女帝からは逃げないと。   作:霧江牡丹

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幕間「のこしたもの」

 結局『輝園』の公演を見ることなく緑州を去っていった三人を見送って……ようやく彼は、大きな溜息を吐いた。

 緑涼君。十五歳の少年が担うにはあまりにも大きな名前は、外から見える以上のストレスとなっている。

 明るく振る舞っているし。

 気丈に振る舞っているけれど。

 

 本当はまだ、成人したての少年なのだ。

 

「……点展(デンヂャン)

 

 幼い頃に州君であることが発覚した彼は、村の皆から引き離され、一人緑麗城に閉じ込められた。州君としての役割を押し付けられ、誰を頼ろうにも皆彼を怖がってしまって頼れない。

 特に彼は幼いままに城へ来たから、手加減が難しく……それが一層皆の恐怖を引き立てていた。

 

 そんな彼を救ったのが点展だ。

 若き頃、鬼の首魁を打ち倒した勇士のうちの一人。鬼に親を殺されている緑涼君にとっては、憧れの対象にさえなる存在。己より出力の低い輝術でも、使い方次第で、そして経験次第で鬼を倒し得るというのは──希望であり、心の支えだった。

 戦っているのは、憎んでいるのは、闘志を抱いているのは己だけではない。そういう……ある種の鬱屈とした羨望。

 付き人となった点展が彼に与えたのは、けれど望み通りのことではなかった。鬼とは人の成れの果て。鬼とは言葉を有するもの。()し鬼()し鬼が存在すること。

 ……救いだったのは、緑涼君の心が復讐に染まり切っていなかったことだろう。

 点展の考えは凝り固まろうとしていた緑涼君の心に確かな罅を入れ──彼はそこで初めて、「広い視点を持つこと」の大切さを知ったのだ。

 

 だからこそ、点展の裏切りは……その死は、心に来た。

 

「"燻ぶらせるくらいなら泣き叫んでおけ、莫迦者"、か。……まったく、本当にあの子は何歳なんだか……」

 

 最後の最後。

 あの三人が去る前のことだ。

 祆蘭──不思議で不可思議で、理解できない部分とできる部分が乱雑に絡み合う存在が、緑涼君に吐いた最後の言葉。

 

 見下すように。見下げ果てるように。心から、憐れむように。

 あの少女はその言葉を緑涼君に吐き捨てて、緑州を去っていった。

 

 ふぅ、と。一息。それを吐いて。

 

「……ああ。ちゃんと……つらいな。つらい。……死んだのか、点展」

 

 明るい笑顔に涙が走る。

 言葉にすると、ようやく実感する。痛感する。ようやく──感情が、去来する。

 

 緑麗城のてっぺんで、空を見上げて。

 

「……思ったより、きついなぁ」

「だろうねぇ」

 

 唐突な声に顔を上げる。するとそこには、男装の麗人……黒根君がいた。

 緑涼君と黒根君。一度はぶつかり合った仲。

 

 彼女はどかりと緑麗城の屋根に腰を下ろし、腰に提げていた瓢箪を一つ緑涼君に投げ渡す。

 

「……これは?」

「お酒。呑むだろ?」

「おれは……悲しみを酒で忘れるとか、したくないんだけどな」

「いいから付き合ってくれよ。そんな歳を重ねているつもりはないけれど、老婆心という奴さ」

 

 きゅぽん、と瓢箪の栓を抜く黒根君。乾杯をすることなくそれを口元にやって、中身をごくごくと飲んでいく。

 それを見て……先程とは違う溜息を吐いた緑涼君も、渡された酒を少しばかり呷った。

 

「……なんでここに? 祆蘭と祭唄さんは?」

「ちゃんと送り届けて来たよ。青州に入った瞬間青清君にかっさらわれたけどね」

「お気に入り、なんだったか。……行動に後悔を覚える気は無いけれど、あわや青州と戦争だったんだな、おれ」

「青清君だって話の通じない奴じゃない。小祆も口添えをしていただろうから、大丈夫だったとは思うけど……あの時の君、確実に彼女を殺す気だったからね、万が一はあったかもだ」

 

 雲が空を行く。

 陽を遮る雲が、光閉峰の向こうへと流れていく。

 

「おれ、ちゃんとつらかったみたいだ。……今泣くより、もっと前に泣いておけばよかったかな」

「せめてあの子たちの前では州君で在り続けようとしたんだろ? それが裏切り、そして亡くなった点展への手向けだ、って」

「ああ……多分、そうだ」

 

 泣く。泣くという行為。彼が……幼きより彼がしてこなかった、人間らしい行為。

 でもそれは、甘えにしかならないから。彼が彼であるために。そして、人々から見た彼が"彼"であるために。

 緑涼君は、それが他州の州民であっても……己を崩したくなかったのだろう。

 

「カッコつけるねぇ、十五歳」

「……そっちは、どうなんだ。祆蘭は……なんであんた、そんなに祆蘭を守る」

「ボクも大体同じだよ。ボク一人では解決できない事件があった。というより、思い込みかな。そうではないと信じたかったから疑わなかった部分を暴かれて……そこまで言うなら、って彼女に全てを任せっきりにしてふんぞり返っていたら、悲惨なことになっていて。……何かを守ってもらったとか、助けてもらったとか、そういう強い恩義を覚えることではないけれど、確実にあの子がいなかったら大変なことが起きていた。……何も起きなかったのは、何も起きずに終わったのは、彼女が未然に防いでくれたからだ。それを……己の付き人と話し合って、より深い恩義を覚えた」

 

 多分、性質としても経歴としても、英雄ではないのだろう。

 祆蘭という少女。緑涼君から見た評価を口にするのなら。

 

「凡庸なる超人……かな、おれの印象は」

「ん。言い得て妙だね」

 

 頭が良すぎるわけでも、特別な力を有しているわけでも──そこはそうかもしれないが──、大勢を救ったというわけでもない。

 ただ超然としていて。

 ただ純然たる超越者。

 他人とは違う、張り続ける超人。

 

「……点展が生きている可能性がある、って知った時。おれ……ふざけるな、って。そう思ってしまったんだ」

「しまった、もなにも。君にとっては良い事なんじゃないのかい?」

「だって、鬼になったかもしれないんだろ。……鬼は……敵だよ。それは、やっぱり変えられない」

「ふむ」

 

 その可能性は、黒根君も聞いた話だった。

 青州で起きた服毒自殺事件と、そこから発生した鬼の話。黒根君にとってはまさかそれが一応の協力体制を取った鬼、今潮であるとは露とも知らず、だったけど……。

 死した者。特に不審死を遂げた者は、幽鬼となりて、鬼と果てる可能性がある、なんてのは。

 

「鬼の何が嫌いなんだい?」

「何って、人を食って、人を殺すからだよ」

「ではそれをしない鬼ならば良いのかい?」

「……ちょっと、待ってくれ。今、"それなら"と言いかけたけど……そんなことはない。ってことは、おれの持っている理由は、これじゃない、ってことだ」

 

 大きく瓢箪を呷る黒根君。若者の迷い。けれど、「広い視点」を持つ者の疑念。

 ボクには真似できそうにないねぇ、なんて心の中で呟きながら、次の言葉を待つ。

 

「……無い、かもしれない」

「へぇ」

「……おれ。……もしかして……爸爸たちを殺した鬼が憎かっただけで……鬼全体を嫌う理由を、持っていないのか?」

「根っこが憎しみだったから、幹も枝葉も、果実までをも嫌っていた。よくある話だね」

 

 口元に手を当てて、彼は。

 

「だとしたら……おれ、薄っぺらいな。……行動理念が、こんなにもあっさり崩れるものだったなんて」

「そんなものだろ、人間なんて。ボクを見てみなよ。選別という名の独裁と、挨拶という名の監視。黒州の州民はボクを酷く嫌っているだろうし、中にはボクの殺害を企てている者もいるくらいだ。だろう、じゃなくて、既に確認済みね」

「それは……」

「ボクに州君としての責任も自覚も無いよ。州君にさせられたからやっているだけ。黒州を好きに変えて良いと言われたから好きにやっているだけ。……君は? 無理矢理州君にされたのに、どうしてそこまで精力的に州を守れるんだい?」

「……」

 

 鬼を嫌うこと。緑州を脅かすそれぞれを追い払うこと。そうなった者を嫌い、己を変えられないことを嘆くこと。

 なんのために。どうしてそこまで。誰に強制されたわけでもないのに。

 

「……緑州が好きだから、だと思う。……今までの人生に、緑州を好きになる要素なんか一つも無かったのに」

「じゃあ、どうして?」

「……点展が、好きにさせてくれたから、かな」

 

 ああ。やはりそこに繋がるのだ。

 緑涼君の中で、彼に対する「ふざけるな」という気持ちがあるのも……鬼になったかもしれないから、ではないのだ。

 

「置いて行くなら、一言言えよ、馬鹿点展……!」

 

 ようやく吐き出せた。

 ようやく本音が出た。

 今までの全ては繕いだ。彼が鬼になったかもしれないこととか、裏切ったこととか、緑涼君にとってそんなことはどうでもよかったのだ。

 

 ただ、これだけの信頼関係があったのに。

 

 何も言わずに勝手に決めて、勝手にいなくなった彼に……憤りを覚えている。

 

「あー……カッコ悪いなぁ、おれ。長すぎるだろ、こんな簡単なことに気づくまでに。……それこそ祆蘭だったら、いの一番に気付いてたことだ」

「だろうねぇ。あの子、格好いいから」

 

 酒が回る。格好悪いと自覚した時点で、緑涼君は瓢箪の中身をぐいと飲みほしたのだ。

 そうして、少しばかりの赤ら顔になって……口に油が乗り始める。

 

「祆蘭を誘拐して来たとか馬鹿なこと言った時点で話し合いの時間を設けるべきだった。明らかにおかしかったじゃんか。高潔なる勇士がそんなことをするはずがないのに……点展なら、なんて心のどこかにあった期待であいつを信じて、結果裏切られて、何も言わずに逃げられて……それで自害とか。……あー、クソ。全部後手だ。一つでも何か先んじることができていたら、何か……何かが」

「──ふん。やはりか。黒根君だけでは面倒を見切れないと言った祆蘭の言葉は間違っていなかったな」

 

 ふわり、と。

 青い帯が、二人の目に入る。

 

「え……青清君!?」

「珍しい……なんてものじゃない。初めてじゃないか、君が緑州に来たのは」

「ああ、初めてだ。だが、帰ってきて早々祆蘭がうるさくてな。"なんでもないかのように振る舞ってはいるが、ガキはガキ。黒根君もガキだから共感はできるだろうが慰めるのは無理だ。むしろ助長させる。行ってやれ、あんたが多少でも己を大人に思うならな"、と」

「おいおい……あの子、何者なんだよ……」

 

 超、過剰戦力。

 流石の桃湯であっても裸足で逃げ出す──彼女に足は無いが──程の戦力が緑麗城の屋根を占拠していた。

 

「……慰めに来てくれたのはありがたいけど、もう粗方は終わったよ。あとは酒で……気持ちを誤魔化すだけだ」

「だろうな。私が来た所で何がどうなるともおもっておらん。奴曰く、私も多分に洩れぬガキであるらしいからな。……だから、共有に来たのだ」

「共有?」

「鬼の話題。そして──祆蘭という存在についての、重要な話を」

 

 他者を慰めるとか、そういうことをしない青清君による、共有。

 それは緑涼君の涙を引っ込めるのにも、引き摺られて感傷に浸りかけていた黒根君を引き戻すのにもあまりに効果的で。

 

「……本気なのかい?」

「ああ。ついては協力しろ。別にお前達は、そういった欲があるわけでもないのだろう?」

「それは……まぁ、ないな。緑州が不当に扱われる、とかでもなければ」

「ボクも、いいよ。なんなら楽しみですらある」

「なら決まりだ。日程は追って連絡する。……それでは私は帰る」

 

 言うだけ言って、だった。

 流石に引き留める緑涼君。

 

「いやいやいや。せめて一杯やっていこう、青清君。墓祭りの日だけじゃ伝わり切らない近況報告とか、あと祆蘭の話をもっと聞きたいしさ」

「私から祆蘭との時間を奪う気か」

「おいおい、なんか過激だな……。……あ? え? それ……本当か、黒根君」

「ああ、本当だよ」

「黒根、お前今緑涼君に何を渡した」

「君がどれだけ祆蘭に惚れこんでいるかについての資料、かな」

「──消せ、今すぐに。脳内から消せ、双方ともに」

 

 だから。一杯だけなら付き合ってやる、という青清君の言葉に、三人は盃を交わして。

 腹の内をぶちまけて。有意義な会話をして。

 

 そうしてまた……緑涼君は、一人になるのである。

 

 

 関係各所への報告や説明、また平民を安心させるよう全ての街や村に顔を出し、完全な「諸々」の終わった日。

 その、夜。

 

 なんとなく己の部屋にいる気がおきなくて、また緑麗城の屋根の上に座っていた彼の……その隣に、からん、と。

 立つ影があった。

 

「……ほほ。この所、忙しく動きすぎでしょう。元気印の緑涼君といえど、流石に風邪を引いてしまいますよ」

「うるさい。……だったら世話係として……戻って来いよ」

「儂は付き人であって世話係でも看病係でもありませんからなぁ。付き人の方も、元、ですし」

 

 月に映える白髪は、老いたそれではなく。

 どこか……既に、人離れした空気を纏う銀糸となりて。

 

 あれだけ悪そうに、痛そうにしていた腰も、すくりと伸びて。

 

「……おれに相談しなかったのはなんでだ。それとも……付き人になるって決まる前から、そうなろうとしてたのか」

「後者、ですなぁ。本当はもっと早くになるつもりでしたが……懐いてくる少年を放っておけなくて、この歳まで引き延ばしてしまいました。寿命を悟った故に、少しばかり予定を繰り上げたところ……なぜか慎重派であったはずの睡蓮塔が暴走し、彼女を誘拐する算段を立て始め……こう、です」

「なんだそりゃ。あの子のせいにするなよ、お前達の気が逸ったってだけだろ」

「いえいえ。彼女は謂わば興奮剤なのですじゃ。どれだけ緻密に、綿密に練られた計画書があっても、彼女を認知し、あるいは彼女の近くにいるだけで気が逸る。焦燥感が生まれる。そうして起きるのは、計画と実行の乖離。彼女はさぞ不思議に思っている事でしょうな。計画者と実行者の乖離が激しい、と」

 

 ただの責任転嫁だと吐き捨てようとして。

 けれど彼にも、覚えがあった。己が容易く暴走した時のことだ。

 無論彼はそれを誰のせいにするつもりもないけれど……あんな風に一切相手の話を聞かないで、さらに彼女を守りに入った二人に対しても殺意を抱き、加えて愛した緑州の地形を破壊するにまで至る、なんてことは。

 

「……お前から見てさ。あの子は、なんなんだ。……おれにはよくわからないよ。世界とか未知とか……鬼とか幽鬼とか。人間の間だけで話を完結してほしい」

「祆蘭。あるいは──シェンラン。世界を破る者。盤古閉天(シュェングービーテン)より一万五千年を四度。幾度となく呼び込まれた外からの来訪者の中で、唯一……唯一、道半ばに全てを失っていた魂」

「だから、よくわからないって。わかる言葉でいってくれよ」

「緑涼君。あなた様はあなた様の思う以上に物事を知らな過ぎまする。それはあなた様の常自戒しているものよりも、もっと、もっと多くの話。あなた様の生きる世は、緑州だけではないのです。あなた様の住まう世は、天染峰だけではないのです。……儂はそれを知りました。申し訳ありませぬ。ゆえに……初めから儂は、裏切り者でした」

 

 大きく風が吹く。

 強い風だ。風に秀でる緑州。緑州の風は、あらゆるものを運ぶという。

 

 だから、その風が運んできたのは……穢れ、であった。

 黒い靄。細長く、ただ一つぎょろりとした目を持つナニカ。

 

「……鬼か?」

「いいえ。我らはこれを竜と呼びます。今はまだ……蛇にも満たぬものですが」

 

 その時緑涼君は、中天の月がぎょろりと己達を見たような錯覚に陥った。

 見られている。集中的に。誰を、なんて。

 

 穢れが。穢れの蛇が、首をこくりと傾げる。

 

「おや、もうそんな刻限ですか。……申し訳ありませぬ、緑涼君。いいえ、ここは昔に倣い、若と、そう呼びましょうか」

「……」

「若。爺はもう、行かなくてはなりませぬ。次に会う時、あなた様が敵となっているか、味方となっているかはわかりませぬが……お互いに、後悔の無い涯へと至れるよう」

 

 蛇へと足をかける彼に。老人に。

 もう行ってしまう彼へ──少年は。

 

「点展」

「……なんですかな、若」

()()()!!」

 

 州君としての全力を込めた、本気の拳を突き刺すのだった。

 

 

 

 その日から、七日ほど経ったある日のこと。

 

「よ!」

「……は? ……いやお前……よ、じゃないが」

 

 青宮城。青州の城に、彼はいた。手土産を持って。

 

「青清君に許可は取ったのか?」

「ああ。緑宮廷にも少し空けると言って来てある。色々な礼と、個人的に話してみたいことがあってさ。部屋、入って良いか?」

「まぁ構わんが……」

 

 青宮城の中の隅の隅。彼女の功績を考えればもっと上等な部屋であってもよさそうなものなのに、なんて考えながら、その部屋へと入る緑涼君。

 中には工具やら板材やら、そして数多の工作物が所狭しと飾られている。だというのに片付けられていない、という感覚は覚えない、整然とした部屋。

 

 ……少なくとも恋猫(レンマオ)の部屋とは違うな、とは……思っても口に出さない。

 

「少女らしくない、か? ふん、とはいえ一般的な少女とて、ぬいぐるみがあるとか可愛らしい緩衝材があるとか、でもなかろうに。そこまで違いは無いと思うがね」

「いやいやおれ何も言ってないって」

「目線でわかるし、顔に書いてある。……座れ。茶を出す気は無い。飲みたいなら己で生成しろ」

 

 ぶっきらぼうに、無愛想に。

 少女は部屋の中央にある机と円座に、彼を促した。

 

 言われた通り、大人しく座る。

 

「……多少は泣けたらしいな。泣くという行為は悪しきものではない。心の整理には必要なことだ。泣いてばかりで前を見ることができないのでは本末転倒だが──お前には不要な心配だったか」

「いいや。良い助言だったよ。ありがとう」

「ああ、ためになったのなら賛辞を述べておけ。……それで? 何を話しに来た。州君がわざわざ訪ねてくるのだ、まだ事件にでも見舞われているのか緑州は」

 

 片膝を立ててそこに肘を置き、頬杖を突いて少し傾いて。

 絶対に男子の前でする体勢ではないそれに多少ドギマギしながら、緑涼君はソレを机の上に置く。

 

「……なんだ」

「まず。おれの名前は、あの時聞いたと思うけど、烈豊(リィェフォン)。これからは緑涼君じゃなくてこっちで呼んでくれ。あ、本当はおかしな話だけど、君になら小烈(シャオリィ)って呼ばれてもなんとなく反論できないから、まぁいいぞ」

「なんだ私に惚れでもしたか? やめておけ、恋猫が可哀想だろう」

「……全部の話をそっちに持っていくなよ。話が進まないだろ。……単純に、歳も近いし、それに……敬意を払われるのはなんか違うな、って思ったから、そう呼んでほしいってだけだ。だめか?」

「不都合はない。烈豊と呼ぼう」

「ああ、ありがとう」

 

 それで。

 それで、と。机の上に置いたものに目を遣る烈豊。白布に包まれた、長細いもの。

 

「どうしてもさ、何か形のあるお礼をしたくなったんだ。要らないって言うだろうけど、おれの心が苦しいから受け取ってほしい」

「ふむ? まぁどうしてもというのなら。……なんだ、緑州の特産品か?」

「いや、少し黒根君から話を聞いてさ。よ……と」

 

 しゅるりと白布を向けば、中から出てくるのは。

 

「お……? これは」

(ヂォン)という。こういうものを欲しがっていた、って、祭唄さんが黒根君に話して、その話がおれに回って来たんだ。こういう楽器はあまり作られなくなっているんだけど、丁度緑麗城にあったからさ。誰も使っていなかったし、礼になるなら、って」

 

 へぇ、とかほぉー、とか言いながらそれを見る少女。

 古木に張られた金属の弦と、箏柱と呼ばれるものによって作られる音階。

 昨今、楽器というものは華美で大きな音を出すものになっていきがちで、こういう静かな音を奏でる楽器は、奏者を含めて少なくなっている傾向にある。

 緑麗城にこれがあったのは──あの老人が、過去を忘れられなかったから、かもしれない。少なくとも烈豊は奏でられているところをみたことのないものだったから。

 

「貰っていいのか?」

「だから、あげるために持って来たんだって」

「ん。ではありがたく貰うよ」

 

 白布へと包み直し、大切そうに部屋の隅へと箏を置きにいく少女。

 そうして、また戻ってきて。

 

「で。まだあるんだろう。これだけなら誰か使者を送るなりして解決できる話だ」

「……鋭いな。……君さ、その……幽鬼の言葉がわかる、んだよな?」

「お前それ、お前に成り済ましていた奴と同じ言葉繰りだぞ」

「う。……けどこんなこと……到底信じられるものじゃないっていうか」

「ああ、ああ。わかったわかった。それで? それができることがなんだ」

 

 少し。些かばかり、興味の色を薄めたように。

 けれどちゃんと話を聞いてくれる少女。

 

「点展がいなくなって……おれの中では、結構経った。十日くらいかな? それで……それを報告しに、両親の墓へ行ったんだよ」

「律儀な奴だな本当に。それで、両親の幽鬼が出たか」

「……正解。ただ……おれの親が死んだのは、十一年前のことなんだ。おれが四つの頃。……そんなに時間を空けてから出るもの、なのか?」

「別に私は幽鬼の専門家ではないから、あるとも無いとも言えん。言えんが……ん? 待て……何年前だと言った?」

「え。十一年前、だけど」

 

 急に興味の色を戻し、真剣な表情となる少女。

 そこまでおかしなことを言っただろうか、と烈豊が思案を巡らせている内に……彼女は「よし」と呟いて。

 

「幽鬼の言葉を読め、という依頼でいいんだな?」

「あ、ああ」

「いいだろう。ただし、言葉をお前に伝えるかは私が決める。本来死者の言葉は生者に届いてはいけないものだからな」

「お……それは、うん。そうしてくれ。おれも……親も、どっちにも無念があったと思うけれど、その解消を誰もができていたら、それは人生ではないって、そう思うから」

「相変わらず眩しい奴だな。……が、少し待て。念には念を入れたい」

 

 そう言って、彼女はいそいそと工具や板材を用意し始める。

 武器か何かを作るのだろうか。それとも道具を? 

 疑念で脳内がいっぱいになる烈豊の前で、少女は工具を動かし始めた。

 

 まず竹を手のひら大の大きさにまで切り落とし、それを縦に割断。中央と角となる部分に小さな穴を開け、一度放置。

 次に木を竹の内輪に沿う程度の大きさにまで切り落とし、片方は無骨なひし形……にも満たない形を、もう片方には奇妙な蛇を思わせる造形及び塗装を施す。それらを先ほど放置した竹の中に入れ、小さな穴へ軸を通し、それに合致するよう奇妙な二つにも軸穴を作成、これを合体。

 またも別の竹を取り出し、今度は細く細く切ったそれを、己の膝に当ててぐりぐりと曲げていく。

 充分なたわみができたら、細い竹の先端を初めに作った竹の中央の穴へと差し込み、内側に何やら細工を施して固定。

 竹の終端には紐を結び、軸が入ってゆらゆらしている二つの木の部品にも紐を結んでいく。

 

 完成したものは……。

 

「え……っと? それは……なんだ?」

「……ふむ。……恐らく香箱の……ああ、だから、鶺鴒吧者(ジーリンバァジェァ)だな」

「……なんだそれ」

「ん、伝わらないか。シタタキタロジョといっても余計に伝わらんだろうし……」

「聞き取れなかった。もう一回言ってくれ」

「言わん。どうせ伝わらん」

 

 大きく反れた竹を弾くと、恐らく首と尾であろう部分が揺れる。

 そんなものだ。それだけのもの。

 

「えっと……それを作るのは、必要なこと、だったんだよな?」

「ああ。万一を考えてな。誰も酸菜の中で自転車を漕ぎたくはないだろう?」

「ごめん、おれが無知過ぎるかもしれない」

「揶揄っただけだ。気にするな。……さて、行くにあたっては……まぁ戦力的にはお前がいれば充分だろうが、一応祭唄様と、夜雀様、玉帰様も呼んでおきたい、か」

「ああうん、連れて行く護衛は好きにしてくれ。おれから口を出せるところじゃないしな」

「わかった。少し話をつけてくる。城門で待っていてくれ」

「うん、ありがとう」

 

 そうして少女は部屋を出ていく。

 だから、まぁ。

 

 

「……そのような目で見ないでください、緑涼君」

「いや……お前、忙しいんじゃないのか?」

 

 当然、青清君の付き人である進史が出張ってこようものなら、驚きもする、と。

 彼の背後からひょこっと顔を出す祭唄には理解が及ぶけれど、彼は烈豊と同等くらいには毎日各所を飛び回っているはずだ。こんな個人的な用事に付き合わせていいものなのか、と……そこまで烈豊が心配したところで。

 

「一日くらい休暇を取ってこい、と。青清君から言われまして。……ただ、私はその……暇があると仕事をしてしまうし、友人も今日は予定が合わないので……」

「いやいや。それで護衛に、はおかしいだろ」

「自分でもおかしいと思っていますよ。ただ、近頃の祆蘭はどこか危なっかしいですし、遠出をしたと思えば怪我をして帰って来ることばかり。そろそろ一度くらいは何事もなく、をですね」

「……すまん、今回彼女が怪我をしたのは、おれにも」

「ああ責めているわけではなく。……まぁ、休みを使って祆蘭の生態を観察するのは、有意義であるか、と」

「なんだ人を珍妙な生物のように。行く先々で出来得ることを最大限にやっているだけだ。結果として怪我が付き纏っているという、ただそれだけだろう」

「たまに故意に怪我をしに行っているんじゃないか、と思う時がある。進史様に見張っていてもらうのは大正解」

「……ふん!」

「あー。……仲、いいんだな。なんか嬉しいよ、おれ。おれは積極的にそれを失くすようにしてるけどさ、貴族と平民って、もっと隔たりのあるものだと思っていたから……」

「残念ですが、青州は隔たりの強い方ですね。青宮城内にも祆蘭を認めていない貴族も多くいますよ。ただ私達は」

「関りが多いし、祆蘭の凄さを知っている。それだけ」

「……ということです」

「うん。それが、良いな、って。特に進史はちょっと規則にうるさいっていうか、自由な青清君に気を揉んでる印象があったから……そうやって自由に振る舞えているのは、おれも嬉しいんだ」

「本当に格好つけたがりな十五歳だな。もっと子供らしくしろ莫迦者。点展を思い出して泣きそうとか言え。今泣け」

「……なぁ、この子……本当に凄いか?」

「凄いけど、尊敬しているかといったら、四割」

 

 そんなわけで。

 少女二人らにとっては出戻りにはなるけれど……少しばかりの蛇足の緑州旅行隊が、ここに打ち立てられたのである。

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