女帝からは逃げないと。 作:霧江牡丹
青宮城では考えられないほど質素な食事。私にとっては最早慣れ親しんだような懐かしいようなな食事だけど、祭唄らには奇妙に、あるいは珍しく映ったことだろう。
爺さん婆さんも要人護衛三人もどこかぎこちないままに夕餉を終えて、見送りもやっぱりぎこちなかった。水田から帰ってきた時にも感じていたことだけど、婆さんと違って爺さんはまだ青清君に思うところがあるみたいだった。
だから──去り際。
思いつめた表情の爺さんの額にデコピンをかました。
「……何を」
「死んだわけじゃない。酷いことをされているわけでも、させられているわけでもない。ただ少しばかり遠くへ行って、人の役に立つ仕事をしている。──落ち込む暇があったら誇れよ。この家一番の出世頭だぞ、私は」
「お前は……。はぁ、こちらの気も知らないで。……ああ、行け行け。誰もお前のことなど心配しておらんわい」
「毎日のように青宮廷の方を見ては、溜息をついていましたから……また会いに来てくださいね、祆蘭」
「他人行儀じゃないか、随分と。帰郷を会いに来るなどとは言わないさ。健康に気を遣えよ、二人とも」
「ええ。いってらっしゃい」
そんな会話を最後に、私たちは水生を去るのだった。
薄紅色の夕焼け空を行く。
眼下に広がる地上と雲の二重のレイヤーに、私たちの影が長く落ちる。
登城の際にも一度見たけれど、改めて思うのは。
「……案外、村や街があるな」
「どういう意味?」
「いやぁ、水生で過ごしていると、青州は田舎に思えるんだよ。水生のような村が点々とあって、中央に青宮廷が座している。そんな偏見があった。……けど、改めて見ると、そこまで村と村、街と街の距離が離れていないんだなぁ、となったんだ」
もちろん平民が歩くには結構時間のかかる距離ではあるけれど、飛翔しているとそれがミニマムに感じられて……青州という州がしっかりと賑わっていることが見て取れる。
水生と同じくらい貧乏そうな村から、火薪を彷彿とさせる、辺境にあるのにそこそこ賑わっている村。夕暮れ時だというのに馬車が行きかう交易村や、そこに繋がる貴族の街まで様々。
また、見た感じ平民しかいないっぽい街もあって……私は本当に青州のことを知らなかったんだな、という、反省と懐古の入り混じる心境になった。
これも「いらない先入観」の一つだろう。捨てなきゃな。
「玉帰様は、植樹を担う土地持ち貴族の出、だったか」
「……いきなりなんだ。明かした覚えはない」
「祭唄から聞いた」
「言ってはいけないとは言われていない」
「……。まぁ、そうだ。だが、俺に、土地をどうこうするような、権限はないぞ」
「どの辺りを有しているのか気になっただけだ」
「知らないな。兄が実権を握っている。俺は、ほとんど関与したことがない」
いつもより少しだけ早口。
ふむ。あまり触れてほしくない話だったか? それは悪いことをしたな。
「街が気になるなら、どこかの貴族街に寄ってみる?」
「やめておくよ。私が行けば幽鬼が出そうだ」
「それはない、とは言い切れない」
実際、黄宮廷でも出たしな。……あの時の幽鬼の言葉は、起きた事件そのものにはあまり関係なかったけど……またぞろどこかへ行くたびに幽鬼が出るような事件に遭遇しても面倒だ。
幽鬼が出るということは人が死んでいるということで、それを願うなどあり得る話ではないのだし。
あんまり遅くなると青清君が暴走しそう、というのもある。
何かが起こる前に帰ろう帰ろう。そして、まぁ、泣きつかれようかね。
「止まれ、二人とも」
「ん」
「どうしたの?」
……フラグを立てたような気がする。
余計なことを考えるんじゃなかった……なんて思いつつ、玉帰さんの注視している方を私も見る。あ、ちなみに今の姿勢は祭唄に抱えられている形だ。
雲の下。だだっ広い道の上で、立ち往生する馬車が一つ。
それを背に置く二人と、さらにそれを囲う大勢の男達。
「野盗か」
「そうらしい。……どうする、祆蘭」
「私に聞くのか? これで私が見捨てると言ったらどうする気なんだ」
「無論、見捨てる。貴族が平民の諍いに関わるべきではないからだ」
「ならば私になど意見を求めずに規則に従えば良いだろう。なぜ私に意見を仰ぐ必要がある?」
「俺達は、お前の護衛だ。お前が行くのなら、ついていく」
「そうか。であれば──」
「……それで、助けなかったのか」
「ああ。雇われの仕事を奪う理由も無し。野盗に身を窶した者も、襲われる者も、同じ摂理の中の生き物だろう。生が定めか死が定めか、それは奴らの選ぶこと。見捨てた私を恨むのならば、幽鬼となりて枕元に来ればいい。いつも通りの話だよ」
「そう落ち込むな、進史。祆蘭はそういう考えをしているというだけだ。気になるのであれば近辺を捜索させれば良い」
「いえ……祆蘭の立場を考えれば、関わらないという選択は尤もで、要人護衛も己が仕事を果たしただけです。そこに異を唱えるつもりはありませんが……そうですね。少しだけ……おかしな期待をしていたのかもしれません。自己を見つめ直します」
「素直でよろしいことだ。……善行を積むのはねじの外れた正義漢だけでいい。たまたま私がそれに当てはまらなかったというだけの話」
意外や意外、青清君は暴走していなかった。
青宮城に帰ると、「帰ったか」なんて普通の言葉で迎えられて、今は進史さんと一緒に夜の雑談タイムに興じているところ。
私が日帰りをすることがわかっていたかのような反応に、一瞬また意地悪をしてやりたくなったけど、そんなことのために二度も三度も祭唄らを連れ出すのは私的にナンセンスなのでやめた。
「……ま、私が切り出してやるがな、青清君」
「帝になることは諦めぬぞ」
「ああ、別に構わん。そしてあんた達は"お前だけには言われたくない"と思うだろうが、他者の人生を左右するような大事を起こすのなら、その当事者に相談を入れろ。仮にこれであんたの目論見が成功し、私を縛り付けることに成功したとて、私はあんたを嫌うに終わるだろう。それくらいはわかるだろ?」
「……」
「なんだその目は。進史様まで」
お前だけには言われたくない、というツッコミなら受け付けないぞ。
「……焦っただけだ」
「何に」
「お前は……魅力的だから。……このままの関係だと、すぐにでも誰かに盗られてしまいそうな……感覚があった。だから……無理矢理にでも閉じ込めなければならないと思った」
「そこまで引く手数多なつもりはないが」
「玻璃も、進史も、祭唄も……他、輝霊院や他州の様々な者達が、お前に好意を持っているではないか。だから……誰と添い遂げるのか、気が気でなくて」
「は?」
私を見つめて、時には青清君に同調するように頷きさえしていた進史さんが、途端に怪訝な顔をする。圧のある「は?」が出る。
……この脳内御花畑は何を言っているのだろう。
「あー……青清君? 私は別に祆蘭のことを……まぁ嫌ってはいませんが、そのような目で見たことはありませんよ」
「だが、お前は事あるごとに祆蘭祆蘭と……口にする。青宮城にいる間、私よりもお前の方が祆蘭と話している時間が長い。最長は祭唄で……その祭唄も祆蘭に並々ならぬ感情を寄せているではないか」
「それは私の反省すべき点ですが、好意とは別物です」
「わからぬだろう! 私が惚れたのだ、お前だって」
「あり得ません。祆蘭はまだ齢九つですよ? 何をどう間違ったら私が恋心を抱くというのですか」
「私だってこの歳で祆蘭に恋をした! お前とて未婚で、恋人もおらぬのだから、何がどう転ぶかわからぬだろう!」
……成程。
恋愛と親愛の違いがわかっていないのか、この人。
家族と会ったことで、家族愛との区別は付くようになったけど、その他の好意と自分の好意にどういう違いがあるのかがわかっていない。
幼きより他と隔離された、という話は……私が考えている以上に深刻な話なのかもしれない。
「く、加えて……玻璃は、く……く……口、口吸いを……!」
「ああ、あれか。あんたを焚き付けるためのものだから、本気じゃないだろう。以前黒根君にされた挑発と同じだ」
「どう……どう、ど、どういう……感覚なのだ? 口を吸うと、何かが得られるのか? なぜ私は玻璃から送られた……色味を全く感じられぬお前のあの顔を見て、心の中に……燻りのようなものを覚えている。わからぬ。……わからぬのだ」
思春期のガキか?
……いやまぁ、精神はそうなのかもしれないけどさ。
ほら、進史さん気まずくなって黙っちゃったじゃん。
「そんなにしたいなら、してみるか?」
「は……!?」
「別に減るモノでもない。接吻に興味があるというのならやってやらんでもない。あんたがそれを良しとするのならな」
「……させてもらったらいいのでは? では私はこの辺りで失礼します、青清君。どうぞごゆっくり。祆蘭も、ある程度の機を見て休め」
「あ、逃げた。……おやすみなさい」
退出速度が尋常じゃない。こっちに一切目を合わせずに出て行ったぞあの人。
でもまぁ、彼も二十代の男の子。恋人がいないというのなら、このテの話題は苦手か。
しかし、キスねえ。
私はそこまでお堅い人間のつもりはないから、そこまでくらいだったら全然OKだけど……青清君がどう考えるかだな。
「ほ……本当にいいのか」
「なんだ乗り気だな」
「私は……お前が楽土より帰りし神子であることを知っている。本当は九歳ではないこともわかっている。……だ、だから、その……口吸いには私が知る以上の意味があって、そ、ぅ、あの……あ、いや、じゃなく……な、なんだ。た、互いの同意の上でなければいけないもの、なのだろう? お前が無知ゆえにこの言葉を吐いているのではなく、お前にはしっかりと知識があって、だから」
「それは黒根君由来の知識か?」
「ああ……そうだ。決して同意を得ることなく迫ってはいけないと、強く叩き込まれた」
素晴らしい教育だ黒根君。もうお前のことは疑わないよ。
それはそれとして、ドモり方が凄いな。中学生男子か?
「私は……お前を好いているが、お前はそうではない。……私からの一方的な好意を……お前に呑ませるのは、よく、ない」
「なぜそこを考慮できて帝が云々を相談できないのかは謎だが、あんたの言うことは正しい。だから委ねるよ。あんただけが好いていて、私からの好意がない。その状態で接吻をすることに、あんたはどれほど満足できるのか」
「……正直に言えば……悲しくはある。だが……ここで立ち止まっていると、お前を……誰かに盗られてしまう気がしてならない。……玻璃や祭唄だけじゃない、鬼もお前に好意を寄せているだろう。それを考えると気が気じゃない」
「鬼が向けてきているのは好意というかなんというか。あと向けられているのは私ではないような気もするが」
「し……しても良いのか。本当に」
「何度も言わせるな。あんたが構わないのなら──」
浮遊感。と、共に……青清君の方へゆっくりと引き寄せられる。
おいおいムードもへったくれもないな。
加えて……引き寄せる速度の低さよ。それでいて唇がひくひくしている。いやなんか、本当に子供。
「あ、待て。それなら一つ」
「な……なんだ」
「あんたの名前を知りたい。青清君は役職名だろう? あんたにも玻璃や
「……あまり好きではない」
「なぜだ。家族が嫌いなわけではないのだろう」
「無論だ。……ただただ、私に……似合わない。意味が、そ、その……可愛らしすぎる」
「余計に聞きたくなった。教えろ。なんならこれからは二人きりの間、そちらで呼ぶ」
「も……もう何年も呼ばれていない! 先日会って来た家族が久方ぶりに呼んだ程度で、既に忘れ去られたような名だ」
「あんたの帝になるという目的が達成されたら、そちらで呼ばれることになるわけだが」
「それは……」
元日本人から言わせてもらえば、名前のバリエーションや込められた意味に一々引っかかるほど不慣れなわけではない。
とんでもない名前の若い子や、私より年上であっても難読な人も結構いたしな。
「嫌なら構わん。興の削がれる前に、好きにすると良い」
「……呼ばれは、したい。お前になら……呼ばれたい」
「そうか」
「……。……──、……
「良い名前じゃないか。何を恥ずかしがる」
「"誰から見ても可愛らしい"という意味だぞ。……わ、私には似合わぬだろう」
「少なくとも今のあんたは可愛らしく見えるよ、鈴李」
「は……!?」
ちょっとクサすぎたか?
けど、家族仲が良好であるなら……親に貰った名を恥じるのはやめてほしいものだ。
大事にしろ、もう少し。
「ええい……ええい、もう良い! く、口吸いをする! お前がいいと言ったのだ、これは無理矢理ではない!」
「では、私は目を瞑っていよう。好きにやってみるといいぞ、鈴李」
「~~~っ!」
目を瞑る。
輝術によって引き寄せられて行く身体は次第に減速し……恐る恐る、といった様子の鈴李の手が両腕を掴む。
浮遊感が消えて、あとは抱き寄せられて。
「……」
荒い呼気。時折奥歯を噛み鳴らすような音が聞こえて、腕を掴む力が強くなったり弱くなったりを繰り返す。
これは乱暴なキスになりそうだ。歯がぶつかり合うことも想定しておこう。
十秒。
二十秒。三十秒。
一分くらい。
……。
……?
「鈴李?」
「──む、無理だ!!」
ぎゅ、と……抱きしめられる。
唇に当たるのは首の皮膚。目を開けても視界に入るのは彼女の首だけ。
意気地なしめ。
「そう剣気を出すな。……わかっている、わかっている。無理じゃない……待て、もう一度……ぅ」
「鈴李」
「や……やめろ、だめだ、忘れろ! 名前を……呼ばれると、は、恥ずかしくなる。いつものように青清君と呼べ!」
「ならあんたも私を細工師とでも呼ぶと良い。役職名で呼び合った方が対等だろう」
「私は良いのだ、お前にだけ呼称を戻すことを要求する!」
「鈴李」
「ぅうぅうう!」
成程。"誰から見ても可愛らしい"か。
素晴らしいネーミングセンスだ。
「……祆蘭、お前が私にしてくれる、というのは」
「現状の私はあんたへの好意が無い。それでもいいのなら、だ。……あとはまぁ、されるがままを良しとするのであれば、私がいつあんたの手元を離れようと同じに思うが」
「い、意地が悪いぞ、いつにも増して」
「そうか? 至極真っ当な言葉を吐いているつもりだが。いつもと違って」
抱きしめる力は強くなれど、「もう一度」をやろうとしない鈴李。
ま、思春期中学生にはこの辺りが限界かね。
──首筋に軽いキスを落とす。
「!?」
「玻璃にされたのはこの程度のことだ。あんたが私の顔を見て何を想像したのかは知らんがな」
「お……お前、お前は……こ、この」
「ま、今日はこのまま共に寝る、くらいで充分だろう。よく頑張ったよ、鈴李」
「……そうか。そうだな。……共に寝るか」
おや。もう一山あると思ったのだけど、案外すんなり頷いたな。
あるいはもうキャパシティオーバーして思考回路がショート寸前なのかな。
「お前は、許可を出した。……だ、だから……寝ている間に口吸いをされても、良いということだ」
「……あんたがそれでいいなら良いが」
「良いかどうかは……お前が寝た後に考える!」
さいで。
私寝るの遅いけど、その辺どうするつもりなんだろう。……こっちが寝たふりとかしてあげようか?
しかし、恥ずかしいからって寝込みを襲おうとするのはそれはそれでどうなの。
「そうかそうか。まぁ頑張れ。では──おやすみ、とそう言おう。おやすみ、鈴李」
「青清君、だ。……早く寝ろ。私が恥ずかしい」
ああ、おやすみさん。
朝。朝餉の時間。
「……」
「……」
「……なんだ、祆蘭。青清君は……どうしたのだ。不機嫌とは違うようだが……」
「意気地も勇気もない州君だった、というだけの話だ。そうだ、進史様。昨日はそのまま流れたが、いないのか、恋人」
「お前は……なんというか、面倒な老人のような絡み方をしてくるな。……少なくとも付き人をしている間はそのようなものを作っている暇はない。手のかかる子供もいるしな」
「私からしてみればあんたもその子供の内の一人だがな」
「……精進するさ。せめてお前の前に立って、お前
殊勝なことで。
む。……やっぱり水生との違いはここだな。食事に肉がある。
朝から鶏がらスープなのかぁ、って登城した時は感じたものだけど、慣れるとわかる、このスープから貰う元気の量。
他にも肉団子があったり川魚の酢漬けがあったり、粥も粥で中に清醤が混ぜられていて味にアクセントがあったり。ああ、清醤はミソみたいなもののことね。
食の好みは無いけれど、美味しいものは美味しい。
……そう考えると、折角水生に行ったんだから明未の家の椪柑果醤貰ってくれば良かったな。井戸の蓋の駄賃貰ってないままだし。
「青清君は……なぜお前の口元を見つめている?」
「昨日お前が言った言葉を反芻し、状況と照らし合わせろ。それで答えが出る」
「……。……ああ」
察したらしい。
ごちそうさまでした。
「ああ、祆蘭。少しお前に用がある。まだ出て行かないでくれ」
「また幽鬼か?」
「いや、今回は細工仕事の方だ」
「おお」
それなら大歓迎だ。
……青清君、一切匙が動いていないけれど……これ寝不足で気絶してる、とかじゃないよな。
意地悪し過ぎたか? いやでも昨日言ったことは本心だし。
多感な時期だから……まぁ、まぁまぁ。
朝餉のすぐあと、進史さんの話。
「今日、私は
「地攤、というのは?」
「知らないのか。己が家では使わなくなったものや、壊れてしまった家具、そして……お前が作ったような珍物。そういったものを扱う市場だ」
ガラクタ市か。
へえ、ちょっと面白そう。
「進史様はなぜそこに?」
「お前がどうこうという話ではないが、青清君のお気に入り……今後がどうなるかはわからないが、お前の後釜に入る者も見定めておかねばならない。その一環として向かう」
「なるほど。……行こう。ああだが、そこは青宮廷の中か?」
「違うが、何故だ」
「いや青宮廷の中だと私は顔を伏せているから、あまり物色することができないだろう」
「青宮廷においてはもうそれらを気にする必要は無いと思うが、まぁ、そうだな。その点については安心しろ。地攤は平民も貴族も関係がない。というより気にする人間がいない。市を開いているのは金に困っているもので、貴族も平民も無いからな」
「貴族なのに金に困ることがあるのか?」
「生きていく分には問題なかろうと、己が趣味に金を使う奴はごまんといる。それが書や芸術であると、お前が思っているより簡単に金が吹き飛んでいく」
……成程。どれほど給金が出ていても、物価が相応だと、って話か。
平民とは縁遠い趣味だけど、貴族であるプライドをかなぐり捨ててまで金を欲する奴は多いんだろうなあ。
しかし、ジャンク品、ガラクタ。
いいねえ。そういうの好きだよ私は。安価で期待値以上のものが手に入る。労せずして報酬が得られる、に似た場所だ。
己が審美眼に自信があれば、本当のガラクタを掴まされることもなくなるしな。
「だから、そうだな。お前の目に付いたものがあれば買ってやる。無論、お前に支払われている金子とは別に、だ」
「幽鬼対応の特別手当としては安すぎるが、良いな。行こう。行きたい」
「では、支度を……うん?」
進史さんが、心なしか嫌そうに上の方を見る。
上の方。だから、天守閣あたりを。
「……共に行きたい、そうだ」
「いつになったらあれの盗み聞きの癖は抜けるんだ」
「昔からだ。変えようがない」
「防音の輝術はどこへ行った」
「州君が故意に盗み聞こうとすれば抜かれる。普通は無理だが」
「……まぁついてくることに異は無いが、私の顔をまともに見られるのか?」
顔を顰める進史さん。
とてもうるさそう。脳内で叫ばれているのだろうなぁ。
「やはり、やめるのだそうだ」
「意気地なしめ」
そこは頑張るとでも言えないものかね。
というかこれ。
「わかっている。尾行して来る可能性を考えて、服装へは細心の注意を払うよう装束庫の者へ伝えておく」
「大変だな、お前も」
「お前も大変の一部ではあるが……青清君よりかは手がかからないことが救いだよ」
同じ言葉を返すよ、進史さん。
して……そこに着いた。
「おお。……そこまで人数がいるわけではないのか」
「いや、日暮れ時になってくると混み始める。今は暑いから、朝に来る者は少ないのだ」
「なるほど」
そこまで、とは言ったものの、確実に青宮廷よりは人口密度が高い。
大通りに沿って出された露店の前に、様々な身分の者が座り込んで商品をまじまじと見つめている。なぜ身分がわかるのかといえば、どれほど簡素に寄せていたって質が違い過ぎるから。
平民の服はもっと質が悪いのだよ貴族諸君。物質精査を頑張れ。
……平民風の衣服にしているのは、自分が貴族であるとばれたくない、という思いでもあるのかな。まぁどんな理由でもガラクタ市にいる、って知られたくないか。
パッと見は工房街に似ているけれど、家の前に露店、ではなく露店が背を合わせてひしめき合っている、のが地攤のようで、家らしいものは遠くにぽつぽつあるばかり。
また売られているものも統一性が無く、区画ごとにどの商品がどこ、という風に分けられているわけでもないらしい。本当に早い者勝ちで場所を取って、好きなものを……というか要らないものを雑多に並べている感じ。
とても良い。
「お前に言う言葉でもないが、はぐれるなよ」
「確約はできん」
「おい」
「冗談だ。ただ、あまり先先行ってくれるな。じっくり見て回りたい」
「それは問題ない。あるいはお前から見ても舌を巻くような細工物があれば、製作者を当たりたい」
細工物……は知らないけど、今私の興味は陶器に行っている。あと茶器。
えー。……良いな。良い。とても良い。
服も見て回りたいし、明らかに貴族な人が出している、一見して用途の分からないものも良い。……良いなぁここ!
あと、接客が無いのもいい。いらっしゃいとか見て行って! みたいな客引きが無い。
店番は皆極力体力を使わぬよう黙していて、客が購入をする時だけ対応をしているらしい。……ああ後、盗まれないように目を光らせているのもあるか。
だからこうやって私がふらふら見に行っても、子供だから一瞬怪訝な目で見られる……けど、私の衣服の上質さ加減を見てその目はすぐに引っ込められる。
貴族の子供など、カモオブカモだろうしな。
「これは……。……
「爸……。……はぁ。それは花露水。虫よけに使う」
「へえ」
なのでそのまま使うことにした。実際私と進史さんの年齢差ならそこまで不思議ではないし。あ、爸爸はお父さんのことね。
しかし虫除けか。輝術師は多分要らないのだろうけど、平民にはなくてはならないものだな。……水生にいた頃に使った覚えはないのだけど、私の知らん間に塗られてたのかな。
その横にあるのは……これは、麻雀牌? にしてはデカいな。書いてある絵柄は文字ではなさそうだし、ただつるりとした材質の四角いもの?
「
「こっちは?」
「それは……それは蝋細工だな。ふむ、珍しい。これは買っておくか」
へえ、これ蝋なのか。
ぱっと見プラスチックだけど、なワケないな、と思っての問いだった。……蝋でこんな発色の良い赤や青を出せるのか。
こっちの綺麗な瓶……は、酒か。匂いでわかる。
……酒には詳しくないけど、ブランデーかな? フォンダンショコラを作る時に使った匂いに似ている。
「ほう、白兰地か。良いじゃないか。それも買……ああ酒瓶だけか」
「中身入りが売っているわけがないだろう」
「いや、稀に売られている。酒瓶だけでも価値があると見る者も多いしな」
へー。
酒瓶コレクターもいるのか。面白いな。
そんな感じで、練り歩くように露店を見ていく。
中ごろになってくると爸爸呼びも慣れたようで、普通に返事をするようになってくれた進史さん。
目に付くものはたくさんあるけど、細工物らしい細工物はなくて、私が心から買いたいと思うものもなくて……進史さんも私も、どこかで「面白かったけど外れかな」みたいな思考がちらつき始めたあたりで。
「お……え?」
「どうした?」
隅も隅。客が全然来ていない露店。
そこに──異彩を放つものが置いてあった。
「……手に取ってみても、構わないか?」
確認を取るも、頷きも首振りもしない店主。
だから……恐る恐る、それを手に取る。
少し大きめの木の棒。ただ……先端と頭の材質が違う。
「それは、絵筆か? 珍しい作りだな。お前の反応を見るに、細工物なのか」
「店主。……聞きたいことがある」
生唾を飲み込む。
まさか。
まさか、こんなところにいるとは。
「──この
明らかに。
明らかに、空気が重くなる。突然深海に投げ出されたかのような圧力。
これは剣気じゃない。
威圧だ。
「……」
「待て、片付けようとするな」
「……」
威圧で私を追い払えないことを見てか、露店を引き払おうとする店主。
よく見たら……なんだこの店主。男か女かがわからない。美形ではあるが、人間味がない。彫刻と言われた方がまだ納得できる。
……逃がすわけにはいかない。
仕方がない。されたのだ。
こちらも、威圧し返す。
「……!」
「祆蘭、祆蘭。大丈夫か、突然喋らなくなったが……む、もう店を畳むのか? 待ってくれ、せめてこれを買わせてほしい」
「……」
「ああ、ありがとう。そうか、そうか。……ああ、ではこれを」
突然はこっちの台詞だ。
突然虚空に話しかけて、突然パントマイムをし出す進史さん。私は黙ってなどいないし、そこに店主はいない。あんたは金も持っていない。
「もういいのか。……まぁ、そうだな。収穫はあった。青清君が来る前に帰るとしよう」
何か、見えないものと共に踵を返していくその姿は異様の一言に尽きるけど……止めはしない。
申し訳ないけれど、こちらの方が大事だ。
「──華胥の一族、で……いいんだな」
「……。……そうだ。それを……文字を、書くものであると見抜いたのも、我々を、言い当てたのも。
見目麗しい、中性的な見た目からは想像もつかない程にしわがれた声。
声だけで判断するのは個性を削る行為であるとわかっているけれど……その老獪な声色だけで、目の前の存在の異質さを感じ取れる。
「それの、名を、問うたな」
「ああ」
「
言葉は……あまりにも聞き慣れた音で。
「シャープペンシル、だ」
そう。