復讐を……」
ぎょっとしながらこちらを見る桃湯に頷きを返し、けれど話を促す。
「……企てていて。……けれど、だから……そう、そこを赤積君に見つかって、追い立てられた。凄まじいまでの深手を負ったあなたは、あの男がいなくなって、けれど自分ではどこにいくこともできない私の前に現れたのよ。"ああ、輝術師か……流石にアタシの命数もここで終わりか"、なんて言って」
「まぁ、事情を知らなければ、私は徹底的にやるだろうね。……謝っておく、というのは、違うか」
「アタシにゃ身の覚えのない話さね。……で?」
「でも私は、あなたがあの男を死罪に追い込んでくれたことを知っていた。昔のこと過ぎて、どうやって知ったのかまでは覚えていない。というか生前の話だから。……だから、そう、だから……私はあなたを匿うことにした。鬼にどんな治療が効くかなんてわからなかったし、足を斬られた私の移動方法は輝術。瀕死のあなたには傷を負わせるだけなのに……本当、今でも馬鹿なことをしたと思う。……だけど、どうしてもお礼がしたくて、私は……あなたに、人間にするような治療をした。止血をして、包帯を巻いて、なんてね」
どこか。
本当にどこか、恋する少女……というか、憧れの先輩と接する女学生、みたいな雰囲気で、昔話をする桃湯。
……この世界がそこまで優しいとは思っていない。私はちょいと、周辺警戒を強めておきますかね。
「でも、無駄だった。あなたの傷は塞がらなかった。……当然よね、鬼になってから知ったことだけど、鬼が己の消耗を恢復させる方法は二つ。同胞を食べるか、輝術師の魂を食べるか。そのどちらかしかないのだから」
「……ま。……アタシなら、アンタの魂は、絶対に食べないだろうね」
「ええ、そうだった。だからそのまま衰弱していって……遂にあなたは、見つかった。私の稚拙な輝術では、穢れの痕跡を消し切ることができなかった。あるいは赤積君の索敵能力が想像をはるかに超えていた。……鬼を庇うことも、匿うことも、重罪。だからあなたは私に、早くどこかへ行けと言ったのよ。今ならどうとでもなる、と。……でも私は、行かなかった。だって……あなたの話を聞く限りでは、あなたは悪くない。もし悪い事をしているのだとしても、話し合いの余地も無しに殺す、なんて……理解できない。だから、せめて私が……私が盾になれば、話し合いの場を設けることができる、と思った。そう考えた」
……桃湯らしくない、と考えてしまうのは、まぁ、若かったからか……鬼じゃなかったからか。
鬼になる理由は様々、ね。……でも、生贄が必要である、という話も忘れていないぞ、私は。
十割の善人ではないことは確かだと。
「結果は、まぁ、呆気なかったわ。話し合いの場、なんて考えは甘かった。私が最後に見たのは、巨大な剣。そして……己の胸に手を突き刺して、心臓を抜いて、私に押し付けるようにしている令樹の姿。あるのは死だけだった。見えるものも、感じるものも、何もかもがそう。ただ──そこで、その瞬間に、その刹那において、私の信念は決まった」
先程の剣を思い出す。
輝術そのものの腕は劣っている、と言っていた赤積君を思い出す。
……もし彼女が、鬼の討滅のために最初から全力を尽くすのなら。一度は取り逃がし、赤宮廷に入り込んだそれを決死の覚悟で討伐せんとするのなら。
あの巨剣を使ったって、おかしくはない。
「気付けば私は幽鬼となっていた。……けれど、普通の幽鬼ではなかった。信念を抱き、鬼の心臓を食べた幽鬼。幽鬼であるのに穢れに憑かれ、その意志を聞いて鬼となった。やり方はすべて穢れから聞いた。生まれながらにして……私は、十数年を生きた鬼の力を持つ鬼となった。令樹の記憶は引き継げなかったけれど、感情だけは受け継いだ。果てしない……果てしないまでの怒り。赤州を守りたい、という気持ちは、残念ながら私の中に元からあった憎しみと相殺してしまったけれど、歪んだ世界を正したい、という思いは……私の抱いた信念と重なって、より強いものとなった」
「……うー。未来のこと、だけど……全ての行動に納得が行く。私は……やりそうだ、それ」
「アタシもやりそうだねぇ。いやはや、未来から来た、というのは本当らしい」
「ざ、罪悪感が。赤州のために尽くしてくれた存在と、無辜の民を殺していた、ということだろう? ……うー!」
……ん。
ん?
ん!?
「待て。すまん、感動話と罪悪感話に横槍を入れたい」
「……なによ」
「桃水……じゃなくて、もう桃湯と呼ぶがな。お前、さっき暴走していた時、
「はぁ? ……あなたの言う通り、暴走していたの。情けなく、また穢れに意識を乗っ取られてね。だから手加減なんてできるわけないじゃない」
「であれば、なぜだ」
疑問。おかしな点。
「
「……?」
「……。……え、あれ。……そういえば」
「どういうことだい? 私から見れば、どちらも強大な鬼だ。力の拮抗が起きることに何の不思議も無いのだが」
いいや。いいや。いいや、だ。
「令樹。お前は先代赤積君の付き人で、鬼となった者。つまり十数年の年月しか生きていない鬼だ。鬼というもので見れば、比較的若い鬼に数えられる。そうだな?」
「あ、ああ。確かにそうだ。……そうだ、だから」
「対して桃湯は八千年を生きる鬼。加えて令樹の魂たる心臓まで食らっている」
つまり。
「実力が拮抗することは、おかしい。……、そうね。……その通りだわ」
「なれば、そうだ。なれば令樹。お前はなぜ穢れを火に変えられる? そういう、鬼火以外を使う、という行為は年季の入った鬼にしかできない行為だと聞いている。誰か他の鬼を食らったのか?」
「いいや、アタシは同胞食いはしていない。……なんなら輝術師も、悪人以外は食っちゃいない」
「いつから火を扱える? 鬼となった直後からか?」
「……直後から、じゃないね。……ええと、アタシが鬼になってから……五年程が過ぎた時のはずだ」
「少し待ってくれ。今沖林に確認を取る。先代赤積君の付き人が死したのはいつか、をね」
数十秒。彼女はこめかみに指を当てて……そして、口を開く。目は瞑ったままに。
「先代赤積君の付き人、令樹。死没は……十三年前、だそうだ」
「十三年前。聞き覚えのない数字だ。だが、つまり……その五年後に、通常では考えられない速度で令樹は特異な術を発現した。十三年前の五年後。──つまり、七年前に」
「聞き覚えのある年数ね、それ」
「そうなのかい? ……まだ沖林と繋いでいる。調べてほしいことがあるのなら、言ってくれ」
現代。つまり「一の渦」における「七年前」というワードが持つ意味は。
「"
「……ああ、そういうこと? 確かに……そうだとしたら、アレは……青州にある、のかしら」
青州で起きたことの焼き増し。「滅去八千年の渦」ではそれが、赤州で起きている。
これがただ、反時計回りに回転しただけである、としたら……黒州で起きたあれこれが青州で起きることとなる。
そして赤州でのあれこれは緑州で、か? ならやはり、中心である黄州は……。
「アタシらを置いて話しを進めないでおくれよ。結局どういうことだい? 確かにおかしいよ。アタシとこの子の力が拮抗するなんてことはあり得ない。でも実際、理性を失った全力戦闘でアタシとこの子……桃水、じゃない、桃湯は拮抗していた。どういう仕組みがあればそうなる?」
「それに、今の話を聞いたのなら、当然私は令樹も桃湯も殺さない。そうすると……桃湯は鬼にならないんじゃないかな。……その、これは怖い妄想だけど、そうなったら……君は、消えてしまう、ということはあり得ないかい?」
そうだ。そのタイムパラドックスも存在するはず。
であれば何かが。
もっと……もっと根本的な何かが。
──助言はしたはずだ。私の記憶が正しいのならば、私の助言で全てが解決する。
顔を上げる。……そして、赤積君を見た。
「赤積君」
「なに……かな。その覚悟の決まった目は」
「
「……そりゃ知っているよ。というか、ここにいる全員が知っているだろう。だってその名は」
──現帝の名前、だからね。
教えた。
令樹に、お前が劫妃に植え付けたものは「穢れの卵」である、という事実を。それが引き起こすものについてを。
そして桃湯には青州へ向かってもらっている。"
「……不思議だ」
「何が」
「鬼の二人を信用し、穢れや悪事を止めてもらおうとしていることが。……その上で私達は……帝を倒しに行っている、という事実が」
飛翔している。赤積君に抱きかかえられて。
媧のアドバイスを信じ、「なぜ実力が拮抗しているのか」や「タイムパラドックスはどうして起きないのか」などを一度思考から除外し、その準圭という男に会うことにしたのだ。
けれど、あらゆることが爆速で起きている今、全員で何かにあたる、ということはできない。だから赤宮廷のことは沖林と令樹に、"
だけど。
媧。再度確認するぞ。
──何度目だ、まったく……。……私の乗っ取った準圭という男は帝などではなかった。低位の輝術師で、
私の懸念。
……どれほどのことが爆速になっているかわからない。
ただ、帝が鬼の首魁、という符合は、あまりにも……
「急な訪問だ。いくら私が州君だからって、手続きには時間がかかる。その間待っていてもらうことになるけれど……一人で大丈夫かい?」
「まさかとは思うが、準圭の元付き人の家に押し込もうという魂胆ではないだろうな」
「え、魂胆も何も、彼くらいしか頼れる人がいないし……」
もうぐちゃぐちゃだ。
私が順序をぐちゃぐちゃにしたから、世界も呼応したのか? ……わからないことしかない中で敵地に飛び込むのは自殺行為だ。
加えて……その付き人がもし、紊鳬さんと同じような警鐘を鳴らす相手であれば、私は。
「嫌なら、無理を言って……連れ込もう。うん、私は一度言ったら梃子でも動かない、と知られているからね。それを利用する」
「……可能であるのならば、頼みたい」
「承知した!」
やっぱり。
朗らかで純朴なこいつと、冷静で利己的なこいつがいる。
本当に烈豊と黒根君を混ぜたような性格だ。あるいはこっちが源流か?
「……そうだ、赤積君。少し聞きたいことがある」
「州君の輝術は他と違う、と言った私の発言かな?」
「お見通しか」
「明らかに反応が違ったからね。……その前に確認だ。君、輝術って何だと思う?」
輝術。それが何か。
「見えざる手……神なりし者の手、だ」
「おや、想像を遥かに超えた良い答えだ。というかほとんど正解。なら答えにも辿り着けるはずなんだけどな」
不思議そうに私を見て……けれど、「ま、いっか」と笑って、彼女は話を続ける。
「君の言う通り、輝術とは神なりし者の御業だ。ゆえに、究極的なことを言えば"なんでもできる"。おっと、なぜ私がそれを知っているかについては後にしてほしい。ちょっと長いからね」
「ああ、わかった」
「普通の輝術師……一般的な輝術師はそれを理解していないし、それに足るだけの器がない。だから輝術によって、神の御手によって齎される結果を輝術だと思い込んでいる。斬撃を飛ばすだとか、火を起こすだとか、水を出すだとか……自然の法則をちょこっと弄った程度の、自然の息吹、とでもいうものしか操り得ない。でも」
周囲に影がかかる。すわ敵襲かと思ったそれは……無数の、私達。
私達の複製、とでも呼ぶべきもの。
「州君は違う。州君は最も神に近き者。ゆえに神子。だから、その輝術も神にほど近い。……さっき、私が空気の循環はそのままに、音だけを遮断する結界、というものを使っただろう?」
「……無理だ、と思った。そんな状況は……余程高度な知識でもなければ作り得ない」
「へぇ、知識があればいけるのか。それは知らなかった。……話を戻すけれど。つまり、私達はほとんど神といっても差し支えがない。だから、思い通りになるんだよ」
複製が──ふわりと、花に変わる。
高速飛翔の空。雲の上で、大量の花が散っていく。
「事象も法則も、"世の理"も。私達州君の輝術には、
「……たった一つ、この世を囲う箱を除いて、か」
なるほど、それは確かに「隔絶」だ。
州君が化け物扱いされてしまうのも……理解できてしまう、かもしれない。
「だからこそ、君は不思議だ」
「ん?」
「君は平民だ。神なりし者から最も離れた存在。むしろ嫌われる存在と言い換えても良い。これは私が平民を見下しているとかではなく、もっと根源的な話だよ」
「ああ、知っている」
「うん、流石だね。……だから、あり得ない。君は明らかに輝術から好かれている。あの時、君は私の剣を止めたね。何の強化もされていない、折れた木剣で」
「ああ」
手元に一本、剣を出現させる赤積君。
その剣を己が抱く私へと向け……けれど、方位磁針の針のように、剣がそっぽを向く。
「
「経験も心当たりもあり過ぎて何を提示すればいいのやら、だ」
「それはあるいは君の直感が優れていることの表れであるかもしれないけれど、決してそれだけじゃない。輝術も君を傷つけることを嫌がっている。勿論どうしようもない場合、というのもあるだろうけれど……単なる平民を、嫌うべきその血しか流れていない君を、輝術は好いている。いや、崇めている、と言った方が私にはしっくりくるかな」
……伏や燧の仕業、か?
あいつらなら、輝術全体に働きかけることくらいはできそうなものだが。
「だから、気を付けないといけない」
「……なにを?」
「輝術に意思があるのだとしたら、君のことを甚く気に入っている。不要な場合に君を助けようとするかもしれないし、君の意図を勝手に汲んで動こうとするかもしれない。あるいはその意図を私達に呼びかける、なんてことをするかもしれない」
「ふむ」
……ふむ。
愛されているがゆえに?
「──余計なことはするな。ついてくる分には良いが、照らすことは私の仕事だ。──出たいのなら、黙っていろ」
と。
こんなところでいいか? まぁ伏も肝に銘じるとか言ってたし、暴走なんか起きないとは思うけれど。
特別を手足とすることを望むほど、私は特別な人間じゃあないぞ。
「……言葉を発した時より、発した後の方が剣気の質が高い。やっぱり、一度でいいから君と戦ってみたいなぁ。輝術は無しで、その腕が治ってから」
「構わんよ。命の奪い合いでないのなら大歓迎だ。……ただし、戦闘に関しては素人も素人だ。おかしな行動を取っても笑ってくれるなよ」
「笑える状況なら笑うさ。状況なら、ね」
さぁ、雑談は終わりだ。
見えて来たぞ、緑州。
……「
そして何より。
一応、初めて……鬼子母神と対面するかもしれない場所、だ。