女帝からは逃げないと。   作:霧江牡丹

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第六十六話「お化粧」

 改めて見ると、大きい。

 輝霊院。恐らく『輝霊院』と書かれているのだろう六文字は相変わらず読めないけれど、あの形が『輝霊院』であるというのは覚えた。ただし別に末尾の二文字を消しても『輝霊』になるとかそういう言語ではないようで、応用されたら対応できない。他、祭唄の言う通りのものを一夜漬けで全部覚えては来たけど……正直完全に覚えられたかというとかなり微妙だ。

 なんじゃもんじゃどころの騒ぎじゃない、完全なる異言語で意味も音もわからんもので神経衰弱をさせられているような……この絶望感。

 まぁ、だから、身長を大きく変えていない祭唄が私の「お姉さん役」で、私は基本喋らないことにした。まぁまぁいつも通りだな。

 

「来たか」

「あ……今日はよろしくお願いします」

 

 出迎えてくれたのは、なんと副院長こと朝烏(チャオウー)さん。そんなトップ2がわざわざ……。

 

「……青宮城の馬鹿共、本気を出し過ぎだろう。こんなの……私や院長くらいにしか見抜けないぞ……?」

「でも、成り済ましもそういうものだ……ですわよね?」

 

 脇腹を小突かれたので急いで口調を変える。

 この似非丁寧お嬢様言葉も一夜漬けだ。全然覚えられた気がしない。

 

「ま、そりゃそうだな。輝術偽装の出来じゃなく、所作や言動で見抜く。でなけりゃ対応できない。……言っていることはまともだし、情勢を考えりゃ妥当性は高い。それに……夜雀があそこまで元気いっぱいに"大姐、よろしくね!"なんて言って来たからには、……ま、姐として答えてやらないとな」

「よろしくお願いしまするわ、朝烏様」

「……オマエ、あんまり喋るな。透ける」

 

 ですよね。

 

「改めて、幾つか確認したいことがある。往来では話し難い部分もあるから」

「ああ、応接室を使う。入れ」

 

 おお。

 懐かしい。そこで偽周遠とひと悶着あったんだよなぁ、なんて考えながら、とてとてと輝霊院の中へと侵入する。……この言い方はよくないな。招かれて行く。

 中では当然色んな人が色んなことをしていて、けれど「今日子供二人が見学に来る」というのは事前に知らされているらしく、こちらを見てもすぐに興味を失ってくれる。ま、貴族の娘だ。それも異例をねじ込めるほどで、朝烏さんが直接案内をするほどとなれば……彼らの脳内には指で数えられる程の厄介な、もとい影響力の強い高位貴族の顔が浮かんでいることだろう。

 応接室へと入る。

 入ったその瞬間、何故かチョップが飛んできたので、首を傾けて避ける。……何?

 

「ばか、避けんな。戦闘訓練もしてない、これから学び舎に入る学徒が今のを避けられるはずがないだろう」

「……元から祆蘭は戦闘訓練も学び舎にも行っていないからその指摘はおかしいのだけど、でも言いたいことは私も同じ」

 

 あ、あー。

 ……この直感避けは"らしくない"の宝庫だからやめろ、と。

 難しい事言うね。

 

「はぁ、この様子じゃすぐに……って、露見しても良いんだった。隠し通さなきゃいけないってわけでもない。見抜いた奴がいたら順次仕掛人側に回らせるから、そこまで気を張る必要はねーな」

「そうしてくれると助かる。それで、すり合わせだけど。とりあえず私達の設定は送った。確認した?」

「おう。双子だが姐の香伝(シィァンユン)と妹の雛鳥(チュニャォ)。無口めな姐と人見知りの妹だが、"異例の見学をさせるほどの価値がある"とされて、今回来た、と」

「……そこなのだがな、異例、などとしたら普段の様子が見られなくないか?」

「仕方ねーだろ。異例は異例なんだよ。輝霊院の学び舎への見学なんて、前例がない。良いからお前は昨日叩き込まれたんだろう設定資料通りに動け。自我を出すんじゃねえ」

 

 ……へーい。

 いやでも……やっぱり朝烏さん、いいな。綺麗めの女性でありながら、すこぶる口が悪い。身長もかなりあるし……私の将来はこれが良いかなー。

 

「んで? すり合わせをしたい、ってのは?」

「祆蘭はさっきの通り、できるだけ避けない、を基本にしたらいいと思う。けど私は……」

「あー、素人のフリが難しいってか」

「そう。だから聞きたい。この年頃の、輝霊院に通う前の少女は、どれほどできるもの?」

「まずだな、相手の気配を窺うのをヤメロ。ガキはそんなことしねぇ。ただ、足音消して歩くとか、常に武器を構えられるようにしてる、ってのは……別に良い。家の方針でそういうことができるやつも稀に入ってくる。……ああ、だから祆蘭の回避も、必ずしも使うなってことじゃない。できてもおかしくない程度ならやってくれていい」

 

 そうなのか。

 戦闘訓練、というものがどういうものを指しているのかいまいち掴めないけれど、親から子へ戦い方を教える家もあるのか。……まぁ幽鬼や鬼やらが普通にいる世界だしなぁ。

 あ、というかアレか。むしろメインは対輝術師か。ガキ同士の喧嘩で輝術が使われようものなら恐ろしい未来しか見えないし、その辺の加減とか諸々叩き込むんだろうなぁ。

 

「ただそれ。遮光鉱の小刀。持っていても良いけど、絶対出すなよ」

「ん。まぁ、そう。子供が持っていていいものではないのは自覚している」

「あとは、輝術もみだりに使うな。要人護衛の輝術はわかりやすいからなー、要人護衛を受けたことのある貴族の子供、あるいは親が受けたことのあるって場合でも簡単に見抜かれる」

「わかりやすいのか。何が?」

「輝術の使えないオマエに言っても仕方がないんだが……まぁいいか。要人護衛の輝術はな、攻撃性が薄いんだよ。あくまで守り特化。勿論敵対者を打倒するための輝術は身に付けちゃいるが、私達みたいな精査特化、攻撃特化はほぼいない。その点祭唄は精査特化気味ではあるが……それにしたってやっぱり構成が守りに寄っている。見る奴が見りゃわかる」

 

 へー。……本当に私に言っても仕方のない事だった。だってわかんないもん。

 聞いても、どっちにどういうものがどう使われているのか、一切分からん。特化型とかあるんだ、へー。

 

「質疑応答はこれくらいでいいか? ああ、求婚されたり口説かれたりしても適当にあしらえよ。無駄に偽装の見てくれがいいせいで、男共の集中力が切れかねん」

「……こんな幼児に反応するの?」

「相手も幼児だっつの」

「そうだった」

 

 あ、そうだ。最後に。

 

「私達は第何期生になるんだ? 予定としての話だ」

「ああ。今が第八十期だから、八十一期だな。……まぁ本来募集するのは五年後あたりだから……この異例さ、伝わるよな?」

「無理をさせたな。すまない」

「詰めはしたが、そこで謝られるとこっちが悪者になるじゃねーか。……良いんだよ、実際に輝霊院は失態を犯しまくってる。成り済ましっつー内通者を平然と身内扱いし、成り済まされた奴を見抜けず疑い、昏倒させられ薬物まで使われて、その名誉挽回に、と調査に行ったら解析不可の輝術に巻き込まれて……お前一人に助けられる、なんてことをな。ああ、お前……だから平民に助けられたことが失態って言っているわけじゃないぞ。これだけの専門家が集まっておきながら、専門外にも程がある奴に助けられた、ってところが失態なのさ。ここいらでちゃんとできるってのを上に示さねえと、色々まずい」

「成程。つまり私達が最後の最後まで正体を隠し通すことができたら、輝霊院はさらに窮地へ追い込まれる、と」

「言い訳はしねえ。その通りだ。だから、そうなってほしくないと思っている。……思ってんだが、青宮城の高位貴族の奴らがとんでもなく高度な偽装を施しやがってるせいで……あー考えたくねぇ」

 

 いいじゃないか。

 何も知らぬ子供達に、大人の進退がかけられているというわけだ。──それは、面白いな。

 

「……おい、なんでこのガキ剣気出してんだ」

「それも祆蘭の悪い癖。"ふり"をしている時は、絶対にやっちゃだめだからね」

「ああ……すまん、無意識だ。気を付ける」

 

 もしよければだが、いざとなったらお前が忠告してくれ。

 

 ──断る。そこまで与するつもりはないと言ったはずだ。……まぁ、度が過ぎているようであれば、多少は文句を言うかもしれないが。

 

 ふん。

 なんだ、ツンデレか?

 

「それじゃあ、行くか」

「うん。お願いする、朝烏女士」

「……輝霊院じゃ男女共通に老師で固定だ。間違えんなよ」

「ええ、お願いいたしまするわです、朝烏老師」

「オマエは自分から喋るな」

 

 いや一応これでも言語学習の機会をだな。

 ……やめときまーす。

 

 

 

 門戸を叩き、戸を潜る。

 そこにあったのは……まぁ、普通に教室、かな。日本の学校との違いは土間であることと、黒板的なものが無い事。

 ……先生、つまり老師が輝術で図説などをするので要らない、らしい。ちなみに板書も無い。輝術インストールがあるから。

 じゃあなんのための教室かと言うと。

 

「──はい! 輝術とは人のために使われるべきものであり、みだりに」

「今、わたしは、自分の言葉にしなさいと、言いましたよね?」

「ははは、はい! えっと、だから、輝術とは人のために使われるべきものであり──」

 

 コミュニケーションを覚え込ませるための場所、だそうだ。

 練兵場とかは別にあるらしい。

 

 そう、輝術インストール。これによって得た知識は、けれど知識でしかない。

 これをそのまま口から吐き出したところで、そんなものオウム返しと同じだ。よってこうしてインストールした知識を己のものにするための授業がここでは行われている。知識はあくまで糧であり、成長の種でしかないのだと。

 

「と、おや……朝烏さま。と……ああ、その二人が、見学徒、ですか」

「ああ。授業風景を見せてやってくれ。というか諸々任せる。私は仕事があるからな。……一応言っておくが」

「いいえ、構いませんよ。言いたいことは、わかりますので」

「そうか。信頼している。ではな」

 

 それだけ言って足早に教室を出ていく朝烏さん。……そうだよな、仕事あるよな。副院長だし。

 思い付きでつきあわせたのは本当に済まないという心がある。社会人としての礼節だ。

 

 で……そんな私達を押し付けられた先生、じゃない、老師は、初老の男性。こちらをじぃっと見つめている彼は……なんだ、偽装がバレた? あ、いや、さっきの口振りはそもそも知っている、というようなニュアンスに感じられたけど……ど、どうなんだこれ。なんか言うべきか?

 

「皆さん、初めまして。学びの邪魔をしてしまって申し訳ありません。私は香伝。諸事情により()()()()()()()()()()()()()()()、今日はここでの空気を肌で感じることを目的に参りました。どうかよろしくお願いいたします」

 

 家柄を明かせない、と祭唄が言った瞬間、手を合わせて顔を伏せる学徒が数名。ま、そうなるわな。明かせない家柄で朝烏さんに案内されてくる子供とか以下略。

 して……両肩を掴まれて、前に出される。

 

「あ……えっと……その、妹の、雛鳥で……す。よろしく……です」

 

 曰く。

 手癖で、慣れで話そうとすると、ほぼ百でボロが出る。

 だから言葉の一音一音を話す前に考えて話すことで、ちゃんとした言葉、且つたどたどしい言葉が話せるようになるはずですわ!! と……篠倶(シャォジェ)さんからの提案があったのだ。

 言われた通りに全てを意識しながら発音してみたら、これが大好評。可愛い可愛いと例の連中に攫われそうになった。

 

 ま、輝術偽装による外っ面は確かに可愛いしな。それでたどたどしくて奥手そうで人見知り、なんてティンと来ない男子はいなかろうさ。

 

「うん、うん。良いね。よくできました。……さて、君達は、後ろにある席に、座っていてくれ。ここからは、また、普通に、授業をするからね」

「ありがとうございます」

「ありがとう、ござい……ます」

 

 よーし。

 とりあえず第一段階は乗り切った、のかな?

 

 祭唄と共に教室の後、無造作に積まれた椅子の一つを取って、そこに座る。

 安堵の溜息を吐く私に……けれど祭唄が小声でささやく。

 

「さっきの。じっと見つめられていた時。あれは伝達が送られてきていた。今後ああいうことをされたら、慌てる様子を見せて、私に縋るような動作をして欲しい」

「あ、ああ。そういうことだったのか。気を付けるよ」

 

 わかるか! とは言いたい。

 でも確かにじっと見つめてきているだけ、なわけないもんな。私の頭の回りが遅いせいだ、これは。

 ……っていうか、え? じゃああの老師も私達の正体知らないわけ? それ……どうなの。バレるくないか、普通に。

 

 あと私達を激睨みしてきている女の子が一人いるけどなんなの。これも輝術? 一応祭唄の肩を掴んでおく?

 

有呀(ヨウヤー)さん? 集中、しなさい、ね?」

「ははは、はい! ごめんなさい!!」

 

 まさかとは思うけどもう見破られたとか……無い、よな?

 

 ……そこからしばらく、座学の時間が続く。

 座学といっても教科書なんかがあるわけじゃない、完全にインストールされた知識を自分のものにできているかを確認する作業で……当然、ちんぷんかんぷんだ。眠くなることはないけど、手元に資料があったらなぁ、と思う。あっても読めないんだけどさ。

 

 風切り音。弾速は遅い。だから、首を傾けつつ指で挟んで止める。

 

「おや」

「……雛鳥。言ったそばから……」

 

 あ。

 えーと。まずこれは……なんだろう、光の球? でも感触が……あ、(ほど)けて消えた。

 

「集中、していないように、見えたので……脅かしの、意味も、込めたのですが。止められて、しまいましたか」

「申し訳ありません、老師。見学させていただいている身でありながら、この態度では、とても無礼に感じられたでしょう。ですが、強く言って聞かせますのでどうか」

「いいや。いいよ、うん。止められるなら、それは、それで、ね?」

 

 まーっずいか。

 なんか……嫌な、うすら寒い目線が。こう……目を付けられた、みたいな。

 

 ──ちなみに今の輝術はただ空気を輝術で囲んで飛ばしているだけのもので、攻撃性はほぼ無い。解けたのも、輝術が解除されて内側の空気が逃げたからだ。

 

 なるほどー。

 ……そうじゃないんだよ媧。こう、狙われているぞ、とかさ。

 

 ──そのテの感知についてはお前の方が得意だろうに。

 

 そうだけど。

 そうなんだけどさ……。いやわかんないよ、ここまで敵意が無いと。

 いやぁ……前途多難、かもしれない。

 

 

 座学の後は、体術演習だった。

 輝術無しで、剣を使う者は木剣を、格闘主体の者は格闘を。

 学徒は皆幼子というわけでもなく、中には中学生くらい……つまり十二歳から十四歳くらいの、成人一つ前、くらいの子も混じっているのだけど、それらも分け隔てなく格闘を行っている。

 

 ……輝術無しでも、やっぱり無意識の身体強化のようなものが入っているのだろうな。動きを目で追うのがやっとだし、木剣や掌底から出て良い音じゃないものが出ている。

 

「軽く、参加、してみますか?」

「ひぇっ!? あ、いや、いえ、その」

 

 隣にはいた。だけどそんな軟体動物みたいに上体をぐりんと曲げて話しかけてくるとは思わないじゃん。

 怖いよこの先生。鬼説提唱。

 

 ──奥多徳を何だと思っている。こういう奇怪なものは……まぁいるにはいるが、通常ではない。

 

「申し訳ありません。妹はまだ訓練を受けておらず……」

「だからこそ、ですよ? 大丈夫、怪我をさせる、ことはありません。輝霊院では、こういうことを、している。それを、肌で感じ取りたい。そう言っていたのは、君達。ですよね?」

「その……」

 

 意地悪をしてやろう、みたいな感情は伝わってこない。

 測っている、という感じも無い。

 

 むしろ……とても質の良い原石を見つけて、喜んでいる、という感じか?

 

 ただ。

 まぁ、色々あるのだろうが……怪我をさせられない、という保障付きで、輝術無しの輝術師、その卵と戦えるのは良い機会だ。

 

「ちょ、雛鳥!」

「おやおや。妹さんは、やる気、充分なようで」

 

 ──剣気が漏れているぞー。

 

 ……言うのが遅い!!

 

「初めての、戦闘訓練。参加、していかれますか?」

「大姐……い、い?」

「はぁ。……やりたいの?」

「うん」

「なら、いいよ。……ただ老師、この子には強化も教えていないので……」

「そうなの、ですか? 勿体ない……。ですが、そうなると、子供では……加減に難が、ありますね。……ふむ、では、私が、お相手いたしましょうか」

 

 練兵場にざわめきが走る。

 先生と生徒……学徒が手合わせをする、ってそこまで珍しいことなのか?

 

「武器は、どういたしますか?」

「短剣の類はありますか? 恐らく直刀や直剣だと……」

「ええ、ありますよ。けれど、短剣で戦う、ということは、相手に、接近する、ということ。それは、理解して、いますか? 雛鳥さん」

(ムロ)……は、はい。わかって、います」

 

 無論だ、上等だとも、とか言いそうになった。

 落ち着け落ち着け。まだ開始してから一刻くらいだぞ。

 

 あくまで私達の本来の目的は、輝霊院に長年勤める人から進史さんについてを聞くこと、だ。だからこの初老の老師はかなり狙い目。できればバレたくない。

 とはいえこじつけでしかない「成り済ましが見抜けるか調査」が終わったとしても、普通に聞きに行くことくらいはできそうではあるけれど。

 

 なんとなく、な。

 そう簡単にバレて、そのあと妥協するとか……私らしくなかろうさ。

 

「雛鳥……」

「良い、剣気、ですね。少なくとも、訓練を受けていない、人見知りの少女の、出すものでは、ない」

 

 ……誰か! 剣気を抑える弁みたいなものつけてくれ!

 かかってこい、以外でも発動するとかもうどうしようもないだろ!!

 

 ──お前は常に全方面を挑発しているようなものだからなぁ。

 

 眼球が動く。音が聞こえる。

 直感。体を右回りに回転させて、刺突を避ける。そのまま伸び切った腕に沿って転がるように動き、老師の肩甲骨に対して木の短剣での一撃を入れる。

 入っていない。体を屈められたらしい。そのまま彼は大きく足を開き、刺突ではなく組み付きへと切り替えて飛び掛かってくる。

 ハ、組み付きの弱点を知らぬのか。──頭の通るルートが一定なのだから、そこに膝を置けば自滅してくれる。

 

 などという油断は持たない。

 眼前に左手を出し、私の膝を掴もうとした彼に対し、その右半身、というか顔半分を掠めるような形で剣気を浴びせかける。そちらに対して眼球が動いたことを確認し、大きく上体を後ろに反らせてほぼ仰向けに。彼の目が元の位置へと戻った時にはもう眼前に私の姿は無く──その腹に、直蹴りが突き刺さる。

 ……硬っったい。本当に身体強化無しなのか。じゃあもう輝術師は肉体構成物が違うんじゃないかとさえ思えてくる。

 

 と、まずい。足が掴まれてしまう前に引き戻し、落ちて来る巨体を転がって避ける。

 

「……いいですね。筋力や膂力不足がどうしても否めませんが、目と耳が尋常ではなく良い。直感も冴え渡っている。良い戦士となれますよ、雛鳥さん」

「ハ──優しい初老男性、と言った口調が崩れているぞ。そちらが素か?」

「おや、なんと粗暴な言葉遣い。そちらこそ、それが素ですか?」

 

 ああ……もう、いいや。

 久々にスポーツをしている感覚。命の取り合いじゃない、けれど存分に筋肉を動かせる感覚が楽しい。

 

 短剣を逆手に持ち直す。

 

 一瞬の沈黙。瞬きをしたのなら、その瞬間に突っ込んでくるという緊張感。

 ゆえに──静かに、目を瞑る。

 

「ッ、誘い──!?」

「素晴らしい反応速度だ、老師。教職に就く前は、さぞかし崇高な戦士だったのだろうな。──ゆえに搦め手に弱いとは、無様ここに極まれりだが」

 

 短剣に合わせてくれているからだろう、刺突メインになっているその攻撃を避ければ、目の前にあるのは伸び切った彼の腕。

 あとはそこに……その肘に、逆手に持った短剣の柄を打撃としてぶち込めば。

 

 てこの原理で、私の力がなくとも簡単に……って、あれ。

 

「雛鳥」

「……ぁ、えっと……大姐。……怒って、る?」

「当然」

 

 短剣が消えたと思ったら、首根っこを掴まれて持ち上げられていた。

 いやいや。

 喧嘩売って来た老師が悪いって。私悪くないって。

 

 

 

 というわけで。

 念入りな準備と偽装とたくさんの大人が関わった本件は……失敗に。

 

「いや、まだいける。お前、口調を元に戻せ。たどたどしくしなくていい。その方が奴らへの刺激になるし、自分たちよりも幼い子供があそこまでやれるって知ったのなら、卒業間近の奴らは一層熱を入れるだろう。偽装を見破ることができるかどうか、はこのまま続ける上で、他は元に戻して行こう」

「いやはや、あなたがあの、祆蘭様でしたとは。偽装輝術……なんと、高度な。これを見抜き得る学徒がおりましたら、私はすぐに、特選枠として、推薦いたしますよ」

「そこについては同感だが、子供の嗅覚というのも侮れん。あとはまぁ、口の悪い平民の子供が青宮城にいたはず、という噂への情報収集能力も見られるしな。どう転んでも輝霊院の益だ」

 

 というわけで、失敗に終わらなかった。

 全然OKらしい。祭唄は溜息つきまくりだけど、

 

 そもそも。

 

「貴族が丁寧口調をしなけりゃならんのなら、真っ先に私がやられている。安心しとけ、私も大体同じだ」

「だよなぁ。朝烏様が許されているのだから私の粗野口調程度、とは思っていたのだ。……とはいえ、老師。すまないな、先ほどはつい楽しくなってしまって、要らぬ侮辱をした。手加減をしてくれていたというのに」

「いえ、いえ。明らかに、戦いに、慣れていそうな、香伝さん……祭唄さん、ではなく。内気に見えた、あなたに、訓練を課そうとし、その実力を、見抜けなかった。それは、私の責任です。謝らなくて、いいですよ」

「そうか。では礼節として聞いておく。お前、名は?」

鉄狩(ティェショウ)と、申します」

「……まさか、鉄切(ティェチィェ)様の父親か?」

「おや、愚息を……ああ、いえ。そうでしたね。あなたは息子の、命の恩人でも、ありましたか」

 

 ふむ。良縁の予感がする。

 これは──うん。

 

「鉄狩様。後で聞きたいことがある。今日の授業の全てが終わり次第、少し話に付き合ってくれ」

「ええ、いいですよ、この老骨に、使い道があるのなら」

 

 そんな感じで。

 鉄狩老師が、仕掛人側に回りました、と。

 

 ……最初から教員側は仕掛人であれよ、と思わなくもない。

 

 

 次は輝術による戦闘訓練だった。

 ただしこれは完全見学。危なすぎるというのもあるし、子供だから制御が甘い……その制御を学ぶための輝霊院なのに、見学が、なんてのはおかしな話なので。

 

 今見ているのは斬撃の輝術。弓道場のような場所で、遠くに立てられた藁束へ向けて斬撃の輝術を飛ばす練習だ。

 

「何か、意見は、ありますか? 香伝さん、雛鳥さん」

「……音は?」

「話し声は、遅れて、周囲へと、伝わります。私の、輝術です」

「ほぉ。それで、聞かれたくない部分は切り取ることができる、と」

「ええ」

 

 便利だなそれ。

 そして、それなら言わせてもらおう。

 

「こういうの、斬速、と言えば良いのか? 遅すぎないか、いくらなんでも」

「学徒ですからね、今は、速さよりも、精確に的へと当てる。これを大事に、しております」

 

 見えない……とはいえ、光の屈折のおかしい三日月型の斬撃が、自転車くらいの速度で飛んで行って、しかも藁束に当たらない。

 当たる奴は高学年? らしき子ばかりで、私達の見てくれと同い年くらいの子は全くだ。

 

「……許せ、これは平民ゆえの、偏見による問いかけだ。礼を欠く」

「ええ、どうぞ」

「斬撃の輝術というのは、いつ手放している?」

「……いつ、と仰いますと、どういうことですか?」

 

 それは黄州で奔迹(ベンジー)と話したことの一部。

 

「つまりだな、斬撃の効果を持つ輝術をまず作るだろう? それを手元なり眼前なりに置いて、目標に対して射出する。それがこの輝術の概要……と、認識している。どうだ、何か違うか?」

「いいえ、よい理解、です」

「よってお前達のやっていることは、ただの射出である。手元から離れた輝術を操作する、ということはしていない。そうだな?」

「はい。基本、ですね。それが」

「なぜだ? 当たる直前まで操っていた方が命中率は高かろう。なんせ当たるまで操るのだから」

 

 斬撃を飛ばすのではなく、作用点に斬撃を発生させる、というか。

 鉄狩老師は「ふむ」と目を細め、考える動作をする。

 

 そのすぐあと、私達にほど近い所にいた高学年っぽい男子学徒の放つ斬撃が、途端に凄まじい的中精度を見せるようになった。

 部分的に話を流した、という奴か。

 

「確かにそうです。ですが……」

 

 ですが、だった。

 的中精度の上がった生徒は、けれどすぐにバテてていき……同列の学徒がまだ射出の練習をしている中で、後ろに控えていた学徒と交代する、という様を見せる。

 はー。なる、ほど?

 

「輝術を使うと疲れる、ということはないけれど、最後まで操るということは、それほどに集中力を使うということ。単純に飛ばした方が少ない集中力で済む。斬撃の形を保ち、軌道を考え、藁束に当たった瞬間に斬撃を解放する、という工程は……まぁ、学徒にできるものじゃない。ただ雛鳥の言う通り、大人になって集中力が上がったのなら、あるいはもっと効率よく輝術を使うことができるようになったのなら、その手段は有効」

「そうですね。もう少し、暴力的に、言ってしまうのなら、一つの斬撃を、確実に、当てるより、複数の、斬撃を、乱射した方が、強いのです。負わせられる、手傷が増える。逃げ場を、失くすことができる。殲滅力が、ある。どちらが優れている、という話では、ありませんが……戦場で、害ある幽鬼に対し、使う場合は、この、乱射形式の方が、有効、と」

「成程な。……いや、ありがとう。その辺り全く知らないからな、普通に勉強になる」

 

 ──前にも言ったがな。お前は特例を見慣れ過ぎている。州君や付き人の使う輝術はどれも最大限に強力で、上澄みだ。下位の者は強力な一より脆弱な複数を覚えた方が効果的なのだ。

 ──それに、最後まで操った輝術である場合……そこへ遮光鉱を当てられると、輝術師は不快感を覚える。射出されたものであれば覚えない。そういう側面も多少はあるだろうな。

 

「ちなみに、ですが。雛鳥さんは、どちらの方が、嫌ですか?」

「強烈な一と、そうでもない乱射なら、か?」

「ええ」

「どちらでも構わん。全て避け切るか、無理なら最小限を犠牲にする。肉迫をするのに足は必要だからな、できれば手が良いのだが……とりあえずまだこの両腕は青清君のものだ。なれば、肩口やら腹やら、己の我慢で済む場所を差し出して術師を叩くだろうよ」

「逃げは、しないので?」

「いいや、する。あくまで殺さねばならんのなら、の話だ」

「なるほど」

 

 ……また何かを試されているような気がするけれど。

 

 なんにせよ、輝術の授業は見応えがあって良かった。

 さて、次はなんだろうな──なんて。

 

 割合、楽しく輝霊院を見学する私達……というか私であった、とか。

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