女帝からは逃げないと。   作:霧江牡丹

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第六十八話「取調室」

 手を組み、顔を伏せて待機する。

 私の前を歩いていく複数人。皆一様に険しい顔をしていて、これから始まる詰問……尋問に恐怖を覚えているようだった。

 

 彼らが奥の方へ行って、ようやく顔を上げる。

 

「……単純だが、画期的だったな、これ」

 

 普段私は顔を伏せている。最近はそうしなくてもよい、という場が増えたからそうしていないことも多いけれど、基本は両袖に手を入れて組み、その輪の中に顔を伏せる、というポーズを取っている。

 だから周囲の状況がうまくつかめないし、顔というものもまじまじ見ることはんできない……のだが。

 

 今回は彼らが「容疑者」であるため、見ない、という理由は無く……"足元に鏡を置く"という超暴力的手段で解決した。

 鏡に映る顔にはなるけれど、これなら私もかれらを見ることができる、ってな。

 

「で、怪しいヤツはいたか?」

 

 どう見ても役人……がっちりとした頬骨や彫の深い顔の男性から、朝烏(チャオウー)さんの声が漏れ出でる。

 これも偽装輝術だ。それも、朝烏さん特製の三重偽装、とかいう奴らしい。一層目を見抜いても二層目三層目を見抜けなければならず、それぞれに見抜き方……暗号のパスキーのようなものが違うのだと。

 なお私と祭唄に施されているものはそれ以上らしい。もうよくわからん。それでも鉄切(ティェチィェ)さんは気付いていたし、勘違いながら貴族たちも気付いていたから、青宮廷の未来は決して暗くないということだろう。

 

「流石に人相を見ただけではわからんが……最初に入って来た男と、最後に入って来た男。私の方を見て眉を顰めていただろう」

「子供がこんな場所にいりゃな」

「ああ、まぁそれだけの可能性もあるが、鬼やそれにならんとする者にとっては、私の魂というのはとても奇異に映るものらしくてな。眩しい、のだそうだ」

「……警戒を強めるよう全員に通達しておく」

「いや。……こんなことを言うべきではないのはわかっているが……」

「ああ……そうか、内通者の可能性はあったか。なら、あの黒い輝術の被害者にだけ、ならいいだろ? あいつらは身内だ」

「……そう、だな。そうしてくれ」

 

 私が城に来る前のひと月。その間にあった学び舎の休日。そこでここへ出入りした外部の者……だけが容疑者、ではないのだ。

 やろうと思えば、輝霊院内部の者であれば、簡単にできてしまうのだから。

 

 身内を疑うのはさぞかしつらかろうし、もしいるのだとしたら、成り済ましではなく単純な裏切り者。

 でも……いない、とも言い切れない。だって十一年前から、御史處(ユーシーチュ)は、現帝陣営の手は……全州に伸びていたのだから。

 

「んじゃ、こっち来い。別室から見た内容と音を届けさせる」

「才華競演の時にやっていたものか」

「お、そうかアレ見てたのか。そうだよ、あの中継役も輝霊院の人間だからな。今回は負担を減らすために音声を分けるから、多少のずれが生じるが……構わねーよな?」

「同席させてくれるだけでありがたい」

「何言ってんだ。青宮城や他の奴らがどうかは知らねえがな、私達輝霊院はお前の問題解決能力を高く評価してんだ。こっちこそ、だよ」

「……あまり重荷を乗せてくれるなよ。どこまでいっても私は推理素人だ。直感頼りの常識知らずな小娘だ」

「知ってる知ってる。んで、私達が輝術の専門家で、知識の宝庫だ。加えて重荷を背負う覚悟のある大人でもある。良い相棒だろ?」

 

 ニヤりと笑う朝烏さん。

 そこまで言われたら笑い返すしかない。

 私達はホームズでもワトソンでもないが──まぁ、犯人を絡めとるさすまたくらいの役割を果たそうかね。

 

 

 

 して。

 調査が始まった。

 

 一人目の男の名前は「得六(デァリュウ)」さん。集告處(シーガオチュ)に勤める官僚であり、中位貴族。

 別室で待機する私達のもとに、映像と音声が入ってくる。

 

「……よく、覚えていませんよ。四()月前でしょう? ……確かに輝霊院には出入りしていますが……毎月のことである、というのもご存じであるはず。特定の月で何かをした、ということは……」

「目撃者の"記憶"曰く、黒い布に包まれた大きなものを運び入れていた、との話だが?」

「ああ……藁束の補充ですよ。訓練用の」

「集告處のあなたが、なぜそれを?」

「なぜって、頼まれたからですけど……」

「誰に?」

「……誰、だったか。……ん? 少し待ってください。今記憶を……文字列に置き換えています。依頼であれば、私は相手の名前を忘れることがないはずなので」

 

 いきなりSFし始めたぞ、とか思いながら、その映像を注視する。

 彼は指で何かを弾くような動作をしながら、何度も何度も首を振る。そうして、やはり何度も何度も途中で止まり、段々と蒼白の表情になっていく。

 

「……大変、申し上げにくいのですが。……覚えておりません」

「もう一度確認する。集告處などという、記憶力が物をいう場所に勤めておきながら……たった四つ月まえのことを、覚えていない。そういうのだな、あなたは」

「はい……。もし、この件が何か大罪に関わるものであるのならば、逃げも隠れもいたしません。……ああいえ、言い方がよくない。罪であるのならば私である可能性を認めます。ただ……覚えてもいない。力になれぬことをお許しください」

 

 そんな感じで、得六の事情聴取は終わった。ちなみに詰問していたのは私でも朝烏さんでもない、強面の輝術師である。申し訳ないけど名前も知らない。

 

 さて、という感じで、朝烏さんが組んでいた足を組み直した。

 

「信憑性は?」

「私にわかるわけがないだろう。……だが、焦り自体は本物だったな。出て行くときに得六様の側頭部と指に血がついているのが見えた。本気で焦った証拠だろうさ」

「輝術師としての一般的な意見を言わせてもらうなら……どれほど物覚えの悪い者でも、たった四つ月前の話を完全に忘れる、というのは中々ない。得六が誰に依頼されたのか、以外を覚えていたことも含めて、だ。死ぬ直前のジジイでも記憶を文字に変換すりゃ、ある程度の記憶は保ち得る」

「一応、無理のない範囲で彼にその日の記憶を文字として出力してもらう、ということは可能だろうか。私生活の話は切ってくれて構わないから、と」

「ああ、伝えておく」

 

 しかし、そういうこともできるのか輝術師。

 記憶の文字列化、ね。

 

「とりあえず容疑者は上がったな。得六に藁束を運び入れるよう依頼した依頼人。なぜか名前を忘れられている者」

「ちなみに得六様はなぜ毎月輝霊院に来ているのだ?」

「輝霊院からの報告書を回収するためだな。伝達だけだと記録っつーもんは穴が生じる。だから紙を使う」

「成程」

 

 つまり、まぁ、改竄も余裕、と。

 

 では次、二人目である。

 二人目は「抜開(バーカイ)」さん。左目から首筋まで走る傷の特徴的な男性で、現在の職業は無し。もともとは遠征に出て害ある幽鬼などを討伐する戦士の一人であり、傷痕もその時に負ったもの。また、それにより戦士を引退し、今は細々とした生活を送っているらしい。

 だから見た目は豪快なのに──。

 

「あ、あの……俺……私には、その、どういう嫌疑が」

「あなたに嫌疑がかかっているというより、全体的に話を聞いているだけですのでご安心ください。先程説明資料を伝達いたしましたが、目を通してはいただけましたか?」

「あ、ああ、も、もちろんです! 四つ月前になぜ輝霊院に寄ったか、ですよね!?」

 

 このように、ドモリまくっているのである──なんてのは。

 ……どうとでも演技できるよな、というのが所感。

 気弱なフリなど、私だって……。

 

 あ、そうそう。祭唄は今ここにいない。

 少し気になることがあったので、青宮城に戻ってもらっている。あるものを取って来てもらっているのだ。

 

「抜開さん。あなたは四つ月前、黒布を持って輝霊院に入りましたね。内容がなんだったのかは言えますか?」

「ぶ、武器の搬入です! 練習用武器の……私は、戦士は引退しましたが、今でも誰かの役に立てるように……子供達が使うような武器を作っていて。それを譲ってほしい、という依頼が輝霊院からあって」

「ええ、こちらでもその確認は取れています。……が、一応お聞きしておきましょう。依頼をした輝霊院の者。名を覚えていますか?」

「え? は、はい。旋転(シュンジュァン)という女性の方です」

「ふむ。……わかりました。もう行って大丈夫ですよ」

「……な、なにかまずいことでも」

「いいえ、大丈夫です」

 

 二人目の詰問が終わる。

 

 私が問いをする前に、朝烏さんが口を開いた。

 

「旋転は確かにうちの輝術師だ。……例の事件に巻き込まれた、な」

「……生きている、のか?」

「そんな深刻な顔すんな。生きてるよ。意識も戻っている。……今話を聞いている。が……抜開はほとんど白だろうな。訓練用武器の依頼も……ああ、今確認したが、全て正式な手順を踏んで納品してもらったものだ」

「武器補充の際、監視の者は?」

「……いなかった。件の事件があるまでは成り済ましなんてもんに気を付けるって概念が無かったし、悪事を働くなら直接的、って奴らが多かったんだ。そこまでの気を回していなかった。これも輝霊院の失態だな」

「悪事など、裏で糸を引いてこそ、だと思うのだが」

「んなことねーさ。少なくとも今まではそういう認識は無かった。お前が来てからだよ、こういう複雑な事件が増えた……ああいや、すまねぇ。お前のせいって言ってるわけじゃねえ」

 

 ──嘘が下手な女だな。ほぼ言っているようなものだろう。

 ──そして、わかっているとは思うが、お前には大いに関係性がある。お前がいるから露見した悪事は数知れず、だ。逆に言えば、お前がいなければ……誰に知られることも無く、"悪事とは水面下で行われるものである"という認識さえなく、この世は続いていた、ということになる。

 

 玻璃に言われた言葉だ。

 私が来たから……。

 

「だぁ、すまん、すまねぇって! 気負うなガキかお前! ……ガキだった。あー、すまん。本当にそんなつもりじゃないんだ。全てをお前のせいにするとか、卑怯な大人にゃなりたくねえ」

「ん、ああ気にしていない。違うことを考えていた」

「はぁ? ……んだよ」

「次、行こう。次の容疑者」

「……ああ」

 

 では次、三人目。

 名を奕隣(イーリン)さん。糸目の男性で、身なりがかなり良い。高位貴族だろうな、というのが姿勢やら何やらで伝わってくる。

 詰問が始まる……その前に、気のせいでなければ私と目を合わせた、ような。

 

「奕隣様。失礼ではありますが……」

「構いませんよ。既に資料には目を通してあります。あの日、私が白布を運び込んだ理由を知りたい、との話。正しいですね?」

「は、はい」

 

 詰問を行う輝術師より位が高いからだろう、主導権を握られている。

 ちなみに白布と黒布の違いは、白布に包まれているものは貴重品。つまり割れ物注意、みたいなもので、黒布はある程度雑に扱っていいもの、だそうだ。

 

「ただ……話す前に。ここの情報を外部へと送っているのは、どのような意図があってのことでしょうか。説明を受けた覚えはありませんが?」

「あ、いえそれは、別室で事の正誤や真偽を判断する者が待機しておりまして」

「ほう。顔も姿も隠す者が──事の正誤や真偽を見抜き得る、と」

 

 ふふふ、と扇を口元に当てる奕隣さん。男性であるのに、と言ったら失礼かもしれないけど、かなり上品な……少し女性感を覚える所作だ。

 

「お気に障るようでしたら、その者を呼んできますが……」

「いえ、いえ。申し訳ございません。今のは少しばかりの挑発。これに乗ってくるような相手であれば相手にしなかったのですが、剣気の一つも飛んでこないとは。ある程度は信頼に値する方のようですね。……ええ、ではお話しましょう」

 

 挑発? 今のが?

 ……いやまぁ本気で挑発して来てたら剣気を浴びせていたかもしれないけど、どう聞いても本心が揺れ動いていなかったし、言葉自体は馬鹿にするものであるクセに感情が動いていなかった。

 こっちを試したいならもう少し感情を込めてくれ。

 

「あの月、私は二度程輝霊院に入っております。どちらも白布。最初に運び込んだものは、修復を依頼されていた輝絵。固定の輝術をかけ忘れていた、というよくわからない依頼内容でしたが、ものがものですのでお受けした次第です」

「あ……ああ、初代院長の輝絵、ですね」

「はい。輝絵の修復を行うことができる輝術師は限られていますが、私一人、ということはありませんから……私にご依頼なさってくださったことは光栄でしたよ」

「それで……二度目については?」

「建材の運び入れですね。……おや、演技ができませんね、アナタ。そう易々と目を細めては、相手に何かを悟られてしまいますよ?」

 

 建材の運び入れ。

 一気にクサくなったが……うーん。

 

 所感、この人は違う、というか。

 今何が起きていて、自身が何の事件で呼び出されたのかも理解している、みたいな……強者の余裕が見える。

 

「建材の運び入れは、どこのご依頼でしょうか」

「思い出せませぬ。どうやら──()()()()()()()()()

「消されている……?」

「ええ。今の反応でわかりました。アナタにはわかりません。……別室で見ている、という方。とりわけ……()()()()()()()()。こちら、一度は迎合しかけた者ですので……益のある話ができるかと」

「は、はぁ……?」

 

 ……。

 成程。そういう人間もいるのか。

 

「朝烏様、奕隣様に、この後も残ってもらうように頼んでくれ。話がある」

「ああ。んじゃこいつは飛ばして、最後か」

 

 最後。四人目。「停谷(ティングー)」さん。大柄な男性で、且つ隻腕。抜開さんと同じく戦士であるらしい彼は、けれど輝術師同士の戦いで腕をやられた、とか。

 丸太のような、けれどとてもゴツゴツした右腕を机に置き、緩慢な動作で椅子に座る彼。

 

「お前じゃ話にならん。副院長か院長を出せ」

 

 開口一番がそれだった。

 詰問の輝術師が以降何を言っても取り合わない。目も合わせない。

 

「……しゃぁねえ、行ってくる」

「私が同席することは許されるか?」

「一応連れて行って、子連れか、などと馬鹿にでもされたら放り出せばいいだろ。来い」

「ああ」

 

 では、行きましょうかね。

 

 

 詰問室に入る。

 直後、朝烏さんを蹴り飛ばし、扉を閉めた。

 

「おっと……聞きしに勝る、って奴だな。つーかよく輝術師を蹴り飛ばせるものだよ。足、痛くねえのか?」

「鬼がいた場合、気取られる可能性がある、と言って身体強化は切ってもらっていたからな。それでも痛いには痛いが……」

 

 対面の席へと座る。

 ま、やっぱりな、ということで。

 

「どれだけ潜んでいるんだ、鬼は」

「数は教えられねえが、それなりに。ま、この身分はもう捨てることになるから、一つ席は減るがな」

 

 停谷。

 彼は──鬼だ。

 

 なんて溜めなくてもわかりきっていたことではあるだろう。

 

「その態度は、桃湯派閥と見ていいのか?」

「ああ。役割は潜伏と情報収集。が、こんなくだらねぇことで呼び出されちまったんでな、隻腕の奴なんざ早々現れねぇから、もう青宮廷に出入りすることは難しいだろうなぁ」

「わざと目を細めた理由は?」

「そりゃ勿論あんたを呼び出すためだよ。あとは弁明か?」

 

 弁明。つまり。

 

「今回の件。ま、確かに鼬林(ユウリン)の馬鹿の後始末ではあるが、少なくとも桃湯派閥は誰もかかわってねぇ。つまり派閥から外れている鬼か、人間の仕業ってこった」

「信じよう。それで、他何か私の益となる情報はあるか」

「……軽すぎだろ。俺ぁ鬼だぞ?」

「莫迦者。今部屋に敷いているの、穢れによる結界とやらだろう。それがいつ破られるかもわからんのに、何を悠長に話している。時間を無駄にするな」

「へーへー、手厳しいお姫様だ。……報告はある。鼬林の件と、軽勉(チンミィェン)の件だ。あんたに迷惑はかけない、と宣言しておきながら、あんたに迷惑をかけちまった二つ。だから鬼も鬼で独自調査をしてたんだよ。なんでまず、短い方から行くぞ。軽勉の話だ」

「ああ」

 

 あくまで理性的に。

 豪快な見た目をしてはいるが……理性ある鬼、だ。……でもとんでもなく有能そうに見えた濁戒(ヂュオジェ)ですらマザコンとかいうおかしさあったし、あんたもなんだろ?

 

「軽勉が研究していた遮光鉱と、その加工技術について。これらがどこから来ているのかを漁った結果……あの鍛冶場自体の元の持ち主の名が浮上した」

「現帝、か?」

「そうだ。ただし、時期的に帝となる前……二十年は前の記録。つまり遮光鉱の加工技術に関しては、現帝が握っているというより御史處が握っている、という方が正しいのだろうな」

「……いや、現帝の年齢を考えれば、どちらにせよ、だろう」

「そうなのか。いやすまん、桃湯は必要な時に必要なことしか話さん奴だ。秘密主義というほどはいかねえが、俺みたいな下っ端にはそこまで話しちゃくれねえ。……と、俺の話はどうでもいい。次行くぞ、鼬林の件」

「頼む」

 

 どんどんどん、と。

 入り口の戸がぶっ叩かれている。恐らく輝術を当てて無理矢理ぶち破ろうとしているのだろう。

 

「鼬林の使っていたもの……真菌については、どれほどの知識がある?」

「常識程度しかない」

「いやまぁ人間の常識程度、でいうなら不潔で不浄である、止まりだから、そりゃ何もないってのと同じなんだが……つまり、鬼にとっての常識程度はある、と見て良いんだな?」

「ああ、多分な」

 

 であれば、と。

 停谷は……その隻腕で、頭を指差した。

 

「まさか、脳にまで、か?」

「ああ。俺達も甘く見ていた。肺や血中なんてものだけじゃない、奴の真菌は脳にまで根を張る。雲妃(ユンヒ)蜂花(フォンファ)、だけじゃねぇ。俺には何の権限も無いが、お前の提言で輝術師共の脳までを調べさせた方が良い。俺達が確認した症状は四つ。まず、長期にわたる頭痛や痙攣、発熱。それも激しい奴だ。そして体の麻痺や感覚異常、あと視覚の変化だな。他人とは違う色に見えるとか、距離感覚がおかしくなるとか」

「随分詳しいな」

「俺は一応戦場の医師、って奴でね。腕をぶった切られた後に鬼となったんで、現役じゃあないが、知識は忘れてねぇ。……続けるぞ。次のが結構危ない。意識の混濁だ。意識段階の低下を含め、支離滅裂な言動を取ったり、見えるはずのないもの、知っているはずのないもの、誰も覚えていないことなんか口走る。……聞き覚え、あるだろ?」

「聞き覚えしかない」

 

 雲妃の症状だ。

 ……彼女は全身検査を受けているから、大丈夫だとは思うが……。

 

「んで最後が……混濁と似てはいるが、混乱、というべきもの。錯乱と言っても良い。集中力の低下や簡易な記憶喪失、輝術の出力調整失敗。妄言、妄想、幻聴幻覚。ま、脳機能を害するもの勢揃い、って感じだな」

「……鼬林は、死した。それは事実だな?」

「ああ。鬼子母神に誓う。俺達桃湯派閥は、責任を以て鼬林を殺した。だからこれ以上の被害者は出ないが、これまでの被害者はいる。……この件に関しては、鬼であるとか関係なくお前と情報共有を行っていく所存だ」

「承知した。なら、とっとと逃げろ。そろそろ破られる。……それと、最後に」

「そっちも誓う。今回の件は鬼の仕業じゃない。原因は人間だ。──じゃあな、お姫様」

 

 片方、腕が無いから。

 大人では抜け出せない程の大きさの窓から、停谷は飛び出していった。直後蹴破られる扉。

 

「何やって!! ……ッ、おい……停谷はどうした」

「あとで話す。それより人払いをしてくれ。奕隣様と話したい」

「……それも、私の同席を許さねえか」

「他言無用が可能なら、だ」

 

 朝烏さんは……大きく大きく顔をゆがめる。

 ま、だろうな。自分のフィールドでこうも好き勝手されたら怒るのは当たり前だ。

 

 だけどこっちも色々あるんでな。

 

「祆……雛鳥(チュニャォ)! 取って来た!」

 

 と、そこに香伝(シィァンユン)もとい祭唄が帰ってくる。相当急いだらしい。すまんな。

 

「……わーった。この部屋で聞いた内容は……話さねえ。同席させろ。何が起きてんのかわからねぇのが一番腹立つからな」

「いいだろう。ただしこの件は青清君……というか帝の母御の権限を持つ話であると思え。みだりに、という言葉さえも生ぬるい秘匿事項だ」

「……ああ」

 

 では。

 

 

 まず、と。奕隣さんが、口を開く。

 

「お察しの通り、私は以前の内廷騒ぎにて、首謀者の男と取引をした貴族にございます」

 

 腕と足を組んでいる朝烏さんのその二の腕から、ぎし、という音がする。

 強く握った証拠だ。

 

「取引内容は?」

「"我々を手引きする代わりに"(とこしなえ)の命"の製作方法についてを教えてやる"、と」

「それで、乗ったのか」

「ええ。ただ勘違いなさらぬようお願いいたします。"(とこしなえ)の命"なるものの製法は聞いておりませんし、手引きもしておりません。取引を受ける、と言っただけで、私はその約束を反故にしました。それゆえでしょうかね、あの日何人かの賊が私のところにも来たのですが、あまりに弱かったので追い払っておきましたよ。加えて、内廷に対して明らかにおかしなことをしようとしていた賊も、堀の中へと突き落としておきました」

「……あれはお前だったのか。……いや、だとしたら……お前はまさか」

「はい。使えまする」

 

 奕隣は……その手に、黒を発生させる。

 行動は一瞬だった。目で追いきれなかった。初めからとんでもなくイライラしていた朝烏さんが奕隣の襟首を掴み、壁へと叩きつけたのだ。

 

「──お前か」

「朝烏様、落ち着け。むしろ救ってくれた方だ。来歴やらなにやらは、どうにも信用できんがな」

「だが、その黒い輝術が何よりもの証拠だろう!」

「だから燦宗(ツァンゾン)からの接触を受けたのだろう? ……古巣は、御史處か?」

「ご慧眼ですね。ええ、私は元御史處の人間です。二十年以上前に足を洗いましたが……」

 

 ですから、なんて言って。

 叩きつけられていた身体を黒く染め上げ、パリンと割って……元の位置に現れる奕隣。

 おっと。

 

 なるほど、パフォーマンスか。

 

「香伝、見えていたか?」

「ううん。……それを見せる、ということは、私達に協力してくれる、という認識でいいの?」

 

 彼は……細い目を、さらに細める。

 

「代価次第、ですね。これでも私、商人でして。普段は輝絵の修復や建築物の修復といった、修復に特化したことを生業としております。流石に御史處とあなたがたの関係修復は取り扱っておりませんが……この四千七百年、あなたがた輝霊院が一切の学びを得て来なかった邪法についての記録修復であれば、お手伝いできますよ」

「……輝霊院と取引をする、ってか」

「いいえ? 申し訳ありませんが──取引相手自体は、輝霊院ではなくあなた。雛鳥さん……もとい、祆蘭さんへ」

「私の正体も把握済みか。良いだろう、交渉の席についてやる。何が望みだ?」

 

 祭唄に目配せを送る。今にも沸騰しそうな朝烏さんにもだ。

 それで、全て察してくれたらしい。

 

「要求は二つ。一つは私の欲する知識の共有。もう一つは──アナタの持つ現在の輝夜術についての知識」

「どちらも知識か。前者は何の話だ。内容を明かせ」

「ここでは無理です、と言ったら?」

「不要だ、なら。輝夜術の真相についてなど、私だけで辿り着いてやる。お前の手を借りる必要はない。古臭い、カビの生えたお前の技術など、など」

 

 来たのは──威圧だった。祭唄や朝烏さんが何の反応もしていないということは、指向性を持ったそれ。

 だから威圧し返す。……これ何? そういう挨拶?

 

「……わかりました。交渉は決裂ですね」

「待てよ。お前、それだけの情報を晒して、これから先青宮廷に居場所があると」

「輝霊院の方は型通りの輝術しか許容できない、と。なるほど」

「朝烏様、見逃してやれ。その男、そう大したことはできないだろう。加えて性格もやや秩序よりだ。野心家じゃない。青宮廷に害は齎さんさ。ま、気になるなら監視をつけるなりでどうにかすればいい」

「ほほう。私の性根がわかるので?」

「似ているからな。偽悪的に振る舞って相手の感情を逆なでするところとか、その実冷静に相手を観察しているところとか」

「成程成程。──では、今後。輝夜術について何かお聞きしたいことができましたら、どうぞ遠慮なく」

 

 拱手礼をする。

 そうだな。古臭いものとはいえ、一応関わりの在った奴がいた、と知れただけで充分だ。

 

 ああ、でも。

 

「一応聞くが、此度の件に輝夜術は関わっていそうか?」

「いいえ。それらしい気配はありませんでしたね。では、失礼」

 

 出ていく奕隣。

 うん。

 

「というわけで」

 

 振出しに戻る、である。

 

 

 

 振出しには戻ったけど、強くてニューゲームでもある。

 

「とりあえず、共通して"謎の依頼人がいる"こと、"それを忘れてしまっている"こと、……んで、祆蘭曰く……鬼も黒い輝術……輝夜術だったか? それを扱う奴らも関わってねえ、ってことがわかったわけだが」

 

 まだこの詰問室には私、祭唄、朝烏さんしかいない。

 防音輝術は祭唄と朝烏さんの二重掛け、さらに偽装輝術まで使っているらしい。

 

「……どうだよ、話題の中心点。お前、なんか考えついたんじゃねえのか」

「こじつけで捏造で、証拠もない仮説なら上がっている」

 

 聞くか? と目を向ければ。

 若干の苛立ちのある顔で、頷きが帰って来た。

 

「──さて、では。犯人は──」

 

 もう死んでいる、ってな。

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