女帝からは逃げないと。 作:霧江牡丹
名を名乗らぬ、華胥の一族についていく。
誰も私達を見ない。誰ともぶつからない。
いないものとして扱われているというより、そこに空間など存在しない、という風に……人という人が、華胥の一族の進行ルートからはけていく。
やがて地攤を抜けて、めっきりと人の居なくなった荒地を通って。
さらに、さらに……遠くへ。
会話は無い。どこへ向かっているのかも教えてくれない。私自身も分からない。
ただ、奇妙な感覚はあった。
疲労を覚えない。喉の渇きを覚えない。
時の進みを、体感しない。
そうして……そうして、そうして、そうして。
どれほど歩いたかわからないほどの距離を歩いて。
気付けば、そこは……どこか分からない場所だった。
否。
否だ。知っている。私はここを知っている。
どこまでも続く蒼穹。果てなき草原。地平に見えぬ山々。
「……ついてくるか。どうやら、本物らしい」
「なんだ、試したのか。ついて来られなければどうなっていた」
「特には。あの地攤で、我々を忘れて、あの者の隣にいた」
「そうか。なら、お眼鏡に適ったようで何よりだ」
編み笠に麻の編み羽織り。笠地蔵みたいな恰好の華胥の一族は、私に振り返り……言う。
「
「我々というのは華胥の一族全体を示すものか? それともお前のような存在を我々と呼称しているだけか?」
「後者だ。良い。
「つまり、他にもいるのだな」
「正しい。
それが華胥の一族、か。
……才華競演で炙り出すつもりだったのに、こんなところで出会えてしまうとは。
「汝の名は?」
「祆蘭」
「……隠し名か。興味深い」
「私の話は良い。それより、聞きたいことが──」
「シェンラン。この世を抜け出す気は、ないか」
「……なに?」
少し。
少しだけ……落胆する。
お前も同じなのか、と。結局……お前も。
「我々だからだ。我々は、奴らの手により、この狭き世に閉じ込められた。奴らの同一因子を混ぜられ、己が何者であるかを見失った者ではわからない話だ。あるいは、奴らに見初められ、奴らの駒となった者にもな」
「要領よく話せ。突然情報を出されても掴めん」
「そんなことは、ないはずだ。シェンラン。汝は既に、我々の意思の一部と接触、している。聞いたはずだ。理解したはずだ。……ゆえに我々を探していたのだろう」
「概ね正解だが、初めから知っていたわけではなさそうだな。今知った……この空間に来てからようやく知識を同調した。そんな感じか?」
「良い。良い理解だ、シェンラン」
ふむ。だとすると、最初に想定していた全知全能の存在、というわけではなさそうだな。輝術師の起源。平民が混ざる前の純血。
凛凛さんが紛い物であるのなら、純血たる彼らはどれほどまでに……なんて考えていたけれど。
「問う。お前達には何ができる?」
「万事。この世から出ること以外」
「破壊も創造も意のままか」
「然り。我々は神なりし者。壊せぬものも、創れぬものも無い」
「であればなぜ露店など開いていた」
「……。……みだりに通貨を増やすものではない。我々は混ざらなかった者だが、混ざった者を見下しているわけではない。あれらが世界の主たる種に数えられているのなら、その規則に従う」
常識的だな。もう少し常を超えた存在であったほうが想像しやすいんだけど。
まぁ鬼子母神もそんなんだし、今更か。
「問う。なぜ私に抜け出す気はないか、などと聞く。先程進史様にやった認識を操る術で、私を惑わせばいいだろう」
「汝の目は、真実を映す。我々の意思による認識錯誤など、汝の魂に及ぶものではない」
「それができないから聞いた、と? なら重ねて問いだ。なぜ私に問う。私に何ができる」
「汝はこの世に属さない。汝はこの世に縛られない。汝はこの世を導き得る」
「要領を得ないな。具体的に言え」
「汝の魂は、ただそれだけで、世の檻を壊し得る」
世の檻。……深海と高空にある、輝術の使えなくなる域の話か?
あるいは
「……汝。なぜ、
「媧?」
「追放された者だ。我々の一部であったのに、奴らに見初められた者。確か、混ざった者や、見初められた者からは……
「ああ、そいつは確かに私の中にいるが、なぜ、と言われてもな。勝手に入って来たから理由なぞ知らん」
「すぐに吐き出せ。汝の魂が穢れる」
「完全に抑え込んでいる。問題ない」
「……。……汝は、我々の知るどの神子よりも堅固な魂を有しているのかもしれない。この機会はもう訪れない。シェンラン、汝が望めば、我々は一つになろう。この世から出られるというのなら、我々は汝の意のままに振る舞おう」
「思い切りが良いのは良い事だが、もう少し慎重になったらどうだ。私はただの平民だぞ」
「確かに同一因子だ。肉体は。だが、そのようなものは汝をそこに固定しておくための楔に過ぎない。煩わしいのならば捨てろ」
死ね、ってか?
流石は神なりし者。鬼を見初める奴らとは違うのだろうけど、言ってることが明らかに人外だな。
そう考えると常識的じゃない。ちゃんと常を超えた存在だ。
「汝、行く先を照らす灯りとなる者。共に、己が航路を道として示す者。汝は単一で完結し、汝は己で物語を創る。その摂理には世の理も奴らの策謀も手を届かせることはできない」
「そんな大層な奴であるつもりはないよ。加えて、先ほどお前が言った、シャープペンシルという言葉。あれがあるということは、私と同じ楽土出身の奴が既にこちらに来ていたのだろう? 私はそいつと何ら変わらんさ」
「正しい。過去、我々はそうであるものと接触している。ただしその者は、我々を忘れた。我々に理解を示さなかった。汝とは違う」
「ふむ。……なぜあれは……せめて絵筆としてでも、世に残らなかった? 筆記具として認識できないことは知っているが、絵筆ならば行けるはずだ。便利なものが過去に作られていたのなら、それが広まることくらいしていてもおかしくはないだろうに」
「汝は知っているはずだ。この世は閉じている。この世は進化しない。この世において、新たな風というものは、岸壁を叩く海風の如く……敢え無く散り行く運命にある。全ては我々を外に出さないため。全ては我々を殺し得ないため」
やっぱりか。
最初から紙の製法や「正しい文字」があるのなら、発明家や研究者が出てきてもおかしくなかったはずだ。どれほど「完全に思える知識」が植え付けられていたとしても、凛凛さん、今潮、笈溌のような、あるいは蘆元のような原理を好む者が、もっともっと出てもおかしくなかった。
けど、それが歴史に名を遺しておらず、古来からあらゆるものが何も変わっていないというのなら……世界の方に問題があるとしか思えなかった。
華胥の一族。輝術師。神なりし者を外に出さないためだけの世界。
欠片程度でも世界進出を……この世の外に出んという意思の感じられる発明は、根本から封じられる。抜け出せるのは楽土より帰りし神子だけで、閉じ込められた神なりし者は楽土より帰りし神子を頼るしか外に出る術がない。
忘れた。理解を示さなかった。……協力しなかったという意味か。あるいは……ついてくることができなければこいつらを忘れていた、という話のように、何か素養が必要なのか?
もしや玻璃が知らぬと言っていたのも忘れているだけ?
「仮に汝の魂がこの世から消えたのなら、汝の作り上げた全てが、誰かに託した全てが無に帰すだろう。汝が生きているから、汝を思い出し得るから、混ざった者達はその風を保っていられる」
「記憶を改竄できるのか、奴らというのは」
「直接的なものではない。ただ、同一因子はそうである性質を有している。ゆえに混ざった者もまた、同じ性質を引き継いでいる」
「進化できない。進歩しない。この世を出かねない発明を遺そうと思わない性質、か」
「正しい」
凄まじいまでの徹底だな。閉塞特化だ。
人を愚かだと定義した時の推理力が、などと言われたけれど……ここまで来ると愚かというより憐れだな。
こいつら目線の話だけ聞いていると……まるで、こいつら以外は存在意義の無いものであるかのように聞こえる。無論単一視点から見た話だけを真実と信じるような愚かさは持ち合わせていないが、現時点でそうであるように思う、という話だ。
……でも、待て。おかしくないか。鬼……いや、穢れとは、確か。
「シェンラン。今、汝の言語に奇異を覚えた」
「なんだいきなり」
「光閉峰。汝が受け取った言葉。そこから想起される情景。──少し待て、今、正解を見せる」
「見せるって、どうやって……って」
眼前に広がる。
それは、玻璃がやった現場再現と同じもの。ただしこっちは色付きの……完全なるミニチュア。
ああ、けれど、そこに話の手を伸ばす余裕がない。
これは。この形は。
「……火口?」
「正しい認識だ。正しい理解だ。シェンラン。これが天染峰の姿。これが光閉峰の真実。我々はこの狭き世に閉じ込められている」
火口だ。正しく火口。
火山の天辺。そこに……その中に。火山湖の中に、大陸が浮いている。
天染峰が、浮いている。
「ここは……巨大な火山の、火口の……」
「然り。重要なことはそれではないが、ここはそういう成り立ちだ」
ピースが嵌っていく。
黄州地下、
だから、あの地図はやはり正しかったのだ。あの時考えたことは正しかった。……それに、なら、山灰庇炉處とは……その名は、もろに、じゃないか?
待て。違う。そんなことよりもだ。
「この……裾野。ここが火口だというのなら、この外には何がある」
「我々が元居た世界。奪われた世界。元来の海と、元来の空と、元来の星と、元来の雲が広がる……元来の世界」
隣の世界、と凛凛さんは言っていた。
それか。
「待て、元来の雲に、元来の星と言ったか。なら」
「無論。海も空も星も雲も、全てが偽物。奴らの作った偽の
──私達を閉じ込めるあの忌々しい空が割れて、私達を閉じ込めるあのおぞましい峰々が砕けて、私達を閉じ込めるあの苦痛を澱ませた水底が抜けて。
──それでようやく、私達は外に出られる。
桃湯の言葉だ。やはりあいつは世に深い理解を持っていた。
だからこそ遮られた思考が熱を戻す。
「いや──であれば、おかしくないか?」
「何を疑念に思う、シェンラン」
「鬼だ。見初められた者。奴らはこぞって外に出ようとしていた。だというのに……なぜ、奴らは見初められた者なんだ。どうしてお前達を閉じ込めた神なりし者は、鬼に力を与える。穢れの意思を……聞かせる」
「それは、とても単純なことだ、シェンラン」
出て行かんとする者。逸脱した者にだけ、埒外の力を与える神。
だから……伏の答えに。閉じ込められた神の答えに。
久しぶりに、酷を感じた。
残酷を、覚えた。
そうなってしまうと。
そうであるのなら、私は──。
「祆蘭、どうしたの? 何かあった?」
「……祭唄?」
「うん。私。……?」
気付くと、自室にいた。
足に残る疲労。喉の渇き。体感。
戻って来たのだと、わかる。
……さしずめ、魂が抜けていたか。そんな感じかな。
手にあるのは……シャープペンシル。日本人のパッと思いつくソレではなく、結構太めの木製のシャーペンだ。
ノックボタンを押すと、かなりヘタレてはいるようだけど、確かな弾性が返ってくる。スプリングの機構もしっかりしているらしい。出てくる芯の直径は1.5毫米ほど。かなり太い。
「すまん、ど忘れした。今私は何をしようとしていた?」
「図面を引く、と言っていた。何の図面かは知らない」
「図面……」
確かに、シャーペンならもっと細かい図面が引ける。
でも何をしようとしていたのかまでは窺い知れないな。……まぁ適当になんか……いやいや、替え芯を作れない現状で使うのは流石に。
となると、このシャーペンに合った規格の替え芯作りを優先するか。
えーと、まず定規でしっかりとした直径を計測しまして。
……きっちり1.5毫米。全体の綺麗さといい手へのフィット感といい、そうとう几帳面な楽土より帰りし神子が作ったものなのだろうな、というのがわかる。
だからこそ下手な芯を使うと上手く機構が作動しなさそうだ。
「祭唄、黒鉛、あるいは石墨というものを聞いたことがあるか?」
「……? 知らない。鉛ならある」
だよな。あれ鉛じゃないもんな。
しかし困った。躓いた。別の呼び名で呼ばれているとしたら、見つけるのは至難だ。
「いや……そうか。祭唄、この筆の、黒い部分を物質精査してほしい。何が含まれているかわかるか?」
「含まれている? ……土と、石?」
「む」
物質精査って……ああいや、そもそもの知識がなければそう感じるのも当然か。
う。……まずい。私は科学者でも化学者でもない。組成についてペラペラと語れるほどの知識を有していない。
炭素の……なんと言えばいい。グラファイトってなんだ。変成岩ってなんと言えば伝わるんだ。元植物の石? 炭素を含有する植物……なんていくらでもあるし、そもそも炭素……でも鋼はある、んだよな? でも伝える言葉がなくて、代替の言葉、言葉……。
わ……。わからん。わからん。
「……諦めるか」
久しぶりに己を恥じる話だな。
知っているワードが先行して、本質を知らない。進化の歩を止められたのはこの世の人々だけじゃなかったのかもしれない。
「ものづくり、しないの?」
「しないわけじゃないが、とりあえず無理な方向性であることに気づいた」
「なら、私の『漢字』を見てほしい」
「ん、いいぞ」
いそいそと……祭唄はマグネットボードに『漢字』を描いていく。
おお、小さな字も描けるようになったのか。今までは割と大きめに描いていたからな、成長だ。
「『祆蘭』。……うん、間違いはないな」
「嬉しい」
「もう私が渡した千の字は覚えたのか?」
「多分。あ、そうだ」
何かを思い出したかのような動作で、今描いた祆蘭の文字を消し、新たな文字を描いていく祭唄。
長めの文字列。……ほぼ完全に私の筆跡を再現しているから、ペン習字チックな文字になっていて少し面白い。
「『
「嬉しい。全部伝わった」
「……これは、なんだ?」
「前に教えると言ったこと。チャオチャンディツンザイ」
合致する。鬼子母神が言いかけた言葉と。
だけど、いつか天へと還る者、に関しては……どうなんだ。華胥の一族とチャオチャンディツンザイが別存在なら、そんなにも目的が似通うことがあるのか?
いや、ただ……そうか。
そいつらもただ閉じ込められただけ、なのか。目的が似通うんじゃなくて、誰も彼もが同じ目的を持つしかない。この閉じた世では、それが大前提。
神も鬼も、人も幽鬼も、だ。
「あ……ごめん、祆蘭。玻璃様から伝達が来た」
「例の件か。わかった」
「少し外す」
この場に居ながら遠い場所へ伝達を行う。
鈴李ができるのだ、玻璃にもできるのだろう。……そういえば玻璃への贈り物と文、黄州の一件で途絶えてしまったな。
正直に言えば。
そんなことがなくとも……桃湯と話し合いたい、とは考えているけれど。
壁に背を預けて、目を閉じる。
自己に埋没する。
「……なんだ。何用だ」
「伏から聞いた話のすり合わせだ。最初の鬼子母神。お前の名は媧で合っているか」
「……。ああ。そうか、この少しばかりの間、お前の魂が最小まで抑え込まれていたのは、伏と接触したからか」
「もしや私の意識が無い間、私として振る舞っていたのはお前か?」
「そうだ。突然私の存在が勝ったのかとも考えたが……」
「なら、図面を引く、というのはなんだったんだ。お前にそんなことができるのか?」
「あの護衛……祭唄は、お前に関することだと、鋭い。私であると気付かれぬよう、そして怪しまれぬようにするためには、奴の知らぬことをお前であるように行うしかない。つまるところ」
「ものづくりか。そうか、今までの楽土より帰りし神子の知識があれば、お前にも突飛なものは作れるわけか」
「突飛なものを作っている自覚はあったのだな」
鬼子母神。否、媧。
彼女がいるこの世界。私の中だとされた世界。
嘘吐きめ。
「お前も華胥の一族だったんだな」
「少し違う。もっと昔の話だ。華胥の一族が華胥の一族と呼ばれる前。つまり、この世にいるのが、純粋な神と、穢れの主が送り込んだ同一因子だけであった時。その時分に初めて鬼となった神。それが私だ」
「……穢れの意思。お前達を閉じ込めた者の意思と、迎合したのか」
「愚かに見えるのであれば罵ってくれて構わぬ。私は私の意思を以てそうした。ただ……私以外の鬼は、確かに、お前の感じた通り……憐れではあるのだろう。真実を知らぬのだから」
「桃湯や
「いいや。無論知っていることはあるが、知らないことも多い。全てを知るのは私だけで、古くからいる鬼の知識は虫食いだ」
なら教えてやればいいのに。
あるいは意見交換すればいいのに。なぜやらないんだろうか。
「それと、ここがお前の中であるというのは虚偽ではない。真実だ」
「ここは華胥の一族限定の空間ではないのか?」
「違う。あれら意思にとって、世界の在り方など些事に過ぎない。このような……美しさを覚える光景を作る必要がない。ここは真実お前の心象風景であり、お前が知らないお前の世界だ」
「……ふぅん。ま、納得しておいてやる。だが、この世界の成り立ちを知らぬと言っていたのは嘘だろう」
「
「詭弁だな。……私が言えたことじゃないか。ああ、楽土より帰りし神子の法則性については? あの時お前は、穢れか輝術に聞け、と言っていただろう」
「追放を受けた時、輝術における知識のほとんどが剥奪された。……伏らに剥奪されたのか、穢れによって浸食を受けたのかは知らぬが、輝術の意思が知っている事であればなんでも知っている、と思われては敵わぬ。むしろ……鬼となったあの日から、私は手探りで目的に向かって走っている。できることがあるのに隠居して、見つけてもらうことを待って、見つかっても篩にかけるような鈍間共と一緒にしないでくれ」
あー。まぁ、確かに。
自分から楽土より帰りし神子に接触するわけでもなく、地攤なんていう場所で普通に物を売って生活していて、見つかったとしても素養の有無で会話をするか選んで……と。
言われてみれば、主体性を全く感じないな、あれらからは。
その点行動に行動を重ねているのが鬼子母神、媧、か。
「それで、こんな話の確認のためだけに来たのか」
「意思を確かめたかった。……鬼子母神。媧。お前は……穢れの意思の目的を知っている。そうだな」
「ああ」
「その上で、出たいと思うのか。外に出たいと」
「当然だ。そのためであれば、なんだって使おう」
──よし。
「良し。良いぞ。……協力する。鬼が世界から出られるよう、手を貸す」
「どう……どういう心変わりだ?」
「初めから言っているだろう。主導権が私にあるのなら、別に拒絶する意思はない。お前の思うがままに動くつもりはないが、少しばかりの酷を覚えた。憤りを覚えたんだよ」
穢れの意思。閉じ込めた側の神。
そのやり方が気に食わなくて、反意が芽生えた。
「ついては、問わねばならない。お前達が世界の外に出た後。私が世の檻を壊した後──この世界がどうなるのか。この世に住まう者達が、どうなるのかを」
「それは」
私の姿をした媧。その顔が……曇る。
悲しんでいるのではない。多分、その答えが、私の意に反するものだったからだ。
であれば。
「であれば、お前の想定しているものではない脱出方法を考えればいいな」
「そんなものがあるなら、私達はとっくに……」
「わからぬだろう。私の行動の全てを、お前は予測できるのか?」
「……。……あまり、期待させる言葉を吐くな。潰えた時……疲れる」
「確かに。現時点では何の発想も浮かんでいない。──だから言う。安心しろ、
となると、必要なのは今潮、そして凛凛さんだな。
生前の今潮が発言していた樹脂について、改めて聞きだす必要がある。
善は急げ、だ。善であるかどうかは知らんが。
だから、意識を浮上させようとして……ふと。
「これからはもっと知識を吐け、媧。子らを大事に思うのならな」
そう告げて……目を覚ました。
眼前にいたのは鈴李。目を瞑り、ぴくぴくと唇を伸ばす……その、変顔みたいなキス顔で、結構な距離まで迫っていた。ただそのコースだとあんたの唇が当たるのは私の眉間になるけど。
「疲労で眠る幼子の寝込みを襲うとは、なかなかやるな」
「ぬぉ!?」
物凄い勢いで離れる鈴李。
これからずっとこれか? だとしたら今キスさせてやった方が良かったかな。それで吹っ切れるだろうし。
失敗失敗。
「ち、違う、これは」
「別に、私は許可している。そこまでしどろもどろになる必要はない。……そうだ、鈴李。輝術について少し聞きたいことがあるのだが、いいか?」
「あ、ああ。構わぬが」
「物質生成についてだ。どういう感覚でやっている?」
「どういう感覚……というのは、どういう質問だ」
「む」
抽象的過ぎたか。
まぁ実際のものを見せればいいか。
「先ほどな、祭唄にこれの精査をさせた。この絵筆は固形の墨を使っていて、その墨の原材料がなんであるかを調べたかったのだ」
「ほう。……ほう? 単純だが、面白い作りをしている。これが進史の言っていた、地攤で見つけた細工物か?」
「そうだ」
「……ふむ。粘土と……これは、鑽石か? 素材は同一だが……ふむ」
「物質の生成、あるいは削除。それを容易に行える鈴李なら、鑽石とこれの何が違うかまでわかるかと思ったのだが」
「……何が違うかと問われたら、並びが違う、と答える他ない。強い強い拡大を行わねば見えぬものだが、この世にある物質は全て細かい粒でできている。その並びによって、物質というものは姿かたちを変える」
「そこの理解はあるのか。……でもその反応を見るに、これと同一のものは見たことがない、か?」
「ああ。恐らくだが、これは輝術によって作られているのだろうな。物質生成ではなく、単純な捏和混練。加圧と加熱もか? そういったことをされて、これはこの姿にある。鑽石をどう加工したのかまでは知らぬが……再現はできるぞ」
確かに、シャープ芯の作り方ってそうだったはず。
つまりこれを作った楽土より帰りし神子は輝術師で、輝術の好き放題加減で作った、と。
そういえば要人護衛の靴も、細かい破片をくっつけてあるもの、なんだっけ。分子や元素への理解はそこを基軸にすればいけそうだな。
「ただ……あまり鑽石を作るのは……」
「疲れる、とかか?」
「いや、高価なのだ。だから、みだりに作ってしまうと市場を破壊する。過去、黄州で宝石類に纏わる事件があってな。真相自体は輝術師が輝術を用いて宝石類を作り出し、それを廉価で売り捌いた、というものなのだが……当然ながら、それらは贋作として扱われた。ただし、その術師が作った宝石は、どれほど調べても真贋の区別がつかなかった。当然だ、輝術による完全再現なのだから。……それがあってから、宝石を作るのはあまり褒められた行為ではないとされている」
「別に自然物と完全に同一なら真贋を付ける必要はないんじゃないか?」
「宝石商が困る。ただそれだけだ」
「宝石の有用性を考えれば、創り得ることを悪しとするのは良くないように思うのだが」
「──では、やはり私が帝となって、その認識を変えるか」
う。
……状況が変わった今、少し考えてしまうな。
どうなんだ? 青州が帝のいる州になった方が……私も動きやすかったりしないか? それこそ……たとえば、天染峰じゅうの識者智者を集めて……ライト・フライヤー号の草案図を与えて作らせる、とかもできるんじゃないか?
私にできるのはあくまでDIYの範疇。漏れ出たとしても私の手に届くものばかり。
本当に航空機を作るとなるのなら、ちゃんとした専門家が複数人いた方が良い。
鈴李が帝になるデメリット。
……無い、んじゃないか? 私が縛り付けられること以外。
「止めはしない」
「……本当か!」
「ちょ、突然抱き着いてくるな。子供か」
離れたり引っ付いて来たり。
……初めて会った時からは考えられない程……感情表現が上手になっている。かもしれない。めきめきと、飛躍的な……段階的な成長をしているというか。
多分私と会うまでは本当に幼いまま燻っていたのだろうな。それが、家族との再会や恋の芽生えを経て、人としての在り方を何段飛ばしもの速度で取り戻しているように思う。
良い事じゃないか、それは。
「よし。ならば明日にでも玻璃に挑みに行くか」
「莫迦者。惨敗だったのだろう? 昨日の今日で何が変わる」
「少なくとも心持ちが違う。成功しても怒られるのではないかと考えながら戦うより、お前が背を押してくれていると考えながら戦った方が良い結果を残せるだろう」
「それは確かにそうかもしれないが、惨敗とまで言うのだ。それ以上に力量の開きがあった。違うか?」
「……むぅ」
「別に倒さずとも帝になる手段はあるのではないのか? 力業ばかりを考えるな、鈴李」
「……誰かに……進史や鬼に、盗られないか?」
「まだ言っているのかそれ。……そうだな、あんたはあれだ。──女子会をすべきかもしれない」
「??」
妙案じゃないか、これ。
付き人が同性じゃない、というのも鈴李の幼稚さを加速させていたと思うんだよな。
黒根君と凛凛さんのように、バカスカ言い合えるような女性が周囲にいたら……彼女の情操教育はもう少しまともだったんじゃないか、って。いや進史さんがダメって言ってるわけじゃないんだけど。
「祭唄様、夜雀様、あと……蜜祆様に、鈴李と私。この五人で女子会をしよう」
「……ええと、すまぬ、祆蘭。それはなんだ」
「愛恋について明け透けに話す会だ。それだけではないが、とかくあんたは己の感情について気軽に相談できる同性を作るべきだよ」
「であれば……もう一人、呼びたい者がいる。構わないか?」
「好きにすると良い。ああ、男子禁制だからな。そこだけは注意だ」
「わかっておる。……少しだけ、楽しみかもしれぬ」
決まりだ。
では──鈴李の情操を育む会。略して女子会をここに発足する!
※更新不定期化のお知らせ
八月月末~九月上旬まで隔日更新ができなくなります。
二話更新は変わりません。よろしくお願いいたします。