女帝からは逃げないと。   作:霧江牡丹

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第六十話「蛇」

 制圧は瞬く間に終了した。

 子供であっても流石は州君。緑涼君は内部にいたほぼすべてのヒトをヒトであったものにし、情報を持っていそうな者に固定輝術をかけて拘束するという荒業で自死を禁じていた。

 私達が輝夜術を打ち払って輝術師らを助けている間に、緑麗城の主がその威を示していたのである。

 

「……違和感を覚えている」

 ──そうか。口に出しても良いし、出さなくても良い。お前の好きにしろ、(ウァー)

 

 輝術師共に恐怖を植え付けるだけ植え付けて、また意識の奥底に戻った依代。自在に浮き沈みができるようになったようで、これでは尚更に私の立つ瀬がないというものだ。

 

「お前のその態度も違和感の一つなのだがな……。……なぜ、この者達はこれほどまでに無抵抗で拘束されていた? 遮光鉱の粉末、及び武器があったとしても……城勤めは輝術師の上澄みだろう。対処法くらいは叩き込まれているはず。点展(デンヂャン)が緑涼君の成り済ましに気付かなかった、というのも……正直な話、俄かには信じ難い」

 ──点展が首謀者だ、と?

「否。だとすれば私達を自由にさせていた理由がない。あの偽物と共に私達をもっと強く拘束していればよかったのだ。それこそ、固定の輝術などでな」

 ──いちおうされていただろう、拘束。女児の両手足を枷と鎖で縛って寝かす、など。蛮行極まると思うが?

「拘束から抜け出した者が仮に私でなかったとしても、お前は必ず抜け出していただろう。お前の在り方を知っていれば、だ。……はぁ、なるほど。知らぬ、という可能性はあるな。もっと上……お前の特異性を知る者が、口先だけで命を下し、お前を連れて来させた。どれほどの危険人物であるかも知らずに、か」

 ──ふん、鬼の神が何を言っているのやら。……それで? 前に見せた、私よりお前の方が勝っている証拠……抜群の推理力は見せてはくれないのか? 何を聞かずとも真理を閲覧できるような叡智を楽しみにしているのだがな。

「心にもないことを。……だが、少し……」

 

 故意に残しておいた輝夜術の残骸を見る。

 原理はくだらぬものだが、緑麗城の全土に張り巡らされているということは、術者は一人ではない。

 基本、輝術というものは認識可能範囲に作用するものだ。州君というような力量の持ち主でない限り、たった一人で広大な建造物の隅々に輝術を張り巡らせることは難しい。

 だというのに……この輝夜術とやらは、術にむらがない。輝術には個人差が出る。同じ州君であっても、あるいは最底辺とよばれるような輝術師であっても、個人の特徴というものは微かであれど出るものだ。それが……この輝夜術には、無い。

 

 壁に残る黒い幕。その一部を剥がし、浮かべる。

 魂を染み渡らせ……読み取りを行う直前で、泡のように消えたことを理解する。

 ……圧し潰された?

 

 廊下に気配。この体重の軽さと足運びは……緑涼君か。

 

「ごめん、時間をかけた! 怪我はないか!?」

「輝術師たちから伝達が行っているのではないか?」

「ああ、君が助けてくれたって事は聞いているよ。けど、自分の目で確かめない事にはどうにも安心できなくってさ。成り済ましなんてものがあった直後なんだ、あいつらには悪いけど、人伝てにそこまでの信を置くことはできないよ」

 

 ……なんてまともな。

 

「一応、緑麗城の全ては制圧したし、掌握した。ただ気になることがある。ここに勤めている奴らは腐っても輝術師の上澄みだ。それがなぜ、平民を抱き込んだ集団なんかに負けたのか。点展が裏切っていた、という可能性はまずないから、他の理由があるはずなんだ」

「異論はない。情報を持つ者からは何か聞き出せたのか?」

「混幇という言葉は吐いたよ。ただ、それ以上は知らなかった。混幇から大金と遮光鉱を貰って動いたらしい。おれのことは混幇がなんとかするから、って」

「別働隊……金目当ての雇われ……」

 

 似ている。

 いや、これも祆蘭の身に起きている「符合の呼応」と同一だ。賊が誰であるか、その手口は。

 となると下手人は奥多徳か? ……否、穢れの気配はない。だとすると。

 

 だが……()()()()()()()

 となると。

 

「緑涼君、緑宮廷で起きている大霊害について話せ。少し思うところが」

「いや! ここまでのことになっているんだ、無理を言ってでもおれは君を青州に返す。青清君が君に何かをさせろと言っても無視だ!」

「──……なぜだ。私が戦えることは理解しているだろう。輝夜術についての知識もある」

「関係ない。君は子供だ。おれも……そう歳は離れていないけど、君はまだ守られるべき年頃の人間だ。もともと部下の失態で君をここに連れてきてしまったのに、ここまでの大事に付き合わせるのは……おれのちっぽけな矜持が許さない。君が何を知っているのか、君がどれほどを理解しているのかは知らないし、それがおれ達にとってどれほど重要なことなのかも知らないけど、君は帰るべきだ」

「私がここにいたい、と願ってもか?」

「ああ。あ、でも、君のためを思って言っているんじゃないぞ。この先君を引き回して、もし君に何かがあったら……おれはおれを許せなくなる。だから帰らせたい。それだけだ」

 

 ふむ。

 ならば、致し方なし。

 

「なれば私は勝手に動く。それ以上の責任を覚える必要はない」

「勝手に動く、って……君、平民だろう。そもそもこの城から降りることが」

 

 州君を無視し、部屋を出る。

 顔を伏せることなどない。機能回帰をし始めた輝術師たちを尻目に、城門へと向かう。

 城門。潰された兵士の血肉の乾ききっていないそこに立って。

 

「緑州なら……濁戒(ヂュオジェ)がいたな。濁戒、濁戒。──喜べ、呼んでやったぞ」

 

 魂を響かせる。

 

 直後、眼前に砂塵が集まった。

 

「!? ──君、逃げろ! それは──」

「なんだついてきたのか。……ふむ。であれば濁戒、()()()

「はぁ。……久方ぶりの呼び出しに心を躍らせれば、これですか。──ヒヒヒヒ!! 手に入れた! 手に入れたぞ依代!! あぁ、あぁ、ありがとう輝術師!! お前が目を離してくれたおかげだ! 隙を見せてくれたおかげだ!! ──さぁらばだぁ能無し州君! お前のおかげで──おっと」

 

 輝術と砂がぶつかり合う。

 うーむ、そこまでの大声を出せと言った覚えはないのだがな。

 まぁ、いいだろう。

 

「離脱しろ」

「──じゃあな、能無し君!」

 

 私を抱きかかえた砂の塊が、高い速度を持って緑麗城を離れていく。

 州君の感知範囲、輝術の効果範囲から抜け出すには、直線で距離を取っても仕方がない。故に、散らす。魂を混ぜた砂の塊を撒き散らして、撹乱する。

 そうして適当な雲の中へと入り、大量の砂と共に落下すれば……ふん。

 

「逃走はお手の物だな、濁戒」

「お久しぶりです、"母"よ。……という再会の挨拶さえさせてくださらないのですね。……しかし、此度の楽土より帰りし神子は、随分と意思の弱い者だったようですね。その肉体、まだ十にも満たぬでしょう」

「逆だ逆」

「……逆?」

 

 おい、説明が面倒だ。

 出て来い。

 

 ──久しい"子"との再会だろう? もう少し楽しめ、媧。

 

「……はぁ。まぁいい。濁戒、少し前に起きた大霊害というものを知っているか? 私が眠っていた時に起きた事件だ」

「ええ、まぁ。幽鬼が大量に出現した事件……ですよね? ……あの、母よ。なぜそのような尊大な口調なのですか? あなたはもう少しお淑やかな……」

「今代の依代がこのような言葉遣いなのだ。影響される」

「……これだから人間は。もっと子に正しい言葉遣いを教育させろというのです」

 

 濁戒。

 桃湯や結衣と同じく、穢れ以外を操り得る奥多徳。緑の髪を膝下まで伸ばした男で、後ろ姿だけ見れば艶やかな女に見えなくもない。

 古い鬼であり、私の"子"。そして──。

 

「それを抜きにしても……ああ、ああ、"母"! "母"よ! 私はあなたに再びまみえる日を心待ちにしておりました! 幼い身体となりても、ああ、"母"はお美しい、その雰囲気が何よりも極上……!」

「寄って来るな気色悪い。お前のその"母煩い"はいつ治るのだ」

「煩いなどではありませぬ! これは真摯なる母への愛!! ……私め、あなた様が深い眠りについている間、棺を涙の泉にしておりました。それくらい──」

「わかったわかった。それで、大霊害についてだ。詳しく知っていることがあれば話せ」

 

 母煩い。私という存在を敬愛するどころか寵愛し、倒錯的に愛する変質者。

 前は……前代の依代である來潤(ライルン)は三十中ごろの女だったからまだ耐えられる絵面であったものの、祆蘭は幼子だ。濁戒のような背丈の高い奥多徳がすり寄ってこようものなら、それだけで気色悪く感じてしまう。精神が引っ張られるのはいつものことだが、此度は殊更に。

 

「はぁ。……大霊害は、四千七百年程前に起きた幽鬼の大量発生事件ですね。戦争が起きたわけでも、母が起きたわけでもないというのに、幽鬼だけが大量発生し、輝術師たちが右往左往した事件」

「原因がなんだったのかは覚えているか?」

「いえ。覚えているもなにも、興味がなく……」

「だろうな」

 

 私を含めて奥多徳は人間に興味がない。時折変わり種がいることもあるが、彼らの歴史を事細かく覚えているほど暇ではない。

 食料では、あるがな。

 

「ふむ。なぜそのようなことをお聞きに?」

「今、緑州でそれが起きているらしい。過去の例から原因を導き出せるのなら、と思ったが……」

「なぜ"母"が人間の問題に首を突っ込むのですか?」

「理由が必要か?」

「──……いえ。全てはあなた様の御心のままに」

 

 降り立った林を改めて見渡す。緑宮廷より遠く離れたそこには──幽鬼が湧いていた。

 ……ここにも?

 

「幽鬼ですか。林の中とは珍しいですね。自殺者か、捨てられたか」

「よく見ろ濁戒。その程度の量ではない」

 

 ざぁ、と。ずらり、と。

 見渡す限りの──幽鬼。無害な幽鬼だが、この量は……。

 

「あまり食欲の湧かない幽鬼ですね。力量の低い輝術師ばかりと……」

「これだけの量の低位輝術師が、この林に捨てられている。それを偶然に思うか、濁戒」

「作為性がある、と?」

「なければおかしかろう。……おい、祆蘭。忍び駒というのはどういうものだ。どういう効果がある」

「祆蘭……?」

 

 ──縁結び、子孫繁栄、五穀豊穣、かね。

 

 縁結び。子孫繁栄。五穀豊穣。

 ……ありきたりな偶像だな。それが……何になる。何と呼応する?

 

「"母"、この幽鬼ども……外傷がありませんね」

「薬物で殺されているのだろうな。睡蓮塔(シュィリィェンター)と言ったか、人間の薬物密売組織が関わっているらしいが……」

「ふむ。では、"理由を必要"としましょう。そこまで人間に深入りする理由はなんですか、"母"」

「"(とこしなえ)の命"。人工的に奥多徳を作る実験、だそうだ」

「……。……なんですか、それは。……冒涜的な」

「今……あるいは数十年前から人間の間で開発されている技術だ。混幇、灯濫会、睡蓮塔、そして御史處(ユーシーチュ)。生きた人間から魂だけを剥がし、それを奥多徳とする。肉体は食い合わせて融合させる。奥多徳が生きている限り肉体が死ぬことはなく、故に"(とこしなえ)の命"として成立する……というのが概要だ」

 

 そして恐らく、"(とこしなえ)の命"は前段階。

 その先にあの笈溌という男がいる。あの男のやっていることは恐らく……その更に上の次元の。

 

 冒涜的だが、同時に()()()でもある。

 

「では、この幽鬼共はなんであるとお考えで?」

「不要であった魂、だろうな。……そうか、つまり……強い、力量の高い魂だけを集めた奥多徳を作るために……選別をしている?」

 

 肉体は肉体で利用価値があるのだとしたら。奥多徳にとって美味に思う魂だけを集めているのだとしたら。

 ……遮光鉱の鉱脈。祆蘭と今潮が見た「食べかす」。私ですら把握していない奥多徳は──過去の大霊害で生み出された者、か。

 信念の無き者。逸脱する気がないのにさせられてしまった者。それらは果たして、何を求むるのか。

 

「濁戒。私は此度に賭けている。この依代は……祆蘭は特別だ。世界を脱し、世界を逸し、奴らの喉元に食らいつく」

「そこまで、ですか。……平民の肉体に見えますが、一代前の州君よりも、特別だと?」

「輝術の技量ではない。在り方だ。存在だ。魂だ。これほどまでに上質な素材は今後現れるともわからぬ。──その依代が、"解決"をお望みだ」

「依代の意識が残っているのですか?」

「残っているし、私の意識を凌駕する。……何を考えているのか、表に出てくる気配はないようだが……」

 

 ──励め、媧。仲間の鬼と共に、人間の問題を解決してみろ。お前が私を見るというのなら、その逆もまた然りだ。何をするのも勝手だが、()()()動くといいぞ。

 

 それは、脅しか?

 

 ──助言だ、莫迦者。

 

 ふん。人間が何を、と……そういう思いは捨てる。

 州君に作らせた短剣を握り、一閃する。はらはらと落ちるは枝木。その幾本かを束ね、腕や足に括りつける。

 簡易の鎧だ。どこまで行っても祆蘭の身体は脆いからな。

 

 加えて、私であれば黒州の州君がやっていたように、ある程度外側から肉体を操ることができる。棍棒で殴られようが足の健を斬られようが、だ。無論そうなることを望むわけではないが、唐突に「代われ」などと言ってきて無茶をされるくらいであれば、予めの準備をしておくべきだろう。

 

「"母"、あれを」

「む……なんだ、……穢れ?」

「ええ……ですが、肝心の鬼がいません。穢れだけが宙を舞う現象を、私めは知りませぬ」

 

 天を覆う穢れ。私達にとっては良い隠れ蓑だが、あそこまで膨大な量の穢れを撒き散らしていては、それを行う奥多徳も疲れように。

 

「……濁戒。お前はあちら側……穢れの発生地を洗え。私は終着地を見て来る」

「承知いたしました。お気を付けて」

 

 砂塵が舞う。

 瞬く間に濁戒の姿は消えていて……残されたのは物言わぬ幽鬼共のみ。

 いや、何かを話しているようだが、私には読み取れない。

 

 まったく。

 鬼子母神を顎で使うとは、この人間は……。

 

 

 穢れの終着地。

 そこには。

 

「……棺、か?」

 

 木ではなく、鉄で作られた棺。

 微かに開いた蓋の隙間を縫い、どろどろと注がれ行く穢れ。緑宮廷にある墓地とは違う、ただ一人のためだけに建てられたかのようなその墓地と棺は、私をして「異彩」と言い放てるほどの雰囲気を纏っていた。

 短剣を握り締め直す。忌々しい元結も、この時だけはありがたい。

 祆蘭の身は人間。穢れに冒し尽くされるわけにはいかないのだから。

 

 やがて。

 

 ずるり、ずるりという音を立てて。

 棺の蓋が……開く。開いていく。

 

 這い出て来たものは。

 

「……蛇?」

 

 ──とうとう蛇が出たか!

 

 何やら異様に喜んでいる内なる声を無視し、それを観察する。

 

 蛇。蛇だ。穢れで構成された大蛇。そいつはその鎌首をもたげ、周囲をぐるりと見渡し……穢れ色の舌をちろりと出す。

 わかる。

 

 こいつは──奥多徳ではない。

 こいつは。こいつは。こいつは!!

 

(なれ)は──我らをこの世に閉じ込めし──」

 

 頼む。祆蘭。今の私は冷静ではない。この激情は、私が忘れなければならないものだ。私は()()()()()()()()()()()()のだから。

 だから、一時でいい。

 

 助けてくれ。

 

 ──素直に他人を頼れるのは成長だよ、媧。

 

「……はぁ。体中が痛い。莫迦者め、正面切っての戦闘など私はしないのだから、筋肉が悲鳴を上げているではないか」

 

 意識が奥底へと戻る。

 急速に落ち着いていく感情。そうだ。そうだ。私は歯向かってはならない。逆らってはならない。

 でなければ、なんのために一人見初められ、神の座を捨てたのか。

 

「短剣ねぇ。……慣れん慣れん。私には工具が一番だ」

 

 と。

 州君謹製の短剣を腰に佩き、代わりにトンカチと鋸を抜く祆蘭。

 

 で。

 で。

 で、だ。

 

「──で、お前は、人工的に作られた穢れの意思……って感じで合っているか?」

「……」

「言葉を持たぬか、解さぬか。はたまた人間如きと交わす言葉を持ち得ぬか。結構だ」

 

 落ちる。あらゆるものが──万象が逃走する程の威圧。この世には重すぎるそれは、超広範囲を覆う球体となる。

 しかし、同時に果てしない剣気が放たれている。かかってこいと。逃げるなと。己に相対する全てとは、その程度なのかと。

 内側にいる私でさえ依代を危険視したくなる剣気に──蛇が、反応する。

 

 見えなかった。少なくとも私は反応できなかった。

 その攻撃があってから、単純な頭突きをされたのだ、ということに気づけたくらいには、速い。

 

「ハハ!! そうだ、いいじゃないか! お前の正体がなんであるか、なぜここにいるのか、今緑州で何が起こっているのか──そんなものはあの有能州君が解決するだろう!!」

 

 けれど防いでいる。鋸を盾とし、自ら後ろに飛ぶことで頭突きの威力を最小限に抑え、且つ魂の存在感によって蛇の身そのものを削っている。

 なんだ。なんなのだ、こいつは。

 

 平民だろう。楽土より帰りし神子は、けれどそのほとんどが楽土での戦闘経験を持っていなかった。時折「マホウ」なるものや「チョウノウリョク」なるものを使えた、という神子もいたけれど、この世でそれが使えるわけでも無し。呆気なく私に呑まれるか、己を過信して奥多徳に敗北するか、そもそも野生動物にすら勝てないか。

 

 でも、けれど、だが。

 なんだ。こいつは、なんだ。

 それら以下であるはずだろう。

 

「捻り潰して見せろ。捻じ伏せてみせろ。些事だろう、小事だろう。神の血を持たぬ私を殺すことくらい! 来いよ意気地なし。ああだが、来ないというのなら」

 

 増える。増える。圧が増える。

 重みが増す。威圧の重みが……「己は己のものである」という重圧が、周囲一帯を取り囲む。

 草も木も花も、土も羽虫も小動物も。

 全てが忠誠を誓うほどの「重み」。

 

 だから、ざらりと……蛇の身が剔抉される。削り取られる。

 

「お前を私が食ろうてやろう」

 

 飲み、込まれ──。

 

「……」

 

 る前に、祆蘭が重圧を消した。

 何事かと周囲の気配を探れば。

 

「いた! こんなところに……って、なんだそれ!? 穢れ!? ……穢れが意志を持って動いている……? って、考察なんかどうでもいい! 離れていてくれ、潰す!!」

 

 州君だ。緑涼君が空から降って来た。

 対し、蛇は既に逃げ腰である。鉄の棺からその身を這い出し、どこか遠くへ逃げ出さんとしている。

 ああ、ああ、けれど。

 悲しいかな、祆蘭が止まれど──。

 

「逃がすものかよ」

 

 この州君には、容赦がない。

 輝術によって千切られ、粉微塵にまで分解される穢れの蛇。それらは一瞬私を……祆蘭の中にいる私を頼ろうとしたように見えた。

 けれど、無理だ。この肉体の檻が、この魂が、それを許すはずがない。

 

「往生際が悪い。──潰れろ」

 

 潰れる。潰れた。

 跡形もなく……穢れの塊は、この世を去った。

 

「疲弊が見える。少し奥底で休んでいろ。……無理をさせ過ぎたとは思わぬが、頑張った方だろうよ。まだまだお前を頼るつもりだからな、英気を養え、媧」

 

 精神の中で眠気を覚える。あれほど窮屈だった魂の陰が、その強大なる光が、今は暖かい。

 ああ。

 意識を、手放す。……喜べ、全ての奥多徳。

 この依代は、この者は……確実、に……。

 

 

 

「空を流れる穢れと、注ぎ込まれた棺。そしてそこから蛇が出て来た、か」

「ああ。信じられぬのならそれでも」

「そういう話じゃない。穢れが見えたのなら、まず逃げろ。君は平民だろ、浄化の術がないことくらい……ああいや、平民には伝わっていないのか。ともかく危ないものを見かけたら好奇心で近づくな! 今回はおれが間に合ったからよかったものの、あと一歩遅ければどうなっていたことか……」

 

 休眠状態に入ったらしい媧を確かめつつ、緑涼君の話を適当に流す。

 善人ではあるのだろう。だが、大局を見ることができているかと問われたら微妙だな。

 

 ──なんて、そんなわけがないだろう。

 穢れを穢れとして認知している平民を。その穢れの塊と対峙していた人間を、ここまで「普通扱い」するのは違和感しかない。

 

「聞いているのか!」

「聞いているわけがない。本心で話せよ、州君。そうまでして取り繕う理由は何だ」

「はぁ? おれは取り繕ってなんかないぞ」

「ふん。穢れの痕跡を追うことのできるお前達が、あれほどの量の穢れに気付けなかったとでも? 故意に無視していたでもない限り、始点にも終点にも私より早く辿り着けように。大方、上空から私を観察していたのだろう。内情を知り過ぎている無関係のはずの平民。それが何を為すか、緑州の害となることであれば、仮に青州と戦争になったとしてでも首を刎ねるつもりだったのではないか?」

「……」

「そこで押し黙るのは経験の浅さだな。肯定しているようなものだ。その上で適切となる言葉を探している」

「……おれは」

「ああ、だから、構わないぞ。お前は州君としてやるべきことをしているだけだ。正体不明の、さらに幽鬼絡みの事件に好んで首を突っ込むような存在。怪しんでしかるべきだし、監視を付けるのも当然だ。鬼に連れ去られておきながら逃げ果せているのも怪しすぎるからな」

 

 意見は聞かない。主張は潰す。二の句は継がせない。

 当て推量だけで、圧し切る。本当にこの州君が単なる善人であったとしても、関係ない。

 

 私の利を得るためであれば、いくらでも他者を悪としよう。

 元来、私はそういう人間だ。

 

「くだらん問答はこれくらいにして、大霊害の概要は掴めたか?」

「……。……ああ。城を制圧していた奴じゃない、縛られていた貴族の一人が口を割ったよ。自分が手引きした、って。……実行犯の平民は区別をつけることができなくて、そいつごと縛った、なんて真実だったけど」

「愚かだな。それで?」

「それで……狙いは、生きた高位輝術師の調達だった。今起きている大霊害もそうだ。緑州じゅうにいる幽鬼は、全員輝術師。それも、まだ生きている輝術師であることが判明した。医院と輝霊院を総動員させてその生きている輝術師を回収させて、体内にある薬物を除去しようと頑張っている現状だ」

「……輝術師の肉体は、放置されていたのか?」

「ああ。自宅や職場、あるいは通路。至る所にあったよ」

「莫迦者」

 

 有能ではあるが、逆転の発想には弱いのか。

 

「どう考えても敵の思うつぼではないか。──輝霊院、あるいは医院に集められた肉体。では、その状態で霊魂が鬼となったら……」

「……まさか」

「思案していないで確認しに行け。まだここで私を子供だから、などというくだらん理由付けで排斥しようとはしないだろう? 不確定要素を州に置いておきたくなかった州君は、さ」

「なら、頼みがある。……子供に頼むことじゃないのはわかっているけれど、お前がそこまでして……偽悪的にあろうと言うのなら、頼まれてほしい」

「ん、なんだ」

「これと、これと……これ。持ってくれ」

 

 光の粒が集中し、物質が生成される。それをぽいぽい渡してくる州君。

 渡されたものは瓢箪と火打石、そして……クロスボウのようなもの。ボウガン、かな?

 

「あと、地図を……こんな感じでいいかな。今おれたちがいる場所がここで、印をつけたここに遮光鉱の鉱山がある。今回使われた遮光鉱は恐らくここから盗掘されたものだと推察している」

「へえ」

「おれ達は遮光鉱の洞窟へは近づけない。だから、……危険にはなるけれど、力になってくれると言うのなら、あそこの攻略を頼みたい」

「いいぞ。それで、この瓢箪は?」

「油だよ。遮光鉱の鉱山はその性質上必ず下り坂になっているから、入り口から油を垂らせば滑り落ちていく。そして、入り口で火を付けるんだ。そうすれば安全に中の奴らを殺せる」

「憶測で有罪と決めつけるのか? 無関係の鉱夫である可能性もあろうに」

「そこも頼みたいことの一つだ。緑州の遮光鉱の鉱山を管理している人は輝術師でね。さっき伝達が来た。手足を縛られていて、目にも布が巻かれている。全身に遮光鉱の粉末が塗されていて力が入らない。頭部の粉末をなんとかして振り払ってこの伝達を入れているけれど、いつ殺されるかわからないから助けてほしい、と」

「怪しいな」

「え?」

 

 きょとんとした顔をする緑涼君。

 ……これは、結構親しい間柄なのかね。

 でも。

 

「粉末を振り払って伝達だけができるようになり、状況がこうなってからお前を呼び出した、なんてのは、どう考えても罠だろう。加えていつ殺されるかもわからないから助けてほしい、とは。縛られた時点でなぜ殺されなかったのかを知っているから出る言葉じゃないか」

「……いや、あいつに限ってそんな……」

「これは適当なこじつけだがな。たとえばそいつの側に成り済ましを行っている緑涼君がいて、お前の方を偽物だと諭していたらどうだ? 腐っても州君に成り済ますのだから、高い輝術の力量がある。ゆえに遮光鉱の鉱山に誘き出して叩こう、などという言葉に、絶対に乗らないと断言できるか?」

「それは」

「できないだろう。なぜならお前が最も信頼を置いていた点展が、成り済ましのお前に従い、他州から私を攫ってくる、などという愚行を犯してしまったのだから。全てはお前が親しみやすく、正しさの塊で、まともであったが故の弊害だろうな」

「おれの……せい、なのか」

「誰もが信じている。お前ならば間違ったことは言わない、と」

 

 誠実に生きて来たから。

 正しく在らんとして来たから。

 誰からも好かれる州君で、子供ながらに頑張って来た者だから。

 

 だから、少しばかり違和感を覚える命令であっても、何か深い意図があるのだろうと付き従ってしまう。

 名君の部下は無能になりがちだよ、緑涼君。

 

「それが……もしそれが本当なら、君を行かせるわけにはいかなくなった」

「いや、だからこそ私に行かせろ。散々否定してきたが、だからこそ、だ。お前が来るものだとこれでもかと対策を張っているだろう敵は、けれどその全てが輝術師用の対策であるはず。まさか平民が来るとは思っていないだろう。なれば不意を突けるというものだ」

「……危険すぎる。おれじゃないって知られた瞬間、輝術の嵐が飛んでくるんだぞ」

「信じろ。私から言う言葉はこれだけだ」

「……」

 

 生成してもらったボウガンを、捨てる。

 使い慣れん得物など邪魔になるだけだ。

 

 工具があれば、私はそれでいい。

 

「ああそうだ、緑涼君」

「……なんだ」

「お前の古着……いや、普段使いの服を生成しろ。お前と私は背丈が同じくらいだから、偽装に使える」

「流石におれの方が高いだろ……」

「大人というものはガキの数厘米程度の身長差など気にしないものさ。──そら、行動だ行動。より大きく、より悲惨な結果が齎される前に防げ。敵の正体やその駆逐は、民の安全を勝ち取ってから考えろ」

 

 言葉に、緑涼君は少しだけ逡巡して……けれど衣装を生成してくれた。

 両腰の部分が緑色に染色された長袍。この世界では珍しい、腕や足に巻く黒い布。ゴム生地じゃないからあくまでデザインなのだろうけど、少し近未来に感じる。

 

「ああ、それと。お前の髪色も欲しいな。染料を出せ」

「……急げと言ったり注文が多かったり。おれなんかより君の方がよっぽど州君らしいよ」

「莫迦を言え、州君は我儘を言う存在ではなかろうて」

「なら帝かな。陽弥(ヤンミィ)はあんまり我儘を言わないけど、その尊大な態度は帝にふさわしいよ。態度だけだけど」

「なんとでもいえ」

 

 髪染めができるほどの時間は無いから、緑涼君の髪色……明るめの緑っぽい黒の染料を髪に塗していく。こういう時長い髪は面倒だ。いっそのことばっさり行ってしまおうかとも思う時があるのだけど、玻璃の元結がつけられなくなるしな。折角の貰い物だ、あの時は呪いのアイテムとか言ったけど、一応大事にしたいところ。

 

「その元結……」

「ん。なんだ、やらんぞ」

「いや。……なんでもないんだ。……って、ちょ、うわ!?」

 

 突然素っ頓狂な声を出してうしろを向く緑涼君。

 なんだ、敵襲か?

 

「は、恥じらいとか無いのか!? おれは男で、君は女の子だろ! こ、こんな往来で、男の前で着替えをするなよ、せめて木に隠れるとか……!」

「こんなガキの貧相な身体に性的興奮を覚えるのか、お前。医院にかかった方が良いぞ、病気だ病気」

「そういう問題じゃない!!」

「ふん、刻一刻を争う場で羞恥など気にしていられるか。……しかしお前、初心過ぎないか? ある程度あるだろう、州君なんだ……言い寄ってくる女とか、いないのか」

「い……居はする、けど……そ、そういうのとは違うだろ。あれは……下心が見え透いていて、敵愾心しか湧かない。でも」

「突発的に見せられる同年代の肌はお前の中の男が反応する、か? くく、どれほど取り繕っても獣だな。良いぞ、好きに覗けばいい。有能であるより、完璧であるより、そちらの方が親しみやすいからな」

「いいから、うるさいから! 早く着替えてくれ!!」

 

 ──男子(おのこ)の純情を弄ぶとは、最低だな。

 

 なんだ起きたのか。

 仕方が無いだろう。周囲にこういう男児がいなかったんだ。揶揄いたくもなる。

 

「着替え終わった。さ、あとは手筈通り、だ。一応言っておくが、そちらの問題が片付いたら最速で来いよ? 私は弱いからな」

「よ……弱いなら、行かせるべきじゃ……」

「くだらん問答を何度もするな。いいから行け。そもそも服を生成した時点で行ってよかったんだ。だというのに己が背後で女子(おなご)の着替える音を楽しんでいたのはお前の方──」

「もう行く!! あと、はっきり言う!! おれ、君のこと苦手だ!! なんだか一生勝てない気がする!! じゃあな!!」

「ああ、気を付けろよ。お前に言う言葉ではないとは思うが」

 

 飛翔し、去っていく緑涼君。

 いいねぇ、若者。初々しいよ。

 

 ──同情するぞ、緑州の州君。こいつはとんでもない悪女だからな。

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