女帝からは逃げないと。   作:霧江牡丹

56 / 150
第五十三話「親」

 雨が降っている。

 灰色の空から落ちる灰色の雨。黒と称するにはぼやけていて、銀と称するには薄汚れ過ぎた空色模様。

 それが私の生まれた日。

 それが私の捨てられた日。

 それが私の、最初の「不都合」。

 


 

 目を覚ます。

 当然だけど快晴。雲の上は天気が変わらなくて良い。

 

「起きたのかね、祆蘭」

「……連博(リィェンヂャン)様。……すまない、書物庫かここは」

「そうだ。珍しいな、お前が他人のいる場所でそうすやすやと眠るのは」

「ああ……。……多分、思うところがあったから……かも、しれないな」

「思うところ?」

 

 積まれている書物。時代も著者も違うそれらは、その全てに「正しい文字」が書かれていて……けれど、予想通りの痕跡があった。

 

 消えているのだ。文字が一部、消失している。いくら「正しい文字」を書いたって、墨の年代風化までは同一にできない。紙の褪せ具合、墨の染み具合。それらから仮定の年代を弾き出して、別の本とすり合わせる。読めない文字の時代照合は骨が折れたけど、欲しい結果を導き出すことには成功した。

 ただ……流石に脳がオーバーヒートしたのか、あるいは今書物庫のおじさん貴族こと連博さんに言い訳したように、思うところがあったからか。

 くだらん夢を見るほどの深い眠りに就いてしまったらしい。子供らしく知恵熱が出た的なアレソレだ。

 

「ここ連日書物庫に通って……何を調べたいのかは知らないがね、あまり根を詰めすぎるなよ。お前が無茶だと思っていないことは、大抵、周囲の者から見たら、とんでもない無茶であることが多いのだから」

「ああ、ありがとう、連博様」

 

 もうすぐ才華競演(チャイファジンチャン)の日。

 今並(ジンビン)の晴れ舞台。彼女を推薦しはしたけど、私に芸術的なセンスはない。人並みのことを人並みにできるだけ。それが私だ。

 それでも、背を押した者として、彼女の作品と彼女の行く末は見つめなければならない。それは先達の務めとも言える大事だ。

 

 だから──お前は、尻込みをするなよ。

 務めであり、権利であるのは、お前の方なのだから。

 

 

 そうして……才華競演の日が(きた)る。

 私が青宮城に来てからちょうど三()月のこの日が、才華競演の開演日。

 光陰矢の如し。もしくは歳月人を待たず。

 あっという間だったと、そう言える。

 

「しかし……青宮廷内でやることにも驚いたが、この特等席にも驚いたよ」

「青宮廷でなければどこでやるというのだ」

「それはその通りなんだけど」

 

 才華競演。その会場は、青宮廷。

 しかも見覚えのある広場……そう、寧暁(ニンシャォ)を誘き寄せたあの広場が会場だった。

 ただ青宮廷は貴族の街というか貴族の職場兼居住区。そんな場所でイベントを、というのは邪魔になるんじゃないか……なんて考えは。

 

「参加者も審査員もほぼ貴族だ。むしろ青宮廷外でやる方が不思議だろう」

 

 という進史さんの言葉に論破された。確かに。

 なお、「ほぼ」ではあるのだという。時折平民の芸術家が出てくることもあるのだとか。ただ平民が芸術に割ける時間など限られていて、どんなに才ある者でも原石を磨き切れず、また金持ちや貴族に雇用されることもほとんどない。そういう背景があるから、やっぱり「ほぼ」貴族になるのだとか。

 そんなわけでここ……空飛ぶ馬車の特等席から、進史さん、鈴李と一緒に会場を見下ろしている。

 私が顔を伏せなければいけないが故の配慮……ではなく、毎回こうらしい。あくまで才華競演……美術芸術を競い合う場であって、鈴李にアピールするための場ではない、というのを明確にするためとか。前にあったようなのだ、参加者全員が明らかに鈴李個人に向けた作品を作って来たことが。それは才華競演の趣旨に反するから、こうやって隠れて見るようになったらしい。

 才華競演の所要時間は丸一日。午前の部は課題作品……設定されたお題に合わせて作られた作品での競い合い。午後が独自作品……完全にオリジナルの「自分が見せたいもの」。

 審査基準は様々な上、「審査員の好み」もしっかり評価に入ってくるらしく、なら審査員の好みを事前リサーチした方が強いじゃん、とか思っていたら、進史さん曰く「そういうものはわかる」のだそうで。また、審査員側も「好きな作品の傾向」が評価軸というよりは、「作品に懸けている理念」に好みを表すらしく、そういうズルはできないそうだ。

 

「そら、見えるか祆蘭」

「ん……お? ……え、これどうやって映しているんだ」

「投射だ。あの会場の正面にいる輝術師が、己の見ている光景を輝絵として情報化し、それをこちらに投射してくれている。これならば青清君も正面から会場を見ることができる、というわけだ」

「ほー……」

 

 そんな中継みたいなことできるのか。

 何で普段はやらないんだろう。

 

「普段からやらないのは、非常に大変な作業だからだ。輝絵というのは想像したものを絵に起こす才あってのもの。視覚情報を寸分の狂い無く、かつ刹那の移り変わりを処理し続けることは、並の輝術師にできるものではない。本当に特定の限られたものにだけ許される輝術だ。私や青清君にもそのようなことはできないからな」

「へえ。……皆、当然のように輝術を使うけど……やっぱり疲れはするのか」

「いや、輝術で疲れているのではなく、情報の処理で疲れているのだ。上限情報を自らに叩き込み続けている、といえば多少はわかるか?」

 

 あーね。

 確かにそうか。カメラが内部でやっていること、中継器がやっていること、送受信に関すること。

 それらを一手に担って処理を行うのは……素晴らしい偉業か。

 

 普段も、なんて言えることじゃないな。

 

「青清君、そろそろ始まるようです」

「進史、今年の課題はなんだったか」

「『昇水泉(シォンシュチュェン)』です」

「……聞いたことの無い言葉だな。なんだそれは」

「平民は、そうか。聞かぬ言葉だろうな。主に創作物に出てくる言葉で、雨が空に還るための泉を指す」

「雨が、空に?」

「雨が降った後、その雨はどこへ向かうのか。創作物においては、度々その終着点に泉があり、その泉は溜めた雨水を零すことなく、空へ昇らせるというものであることが多い。そういう典型的な設定の総称を『昇水泉』と呼び、今回の課題はそれを基にした作品、ということになる」

「へー……。実際はどうなんだ? 雨はどこへ行く?」

「基本は地を滲み、海へ流れ出る。特定の泉に向かう、などあり得ん」

 

 前だったらはいはい異世界異世界、で流してたけど、この世界が火山の火口であるというのを知った今……そして空や雲が偽物であると知った今は、違う意味に聞こえてくる。

 どこか。本当にどこか、無意識の根底部分で……輝術師はあの空が偽物であるということを知っているんじゃないだろうか、って。

 蒸発して昇る水分など存在せず、この天染峰が火口湖にあるからこそ、全てが滲み出していくことを本能的に理解している……とか。

 いや、あるいは『終還天者(いつか天へと還る者)』の方か?

 

 んー……自然な流れで情報を引き出しに行ったけど、やめよう。

 今日くらいはそれらを忘れよう。今並の晴れ舞台に余計な話を持ち込みたく無いしな。

 

 しかし面白い。(フー)の言を全て信じ、私の調べた裏付けを正と取るのなら、発案者や発明者が死なばほとんどの確率で発明されたものは消える世界。だというのにそういう……ファンタジーのテンプレート、みたいなものが根付いているということは、最初の発案者から今日(こんにち)の創作者に至るまでが絶え間なくその概念を使い続けていることの証左に他ならない。

 現代日本においてもあれほどの流行を巻き起こした「萌え」が「エモ」に駆逐され行くミーム風化を体感する中で、少なくとも八千年以上あるこの世界のミームが風化せずに残り続けているというのは称えられるべき功績なのではないだろうか。

 

 いずれにせよ。

 才華競演は、始まりを告げた。

 

 

 正直な話をすれば……大半の「芸術」は、よくわからんものばかりだった。

 華美な配色の絵も、数があると違いがわからない。どちらかというと立体物の方が私には刺さったけど、審査員の反応や鈴李、進史さんの反応は芳しくない。

 私とは感性が違うというか、私が芸術の楽しみ方をちゃんと理解できていないというか。

 あるんだろうな、貴族には。こう……美藝の評価の心得、みたいなものが。

 

「つまらぬか?」

「わからん、が正しい」

「別に、今並の出番だけに赴いて、他は見ない、ということもできる。才華競演は長いのだ、つまらぬものを長く見続けるのも苦痛だろう」

「どうなのだろうな。わからんから、それを勿体ないと思う。……芸術を、わからぬから、で捨てて来た己を恥じるよ」

「平民であれば当然だとは思うが……。そもそもお前に好みというものがないことも理由かもしれないな」

「痛いところを突くじゃないか進史様」

 

 その通りなんだよな。

 好きなものはあった方が良い。嫌いなものはあった方が良い。

 その方が……色々、良い。

 

 この『昇水泉』も、私に教養というか下地があれば理解できたはずだ。あるいは『輝園』を見て、この世界が作る物語に興味を持っていたら……もっと貪欲に創作物を漁るようになって、祭唄辺りに読み聞かせなんかをねだっていれば。

 Ifの後悔なんてくだらない未練にしかならないけど、やっぱり単純に勿体ないと思う程度には沢山の創作者がいて、純粋に作品の出来を競い合っているから……勿体ないというか、申し訳ない、のかな。

 

「万事を楽しみ得る者などおらぬし、万象に興味を持ち得る者もいない。祆蘭、お前が良く言う言葉なのだから、お前がそれに後悔を覚える謂れはないだろう」

「楽しめないものが幾つかあった、ならそれは通るが、今出てきているものがほとんど楽しめない、では話が違うだろう」

「大枠で芸術と見ることもできる。無論、後悔をするなともしろとも言わぬが……そうだな、もう少ししたら歌奏題目に入る。それであればお前も楽しめるのではないか?」

「へえ。歌唱や演奏も芸術の一つなのか」

「歌を扱う者は少ないが、舞いや楽器演奏を芸とする者は多いな」

「舞い。……舞いか」

 

 言うや否やのタイミングでそういう系統の芸が始まる。弦楽器を用いた雅な音楽と共に、赤や金色を基調とした集団がぞろぞろ入って来た。

 中国で舞いと言えば真っ先に舞獅が思い浮かぶけど、虎がいない以上どうなるんだろうな……なんて考えていたら、普通に獅子の面が出て来る。……あれぇ?

 ……虎はいないけどライオンはいる、ってこと? そんなことある?

 

 そこから展開される舞いや演奏は、成程確かに私でも楽しめるもの。

 わかりやすいのだ。華美で派手。この二言に尽きる。また、『輝園』を見に来ていた黒州の貴族と違い、輝術を用いた芸であっても観客らがどよめいてくれるからこっちも没入しやすい。勿論黒州の貴族らがダメというわけではない。単純に用途が違うだろうからな。

 音楽は当然聞いたことの無いものばかりだったけど、心の揺さぶられる音楽は世界共通というか、尖りまくっているらしいもの以外は楽しめた。

 ただ、一つ気になったのは。

 

「あの笛のような楽器はなんだ?」

砍椀(カァンウン)というものだ。その隣の弦を用いたものが蛙独(ウァドゥ)、別の形の笛が那挨(ナーアイ)、手で叩かれているものが达若堡卡(ダレボカ)踏入(タゥル)

「……あまり聞かない名前のように思う」

「む、そうか?」

「平民の祭りでもあれらは見かけると思うが……」

 

 墓祭りを散々拒否してきた代償か、これ。

 ……あるいは、私が中国圏の文化を知らなさすぎるだけ? 弦楽器まではいいけどああいう……ボンゴみたいな楽器、古代中華概念にあるんだなぁ。いやここ中国じゃないんだけどさ。

 学びだなぁ。

 

「お、そうこうしていたら、あと少しで今並の出番のようだぞ」

 

 ようやくか。

 短い間とはいえ弟子だった少女。内廷に姉がいるとは聞いていたけど、それ以外に家族は居らず、恐らくだけどその姉ともまともな接触の図れていないだろう幼き少女は。

 

 ……なんだ、一丁前に緊張しているようだな。

 場の空気に呑まれる程度には……大人になれたようで。

 

 さて……。

 ──音。

 

「……。はぁ、祆蘭」

「ん?」

()()()

 

 ……それは。

 

「お前の付き合いは把握しているし、その如何も理解している。──存分に蹴り飛ばして来い」

「青清君? 祆蘭も、何の話を」

「そら」

 

 身体が浮く。そのまま……空飛ぶ馬車の外へ放り出された。

 背後で進史さんの「何を!?」という悲痛な叫びと、鈴李の「だからお前は"堅苦しい"と言われるのだ」という言葉を聞きながら……私の身体は。

 

 ……遠くの林の中にいた、桃湯の前に放り出された。

 

「お前達ってやっぱり繋がっているのか?」

「やはり、とは?」

「青清君は故意に鬼を見逃している。お前達はそれがわかっていて私達に会いに来ている。そうとしか思えんからだ」

「まぁ、そうね。繋がっている、というほどではないけれど。利害の一致で動いている部分はあるわ」

「成程。で、今潮(ジンチャオ)は?」

「……」

 

 無言で指を差す桃湯。

 その指の先に……煌く鬼火の塊があった。ヒトガタの。

 

「……焼いているのか?」

「ここまで来てうじうじし出すから、捕まえたの。もう己の娘の出番が来るというのに、合わせる顔が無いから、なんて言って踵を返そうとして」

「ふむ。なぁ桃湯、流石にこいつのケツを蹴り飛ばしたら、私の足が折れるよな」

「そうね。鬼の身体は硬いから」

「なら桃湯、お願いしても良いか」

「……。嫌よ、汚いじゃない」

 

 であれば。

 まぁ……トンカチで、いいか。

 

「いやぁ……それは絵面が怖くないかな」

「なんだ話せるのか。まぁいい、釘抜きの方で行くが、鬼だから万一も刺さらんだろう」

「いや……でも……ほら、私がどんな顔をしてあの子の大舞台を」

 

 柄を両手で握りしめ、ゴルフクラブのようなフルスイングで今潮の尻にトンカチをぶち当てる。

 ……硬いな、流石に。手が痺れた。

 

「というより、桃湯、君も君だよ。人間のことは嫌いなのではなかったのかい?」

「鬼とは強い信念の持ち主。それが、最新の鬼とはいえ思想を認める同胞が、一度決めたことを掘り返して悩み続けるようなら、これを正したいと思うのは必然でしょう」

「合わせる顔が無いのなら、なぜ鬼になった。なぜあの言葉を今並に残した」

「それは、機があそこしかなかったから」

「鬼となる前にまず親になれ。奥方を愛したことも、今並を儲けたことも、何一つ後悔していないと言い切るのなら──親を張り続けろ。できないのならば後悔しろ。後ろめたく思え。子の親となったことを、子に憧れられる背を持ったことを」

「……」

 

 桃湯の鬼火が取れていく。

 中から出てきたのは……くたびれたおっさん。おいおい、おっさんが涙目でも誰も喜ばないぞ。

 

 だから。

 

 威圧、する。

 

「……!」

「ちょ、流石にやりすぎでしょう……」

「良い機会ではあったからな。私は私の中にいる鬼子母神(グゥイズームーシェン)と和解した。これより私は鬼を導く者となる。お前達の奸計に乗るつもりは無いが、私の都合で、私の理想に向けてお前達を引っ張っていくつもりだ」

 

 だから。

 だから、だ。

 

「あの日、言ったはずだ。絶対に見に行けと。──お前を行かせるためならば、鬼子母神であることも辞さないと」

 

 (ウァー)。あれ、出せるか。

 間に合わないことすら、私は許さないからさ。

 

 ──……いや。

 

「いや。いいよ……今、君は……何かをしようとしてくれているようだけど。……。そうだね。そうだ」

「ん」

「親に、か。……はぁ。そうだなぁ。……まだ成れていなかったか、私は」

 

 彼は顔を上げて……少し、笑う。

 ふん。

 

「早く行け莫迦者」

「……君は、余韻というものを知らないよね」

「お前の到着を今並の出番は待たない。無駄口叩いて時間稼ぎをしている暇があったら早く行け」

「早く行きなさいな。そうして、くだらない人間の遊びに集中力を割くのをやめて、いつものあなたに戻って」

「やれやれ、最近の若い子は怖」

「早く行けって」

「言っているのよ」

 

 もう一度殴打する。今度はケツじゃなく、普通に顔面を。

 加えて音が鳴って、「桃湯!? それは冗談じゃ済まないね!?」なんて珍しい叫び声を上げて、今潮は鬼火飛行で会場の方へ飛んで行った。

 

 いやぁ。

 

「世話のかかるおっさんだな」

「ええ、本当に」

「しかし、今潮の言に乗るわけではないが……嫌に協力的だな。むしろ同胞が人間の催し事に参加するのは思うところがあるんじゃないのか」

「……別に。今潮に言った通りよ。同胞がいつまでも同じことで足踏みしているのが気に食わなかっただけ」

 

 ふむ。

 なんとなく思い当たることはあるけど、ずけずけ踏み込むべき話題でも無し。

 これ以上は聞かずに帰るか。

 

「待って」

「なんだ」

「……。……一言、だけでいいの。……話をさせてほしくて」

 

 どこかいじらしく。どこか……熱に浮かされているような、ぼぅっとした表情で。

 桃湯はそんなことを言う。

 

 らしいが。

 

 ──お前が、許可をするのなら。

 

「会わせることは吝かではないし、いずれ(きた)る事柄でもあるような気がするから、構いやしないのだが……どうにも信用が難しい」

「そう……よね。ええ。それは……当然だと思う」

「が、やはり構わんな。お前達二人が徒党を組んできたとしても、私の方が上だ。何があっても問題なかった」

 

 明け渡す。

 久方ぶりの表出だ、媧。

 

「……。疑り深いのか、考えなしなのか。いまいちわからぬ依り代よな」

「──媽媽(マーマ)!!」

 

 ぼふ、と。

 駆け寄って……じゃないか、桃湯は足が無いから……浮いて近付いて、私に抱き着く桃湯。

 否。ここで私、などと勘違いをする女であるつもりはない。

 

 媧に抱き着いたのだ、この鬼は。

 

「一応人前であるのだぞ、桃湯」

「わかっている。わかっているわ。けれど……ああ、やっと会えた。……ずっとずっと、ずっとずっと……こうしたかったのよ」

「そうか。……そうか。心配をかけたな」

 

 ……流石に突然刺したりはしないか。これは余計な知識の先行だな。

 ずっとこうしたかった、からのグサーは黄金ルートだけど、それやるくらいなら殺せる瞬間なんていくらでもあっただろうし。

 

「ねぇ、できないの? 祆蘭から身体を奪い獲ることは。このまま……このままあなたをみすみす返すのは……嫌よ。私は、あなたと一緒にいたい」

「それは、難しい。この依り代はお前の見立て通り、歴代においても最高の素質を有している。たとえ……たとえ主導権がなくとも、この身体を逃すのは惜しい。それでいて祆蘭は今、私達に協力的なのだ。このような好機はまた二度と現れるものではない」

「……それでも、私はあなたといたい。あなたと……あなたの隣で、世界から外へ出て行きたい。お願いよ。私を"子"にしたのはあなたなのだから……私と一緒にいて」

 

 ここまで感情を露にする桃湯は初めて見た。

 今にも泣きだしそうな彼女は……外見年齢相応というか、なんならより幼く見える。

 私の小袖。その布を掴んで、ぐわんぐわん振って。

 

 けれど媧は静かに静かに、彼女の頭を撫でるだけ。

 

 ……。

 ふぅん。

 

「む。……もう時間らしい。ではな、桃湯。またいずれ……」

「あ……っ」

 

 おい、そんな悲しそうな顔をしても無駄だぞ。

 私だって今並の作品を見たいんだ。いつまでも感動の再会をさせてられるか。というか一言だけでいいんじゃなかったのか。

 

 というか、だな。

 

「何を今生の別れのような顔をしている。そう簡単に諦めるな莫迦者共め」

「……あの方ならともかく、あなたに何を言われたところで」

「ふん、だから莫迦だと言っている。情報を秘し、伏せ、隠し……そういうことをしているから一向に話が進まない。現時点で私達の利害とて一致したようなものであるはずだ。私は鬼子母神含めてお前達を世界の外へと出したい。お前は鬼子母神のそばにいたい。世界から出たい。鬼子母神は世界から出たい。──なれば私は、どの願いも叶えてやる」

 

 勝手に期待するのなら、勝手に諦めるな。

 最後まで期待を寄せ続けろ。

 

「いつまでも鬼子母神を己の中に入れておくつもりは無い。世界から脱する願いが叶ったのなら、鬼子母神も分離してやる。その術がない、あるいはそれをすると鬼子母神が死ぬるというのなら、そうならぬ手段を探す。無いのなら作る」

「……」

「良いか? 私がお前達にとって最高の素材であったのなら、そうである理由があるのだ。最高の素材。素質。それが私という魂と私という肉体に宿った理由がある。それは何か。誰でも良かったわけじゃない。私が! わたしが!! わ・た・し・が!! この私が世界に選ばれたのは、そうでなくてはならなかったからだと証明してやる!」

「……やめて。大言壮語も、夢物語も……聞き飽きているの。人間に期待などしていない。できるはずがない。それを見限って私達は鬼となったのだから」

「うるさい。黙れ。今私が話している。私が言葉を口にしている。いいか──それが成就しない理由はない。私が私であるという以上に、私を阻む理由を世界は用意することができない。私を忘れることも消去することも、お前達にできる話ではない」

 

 だから黙ってついて来い。

 同じところでうじうじしているのはお前達も同じだと思い知らせてやる。

 

「わかったか? わかったら泣き止んで、とっとと私を青清君のところにまで運べ」

「えぇ……。あなた……今の流れでそんな、私に頼り切りな発言を……」

「仕方がないだろう。輝術で運ばれてきたのだ、帰りは鬼の術が妥当だと思うが?」

「……本当に横暴。媽媽、やはりこの子、依り代に向かないと思うわ。多少質が下がったとしても、次を狙うべきだと思うのだけど」

「おい早くしろ。見逃すだろう」

「はぁ。……はぁ~。……はぁ~ぁ~」

 

 じゃらん、と弓が鳴らされる。

 浮かび上がる身体。

 

「媽媽、次会う時までにその口調を抜いておいて。前の媽媽の方がお淑やかで好きだったわ」

「難しい相談だ。言葉や思想は依り代に影響され──おい勝手に出て来るな莫迦者」

「和解したらしいけれど、その調子で奪い返してちょうだい。分離とか願いとか関係ない、あなたがその身体を手に入れたら済む話だもの。祆蘭、あなたも簡単に折れてくれることを願うわ」

「ふん、命数尽き果てるまで抵抗すると言っているだろう。──だから安心しろ。敵がなんであれ誰であれ、私の心は折れん」

 

 運ばれる。音に乗って……青宮廷内へ。

 まったく。

 人の好意や善意は素直に受け取れ莫迦者ども。

 

 ──まずは何か、成果を示すべきだろうな。今のお前には実績が無いから桃湯らも信じ切れない。何か……何か一つ、偉業を打ち立てろ。私達は完全なる実力主義だから、それで見る目は変わるだろうさ。

 

「偉業ねぇ」

 

 打ち立てろ、って言われて打ち立てられるようなものなら、偉業と呼ばない気がするのだけど。

 ……何事もチャレンジ精神だ。やってみるとしようかね。

 

 

 して。

 鈴李のもとに返された私は、今並の舞台を見る。何の説明もしていないらしく、ずーっと「どういうことだ」という問いをしてくる進史さんを無視して見たそれ。

 

 どうやら今並はエッチングを使って『昇水泉』を表すことにしたようで、硝子の表面を輝術で操った酸で抉り、美しく天へと昇り行く水飛沫を描き上げていた。

 申し訳ないけれど、知り合いバフがかかっていても……その芸術を、私は「おお」としか思えない。他との違いがあまりわからない。ただ、会場のどよめきから結構な高評価を得ているのはわかった。

 

 ……でも。

 

「課題作品では、やはり新進気鋭が勝ちあがることは難しいようですね」

「準備期間の問題もあるし、人というものは未知の中より既知の上を評価しがちだ。硝子と酸を使った絵画、というのは確かに目新しいが、何が起きているのかを理解しようとしない連中にとっては、単なる色の薄い絵に過ぎぬ」

「そんなもの、なのか」

 

 今並は、特に何の山もなく……敗退した。彼女が舞台上に居た時間はほんの十数分で、観客の盛り上がりもほとんどない。

 課題作品の部においては、彼女が悔しがる姿さえ無く、その出番が終了したのだ。

 

「酷な話だがな。……加えて、たとえその未知を楽しみ得る者だけが集まっていたとしても、今並には経験が足りぬ。結局今の今並の作品は、『己の描きたかったものが偶然微環(ウェイファン)や協力者らに評価された』というだけで、今並自身に"なぜ、どういう理由でこれが評価されているのか"への理解が無い。それらはやはり経験の問題だし、この挫折を経て培われて行く未来であると言える」

「……嫌に饒舌だな、と茶化そうとしたが……言っていることがマトモ過ぎて無理だった。あんた、ちゃんと芸術が好きなんだな」

「祆蘭は私を何だと思っているのだ……」

 

 いやだってそれ、私にも刺さるから。

 私は芸術家ではないけれど、「鈴李に何が刺さるか」なんて考えて工芸を作っているわけじゃない。作りたいものを作って、刺さったらラッキー、くらいの感覚だ。

 無論鈴李はそういう「狙って刺しに来ているもの」にはあまり興味を向けないのかもしれないけれど、その辺の調整が私側でできるようになったら、私も芸術というものへの理解を深められるんじゃないか、って。

 

「独自作品の部でも今並の出番はある。それまでは城で待っているか、祆蘭」

「……そうだな。そうさせてもらおう」

 

 ああ、でも。

 なんだか。

 

 叶うなら……午後の部の前に、今並に会いたいな、なんて。

 

 そんなことを思ったのだった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。