女帝からは逃げないと。 作:霧江牡丹
やはり、青宮城にいる時より怪我の治りが遅い。
だから久方振りに感じる「じくじくと痛む」を覚えながら、眠れない夜を過ごす。
その枕元にボゥ、と影が降り立った時は、「はいはいやっぱりですかそうですか」なんて思ったけど。
言葉を読んで……考えさせられることとなる。
朝になっても当然包帯は外れない。
絶対安静。見込みで言えば完治にかかるのは七日ほどだそうだけど内臓も傷ついているので倍になる可能性アリ、らしい。
「"ここにいると鬼にされる"? ……幽鬼がそんなことを言ったのかい?」
「ああ。左の瞳を貫くような傷痕のある男だった。ここにいると鬼にされる。子供は出て行け。医院は信用するな、とな」
「それが事実なら、青宮城に帰った方が良い。青清君に呼び出されたと言えばここが祆蘭を引き留める理由もなくなる」
「一応聞くが、この医院に鬼の気配や輝夜術が隠されている、とかがあったりはしないんだな?」
「街に着いた時全てを精査してあるよ。ただ輝夜術についてはわからないかな。あれは隠されたものだから。少なくとも鬼はいないと思う。穢れの痕跡が無いからね」
「だが……幽鬼が妄言を吐いた、というのは考え難い。……戻るべきなのだろうが、考えたい。ダメか?」
問いに、二人は。
肩を竦め合う。
「気になるんだろ? 止められないよ」
「青宮城に帰っても考え続けるだろうし、今更。でも応援は呼ぶ。黒根君だけだと頼りない」
「ん~? ボク、州君なんだけどな~?」
多分。
多分、二人は「いつものことだから」と思っているけれど。
これが例えば、私に泣きついて来た幼子からのhelp、とかだったら……私は動かなかっただろう。
だってそれは摂理だからと。
だってそれはお前が乗り越えるべきものだから、と。
……寄っているのがわかる。それでも。
「黒根君。お前は枡刈で起きている事件の中で、とりわけ薬物関係のものを調べて来てくれないか」
「おや、州君を顎で使うのかい?」
「嫌なら帰れ。お前である必要はない」
「冷たいなぁ。……鬼にされる、なんて……ボクの想い人を彷彿とさせるような事件が起きている可能性があるんだろ? 精力的に協力させてもらうよ」
「祭唄は医院に関する噂の聞き込みを頼む。できるだけ私の病室を離れん範囲でな」
「わかった」
「今回私は病室から動けないし、手がこれじゃあトンカチも鋸も持てん。文字通りの役立たずだ。──充分だろう。頼んだぞ、お前達」
こくり、と頷く二人。
病室から出ていく彼女を見送って……横になる。
……今回は手がこれなので、工作もできない。
メタ推理が使えない状態の私は……まぁ使えても素人推理だからあんまり関係ないか。
さもありなん、とは思う。
病院が裏で悪い事をしている、なんてのはお約束オブお約束だ。別に地球の病院全てがそうというわけじゃないけど、異世界ファンタジーな病院と言われたら真っ先に思い浮かぶ話だろう。
問題は、鬼にされる、という部分。あの幽鬼はどういう立ち位置なのか。
一応おさらいをすると、現状分かっている鬼という存在は大きく分けて二種類いる。
まず、桃湯や今潮らのように鬼とならんとして死した人間の例。所謂正統派の鬼であり、強い信念を有している。
特徴としては肉体を捨てている事、魂だけの存在でありながら物質界に干渉できること、穢れや鬼火、長い爪といった武器を扱うこと。
次に、
異形の身体に自我の奪われた暴走状態。敵味方の区別は無く、また、肉体が死のうと魂が死ななければ死なない、という性質を持つ。"
……そう、だから、あの幽鬼の男が「鬼にされた」被害者なら、その霊魂は管理されて然るべきなのだ。
そうではないのなら……あれは誰なのか。
「よぉ」
「……隣の部屋か」
「お、今日は防音輝術張ってないんだな。な、ちょいと話そうぜ。おれも怪我で入院しててさ、暇なんだよ」
少年くらいの声。
病室の壁の向こうから聞こえてくるその声のくぐもり方で、ある程度の壁の厚みを察する。
「構わんが、大して面白みの有る話は有していないぞ」
「んじゃおれの話聞いてくんない? あ、おねーちゃんいくつだ?」
「九つ」
「は? ……おれより六つも下かよ。話し方が大人過ぎるだろ」
「成人したてのガキが、私に何を話したいんだ」
「酒も飲めないガキンチョに話す話じゃないんだけどさー。最近おれの従者の様子がヘンでさ」
「従者? 高位貴族か」
「まそんなとこ。……で、そいつがさ、前までは俺にべったりくっついて来てたのに、最近……ほんと直近になってから、距離を置くようになったんだよ」
「ほー。……まぁ」
思春期のガキだからなぁ。
まだ残っている反抗期の機微を察して距離を置いたとかそんなんじゃないか。
「挙句の果てに、毎日のように色んな奴をおれと会わせて来てさ。好みに合う者はおりますかな? とか」
「見合い相手を選ばされているのか?」
「老若男女問わず、だよ。あーでも爺さん婆さんは少なかったけど」
「ふむ」
高齢者を除去したプチお見合い。ただし男女問わずか。
それを従者が積極的にやらせてくるのは……。
「お前、かなり良い所のお坊ちゃんか?」
「いや? 中位貴族だぜ」
「兄妹姉弟は?」
「妹が二人いるな」
「家はお前が継ぐのか?」
「いや、妹が継ぐ」
「従者は高齢か?」
「ああ。かなり老いている」
……くだらん。
「何を試したかったのかは知らんが、そういうことはもう少し信頼関係を築いてからやれ。不快だ」
「えっ……おれ、なんか不快にさせること言ったか?」
「お前州君だろう。どうして青州にいるのか、なぜ私に接触して来たのか。しらばっくれるのはよせ、興が醒める」
「……。……へぇ! すごいな、聞いていた以上だ。どうしておれが州君だってわかったんだ? 輝術の気配か?」
「生憎平民だ。……普通に考えて、中位貴族なのに後継ぎが長男でない理由が分からん。その継承権を持たない長男坊に高齢の従者がついている理由も理解できん。そしてお前のさせられているお見合いは、次の付き人選びだろう。高齢となり、そろそろ限界が来ている付き人が、世話をしてやれる間に引継ぎを行おうとする。高齢者が少ないのは意味が無いからだ」
くだらん。
誰かを試すくらいならまず自己紹介をしろ。
「聞きしに勝る、とはこのことだ。うん。じゃあ、壁越しでごめんな! おれは
「州君が平民に頼み事か? けったいな話だな」
「憶測の情報しかない、という前提から真実を導き出す能力。今おれたちが一番欲しいものなんだ」
考える。
私の推理は緑涼君の言ったような素晴らしいものじゃない。普通に間違える。
断るべきだ。
「おれたちに協力してくれたら、青州が帝のいる州となれるような手助けをする。これはおれ個人の話じゃなく、緑州全体の総意だ」
「断る」
「……自分に自信が無いから、か?」
「第一に、青清君が帝となりたいという話を聞いたことが無い。それは私の益にはならない。第二に、ここは角部屋。お前のいる場所は医院の外だ。初手から己を偽る者と仕事をしたいとは思えない。第三に、この程度を求むるのであれば他に適任がいる。"その役割をするものは必要である"が、"そいつでなくてはならない"は本来通らない話だ」
何を以て私に接触しに来たのかは知らないが、私は今この街の事件で忙しいんだ。帰ってくれ。
「うーん、取り付く島もないか。……そうだな、この街で起きている事件。人の悪意。そういったものについて、おれが全部解決してやる。そうしたら話を聞いてくれるか?」
「ここは青州だ。お前が真の緑涼君であれそうでなかれ、他州でコトを起こすべきではなかろう」
「それは大丈夫。今のおれは流浪の旅人
「……酔狂に付き合う暇はない。他を当たれ」
「頼むよ。緑州は今、大変なことになっているんだ。君のその埒外の推理力と、そして幽鬼へ向ける全く別口の視線は、おれ達じゃ用意できないものなんだ」
だとしても、だな。
私へのメリットが無さすぎる。
これは。
「断る。これ以上は無い」
「……──なら、仕方がないな、うん」
──まぁ。
舐めていたのだろう。いつしか私は、己というものが、己の意思というものが尊重されるものだと勘違いしていた。
行動力とは──ああ、恐ろしいものであるのだと失念していた。
「眠っていてくれ。諸問題は全部片づけ
意識が、落ちる──。
心地よい風に頬を撫でられて、目を覚ます。ただし目は開かずに、手足を確認する。
……縛られている。元より包帯でどうにもならなかった手足だが、念入りに縛られているし、鎖も付けられている。鎖の根元に繋がっているものは板材。だけどただの板材の感触じゃない。恐らく固定の輝術が施されていると見た。輝術師の使う手としてはありきたりだが、この小娘には効果的だろう。
風の音と空気の薄さから、恐らく雲の上。空車にて拘束・輸送されているのだろうことは理解した。
──落ちろ。
何の前触れも無く、今のこの魂にできる最大範囲での威圧を行う。
空間に白い撓みが現れると同時、空飛ぶ馬車がそのバランスを大きく崩したのがわかった。
軋む。軋む軋む軋む。威圧されるのは生命だけではない。輝術も馬車そのものも、恐れ戦きてはひれ伏さんとする。それは次第に破壊へと繋がり、そうして。
「ほっほっほ……あの、やめてくれませぬかな」
「州君に言え。私というものを攫ったのだ、相応の代価を払え」
「うわ、参ったな……幽鬼と話せて、頭の巡りが良いって特別性だけじゃないのか。この威圧、もしかして歴戦の戦士か何かか?」
「遺憾だがな。──お前達が使おうとしているこの者は、我らの悲願。悪意を以て利用することが如何に愚かであるかを叩き込め」
破壊する。
排斥する。
この身体以外の全てを、威圧の効果範囲から全て除去する。
「っ!? なにを!?」
誰に喧嘩を売っている。誰を利用しようとしている。
この者を容易に御し得ると思ったら大間違いだ。
──何をしている、
「宿主様の危機と見てな。脱出した」
──莫迦者。本拠地についてから情報を抜いて、その後に、でもよかっただろうに。これほどの破壊、敵対宣言に等しかろう。
「何か不都合があるのか?」
──機ではない。……が、ありがとう。お前がやっていなかったら私がやっていたし、私がやっていた場合は腕の関節を外しての脱出だった。結果的に少ない被害であったのは良い事だ。
ほらな、と吐き捨てる。
宿主。依り代。祆蘭と名のついたこの肉体の持ち主は、類稀なる屈強な精神を有している。死の一際にあっても生を諦めず、死が向かい来るとしても受け入れ、叩きのめす。
素材として最上であるのは勿論のこと、在り方でいえば己を優に超える鬼子母神であると言える。
「返還する」
──いや、いい。長らく窮屈だっただろう。この先どうなるにせよ、お前のやり方でやってみるといい。
「……どういう心変わりだ。それなら私は、鬼を呼び寄せてこの身を穢れに浸すやもしれんぞ。そうして復活へ、だ」
──自分でやろうとも思っていないことを口にするな。お前達だけでは出られない。私の助けが無ければ世界の外には出られないのだろう? ならば、出来得る限りのことをしてみろよ、媧。お前の対人技能も見てみたいしな。
カラカラと笑う心の声。
邪悪なその声は……表出する気配が無い。できないのではなくやらないだけ。
思わずため息も出ようというものだ。
「奇矯な依代だ。……さて、そこの輝術師二人。そろそろこの身は地面に激突するが、守る気はあるのだろうな」
「まずはその強烈な剣気をしまってくれ。おれ達に君を傷つける意思はないんだ。……ああ、まずは着地をするけど」
ふわりと、不可視の力が身体を包む。
……ヒトの身であればこそだな。奥多徳であれば焼かれていただろう。
そのまま、点展と呼ばれていた老人もその力が包み込み、なんなく地面へと着陸した。
魂を染み込ませ、両手足を拘束する板を割る。
鎖はどうしようもないが、右腕についた板材を操って何度か割り砕き、短剣の形に整える。両手足に残った板を除去し、動きやすいように。
……馴染むな。
この肉体も、齢九つにしては鍛え上げられていて使いやすい。膂力や体格の面では大人には劣ろうが、素早さの面ではいくらか分がありそうだ。
故に、膝を折り、左腕を地につけ、右手で短剣を握る……四足の構えを取る。
研ぎ澄まされて行く感覚。風の音。呼吸の音。筋の一本一本が動く音。
妙な真似をしてみろ。
素っ首刎ねて、刹那の間に頭蓋を砕いてやる。
ヒトの身でできることならばなんだってやろう。またとない機会をこのような些事で潰してたまるか。
「参ったな、完全に臨戦態勢だ。点展、後ろに下がっていてくれ。どうにか落ち着かせてみるからさ」
「ご無理はなさらぬよう。どうにもこの気配、儂が若い頃に相手をしたことのある鬼と酷似しておりまする。名は確か──」
「
「ほ?」
懐かしい話だ。
一つ前の楽土より帰りし神子、來潤。その身を奪い、鬼子母神となった私の前に現れた、格闘を主体とする拳士。
抱拳礼をする時に、左掌に当てた右拳の拇指で、左手の食指と拇指の間の肉を挟む、という珍妙なクセを持っていた──当時の人間の中で、最強に位置した戦士。
単純な輝術の腕で言えば州君に勝らぬものの、戦闘という点では奴の右に出る者はいなかった。
「悲しきかな、時の流れとは。ヒトの一生は短すぎように」
「……若様。方針変更ですじゃ。お逃げなされ……儂らはどうやら、龍の尾を踏みつけた様子」
深く深く息を吐く。左手は地面を強く掴み、いつでも身体を射出できる状態にする。
怪我だらけの身体だ。あまり負荷はかけたくない。やるなら短期決戦で行く必要がある。
「もう一度言う! おれはお前に危害を加えるつもりはないんだ!」
「誘拐しておいて、何を今更」
「それについては謝る! ごめん! でもこうでもしないとついて来てくれなさそうだったから、ついやってしまった!」
だから、という言葉が終わる前に、踏み込む。
一歩、二歩。州君の眼球がこちらを追うよりも早く懐へ入り込み、その掌に不可視の力が集うのを過去のものとして、その首に木剣を叩き込む!!
……手応え無し。恐らくは点展の方に防がれた。
幾度かの回転を交えて離脱。
「若様、不意打ちは通じませぬ。ほほほ、相手は文字通り歴戦の戦士。己が上にいると思ってはいけませぬ。刹那の間に首を刎ね飛ばす鬼。それがあの少女ですじゃ」
「……どうすればいい? おれ、もうちょっとうまくいくものだと思ってて……。平民って貴族に召し上げられたら嬉しいものじゃないのか? ……ごめん、気に障った、どころじゃないんだよな、その顔……。あー、うー。……どう、どうしよう。ごめんな、おれ経験が浅くて」
「くだらん言い訳をするな、州君。人を攫った。それが悪事でなくてなんだと言う。その自覚さえないというのなら、愚君として歴史に名を刻め」
「……ごめん」
「何より」
大きく息を吐く。
斬る。
「っ──ぎゃ、ぁ!?」
「緑涼君!?」
「州君ですらないものにかける言葉など無い」
「……ほ!?」
割断する。縦横に斬ったソレから出てくるは、緑涼君とは似ても似つかぬ男。
外側だけを土塊で固めたナニカ。
──なんだ、わかっていたのか。つまらんな。
初めから気付いていた内なる声に若干の苛立ちを覚えつつ、その者を蹴り飛ばして泥を払う。
「お前は騙されていたのだ、点展。どこか……緑州から出るどこかで、一度緑涼君とお前が離れ離れになる時が無かったか?」
「……!」
「下らん話だが、救出劇と行こうか。しかし、耄碌したな。己が主も見抜けぬとは」
「……返す言葉も、ありませんじゃ」
ついでに思考を巡らせる。
今朝方現れた幽鬼は、恐らくこの者達の仲間だろう。州を跨いで「人工的に鬼を作る」実験を繰り返す者達。青州、赤州、黒州からは手を引いているものと考えられるところから、
となると、あの医院は睡蓮塔、及び混幇の末端である可能性が高いな。黄州にいたあの幽鬼と、歯の圧壊という珍妙な現象。顔は若いままで手足だけが老いている症状。
……若返りの天秤、か?
成程、"
「輝術師。ここから緑宮廷まではどれほどかかる?」
「そこまで多くは。この者は儂が運びますゆえ、
「この怪我が見えぬのか? 私も運べ。腐っても付き人だろう、お前」
「……ほっほっほ。かつて敵であったあなたに己を運べと命ざれるとは、長生きとはしてみるものですな」
気付いているな、確実に。
加えて些かばかりの敬意。ただ敵であった頃だけでない、あの時私達が何をしていたのかまで知っているか。
「野生動物や野盗は気にするな。全て近づけさせん」
「では、最速で。腰が折れてしまったら申し訳ありませぬ」
「そうなったら私特製の強壮剤を尻にぶちこんでやる。楽できると思うなよ、人間」
浮遊感を覚えながら、再度考える。
靄がかった思考。これは神代の記憶か。そこを未知数として代入し、逆算する。
大半の人間は俗物だ。故に"
だが、あの
つまるところ、人という肉体を持ちながら魂を鬼とすることがどういうことなのかを考えればいい。
そうなった場合、何が起きるのか。
仮に。
分離した霊魂が、再度──。
「っ、恐らくはあそこ……ぐ、これは……遮光鉱ですじゃ!」
「閉じ込められていることは間違いない、か。……施錠されているな」
小屋らしきもの。
不自然極まりない場所に建てられたそれには、遮光鉱がこれでもかと塗りたくられている。
「輝術師。竹を生成しろ。二本だ。片方の内径にもう片方の外径が収まるものを作れ」
「……儂では小さいものしか生成できませぬが」
「構わん。早くやれ」
手頃な壁。
そこに、輝術師の生成した竹を宛がう。
……おい、圧気発火装置とやらは、これだけでいいのだな。
──まー構わんが、燃え盛るほどの火が付くかというと微妙だぞ。
良い。
太い方の竹を小屋へと宛がい、掌底を細い方の竹に当てる。
そして……魂を込めた右手で、竹を押し込む!!
埒外の破裂音と共に弾け飛ぶ竹筒。それが地面に落ちる前に足でけって掬い上げ、めらりと火の残る筒を小屋へと押し付ける。
「燃えて穴が開かば、州君だ、どうにかするだろう」
「なんという力業。それに、今のはどういう仕組みで……」
「知らぬ。宿主に聞け」
──空気は圧縮されると高温になる。それを利用した発火装置だな。
なんだそれは。意味が分からぬ。
とかく、小屋に火が付く。
直後、その部分が外側へと吹き飛んだ。恐らく遮光鉱が剥がれ、その隙を見逃さなかった中の者が内側から破ったのだろう。
「──っぷはぁ!!」
と。声と共に……穴をこじ開けるようにして少年が出てくる。
彼は私を見るなり、一瞬猜疑の目をして、けれどすぐに笑いかけて来た。
「……いや。いやぁ! 助かった、ありがとうな見知らぬ嬢ちゃん! ……と、点展? 大丈夫だったか!?」
「ほほほ、緑涼君こそ……」
「何言ってんだよ! ちょっと目を離した隙におまえが誘拐されたって聞いて、おれはもう居ても立っても居られなくなって……お前を最後に見たって奴のところに来たら、遮光鉱ぶっかけられてこのざまだ。……はぁ~、よかったぁ。点展……いやほんと、怪我とか無いよな? 無理してないよな?」
子供だな。
演技で作られた子供とは違う。従者の様子に一喜一憂する子供。
「ほほほ……すみませぬ。儂は付き人失格ですじゃ」
「……何があったのかはあとで詳しく話してくれ。それより、この子は?」
「あなた様に成りすましていた輝術師。その命に従い……浚ってきた
「はぁ!? ……点展、それは……ダメだろ。仮に本当のおれがそれをしろ、って言っても止めろよ。……お前が後継者探しをしてるのはわかってるけど、そうか。判断能力まで……」
「そちらの事情はそちらで解決しろ。私を元居た場所へ返せ」
「っと! ああ、その通りだ。空車は……ダメになってるみたいだから、おれが運ぶよ。どこから来たんだ?」
「青州の枡刈という街だ」
「……点展。この件が終わったら、お前を付き人から外すよ。お前はもうだめだ。他州から子供を攫ってくるのは、倫理観の欠如が甚だしすぎる。おれはお前を付き人として見ることはできない」
「……弁明の言葉もありませぬ。甘んじてお受けいたしまする」
ふぅ。
まぁ、これで大丈夫だろう。今頃輝術師たちがこの身を探して血眼になっていることだろうし、頃合いを見て伝達を入れさせるべきか。
「待て、緑涼君」
「ん? あ、ごめん、また放置してしまった。大丈夫だからな、おれが責任を以てお前を送り届ける。今回は本当に」
「緑州で何かが起きているな。お前を嵌めた者も、お前に近しい者と見た。──噛ませろ」
口が勝手に動く。主導権を握ろうとしても、一切手出しができない。
あまりに強大。あまりに極大。
「だめだ。州の問題はその州が解決する。巻き込んでしまったこと、並びに無礼を働いたことなどの謝罪、賠償は行うけど、これ以上緑州の問題に首を突っ込ませるわけにはいかない」
「私は幽鬼と話すことができる、という特異性を見込まれてお前の偽物に誘拐された。あと、くだらん推理力も目当てでな」
「……幽鬼と、話す?」
「ああ、あまり口外してくれるなよ? 最高機密だ。……今緑州で起きている問題は幽鬼絡み。それも違法薬物に関係したもので、本人が生きているのに幽鬼が出る、という類の事件が起こっているはずだ。また、黒い輝術……輝夜術と呼ばれるそれが猛威をふるっている。あるいは遥か過去に起きた大霊害に匹敵することが起きている。──違うか?」
溜め息を吐きたくなる。そこの制御も奪われているから叶わないが、この女は本当に自重という言葉を知らぬらしい。
一見して何の関係もなさそうな事情。今まで見聞きした単語。その全てに無理矢理紐を通し、あたかも一連の事件であるかのように思わせるこじつけ。
何より恐ろしいのは──。
「……点展。この子……本当に攫って来ただけの女の子、か? ……少し、内情を知り過ぎているぞ」
正しい……正しくなること、だろう。
手頃な岩に座る。
左足を立てて左膝の上に右足を乗せて、右膝の上に右腕を頬杖として突く、などという……生前の私でもやらなかった荒くれものの恰好をして、未だ私の意識を薄闇の向こうへ追いやらない祆蘭がカラカラ笑う。
「改めて。私は祆蘭。青清君の子飼いで、平民だ」
「あ、ああ。おれは緑涼君と呼ばれている。まだ子供で、他の州と比べると経験に劣るけど、州君だ。こっちは付き人の点展。こちらこそ……改めて、部下が非礼を働いた。深く謝罪する」
「その謝罪は全ての片が付いてから受け取ろう。ああでも、心休まらないというのなら、そうだな。適当な鋸とトンカチ、錐をくれ。物質生成で」
「……? あーっと、わかった。それが謝罪となるなら」
ここに、世界一無駄な物質生成が行われる。
当然の困惑だ。輝術師を好むわけではないが、段々と可哀想になってくるというもの。
緑涼君。跳ねっけの多い髪を髪締で縛っている少年。成り済ましの者とは似ても似つかぬ誠実な性格であるようで、過去にいた緑涼君を思い出す良い州君であると言える。
古来より緑州はこういう誠実な者が多かった。腹に何かを抱えやすいのは黒州と黄州で、裏表があるわけではないが行動が突飛過ぎて理解されないのが赤州。時代によって強さや在り方に波があり過ぎるのが青州。そして盤古閉天から変わらないのが緑州だ。
私が現れた時に観測した者達だけだから、そうではない時のことは知らぬが……。
「それで……うん。やっぱりだめだ。嬢ちゃん、君がどれほど凄い人で、緑州の内情を知っているのだとしても……君は幼過ぎる。今緑州が直面しているのは子供に相手取れる奴らじゃなくてさ」
「混幇と睡蓮塔だろ? 一度相手にしたことがある。心配するな」
「だめだ。いいか? こういうものは、責任が発生するんだ。おれ達州君は政には関わらないけど、同時に州の守り人でもある。おれがこの歳でありながら緑州を守っているのは、おれが緑州に属し、緑州と共に育ち、緑州と運命を共にすると決めているからだ。嬢ちゃんはそうじゃないだろ? 君は青州の人間で、青清君の身内。本質的に緑州とは関係がない。責任の発生しようがない」
マトモである。
……今代の州君は誰も彼もが目も当てられないと思っていたが……この少年、まともだ。
恐らく先代の緑涼君が変人だったのだろう。そうでなければ釣り合いが取れん。
祆蘭は特例を経験し過ぎている。青宮城にいる時もそうだ。皆が皆この依代を頼るせいで感覚を麻痺させているが、この依代は齢九つ。
本来は庇護下にあるべき幼子であるし、進化できない世界であるとはいえ、そう言った部分の倫理観は備わっているはずだった。
確かに人を惹きつける才がある。確かに頼りたくなるような性格をしている。
けれど、この小さな双肩に乗せるにしては重すぎるものが乗っている。最近……特に才華競演とやらの前後から妙に精力的であるのが気になるところだが、この辺りで「個人にはどうにもならぬことがある」と鼻柱を折られた方が良いだろう。
上だけ見続けていても……いつか折れた時、立ち直れないからな。
「ならば問うがな、緑涼君。今回、明確に私が狙われた。お前に扮する者によって、だ。これの意味するところがわからぬお前でもあるまい」
「……緑州で悪事を企てる者達が、君を使おうとしている、か? ……だとしても、青清君のもとに返すべきだ。おれの手は小さいからな、緑州の民のことであれば死力を尽くすけど、他州の人間まで守ってやれるほど大きな男じゃない」
「誰が守れと言ったのだ莫迦者め。──
漏れ出でる剣気。無意識なのだろうそれは、周囲から虫や鼠を散らし、場に居る者に怖気を走らせる。
己が依り代でありながら──限りなく、初めから、鬼子母神に近しかった者。弧を描く口が見えるようだ。
「……囮、ってことを言いたいのか?」
「良いな。良いよお前。頭の回転が早い。今まで会って来た奴らの中でも最高峰だ。そうだ。お前に成りすまし、私を誘拐しようとしていた者がここで伸びている。だがそいつの仲間はそれを知らぬ。であればお前が私を捕らえて行けば、奴らの巣穴毎一網打尽にできる。そうだろう?」
「おれはそもそも君がこの件に関わってはいけない、という話をしているんだ」
「だから、私が狙われているのだ。当事者だぞ。それともなんだ、私を青州へ返した後、お前に成り済ました何者かがまた青州へと現れ、戦火の薪をばら撒いていくことを良しとするか?」
クツクツと。カラカラと。
邪悪を煮詰めたような笑い声をあげて、舐め腐った目で少年を見る。
挑発的で偽悪的。
けれど、わかることがある。
こいつは。
「……なんにせよ、まずは青清君と連絡を取る。話はそれからだ」
「好きにしろ。だが、素晴らしくあれよ、若き州君。道化に数えられぬようにな」
こいつは──善悪は判らぬが、帝だ。
人の上に立つ者だ。
こいつになら、私も……。