女帝からは逃げないと。   作:霧江牡丹

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第六十三話「弓」

 強い。強い。

 誰がって、点展(デンヂャン)が。

 

 足場の悪い山頂からは一目散に逃げ降りたけれど──その後を追い縋る文字通りの魔の手からは確実に逃げ果せている。

 これだけの鬼がいて。

 老人一人、捕まえることができていない。どころか時折反撃を食らっているようにさえ見えた。

 

「まずいな」

 

 呟く。

 

 ──腕が痛むか?

「いや、腕なんぞはどうでもいい。ただこの絵面……誰がどう見ても点展が"被害者"だ。もしこれで、あいつに緑涼君を呼ばれでもしたら……」

 ──ふん。それは奥多徳を舐め過ぎだろう。たとえ州君といえど、一人一人が確固たる強さを持つ奥多徳。負けはしない。

「義の問題だ。どう見ても今、私は鬼子母神で、どう見ても今、点展は勇士だろう。加えてあちらには輝術による伝達がある。何かあることないこと吹き込まれでもしたら、関係値を省みてもこちらに勝ち目はない」

 

 奥多徳(オグダァド)。先程無意識に叫んだその言葉は……恐らく世界の核心を突く言葉の一つ。

 どう考えても中華的な響きではないそれ。加えて才華競演の際に見た楽器類も、やはり()()()()()()()()で合っていたのだと再認識する。

 

 それが、わかったところで、なのだけど。

 

「ただいま戻りました。……その腕は」

「自分で外した。負傷じゃない。……濁戒(ヂュオジェ)、頃合いを見て鬼達を離脱させろ。嫌な予感はしないが、良い予感もしない」

「……アナタの言葉に従いましょう。して、先ほどの苗床の件。少々気になることがありまして、その"頃合い"に至るまでにご報告させていただいても?」

「ああ、頼む」

 

 決して点展の逃げた方向から目を離すことなく、背後の苗床を意識する。

 業火に焼かれたのだ、よくよく感じ取ればまぁ、焦げ臭さも香る。

 

「アナタの想定通り、あの菌糸の下には死した鬼がおりました。その数四体。体の肥大具合や私の把握していない鬼であることを加味するに、恐らくは理性無き鬼。その人工的に作られた鬼とやらでしょう」

「成程。……忍び駒の呼応から考えると……繋がるな」

 

 まず、人間を"(とこしなえ)の命"で釣って、人工的な鬼を作る。

 その人工的な鬼を用いて穢れの温床とでも言うべきものを作り上げ、人工的な穢れの意思を顕現させる。

 結果として余るのは元の人間の肉体だが……それらは「食い合い」を起こし、自滅してくれる、か。素晴らしい効率だな。

 

 さらに選別……だから。

 

「濁戒、媧。力量の高い輝術師が鬼となることは、その成った鬼の力を左右するものであるのか?」

 ──いいや、奥多徳としての強さは基本的には年月が物を言う。……だが、結衣(ジェイー)の例を考えると、例外もあるのだろう。

「赤州にいる結衣という鬼は、生前が州君であった鬼です。彼女はたかだか二千年ほどの齢しか有していないにも拘らず、桃湯や私に匹敵する力を有しています。……鬼の強さは年月が左右するものですが、例外もある、ということでしょう」

「ああ、すまん。お前達に聞いたのが間違いだった。どちらも同じ事しか言わんのなら意味がない。基本的には濁戒に聞くから、媧、お前は補足してくれ」

 ──ああ。

 

 強大な輝術師が鬼となる。

 上記のプロセスを経て作られる、強大な輝術師の理性無き鬼。それを掛け合わせることで生み出される最高純度の穢れの意思……か。

 緑涼君に簡単に祓われたあの蛇は、言っては何だけど、力量的に劣る輝術師らを元にした鬼から生み出されたものであったから、なのだろう。

 

 ……歪でありながらも美しい世界、と……点展は言っていたか。

 

「菌糸については何かわかったか?」

「いえ、燃えてしまいましたので。ただ、鼬林(ユウリン)の使っていたような特別なもの……つまり穢れを食らって繁殖するような類ではないように思いました。大雑把になってしまいますが、そういう菌糸がいる、と考えるべきかと」

「いる、あるいは作られた、か。最初の大霊害から四千七百年も経っているんだ、この計画がいつから始動したものであるかは知らんが、その長い年月の中で鬼に黴を生やす技術くらいは作られていてもおかしくは無かろうよ」

 

 あるいは……結衣の霊廟、その地下にあったものも、か?

 

「憶測で良い。鬼の視点から見て、穢れの意思、穢れの主をこの世に顕現させることには何の意味があるように思う?」

「……失礼ながら、私達は穢れの意思の存在こそ認知しておりましたが、接触して来ること、もしくは姿を見ることになることを想定しておりませんでした。ゆえに、わからない、というのが答えです。……それでも思考を止めぬのならば、やはり穢れを振りまくことそのものが目的……なのかと。その蛇とやらは、謂わば自走する穢れ。ある程度物理的な干渉も可能にしていたのでしょう? もしそんなものが地上に溢れかえったのならば」

 

 穢れパンデミックが起こる、か。

 ……。媧、お前の意見は?

 

 ──強さという一点において、穢れの主らは神……(フー)らに勝つことはできない。私達……我々がこの世に閉じ込められたのは搦め手に遭ったからだ。同等の立場で戦うのであれば、負けることは無いと断言できる。というより、だからこそ穢れの主たちはこの世には入ってこないのだ。我々を閉じ込め、決して隙を突かれることのないように観察に留める。それが奴らのやり方故な。

 

 そして兆しある者がいたら、鬼として徴兵し、己が手駒に、か。

 本当に……徹底している。

 ただ……直接殺すことはできないのだろうな。平民の血を混ぜて弱体化させるしか術がない。華胥の一族に対しては為す術がないと見た。

 

「頃合い、です。緑涼君の接近を感知いたしました。鬼を撤収させます」

「頼む。一応、点展の最終位置を──」

 

 左手をぶん回し、トンカチで後頭部付近への打撃を入れる。

 当然のように吹き飛ばされる身体は、けれど砂が受け止めてくれた。

 

「──信じたおれが、馬鹿だった。鬼を……鬼と行動を共にする者など。発覚した時点で殺しておくべきだった」

 

 飛び蹴り、かね。

 流星のように飛んできた"賊"こと緑涼君。彼の顔には、大量の涙が。

 

 まったく、何を吹き込まれたのやら。

 

「お下がりください。私が相手を」

「莫迦を言え。どれほどの戦力を引き連れて来たかもわからんのだ。鬼共の安全を第一に考えろ。たとえ鬼が一般の輝術師程度に負ける存在ではないのだとしても、万一を考えるのが戦であるぞ」

「い、戦ですか。……いえ、そうですね。……ご厚意感謝いたします。それでは」

 

 砂塵が消える。

 それとほぼ同時、眼下にいた鬼達が身を隠し始めたのが分かった。

 

 でも、緑涼君はそれを追わない。

 叩くべき頭が私であると理解しているから。

 

「さて──建設的な話し合いができる程度の理性は有しているか、緑涼君」

「点展が命を削って奪った片腕。なら、おれは残りの三肢を削いでやる。楽土の土産に話を聞くのはそこからだ」

 

 これはブチ切れてますね。

 交渉の余地はここでも無し、と。

 

 右腕は……使えない。折られたから脱臼させたこの腕は、これ以上傷つけられない。細工小細工は恐らく私の生命線だ。符合の呼応を良い方向に励起させるためには、片腕ではいけない。

 つまり左腕とトンカチだけで州君を相手にする必要がある、という話だ。あとは口先三寸。

 

 はは、上等。

 

「ただ……今のおれは、加減ができそうにない。間違って殺してしまうかもしれない。だから、遺言だけを聞いておく。それを青清君に聞かせることにする」

「そうか? では、そうだな。……"おれは女児の生着替えに興奮する変態州君です"とかにしておくか」

 ──最低だなお前。最高だ。

「動揺を誘ったつもりなら、逆効果だ。おれの心は今冷え切っている。君が何を言っても──」

 

 ()()()()()

 風圧。斬撃ではなく面で来るそれに、最大限まで姿勢を低くして回避を選択。ち、不意打ちも効かないか。良くできた州君だことで。

  

 頭上へ集っていく光の粒。対し、剣気を浴びせかけることで阻害を試みる。……失敗。剣気が剣気でしかないことを理解している。

 

 して、完成する。物質が生成される。

 

 避けるとか。

 防ぐとか。

 どうにもならない、巨岩。

 

 ──濁戒を呼べ!!

 

「莫迦を言え。こういう時はな、こうするのだ」

 

 一瞬威圧をし、欠片でも怯んだその隙を突いて……緑涼君に抱き着く。

 どうだ、これで落とせまい。

 

「……おれの身体が、おれの輝術で潰れるわけがないだろ」

 

 どむ、と。

 腹に強烈な衝撃が走る。ボディブローを食らったかのようなソレは、恐らく空気砲。……斬撃にしないだけお優しい、ってか?

 

 とんと突き放され……巨岩の落下地点へと倒される。

 転がることはできない。起き上がることもできない。それは痛みからではなく、輝術による固定が行われているためだ。

 

 ──代われ! もう遅いやもしれぬが、周囲一帯を隷属させる!

 

「断る。これは摂理だ。ただし──」

 

 弾け飛ぶのが見えた。消えるのが見えた。

 けれど追いつかない。

 

 音が、追いつかない。

 

 無音の世界は……己の鼓膜に異常があるからではなかった。

 

 聞く。

 

 降り注ぐ岩石を砕き、緑涼君を前に呼気を吐きながら対峙する、男装の麗人の静かなる怒りを。

 私を抱えてその場を離脱しつつ、強い眼光で緑涼君を睨みつける小さな理解者の激しい怒りを。

 

 

「──祆蘭に、何をしている」

 

 

 直後、山が一つ消え去った。

 

 

 

 州君と州君のぶつかり合い。

 話には聞いていたし、互いの力を知っているからどうなるのかも予想はしていた。

 

 けれど──ああ、想像以上だ。

 

 紙吹雪のように樹木が巻きあげられ、岩石が、砂が、雲が……あらゆるものが渦巻き、破砕し、世界が壊れていく。

 ようやく理解する。黄州で起きたあの嵐がなんだったのかを。

 

 玻璃と鈴李の衝突。その余波があれだったのだ。

 

「祆蘭、大丈夫? ……腕とお腹、青くなってる」

「腕は大体自分の責任だし、腹はまぁ、ただの油断だ。……どうしてここに来たのかを問うても?」

「……鬼が。桃湯が……知らせてくれた。私は玻璃様たちといつもの訓練をしていたのだけど、緊急の用事がある、って。音で把握している限り、祆蘭が州君に命を狙われている、って」

 

 あいつ……ほとほと。

 まぁ心配していたのは媧の方なのだろうけど。

 

「黒根君は?」

「私が連れて来た。私一人で駆けつけても、州君に勝つのは無理。青清君に声をかけるのは……先日の女子会で多少仲良くなった気がしているとはいえ、まだ恐れ多い。その点、黒根君は呼びやすい」

「成程、いい判断だ」

 

 いい判断だけど。

 誤解を解かない限り、収拾のつかない事態だ。ただ……何をすれば、点展の救援要請が嘘で、私が真実を言っていると信じてもらえるのか。

 鬼を従えていたのは事実だしなぁ。

 

「とにかく、緑涼君は黒根君に任せて、一刻も早く医院へ行こう」

「いやいや……げほっ……ぁあ、……それで、どうなる。事態の好転は望めなかろうに。このままあの二人を殺し合わせてとんずらは、責任者として……思うところがある」

 

 仮にこのまま私、祭唄、黒根君が逃げ果せるなりしたとして。

 点展らの企みも明るみにできぬまま、緑涼君が完全なる敵に回る。……あまり好ましくない事態だな、それは。

 さりとて私にできることなど薬にもしたくない程しかない。

 

 対面であればかませるはったりも、ああなってしまうと……。

 いや。

 

「!」

「隙を見せたね!」

「ッ、今のは……!」

 

 緑涼君にだけ剣気を浴びせてみた。

 州君の力が拮抗しているからいけないんだ、せめて一度緑涼君を無力化できれば。

 

 ……そうだ。

 

「祭唄、竹が欲しい。あと、さっきの山の跡地周辺に鋸が落ちているはずだ。それも頼む」

「祆蘭のそばを離れられない。無理」

「なら私を持って行けばいい」

「……わかった」

 

 背負われる。そして、恐らく輝術だろうもので固定される。……これはあれか、相対位置固定か。

 

 して……結構楽に見つかった鋸と竹を、州君らの戦いから少しばかり離れたところに敷く。

 

 あぐらをかいて竹を固定し、鋸の根元をナタ代わりに。そこをトンカチで叩いて、竹を割っていく。……片腕が使えないのは不便でならないけど、そこは祭唄が手伝ってくれる。いつもありがとう。

 また、輝術で火を起こしてもらい、割った竹を炙っていく。良くしなるように、けれど柔らかくなりすぎないように。使っていない竹を尻で踏んで、その下に割った竹を敷いて、両端を膝上に乗せてしなりを作っていく。ある程度のたわみができたらOK。

 それと、竹の両端……和弓で言う弦輪になる部分を、全体よりも強めに炙る。且つ本体の反りとは反対方向に歪みを付けさせる。こっちは撓む程度じゃなくて、完全に曲がりグセのつくような感じで。

 上記の製作を三度繰り返し、完成品を重ねて束ねる。固定の輝術は使わない。弾性がなくなってしまうからだ。だから、組み木の要領で三つを重ね合わせる。別に普段使いするものじゃないからね、一回で壊れてもそこまで損失はない。

 あとは小物入れから取り出した羊毛の糸を弦輪に引っかけて、ピーンとなるように弦を張れば完成。

 

 作っていたものは当然竹弓だ。本職のそれなどには遠く及ばないけど、形になっていればそれでいい。

 

 そして矢は。

 

 ──そうか、それがあったか。

「……祆蘭、出すなら言って。驚く」

「すまんすまん」

 

 先日、緑涼君と共に緑麗城へ登った時に放たれた、遮光鉱の鏃の付いた矢。

 使えるから、と小物入れに入れておいたものだ。

 

 さて、あとは……誰がこれを射るか、である。

 輝術師である祭唄はこの弓を扱えない。私は片腕が動かない。

 

 ここまで来て万事休す……な、わけもなく。

 

「ほ……本当にやるの? 私には、医院ほどの知識があるわけじゃない」

「やるしかないのだからやってくれ。それでヘンな癖がついても恨まんよ」

「そういうことじゃなくて……いや、それもあるけど……痛い、よ?」

 

 そう、嵌めてもらえば良いのだ。脱臼なんて。

 相当痛いだろうけど、四の五の言ってられない。このままじゃ緑州が真っ黒な不毛の地になりかねん。

 争う相手は別にいるのだから、くだらん勘違いの暴走など止めてやらねばなるまいて。緑涼君は唯一レベルのマトモな州君だからな、失うのも惜しい。

 

 では。

 

 ──意地っ張りめ。そういう時は私を使えば良いのだ。

 

 がちん、と肩の嵌った──その寸前に、媧が勝手に出てきていた。

 だから嵌った瞬間の痛みはなく……再度私が表出してから、ようやくジンジンという痛みを覚えるだけ。

 

 痛みですら私の所有物だ。勝手に奪うなよ、といいたいところだが……善意なのはわかるからな。

 礼は言おう。

 

 ──ふん、素直ではないな、本当に。

 

「でも、手はどうするの?」

「そんなもの包帯で固定すればいい。痛みこそあれど、拇指、食指、中指さえ動けば弓を射ることはできるからな。できるだけ硬く巻いてくれ」

「わかった。……痛かったら、痛いって言ってね」

「何をされても痛いんだ、気にするな」

 

 ガチガチに巻かれて行く包帯。灼熱のような痛みは、まぁ、でもその程度だ。

 遮光鉱の矢を使う関係上、固定の輝術で固定するのは危ない。ある程度距離があるとはいえ、ちょっとしたアクシデントで外れる可能性もあるからな。

 

 して、完成する。

 よーし。

 

「……祭唄、あるいは一瞬気絶する可能性がある。けれどすぐに帰ってくるから、必要以上に心配するな」

「え?」

 ──おい、まさか。

 

 無論である。

 私は──お前達とて、見捨てるつもりは無いからな。

 

 なぁ、チャオチャンディツンザイ。

 話をしようじゃないか。

 

「今度こそお前に話しかけている。心を開け、私を認めるのならな」

 

 

 来た。

 場所は……真白の、あるいは月色とでもいうべき空間。前後左右どころか上下すら曖昧なそこに、私はいた。

 

「鏃程度の大きさでもしっかり意識が乗っているのか。原理はさっぱりだが──初めましてを言っておこうか」

「"百千十二零千千百二二百一千二十百十百二千百千十一百十二千百一"」

 

 ……んー?

 言語……か? ……(100)……千十二(1012)……千二十(1020)……。

 

 三進数? いやだとして、何に対応している? これがチャオチャンディツンザイの言葉?

 空間そのものから響いてくるこの声は……チャオチャンディツンザイの声、で合っている……よな?

 

「まぁいい。この世から出たいのであれば、私に力を貸せ。お前達はどうにも輝術師を……神を嫌っているようだが、私は平民だ。力を貸すに問題はないだろう?」

「"二百一一二十一千百二二千十二千千二十一二二十一千百二二千百十千百二二十二千十一百十二千百一"、"千百十二十一二百二一千百二百一千二百一百二十百一"」

「……言葉はわからんが、好意的ではないように感じる。協力は無理か、チャオチャンディツンザイ。……ああいや、お前の真の名を教えてくれ。今はそれだけでも良い」

「"二百二千二百二二十二千百十"」

「短いな。やはりチャオチャンディツンザイは単なる通称か。二百二(202)千二百二(1202)二十二(22)千百十(1110)。四文字。……まさかとは思うが、YHVHではなかろうな」

「"百二十一百一二"」

 

 ……肯定か否定かわからん。

 だが……心を開いてくれたというか、交流ができることがわかったのは僥倖だ。yes,noやup,downあたりから攻めて行って、言語解析をするとしよう。

 言語についてはな、得意分野だから。

 

 としても。

 今は、時間がない。

 

「今からお前を武器とする。恨むか、四文字」

「"百十二二十一二百二十千一百十一二十一百二十二一百十二百二一千百二"」

 

 ……恨まれているような感情は覚えない。

 まぁ、良いのだろう。そんなことに目くじらを立てるような存在ではないように思う。

 

 協力を取り付けられなかったのは痛手だが……ふん、私をなめるなよ。

 諦めんぞ。破滅の日までに交流できるようになってやる。

 

 

「む。……弾かれたか」

「あなたは、祆蘭?」

「なんだ祭唄、その問いは」

 ──気絶している間、私がお前の身体を使っていた。それだけだ。

「ああ、そういうことか。大丈夫だよ、祭唄。私で合っている。……少しチャオチャンディツンザイと話しをしてきただけだ」

「え……」

 ──お前は……。

「残念ながら友好関係を結べたとは言い難いが、意思ある存在で、言語を有しているということがわかった。此度は無理だが、次からは根気よく交流を試みるとするよ」

 

 さて、と。

 

「んじゃ祭唄、吊り上げてくれ」

「……わかった。でも、お腹……」

「大丈夫大丈夫。全てが終わったらちゃんと医院にかかるから」

「……うん。無理しないで、とは言わないけど……頑張りすぎないで」

 

 浮遊の輝術は遮光鉱のせいで使えない。

 ならどうするか。

 

 胴に縄を括りつけて、祭唄が浮遊し、私が吊り下がればいいのである。物質生成が使えていたら、普通に足場を作る、とかでもよかったんだけど。

 重い一撃を食らった腹が、引き絞られる縄によって圧迫される。まぁ、痛いな。ちゃんと痛い。でも別に腕も痛いし。

 

 前世における「終わりの不都合」を思えば……この程度、どうということでもないし。

 

 充分な高さになったら、縄を引いて祭唄に知らせる。

 ふぅ、と。大きく深呼吸。

 

 左手に弓を。固められた右腕で矢を番え……狙う。

 

 暴虐。暴風。州君と州君のぶつかり合いによって引き起こされる、災害という名に相応しき暴力へ……狙いを定める。

 不安定な体勢で痛む躯で急造の弓。まっすぐ飛ぶ方が不思議なくらいのそれを、けれどしっかり狙う。

 矢の持ち方は所謂鉛筆持ちと呼ばれるもの。竹を抑える親指と人差し指を垂直に交わらせ、人差し指の上に矢を置いて。

 

 射る。

 弦の弾性ではなく、竹が元に戻ろうとする力を用いた射出装置。弓。

 

「"一一二百二十千二"」

「え?」

 

 聞こえた声は、幻聴などではない。

 それは──それは確実に。

 

 だって、まっすぐ飛ぶはずもない矢が、意思を持つようにして軌道を変え、緑涼君に向かっていくから。

 

 それは輝術を食い散らかし。それはまっすぐ、まっすぐ、緑涼君の──心臓目掛けて。

 

「いやそこまでは頼んでいない!!」

「"二百二二百十千百(そうなの?)"」

 

 べちゃ、と。

 鏃が突如液状となり、緑涼君にかかる。力を失う彼と……。

 

「……今のは聞こえたな。特別意訳感があったが」

 

 なんにせよ、一件落着……いや、一旦落着である。

 

 

 

 俯いている緑涼君は不満げ……ではなく。

 考えているのだ。彼は、しっかり。

 

「……正直な言葉を吐く。……おれと君は、まだ出会ったばかりで……おれは、鬼が嫌いだ。反面、点展とは長い付き合いどころか、おれがこんなに小さかったころから世話をしてくれてた奴だから、信頼も厚い。かつて鬼の首魁を倒した勇士の一人で、全盛期には赤積君と並ぶ、なんて言われてたやつだから」

「だろうな。関係値というのはそう易々と埋められるものじゃないだろう」

「そう……だから、どうしても君のことが怪しく見えてしまうし、点展を()()()疑えない。……ただ、君を誘拐してきた件を思考に入れると……確かに、点展のやっていることに疑問を覚える場面はあった、と思えてくる」

 

 先程は激情に駆られていたけれど、落ち着きを取り戻した緑涼君は……ちゃんと、ちゃんと物事を俯瞰して見ているようだった。

 遮光鉱の粉末の塗された縄で身体を縛られているというのに、それを不快に思うことも無く、しっかりと考えを言葉にしている。

 

「何より、人を疑ってばかりの黒根君がそうまで君を信頼しているという事実が……おれは信じられない」

「いきなりボクを貶すのはやめようか」

「貶したわけじゃない。事実だ。人を疑い、試し、選別し。そうすることで黒州を守っている黒根君は、やり方こそ気の合わないものだと思うけれど、それでも黒州を守る守り人としての役割を十全に果たしていると思っている。だから……祆蘭が鬼に与し、鬼を従え、点展を罠に嵌めて彼の命を脅かし、緑州を陥れようとした、という話がようやくもって疑わしく聞こえるんだ。黒根君は、そういう人間を身内と定めるような奴じゃないって知っているから」

 

 相当な極悪人として吹き込まれているようだな。まぁ鬼関連は本当なんだけど。

 緑涼君は、大きく深呼吸をする。そして……祭唄を見た。

 

「君は、祆蘭の付き人、なのかな」

「ただの要人護衛」

「ごめん、質問を変える。君は祆蘭の友人、であっているか?」

「その問いなら、そう。祆蘭は私の大事な友人」

 

 毅然とした態度で。キッと……最早睨みつけているかのような勢いで、緑涼君を見つめる祭唄。

 一応彼も被害者なんだ、そこまで嫌ってやるなよ。

 

「……良い目だな。友達を心から信じている。……おれがもう少し幼いころ、点展から向けられていた目とそっくりだ。……そして、今の点展からは……感じられない目」

 

 今度は緑涼君が、私に目を向ける番だった。

 けれど睨みつける目ではない。また硬いものではあるけれど、でも確かに。

 

「すまなかった。事実確認を怠った。……点展の目が曇り始めていたことは、既に知っていたはずなのに……おれは彼を妄信した」

 

 座ったままに、頭を下げる。

 おいおい。

 

「──真実を教えてほしい。点展の語らない真実を。……ああ、いや。君の目から見た現実を、教えてほしいんだ。正しい事であるかとか、主観の入り混じるものであるかとかは気にしない。点展の意見と君の意見、双方を聞いて、その後にもう一度判断する。……それをやる前に暴力に走るのは、……あまりに野蛮だった。重ねて、謝罪をする」

「……お前、緑州で一番偉いんだろ。そう簡単に頭を下げるなよ。行き違いがあったな、程度の認識で良いだろ」

「おれが謝って楽になりたいからだ。そういえば受け取ってくれるか?」

 

 ──お前の負けだな。眩しすぎるよ、この少年は。

 

「ふん。私は意地っ張りなんでな、何が何でも受け取らん。……私から見た事実と憶測とこじつけと妄想を話す。好きに判断し、好きに処断しろ。私を悪だと断じたのなら、医院でもなんでも襲撃して殺しにくればいい」

「いやそこは折れようよ……ボクが言うのも何だけど、今のは完全な和解の流れだったじゃないか……」

「もっと仲良くならないと素直な祆蘭は見られない。私でも結構かかった」

 

 ……ええいやかましいわ!

 私は初めから素直だろうに。明け透けに、裏表無く、本心を話しているだろうに……失敬な奴らめ。

 

「まぁなんでもいい。今から話すことが、私の目に映った真実だ。たんと食えよ、若人」

 

 ──だからお前はいったい幾つのつもりなのだ。

 

 

 そうして──事態は()()()()

 

 驚きだろう。桃の木だろう。山椒の樹だろう。

 私が緑麗城の医院にいる間に、緑涼君が全てを解決してしまったのである。

 

 まず点展を捕らえ、全てを吐かせ。

 彼の協力者であった睡蓮塔(シュィリィェンター)の一部メンバーを芋づる式に捕らえ。

 さらには睡蓮塔の使っていた薬物……イモガイの毒と思われるものまで特定し、バイオでハザードなことになっていた被害者らから輝術で毒を除去。無害な幽鬼らを緑宮廷に収容し、被害者が順次目を覚ましていくことで幽鬼らが消えることまで確認。

 これを法則と見定めた緑涼君は緑州全土の幽鬼を特設した緑宮廷の施設へと集め、被害者全員を……生霊となっていた全ての輝術師を元に戻すことに成功した。

 

 それだけでも凄まじいことであるのに、緑麗城を占拠していた輝夜術使用者の集団、遮光鉱の鉱山でなりすましをおこなっていた輝術師の集団、及び平民たちの生き残りから、それらの親玉を特定。

 点展とは違う目的で動いていたそれらを拘束し、緑州の()()を二日三日で完遂して見せたのである。

 

「うん。……ボクが言うのも……なんだけど。……ボク、彼に完全に劣っているね。精進しないと」

「最初は悪印象だったけど、今は完全に尊敬の対象。仕事が出来過ぎるし効率も良い。公明正大で慕う人間も多い。それでいて若いから、人生経験が薄いから、まだ完璧とは言い切れないところも良い」

「指導者、あるいは帝というのはああいうものを指すのだろうな……」

 

 今も忙しなく飛び回り、関係各所への報告や伝達を行っている少年に思いを馳せながら、三人でぼんやり呟く。

 

 腕は……流石にまだ治っていないけれど。

 やっぱり。

 

「やっぱり、治りが早いな。高空……青宮城、緑麗城、思えば黒犀城でもか? 城にいる間はあきらかに治りが早くなっている。……この現象に心当たりは?」

「特にはないかな……ボクらは……どっちも変わらない、よね?」

「うん。私達はどこで直そうと治癒の進みは同じ。祆蘭だけが特別なのだとすれば」

 ──言っておくが私も知らんぞ。輝術にも穢れにも、治癒促進の効果などない。

 

 ええ。

 ……なんだろう、他。私の特別性。

 

 ああ、というか、だから。

 

「楽土より帰りし神子……か」

「……空は楽土に近いから、とか?」

「え、楽土ってそんな物理的な距離の場所にあるのか?」

「知らない。でも天空にあるとはされている」

「黒州では地底の奥深くにあるとしている学者もいるよ」

「……つまり」

 

 よくわからん、ということで。

 

 一応これにて、緑州での一幕は終わりを告げるのだった……?

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