女帝からは逃げないと。   作:霧江牡丹

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第七十話「冥世」

 有呀(ヨウヤー)、そして雲妃(ユンヒ)は同じ医院に入院しているとのことで、一応、もう一度偽装輝術をかけ直した上で……そこへ向かう。

 

 鼬林。彼の齎した災厄は数知れず、未だに解明されていない謎もある、が。

 ……雲妃はな、もう大人だ。どれほどの過去があったとしても、どれほど昔から洗脳されていたのだとしても、私は彼女を大人として扱う。

 だけど、有呀の未来を奪わんとしたことは……許さない。

 

 育ちの"不都合"を、私は、決して……。

 

「祆……雛鳥(チュニャォ)、剣気を抑えて。ここは医院」

「……すまない。少し暗い感情が出ていた」

 

 もういない。鼬林は、桃湯によって討滅された。

 だからこそ……考えることが、堂々巡りをする。

 

「こちらです」

 

 護士の人に案内されるは、有呀の病室。

 中には、恐らく彼女の家族だろう人達がいた。

 

「……君達は?」

「初めまして。私は香伝(シィァンユン)と申します。こっちは雛鳥。……本当に短い間でしたが、有呀さんとは仲良くさせていただいていまして……お見舞いに」

「ああ……ありがとう。優しい子たちだね」

 

 優しそうな夫婦と、姐だろうか? 少し年上の女の子。

 彼等の囲む少女……有呀は、安らかな寝息を立てているようだった。

 

「……その、容態は」

「医院の人達が手を尽くしてくれたよ。大丈夫、命に別条はないそうだ」

「そう、でする、か……よかった、ます……」

 

 一応、色々気にして頑張った丁寧語を使う。

 登城したての頃に使っていたなんちゃって敬語でさえ、結構荒々しいものらしいのだ。なんというか、男性が使う敬語、みたいな。

 だから少女性を引き立たせるためにこっちを。……本気で文法とか間違っているのだろうなぁ、なんて考えながら。

 

「あの……ごめんなさい、する。過去」

「えっと……謝る、のかい? なぜ?」

「想定、気付く。過去。対面訓練……時、過去、しかし、張り詰める,否定。故。気付く……できない。過去。ごめんなさい。する、過去」

 

 む、難しい。カタコトになってしまう。

 これ通じているか? 普通に話した方がよくないか?

 

「対面での訓練をしたのだから、気付くことができるはずだった、と。そんなことを想定していなかったから、気付くことができずに、彼女が害されることを許してしまった、と。だから謝りたい……そうです」

「……」

 

 ご両親は、きょとんとした顔で互いを見つめ合う。

 そうして……苦笑いをしたあと、一歩前に出ようとした。

 出ようとして、止められた。姐であろう子に。

 

「毎日のようにあの子と過ごしていたあたくしたちが、何も気付けなかった。それを、対面訓練した……しかも短い時間しか過ごしていなかったあなたが気付けなかった。だから謝りたい。……つまり、私達も謝るべきだ、ってことですか?」

「ちょっと、論渡(ユードゥ)! だめよ、年下の子にそんな言い方は……」

「すまないね、私達もまだ……この子も、混乱していて」

「だってそうじゃない。あたくし達の方がたくさんたくさん気付く機会はあった。家族だもの。毎日を過ごしていたのだもの。それを……学び舎で少しだけ過ごした子に、そんな風に謝られたら、あたくしたちは何。いないも同然じゃない」

「──すまん、香伝。やはり無理だ。言葉はこちらで伝えたい」

「ん。まぁ、仕方がない」

 

 片言では伝わらない。

 そう判断した。だから言葉を元に戻す。

 

 突然出て来た粗野な言葉にびっくりしている三人を前に、深く頭を下げる。右拳を左掌に打ち付ける……男性がやるような抱拳礼を行いながら。

 

「あなたの意思は伝わった。確かにあなたの立つ瀬の無い発言だった。それは謝罪をする。同時に私は、鬼や幽鬼といったものと……天染峰の中でも五指に入るほどには関わって来た人間だ。私であれば気付けたはずだと言いたかった。気を抜いていたんだ。学び舎で学ぶ、同年代の子に競争心を向けられる、ということに浮かれていた。ゆえにこれは、専門家からの謝罪であると受け取ってほしい。学び舎の学友からでも、私という個人からでもなく……青宮城にて、幽鬼対策を行うような立ち位置にいる者からの謝罪だ」

 

 ゆえに。だから。

 

「下手人は既に死している。死してしまっている。……何の気休めにもならぬだろうが、これ以上の被害拡大を抑える。これより先の未来で、決して。……悪意というものが子供の成長を妨げることのないように、育みというものに蓋のできないように。誠心誠意を以て取り組むことを約束する」

 

 顔を上げる。

 パリン、という音がした。隣で祭唄がぎょっとしている気配がしたけれど、今は知らない。

 

「この誓いの上で、謝罪を受け入れてほしい。私は──子の育ちに存在する不都合を、決して許さない」

「……あなたの、本当のお名前は?」

「祆蘭」

「そう。……あたくしは、論渡。有呀の姐。……理解は、した。……ごめんなさい。これ以上何を言えば良いのかはわからない。謝罪は受け取る。だから……今日は帰って」

「承知した」

 

 踵を返す。

 

「ちょっと、祆蘭。今自分がどれだけ──」

「わかっている。剣気が零れてしまっているのだろう。……だが、必要なことだ。すまないな。少々以上に苛立っているらしい」

 

 ──加えてお前、今存在の圧だけで偽装輝術を破壊したな。それがどれほどのことかを……。

 

 医院の外に出る。

 出て。

 

桃湯(タオタン)!!」

 

 叫ぶ。すると、音と共に……彼女が来た。

 流石にもう警戒はしない祭唄。

 

「何かしら」

「頼る、のではなく……停谷(ティングー)から聞いた言葉を利用する。これなるは鼬林による負債だ。ゆえに、無償で働け」

「……ま、いいでしょう。それで、何を?」

「私であれば、根幹というものは上か下に設置する。それが最も効果的であるからだ。──あるのだろう、青宮廷にも……地下空間が。なんなら、桃湯も鼬林も停谷も、そこを活動拠点としていた時期があったのではないか?」

 

 地下だ。

 精査の走らない場所。玻璃のような力業でもなければ、誰も見ようとはしない場所。

 

 符合の呼応ではない。完全なる勘。直感ですらない──経験則に近いもの。

 

「……いいわ。連れて行ってあげる。……あなたは、来る?」

「行く、と言いたい。けれど、祆蘭がいなくなる空白期間を埋めるために、残る。……信用する」

「ええ、ありがとう。それじゃ、行きましょうか」

 

 じゃらんと弓が弾かれる。

 移動の感覚。浮遊感だ。体感時間は止まっていないから、実際に移動している。

 

 数分、だろう。その間無言で……けれど、そこに辿り着いた。

 

「……穢れ溜まり、だな」

「ま、そうね。浄化する人間がいないから」

「必要か?」

「いいえ」

 

 ならば消す。邪魔だ。視覚的にも、存在も。

 そうして……現れたのは、深い深い縦穴。穢れだまりに隠れて見えなかった、そこの見えない穴。

 

「これは?」

「真実を言うのなら、知らない。元からあったものよ」

「……なるほど、()()()()()か」

「今、何て?」

 

 威圧による穢れの浄化をやめる。

 そうかそうか。

 

 そうかそうかそうか。

 

「鼬林の菌糸は、ここには無いのか」

「ええ、総て駆逐したから」

「そうか。それは、ありがとう。……その上でな、桃湯。()()()()()

「……あの海沿いのようなことが起きる、と?」

「可能性だ」

「そう。……なら、音で縛り付けておくわ、自分の身体」

 

 そんなこともできるのか。

 音っていったい。

 

 ──何をしようとしているのかは知らぬが、あまり大それたことをすると、却って時期を早める可能性があるぞ。

 

「飽いた。舐められっぱなしは性に合わん」

 

 ゆえに──"掴む"。

 そしてそれを口元に運び。

 

 

 食い、千切る。

 

 

 オオ、という、空洞音のようなものが鳴り響く。

 ギチギチとガタガタと音を出しているのは桃湯か。私の中で叫びたてているのは媧か。

 

(フー)(スェイ)。私に頼るのなら、力を貸せ」

「……よく、我々が(なれ)を観察しているとわかったな」

「問答は無用だ。少々腹の虫の居所が悪い」

 

 掴む。食う。掴む。食う。

 輝術による穢れの駆逐は、その実散らしているだけだ。追いやって細切れにしているだけ。

 

 だから──食らいて、潰して、消し飛ばす。

 総量を、減らす。

 

「何をそこまで怒る。汝にとっての不都合とは、何ぞや」

「障害」

 

 簡潔に。

 さっぱりと。きっぱりと。

 

「育つこと。それを妨げるものを私は心から嫌う。特に子の成長を、な。……その全ての事象を不都合と呼ぶ。くだらん思想、くだらん悪意、くだらん策謀。そういったものに立ち向かうのは大人で良い。子供は、のびのびと、すくすくと育つもの。挫折を否定しているわけではないし、苦難を除去してやろうということでもない。ただ──」

 

 軋むように悲鳴を上げる鬼を。奥多徳(オグダァド)を。いいや──穢れを。

 食らい、食い千切り、食い破り、世界から消滅させていく。

 

「どんな意図により作り上げられた存在であるとしても、意思を持ち、成長する気があるのならば、私はそれを子供と認める。──なれば穢れだろうとその主だろうと、あるいはお前達であろうと、現帝であろうと。……必ず消し飛ばす。必ず食い殺してやる。命数尽き果てたとしても、幽鬼とならざるとも、魂だけの存在となってその喉笛に食いつくぞ」

「……我々に肝という器官は無いが、肝に銘じておこう」

「そうしろ」

 

 だが、流石に多いな。

 やはり。

 

「いいだろう。神の御手を持ちて、穢れの逃げ場を失くしてやる。囲い込み、掬い取り、押し上げ……球体となるまで」

 

 動く。何かが、かはわからない。

 見えざるものだ。それが……この洞窟一体の穢れを集め、固めていく。

 圧縮。さらに圧縮。

 

 球体と……拳大のそれになるほどに。

 

「此度の一万五千年。五つに分けられているとはいえ、その全てが詰まった穢れ。心して──」

 

 うるさいのでひったくって飲み込む。

 ああ、まぁ、確かに煩いが。

 

 その程度か。

 

 噛み砕く。磨り潰す。飲み干す。

 

 ギチ、という嫌な音がした。桃湯の自縛が解けた……わけではなさそうだ。

 ……ん?

 

「なんだ、突然左腕が折れたな。……どういう原理だ?」

「恐らくは、せめてもの抵抗だろう。シェンラン。汝の身体にも同一因子は入っている。圧縮されることで自我を獲得した穢れが、死する直前に汝の身体を壊そうとした。……間に合わなかったようだが」

「成程。いいじゃないか。無抵抗よりはやりがいがある」

 

 肉が裂けたとか、皮膚が破れた、とかはないらしい。

 骨だけ折っていった。……骨折り損とでも言いたいのか?

 

 ま、なんにせよ、だ。

 

「伏、仮に、この世から穢れを全て消し飛ばしたら、どうなる」

「当然、リセットが入る。……本来であればこのような暴挙に出た時点で入るはずなのだが……我々でも未だに観測し得ていない情報があるのかもしれない。あるいは汝の魂とは、奴らにとっても価値があるものである、ということも考えられる」

「ふぅん。よくわからんが、チャンス、ということか。ならこの足で残りの四州まで……。……ぁ?」

 

 瞬きの直後。

 地面が壁になっていた。

 

 頬や側頭部などの痛みから察するに……倒れた、らしい。

 倒れた。……なら立ち上がれ。

 

「流石の汝とて、その量の穢れを浄化しきるのには時が必要である、ということだ。……良い夢を見た。しばし、休め。そこな肉体の檻を逸し者ともども、外へ送り返してやる」

「……次も、手を貸せ。媧が文句を言っていたぞ。いつまでも、どこまで行っても他力本願であるお前達には、嫌気が差すと。同意見だ。……心の底からこの世を脱したいと思うのなら……私に、従え」

「それは汝の行く末次第だ。今はまだ、確定していない未来が存在する。別れた枝葉は四本。その内の一つはある者が折り取ったが……」

 

 声が遠くなる。

 視界がぼやけていく。

 

 そういえば……前に桃湯の穢れを受けた時。

 あれの浄化に、多少とはいえ時間をかけた、んだっけ。早いな、とは言われたけど、それでも一瞬ではなかったはず。

 そうか、それの……何億倍とも言える量が……入れば……。

 

「休め、シェンラン。道を照らす者よ」

 

 暗、転──。

 

 

 起きた。

 大きく大きく伸びをする。……ん、凄まじい音が鳴ったな。

 

 ──ようやく起きたか。なら、桃湯を呼べ。現状の説明をしてくれるはずだ。

 

 なぜ桃湯? と思いながら、「おーい桃湯~」と間延びした声で叫ぶ。

 すると。

 

「……はぁ。ようやく起きたの。……お寝坊さん、なんてものじゃない……死んだかと思ったわ」

「大げさな」

「あのねぇ、流石に七日も眠っていたら、このまま起きないんじゃ、なんて思うのは普通でしょ」

「……七日?」

 

 周囲を見渡す。……医院じゃない。青宮城ですらない。

 ええと。

 どこかの……村?

 

「媧曰く、お前が説明をしてくれるらしいのだが」

「……丸投げね。まぁ、そういう方ではあるから、問題は無いのだけれど。……端的に言うわ」

「ああ」

 

 シンプルイズベスト。端的に説明できるのならそれが一番だ。

 

「ここは、恐らく過去よ」

「成程。なら、とりあえず何年前なのかと、黄州へ行くべきだろうな。十一年前だったら最高だ。玻璃が現帝を子に引き入れること、それさえ阻止できたら、あらゆる事態が好転するだろうから」

「……えっと? え、もしかして……あなたのいた楽土って、刻を自由に行き来できるような場所、だったのかしら」

「いや? 時とは常に一方向に流れるものだったよ。だが、驚いて何になる。やるべきは簡単だろう。御史處の破壊、現帝の阻止、その後現代へ帰る。伏が私達を外に送り返す、と言った後にこうなっているのだ、何かしらの御業が働いているに違いない。過去の足跡と神の御技。その二つを辿れば、一挙両得。驚いている暇も考え込む意味もない」

 

 現代日本人をなめるな、という話だ。

 もうこんだけのSFをやったからな。今更タイムスリップがなんだと。

 

 とりあえず鈍った体をどうにかして、現状把握を……と。

 ……ん?

 

「なぜ、過去だとわかったんだ? 何を見て理解した?」

「……言いたくない」

「その反応でわかった。つまり──生前のお前がいたのだな」

「何でこんな時だけ察しがいいのよあなた……」

 

 ほほう。

 つまり……八千年前、か。

 

 ……御史處はあるかもしれんが、別の帝のものだろうし。帝も陽弥(ヤンミィ)ではないだろうし。

 州君にも付き人にも知り合いはおらず、なんなら鬼にも、か。

 ふむふむ。

 

「ここは、どこの州のなんという村なんだ?」

「赤州の炭仭(タンレン)という村ね。現代には残っていない村だから、身を寄せるには適している、と思ったの。ほら……余計な名前が残ってしまってはコトでしょう?」

「良い判断だな」

 

 タイムパラドックスはな、面倒臭いから。

 故意である部分以外は、確かに変えない方が良い。

 

「おんやぁ? 桃水(タオチー)、その子起きたんのかい?」

「あ、ええ、殻払(チュェファン)。ようやくね。その……今すぐに出ていく、というわけではないけれど、家の一室を貸してくれて、本当にありがとう」

「いんやぁいんやぁ! 赤州の民は仄かな火のように暖かく、ってんのが誇りでね。待ってな、縮んだ胃に合うような飯さこさえてやるから」

「何から何まで、ありがとう」

「いんの良いんの! 桃水には害獣駆除をやってもらってんだし、お互い様よぉ!」

 

 窓から顔を突っ込んで、そのまま嵐のように過ぎ去っていった女性。

 訛りのある言葉は、けれどちゃんとリスニングできている。やっぱり八千年前でも言葉は不変か。

 

「存外迷惑をかけていたか」

「まぁ……あの時、己を抑えることに必死で、何の力にもなれなかったから。あなたの嚥下した一万五千年分の穢れ、とやらの浄化に比べたら、私があなたを守ったことは……些細なことでしょう」

「なんだ、私の肩を持つのか? 穢れの側だろう、お前」

「……そう、ね」

 

 少し傷ついたような顔をする桃湯。

 あー……成程な。立て続け、だものな。海岸での暴走に、今回のこと。

 己を己で律することができない事実は……そのまま、穢れへの不信感にも繋がる、か。

 

「しかし、桃水か。安直な偽名だな」

「うるさい。……あなたも考えなさいな、偽名。輝霊院にいる時にも偽名を使っていたようだけど、それもダメよ。何か全く別のものである方がいい」

「ふむ。……なら、明蘭(ミンラン)にするか」

「あなただって安直じゃない。……ちなみに意味は?」

「なに、祆に対しては明であるべきだというだけだ」

「……どういう」

 

 さて……考えよう。

 八千年前であるのなら、正直桃湯の鬼化以外は何を気にすることもない、気はしている。気にしようがない、というべきか。

 何にも知らないからな。まぁ、何かの害獣を殺した結果、水生が拓かれなくなる……なんてバタフライエフェクトがあったとしても、それは摂理だ。

 仕方のないことは仕方がない。それは受け入れようさ。

 

「おーい桃水、粥を持って来たよ。その子、食欲はありそうかい?」

「あ……ええ、ありがとう。どう? 食欲はあるかしら?」

「かなりあるな。ありがたく頂くよ、殻払様」

「様!? やだねぇ、なんにいーってんだい! 私は平民だよ! というかここにいるのはみんな平民! お貴族様がこんな田舎にいるわけないだろ?」

「……ああ、すまないな。桃水から何を聞いているのかは知らないが……私達は、前にいた場所で……貴族から、あまり喜ばしくない仕打ちを受けていた。この左腕。添え木をしてくれたのもあなたか? であれば、まぁそういうことだ」

「おんやま……桃水の転んで怪我をしただけ、ってんのが嘘だってんのはわかりきってたけれど、そんなことが……。大丈夫、大丈夫よ! 私んらは味方だから。何もしていないお貴族様には悪いとは思うけれどね、大抵のお貴族様ってのは平民をいないものとして扱うような奴らか、あんたらみたいなやつを不当に扱う奴らばっかりさ」

 

 ……現代、というか未来の火薪(フォシン)とはえらく違うな。

 やはり州君や宮廷の執政者に依って色が変わるのだろうなぁ。

 

「だから、まぁ最初……桃水の着物を見た時は、少し殺気立ったものだよ。ただねぇ、妹を想う姐の姿があんまりにも必死そうで、うんうん……」

「ちょ、ちょっと!」

「ほーぉ」

 

 ホホー。ホホーホ。

 思わずフクロウになってしまいますね、これは。

 

「大姐が世話になったな、と言いかけたが……私が世話になったのか。重ねてありがとう」

「いいんのいいんの! さ、粥を食べなさいな」

 

 持ってきてくれたのは、あつあつの粥。

 香草の匂いが鼻をくすぐ──。

 

 ……。

 

「ささ、たんとお食べ」

「──すまん、恩を仇で返す」

 

 威圧する。一瞬にして崩れ落ちる殻払さん。

 ぎょっとした目で私を見てくる桃湯に、差し出された粥を無言で渡す。

 

「……もしかして、毒?」

「ああ。二月瑞香(ヴェアーユエルイシャン)。少量なら嘔吐や下痢などで済むが、この量は普通に致死量だな」

 

 日本語では、セイヨウオニシバリというやつ。あるいは西洋沈丁花でもいい。

 綺麗な見た目の植物で、一見ベリーか何かの類に見える……が、普通に毒草。

 それを知らぬ、ということもないだろう。

 ただ七日も匿ってくれたのは……いや。

 

「桃湯。ここから平民の足で赤宮廷まで行くのであれば、何日かかる?」

「少なくとも十五日はかかる。けれど馬車なら……七日、かしらね」

「つまり──」

 

 なんとなくで持ち続けていたもの──折れた木剣を振るう。

 七日も動いていなかった筋肉が激しい悲鳴を上げるけれど、知らない。

 それは。

 

 木剣は──天井から生えて来ていた巨大な剣を、受け止めていた。

 

「な──」

「今、どうしてこれを止めることができているのかは、わからん! が! 私を連れて逃げられるか!?」

「もちろん。──飛ばすわ。骨に障ったら、ごめんなさい」

 

 音が私達を包む。

 それが一気に私達を……今潮のジェット走行などメじゃない勢いで、どこかへと引っ張っていく。

 

 背後に見えたのは、黒く艶やかな長髪を垂らし、こちらを睨みつける女性。

 あれが、八千年前の赤積君、か。

 

 ……追ってはこない。あるいは遠距離攻撃……も、してくる気配がない。

 鬼と争うのは避けたい、ということか?

 

「桃湯。どこか淡水の湖に連れて行ってくれ。骨の処置に使われているものも毒である可能性がある」

「そうね。そんなもの洗い流してしまいましょう。……はぁ、これだから人間は……」

 

 小を見て大を判断するな、とは言いたいが。

 今回は……まぁ、そうかもしれないな。

 

 

 

 幸いにして、腕は添え木が為されていただけで、特に毒の類は使われていなかった。

 ただ七日間の飲み水などを考えると……。

 

「ごめんなさい」

「ん? どうした珍しい」

「……私は鬼だから、気付くのが……遅れたのだと思う。人間の毒なんて効かないから……」

「ああ」

 

 確かにそうかもしれない。

 桃湯がもう少し毒に詳しかったら、最初の時点で気付けたのかもしれない……が、それでは私を匿うような場所がなかっただろう。

 慎重な村人で助かった、ということで。

 

「そんなことはまぁどうでもいい。謝りたければ謝ればいいし、私は気にしない。……それよりこれからどうするか、だ」

「……そうね。あなたは……当然、思いつかないでしょうけれど……私の記憶にある限りの村や街に隠れ潜む、くらいしかないんじゃないかしら」

「隠れ潜んでどうする。どのようにして現代に帰るか、なぜ伏はこの時代へ私達を飛ばしたのか。そこを調べ、考える必要があるだろう。ま、飛ばしたのは故意ではないのだろうが」

「……さっきから気にはなっていたのだけど、伏、というのは……誰?」

「前に少し話しただろう。純血の一族の一人だ」

「ああ……黒州で今潮に聞いていた、あの」

 

 ふむ。

 それは、アリだな。

 

「良い案だ桃湯」

「……えっと、何が?」

「この時代にもいるはずだからな、伏は。あるいは燧が。彼等を探し、事情を話すのは手だ。……問題はどこにいるかわからない、ということと……」

 

 布の切れ端で左腕の骨折部位を強く縛り直して、立ち上がる。

 

「やるべきことが何かが分からない、ということだ」

「そんなもの、本当にあるの? ただの事故という可能性は」

「無論あるだろうが、物事には足る理由があるものだよ、桃湯」

 

 そうなるには、そうなるだけの理由がある。

 伏が本当に神なりし者であるのなら、手違いや事故を起こすとは思えない。……まぁ創作物の神というのはそういうのをしがちだけど、伏はそういう類のものとは思えない。

 つまり、彼の力を阻害できる何かがあったか、送り出す、という行為にアクシデントが……って。

 

「そうか、テンイの類は無いのだったな、輝術」

「……今、なんて?」

 

 伏が使っていたもの、燧が使っていたものはどちらも「魂だけを別の場所へ連れて行く」というものだった。だから転移したわけじゃなく、魂だけが……つまり幽体離脱をした、ような状態だった。

 けれど今回、伏は「外へ送り返してやる」ということをした。それがどういうことなのかはわからない。神なりし者にだけ使える御業なのかもしれないし、何かの荒業なのかもしれない。

 ただ……実際に事故が起きていて。

 

 とすると、今の私達は魂だけ、という可能性もある、か? 普通に腕は痛いが。

 

「いや、すまん。……どうするかな。あ、そうだ。桃湯、お前の生まれはどこなんだ?」

「……」

「なんだ教えたくないのか。まぁ鉢合わせでもしたら面倒だから、構いやしないが」

「……まぁ、赤州よ」

「へえ。の、どこだ」

「聞きたい?」

「聞きたい」

 

 桃湯は、彼女は一瞬の……いや、数十秒の逡巡をした後。

 

 口を、開く。

 

「……赤宮廷よ」

「え。……もしかして高位貴族だったり?」

「ええ、そうね。"こう"なるまでは、だけれど」

 

 こう。

 つまり……彼女の足。斬られた、という話のそれ。

 

 ……それ、か?

 

「顔を隠して、赤宮廷へ行くか」

「赤積君に叩き切られたいの?」

「追ってこなかったことには何か意味があると思っている。……あと、この時代のあの地下遺跡も見てみたいし、『山灰庇炉處(シャンフゥイビールーチュ)』も見てみたい。後者は黄州だが」

 

 やるべきこと。やらなければならないこと。

 物事には足る理由があり、仕方のないことは仕方がない。

 

 ……であれば、私が育ちの不都合に遭遇したことも、何か。

 

 手がかりは……ラジオメーターとなるか。

 あるいはここで、何かを作るか。

 

「目的地は赤宮廷だ。行くぞ、桃湯」

「……まぁ、それはいいのだけど……身分はどうするつもりなの?」

 

 あ。




章終わりなので、ここまでの壁画を一挙公開

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