女帝からは逃げないと。   作:霧江牡丹

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第五十五話「操り人形」

 私が勝手に夏季と呼んでいる季節……日照時間の長い季節の中でも、最も長いといえる季節がやってきた。

 ここから二()月程の間はゲリラ豪雨と強い日照りに備える必要がある……のだけど、青宮城には一切関係がない。

 適温。……だから、暑がる概念もない。

 

 そう思っていたのだけど。

 

「……青宮廷は、それなりに暑いのだな」

「青宮城では室温が固定されているのでしたか? それは確かに過ごしやすいかもしれませんが、時の変わり目を忘れてしまいそうですね」

 

 なんだか久しぶりに感じる雨妃(ユーヒ)。ここは内廷、外部にある(チン)

 雲妃(ユンヒ)の件から疎遠になっていた……なんてことはなく、最近は黄州に行っていたことなどが重なって来ることができていなかっただけだ。

 相変わらず仲は良いという自負がある。

 

「ああ、そうだ雨妃。ここに孫方(スンファン)という宮女はいるか?」

「孫方なら、私の宮女ですよ。呼び出しましょうか?」

「いや、友の姉がどこで働いているかを聞いたら、その名と内廷の名が挙がったのでな。多少気になっただけだ」

「あらあら。世間は狭いですね」

「本当にな」

 

 時の変わり目で言うなら、内廷だってそう変わらない。

 確かに気温は上下するだろうけど、ここはずっと……本来であれば、何も変わらない場所。一年間は少なくとも変わらないはずだった場所。

 

 ……私が言えた事ではないけれど。

 雲妃の宮女……包命(バオミン)らは、今どうしているのか。

 

「なぁ、雨妃。聞いても……どうにもならんことを、聞いても良いか」

「私が妃でいたいかどうか、ですか?」

 

 思わず、無意識に俯いていた顔を上げてしまった。

 美しい笑み。

 

「……すまん」

「なぜ謝るのですか? むしろ……あなたにそうも気を遣わせてしまったこと、私の感情が透けてしまったことをこちらが謝るべきでしょう」

「聞いてもどうにもならんし、聞くべきことではなかった。が……気になったことを放置しておいて、痛い目を見ることが多かったものでな。……その、なんだ。望まぬ子を孕むのは……あー……その」

夕燕(シーイェン)から、彼女の妹との文を通して、知りました。私の妹の供養をしてくれたそうですね」

「ああ、まぁ……」

「子供というもの。あるいは命というものについて……あなたは、何か確固たるものを有しているように見えます。だからこそ、望まぬ妃の立場は、あなたの価値観に迎合するものではない……でしょうか?」

 

 鋭い。

 ……ああ、そうだ。私は「不都合」の子供だったから、敏感なんだその辺。

 

「家の都合とかか。貴族の事情はよくわからんが」

「そうですね。私の家は高位貴族で、生まれた時点で妃となることもほぼ確定しているようなものでした。……他の州がどうかは知りませんが、青州の三妃はそれぞれ役割が異なります。雪妃(セツヒ)は積もるもの。積み上げられた歴史が彼女をそうであらんとする。ですから、雪妃の家系は数多くの娘を帝の妃としてきました。逆に雲妃となる者は移ろい行くもの。此度の雲妃がそうであったように、幼い貴族から美しい者が選出され、妃として育てられます。そして私、雨妃は」

 

 彼女はそこで一度言葉を置く。

 再度その口が開かれた時……その顔を、能面のようだ、と感じた。

 

「等しく降り注ぐもの。普遍であることの求められる……個や我を見せてはいけない妃です。……どのような時代を見ても、青州には必ず一人、私のような妃がいました。この言葉繰りも、あなたに見せている私という人格も、性格も。……全て、"雨妃であれ"と願われた姿です」

「……なんだそれは」

「ふふ、怒ってくださるのですね。……ええ、小祆。あなたの言う通り、貴族とはよくわからないものです。煌びやかなものは虚飾。華やかであるものは虚像。しがらみと矜持と規則に縛り付けられ、身動ぎさえもままならないもの。そういう世界にいると、妹が流れてしまったことも……何か、誰かの策謀なのではないかとさえ思えてきます」

 

 "雨妃であれ"とされた存在。

 自我も個性も消さなければならなかった……「天然で優しくて、思慮深い女性」という偶像を押し付けられた女性。

 

 ああ、けれど。……ああ。やはり聞いてもどうにもならないことは、聞かない方が良い。

 どうにもできない。私から何かを働きかけることはできない。貴族のしがらみにまで手を出せる立場にないし、たとえあったとしても……これは外部から働きかけるには、話が込み合い過ぎている。

 

「あなたの言う通り、私は雨妃というものが嫌いでした。己を作ってはならない人生を好めるものは少ないでしょうが、とりわけ嫌いだったのです。でも、嫌いで嫌いで仕方がなかった雨妃という立場も、あなたに出会えたことで多少は見直せました。……あなたには……重い言葉となることはわかっていますが、"はい"、です。……望まぬ子どもを授かることも、産むことも。望ましい結果とは言えません」

「どうにもならんのか。責を放り出すくらい、人に許された行為であると思うのだがな」

「では、考えてみましょう。私が逃げ出したらどうなってしまうのか」

 

 手を合わせて、笑顔を浮かべて。

 雨妃はそれを話す。まるで、何度も何度も思い浮かべたことであるかのように。

 

「まず──私は、処刑でしょうね。妃とは責任あるもの。どこへ逃げようと必ず手が追い縋ります。その後は青州が帝の恩寵に与れなくなって、雪妃も見放されるでしょう。ただでさえ雲妃の件で信の揺らいでいる現状ですから、私か雪妃の行動一つでこれから十数年の青州の命運が決まります。……青州に全てを背負わせて、私は楽土で楽になる、なんて……できませんよ」

 

 微笑みと共に諦観を吐く彼女に。

 魔が差した。

 

「仮に……仮にだ、雨妃」

 

 仮に。

 もし。

 

「青州が帝のいる州になったら……お前達妃はどうなる?」

「それが最良の結果でしょうね。私達はそのまま妃として一生を終えますが、帝と契りを結ぶことはなくなります。妃を遺す理由は、黄州にも妃がいるように、なんらかの事故で帝が損なわれた場合などに備えるためです。また他州へ帝が移って……そうなった時、青州には妃がいない、となると困りますから。……ただそれは、あまりに望み薄でしょう。青清君は権力に興味がない、というのは有名な話です」

 

 ……まただ。

 また、「鈴李(リンリー)が帝になってくれた方が好ましい」ような流れになっている。

 それでいいのか。そんな打算で彼女の背を押して……私は良いと、本気で?

 

 今のところ、鈴李が帝となるデメリットが見当たらない。

 私が拘束されることくらいだけど、それは度外視していい。

 逆に何をそんなに拒んでいる。私はなぜ、彼女が帝となることを……危険視している?

 

「小祆が帝となってくれたら、嫁ぐことも吝かではないのですが」

「いきなり何を言っているんだお前は……」

「勿論冗談ですが、どうですか? あなたが帝となり、妻か夫を召し取らなければならなくなったとして……私、結構魅力的な自覚があるのですが」

「もしそうなったらお前にはその殻を脱げと命令するよ。本当のお前を見せろとな。無ければそこから作る」

「……小祆色に染められてしまう、ということですか?」

「頬を赤らめるな。……案外演技派だなお前」

「演技ができないのは雪妃くらいですよ。あの歴史ある家系で、あそこまで純粋に育ったのは奇跡でしょう」

 

 確かに。

 最初に感じた通りだったわけだ。

 ただただプライドが高いだけの、普通の人。それが雪妃。

 

「あるいは彼女も何かを隠し持っているかも……しれませんね?」

「無いだろう。そういう隠し事なら腹黒宮女が気付く」

「……それは夕燕のことですか」

「ああ、すまん。いつも心の中で呼んでいた呼称が漏れた」

「優しい子ですよ、あの子は。確かに少しばかり……考えすぎるきらいはありますが」

「大丈夫、わかっているさ。あの三姉妹が大体そうであるのは知っている」

 

 夜雀さん、夕燕、朝烏(チャオウー)さん。

 最下級貴族でありながら、善性の塊のような三人だからな。

 

 ……祭唄の家族には嫌な偏見しかないけれど、夜雀さんの家族には会ってみたいと思うのは……まぁ、余計な話かね。

 

「脈絡のない、というか話を戻すのだが」

「ええ、構いませんよ」

「暑くないのか、その服」

「輝術は便利ですよ」

 

 ああ、そういう……。

 ……夏場に着物はきつそう、とか思ってたけど……そっか、輝術師ってそういうこともできるのか。

 青宮城のように施設単位で室温を固定しているのではなく、自分を、ね。

 

「ただ……雨霜宮(ユーシュァンキュ)の中では、私もあられもない姿をしているかもしれませんね?」

「男に仄めかすのならともかく、私にそんなことを言われてもな」

「あら? 小祆は女の子が好きなのだとばかり思っていましたが、違うのですか?」

「愛恋には興味がない。視野を狭めるからな。……酒と同じだよ、愛恋なんて。……ああ、すまん。自由の無いお前の前で謳う話でもないか」

「そこまで敏感なわけではありませんよ。しかし、そうですか。小祆が女性好きであれば、あなたが帝になった未来に望みが繋がるかも、と思ったのですが……」

「まだ言っているのかそれ。……まぁ、そうだな。なら私も冗談で返すが、もし私が帝となったのなら、お前を娶ってやるさ。約束だ」

「ありがとうございます。なら、今からでもあなたが帝となるよう政界に働きかけることとしましょうか」

「……冗談に聞こえなくなって来たな。怖い話は時期的に付き物だが、憑き物となる前に退散するか」

 

 ホラー要素は幽鬼や鬼で事足りているんだ。もう充分だ、ってな。

 ちょっと……思うところのある、雨妃との談話だった。

 

 

 

 二兎を追う者は一兎をも得ず、だ。

 目の前に広がる全てを取りこぼさぬよう生きることは難しい。

 安心しろとは言ったけど、現状、確かに何の成果も出せていないのも事実だ。ゆえに鈴李が帝になるかどうかは私の案ずるところではなく、どうして中天の月を割り砕いてやろうかというところに思考リソースを割くべきである。

 

 まず、あの月。直感を信ずるのであれば、私の知るよりもかなり低い位置にある天体だ。あそこまでの距離を知りたいとした時……何が必要か。

 

 やろうと思えば高度は求められる、か?

 地球で月の高度や方位角を出す時と同じノリでやる……と、恒星時や緯度経度がわからないことには難しい。単純に見かけの角度を頑張って算出してみるとか。本当に大体で良いから……うーむ。わからん方位はとりあえずで当てはめるとしても、障害が大きいなぁ。

 恐らく、一定高度で輝術による推進力は損なわれる。だから、簡単に……ペットボトルロケットとか竹筒ロケットを作って、輝術で限界まで圧力を高めて噴射して……。いやもっと簡単に、投石器とかでもいいんじゃないか? 破壊することが第一条件ではなく、あくまで到達させることを目標とするのなら……もっともっとシンプルにいけそう。"物をぶつける"のではなく"物を射出する"という考えを教えて、それを天へ……か?

 

 仮に、(フー)の言葉を全て信じるのであれば、地を掘るのは悪手だろう。ここが火山であるのなら……要らぬ刺激をしたくはない。八千年以上平気だったのだから大丈夫だ、という考えは持てない。それはただ、この世が進まなかっただけだろうから。

 噴火は最悪のケースだ。そうならぬよう空に目を向けなければならない。

 

 あとは、太陽も気にする必要があるな。

 日照時間が増減するんだ、少なくとも太陽は同じ軌道を通っているわけじゃない。その上で偽物の空や偽物の海という発言から、含まれる意味としてこの世が天動説であることを理解できる。

 高温の天体ではあれど、恒星ではないもの。……なんだそれは、結局。

 

「祆蘭、また難しいことを考えてるの?」

「む。ああ……専門外のことを少々な」

「祆蘭の専門ってなに?」

「……まぁ、細工とか」

 

 それも専門と呼べるほど学んだわけではないけれど。

 鋭いな、祭唄。確かに……万事専門外かもしれん。

 

「それは祆蘭が考えないといけないことなの?」

「まぁ、一度口から吐いた言葉だ。私自身の感情を含めて、なんとかしてやりたいという気持ちは大きい」

「私はやっぱり頼れない?」

 

 こてん、と……可愛らしく首を傾げる祭唄。

 んー。まー。なー。

 

「また、文字の気付きのような……恐ろしい事態に直面する可能性がある」

「そんなの今更。黄州地下でのあれも、文字のことも。気付くべきことを長らく無視していただけ。それが正されることに怯えるようでは、祆蘭の後を追うことなんてできない」

「別に私の後など追わずとも良いが……そうか」

 

 どこまで巻き込んでいいものか、など。

 傲慢だったかね。

 

「わかった。……今私が直面している問題について、少々絵を描く。私の絵だから、上手いものではないが……」

 

 作図する。絵というよりは図であるものを。定規とシャーペン……ではなく竹筆、そして少量の絵具を使って描くは、文字通りの「子供の落書き」。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「……これは、何の絵?」

「天染峰。この中心の、長方形。これが天染峰だと推察している」

 

 伏の言葉やあの時見せられた天染峰の形から察するに、恐らく天染峰の断面はこうであると言える。

 巨大な火山。その火口。浮かんでいるのか生えているのかはまだ定かではないけれど、全体から見たらあまりに小さいその火山湖にある陸地。

 それが天染峰。

 

「この帯は?」

「輝術の使えなくなる範囲、だな。海の方がどれだけかはわからないが、空の方はわかっているんだ。光閉峰の天辺を越えられない高さ。そこから上は輝術の及ばぬ世界」

「この二つの丸は?」

「月と太陽だ。前にある透明なものが月」

「……透明なのは、なんで?」

「恐らく透明であると私があたりをつけたからだな」

 

 あれは巨大なガラス玉のような球体だ。そこに月面が投影されて、あたかも月であるかのように振る舞っている。

 ただ……偶然であれ私に反応したのであれ、短期間で身体を()()()と回転させられるような存在。となるとただの機構と見るより、神なりし者に連なる者……意思を持つナニカと見た方が良い気はしている。

 

「それで、祆蘭は何をしたいの?」

「……そこまで大きな衝撃を受けてはいないようだな」

「あくまで推察だし、私はこれを認識していないから、だと思う。体感していない、といえば伝わる?」

 

 そうか、「書けない事」に直面したわけでも、「理解できない事象」を見たわけでもない。

 ただ「そういう可能性があること」を伝えられたとて、ショックなんか受けないか。

 

「私はとりあえずこの月との距離を測りたい。あわよくばこれを破壊したい」

「破壊……。月を?」

「そう、月を」

 

 ──代われ。

 

「断る」

 

 理解していた。ショックなんか受けないか……なんて。そう思うこと自体が罠であることくらい。

 だから、見守る。「月を破壊する」という言葉を聞いた途端、能面のような顔になった彼女を。

 小刀へと伸びかけた手が……震えと共に、抑えつけられていることを。

 

「……こっちは、……体感」

「ああ。だろうな」

「今、私は……祆蘭を殺そうとしている。私の意思じゃない。これは……何?」

「それがお前達に混ぜられたものだ。輝術の化身に混ぜられた、平民という名の制御装置。……どうだ、祭唄。それは、克服できそうか」

 

 分岐点だろう。それができないのであれば、この先を知ったところで、ついてきたところで……同じ道程を辿るに終わる。

 彼女とてこの世の法則からは逃れられず、進化を拒んで世界と同化する。

 

 抜け出す術があるかなど知らない。

 だから──傲慢に振る舞おう。

 

「本能か、理性か。在り方か、生き様か。好きに選べよ祭唄。それが私を害するものであったとしても、私はお前を祝福しよう」

「……害するどころじゃない。私は今、祆蘭の首を刎ねようとしている。輝術に治癒は無い。今、一瞬でも気を抜けば……私は祆蘭を殺す」

「それが嫌なら気を抜くな。いいや、抑えつけろ。己でない己程度、封じ込めぬのならば私の隣には立てん」

 

 ──……お前と同じ段階を求めるのは酷だぞ。

 ──本来であれば、天遷逢の間に私を封じこめられる者などいないのだから。歴代の楽土より帰りし神子を見ても……お前だけだ、ここまでの力業で私を抑え込めた者は。

 

 うるさい。

 私に出会い、私の近くにいる。その運命を手にした者が、そう弱くて堪るか。

 充分だろう。

 

「私のそばにいると決めたのなら、それくらいの些事──」

 

 祭唄の腕が動く。目視の敵わぬ速度。それは確実に死を齎すコースの弧を描いて私の首へと伸びて。

 

「……結構。……疲れる。全然、些事じゃない」

「次からは些事にしろ」

 

 止まった。

 首の皮一枚すら斬らずに、直前で。

 いつの間にか刃は抜かれているし。

 その目には不満の色が溜まりに溜まっているけれど。

 

 震えてはいない。

 抑えつけている様子もない。

 

「どうだ、心地良いだろう。意志の力だけで常ならざる者を抑えつける感覚は」

「……油断しないで、祆蘭。あなたがやろうとしていることを頭の中で反芻するたび、あなたを殺さないといけない、なんて考えが浮かぶ。無意識に……手を掛ける可能性がある」

「無意識など捻じ伏せろ。警鐘など叩き割れ。お前の意思はお前だけのものだと突き返してやれ」

 

 未だ私の首に刃を添える祭唄に、最近覚えた感覚を落とす。

 

「"気に食わない"。"そこにいるべきはお前ではない"。──込めるべき感情はそれだけでいい。剣気ではなく、威圧しろ。権利を主張し、見下せ。お前とて輝術師なれば、素質はあるのだろうさ」

「祆蘭に輝術師を語られるのはおかしな感覚だけど……。……確かに、気に食わない。文字のことも、魂のことも、世界のことも。──私の身体で勝手をしないで」

「もっと強気に行けよ。お前、今乗っ取られかけているのだぞ」

 

 祭唄は。

 一度、目を瞑って……それを吐き出す。

 

 

「……。……──邪魔」

 

 

 感情が伝わる。

 相変わらず頭を下げたくなるような感覚は無いものの……ああ、やはりこれは、威圧だ。

 

 して、祭唄は……ゆっくりと刃を離していく。刀身を鞘に納め、小刀を握っていた手をグーパーして感触を確かめて。

 

「取り戻した」

「ああ」

「……教えて、詳しく。混ぜられたもの。私達輝術師が、なんであるのか」

「どれも聞いた話だし、妄想の入り混じる話だが、それでも構わないか?」

「あなたのこじつけで救われたものはたくさんある」

 

 ──狂わず、鬼にもならず、か。

 ──それが叶うのならば……。

 

「ならば話そう。ああ、いくらでも殺しに来い。私は避けないよ。命数尽き果てるまで抵抗するのは、抵抗する意味がある時だけだ。──信じている」

 

 話す。

 輝術師の正体。神なりし者。化身。華胥の一族。

 そこまで多くの話があるわけじゃない。淡々と……淡々と、さもそれが事実であるかのような言葉繰りで妄言を並べていく。

 

 話の最中、時折ではあるものの、彼女の身体が強張るような場面があった。

 そのたびに漏れ出でる威圧と、真剣な表情。

 頑張り屋さんだな、本当に。投げ出してしまってもいいのに。

 

 して、そうして、そうこうして。

 

 話を終える。

 

「……」

「言いたいことがある、という顔だな」

「それは当然。……だけど、その前に」

 

 立ち上がる祭唄。彼女は全身を意識しているような強張りと共に私へ近寄ってきて……ぽふ、と。

 

 私の頭に、手を置いた。

 撫でられる。

 

「──あなたが本当は、何歳であれ。……一人で背負うべきものじゃない。任せて。頼りないとは思うだろうけれど、今日からは、分かち合える」

「お前のような若さで背負う話でもなかろうに」

「じゃあ聞くけど、祆蘭って本当は何歳?」

「さてな。少なくともお前よりは年上だし、玻璃ほど歳を食っていたわけじゃない。その程度だよ」

「なら、多くても一回りか二回りくらいしか違わない。私を若いと言えるほどじゃない」

「背が小さいからだろうなぁ、どうしても子供に見える」

「……楽土での祆蘭は、どれくらいの身長があったの」

「ん。……どうだっけな。確か……百七十二厘米(cm)はあったはずだ。最後に測った時はそれくらいだった」

 

 高身長と言えるか言えないかくらいの身長だったから、そこまで小さい奴を見下ろしていたわけじゃないけれど、祭唄は目算百五十cmくらいだからなぁ。子供にしか見えん。

 ちなみに夜雀さんもそれくらいしかない。夕燕や朝烏さんは高身長なだけに、その辺のコンプレックスもあるのだろうな。嘘か誠か、青宮廷では綺麗系の女性の方が好ましく見られがち、なんて言っていたし。

 

 言えば、愕然とした顔を見せて来る祭唄。

 私の頭に置いた手を上の方にまで持って行って、差を比較するように上下する。なお、現在の私の身長は約百三十cmちょいなので、まぁイメージと合致しない、というのは理解できない話じゃない。

 

「の……伸びる、し」

「身長など個性だから、無理に伸ばさずとも良いと思うが」

「祆蘭に子供扱いされるのは癪」

「いやだから、私は子供ではなくてだな」

「わかっている。けれど、普段の言動から、少なくとも落ち着いた大人ではなかったと見ている。どう考えても私の方が大人」

「別に楽土でこういう性格をしていたわけじゃないさ。こちらに出でて、多少以上に奔放になった自覚があるよ。かつての友人に私を見せるのなら、大爆笑されることだろうしな」

 

 ……まぁあいつは私がどうなっていたとしても大爆笑するだろうが。

 そしてあいつは絶対に生まれ変わりはしない。「今生こそが最大のエンターテイメント!」って奴だったからな。暴言含めて。

 

「なんにせよ……うん。やっぱり、私は秘密を分かち合いたい。私は祆蘭の唯一の理解者、なんでしょ?」

「ああ……そうだな。私が吐いた言葉か」

「うん」

 

 不義理はこちらか。

 そうさ。以前、自覚したじゃないか。

 

 命を背負った、と。

 

「……ね、祆蘭。楽土での祆蘭の特徴、言ってほしい」

「特徴らしい特徴の無い奴だったよ」

「いいから。私が描いてあげる」

 

 ふむ。

 ……と言ってもなぁ。自分の顔と姿なんてまじまじと見ていたわけじゃないし……曖昧になるが。

 

「えーと」

 

 言葉を吐いていく。つり目で、眉もつり目気味。日本人にしては彫が深い、なんて言われる眉間と、それにはあまり見合わぬ鼻。面長の輪郭を嫌がったこともあったっけなぁ。

 まー、そこまで珍しい特徴……目の色がどうこうとか、髪の色が奇抜だとか、そういうものを有していたわけではないから、やはり絵としては平々凡々に……。

 

「……なぜ青清君を描く」

「え? ……あ、本当だ。似ている」

「無意識なのか……。私は青清君程の美人じゃなかったよ」

「でも、特徴を聞く限りでは、青清君と同じ。違いは……左目の下の(ヂー)くらい?」

 

 いや……だから、こんな美人じゃないって。

 確かに要素だけ抜き出すと鈴李っぽいのはそうだけど。ああ、痣は黒子のことだ。鈴李には左目の下に泣き黒子があるから。

 

「一応、祭唄。自分で自分の姿を描いてみてくれ」

「ん」

 

 さらさらとそれを描いていく祭唄。

 紙に描かれるは──無口っぽい、寡黙っぽい……明らかに綺麗系の、そこそこ背の高い女性。

 

 うーん。

 

「さては祭唄、こういう画風でしか人物を描けないんだな?」

「そんなことはない。たとえば、ほら。夜雀」

 

 速筆なのは凄いけど、画風がこうまで固定されているとなぁ、なんて思っていたら……明らかに二頭身くらいしかない夜雀さんを描く祭唄。

 いや。

 可愛いけど。

 

「中間は無いのか中間は」

「無い。この世にはこういう綺麗な女性とこっちの小さい女性しかいない」

「発想が過激すぎる。……え、それで祭唄がこっちの高身長な女性、なのか?」

「予定」

 

 じゃあ事実無根じゃん。

 

「祆蘭が大人になったら、これくらい大きくなるのかな」

「どうだろうな。玻璃曰く、成長は遅いらしいが」

「そういえば玻璃様も小さい。というか……顔を初めて見た時に思ったけど、若すぎ。確か四十四歳だったはず」

「詐欺だろあれは」

「うん。楽土より帰りし神子には若返りの効果があるのかな。……舐めてみてもいい?」

「いやまぁ構わんが、今の祭唄が若返るとさらに小さくなるんじゃないか?」

「……もう少し年老いたら舐める」

「お、おう」

 

 舐めて若返ったら人魚の肉よろしく狩られそうだが。

 ……文字通りの意味で食いに来たりしないよな?

 

 それはもう鬼だぞ。

 

「えーと、そう、ともかく。最初の話だ。私はこの月を砕きたくてだな。それにはまず距離を測らねばならん」

「忘れた。……そんな簡単に届くとは思えないけど、輝術で石を射出してみる? 海から発射すれば、迷惑もかからない」

「できるならやってほしいな」

「わかった。じゃあ、明日にでも行こう。申請を出しておく」

 

 ……やっぱり。

 己の中で悩んでいるだけより、こうして相談した方が……スムーズに運ぶな。

 

 ただ祭唄、私にそう言ったんだ。

 お前こそ一人で背負うなよ。

 

「……やめて。子供扱いしないで」

「ん? おっと……無意識だった。すまんすまん」

「祆蘭こそその無意識を捻じ伏せて。事あるごとに子供扱いして……」

 

 気付けば祭唄の頭を撫でていた右手。

 ……うむ。

 

「撫でたくなるような頑張りを見せているお前が悪い。もっと怠けろ」

「同じ言葉を返す。もっと遊んで、祆蘭。この挑戦も、そこまで早期に解決しなければいけない事とは思えない」

「善は急げだよ」

 

 実際そうなんだけど……なんとなく、焦燥感があるんだよな。

 早く。

 早くしなければ、どうしようもなくなる、とでもいうような焦りが。

 

「もっと協力者を増やすべき。私と祆蘭だけじゃ、絶対に何かを取りこぼすから」

「鬼だけじゃ足りないか」

「うん。あなたはもっと、周りを見て、光るものを見つけるべき」

 

 光るもの、ね。

 ああ、金言余りあるよ。

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