女帝からは逃げないと。 作:霧江牡丹
医院。簡単に言えば病院だけど、総合病院の意味はあまり有していない。外科医多めで病床多めな、戦地病院みたいな感じだ。
内科系は薬でどうにかするのが一般なので、医院には来ないらしい。
それで医院なう。
全身への裂傷。皮膚だけでなく内臓にまで入った傷は私の想像の何万倍か上であり、出血も夥しいらしくて即入院の次第となった。
一応お約束の「私は平民なのですが」を振り翳したら、医院の人の「怪我人に平民も貴族も関係あるかァ!!」というあまりにも眩しいお言葉に蒸発し、ちゃんと入院している次第となる。太陽光ォォオ!!
暇である。が、腕にこれでもかと包帯が巻かれているので工作もできない。なお骨折やらなにやらは無く、単純に切り傷が多めで止血のための包帯である。これを受けて手先が不器用になるとかはない。
「全治何日と言いましたか」
「あぁ? んなもん完治するまでだよ!」
「いやだから」
「い・い・か・ら! ガキは大人しく治るの待っとけ!!」
医師の人も
久しぶりだった。私より口の悪い人に会うのは。笑い声もげらげら笑いなので、恰好が格好なら山賊と間違われても仕方がないほどだ。
「ああそうだ、一個聞いとかなきゃならねぇんだった」
「なんでしょうか」
「お前を連れて来た二人。ねーちゃん二人な。……お前、あの二人から虐待を受けてる、ってわけじゃねえんだよな?」
「それは勿論」
「……本当だな? あの二人が怖くて言い出せねえとかじゃねぇな?」
「大事な友人ですから。それ以上悪く言うのなら、受けた恩を仇で返すことも辞しませんよ」
「ん、ならいい。友達を悪く言ってすまなかったな」
……パーヒャク善人。
いるんだなーやっぱりこういう人も。最近割と人間の悪意を見がちだったからアレだけど、探せばいるんだよこういう人はさ。
「いいか、嬢ちゃん。俺達はお前を絶対治す。ぜーったいだ。治るまではぜーったい面倒を見る。たとえ青清君が引き取りたいと言って来ても動かさん」
「なぜ青清君が出てくるのかはわかりませんが、ありがとうございます。ただ……なぜそこまで?」
「過去の失敗から学んだんだよ。……ガキに話す話でもねぇ。さ、とっとと横になって養生しな」
ふむ。
文脈から察するに、看護ミスで誰か死なせてしまったか、あるいは医療ミスの類かな。
なんにせよそこから学んで失敗を糧に成長している、というのは素晴らしいことだ。
語気の荒い医師は、どすどすと足音を立てながら病室を出ていく。
彼が出て行ってからほどなくして、二人が来た。
「祆蘭、ようやく会えた」
「大丈夫かい?」
「ああ。痛みはほぼないのだが、出血が中々止まらんらしくてな。傷が完全にふさがるまではこのままだそうだ」
「そっか」
「……その、空気が読めていないことを理解した上で言うけど……今回はボクのせいじゃないよね? ボクに責任追及とか来ないよね?」
「お前がいれば百人力なんじゃなかったのか?」
「いや! あー、う……。まず君が前へ行くのがおかしくて……いや……でも確かに、ボクが真っ先に前へ行けばよかったというのは……」
「冗談だ冗談。……今回のは確実に私が悪い。ついつい楽しくなってしまってな、目の前が死地であるとわかっていながら足が止まらなかった。ま、唐突なことではあったが、言いたいことは言えた。満足だよ」
私の憤り。
鬼の酷。それがこれだ。
外を目指して死を受け入れた者達は、けれど外に出ることができない。
その手法は己の意思を閉じ込めるための手段でしかないのだから、なんて。
いい加減にしろよ、穢れの意思とやら。
そろそろ本気でぶち殺すぞ。
「しかし……君は、戦闘訓練の類は受けたことがないんだよね?」
「なんだ急に。そしてそんなもの受けたことがあるはずがないだろう」
「さっきの鬼の攻撃といい、ボクからの衝撃波といい、君は致命傷を全て避け切っていた。防いだり往なしたり、躱したり、ね。致命傷ではないものは完全に無視して受け入れて、その繰り返しであの鬼へと近づいた。……歴戦の勇士でもそこまで傷の損得勘定を瞬間的に判断することは難しいし、戦闘訓練を受けていないのであれば、戦士としての天賦とも言える才が備わっているとしか思えない」
「死ぬ攻撃かそうでない攻撃かくらいはわかるだろう。こちとら一度死んでいるのだ、そこへの嗅覚は鋭いぞ」
「へ? ……一度死んでいる、というのは?」
「そのままの意味だ。私は一度死んだ。……ん? ああ、お前には話していないのだったか? 私が楽土より帰りし神子だ、というのは」
瞬間、膝を折って……地面へと丸まるように、頭を深く深く下げる黒根君。
既視感。
「はいはい全発言全行動を許可するよ」
「……数々の御無礼を」
「今までの私を見て来て、敬う必要はないとなぜわからないんだ。楽土より帰りし神子はそこまでの信仰対象なのか? お前に至っては同じ神子だろうに」
「祆蘭、それは違う。楽土より帰りし神子と神子では役割も在り方も全く違う。青清君や黒根君ら神子は、どこまで行っても他と隔絶した輝術の力量を有す人間、でしかない。対して楽土より帰りし神子は……悪い言い方をするなら、別の生き物、になる。楽土から帰ってくる者はいない。墓祭りはそのためのものだけど、真実死した者達が楽土より帰ることはあり得ないと皆わかっている。だけど、その体現者であり、奇跡の実例であるのが楽土より帰りし神子。あなたがここにいることが何よりもの希望になる。死とは終わりではなく、通過点の一つに過ぎないのだという信仰の」
「……偶像崇拝における偶像の扱いなのか。成程なぁ」
──正確に言うならば、偶像崇拝における崇拝の扱いだ。崇拝する行為そのものの実体化。楽土や死を祀り上げる輝術師にとって、楽土より帰りし神子は楽土の存在証明を行う証拠であるのだから。
「で、全行動を許可したのになぜ這い付くばったままなんだ」
「礼を、欠き過ぎました」
「なら命令してもいいか」
「なんなりと」
「青州にはない、黒州にしかない料理を食べたい。前に城へ行った時は、こちらの舌に合う食事を出してくれただろう? だが、黒州には黒州特有の食事なんかがあるんじゃないのか」
「……ありますが、少々癖の強いもので」
「良いから」
「わかりました。──すぐに食材を持って参ります」
消える黒根君。
病院の廊下は走るなよ。
「しくったかな、これ。流石に今の黒根君より男装の麗人風黒根君の方が良いんだけど」
「信仰の篤さは個人差があるから、何とも言えない。なんで男装の麗人じゃなくて男装の麗人風なの?」
「中身が伴っていないから」
「理解」
ミスったなー。
知っているものだとばかり。口は禍の元だねぇ、まったく。
そうして、帰って来た黒根君による料理が始まった。
病室で調理ってどうなのって思うそこのあなた。
輝術って便利ね……。
「で、それはなんだ」
「はい、これは……じゃない、ええと。そう……これは、
鴿子。つまり、鳩だ。
平和の象徴になんてことを、と思うかもしれないけど、この世界じゃ鳩は別に何の象徴でもないので関係ない。
香ってくるのは香辛料の匂い。唾液の出る匂いだ。
「少なくとも青州では見たことのない料理。あとで作り方を共有してほしい」
「ああ、構わないよ。といっても作り方自体は簡単でね。香辛料、米、肝臓を炒めて鳩に詰めてこんがり焼くだけ。こっちにあるのは
「味の好みは無い。好きにやってくれ」
「腕によりをかけるよ」
黒州。前は観光どころではなかったから琴のことも調べられなかったけど、やっぱりあるんだろうか、あそこには。
あと、香辛料をこれでもかと使っている辺り、木に秀でるだけあって香辛料パラダイスなのだろうか。
……幽鬼とか鬼とかなければ、普通に行きたいんだよな黒州。
「お?」
ぽふ、と。
起こしていた上体が勝手に倒れた。
「祆蘭?」
「……すまん、眠るらしい。まだ血が足りていないようだ」
「そうか。大丈夫、料理は固定しておくから、ゆっくり休んでくれ」
「すまんな……おやすみ」
珍しく気絶で「おやすみ」を言えて。
私の意識は、暗転した。
溜め息を吐く。
「なんだ、突然。良い機会だったじゃないか、桃湯に成果を見せたも同然だろう」
「だから落ち込んでいるのだ。あんな……あんなお誂え向きな場を用意されて、予定調和に事が運んで。……私だって平民の血を身に宿しているわけだから、何かの力が働いていたっておかしくはない」
「私の言葉の信用度にも依るだろうが、それは無いと言い切ろう。お前の周囲に働きかけることはできても、お前に働きかけることはできないだろうよ」
「どんな根拠のある言葉だそれは」
「お前に働きかけられるのならば、私がお前を乗っ取ることができているはずだ。私とて穢れの尖兵なのだから」
確かに。
……説得力があるな。
「ただ、学ばないというのは事実だ。確かお前は……るーぷ、と言っていたか。繰り返し続ける世界のことを」
「ああ」
「それは実際にある。お前という渦の中心を軸に、周囲の事象は回転を続けている。どこかで外部からの衝撃を与えない限りでは、それが解除されることはない。此度はかもしれない程度の気付きで終わったが、いずれ無視できないほどに事象が繰り返すようになるだろう」
「玻璃の言っていた、私が来なければ動かなかった事件、というのは?」
「同じだ。この世を水槽だとでも思えばいい。波一つ立つことのない水槽は、一見して永遠だ。水面下で何が起こっていようとも"水槽"という一括りで処理される。だが、お前という渦の体現が入ることで、水面下にあったあらゆるものが浮き彫りになる。けれどそれはやはり水槽内での出来事。お前という渦の力を以てしても、水槽の外に出ることは敵わない」
巨大な水槽。あるいはこの天染峰というものが、か。
海底も天空も、輝術を阻害する帯域が存在する。この二つを以てこの世界は閉じられ、中のものは出られなくなっている。
「光閉峰は、壊せないのか」
「ああ。触れるまでならともかく、破壊せんとすると輝術も穢れも意味をなさなくなる。……今思えば、平民の血……同一因子が阻害していた可能性もあるな。無意識のうちに出力を搾っていた。その可能性はある」
「問う。輝術の使えなくなる帯域は、けれど輝術を弾いているわけじゃない。そうだな?」
「……そうだな。使えなくなる……だけだ」
「遮光鉱に宿るチャオチャンディツンザイと穢れの主は別存在なのだろう?」
「そうだ。良くは覚えていないが、チャオチャンディツンザイは私達が閉じ込められるときに、ついでに巻き込まれた種族。奴らは奴らで何か穢れの主と約定を交わしている。いつか天へと還る者。その名は偽りではない」
「成程、帰還を約束されているから非協力的なのか。遮光鉱と穢れは、特に相性関係はないのだな」
「無いな。穢れは輝術に駆逐され、輝術は遮光鉱に脅かされるが、穢れと遮光鉱に関連性はない」
「そう聞くと……穢れが最下位であるように聞こえる」
「実際、そうだった。そうだったからこそ穢れの主らは一念発起し、私達をこの狭い世界に閉じ込め、繁栄を我が物にした、のだろう。その頃の記憶は剥奪されているから、ほとんど推測になるが」
穢れの主。それがただただ悪意ある存在である、ってわけでもないのか。
穢れと輝術と遮光鉱。この三存在にはそれぞれの思惑があるのだろうな。
ふと。
空を見上げた。燦燦と太陽光を降り注がせる天体。
ここが私の心象風景なれば、あれは紛う方なき太陽だ。
「投影ではなく……巨大な透鏡、か?」
「……いつも唐突ではあるが、今回は心の中で考えている時間さえなかったな。なんだ、いきなり」
「いや……もしあの月が硝子玉ではなく
情報が雨のように落ちて来る。
ここは私の心象風景。故にこそなんの干渉も受けない。普段は制限されていることまで考えつく。私にもしっかりと流れている平民の血の届かぬところ。
世界の成り立ちがそうなのだとしたら、ああいう分布ができるのがまずおかしい。
通説。御伽噺。耳心地の良いはじまり唄は、けれど誰が作った。魂が剥離することで忘れられてしまうような世界で、誰が根付かせた。
鬼。幽鬼。曲がりなりにも天才であるはずの
黄州全域を精査できるのなら、居所を見つけることくらい余裕なはず。
であれば、ならば。
「おい、うるさいぞ。前にも言ったが、その濁流をやめろ」
「黙れ、慣れろ。お前が私との共生を選ぶというのなら、お前もこれくらいの急流を泳げるようになれ」
「横暴な……」
笈溌の目的は、なんだ。
そうだ。あれの目的は何だ。"
考えられない。あれは不快な奴だが、頭の回る奴だ。損得勘定を、リスクヘッジのなんたるかを理解している。長寿であることに価値を見出すタイプじゃない。
であればなんだ。人工的に人を鬼とする実験。その果てにあるものはなんだ。
理性を介すな。
直感に言葉を手繰らせろ。
「──人と、鬼の、融合」
「おぞましい言葉を口にするものだ。そんなことをすれば、桃湯たちはお前を認めるどころか決別するぞ」
「真実に近い。気付いている。だから、笈溌は……対策を練った。世界から出るために」
輝術であり穢れであるものならば。
世界の檻を打ち砕くことができるのではないか、と。そのための実験か。そのための犠牲か。そこに辿り着くための──。
ふと。
腰に佩いていた鋸を抜く。現実世界ではないのに、しっかりと握った時の感触が返ってくる。
して、全開とする。
「!?」
悲鳴。悲鳴だ。
ナニカが悲鳴を上げている。
「お前が、世界。お前が、時間。お前が、未来」
──返せ。
「祆蘭、おはよう」
「ん。……ああ、すまん、どれほど寝ていた?」
「丸一日。昨日黒根君が作った料理があるけれど、食べられそう?」
「ああ。だが手がこれだからな。食べさせてくれ」
「うん」
祭唄にあーんされながら、ハトのグリル焼きを食べる。確かに独特なクセがあるけど、んまい。
……今更になって熱を持つ傷口。
やっぱり……治りが遅い。青宮城にどんな効果があるのかは知らないけど、久方ぶりに普通の治癒速度を覚える。
「それと、病室の外にいる奴。入ってきていいぞ」
「え?」
「……来る気はなかったのよ。迷惑をかけるだけだから」
「だが来たのだろう。別に負い目を覚える必要はないと思うがな、お前の気が済まぬのなら好きにすると良い」
戸が開く。
そこにいたのは、赤い反物の女性。……非常に申し訳なさそうな顔をした、桃湯。
「何をしに来たの」
「だから……その、何かをしに来たわけじゃないの。ただ気になって覗いたら、想像以上に重傷で……。私の音を正面から受けたのだから、そうなることくらいは想定できていたのだけど……その……なんだか、その」
「罪悪感が芽生えたか」
「……そうみたい」
「ふん、愛い奴め。……そうだな、気になるなら、何か心の和らぐような、傷の痛みの引くような音楽を聞かせてくれ。この病室だけに音を響かせることくらいできるだろう?」
「祆蘭、それは流石に危ない」
「ちょっと、そんなに信用ないの? まぁ鬼だから警戒されるのは慣れっこだけど、ことこの状況になってまで寝首を掻く、なんてことしないわ。……何か、弾いてほしい曲はある?」
「前も言ったが曲なぞ知らん。ああでも『夕狐の蹴鞠唄』以外が良い。他の曲も聞きたい」
「そう。……そうね、傷を癒すような曲……」
ヒーリングミュージックって概念、無いのかな。
傷をつける音があるなら傷を癒す音だって……ああ、輝術でも治癒はできないんだったか。でも和らげるものくらい。
「……。祭唄、お願いがあるのだけど」
「なに」
「防音輝術を張ってほしいのよ。私でも結界は張れるけど、穢れを用いることになるから……怪我人を穢れで包むのは避けたいでしょう?」
「わかった。……張った」
「ええ、ありがとう」
して。
弓が弾かれ始める。優しい音色だ。静かな音色。
それだけではなく……桃湯は口を開いて、そこからたおやかな言葉を紡ぎ始めた。
滴る雨に 積もる雪に 移ろう雲に
──
夢の在り処を託して探す
──
どうぞ 思うまま 思うがままに
──
流れゆく時の故里へ
──
開く花に 伸びる草に 重なる枝に
──
夢の在り処を残して解く
──
どうぞ 信ずる こころのままに
──
紡がれゆく時の種実へ
──
揺る柳に 広がる薫に 響く嵐に
──
夢の在り処を飛ばして届ける
──
どうぞ 奏でる 赴くままに
──
彷徨いゆく時の源流へ
──
迸る灯に 煌めく灼に 轟く劫に
──
夢の在り処を燃やして飛ばす
──
どうぞ 抗い 見果てぬままに
──
刻まれゆく時の無間へ
──
去ぬ富に 衰えぬ栄に 達す繁に
──
夢の在り処を見据えて零す
──
どうぞ 裁けぬ 罪なきままに
──
終わり行く時の悠遠へ
──
そうして、歌と弓の演奏が終わる。
曲調は子守唄か鎮魂歌に近いもので、歌詞の内容は多分、天染峰に関する全て。
「良い曲だった。知らない曲」
「あら、そうなの? ……もう忘れられてしまったのね。少し前にはあんなに流行ったのに」
「何年前の話だ、それ」
「
二千年前じゃないか。
忘れられる現象が無くても忘れられているだろそれは流石に。……というか少し前って……時間感覚おかしくなっているよ。
「それで、どうかしら。少しは癒された?」
「ああ。音楽を聴いている間はそちらに集中できるからな。ありがたいよ」
「それならよかった。……元気そうだし、私はそろそろ行くわ。今回のことは、ごめんなさい。予期できるものかどうかは怪しいけれど、次は己を律せるよう頑張るから」
「何度でも暴走しろ。そのたびに額をぶつけて目を覚まさせてやる。お前の音程度では私を殺すことなどできないのだと何度も教え込ませてやるさ」
「ええ……そうね。私達のお姫様は、想像以上に強い人間だった。……あの方によろしくお願いするわ。じゃあ」
して。
防音輝術を爪で破り、出ていく桃湯。
本当に見舞いに来ただけとは恐れ入る。マメな奴だよ、本当に。
「祆蘭、音楽好きなの?」
「なんだ突然」
「今の曲を聞いている時の祆蘭、凄く穏やかな顔をしていた。……私も何か弾けるようになる」
「別に好きというほどではないが、単純に心地よいだろう。才華競演で見た華美な音楽も良いが、ああいうバラード……といっても伝わらんか。しっとりした感じの曲は久しいからな。浸ってみただけだよ」
「弦楽器は無理だけど、笛なら吹ける。それじゃダメ?」
「ダメとかはないさ。今度聞かせてくれ。楽しみだ」
「わかった」
多才だなぁ本当に。
……うう。
「なぜ帰ったんだあいつ。まだまだ暇なんだが」
「それは多分ボクが帰って来たからじゃないかなぁ。知己であるとはいえ、州君だからねボクは」
「ん」
帰って来た。
……どこかへ行っていたのか。素で忘れていたわ。
「ボクの手料理、どうだった?」
「美味かった。お前案外家庭的なのな」
「料理を作ると家庭的なのかい? だとしたら輝術師は皆家庭的だね」
ああ、そうか。
全員作れるんだった。いやでもするしないもあるし、面倒に思うか思わないかとか、レシピ知ってたってその通りにやるかやらないかとかあるじゃん。
「で、どこへ行っていたんだお前」
「入院中、暇だろうと思ってね。この街……
「いや別に」
「……。え、でも幽鬼の事件をたくさん解決しているって」
「成り行きだし巻き込まれだし。好んで幽鬼絡みの事件に首を突っ込んでいるわけじゃない」
言えば。
目に見えて……しょんぼりする黒根君。
……もー。
「わかったわかった。とりあえず聞かせろ。文字は読めんからな、概要だけ聞く」
「そうこなくっちゃ! じゃあまず、夜な夜な行われる乱痴気騒ぎの怪! この街ではこの情報がこれでもかとあってね。曰く、どこかの建物の地下で毎夜のように大勢の男女が交わう騒ぎが起きるそうだ。……おや? 祭唄、なんだいそのゴミを見るような目は」
「祆蘭は、九歳。忘れていない?」
「でも君、先日の女子会で大人の接吻をしていたじゃないか。舌を入れて、それを隠れ蓑に小祆のお腹をまさぐって」
「!?」
「ああそんなことされていたのか。接吻が激しすぎて気付かなかった」
「
「……今、上限情報を送ったのに、一切妨害できなかった。流石は州君」
「ふふん、常日頃から凛凛の上限情報で慣れているからね」
で。
えー、なに?
夜にそれをヤるのが……どう怪奇現象なの?
「興味があるという顔だから続けよう。なんでもこの乱痴気騒ぎに参加すると、どれほどお堅い人物でも狂ったように異性を求めるというんだ。場に何かが仕掛けられているのか、あるいは輝術か、幽鬼か。気になるだろう?」
「どうせ精神に作用する系統の薬物が使われているだけだろう。何かないか? その乱痴気騒ぎの後、全身が痛くなっているとか、幻覚を見るとか」
「おお。まさにそっちが面白い話だったんだよ。その乱痴気騒ぎに参加した者は、数日後必ず幽鬼を見る。また、幽鬼に連れ去られるような感覚を覚えるらしい。起きている時は身体が痛み、連れ去られようとする時はその痛みから解放されるものだから、踏みとどまれなかった者も多数いるとか」
……。
強い幻覚症状に全身痛、幽鬼に連れ去られるような感覚。
そして乱痴気騒ぎ。
「
「茛菪っていうと……麻酔に使うアレかい?」
「ああ。あれは処理をしないで食うと、今お前が言ったような症状が出る」
茛菪。別名ヒヨス。地球でも媚薬に数えられていた植物だ。まぁ実際は副作用の方が大きすぎて催淫効果なんか薬にもしたくない程だったらしいけど。
「通説にはなるが、ヤギの乳と蜂蜜入りの水を飲んで、松の実を甘めの葡萄酒と共に飲めば解毒できる、とか。……医学に真っ向から喧嘩を売るような話だから、治療は医院に任せりゃいいさ。茛菪を輝術で除去できるならそれが一番だしな」
「……うーん。いやぁ、でも」
「患者が望まない。ああいや、そもそも患者ですらないのか」
「そうだね。この乱痴気騒ぎの参加者たちは、日中は痛む躯に鞭を打って働き、夜はそれに興じる、ということをしている。茛菪が違法な薬物に指定されていないから、取り締まることもできない。でもまぁここ一応青州だし、青清君か進史に言えば動いてくれそうなものではあるけれど」
「私達の気にする話でもないな」
「だねー」
……面白い面白くない以前に、やっぱり倫理観が、その。
祭唄も言ってたけど、九歳に大人の乱交パーティーについて教えるのってどうなの……?
「しかし、凄いね小祆は。よくそんなことを知っているものだよ」
「まー、土いじりは一時趣味にしていたからなぁ」
一人暮らしのおばさんのやることって、仕事か小物づくりかガーデニングくらいしかないんだよね。
友人には「おばさん通り越して老婆だろ」って言われたけど。そういうあいつは超アウトドア派で、山登ったりスカイダイビングしたりスキューバダイビングしたり……人生エンジョイ勢だったなぁ。
ま、空に住んだことはあるまいて。
私の勝ち!
「それと、まぁ、興味があるかないかで言えばあるぞ」
「へ?」
「大人の乱痴気騒ぎ。お前も黒犀城でしているのだろう」
「祆蘭、だめ。穢れる」
「鬼扱いは酷くないかな!?」
「実際どうするんだ、女同士って」
下世話な話だけど、この時代にはプラスチックが無い。樹脂がない。
だから大人の玩具の定番とも言えるものたちが一切ないのだ。その状態でのめくるめく百合の世界って、乱痴気騒ぎになるに至れるのだろうか。
静かに終わりそう。
「ふむ。教えてあげるのは吝かではないけれど……そうだね。祭唄、今から幾つかの情報を君に送るから、小祆に教えても良いものだけを返してくれ」
「祭唄で検閲するのか。……でも祭唄って別に経験豊富なわけじゃないから」
彼女は……眉を顰め、口を「イーッ」とし、鼻をひくつかせて……とても嫌そうな顔をする。
「知らない女の、裸とか……秘所とか……見たくないんだけど」
「まだまだ序の口だよ。ここからどんどん倒錯的になっていくから」
「拒否する」
「だめ~♪」
……うむ。
頑張れ祭唄。負けるな祭唄。
お前の戦いはこれからだ!!