女帝からは逃げないと。   作:霧江牡丹

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第五十四話「黄泉路」

 残念ながら、休憩時間に今並と会う、というのは叶わなかった。

 そもそも今並のいる場所が貴族ばかりのスペースであること、また出品者のスペースにそうでない者が行くと「不正」が起きかねない……セキュリティ上の都合などが理由であり、納得のいく話だったため断念。

 大人しく彼女の出番を待つことにした……のだけど。

 

「……何か、騒ぎが起きていないか?」

「そのようだな。だが、才華競演の運営者らも経験が深い。なんとかするだろう」

 

 揉めているような群がり方をしている人々。音は聞こえないので何が起きているかはわからないけれど、程なくして進史さんのもとに「しばらくお待ちください」の旨が伝わったとかで、そのトラブルを察した。

 折角の弟子の晴れ舞台に余計なことをしないでくれ、という感情もあれば、だからといって変に気を逸らせるなよ、という今潮への感情もある。

 そこからそれなりの時を経て。

 

 三刻程の休憩時間の延長のお知らせが入る次第となる。

 

 

 

 曰く、窃盗があった、のだとか。

 青宮城へと帰って来て、話を聞いた。蘆元(ルーユェン)から。

 彼はなんと才華競演の審査員としてあの場に居たらしく、一応運営側の人間として此度の事件に額を揉んでいたのである。

 なぜ彼が今城に帰ってきているのかというと、単純に遅めの昼食だとか。奥さんに貰ったお弁当を人前で食べると妙な弄られ方をするとかで、それが気に食わなくてこうして帰ってきている。青宮城の貴族に見られるのも好ましくないそうで、令報室で一人寂しくお昼ご飯。

 

 そんなお食事中に私がお邪魔したわけだ。

 

「やるせない話だ。己の独自性を競う場で、他者の作品を盗むなど……」

「犯人は誰で、被害者は誰なんだ」

「言っても分からぬだろうに」

「いいから」

 

 私の態度に、弁当を食べ終わった蘆元は「はぁ」と大きな溜息を吐きながら……その話を語り出した。

 

「被害者は員振(ユェンヂェン)という中位貴族だ。例年一定以上の成果を上げる男でな、今年も期待が高まっていた。彼の作品は買い手数多……才華競演に出品した作品でさえも買われると言われる程美しいものが多く、此度の犯人はその価値が目当てだったのではないか、というのが現場での意見だ」

「金目当ての窃盗か。ありきたりだな」

「犯人は不明。員振の才に嫉妬する者など数多くいるだろうし、金に困った出品者もいないわけではない。容疑者の候補が多すぎる上に輝術の痕跡も無いと来たから……悔まれるが、此度の才華競演は後日に延期となるだろうな」

「そんな簡単に延期となるのか?」

「お前は……。……そもそも才華競演は年に二度だけ。才華競演で召し上げられることだけを目的に作品制作をする者も珍しくはない。俺はその動機までを不純とは言わない。……だから、生活が懸かっている。中止とすることはできず、員振だけを除外して進めることも不可能だ。それが前例として刻まれてしまえば、それこそ嫉妬する相手の作品を破壊するなりして出品不可に、が罷り通ってしまう」

 

 だからそんな簡単に延期となる前例を作ってしまっていいのか、と聞いたのだがな。

 同じだろう。一人の出品不可を理由にいくらでも延期されてしまう。されなければ前の奴とそいつは何が違うのか、という論争になる。

 前例を作りたくないなら、万事を滞りなく予定通りに進めるのが不可欠だ。

 

「蘆元様。此度の才華競演には私の弟子が出ていてな」

「審査に色は付けないぞ」

「そんなことをしていたら私がお前を殴っていた。……そうではない。単純に不満であるというだけだ」

「不満?」

「ああ。窃盗などという些事であれの晴れ舞台が汚されることが。──故に私は、久方ぶりのこじつけをしようと思う」

「……こじつけ?」

 

 モノ作りからの推理ではない。

 事象を前にして、良くない頭を使って行う捏造とこじつけと詭弁。

 それが元手無しにできる私の最大限だ。

 

 さて──。

 

「第一に、現場だ。作品を管理する場所、あるいは管理方法は一律か? それとも出品者に任されるものか?」

「出品者に委ねられる。そういう意味では確かに員振の管理は甘かったのかもしれぬが、盗まれた側が悪い、などという主張は許さんぞ」

「第二に、被害者だ。員振様の性格……そうだな、せっかちであるとか、逆におおらかであるとか、気難しいやつだとか、大雑把であるとか。蘆元様から見てどういう人間だ、員振様は」

「俺は奴と仲が良い、というわけではない。ただ……聞く限りでは、些か後ろ向きな人間であるというのは知っている。己に自信が無いとか、暗い発言ばかりをする者である、とな」

「第三に、逃走経路だ。輝術を使わずに作品を盗み出し得る場所なのか、待機所は。加えて作品は人が抱えていける大きさだったのか?」

「ふむ。……少し待て、運営委員に聞いてやる」

 

 蘆元はこめかみに指を当て、目を瞑る。

 輝術の作用範囲だけで言えば進史さんに並ぶらしいからな、この人。強度は劣るようだけど、伝達だけなら城からでもできるちゃんとしたエリートだ。

 

「……作品そのものには白布がかけられていたから内容はわかっていないらしいが、少なくとも二(m)四方の絵画であろうもの、だったようだな」

「大きいな。そんなものを盗んで人目につかない、ということができるのか?」

「難しい。……そうだな。であれば、もしやまだ員振の作品は会場外へ運び出されていない、か?」

「可能性は高いだろう」

「だが……会場全体の精査は終了している。遮光鉱で覆われているなどでもなければ引っかからぬということはあり得ぬが……」

「精査にも引っかからなければ輝術の痕跡も無い。作品が盗まれたと思われる刻と、それが発覚した刻にはどれほどの差が?」

「一刻経つか経たぬか、程度だ。消えたのは員振が昼餉を摂っている時間。その間警備に当たっていた者は相互監視……互いに互いを目視できる状態にあったから、その者達が犯人であれば、それなりの人数が動いた、ということになる」

「その間に出入りした出品者はどれほどいる」

「ふん、そんなものを記録しているはずがないだろう。昼餉時と言えど、どこへ行くのも行かぬのも出品者の自由だ」

 

 ──であれば。

 少ない情報から。限られた情報から──「人はくだらないものである」と定義した上で、こじつけを口にする。

 

「犯人などいない。単純に員振様の作品制作が今日に間に合わなかっただけだろう」

「……どういう」

「精査に引っかからないのは、そんなものは存在しないからだ。輝術の痕跡がないことや、目視されているはずの持ち出した誰かがいないのは、そんなもの存在しないからだ。員振様は作品の完成が間に合わなかった。だから……ああ、だから、才華競演を延期させたかった」

 

 あれだな。

 宿題をやっていないにも関わらず、やったことにして、けれど忘れた、って言う小学生みたいな。

 

「……員振とて責任のある大人だ。これほどの人数を振り回してまでそのような嘘を吐くとは思えぬ」

「期待を寄せられていたからだろう? 作品の出来を期待されるというのは、前提として完成しているだろうという期待の上にあるもの。員振様が弱気で後ろ向きな人間であれば、完成していないというだけで己の評価や過去の栄光に泥が塗られると考えてもおかしくはない。だから、巨大な……そうだな、巨大な画架に、骨組みとなる二(m)四方の木枠なりなんなりを乗せて白布をかけ、会場に持ち込んだ。あとは昼餉時かその前、終わり際。どこでもいいから、大勢がいて人一人が何をしていても目立たない時にそれを解体すれば、存在しなかった作品を消すことができる」

「……」

「あとは盗まれた盗まれたと騒ぎ立てれば憐れな被害者の完成だ。己の作品に価値がつくと……盗む価値があるとわかっているからこその所業だな。性格は後ろ向きかもしれないが、随分と強気な犯行だよ」

 

 ただ。

 

「とはいえ全て憶測。聞いた話からこじつけを行った妄想の推理に過ぎない。証拠が無いからな、どうしようもないだろう」

「ああ……俺は奴が真っ当な大人である方に賭ける。……少しばかり話を聞くから、待っていろ」

 

 そうしてまた、蘆元はこめかみに指を当てて目を瞑る。

 十秒、二十秒。だいたい十秒ごとに……険しくなっていく彼の顔。

 最初は怪訝な顔をしていたのに、途中からは悪鬼羅刹のような表情になって。

 

 そして。

 

 零れる。

 強く、強く。……樹氷のように静謐で、けれど攻撃的な存在感が。

 

 これは……威圧?

 まさか、彼も?

 

 ──馬鹿を言え。威圧は何も楽土より帰りし神子だけの特権ではない。州君や老齢な戦士、あるいは州君に勝るとも劣らない力量を持つ輝術師。そういうものは存在としての圧を有する。それが威圧だ。お前の場合は、ただただ魂の存在感が他者より大きいから、そうも自由に威圧を扱えるというだけ。本来であればその者のようにしっかりとした感情を伴わなければ出せぬものだ。

 ──よく見ておけ。よく感じておけ。お前は特例を知り過ぎている。この世における普遍的な存在の放つそれがどういうものかを肌で覚えておくと良い。

 

 剣気と違って、肌の粟立つ感覚は無い。

 ただただ……「気に入らない」という感情の伝わってくるような、「そこはお前のいるべき場所ではない」という言葉の伝わってくるような、威圧。

 それはしばらく続いて、突如として途切れて。

 

「……少し、出てくる。お前は……そうだな、青清君らと再開を待っているといい。後日に延期されることはない。予定通り三刻後……いや、あと半刻もすれば再開の報せが若僧……進史に届くだろう」

「感情に流されて危害を加える、などという不祥事は起こすなよ」

「そんなに若くはねぇよ、馬鹿野郎」

 

 威圧感を消した彼は、足早に令報室を去っていった。

 さて、では私も戻ろうか……と考えたけれど。

 

「今のはお前にも向けた言葉だぞ」

「……そこまで若いつもりはないよ」

「鬼に若さというのもおかしな話だと前々から思っていたがな。……であればなぜこんなところにいる」

「なぜ、か。……そうだね。なぜかな。……難しいな。なぜ私は……君に会いに来たのだろう」

 

 外壁。

 令報室を外気と隔てるそこに、気配があった。防音輝術は……そうか、蘆元が出て行ったから、切れたのか。

 

「もう落ち込んでいるのか? 今並の出番はまだあるだろうに」

「それは少し違う。私は彼女がどのような成果を挙げても、挙げなくても……彼女のことは誇りに思うし、残念だとは思わない」

「良い事だ。ではなぜそんなに焦燥している」

「……それは多分……私のせいで、あの子が……弱い立場になってしまったから、かな。あの子の姉……私のもう一人の娘である孫方(スンファン)という子が、現状唯一の稼ぎを得ている者。妻も私もいなくなったあの家は、元からあった財産を消費するだけの現状にある。……それは、金に困っている、とも受け取られかねないわけで」

「今並が容疑者に上がることを恐れたと? 杞憂が過ぎるだろう。それに、今並であれば身の潔白くらい己で証明できように」

「そうだね。……その通りだ。結局あの子を信じることができていないのは、私だけなのだろうね」

 

 今すぐ令報室の窓を開けて、紙鉄砲あたりをこいつの顔にぶち当ててやりたくなった……けど、ここの窓が開くと青宮廷の令報室に伝達が行ってしまうらしいので、断念。

 本当にイラつくやつだな。初対面の時は気が合うと思ったのだが、どうしてこう……自由になってからがうじうじしているんだ。人間だった時の方がまだ生き生きとしていただろう、お前。

 

「……いつまで生者気分でいるんだ、お前」

「そんなけったいな気分でいるつもりは」

「あるだろう。いつまで経っても今並の保護者面だ。親であることに変わりはないのだろうが、もうお前の手で守ってやることのできない生者である、というのを忘れるな、死者。今のお前は死者なんだよ。楽土への道すがら、死途の最中(さなか)にふと振り返って、故郷に残した家族を偲んでいるに過ぎない。声を届けることもできなければ、災厄や悪意から守ってやることもできない。その特権はお前が自ら捨てたものであるからだ」

「ああ……。そう、だね」

「莫迦者が。もう少し自由に振る舞え。もう少し前を見ろ。お前はお前の目的があって鬼となった。お前はお前の矜持があって全てを捨てた。弟子を殺し、家族を捨て置き、人であることを諦めた。──であれば今更何を後悔する。もっと堂々と誇れよ。誇るというのなら誇り尽くせ。忘れるなよ。今並はお前の娘なんだ。お前の背に憧れて育ったんだ。お前の思想ではなく、在り方を見て、ちゃんとした育ち方をした一端の人間だ。生者面して、保護者面して、一丁前に心配できるような相手じゃないんだよ。既にお前と今並は対等であることを魂にでも刻んでおけ」

 

 誇るということは所有するということじゃない。

 いつの間にか己が彼女を仰ぎ見ていたことを自覚しろ、莫迦者め。

 

「わかったらとっとと会場へ戻れ。私も青清君らと彼女の晴れ舞台を見に行く」

「……そうだね。そうしよう。……そうだね。私はそろそろ……ちゃんと、死ななければ」

「安心しろ。冥途(ミントゥ)の旅には付き合ってやる。お前は、己の墓前にでも花を手向けて来るのだな」

「私に花を手向ける相手などいないから、かい?」

「よくわかっているじゃないか、殺人犯兼自殺者」

「うん。今並の晴れ舞台を見届けたら……そういう遊び心を発揮するのも悪くはない。……行ってくるよ」

「行って来い」

 

 では、私も。

 

 

 して──トラブル発生から三刻後、滞りなく才華競演は再開した。

 後日延期にはならず。

 員振が出品することもなく。

 

 ……今並の番が、やってくる。

 ああけれど、その出品物に少し笑いが零れてしまった。

 

「ハ……良いじゃないか」

「まさか才華競演の場をこう使うとは、中々剛毅よな」

「ええ……微環(ウェイファン)も、よくこれを許したものです」

 

 投射された現地の映像。

 そこにあるもの。今並が白布を取って、そこにいた貴族らに見せつけたもの。

 

 ──真白の結晶で形成された植物の絡みついた、棺。

 ソルトペインティングとかエッチングとか、そういう「私から教わったもの」など欠片も使っていない、本当にただただ──個人に当てられた追悼。

 それを作品に仕立てあげて、この場で発表したのだ。

 

 音の無い映像の中で、今並の唇が動く。

 

「"死した父は今も尚、どこかで見守ってくれているような気がしています。──だから私は、彼が楽土へと向かえるよう、この場で彼を葬るのです"」

「唇を読む、というのは幽鬼相手でなくともできるのだな」

「何を今更……当然だろう。私は基本的にそうやって他人の言葉を判断しているんだ、できないはずがない」

「……そうか」

 

 なんだ。何が引っかかったんだ。

 ……いや、今は良い。今は今並の作品を見たい。

 

「"──さようなら、楽土でお元気で"、って……おお?」

 

 別れの言葉と共に、今並はその模造植物へ火をつけた。

 瞬く間に燃え上がる真白のそれ。と、棺。……普通の燃焼じゃない。明らかに何か……この色は。

 

「ほー、樟脳か。へぇ……自分で考えついたのか! そりゃいいな!」

「どうした祆蘭、突然声色を高くしおって」

「あれも"世の理"だ。はは、なんだなんだ、結局奴の娘か!」

 

 発生するガスもしっかり輝術で操っているようで、火は天へ天へと昇っていく。

 明るく白く、背の高い火。土葬が基本の天染峰ではまず見ない火葬。それはあくまで象徴的な葬儀だから許されることだ。そこに今潮の死体が無いからこそ。

 だけど……ああ、これこそ、だろう。

 

「"『鎮魂火想(ヂェンフンフォシァン)』。短い間ながら、私の師であった方の工芸より肖って、この作品にそう名を付けたいと思います"、ね。律儀な奴だ」

「成程、樟脳を上手く成形したのか。樟脳は防腐剤として使われることが多いから……確かに今潮の娘、かもしれないな」

 

 そうか、そうだ。

 樟脳のこと……だから今並は知っていたのか。……父親の扱っていたものをちゃんと受け継いで、それを作品に。

 

 おいおい、良いのか今潮。お前だけだぞ立ち止まっているのは。

 とっとと歩き出せよ父親。やりたいことをやり通せよ。

 

 お前の娘、ちゃんと格好いいぞ。

 

「……残念な話だが、審査員は原理ばかりを気にする者達の集団ではない。あれは……個人向けであることも相俟って、高い評価は得られぬだろうな」

「充分だ。私が満足した。……閉演したら、今並を労いに行きたい。構わないか?」

「ああ。閉演後であれば問題は無いだろう。要人護衛と共に行ってくるといい。連絡はつけておく」

 

 私が育てた、なんて口が裂けても言えない期間しか面倒を見ていないけれど……心が躍るな。

 若い子の見せる飛躍的な成長、というのは……うん、良いものだ。

 

 ──お前はいったい幾つのつもりなのだ。そこまで歳を食っているわけではないだろうに。

 

 無視無視!

 

 

 ようやく。

 片付けの終わりごろである才華競演の会場から少し離れた場所にて……祭唄と私は、彼女に再会するのである。

 

「……あ」

「久しいな、今並」

「祆蘭様に、祭唄様……もしかして、見てくださっていたのですか?」

「当然だろう。確と見届けたからな、言うことがあって来た」

「私は現地で見ていた。綺麗だった。けど、今は祆蘭から」

 

 短く感想を述べて、後ろに下がる祭唄。

 言うこと。それは。

 

「師弟関係は完全に解消だ。破門ではないが、これからは対等となろう」

「え……なぜ、ですか。……何か至らぬ点が」

「ん? ああいや、お前がだめだったから、ではない。お前はもう一端の人間で、私の弟子であるとは言えないだろう? それで、私はこれでも九歳でな。案外同年代の友が少ない」

 

 明未くらいだ、同年代の友人は。

 まぁ今並とは四つ離れているのだが。

 

「だから、これからは友としてよろしく頼む。今潮の友人として、その娘とも友となれることを嬉しく思うのだが……どうだろう、無理そうか?」

「いえ……いえ、あの。色々唐突過ぎて」

「祆蘭が唐突なのは今更。だけど祆蘭、今回は説明が少なすぎる。気分が良いのはわかるけど、ちゃんと経緯を説明してあげて」

「……ああ、すまん。完全に楽しくなっていた。……えーと、そうだな。今並、お前の作品を見て……その発想が出るなら、お前を導く必要はないと判断したんだ。私はお前の前にいたくないし、お前の上にもいたくない。隣で、別の方向へ。私はそう在る者を友と呼びたいんだ」

 

 弟子とか、教え子とか。

 そういうラベリングをしたくない。彼女とは友でいたいとそう思った。……だから、尺時計はお蔵入りかな。師からの祝いなど……私達の間柄には不要と見た。

 

「不甲斐ない結果でした。……なのに」

「才華競演での結果など初めから気にしていない。そんなものは心からどうでもいい。お前の作品を見て、私が満足した。込められた思想も、理想も、経緯も歴史も。十二分に満足できるもので、確かな脈を覚えた。お前は紛れもなく今潮の娘で、同時に奴を超え行く逸材だ」

 

 わかっている。いつもより言葉繰りが下手になっていることくらい。

 それくらいテンションが高いんだ。容赦してくれ。

 

「まぁ、才華競演をお前が気にするというのなら、次を目指せばいい。お前には才があるよ。それは今潮も私も認める話だ。だから、今は私を見てくれ」

「……。えっと……その。勿論、友人となれるのであれば、それほど光栄なことはありません。ただ……私は祆蘭様の友であるためにできることなど、一つも」

「そのうじうじ具合は今潮譲りだな。もっと自信を持て。怒るぞ」

「う」

「私がお前を認めている、ということ以上に価値のあることがこの世に存在するのか? 良いから私の友で在れ、今並。敬称も外せ。気軽に訪ねに行ける仲になれ」

「祭唄様……あの、祆蘭様の横暴さ加減が、前より増しているように思うのですが」

「前々から横暴だと思ってたんだ、今並」

「え、あ、い、いえ、違います、その」

「ついでに夕餉を食べに行こう。緊張して腹が減っているだろう。どこか平民でも入れる食事処はないのか青宮廷」

「あるわけがない」

「なら青宮廷の外へ」

「この時間からは流石に許可が出ない」

「……。えー」

「ごめんなさい、私の家も、その……」

 

 ああ、そうじゃん。

 今潮が焼いたんじゃん。

 

 ……あいつめ。

 

「そもそも今並。夕餉の予定はあったの?」

「はい。微環様達……応援してくださった方々と、青宮廷で会を開く予定です」

「……いやその通りか。打ち上げ……そっちでやっているよな。すまん、唐突過ぎた」

「い、いえ。お気持ちは嬉しいですし、その……また後日、ということでどうでしょうか。お友達として、祭唄様や夜雀さんも一緒に、どこか青宮廷外の食事処で」

 

 ──気を遣わせたな。

 

 うるさい!

 

「ああ、そうしよう。だがこれは社交辞令ではないぞ。絶対行くからな!」

「はい。お待ちしております」

「あと敬称を抜け! 祆蘭でいい」

「……わかりました。では……また会いましょう、祆蘭。ただ私の方がお姉さんなので、次に会う時は私に甘えること、です」

「なら二人とも私に甘えるべき」

「お、いいぞ。膝枕してもらおうか」

「……」

「膝枕? というと……膝に頭を置くのですか?」

「ああ。先日祭唄様にやってやったら、それはもう凄まじい甘えっぷりばむ」

 

 ……口の中の空気が沈殿する。

 黒根君のやっていた奴、ちゃんと覚えていたのか。……やっぱり祭唄、しっかりあの女子会の記憶があるようだな。夜雀さんはほとんど覚えていない様子だったけど。

 

「可愛らしいですね、祭唄様は」

「大人を揶揄うものじゃない」

「祭唄様は背丈が小さいので、同年代だと錯覚してしまいます」

「……まだ伸びる」

「流石に今の成長速度ですと、一年後には私が背を抜いていそうです」

 

 まだまだ続けられそうな雑談。

 それは、けれど……ぴく、と彼女が片眉をあげたことで、中断される。

 

 どうやら伝達が来たらしかった。沈殿した空気が元に戻る。

 

「微環様に呼ばれたか」

「はい。……それでは。待っていますから、早めにお願いしますね、祆蘭」

「ああ。都合がつき次第連絡を入れる」

「失礼します」

 

 今並は左手の拳にみぎてを被せてこくりと一礼し、会場の方へ戻っていった。

 彼女の背を見届けて。

 

 ……小物入れから紙と筆を取り出す。

 

「祭唄、これに『どうだ羨ましかろう』と書いてほしい」

「なんで? ……いいけど」

 

 さらさらと「正しい文字」を書いてくれる祭唄。

 その紙を受け取って、簡単な紙ヒコーキの形に折る。

 

 紙ヒコーキを林の中へと飛ばして……よし。

 

「帰るか」

「……謎行動」

「今更、だろう?」

 

 青宮城へと戻る。

 いやぁ、良い日だな、今日は。

 門出の日だよ。

 

 

 夜。

 いい気分で青宮城の城壁……浮層岩に直接建てられた、城の基礎部分を囲む外側の壁に座っていたら、陰気な奴が来た。

 

「なんだ毎度毎度。何度会いに来る気だ鬼め」

「そう邪険にしなくてもいいじゃないか。はいこれ、注文の漬物だよ」

「おお」

 

 陰気……だと思ったけど、どこか晴れ晴れとした顔の今潮。

 彼はどこで調達したのか、お漬物と……酒を持って、この場に現れた。

 

「君はお酒を、苦を紛らわすための毒と揶揄していたけれどね。良いことがあった時にもお酒を飲むものさ」

「そうか。なら勝手に飲め莫迦者」

「ああ、そうしよう」

 

 瓢箪に入った酒。口にあった栓を抜いて、今潮は大きく酒を呷る。

 ごくごくと鳴る喉。……ふん、美味そうに飲むものだ。

 

「ふぅ……。あぁ……良い月だね」

「死者が風情を語るかね」

「死者差別が過ぎるよ。桃湯だってよく語っているだろう?」

 

 その言葉には返事をせずに、皿に置かれた漬物を、共に持参された竹串でつつく。

 ……ニンジンの漬物は美味いんだよな。昔からそう。

 

「羨ましいよ」

「だろうな。言葉を届けたくなったか」

「うん。でも、ダメだから。死者からの言葉は生者に届いてはいけない。……血縁ならば、尚更に」

「私に説く話でもないように思うがな」

「道理だね。……心から、彼女の旅路を祝うよ。私が死するためにも」

「乾杯でもするか? こちらは漬物だが」

「しようか。……乾杯」

 

 瓢箪と漬物の入った皿がぶつかり合う。なんとも珍妙な乾杯だことで。

 ……はしたないけれど、まぁ此奴の前ならいいだろう。

 片膝を立てて、その上に腕を置いて……竹串を指で挟んで、少しばかり偲ぶ。

 

「君は……前もその恰好をしていたけれど、何か意味があるのかい?」

「意味? ……ああいや、これは癖というか、悪癖の類だよ」

 

 前世。まぁ、そこそこにストレスの溜まる人生だったからな。

 そこそこ吸っていたのさ。ヘビーと言われるほどじゃあないが、結構。

 

 その頃の名残で、こういう細い棒が手元にあると口が寂しくなるってだけだ。

 幸い今はストレスフリーだから、あんな毒を体内に入れる気は無い。友人から毎度揶揄されていたものだ。「お前、酒を毒という癖に毒煙は好きだよな」なんて。

 私が酒を毒酒というのは思考が鈍るからであって、身体に悪いから、じゃないんだけどな。

 

「……今潮」

「なにかな」

「樹脂について知りたいことがいくつかある。それ以外にも、生前のお前が辿り着いた叡智を私に貸せ」

「貸せ、ということは、返してくれるのかな」

「ああ。必ず還元する」

「そうかい。なら、構わないよ」

 

 月を見上げる。

 ……星が全て、偽物であるならば。神なりし者であるのならば。

 

 月は、太陽は。

 なんなのか。

 

 気に入らない。

 ゆえに思い出すは、そこはお前のいるべき場所ではない、という感情の込められた、指向性のある、超遠距離から行う威圧。

 

「今潮」

「なにかな」

「もし私がまた倒れたら、城の入り口にでも置いておけ」

「……断りを入れたらなんでもしていい、というわけではないのだけどね」

「試したくなった。すまんな」

「いいよ、お姫様。ご存分に、だ」

 

 中天の月へと手を伸ばし。

 

 見上げるべき天体を、見下す。

 

 ──いつまでそこにいる気だ、意気地なし。

 ──安全圏など捨てて、降りてこい。

 

 直後起こったその現象を、私は忘れないだろう。

 ()()()()

 

 月の模様は変わらないのに……直感的に「回転した」とわかる輝きがあった。

 私の威圧に反応したのか。剣気に当てられたのか。それとも偶然か。

 

 でも、わかった。確実に理解した。

 直感が理性を通り抜けることなく言葉を()る。

 

「……投影、なのか」

 

 目に見えているあれは、月の模様じゃない。

 月に映し出された模様だ。本当の月は、多分。

 

 もっと近い所にあって。

 もっと、透明な。

 

 レンズのような……透明の球体。

 偽物の天体。

 

「気絶はしないようだね。唐突な気絶専門家は、前置きをすると気絶できないらしい」

「緩慢な服毒専門家ほど精通しているわけじゃないからな。ふん……門出で、黄泉路か。……いいね、目指すべき場所が見えた」

 

 壊そうか、あれ。

 漠然と思い浮かぶ、その物騒極まりない発想に……笑みがこぼれる。

 

「獰猛な笑みだねぇ。鬼より君の方が怖いよ」

「恐れられるまま月を食みに行こうじゃないか、今潮。──今日は良い日だ。友の羽搏きとお前の出立。そして私の目的地の見えた日」

 

 天狗となってやろうじゃないか。

 

「もう一度乾杯だ、今潮。お前だけ飲め」

「……いつもわからないけれど、いつにも増してわからないね、今日の君は」

「祝い酒なら許すと言っているんだ」

 

 素晴らしくあれよ、友人たち。

 私の隣に立つのならな。

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