女帝からは逃げないと。   作:霧江牡丹

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第五十九話「忍び駒」

 緑州(ロクシュウ)

 この州が他と大きく違う点は、輝術による天候操作を行っていない、というところだろう。

 風に秀でるの名の通り、自然の風を大事にするここは、吹かれて心地の良い風が流れている。

 

「足元、気を付けてくれ。点展、いざという時は」

「はい、お支えいたしますじゃ」

「……はぁ。輝術師が二人もいて、どうして山道など……」

「すまない。でも、さっき言った通り飛ぶと見つかる危険性があるんだ。もうしばらくの辛抱だから、我慢してくれ」

「無論だ。私が言い出した話だからな、文句などないさ」

「……? あ、ああ。それならいいんだが」

 

 山登りなど、本当に何年振りの話だ、と。

 

 

 結局、行くことになった。緑州に。その問題を解決しに。 

 昨夜、青清君と伝達を行ったらしい緑涼君は……煮え切らぬ顔でこんなことを言ったのだ。

 

「……青清君はやけに乗り気で……丁度いい機会だ、とかなんとか。それで、青州の枡刈というところにいる祆蘭の護衛()()にも連絡を渡したそうだ。代わりに、しっかりと守れよ、と言われた」

 

 大方、祆蘭に繋がりを作らせることが目的なのだろう。

 あくまで青清君の子飼いであることを示しつつ、全州に祆蘭を見せつける。特異性と問題解決能力と、その圧倒的な在り方を。

 実際に、だ。

 実際に、青州は言うまでも無く、黒州、赤州、黄州が祆蘭を認めつつある。

 それは州君や付き人のような上澄みだけかもしれないけれど、そこさえ押さえてしまえばあとは浸透していくもの。加えて鬼も御したとあらば……。

 

「皆、止まれ」

「ん」

 

 緑涼君の指示に従い、止まる。

 切り立った崖。そこから見えるのは、宮廷と浮層岩の上に建てられた城。

 

「あれが緑州の宮廷と城、緑宮廷(ロクキュウテイ)緑麗城(ロクリージョウ)になる」

「妙ですな。この時間にああも多くの空車が行き来しているのは」

「城取りにしては騒ぎが少ないな。大方下準備の段階か。……周辺域の空にも哨戒の輝術師が飛びまわっている。潜入は容易ではないだろうな」

 

 そう、なぜ私達がこんな山道を地道に歩いているのか、の理由がこれだ。

 どうにも──緑涼君を貶めようとした者達は、外交関係を完全に閉じているらしいのだ。隠れて密入州しようものなら何が待ち構えているか。

 加えて遮光鉱を扱う者がいるとわかっている以上、単純な力押しは難しい。

 

「なら手筈通りだ。緑涼君、私が麻袋に入るから、できるだけ雑に引き摺って持っていけ」

「……年下の女の子にそんな酷い仕打ちをするのは気が引けるんだけどな」

「そんなことを言っている場合ではなかろう。こういうものは時が過ぎれば過ぎるほどどうしようもなくなるぞ」

 

 腰に佩いたトンカチと鋸。小物入れに入れた依代の工作物と錐。

 そして、緑涼君に生成させた短剣。

 元来の得物は長剣だが、この身体の発達具合では振り回されるだけだ。こちらの方が良い。

 

「点展、普段通りに、だ。わかっているな?」

「ほほ、勿論ですじゃ。……ただ、恐らくは」

「ああ。おれと別れた瞬間、命を狙われるだろう。──逃げろ、そうなったら。矜持も何もかも捨ててな」

「……若様。儂は失態を見せました。老い先短いこの命……好きに使わせてはくれませぬか」

「ダメだ。おれが泣く。──行け、行け。また後で、無事に再会しよう」

 

 気配が去っていく。

 周囲の見えない麻袋の中で、身体が持ち上げられるのを感じる。

 

 成り済ました者への尋問は済ませた。どういう設定であったかは叩き込んである。

 あとはこの州君の演技力に期待だが……。

 

「大丈夫か? 苦しくないか?」

「おい、気を遣った持ち方をするな。察される」

「い、いや……君は女の子だろ。おれに触られて嫌な場所とかあるだろうし、あくまで演技なんだから、苦しいとか痛いとか無い方が良くないか」

「莫迦者。そこは野盗になりきれ。お前は緑涼君ではなく、緑涼君に扮した下郎だ。私を見せろ、と言われて麻袋から出す時、なんなら衣服をひん剥いても構わん。それくらい雑に扱え」

「いやいやいや……。無理だって。それにコイツは、君の能力を頼りに連れ去ろうとしたんだろ? あんまり暴力的に扱うのは多分おかしく見られるよ」

 

 まともだ……。なんてまともな州君なのだ……。

 もう少し見習え他の州君。そして祆蘭。

 

 ……そうして、作戦が決行される。

 

 野山を滑り落ちる緑涼君は、当然ながら哨戒の者に見つかり……「戻ったぜ、大手柄だろ。これで誰にも文句を言わせねー」という、成り済ましていた者に完全に成り済ました語調で敵に認められる次第となった。

 麻袋。その粗い目から外を見れば……宮廷だろう作りの場所の、所謂裏路地というべき場所を通っていくのが分かる。

 陰気の漂うそこ。一見して扉に見えないそこに入れば、噎せ返るような性臭が鼻を刺す。

 

「おいおい真昼間から……。おれが苦心してガキに成り済ましてガキ一人を攫って来たってのに、お前らは宴会かよ」

「まーまー許してやってくれよ兄弟! おう、蠍一個持って来い! 英雄の凱旋だ、女も適当な綺麗どころ見繕ってやれ!」

「んー? お! 楙哢(マオカー)か! 大役ご苦労さん! ……にしてもなんでまだ緑涼君の面被ってんだ? 一瞬心臓が跳ねたぞ」

「便利なんだよこれ。もうちっとばかしこいつでいるわ、おれ。街に出るだけでちやほやされるしな」

「ギャハハハハ! 味占めてんねぇ! んじゃ、蠍飲んで太くして、これでもかってくらい啼かせてやれよ!」

「そうしたいのは山々だし、お前らで使い切ったら怒るけど、まずは戦利品だよ。──ほれ、幽鬼と会話できる平民。しっかり奪って来たぜ」

「おお!」

 

 良い演技力だ。口元が引きつっていなければ。

 普段こういうことを言う者と対極の位置にいるからだろう、魂の色が明らかに翳っている。

 

「へえ~……そいつが。……結構良い顔してね? 使う前に使()()か?」

「馬鹿言え、それでぶっ壊れたら使い物にならなくなるだろ。楙哢、そのガキ奥の部屋にぶち込んでおけ。睡眠薬は充分に吸わせてんだろうな」

「ああ。加えて酒も入れておいた。明日の昼まで起きねえだろ、流石に」

「ひゅう、やるな。……使うのはご法度だが、裸に剥く程度ならいいだろ。ガキに興奮する奴は牢越しに使えば良いさ」

「そうこなくっちゃ!」

「流石、わかってるな!」

「酒、一番良いのをくれよ。州君がいたんだ、おれの気苦労たるやだろ」

「州君? 青清君か?」

「いや、黒根君だった。肝が冷えたぜ」

「黒根君が……青州に? ……結託でもしてんのか?」

「知らねーよ。探るなら別の奴にやらせろ。おれは疲れた」

「ん、おう。……こりゃ報告案件だな」

 

 来た。あの男が上との繋ぎ役か。

 下卑た会話など耳には入らない。

 

 滴るように。這うように。

 酒を多く飲んでいる者を見極め、指向性を持った威圧で意識を落としていく。

 

 どさ、どさと倒れていく男達。

 

「……はぁ。呑み過ぎだろ。おれの酒残ってんのか、これ」

「大丈夫だ、酒蔵を抱き込んだからな、なんとかなる。集告處(シーガオチュ)にも鼠を入れてあるから、露見の心配はない」

「今この場に残ってんのかって話だよ。取りに行かなきゃならねーじゃん」

「そりゃお前……すまん」

「はぁ~……」

 

 ……このような者達も、お前にとっては人間か、祆蘭。

 ──摂理だよ。食い物にするのも食われるのもな。いつか打ち砕かれる悪事と知りながら、刹那に眼前の甘い汁を啜る。もし世界が"因果応報"という言葉を軸に動いているのなら、奴らに帰るものは等量だ。だがな、世界というものは基本的に倍以上返しなんだよ。恨みつらみというのは等量では満足しないからな。

 

 厭世的ではある。

 だが、この女は鬼とはならないのだろう。それはわかる。

 私よりもずっと人非ざるモノ。祆蘭。その隠し名は。

 

 と、麻袋が、緑涼君が移動する。

 奥の牢、というところへ行くのだろう。

 

 宴会場を後にして、その喧騒から離れた廊下を通り、階段を下り……あと少しで目的地に着きそうな、というところで、私の腹を掴む手があった。

 

「おい、握り潰すなよ」

「げへへ、いいじゃねえか。いやぁ、いいなぁ。女児の腹はすべすべしてて……げひひ、押し付けるくらいはいいよな?」

「尻をぶっ叩くくらいは許されるか? 泣かせてぇんだけど」

「涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔が見てえよ。それで、手足縛って地面に置いた皿からぐちゃぐちゃの飯を食わせるんだ。ああ──最高だな」

「最低だな。すまん、予定変更だ」

 

 ぐしゃ、という音がした。

 ……何かが潰れた音。それが人体から発された圧壊音であることに気づけた者は、いったい何人いたのか。

 

 麻袋から出される。

 そこにいたのは──憤怒を滾らせた修羅。

 

「……台無しだな。奴らの上との繋ぎ役に取り入るまでくらい、我慢できなかったのか」

「聞くに堪えない。耳が腐る。──あっちも潰すから、耳を塞いでいてくれ」

 

 言われた通りに耳を塞げば──それを貫通する大音量が響き渡る。

 悲鳴。断末魔。建物の倒壊する音と、肉の挽き潰れる音。

 

「だから、繋ぎ役一人くらい残しておけと」

「残したさ。ただ一人、建物も仲間も潰れた宴会場で動けなくしてある。……おれの緑州を貶める汚物だ、用が済めば殺すけど、利用価値を見逃すつもりは無い」

 

 凍てつく氷のような殺気。

 剣気や威圧とは違う、憤怒から来る殺意。

 

 けれどそれは、唐突に解けた。

 

「っと、すまん。女の子の前で見せるべきものじゃなかった。……いけないな。いつまで経っても冷静沈着が身につかない。すぐ怒っちまって、おれは……」

「悔悟は、今すべきことか?」

「ん、後でやることだ。あ……と、待て、今死体を片付ける。見るなよ、残酷だから」

「慣れている。気にするな」

「……慣れさせるなよ。今度青清君に会ったら文句を言ってやる。……あっちの宴会場のゴミ掃除も終わった。今換気と消臭を行っているから、もう少し待ってくれ」

 

 ──おい、媧。少し振り向いてくれ。気になるものがあった気がする。

 

「……?」

 

 言われた通りに振り向くも、特に何もない。

 誰も入っていない牢と、あまり掃除されていない壁。

 

 ──錠がついている。どういうことだ?

 

 別に錠くらい、どこにだって。

 

 ──腐っても輝術師の集団だろう。閉じ込めた者に輝術が使えないのだとしたら、なんらかの技術で開錠される可能性のある錠前などつけるか? 出入り出し入れは入れる側の輝術師がやれば済む話だろう。

 ──加えて壁染みもおかしい。全体的な汚れは手垢や水、油ではないな。煙……煙草、煙管。その類だろうが、それにしては一部の壁が真新しすぎる。壁紙を張り替えたのでもなければ、裏口のようなものがあるはずだ。ここに攫って来た者を繋いでおくのであれば、そこに通路があった方が効率良いからな。

 ──対人は任せるが、少し代われ。予感がある。

 

 意識が引き戻される。

 暗い世界に。……横暴が過ぎように。

 

 入れ替わった依代は……祆蘭は、突然壁に対して飛び蹴りを入れた。

 ぎょっとする緑涼君。だろうな。

 

 けれど、幼子の蹴り程度で砕け……ぱらぱらと土ぼこりを落としながら、秘密の抜け穴が出てきた時には。

 

「おい、まずはやると言ってからやってくれ! 驚くだろ!」

「ああ、やった。報告が遅れたことを謝ろう」

「そういう話じゃない。……今の今まで慎重派だったのに、どうしたんだいきなり……」

「なぁに、不意とは打たれるより打つ方が楽だろう? ──そら、わんさか出て来るぞ、失敗作が」

 

 ぎゃいぎゃいと。

 きしきしと。

 きしむ音は──成れの果ての声。

 

「大霊害。その原因の一端だ。肉体側がこうも元気なのは私も初めて見るが──ああ、あまり深く息を吸うなよ。腹に虫が寄生する」

「次から次へと……なんだ、どういうことだ! まず説明してくれ! やることと、やったら起きることと、なぜそれをやろうと思ったのか!」

「理由などない。勘だ。このままでは奇襲を受ける気がしたのでな、ぶち破ってそれを失くした。危険度が変わるかと言われたら肩を竦めよう。頼りにしているぞ、州君」

「こ、の……!」

 

 うむ。

 怒って良いぞ緑涼君。青宮城では身勝手が許され過ぎている。この者はそろそろ灸を据えられるべきだ。

 

 正眼に構えるは鋸。錐を逆手に持って、奇しくも私の四足の構えに似た格好を取り──。

 

「なに戦おうとしているんだ! いいからおれがやるから、さがっていてくれ! 危なっかしくて怖い!!」

 

 通路の奥にいた理性無き鬼共が、瞬く間に圧死した。

 ……馬鹿め。何を消化不良と言いたげな顔をしているのだ。お前では一体を倒すどころか肌に傷一つつけられなかっただろうに。

 

「概算、百人だ」

「なんの話だ……はぁ、青清君にも進史にも同情するよおれは。青清君だけでも手に負えなかったのに、こんなのを抱き込んでいたのか……」

「理性の無い人工的な鬼。あれ一体を作るのに、大体二十人を犠牲にする。それが今、見えただけで五体いた。……大霊害の人間が生きているのならば、霊魂を用いて鬼とし、"(とこしなえ)の命"のための材料にするはず。……国盗りは見せかけで……必要なのは人数、か? ……私が呼ばれた理由は、……まさか、理性ある鬼の作成が完了している? だが、あくまで幽鬼の性質を捨てきれず……」

「祆蘭、祆蘭。何の話かは知らないけど、一旦ここを出よう。子供がいて良い場所じゃない」

「大量の人間……一か所……この時間には珍しい空飛ぶ馬車……」

 

 こいつ、脳内でなくとも濁流なのか。

 

「違う。剃刀を使え。烏が飛んだからと言って梨が落ちたわけじゃない。州君のみならず、付き人までもがいない時、人はどういう行動を取る? そもそも神子を遮光鉱の家に閉じ込めた程度で安心できるものか? ……やはり、ここでもだ。計画は綿密そうなのに、実行者がお粗末。……倣うのならば──」

「出るぞ。ここは長居すべき場所じゃ」

「待て、莫迦者。ここでは宴会が為されていて、今お前が宴会場を潰した。当然それは外部に伝わり、警戒が行われる。……繋ぎ役の男を持って来い。こうなった以上は、大きく行く」

 

 無意識なのだろうが、巧みな指捌きで竹筆を回転させる祆蘭。

 時折それを口元に持って行って、吸い、大きく息を吐く。

 

「緑涼君。睡蓮塔の構成員、及び本拠地に心当たりはあるか?」

「いや……何十年も前から活動している組織で、その正体は不明。最近灯濫会(ドンランフゥイ)という人身売買組織が壊滅して、その余波を受けて事業を縮小した、というのは聞いたけど……」

「先ほどの男が言っていた"蠍"という薬物は恐らく精力剤の類。枡刈の乱痴気騒ぎに配られていたものは茛菪(ゲンダン)。恐らくどちらも睡蓮塔の仕業で……。……埒が明かないな。緑涼君、藁、作れるか」

「へ? ……糸、っていうのは、あの藁か?」

「ああ。この通り、両手のふさがった状態だからな。藁が最適だろうと考えた」

「……まぁ、何をするつもりかは知らないけど……はいよ。ここから動く気がないなら、ここで待っていろ。いいか、どっか行くなよ。おれはあっちの片付けをしてくるから。……いいな!」

「子供じゃないんだ、どこにもいかぬさ」

 

 深く。

 深く、観察する。

 

 祆蘭の身に起きる「符合の呼応」は、何も偶然によるものではない。

 輝術師ではない故に、鬼ではない故に気付いていない彼女の接続先。それを見逃さないようにする。

 

 包帯の巻かれた手足で藁を固定し、口を使って引っ張って縛り……というのを繰り返して、祆蘭はまた何かを作っていく。

 私に手伝い得ることなどないし、下手に身体に干渉すれば、この器用な作業に粗が生じるだろう。

 見ているだけ。いつも通り、見ているだけ。

 

「……不格好だが、これでいいだろう。よし、代われ。──は?」

 

 意識が表出する。

 待て待て。私はこれの名も用途も知らぬのだぞ。お前の「符合の呼応」はお前が意味を知るからこそ発動するものであって、私に託されても……。

 

 ──ああ、名は忍び駒だ。それくらいは伝えておこう。

 

「おい、生き残りがいくらか情報を吐いた。そっちはどうだ、気は済んだか?」

「あ……ああ。大丈夫だ。すぐに行く」

 

 黙りこくった祆蘭に辟易する。

 なぜ私が顎で使われているのか。この女は何様のつもりなのか。

 

 気を取り直して牢を出て廊下の方へ。

 宴会場が潰れたことで拉げた扉を開け、短剣を上に放って逆手に持ち直し、扉の裏にいた髪の無い男の心臓を突き刺す。

 

「か──ぁ」

「州君、怒りも理解できるが、しっかりしろ。生き残りがいたぞ」

「……その通りだな。冷静に怒らないと」

 

 短剣を振るって血糊を飛ばす。……中々良い刃物だな。

 さて、改めて男……緑涼君の持っている上との繋ぎ役の男を見る。

 

「曰く、ここの通りにもう一つ拠点があるらしい。他は知らぬと言っていた」

「拷問はしたのか?」

「ご、拷問? いや、していないが……。輝術で脳内にある情報を」

 

 甘いな。思い切りは良いが、子供だ。──汚れ仕事は我ら鬼に任せればいいさ。

 男の手の甲から掌にかけてを短剣で貫通させる。

 

「ぎ、ぁい!?」

「お、おい!」

「もう一つの拠点の在り処など聞いておらぬ。お前の上にいる者の居所を聞いたのだ。──答えろ。でなければこの刃、抜かずに切り払うぞ」

「な……仲間、仲間は、仲間は売らない、売らなければ、助けてくれ──」

 

 斬る。掌の中心から小指側へ、(イーヂーシィェン)を描くように。

 

「ギ──、ぃがぁぁぁぁぁがあぁ!?」

「助けが来るとは、ふん、笑い種も良い所だな。誠実な受け答えをしない限り、お前はここで死ぬのだ。そんなことも考えられぬか」

「あ゛──あの、あの、あのか゛、た゛は……最強だ、最強の鬼だ!! おまえ゛だぢ、なと゛」

 

 肩鎖関節に短剣を押し込む。声にならない悲鳴を聞きつつ、短剣をギリギリと斜めにして、関節を広げていく。

 

「よくもまぁそう簡単に私の逆鱗を撫でられるものだ。──鬼だと? 鬼が人間を助ける、与するだと? お前のような愚か者を? ──カハハハ! 片腹痛いわ!」

 

 そのまま、ごりゅ、と。

 肩を外した。

 

「──!!」

「止めてくれるなよ、州君。ただでさえ人工的な鬼作りには苛立ちがあったのだ。それを、その私の前で、鬼に縋るだと? ……良かろう、顔の皮を剥いでやるか、魚のようにその身を開いてやるか。好きな方を選べ、人間」

 

 剣気ではない。威圧でもない。

 これは殺気だ。先程緑涼君の見せたものと同じく──けれど、天と地ほどに差のある密度の。

 

 どろりどろりと。まるで泥か何かのように足元を埋め行く黒。気絶から立ち直った者の悉くが泡を吹いて倒れ行く殺意。

 

「──い、いう゛! いぶ、がひゃ……だずげ、で……ぇ、ぁ?」

「!?」

「まずい、離れろ!」

 

 おかしいと感じた瞬間に距離を取ったのは正解だった。

 緑涼君の輝術による隔離も相俟って、それに触れることなく退散することに成功する。また、瞬時に緑涼君が二つ目の結界を使い、男を小さな角柱に閉じ込めた。

 

 それ。

 ……緑色の液体。霧状のそれは結界の内部へと満ちていく。

 ぐりんと剥かれた白目と、じゅぐじゅぐと嫌な音を立てるその者の肉。

 やがて男の身長は見る間もなく縮まって行き……。

 

 人が、液体となった。

 

「……これは」

「緑涼君、すぐに体内を精査しろ。私とお前、両方だ」

「もうやったよ。体内にあれが入っている様子はない。他におかしな影も見当たらない。……けど、おれはこういう薬物を知らない。輝術……か? それとも」

 

 心当たりは──ある。

 あれに似た物を使う奥多徳がいるのだ。

 

 長らく姿を見せぬから、とうとう死したのかと思っていたが……まさか人間に与していたのか?

 

「……おれに成り済ましていた男とこいつは、緑麗城に連れて行く。もし緑麗城が乗っ取られていたら……その時おれは"州君"になるから、目を瞑っていて欲しい」

「精々励め、若人」

「……おれのほうが年上だろう」

 

 ば、と。

 彼が腕を振る。その瞬間、建物が消滅した。

 性臭漂う悪趣味な部屋も、酒盛りに使われていた食器類も、死体も。

 全てが消え去ったのだ。

 

 ……やはり州君は危険だな。

 

「いくぞ」

 

 浮遊感。それと共に浮かび上がる。

 ……ここは緑宮廷の中だったのか。なんと大胆な犯行か。……それに、ここの魔の手が青州にまで伸びているというのなら、被害範囲は計り知れぬな。

 

 

 飛んできた矢の側面を蹴って逸らす。

 

「風切り音!? 気を付けろ、狙われている!」

「もう対処した。ふん、攻撃は下からばかりだが……この様子だと、上も警戒すべきだろうな」

「……おれ、裏切られるようなことしたかなぁ。結構真面目にやってきたつもりだったんだけど」

「罪を犯す者に善悪の価値などわかるまいよ。……そら、第二射が来たぞ」

 

 放たれる矢、その数は十六。

 とても二本の足では捌ききれぬそれは──私達に届くよりもかなり前で防がれ、落ちて行った。

 

「周囲を球形の固定輝術で囲った。これで弓なんか意味ないよ」

「どうかな」

 

 ひゅん、という風切り音は、真横から。

 雲の中──恐らくあそこに空車があって、そこから射られた直線の矢。鏃には月色と表現すべき色味の鉱石が。

 

 故に緑色の液体の詰まった結界に鋸を引っかけ、大きく跳ねてからくるりと一回転。

 飛来する矢に対し、トンカチをぶつけて威力を相殺する。

 

「遮光鉱の矢!?」

 ──捨てるなよ。加工された遮光鉱は使い道がある。小物入れに入れておけ。

 

 わかっている。

 この状況では、頼りになるものはこれくらいしかないからな。

 

 それより、だ。

 

「御者はともかく、射手は平民である可能性が高いな。どこまで掌握されているのやら、だ」

「くそ! ……緑麗城についたら、激しい戦闘になる可能性がある。おれも細心の注意を払うけど、できるだけ自分の身は自分で守ってくれ」

「いいだろう」

 

 そうして、そうして。

 辿り着く。緑麗城の正門に。──当然のように緑涼君へと槍を向けている守衛。

 

「……ちょっと安心した」

 

 それをぐしゃりと潰しながら、彼はそんなことをのたまう。

 

「安心、とは?」

「知り合いじゃない。おれの知ってる奴が裏切っていたんなら、衝撃が大きかったけど……こいつら、どこの誰とも知らない奴らだ。──なら、存分に鏖殺(おうさつ)できる」

「穏やかじゃないな」

「緑州は風に秀でるんだ。荒れ狂う風の時だってあるさ」

「そうか。……ふむ、緑涼君。緑麗城の破砕も厭わぬか?」

「ああ。そんなもん建て直せばいいからな」

「ならば、これをくれてやろう」

 

 敵味方の区別をつけるために、少々少量だが。

 青と碧と、黄と赤と、黒と白の光を指先から出し……緑涼君の体内へ入れる。

 

 直後、竜巻が、顕現した。

 

 

 

 破壊痕の残る緑麗城をゆるりと歩く。

 穢れの痕跡はない。ただ、所々に輝夜術が敷かれている。それを一枚一枚丁寧に剥がしていけば、いるわいるわの「緑麗城の元の勤人」たち。

 皆一様に手足を縛られていたり、潰されていたりしているけれど、命までは取られていない。

 ……恐らく有用であるとされて生かされていたのだろうな。どこの城も、高い力量を持つ輝術師の勤める場所だから。

 そしてご丁寧に全員に塗されている遮光鉱。……枷や縄にも仕込まれているのか。道理で抜け出せぬわけだ。

 

「んー! んーっ!!」

「安心しろ、今助け出してやる。……はぁ、この私が人間に対して安心しろ、などという言葉を吐く日が来ようとは」

「んんー!! ん、ん、んー!!」

 

 少し大きいけれど、それ以外は物が無いので、鋸を使って彼ら彼女らの拘束を解いていく。

 いやはや全く以て。

 

「──ガキが、何してやがる!!」

「後ろ!!」

 

 ガン、と。

 後頭部を殴られる。……棍棒か。まぁ誰かが入って来たことには気付いていたし、敵意も覚えていた。……些事だろう。

 拘束を外していく。

 

「こ……この! ガキ、こら……痛みを感じねえのか!?」

「損得勘定の問題だ。私がそれを避けて何になる。であれば後頭部であろうと打撃を受け、一人でも多くの輝術師を解放した方が全体の益だろう」

「ふざけやがって……! 殺してやる!!」

 

 大きく振りかぶられる棍棒。

 ……やはり輝術は使ってこない。平民か。

 

「危ない!!」

「へへっ、遮光鉱の効果はまだ残ってる! 残念だったなクソガキ、お前は無駄死に──」

「ハ、一つ良いことを教えてやろう、大男」

 

 表出して来た祆蘭と声が重なる。

 これは……完全に染まったか。勿論私が、祆蘭に。

 

「──思いっきり硬いものを踏んだら、痛いんだぞ」

「……ぎ、ぃぃぃいい!?」

 

 仰け反ってもんどりうつ大男。

 彼が今、私の、というか祆蘭の頭蓋を砕くために踏み込みを入れた場所。

 

 そこには、先ほど手に入れた遮光鉱の鏃が転がっていた。

 

 上で。その上で。

 すくりと立ち上がった祆蘭は、子供が持つには大きすぎる棍棒を両手で持ち上げる。

 ケラケラ。カラカラ。クスクス。

 様々な笑いは得てして邪悪。幼子の口から出る鈴の音を転がすような声が、高く高くへと掲げられた棍棒の行き先を知らせる。

 未だ痛みを訴える、大男。

 

 その──股間。

 

 

「──露出した弱点なぞ、狙わんはずが無いだろう!!」

 

 

 振り下ろされる。それは、ソレをぷち、と潰して、残り二つもぐちゅ、と潰して。

 絶叫が、響き渡った。

 

「よーし。さ、縄を切ってやるから大人しくしろ。おいそっちの男共、隅に肩を寄せ合っていないでこちらへ来い。遮光鉱の粉末が部屋中にひろがるだろうが」

 

 うむ。

 良い依代だ。容赦がないな。

 考えるのはやめにしよう。

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