女帝からは逃げないと。   作:霧江牡丹

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第六十二話「こそだてきんま」

 大轟音が響く。耳を劈くような……あるいは比喩表現無しに直接鼓膜をぶち破ってくるような音。

 見上げれば煤けた地獄(ソラ)。見渡せば燃え盛る地獄(セカイ)。見下ろせば──倒れ伏す地獄(ニンゲン)

 

「祆蘭。お前は想定していたはずだ。早い段階で、こうなることを。最悪のパターンだ、と……そう言っていたはずだ」

「……そうだな」

「だのにお前は行動をしなかった。お前はそれを脳裏に浮かべ、知的ぶってニヒルな笑みを浮かべていただけ。前頭葉の少し離れた上のところで、その最悪な未来を想定して──なにもしなかったのだ」

 

 影が喋る。影。影としか表現できない何者か。穢れのようなおどろおどろしさはなく、闇というには明るすぎる。

 その影が囀る。お前だ。お前だ。

 

 お前のせいだ、と。

 

「さぁ、さぁ、さぁ! これ以上何ができる? 自信満々に、傲岸不遜に語ったお前のその"根拠のない絶大なる余裕"とやらは……この状況をどう覆す! お前の手となったもの。お前の足となったものは灼熱の下で冷たくなった。なぁ、お前に残されているものはなんだ。お前には、何ができると言うのか──」

「くだらん。──忘れたのか? 世界は私のために動いている。私を中心に動いている。──望めばいいだけだ。目的を見つけて尚望むことをしなかった私が、心の底からそれを望めばいい。神なりし者はそれを聞き届けようさ」

「そうか、そうか。では静かにしてやろう。静かにな。カーテンを引いてやる。そうさ──夕餉は朝になってから食えば良い」

「だから下らぬと言ったのだ。お前は結局肖ることしかできない影法師。……ああ、けれど、そうだな」

 

 目が合う。

 今、今しがた、今の今まで……私だった者と、目が合う。

 尊大にして絶対。身に纏うモノは焼け焦げた襤褸布なのに、それを王だと……帝であると本能が訴えかける余裕。

 

()()()()()()()()()()()()()()()は、確かに転がっていた。奴の言う通りにな。……私はここからでも全てをどうにかして見せるが──お前がそれを望まぬのであれば、そちらの選択も祝福しよう」

 

 離れていく。視点が引きになっていく。影と「祆蘭」を残して、天へ天へと。

 もう。

 その二人しか残っていない──赤と黒でしかない大地を見下ろして。天へ天へと。

 

 なれば言うしかないだろう。口振りだけは達者でも少なくない感情を……悲しみの感情を得ている相手が、そこにいるのなら。

 

「望めばいいだけだと言ったな!! ──であれば神などというクソどうでもいいものに縋らず、私に願え! 私に縋れ! 私を頼れ!! 良いか──お前とて、お前達とて、私の世界の一部であることを忘れるなよ莫迦者共!!」

 

 声が届いたかなどわからない。

 ただ。

 諦めたような顔に、その瞳に、光が灯ったかのような気がして。

 

 

 ──当然、私は目を覚ますのである。

 


 

 最悪の夢見である。

 悪夢……悪夢か。まぁ、別にあの状況になったとして、それを悪夢だと嘆くほど私は柔ではないが、分類するなら悪夢だろう。

 

「おはようございます、緑涼君」

「ああ……城内でも呼べと言ったのは私だが、慣れぬな」

「ですが、どこで聞かれているやもわかりませぬから、やはりこうしておいた方がいいでしょう」

「わかっている。……朝餉を食べたら、今日は製粉の地へ行くのだったな。空車の手配と伝達、あと先日作った……なんだったか、あー……そうそう、『こそだてきんま』。あれも持って来い」

「承知いたしました」

 

 悪夢。あるいは予知夢、か?

 最悪のパターン……どう考えてもアレは噴火していたな。火山である天染峰の噴火。伴う悲劇。詳細は良く見えなかったけど、倒れ伏す人々の中にはわざとらしく鈴李や祭唄がいたようにも思う。

 輝術に治癒は存在しない。ま、ああなったら即死だろうから関係ないか。

 ただどうなのだろうな。噴火のエネルギー自体は確かに凄まじかろうが、火砕流くらいは輝術で防げないのか? ……ああでも雷を防げないということは何か上限のようなものが……。

 

「うむ……うむ。やはり肉は多少美味いと感じられるな。出来得るのならば生肉が良いが、それをすると依代が病にかかりかねん。……そうだ点展(デンヂャン)、お前が過去に食していた塩漬けの干し肉。あれはないのか?」

「……あれは困窮にある者や、遠征によって充分な食事にありつけない者の食する携帯食料ですじゃ。正直言って味は最悪。好んで食べるものでは……」

「食べたい。思えば、私に挑む戦士は皆アレを食っていたように思う。用意せよ」

「食べて、嫌な思いをしても知りませぬぞ。強烈な辛さを有しておりまする」

「何事も挑戦だ、そうだ」

「はぁ。……緑涼君の言ってこなかった我儘が、これでもかと……」

 

 気になるのは、地面があった、という事実だ。

 天染峰が火山湖に浮いた土地であるのなら、天染峰……というか光閉峰(グァンビーフォン)が噴火した時点で全て吹き飛ぶんじゃないか?

 私らしき者も、服が焼け焦げていただけで目立った傷は無かった。地が裂けている様子もなく、ただただ灼熱がヒトを焼いていただけ。……何も……何も、この火口すべてが吹き上がるわけではない、のか? どこか一点から噴火が起こり、だから……。

 

「朝っぱらから、いい加減煩いぞ」

「ほ? 申し訳ありませぬ、儂は今なにか話しておりましたかの?」

「いや、お前じゃない。……行くぞ、点展。私の身体を輝術で包んでおくことを忘れるなよ」

「ええ、承知いたしました」

 

 特に突飛な発想をしないのであれば、その一点とはやはり黄州だろう。陸地の中心であり、地下があれほどまでにスカスカ。

 加えてあの場所に山灰庇炉處(シャンフゥイビールーチュ)があったことを加味するに……私よりも早く、その「可能性」に辿り着いていた者がいる、ということになる。

 それが誰なのか、を考えると……やはり笈溌(ジーボォ)の名が挙がるだろう。

 黒州きっての変た……天才マッドサイエンティスト三人。未だ姿を見たことのない虫遣い。だから……そういう風なことを考えてしまうと、彼、あるいは彼の属する御史處(ユーシーチュ)が行っている「人工的に鬼を作る実験」にも、"(とこしなえ)の命"以上の意味があるのではないかと思えてくる。

 結衣の墓場においてあっさりと引き下がったこともそうだし、善人らしき人を悪く言いたくはないけど、私の中で最大限の警鐘を鳴らす存在だった紊鳬(ウェンフー)さんを狙ったのも……意味が、意図の有ってのことなんじゃないか、と。

 

 来たる破滅の()の前に、笈溌は対策を取ろうとしているだけなのではないか、と。

 

「だとして、奥多徳どもを手段に使うことは許せんがな」

「む……今、なんと? 聞き取り得ませんでした」

「それは老いだ、点展。気にするな」

「まぁ……それについては、否定しませぬ。後継者探しをしないといけないのは事実ですからなぁ」

 

 結びつかないのはそこだ。

 "(とこしなえ)の命"。あるいは人工的に作られた鬼、穢れの意思。あれらは最終的に何になる?

 あの蛇とて、緑涼君によって簡単に祓われる存在だった。けれど確かに意思を持っていたし、媧、お前が怯える程度には「本物らしかった」。

 

「ふん……怯えたわけじゃない。激情に駆られてはいけないのだ」

「ええと……」

「そろそろ流せ点展。独り言だ」

「はぁ」

 

 敵。仮称敵は、穢れに意思があることまで把握している。

 とすると、やはり敵側にも鬼がいて、そいつが笈溌らに与していると考えるのが適切だ。また、お前の辿りついた結論……遥か昔の大霊害によって生まれた、信念の無い鬼。遮光鉱の鉱山にて食べかすを残した者がいることも確実で……その二つが同一である可能性は、どれくらいある?

 

「ほぼない。食べかすを残した場所が青州である以上、その奥多徳の縄張りは青州だ。黄州にまで手を伸ばしている可能性は限りなく低い」

 

 それは……確かに納得のいくところだ。

 同時に気になる。あそこに食べかすを残すことは何を意味する? 言ってしまえば青州は桃湯の縄張りだろう。仮定、四千七百歳のその鬼は、八千を超える齢を持つ桃湯に喧嘩を売ることができるのか?

 

「……ふむ。それは……確かに、薄い線だな。……となると、あの食べかすは青州を意味するものではなく……遮光鉱を意味するもの、か?」

 

 此度、緑州における遮光鉱の鉱山、そこでの反乱。当然黄州にも遮光鉱の鉱脈はあるだろう。いや、全州にあると見た方が良いか。

 つまり遮光鉱の鉱脈を縄張りだと言っているのだとしたら、色々と辻褄が合うように思う。

 究極、鬼に遮光鉱は意味を為さない。そのせいで軽勉(チンミィェン)のような比較的若い鬼が遮光鉱のあるところに住み着く事例がある。それを阻止するための食べかす。

 ならば……飛躍的な発想になるけれど、遮光鉱そのものがチャオチャンディツンザイの現身のようなものであるとしたら、その鉱脈は全て繋がっている……全州に張り巡らされているものであると仮定できないか?

 大霊害。前回のもの、今回のもの。

 その鬼……意図せずして生まれた鬼の智慧によって齎されたもの。人工的に鬼を作る技術も、そこから……。いや、それだと前後関係がおかしいか?

 

 最初の大霊害。

 それを引き起こしたのは誰、あるいは何だ。

 

 鍵はそこにある……気がする。

 

「お前も知っている通り、誰もが忘れてしまったものについての文献を探す、というのは至難だ。……記録されているものがあるとすれば……()()()()()()()()、になるだろうな」

 

 文字ではないもの。

 それは……絵とか、建築様式とか、あるいは──唄?

 

「可能性はある。あとは、なんだったか。……『輝園』? あれのようなものも、文字としてではなく作品として根付いていれば、何かを知っているやもしれん」

「ほほ、独り言に口を挟むようで申し訳ございませぬが、『輝園』でしたらもうすぐ緑州へ公演に来ますよ」

「……ほう。順水推舟(シュンシュイトゥイヂョウ)とはまさにこのことだな」

 

 順水推舟。まぁ、渡りに船、みたいな意味だ。

 確かに渡りに船だ。緑涼君には悪いけど、今の身分を使えば……。

 

「……だが、この大霊害の現状で、他州からの客など来るのか?」

「正直に申し上げますと、難しいものかと。先程儂の口から出た言葉は、万事滞りなく全てが解決した場合ですじゃ。"賊"の行動が功を奏し、そして"緑涼君"の……推理、でしたかな? それが全て上手く行って、ようやく、かと」

「成程。──責任重大になったな、呼応者」

 

 ……。

 忍び駒とこそだてきんま。符合の呼応を励起するのであれば、しっかり考える必要がある、か。

 今回は州君が有能だから私は何もしなくてもいいんじゃないかと思っていたのだけど……あの夢を見た後だと、どうにも暇をしている暇はなさそうに思う。

 

 行動あるのみであれば……ふむ。

 

「そろそろ到着しますゆえ、演技のほどを」

「わかっている。……おれは緑涼君! お前達の悩みは全部解決するぜ!!」

「……なにか、なにか微妙に違うのですがなぁ……」

 

 演技は全部媧に任せ、私はもう少し思考に耽るとしますかね。

 

 

 

 挨拶回り……まぁ視察かな。

 "緑涼君"の視察とはほのぼのとしたものだったけど、やはり州民の不安は隠せてない様子だった。

 林の中とか、森の中とかだけじゃない。至る所に幽鬼がいるのだ。さもありなん。

 害のない幽鬼であるとわかっていても──それは恐ろしく映るもの。

 

 況してや。

 

「緑涼君……あれは……あれが人間だというのは、嘘……ですよね? 俺、見たんです。うすらぼんやりと佇む、髪の長い女が……俺を、俺をじっと見つめてて」

「でも、何かされたわけじゃないんだろ!」

「それは……そうですけど……」

「髪の長い女だって、髪の無い男だって、木々の陰で佇みたくなることくらいあるだろ! 放っておいてやれよ!」

「……緑涼君が……そう、言うなら。……わかりました」

 

 前々から述べているけれど、平民にとっては「幽鬼? いるわけないじゃん笑」みたいな扱いなのだ。

 それがこうも見える場所にわんさかいると、想定以上の疑心暗鬼を……いや、パニックを引き起こす。

 別に平民には幽鬼の存在を隠さないといけない、なんて決まりはないのだけど、自衛手段を持たない平民にそれを教えることがどれほどの被害を齎すか、という話で。

 

 よって私の素人推理で一刻も早く発生原因というか下手人を特定しなければならないのだが……。

 

「点展。少し頼みたいことがある」

「ほ、なんですかな」

「この近辺で最も高い山。その山頂におれを連れて行ってくれ」

「……承知いたしました。あくまで緑涼君が輝術を使っているていで行きますので……」

 

 高いところへ行く。成程、良い考えだ。

 低い所からでは見えないものもあるだろうから。

 

 ふわりと身体が浮かぶ。瞬時に高空まで飛び上がり、そのままとある山の天辺へと辿り着いた。……足の踏み場など二人分程度しかない、山と言うか剣山のような場所

 なお、この間一分と経っていない。輝術って……。

 

「すまんな」

「──う」

 

 何をしたのか。当身……ではないように見えた。威圧でもない。

 けれど事実として、点展さんが気を失う。

 媧は彼を丁寧に寝かせ、「濁戒(ヂュオジェ)、濁戒!」と虚空へ呼びかけた。

 

 すぐに集う砂塵。出てくるは緑髪の長身。

 

「何か御用ですかな」

「先日の話だ。私が向かった穢れの行きつく先には、穢れ溜まりとでも呼ぶべきモノがあった。根源の方はどうだった?」

「ああ、それですか。……実際に見てもらった方が早いでしょう。砂でその輝術師ごと運びます。穢れをつけぬように。……完璧でしょう?」

「最後のが無ければ完璧だと答えたのだがな。ああ、頼む」

 

 媧には媧で、何か考えがあるらしい。

 砂塵となった濁戒と共に、その場所へと向かう。

 

 その場所。

 

「……これは、菌糸?」

「ええ。どうにもこの黴類が穢れを噴出していたようで……現在は砂によって固定を行っておりますが、これを解かばまた、かと」

 

 菌糸だった。カビ。

 鼬林(ユウリン)の縄張りにしていたものと、ほぼ同一の絨毯。砂の入り混じるそれは……時折、ぼこぼこと嫌な音を立てて蠢いているように見える。

 

「鼬林は完全に処されたはず。桃湯が虚偽の報告をするとは思えない。……であればこれは」

 

 鬼火以外を扱う鬼が、同一の進化を遂げる、というのは絶対にありえない事なのか?

 

「ほぼない。環境によって左右されるものだからだ。同じ時代、同じ場所、同じ信念を以て同じ経緯で奥多徳となった者であれば理解は及ぶが、そんな稀有な例は思考から除外すべきだろう」

「会話相手は依代……祆蘭様、ですか。……"母"よ。私は……私とて人間に期待を寄せているわけではありません。ですが、あなた様の言うように、その依代の幼子は特別であるように思います」

「異論はない。それがどうした?」

「開示を。恐らくですが、祆蘭様には情報というものが圧倒的に足りておりません。だから今躓いている。私や"母"、輝術師をですら辿り着けない真相に最も近い平民でありながら、最も物を知らぬ者。彼女に情報が入ることで、私達鬼にとっても益となるものが手に入るものであるかと」

「……一理ある。……そうだな。祆蘭。何か……今、最も不足している情報はなんだ。ああ、過去の大霊害についての話であれば知らぬぞ」

 

 また唐突な。

 ……知りたいこと。知らなければならないこと。

 ふむ。

 

 なぜ私に「符合の呼応」が起きるのかについてだ。楽土より帰りし神子の全てにこれは起こっていたのか?

 

「本当に……それが今知りたいことなのか? それを知れば……事態を解決へと導き得るのか?」

「"母"よ。気になるというのであれば、教えてやるべきかと。理由を問う意味はないのでは?」

「……まぁ、そうだな。問うたところで理解のできる答えが返ってくるとは思えない。……符合の呼応。あるいは事象の呼応。お前に起きているものは、お前だけに起きているものだ。少なくとも歴代の楽土より帰りし神子にはそういった機能はなかったし、こうまで……チャオチャンディツンザイや天体に注目される存在もいなかった。歴代の神子と比べて、お前は何かが違う。その何かまではわからぬ。これは隠しているのではなく、本当に分からないだけだ」

「所感でよろしいのであれば、歴代の楽土より帰りし神子に比べて祆蘭様は覚悟の決まり具合が異常であるかと。歴代の神子は、どうも……己を特別であると思っていたり、何者か、世界か何かに守ってもらえると考えていたり、"母"や鬼を味方だと認識していたり……あるいは己のしたことに責任を持っていなかったり。とかく、覚悟の足りない方々に思えました。その点アナタは……そうですね。たとえ次の瞬間死したとしても、理不尽を叫ぶことがない。果て無きまで抵抗し、けれど"仕方のないことは仕方がない"。……それがアナタの特徴です」

 

 ふん、随分と褒め讃えるものだ。

 だが。

 

 媧を引っ込める。

 

「──良いな。それは良い事だ、濁戒。……すまんな、媧。本当は最後まで"緑涼君"をやらせてやりたかったが、考えが変わった。解決しよう、この事態を」

「今の問答、"結局よくわからない"が結論に思うのですが、アナタには何かわかったのですか?」

「悩む必要はない、ということだ。今潮に言われたよ。悩めば必ず迷走し、真実を逃す天才だとな」

 

 腰に提げた瓢箪。その栓を抜いて──菌糸の絨毯へと放り投げる。

 砂と油が混じり、菌糸の呼吸を妨げるそれが十二分に行きわたったことを確認して。

 

「濁戒、適当な場所から松明を拝借してきてくれ。あそこを燃やしたい」

「ええ、お安い御用です」

 

 砂が舞う。

 数分としない内に松明が運ばれてきて……油と砂と菌糸の絨毯に火が放られた。

 

 轟、と燃え盛るそれ。伴い、滲み出るようにして穢れが出てくる。可視化される程に濃い穢れだ。あれに平民が触れたらひとたまりも無いだろうな。

 

「濁戒、媧。あの菌糸……何を苗床にしていると思う?」

「と言いますと……?」

 ──まさか。

「おお、流石に媧は気付きが早いな。そう……恐らく、苗床となっているものは鬼だ。鬼の死骸。あるいは食べかす。もしくは生きたまま。それが黴となりて、ああなっている。私はそう考えた」

 

 逆転の発想だ。

 忍び駒……子孫繁栄や五穀豊穣などを願って藁馬を供え、願いが叶えば夜、人目を忍んで藁馬を持ち帰り、飾り付けをしてお礼参りをした、なんて産物。

 私はこれを作ればよいことが訪れるものと思っていた。けれど。

 

「世界の外側からは決してやってこない穢れの意思をこの世に引き摺り出すため、鬼を供物とする。そうして──あの蛇が顕現したのなら、供物とした鬼を掘り返し、万象の元凶として討滅したこととする」

 

 ああ、では、では。

 果たして誰が、それをやったのか。

 

 緑涼君? まさか。彼にはそれをやる理由がない。

 だから、いつも言っている話なんだ。

 

 事件にはトリックなど使われていない。疑わしき者は大体悪だ。リセットし、フラットに考えれば──ずっとずっとおかしな行動を取り続けていた者が誰かくらい、わかる。

 

「──そうであろう。かつての鬼子母神を看取り、その憐れを、その夢の果てを知った者よ。──誰に言われるでもなく、万事を調べ……真相に辿り着いてしまった者よ」

 

 砂塵が盾となるようにして私の前に集まる。

 ()()()()()()()()()()()()

 

「あの時、媧はお前が首謀者であることを否定した。ああ、そうだろう。祆蘭なる小娘を誘拐することについては、お前主導の話ではなかった。だから否定できた。──"(とこしなえ)の命"など欠片も興味の無いお前にとっては、私は不要だったんだ。お前の目的は全く別のところにあったから、媧も気付けなかった」

「ほ……ほほ。鬼に守られているから、ですかな? その余裕は」

「莫迦を言え。鬼が私の味方であった(ためし)など一度もない。私は鬼を導くつもりでいるが、仲間になれと命じた覚えはない。なってくれる分には一向に構わぬがな」

 

 連撃。それによって砂塵の防壁が吹き飛ばされる。

 年齢を、老いを感じさせぬその威力は、私の貧弱な肉体程度であれば貫通できてしまいそうなほど。

 

 なれば見せるがいい。その顔を。その在り方を。

 

「改めて──初めましてだ、点展。付き人を解任された修羅よ」

「ホホホ……ええ、初めまして、祆蘭。万事万象の不確定要素」

 

 トンカチと鋸を抜く。対する老人は無手。ただし型を感じさせるファイティングポーズ。

 

「一応、形式的に聞いておこうか。私を殺して何になる?」

「殺すつもりはありませぬ。ただ、このままの歩幅で進まれたら困るというだけの話。少々……腕や足を折りて、あなたの歩みを遅らせることができれば本懐を果たせます故」

 

 口角が上がる。ああ、今の私は果たして九歳の女児だろうか。

 悪魔のような顔をしていないだろうか。

 

 欲しかったピースは、それだよ。ありがとう点展。

 

「──濁戒! あそこの菌糸を焼いて、その下の鬼! 全て食ろうて来い! これ以上穢れの温床とならせぬためにな!!」

「承知」

「ほ……ほほ、良いのですかな。あの鬼あってのあなたでしょうに。この悪い足場で、たかだか平民に……何ができましょうや」

「抵抗ができる」

 

 全開で行く。

 剣気も威圧も、殺意も。

 

 媧。多少力を貸せ。正面戦闘は得意分野ではない。

 

 ──よかろう。都度変わる。だが、私の動きの方が点展には読まれると思え。腐っても勇士だ。若かりし頃とは言え、かつて私を殺した、な。

 

 眼前。始まりの合図など無く放たれた掌底を、斜めにした鋸の腹で受け止める。そのまま刃を滑らせ、枯れ木のような肘の辺りまで潜り込んで──力強い突き落としに、大きくつんのめる。

 掌底の姿勢から肘を曲げて打撃を入れて来たか。なーにが老骨だ。腰やら関節やらが悪そうにしていたのもフェイクか、タヌキめ。

 

 つんのめった姿勢。その顔面目掛けて膝蹴りが来る。子供の顔に膝蹴りとは中々容赦がないが、成程効果的だ。避ける術がない。

 

 だから、落ちる。転がり落ちる。

 山の斜面へと身体を倒し──トンカチのくぎ抜きを山肌の凹凸に噛ませ、振り子のように体を滑らせて回避。背を向けるのは危険すぎるので、空中で姿勢を整え直す。

 

爆出於口(バオチュウーコウ)!」

 

 雷声と共に鳴る破裂音。凡そ人間の拳から出て良い音ではないそれが眼前に迫る。恐らく輝術も併用しているのだろう、避け切れる速度に無く、何で対処しても無駄。達人の精確性を持ってその拳が私を捉える。

 

 寸前、彼の背後で破裂音が鳴る。いや、背後なんて距離じゃない。後頭部という超至近距離で響いたそれは、雷を思わせる規模の音量。

 

 だから点展は対処せざるを得なかった。振り返って見たそれがたとえ「ぐしゃぐしゃになった紙」だとしても──彼はそれを知らないから。

 

「代われ!」

 

 返事はしない。元から頼んでいたことだ。

 私と代わった媧は鋸を天へと放り投げ、緑涼君謹製の短剣を抜き放つ。 

 

 打撃音。

 

「ヒトの弱点が、心臓ではなく脳であると知っている──故にあなた様は必ず頭蓋を狙う。心の臓が止まっても尚動く人間たちを見過ぎて来たから」

 

 ああ、けれど、果たしてそれは……裏拳気味に放たれた点展の拳によって、手首ごと「ダメ」にされる。

 読まれているとは聞いていたが、まさかそれが、これほどとは。

 

 そのまま拳を捻り、私の手首を掴む点展。肘を曲げて私を引き摺り倒し、関節を決めにかかる。

 利用する。固定された右腕を起点に身体を左回りに回転させて、「ボキン」という音を響かせて拘束から抜け出した。

 

「──自ら脱臼を!?」

「ハ! 存外役に立たぬな媧!」

 

 降り落ちる影。先に放り投げた(それ)に彼が気付いていないはずもなく、軽々と避けられたそれはカランコロンと音を立てて山肌を滑って行った。

 鋸を見送って……一息。右手首と右肩の脱臼は激しい痛みを訴えてくるけれど、まぁそんなものだ。今すぐ治す術がないのなら考えたって仕方がない。

 

「……でも、そうだな。一つだけ答え合わせをしておかなければならんだろう」

「ほほ……時間稼ぎですかな?」

「片腕を使えなくさせるというお前の目的は達されたのだ、少しばかり幼子の戯れ言に付き合えよ、老人」

「良いでしょう。確かにその腕では、あなたの得意な工作もできますまい」

 

 トンカチを腰に戻して、左手を襟の中へと入れる。

 そこから取り出すは、子育て木馬(こそだてきんま)

 

「忍び駒の符合の呼応は先に説明した通りだ。気絶していたのかどうかは知らんが、お前を表すものだった。ではこれはなんだろう。これは何を示していると思う?」

「そもそも儂はそれが何かを知らぬのですがの」

「ああそうか。子育て木馬(こそだてきんま)。ある戦において、とある武官が苦戦を強いられていた。その際どこからともなく現れた木馬の群れが状況を覆し、その武官は勝利を収めた」

「なんとも珍妙な話ですな。その馬は幽鬼か鬼か何かで?」

「祈願された木馬の化身であるというのが通説だな。ま、話の真偽はどうでもいいんだ。必要な呼応は──どこからともなく増援が現れる、という点でな」

 

 ずぅん、と。

 ずしん、と。

 

 地響きが──地響きが鳴り渡る。

 

「意味は安産祈願や子の健やかな成長を願うもの。あとはまぁ……消化不良に終わった者達がいた、というだけの話でさ」

 

 このまま勝たば、何も起きなかっただろう。

 だけど今、私は苦戦していて、怪我まで負っていて。

 であれば現れるさ。

 

 健やかなる成長を阻むモノ。それを()()()()()()木馬たちが。

 

「──先日は暗躍に終わらせてすまなかった。聞けば、この者……前回の鬼子母神、來潤(ライルン)の最期を看取ったものだというではないか。ああ、さぁ、なんでもいい、なんでもいいぞ。──恥も外聞も捨てて、私はお前達に頼ろう!」

 

 現るるは、数多の数多の、数多の──鬼。

 

 成程、確かに濁戒は桃湯と同格の鬼なのだろう。

 あの日見た百鬼夜行と同じくらいの鬼が集まっている。

 

「障害を除去しろ、奥多徳(オグダァド)!」

 

 鬨が、世界を揺らす──。




2話目の代わりのフレーバーピクチャー


【挿絵表示】

他の壁画と脈は同じだが、描いた者は恐らく別の存在であると推測されるもの。
この世のどこかには存在する壁画。
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