女帝からは逃げないと。   作:霧江牡丹

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第六十一話「身代わり」

 林の中を駆け抜ける。

 正直全身が痛い。媧が無理な使い方をしたせいだ。殴られた後頭部も痛いし、時折「もうそろそろ休んでも良いんじゃないか」なんて考えが浮かんでは消える。

 

 なぜこんなにも意欲的なのか。

 なぜこんなにも頑張っているのか。

 

 理由。理由があるとすれば。少し前から、テンションがハイになったまま戻ってこないその理由があるとすれば。

 

「──目的を、見つけたから、だろうな」

 

 口角を吊り上げる。

 そうだ。

 この世に生まれてから、私には目的が無かった。前世の終わりが「不都合」だったから、せめて今生では「都合よく」を願ったけれど、結局生まれは貧乏村の貧乏娘。両親の顔などほとんど覚えておらず、爺さん婆さんが年々と弱っていくのを何をしてやれることもなく眺めているだけ。

 目的がない。生まれ直したのに、知識があるのに、私には何もなかった。

 

 それが……鈴李に拾われ、進史さんに頼られ、失敗を繰り返してまっさらに戻り……やっぱり結局、目的が無くなっていた。

 皆が皆期待してくれているのはわかっている。頼られているのも理解している。私という存在に何かを重ねる人達、私という存在に目的を見出す者達。

 けれど、私だけが空白で、空虚で。

 

 それが。それが。それが。

 明確に──輝術師を犠牲にすることなく、憐れに思う鬼を連れて世界を出て、天にて嗤う意気地なし共を食い散らかすという目的を得たのだ。

 

 ああ。

 私はそこで、もう一度生まれ直した。

 

見遠夢(ジェンユェンモン)廣大無邊(グゥンダーウービィン)無限悲夢(ウーシィンベイモン)吾乃不都合之子(ウーナイブードウヴェァヂーズー)吾乃不都合之忌子(ウーナイブードウヴェァヂージーズ)吾乃承受(ウーナイチォンショウ)不都合而死者(ブードウヴェァエァスーヂェァ)故謳之(グーオウヂー)故列之(グーリィェヂー)吾即未知之照者(ウージウェイヂーヂーヂャオヂェァ)道路之照者(ダオルーヂーヂャオヂェァ)吾照過航路(ウーヂャオグゥォハンルー)如前燈亦如後燈(ルーチェンドンイールーホウドン)

 ──なんだ、突然。……祝詞、か?

「楽土にて死した私の辞世の句にして、今生における誓約のようなものだ。意味は知らずとも良いし、理解しても良い。……ここに誓いを打ち立てる。このなんでもない林の中で、お前しか知らぬ場所で、私は私を証明する」

 

 嬉しい、という感情があった。

 目的があること。流されるのではなく、自ら泳いで行けること。

 

 私は──今、ここで、生きている。

 

「というわけで私は良い気分なのだがな。何用だ、鬼」

「……地面に潜んでいた私に気付きますか。ええ、では初めまして、"母"の依代。私は濁戒(ヂュオジェ)と──あ、ちょっと、走るのをやめるくらいは」

「媧の中でお前のことは見ていた。自己紹介など不要だ。何用かと、それだけを問うた」

「……成程。此度の"母"の尊大の原因はアナタですか。……用向きは単純です。アナタが今向かおうとしている場所。そこには数多の輝術師と武装した平民が待ち構えております。ゆえ──」

「止めてくれるなよ。それをするくらいなら、ついて来い。背を預けられる程度には頼れる存在であることを願うがな」

「ええ、ご期待に沿って見せましょう。許されよ、"母"。今一時ばかりは、この幼子の手足となりましょう。──あなた様が此度に賭けると言った理由がわかりました。彼女は──あ、ちょっと、最後まで言い切らせてくださいませんか!」

「急いでいると言っているだろう。私を抱えて現地へ急行するくらいの優しさは見せられぬのか、気の利かないやつめ」

 

 ため息。それと共に砂が私の胴に巻き付く。おお。

 

 そのまま持ち上げられて……私の走行速度の何十倍もの速度での移動が始まった。

 

「敵戦力をどれほど把握している?」

「高位輝術師が三人。中位から下位の輝術師が三十人ほど。剣や棍棒、弓といったもので武装した平民が六十ほど」

「少ないな。それで州君を抑えられると考えているのか?」

「あらゆるところに遮光鉱が敷き詰められている他、麻袋に入れられた遮光鉱の粉末を平民が所持しております。一つでも当たれば弱体化を望めるので……」

「なるほど、数打ちゃ当たるか。……で? お前はそれを意に介すのか?」

「アナタはヒトの味方ではないのですか?」

「ハ、面白い冗談だ。誘拐犯兼薬物密売組織にかける情がこの世にあると?」

 

 そうですか、と。

 であれば、と。

 濁戒は──鬼火を取り出す。

 

「なんだ、鬼火では物は燃やせないのだろう」

「ええ、ですからこれは連絡手段です。一応高位輝術師がいますからね、私は平気でも、アナタに危害が及ぶ可能性がある。であればその芽を潰しましょう」

 

 彼は掌に乗せた鬼火をふぅ、と吹いて、散らせる。

 ロウソクの火のように簡単に吹き消されたそれは──けれど、ほぼ直後にとてつもなく大きな地響きを呼び寄せる。

 

「ええ、ええ。見えないでしょうが、これでも私は桃湯と同格の鬼でございまして。──青州で彼女がそれをやっていたのならば、私も魅せましょう」

「何を主張したいのかは大体わかったが、待て。多少は交渉する。決裂したら雪崩れ込め」

「……。今、私、格好つける流れではありませんでしたか? この地にいる鬼を起こし、百鬼と共に敵地へ攻め入る……その流れがあったように思うのですが」

「莫迦者、情報を引き出さずに殺して何になる。そんなだからお前達は進歩せんのだ」

 

 前に出る。前に出る。歩を進める。

 風切り音。それは砂が対処する。遮光鉱の粉末が入っているらしき、小さな麻袋が投げつけられる。手で受け止めて、これ見よがしに踏み躙る。

 伏兵らからの動揺の音。やはり烏合の衆か。

 

 このまま……少し、演技でも入れるか。

 声を多少低くする。声変りをする前の少年を意識して。

 

「ご挨拶じゃないか。せっかくおれが助けに来てやったというのに」

「──怯むな! 敵は州君じゃない! 今のは運悪く体に付着しなかっただけだ! 遮光鉱を投げ続けろ! 矢を放て!!」

 

 あ、交渉の余地とか欠片もない感じ?

 放たれる矢や石入りの布は全て砂が防いでいく。ふぅん、便利だなそれ。

 

「なぜだ、なぜ輝術が弾けない!?」

「遮光鉱を防げる輝術があるのか!?」

 

 ただ、少々視界が悪いので、鋸で砂を振り払う。後ろで「ちょ」という声が聞こえた気がしたけど聞こえた気がしただけだ。聞こえていない。

 

 鍛冶場……の方は、配置人数が少ないな。なぜだ?

 仮に緑涼君を呼び出したとしたら、遮光鉱の鉱山ではなくこちらへ来るはず。だからこちらの守りを厚くすべきなのに……。

 ……。

 

「なるほどな。おれがそこに入ったら、あいつ諸共、って算段か」

「!?」

「それは良いけどさ。ちょっとおれのことを舐め過ぎかもだな。──潰れるのはお前達だよ」

 

 手を上に上げて。

 降ろす。

 

 それに合わせて──大量の砂が鍛冶場に、鉱山に、ここら一帯に降り注いだ。

 

「完璧じゃないか。悪ぶれ、なんて言われた時もそうだったけど、お前演技いけるよ。俳優も演出も自分でできるなら最高じゃないか」

「お褒めに与り恐悦至極……ですが、人間の舞台になど興味はありませんので。……さて、このまま生き埋め、あるいは体内に入り込んでの窒息死などが可能ですが、いかがいたしましょうか」

「とりあえず遮光鉱を奪って欲しいのと、鉱山の入り口を塞いでほしいくらいだな」

「殺しはしないので?」

「どちらでもいい。敵であれ味方であれ、覚悟の無い者の命を背負う気はないよ。決死を以て向かってくるのであれば私も命数を賭けるがね。……ここに集まっていたのは、どうにも烏合の衆だった。金で釣られた莫迦者共か、緑涼君を取り戻さんと集った義勇兵か。どちらにせよ"値しない"。処罰は緑涼君が決めればいいだろう」

「優しい……のではなく、突き放しているが故の無関心ですか。ただ、私達鬼も、出てきたにもかかわらず何もしない、というのは些か堪えるものがありますので──輝術師は頂いても?」

「だから、勝手にしろ。許可など求めるな。鬼なのだ、自由を目指して肉体の檻を抜け出た者なのだ。他者を殺すも生かすも自由であれよ。私はお前達の"母"ではないぞ」

 

 では、と。

 濁戒は砂を引かせていく。干からびている……とかはなく、ただただ大量の砂によって圧し潰された人間が転がる鍛冶場。

 その中にいた輝術師たちは、森の中から出てきた鬼たちに足を絡めとられ、ずるずると森の中へ引き摺り込まれて行く。

 

「アナタを恨み、幽鬼となりて出て来られても面倒ですからね。薄味ですが、食べてしまいましょう」

 

 森の中から、断末魔が響く──。

 

 ……ん。

 

「濁戒、姿を隠せ」

「はい? ……ああ、州君ですか。わかりました。……ですが、よく気付きましたね。私よりも早く気付けたのは、どういう原理で?」

「知らねば動けぬか?」

「おやおや……"母"にそっくりですね、そういうところ。いえ、いえ。問いませんとも。どうぞ今生をご存分に」

 

 ざぁ、と……砂となって消える濁戒。

 私が媧に似ているのか。

 媧が私に似ているのか。

 

 どちらでもいいがな。

 

「──大丈夫か! 祆蘭!!」

「ああ、おれは大丈夫だ」

「な……ちょ、ちょっと驚くだろ! 成り済ましがあったあとにそういうことをするな!」

「輝術師なら平民かどうかで察せ。それで、輝霊院と医院はどうだった」

「その話はする。けど、その前に、だ」

 

 焦り顔でやってきた緑涼君は……周囲をぐるりと見渡す。

 

 死屍累々。その現場を。

 

「……君がやったのか?」

「そう見えるか?」

「……瓢箪の油は減ってない。火打石が使われた形跡もない。そもそも何か大きなものによって圧壊したかのような痕跡。……君の仕業とは思えない」

「そうか。なればどうする」

「あの、鬼。君を連れ去った鬼は、強大な鬼だった。砂を操る鬼は……過去、一度だけ現れたことがあるんだ。名を濁戒。何千年も前の緑宮廷にいた役人で、鬼となった者」

「何が言いたいのかわからんな」

「──君は連れ去られたんじゃない。あれを呼び出したのは君で、君は鬼と密接な関係にある。この場を壊したのも鬼で……君は鬼を従えることができる」

「回りくどいぞ、緑涼君。言いたいことははっきり言え」

 

 彼は、一度俯いてから……けれど強い目を持って顔を上げる。

 

「……方針変更だ。おれは君から目を離すことができなくなった。青清君へ返すまで、君からは片時も離れない。……いいか。鬼は……ヒトを食べるんだ。敵なんだよ」

「豚や鹿を食う人間は、豚や鹿の敵か?」

「彼らからしてみればそうかもしれない」

「そうかそうか。いいよ、お前はそこで止まっていればいい。ああ、そうだ。お前に成り済ましていたのだろう輝術師や、お前と連絡を取った輝術師は死した。加減が利かなくてな」

「構わないとは言わない。でもおれは、全てを救える州君じゃない。叛逆を企てた者、騙されてしまった者には、無事楽土へ行けたことを願うしかない」

 

 挑発には乗らないか。

 本当、良く出来た州君だことで。

 

 さて。

 

「今、私とお前は微妙な関係性にある。先の輝霊院、及び医院の話は、したくなければしなくていい。こちらからの情報共有はするが、それも受け止めても受け止めなくても良い」

「感情と現状の分別はつけられるつもりだ。君がどういう存在であれ、今解決すべきことは大霊害と、その裏に潜んだ悪意の解消。……うん、おれから話すよ。輝霊院と医院で何がおきかけていたのか」

 

 緑涼君が口を開く。

 そこから漏れ出たのは……想像よりも斜め上の話。

 

「まず、医院に集められた肉体の方だ。彼ら彼女らは、()()()()を始めていた」

「……食い合い?」

「ああ。意識がないのに、互いに互いの身体に噛みつこうとして、医師たちの手によって止められていたんだ。輝術による拘束をしても、己の骨を折って肉を千切ってまで互いを求める様は……正直言って、人間のそれには見えなかった。ただ、意識のある人間……医師や護士には一切手を出さなかったから、色んな方法で縛り付けて、一人一人を隔離してあるよ」

 

 ……本格的にバイオでハザードじゃないか、それは。

 だけど……想譚のような体になるためには、それが必要、なのだろうか。

 

「輝霊院の方は?」

「被害の点で言えば輝霊院の方が酷かった。診察のされていた患者が暴れまわったんだ。こちらも意識がない状態で、けれど医師らに掴みかかるようにして。鎮圧は終わったけれど、何人かの輝術師がけがをしたよ。ああ、例の緑色の液体が体内に入っていないことは確認済みだ」

「輝術は使ってこなかったのだな」

「それは、当然じゃないか? 輝術は意思がなければ使えない。眠る者に輝術が使えないように、意識の無い肉体には……」

「だが、幽鬼も輝術を使わない。……そこは二つ揃っていないといけないのか?」

「……考えたこともなかったな。でも、言われてみれば確かに。……輝術は、どこから……」

 

 ──祆蘭。州君に、患者らの怪我の具合について聞け。

 

「緑涼君。その患者たち、脆くはなかったか?」

「脆い? ……どういうことだ?」

「若者であるのに、極端に老いているだとか、誰かに掴みかかった程度で指が折れていたとか、噛みついた者自身の歯が圧壊していたとか」

「いや……すまない、覚えていない。けど、必要なことか?」

「ああ」

「なら今確認を取る。少し待ってくれ」

 

 額に指を当て、目を瞑る緑涼君。……これは輝術の力量差なのかな。

 鈴李や玻璃、黒根君は伝達をノーモーションでやっている。逆に赤積君や目の前の緑涼君、あるいは進史さんなんかはこうして目を瞑って額に手を当てないと伝達ができない。正確に言えば遠距離且つ細かな伝達が、だけど。

 

「……ああ、今君の言った通り、患者の身体にあり得ない程の加齢の痕跡が見られるそうだ。そこから何かわかるのか?」

「こちらからの情報共有だ。"(とこしなえ)の命"の製作において、肉体側はおどろおどろしい融合を見せる他で、頭部以外が著しく老いることがわかっている」

「つまり、やはり幽鬼の肉体が"(とこしなえ)の命"にされかけていたのは間違いない、ということか?」

「因果関係の話だ、緑涼君。融合が起きてから栄養が上手く行き届かなくなって急速な加齢が起きるのか、急速な加齢が起きてから融合するのか。隔離されているにもかかわらず急速な加齢が起きている現状を見れば、後者であることは理解できるだろう?」

「あ、ああ。……でも、だとすると……その後者の急速な加齢は何を原因にしているんだ? 理屈を抜きにして、肉体が融合し合い、重要部分にだけ栄養を遺して末端が老いる、というのは感覚的に理解できない話じゃない。けど、融合前に加齢し、老いているのであれば……栄養と呼ぶべきそれは、どこへ行った?」

 

 こん、こん、と。

 人差し指で頭を叩く。

 

「食い合い。ヒトには手がある。手で引き千切って食らうのではなく、噛みついての食い合いをするのは──最早己を己として認識できる部分がそこしかないからなんじゃないか、と考えている」

「……急がなければならない、というのはわかった。けど、わからない。仮に今回の件に誰か一人黒幕がいるとして、そいつは何をしようとしている?」

「妥当性で考えるなら、鬼にならんとしている、だろうな。意識の無い幽鬼を自らが飲み干し、鬼となる。鬼への成り方は種類があってな、その内の一つが幽鬼同士の食い合いなのだ」

「それを……知っている理由は、今は問わない。……この林の中にいる無数の幽鬼たち。緑州全土にいる幽鬼たち。そして医院に運び込まれた意識の無い者達。……もし黒幕が鬼と変貌することを目的としているのなら、なぜこれらを管理せずに放置している? ……あ、いや、だから……選別しているのか。……そうか、緑麗城の輝術師が殺されなかった理由は──上質な材料にするため。……そうであるならば」

「緑州の三妃が危ない、だな?」

 

 次の材料。エリートの確保が難しくなったのなら──次に狙うべきは、決まっている。

 

「そうだ。その通りだ。……だから……祆蘭、恥を忍んで頼みがある」

「構わん。一時ばかり、州君をやってやろう。お前は存分に賊となれ」

 

 染めた髪を風に流す。良いじゃないか、交渉の余地の欠片も無かった鍛冶場と違い、この変装も意味を持つというもの。

 緑涼君が賊として内廷を荒らしまわり、仕掛けられたものや潜んでいる者を駆逐している間、アリバイのために私が州君をやる。

 

 いいぞ、いいぞ。

 柔軟な考えができるじゃないか。

 

「……今、点展に伝達を入れた。……君にとっては……信頼できない相手かもしれないけれど、わからないことがあれば彼に聞いてくれ」

「ならば、そうだな。敢えてこの挨拶で別れを入れようか」

 

 左手の拳を腰だめに、その上から右の掌を押し当てる。

 意図を察したらしい緑涼君が右拳を左手に打つタイミングに合わせてその手を解き、右掌に左拳を打ち付けた。

 不意を突かれ、きょとんとした表情になる少年に、くすりと笑う。

 

「……きょうび、それをやる女性はいないと思うぞ」

「賊に礼儀作法もあるまいて。行けよ、州君。大事な州を守りに。私は仮初の州君としてふんぞり返って、睡蓮塔の本拠地でも見つけておいてやるから」

「頼もしいな。……ただ、再三言わせてもらう。鬼は……敵だ。それだけは」

「私にとっては輝術師も敵だよ。さ、早く行け」

 

 それでは。

 誘拐小娘祆蘭による仮初州君生活を始めて行こうと思う。

 

 

 

 

 それで。

 

「なぜ私なのだ。……人間の州君のふりなど……どうやれば……」

 ──襤褸の出方で言えば私の方が上だ。他者の上に立ってふんぞり返るのはお前の方が得意だろう、媧。

 

 緑涼君が自由に動き、問題を解決する間、祆蘭が緑涼君の的替身となって、内廷に出現する賊と緑涼君との関係性を断つことにした。

 まぁ、それはいい。理にかなっている。

 だがなぜ私なのだ。……人間の作法など知らぬぞ。

 

「祆蘭様……お加減は、如何ですかな」

「……城の中であっても緑涼君と呼べ」

「申し訳ありませぬ」

「もしくは來潤でも良いぞ、点展」

 

 肌を撫でる殺気。

 耄碌はしたが、健在でもある、か。

 

「……鬼子母神、來潤。懐かしい話ですな。儂は……あの時あなたが見せた、全てを諦めたような顔を忘れてはおりませぬ」

「そんな顔を見せたか?」

「ええ。あなたが死にゆくその間際。天へと手を伸ばし、忌々し気に星々を眺め……"結局は、夢なのか"、と。そう言ってあなたは息を引き取りましたね」

 

 ……死の間際の話など、大して覚えてはいない。

 その時もダメだった。光閉峰を越えることも、天空を行くこともできずに……人間に、殺される。

 私は奥多徳ではないから。肉体の強度は楽土より帰りし神子を超えることができないから。

 

 そこを突かれて死するのだ。毎回、毎回。毎回。

 

「世界は、お嫌いですかな」

「当然だろう。でなければ出て行きたいなどと思いはしない」

「儂は、歪でありながら美しい世界だと思いまする。特に"賊"が州君となってからは、強く感じるようになりました」

「……だろうな。あの者は……些か、眩しすぎる」

 

 容易に意思を捻じ曲げられて。容易に認識を書き換えられて。進化もせず、進歩もせず。

 この世界が美しいなどと、私は口を裂かれても音に紡がないだろう。

 

「……あの賊の家族は、どこにいる。あれほど純粋な者を育てたのだ、余程──」

「"賊"が齢四つの時に亡くなられました。……鬼との戦いで、命を落としたのです」

「だから……ああも毛嫌いしていたのか。……憐れだとは思わぬし、何を謝るでもないがな。であればこそ、あそこまで純粋なのは……奇妙でさえあろうよ」

 ──ふん。鬼とて生きるためにヒトを殺すのだ。命を弄んだ結果でもないのなら、それは自然淘汰、食物連鎖のようなものだろう。気を病む必要はないように思うがね。

「敢えてこう呼びます。鬼子母神(グゥイズームーシェン)よ。あなたは此度、ヒトと並び立っている。あなたにそのつもりはないのかもしれませぬが、傍からはそう見える。ゆえに。ゆえに。だからこそ、だからこそ。──人と鬼の共存は、成ると思われますかの?」

「無理だ。相容れぬ種族だよ、二つは」

「そうでなくなる日が来るとよいのですがのぅ」

 

 人を食料として見ているから、ではないのだ。

 奥多徳と平民であれば共存もあり得たかもしれないが、奥多徳と輝術師では絶対に共存し得ない。

 あるいはいつか──遥か彼方の先で、輝術師の血が薄まり切ったのなら、あり得るかもしれないが。

 

「それはそうと、緑涼君。朝餉の時間ですじゃ」

「いや、要らぬが……」

 ──莫迦者。私は食べ盛りだぞ。食え。お前のせいで全身傷だらけなのだ、治りを早くするためにも食え。

「……気が変わった。食べよう」

「ええ」

 

 ……人間の食事。

 正直に言えば……不味い。元よりこの身は神であり、そして穢れに染まった者。楽土より帰りし神子の中にいる時は味覚を受け取らないようにしているし、完全に乗っ取った後はヒトとしての機能の全てを封ずるから……食事など、本当に何千年ぶりのことだ。

 

 しばらくして、朝餉が持って来られる。

 点展と私しかいない部屋で取る食事。……気が乗らない。

 

 ……鶏で出汁を取った吸い物へと口を付ける。

 塩味や旨味と言ったものへの分析はできるが、それを「美味しい」と感じる感覚がない。

 やはり魂の味が甘美すぎるが故だろう。一度あれを知ると、その他の全てが粘土でも食べているかのように灰色のそれとなり下がる。

 

「お口に合いませんでしたかな」

「……ああ」

 

 食べ盛りで食べなければならないというのなら、とっとと表出してお前が食べればいいだろう、と思う。

 けれどだんまりだ。私は本当にこいつが……。

 

「しかし、困りましたな。緑涼君は朝餉を残さぬ上、好き嫌いをしないことでも有名ですじゃ。それが突然変わり、同時に緑涼君と同じ背丈の賊が出たとなると、関連性が」

「ぬぅ……。まぁ、わかったわかった。点展、少しあちらを向いていろ」

「ほ?」

 

 指示通りあらぬ方向を見る点展。

 その隙を突いて、食事に魂を混ぜ込む。そしてそれらを一気に掻き込んだ。

 

 うむ。私の魂の味しかしない。その上で栄養も取れた。

 完ぺきではないか?

 食べ終えたことを伝えれば……何かを察したような様子で顔の向きを戻す点展。

 

「ふむ……これでは厨房担当が憐れですな。……何であれば食べられる、というのはありますかな?」

「む。……まぁ、野生動物の肉であったり、鬼の魂であったり、か」

「前者はともかく後者が至極難題ですな。あい、わかりました。昼餉、夕餉は動物の肉を中心にさせましょう。ええ、緑涼君も成長期ですから、突然肉食に目覚めたと言っても怪しまれませぬ」

 ──本物が戻ってきた時に苦労するだけ、だな。悪いやつめ。

 

 お前に言われたくはない。

 

「点展。緑涼君の一日の生活を教えろ。できるだけ倣う」

「ほほほ……そうですな。まず緑宮廷を歩き回り、挨拶をする。時間があれば他の街へも行って挨拶回りをし、何か困りごとを抱えている者がいたのなら、身分問わずに助ける」

「……本当に州君か?」

「ほ? それはどういう意味ですか?」

「いや、なんでもない。私の知る他の州君が……あまりにも、あまりにもだったから、ついな」

 

 出来が良すぎる。

 祆蘭ではないが、疑ってしまうよ。そこまでいくと。

 

「あとは、政に関する勉学や農耕についての勉学も欠かしませぬな」

「政? 州君は政には関わらぬだろう」

「これはあの方が常日頃から仰っている言葉ですが、"有事の際、専門家がたった一人しかいない、という状況を作ってはいけないんだ。最低でも三人、その分野に精通している人がいるべきで、そうすれば人々は路頭に迷わなくて済むようになる。おれは専門家を名乗れるほど頭の良い奴じゃないけど、あらゆることを少しでも齧っておけば、守り人としての役目だけじゃなく、緑州を守ることへの一丸となるための礎になれるんじゃないか、って"、と」

 ──眩しすぎる。浄化されるぞ私。

 

 案ずるな、私もだ。

 

「加えて、何かを学ぶことは、思いもよらぬことへの発見につながるそうです。新たな輝術もそうですが、こういった事件が起きた時、過去の事例を照らし合わせて解決策を導くなど、あの方の意欲は留まることを知りませんじゃ」

「……それをマネすることは難しいな。会話を行えば襤褸が出るだろうし、何よりこの身が平民であることが露見する。……良し、今日は」

 

 緑涼君の部屋。その床に座る。

 

「紙と糸と木材を用意しろ」

「……緑涼君は食器も自らで片付けるのですがじゃ」

「……。わかったわかった、そこくらいはやってやるから、今言ったものを用意しておけよ」

「はぁ、わかりました。のじゃ」

 

 無論。

 私に工作の心得などない。

 

 やれ、祆蘭。お得意のもので事件を解決してみせよ。

 

 ──忍び駒がまだあるだろうに、強欲なことだ。

 

 お前に影響されているからな。

 労せずして報酬が手に入るのなら、それに越したことはないのだよ。

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