女帝からは逃げないと。   作:霧江牡丹

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第四十九話「圧気発火装置」

 開口一番は。

 

「ご無事でしたか、青清君!」

 

 だった。

 つまるところ、全ては私の杞憂だった、という話だ。

 

 

 たった三日しか離れていなかったけど、久方振りに感じる青宮城。

 その天守閣にて、二人と対面する。

 

「まったく……あれだけ大丈夫だ大丈夫だと私の話も聞かずに強行突破して、挙句の果てに怪我と、加えて収穫無しで、とは。呆れて物が言えませんね」

「ふん。次こそは、だ。ここに関して諦めるつもりはないぞ、進史」

「……そうですね。私も……己の心配だけを優先し、相手を頭ごなしに否定するものではないと、強く叱られました。あなたの思いの丈も聞かずに否定の言葉を吐いたことは謝罪します」

「む。……素直に謝られるとこっちが悪者になるだろう。……お前の想いは伝わっているし、それが心からのものであることは……理解している。無駄に傷つけた。……これからもよろしく頼む」

 

 いやぁ。

 これで肉体が年齢通りだったら、泣いていたかもしれない。涙腺が緩くなるからな。

 今でも心の中で感涙している。そうそう、二人ともまだ二十代なんだから、ぶつかって悩んで腹を割って打ち解けて……そうして大人の友情というものは育まれて行くものだ。成長成長。

 

 どうやら蘆元(ルーユェン)は素晴らしい仕事をしてくれたらしく、ちゃんと若者を叱ったようだった。流石だ年長者。

 

 しかし、なんというか、今更だけど。

 

「輝術というのは、心を伝えられるわけではないのだな」

「どうしたいきなり」

「いや、心や感情をそのまま情報として伝えられるのならば、そのような仲違いは起きなさそうなものなのに、と思っただけだ。輝術の情報伝達はそういうことはできないのか」

「……心や感情とは、情報化できるものなのか?」

「知らんが。だが以前、青清君の感情が進史様に伝わってきて煩い、というような旨を発言していただろう。ああいうことはできるのではないのか?」

「ああ……あれは青清君だからこそだな。州君の昂った感情は時として他者に伝わることがある。ただそれは、故意にできることではない。……だが言われてみれば……どうにか突き詰めて誰でも可能なことにできたのなら、認識の齟齬などによるすれ違いは減りそうだな」

「水を差すようで悪いが、あれは私でも感覚の掴めないものだ。あの時も感情を伝える気は無かったしな。……言葉を選ぶと、そうだな。……あー」

「そこは力量の低い輝術師とはっきり言っても良い。攻撃的な言葉かそうでないかの教育までせねばならんとは、前途多難だな進史様」

「まぁ、言葉を選んでくれるだけありがたい」

 

 しかし、成程。

 制御できないものなのか。……輝術とは力をそのまま操るものだと奔迹(ベンジー)が言っていたけれど、その辺りの認識も結構関わっていそうだな。

 輝術をちゃんと認識できたら、そこが解消されたりして。

 

 ……逆に常時垂れ流しになってプライバシーもへったくれもない世界になると、それはそれで違う問題が起きそうだが。

 

「ただ……輝術師だけがそういうことができる、となると、平民との格差が余計に広がりそうだ。あるいは……言語というものを使わない未来が来るかもしれない」

「あー」

 

 一種の文化的特異点か。そればかりに頼ってしまって、という世界。

 ふむ。考えれば考えるだけ要らん未来しか思い浮かばんな。

 

「すまん、無しだ。便利に思えたが、不便を増やすだけだな」

「お前に輝術の才があれば、その心を見てみたいとは思うがな」

「私の心の中は遥か彼方まで広がる草原と蒼穹が美しい世界だぞ」

「よくもまぁそうすらすらと嘘が吐けるものだ。荒涼とした大地に転がる大岩と砂埃が舞う光景、が関の山だろうに」

「燃え尽きた山の頂上とかではないか?」

 

 酷い。本当のことなのに。

 ……まぁ私の心の中が美しい世界なのは私も解釈違いなんだけど。あるとすれば鉄筋コンクリートの廃墟と土砂降りの雨とかなんじゃないかな。

 実際に行って風を感じてみたいけどなぁ。

 

「輝術、か。……どういう感覚なのだろうな、それを扱えるというのは」

「言葉で説明できるものではないな。私達も使えない者の感覚はわからぬし」

遮光鉱(ヂェァフゥンクゥァン)を身体に付着させれば使えない時の感覚はわかるのではないか?」

「……あれを身体に近づけた時の感覚を平民が常に感じているのだとすれば、……よくまともな生活を送れているものだと思うよ」

「不快なのか?」

「不快とは違う。……これも言葉では説明が難しいが、付着箇所から急流が発生しているというか、暴風が発生しているというか。それでいて全身に力を籠めるのが難しくなって、輝術を操ることができなくなって、水の中に落とされたかのように体が重くなって呼吸が難しくなって…」

「いやそれは不快だろう。不快だし、そこまで弱体化するのか。……平民が武器として用いてきたらどうするんだ?」

「別に体に付着しなければそこまで問題ではないからな。遠くから飛んでくる見えぬ斬撃に当然の顔をして打撃できる平民などお前くらいしかおらぬ」

「いや私、そんなことはできないが」

「……」

 

 なんだその目は。

 対輝術師や対鬼でやっているのはあくまで反射神経だ。発生が見えてなければ……まぁたまに勘で動くときもあるけど、基本は対応できない。

 

 しかし、そうか。遮光鉱を全身に塗した装備なんかを使うならともかく、ただ遮光鉱の粉末なんかを有しているだけでは防御には成り得ないか。

 中毒症状のことを考えると、鎧にする、というのも……まぁ触れているだけならいいのかもしれんが、少し怖くはあるな。

 別に必ず輝術師と敵対する、というわけじゃないけど、"一派"や混幇のことを考えると……ある程度の対応策はあった方がいいだろうし。

 祭唄が訓練をするというのなら、私も、なんて勇み足を覚えているわけだけど、どうなんだろうなぁ。言っても私に火力は求められていないだろうし、正直前線に出るのが間違いと言われたらそれはそうで。

 

「私に武器を持たせるなら、何がいいと思う?」

「お前は武器など持つな。持たなくていい、ではない。持つな。危ない」

「刃物の扱いであればある程度は」

「そうではない。お前が武器など持てば、己が身も味方の状況も一切顧みることなく敵陣に突撃するだろう。要人護衛の立場を考えろ」

「おお、青清君の口からそんな言葉が出るとは……」

「なんだ、もう一度喧嘩をしたい、という意思の表れか、進史」

「冗談です。真に受けないように」

 

 いやその要人護衛がアクティブになっているから……。

 まぁ、武器なんかどうせ重くて持てないだろうから、いいか。トンカチと鋸があれば充分かね。

 

 工具……で考えるなら電動のこぎり……チェーンソー……いやいや。

 そもそも実現が無理だってそれ。

 

「そうだ、それで、結局青清君の用事とはなんだったんだ?」

「ん、ああ……」

「聞いた通りだ。青清君が青州を帝のいる州にするため、玻璃様に一騎打ちを頼み込んだ。結果は惨敗だったが」

「……」

「……」

「……どうした? 青清君も……なんですか、その目は」

 

 ……。

 えっと?

 

「とりあえず……初耳だ」

「……。青清君?」

「はぁ。祆蘭にしては珍しく深くまで聞いてこないから、隠し通せると思ったのだがな。……そうだ。此度の用件とは、帝の座をかけた戦い。輝術による情報伝達で戦を仕掛ける旨を伝えて終わり、にしたかったのだが、陽弥(ヤンミィ)にも玻璃にも直接赴くよう言われて相成った」

「だから私は止めたのだ。まだ時期ではないと思ったし、青清君が何か焦っているようだったから、ともすれば死の覚悟が必要だから、と」

 

 あー。

 あーねー。

 ……それ聞くと、進史さんの心配や強くなっちゃった言葉の理由が深くわかるというか。そりゃ頭ごなしに否定するというか。

 

「なぜ突然帝の座を?」

「……」

「な、なんだ二人してじっと見つめてきて」

 

 え、私が原因?

 流石に身に覚えがないけど。

 

「……怒らないか?」

「怒られるようなことなのか?」

「……その」

「なんだ歯切れの悪い。私がそこまで短気ではないことは知っているだろう」

「……」

 

 青清君は……居住まいを正して、私を見る。真摯に見つめる。

 なんだなんだ。

 

「……帝による正式雇用であれば、お前を……手放さなくて済む。……理由はそれだけだ」

「だから私は止めたのだ。お前には悪いと思うし、青清君の気持ちを否定したいわけではないが、そんなことのために帝の座を、というのは……あまりにも利益と代償が釣り合っていないだろう?」

 

 ふむ。

 

「──では私は水生(チーシン)に帰らせてもらうとしよう」

 

 そういう大事なことを相談せずにやる人はお断りです。

 

 

 

 自室にて。

 

「祆蘭、青清君を許してあげてほしい。もしくは私に仲直りの術を聞かないように言い含めてほしい」

「今の私の顔でも情報として伝達しておけ。それでもやめられぬのならそこまでだ」

「青清君に意見しろ、というのは無理。私じゃ無理」

「見たままを輝絵の情報にするだけでいい。あ、夜雀(イェチュェ)様、これも頼む」

「いいよ~」

 

 一応の着替えと、工具一式と、あとは……。

 

「けど、本当に行くつもりなの?」

「ああ。というかこちらの言葉ではあるがな。本当についてくるつもりなのか?」

「そりゃね~。私たちは祆蘭のための要人護衛だし」

 

 よし、準備は終わったな。

 では行こうか、懐かしの生まれ故郷、水生へ。

 

 

 というわけで、夜雀さん、祭唄、玉帰さんのいつもの三人要人護衛と共に、水生まで帰ってきた。

 いやー。

 

 なーんもない!

 

「ここが祆蘭の生まれた村」

「長閑でいいところだねぇ」

「……俺は、周辺の警戒をしてくる。祆蘭の護衛、任せた」

「たまに野盗や山犬が出る……なんてのは要らん情報か」

「警戒はする」

 

 玉帰さんを見送って……実家へと向かう。

 いやぁ本当に貧乏村だなぁ。畑もしなしなだし、壊れた道は私が出て行ったときから直されていないし。

 だーれも整備なんてしようとせん。さすがだ水生。

 

「え……え? 祆蘭?」

「ん? おお、明未(メイミィ)。久方振りだな」

「久方振りだな。じゃなーい!!」

 

 その突撃を受け止める。

 いやー、まぁまだ三か月経つか経たないかくらいだからな、全然変わってない。

 

「心配したんだよ!? 祆蘭のお爺さんとお婆さんにお話し聞いても全然話してくれないし、大人はみーんなだんまりだから、死んじゃったのかと思った!」

「私がそう簡単に死ぬわけがないだろう。敵が貴族であれ山犬であれ、四肢を失ったとしても生き抜くさ」

「そこは死になよ!!」

 

 酷くない?

 ……懐かしいけどさ。

 

「……と、あれ……後ろの人たちは?」

「初めまして。私は祭唄。祆蘭の友人」

「夜雀って言います~。よろしくね!」

「は……はい。初めまして……、明未です。……しぇ、祆蘭。もしかしてとは思うけど」

「ああ、二人は貴族だぞ」

「ちょ……」

「が、安心しろ。立ち場的には私の部下のようなものだ。厳密に、というか実際は全く違うのだけど、お前の気にする話じゃない」

「畏まる必要はない。あなたも祆蘭の友だというのなら、私たちは同じ」

「あ……ぅ、あぅあ……」

 

 当然の反応ではある。

 なお、明未は私と思想がほとんど同一であるだろうから、これは畏まっているとか敬っているとかではなく、失礼を働いて何か言われるのが面倒だなぁ、から来る語彙喪失だ。

 内心では「久しぶりに会ったと思ったら厄介ごとを持ってきやがって……!」と思っているに違いない。

 

「私たちは今から家に戻るのだが、どうする。一緒に来るか?」

「お……お母さんに報告しに帰ろうかな!」

「そうかそうか、まぁ気を付けて帰れよ」

「うん!!!」

 

 なんて元気のいい返事。

 友との再会の場から離脱できることをここまで喜べる奴は中々いなかろう。

 

 そそくさと逃げるように去っていく明未を見送って……では。

 凱旋である。

 

 

「よう、爺さんに婆さん、一時帰宅だ……と、婆さんだけなのか」

「……あなたはいつも突然ですね。お連れの貴族様は、何人ですか?」

「三人だが、食事は要らないそうだ。水生の貧乏状況を見て気遣われているな」

「泊まっていかないのですか?」

「泊まって行ってもいいんだが、雇用主が痺れを切らしそうなんでな。顔を見せたら帰るつもりだった」

「職場に不満があるのですか?」

「不満というほどでもないが、灸を据えるべきだと判断した。雇用主であることを理由にいつまでも横暴続きでは困るからな」

「ほどほどにしてあげてくださいね。あなたはやることなすことすべて極端ですから、振り回される側は堪ったものではないでしょう。……しかし、その様子だと……貴族様も誑し込みましたか。お爺さんほどの心配はしていませんでしたが、うまくやれているようですね」

「失礼な。そこまでの人誑しになった覚えはないぞ、私は」

「そうですか?」

 

 片眉だけを上げて、私の後ろにいる祭唄たちを見る婆さん。

 ……聞く相手が違う。私を快く思っていないお貴族様に聞け。

 

「いつ頃帰るのですか?」

「夕刻あたりを予定している」

「なら、お夕飯は作りますよ。その程度はできます。ほかならぬあなたからの仕送りのおかげで」

「……ああ、ちゃんとその辺は支払われているのか」

「知らなかったのですか?」

「何分、金を必要としない生活を送っているものでな」

 

 気安い言葉の応酬。

 ……帰ってきたと、そう感じるよ。

 

「爺さんは?」

「水田の方に出ていますよ」

「ああ。……爺さん、手伝いに行くと怒るからなぁ」

「ええ、そっとしておいてあげてください。田仕事はあの人にとって心安らぐものですから」

 

 しかし、となると……どうするかな。

 この村本当に何もなくて暇だからなぁ。特産物があるとかもなければ、観光名所があるわけでもない。

 どこどこの秘密の場所で見る景色が綺麗……とかもない。僻地で盆地で、湖や泉もなければ海も遠く、山のふもとでもなければ草原が広がっているわけでも森があるわけでもない。それが水生。小さな川だけがちょろちょろと流れているので水生の名は廃れていない。ギリギリ。

 

 なんでこんな場所に村を拓いたんだ、と……登城する前は思っていたけど、「そうとされていた」のであればさもありなん。

 州境と同じく初めからそうなら……逆に今まで続いていたことを褒めたたえるべきか?

 いや、すぐに滅びそうだと桃湯が言っていたのを考えるに、平民の村は簡単に滅んだり拓かれたりするのかな。だとしたらやっぱりなぜここに拓いた問題が出てくるけど。

 

「なんにせよ、荷物を置いてきなさい。いつまでも立たせたままでは悪いでしょう」

「ああ。世話になる……とは、言うなと怒られていたっけ」

「家族にその言葉を使う方がおかしいのですよ。おかえりなさい、祆蘭」

「ただいま」

 

 言い間違いが多かったのだ、昔は。

 どうしても家族である感覚に慣れなくて、なれなくて、世話になるとか面倒をかけるとかそういう言葉を吐いていたら……怒られた。

 他人行儀が過ぎる、と。

 

 懐かしい話だ。

 

 ──ただいま。

 

 

 家に「己の部屋」というものはない。

 だから適当にカモフラージュ用の着替え類を置いて、一息を吐く。

 

「ね、祆蘭」

「ん? どうした夜雀様」

「祆蘭が前に作ったものとかないの? ほら、青宮城に来てからはいろんなものを作っているけど、元々いろいろ作ってたんでしょ?」

「いや、基本は近所のガキにくれてやるか、家の修繕をするとかばかりだったからなぁ、形に残るものは邪魔になるから作らなかったんだ」

 

 工作物をああも保管しておけるのはスペースがあってこその話。

 この村に工芸品を置いたところで、雨風にさらされて腐食するのが関の山だろう。

 

 また、作業環境としても適しているとは言い難いので、作っていたのは簡素な仕掛けのおもちゃか、あるいは模型、木彫りくらいだった。

 稀に風車の模型のような凝ったものを作ることもあったけど、ああいうのは冬場の積雪でどうしようもないときとかだけだ。基本は外をふらふらしていたし、ああも時間のかかるものは作らなかった。

 

 だから形に残っているものというと、この家の壁とか土鍋、釜、あるいはそれこそ誰かの家の井戸の蓋とかが「作ったもの」になる。

 ……ああ、あともう一つあったか。

 

「怖がられて使われなかったから、捨てられていないことを期待したいが……お」

 

 土間は厨房の下。鍋などが入っている場所の……一角。

 そこに仕舞われていた円筒を見つけ出す。

 

「あったあった」

「……竹?」

「先端が焦げてる」

「圧気発火装置だ。手軽に作れるものだが、案外便利でな。竹がないとすぐには作れないが……」

「圧気発火?」

「ああ。ふむ、少し外に出るか。一応ちゃんと危ないから」

 

 円筒を持って、二人を引き連れて家の外に出る。

 庭とかそういうものはない。家を出たら目の前が畑で、それを囲う道があるばかり。だから他の家々からも離れた、且つ村の中とは言えない場所まで行く。

 竹筒をまっすぐに立てて、持ち手を引いて。竹筒の中に綿を入れて、持ち手を両手で持って。

 

 思いっきり押し込む!

 

「わ」

「爆ぜ……た?」

「大きな音が鳴って火が付いただけだ」

 

 すぐに竹筒を外せば、そこにはメラメラと燃える綿が。

 ……一瞬で消えたが。

 

「え、すごーい! 輝術?」

「なわけがないだろう。ただの……ただの"世の理"だ」

 

 貧乏村では火の調達も難しい。

 だから便利なんじゃないかと思って作ったのだけど、思いの外怖がられてしまって封印となった。多少力は要るけど火をつけるだけならこれが一番早いのに。

 ……まぁ竹で作っているからいずれお釈迦にはなるんだけど。そうなったら作り直せばいいだけで。

 

 というかこんなんでそこまで驚くなら「作ったもの」にカウントしていなかったいろいろを見せられるな。

 

「何事。……祆蘭に、二人とも」

「あ、玉帰。祆蘭のお婆さんがね、お夕飯出してくれるって」

「迷惑をかける。断れと……言った」

「祆蘭が私たちの魂胆を言いふらした」

 

 私が言わなくても婆さんは気づいてたよ。食べない、なんて言えばな。

 

 ……もしかして怖がったから使わなかったんじゃなくて、音が大きすぎるから使わなかったのか? だとしたら理解が及ぶ。

 

「何かするなら、伝達を入れろ。驚く」

「はーい」

「でも水生の人たちは全く驚いていないみたいだけど」

「慣れているからな。私のせいで」

 

 それなりにいろいろしてきたので耐性がついているのだと思う。

 ……そう考えると青清君に見つかったものがやじろべえだったの、そこそこ奇跡だな。もっとくだらんもんとかもっと過激なものが……おっと。

 

「夕刻頃に食べる。それまでに……って、ああ。それこそ伝達を入れてもらえばいいか」

「ああ。そうしてくれ」

 

 いけないな。水生の生活では輝術なんて言葉すら知らなかったからか、ここにいると輝術に関する選択肢が脳から消える。

 一応、気を張り替えなおさないと。今の私は……色々な部分が違うのだから。

 

 

 再度玉帰さんを見送って、家に帰る。

 特に何を言ってくることもない婆さんに「寒炉の補充をしておくぞ」と告げて、また厨房に。

 これまたキッチン下の土鍋収納スペースから取り出すは、真白の卵のようなもの。

 

「なにそれ」

「白い石?」

「生石灰だ。川辺の白い石を釜で熱して生成する」

 

 この量を生成するのには時間がかかるのだけど、ここには輝術師がいるので補充も楽々だろう、ということで一つを実験に使う。

 

 といってもどこかへ行く、とかじゃない。流しに生石灰を置いて、井戸水をざばーするだけ。

 途端、パキパキと音を立てながら盛り上がったり崩れたりしていく生石灰。生石灰は吸い尽くした水と反応して熱と蒸気を放つ。

 冬場……日照時間の短い季節に使うと簡単に暖を取ることができるため、これは受け入れられた。以来家では時折川辺から持ってきた石灰石を焼いて、小石大の生石灰を集めては寒波に備えている。なお、使用後にできる消石灰に関しては漆喰以外の用途が思いつかなかったので、爺さんに任せた。その後の行方は知らない。

 作り方を伝えると、夜雀さんは手をぽんと叩いて……目を瞑り、伝達をしたらしかった。すまん玉帰さん、石集めなんか貴族の仕事じゃないだろうに……。

 

 他にも二、三の「手間はかかるけど暮らしに便利なもの」を紹介したところで、ふと。

 

「……そういえば、気にしたことなかったな」

「どうしたの?」

「いや……石灰石があるんだ、あの川の上流、あるいは源流には石灰岩地があるんじゃないかと」

 

 水生周辺の地理なんて一切気にしていなかったから知らなかったけど、そういえば、ってなった。

 

 なったので、調べに行く。行動力が上がったというか、いつでもどこへでも行こうと思えるようになったのは成長かもなぁ。

 

「出かけるのですか?」

「ああ。ちょいと山までな」

「……夕刻までには帰ってきてくださいね」

「少し見に行くだけだ。時間はかけんさ」

「そうですか。あなたがそう言うのなら、そうなのでしょうね」

 

 引っかかる反応……だと思ったけど、そういえばそうだった。

 山、近くにないんだ。……普通に歩いて行ったら麓まで行って帰ってくるだけでそこそこ時間を食う。

 無論普通に歩いていけばの話だ。飛べば一瞬。そう考えると移動方法についてはもう平民の思考じゃないんだなぁ私って。

 

 一年の雇用が終わればここに戻ってくるんだから、その辺も忘れないようにしないと。

 ……青清君が青州を帝のいる州にしなければ、だ。実家に帰らせてもらいます、で灸を据えたわけだけど、実際青清君が帝になれば、私の永久雇用など容易かろう。ぶっちゃけ今でさえ無理を通せるはずだ。州君は州の中では一番偉いのだから。

 

 いずれにせよ今は好奇心。

 二人を連れて村を出て、人目についていないことを確認して飛翔。別に見られてはならない、というルールはないらしいのだけど、余計な騒ぎを起こさないために隠れるのだとか。

 

「いやー。なんか、祆蘭のお婆さん、祆蘭の育ての親、って感じがすごい出てたねー」

「同意する。とても似ていた」

「そうか? 私は幼い時分に自我が確立したから、さほど似ていないと思っていたのだが」

「私たちが貴族だってわかっていながら、あそこまで物怖じしない人も珍しいよ~。それにあの目!」

「うん。"私はあなたより上にいますよ"というような感情が伝わってくる目。祆蘭にそっくり」

 

 ……素直に喜んでいいのかわからんチャームポイントだな。

 私のこの根拠のない自信と絶大なる余裕は前世由来のものだけど、私が祆蘭という存在で生まれたのにはちゃんと……なんだろう、ちゃんと繋がりのある血筋に生まれた、とかなのかな。性格が似通っていた的な。だとしたらあの「影」も、単に私を模倣した存在というわけではなく、元来の「祆蘭」ちゃんなのかもしれない。

 もしそうなら、あちらこそが正当な……。

 

 なんてことに思い悩めるほど青少年ではないのだけど。

 

「見えた。多分あの山が水源。降りる」

「お」

 

 雲の隙間を縫って急降下する祭唄。夜雀さんも続き、私たちはその山へと下りる。

 して、一目でわかった。

 

「……これは」

 

 すさまじく険しい山肌。見え隠れする白。

 ここが石灰岩地帯であるのはまず間違いないけど、ただ……山の形状が、異様だ。

 隆起した……クジラが海面に出てきたとばかりの隆起。それによって形成された山、という印象を受ける。だから、山というより超巨大な隆起物だ。山というものの成り立ちがそうであることも多々あると思うけど、その比じゃない。超局所的な隆起によって作られた、突起のような構造体。

 

 ここは、本当に山か?

 

 鼻をひくつかせる。……潮のにおいがする。山なのに。

 

「祭唄様、さっきの川の源泉が見たい。場所はわかるか?」

「精査済み。ただ結構高いところにあるから、もう一度飛ぶ」

「ああ」

「真っ白い山だね~」

 

 飛翔してもらう。

 目指すは山頂付近の平場だそうで、その山肌の至近距離を飛ぶ。

 

 ……化石の類は見られない。が、珊瑚の堆積物という感じもしない。

 

「ついた」

「足場が悪いな。すまん、少し調査をしたいのだが、万一があるかもしれない。頼めるか?」

「うん」

「任せて!」

 

 任せる。

 任せて屈みこみ、源泉に腕を伸ばし……その水に指をつける。

 

 手触りも、匂いも。あと、少しだけ舐めた感じも。

 間違いない。この湧水は、塩水だ。

 ……塩水の湧く理由というのは様々想定されど、地球にあるものは未解明であるものも多かった……ように思う。学者ではないので詳しいことは言えないけど、なんにせよ普通は湧かないものだ。

 湧くとすれば、地下水が塩水である場合とか、何らかの理由で海水をこの山が吸っていて、それをここから出している場合とか……だと思うけど。

 この山から海へは、それなりの距離がある。……この距離で吸っている可能性はある……のか?

 

 専門家! 専門家呼んで来い!

 

 ──そうだな。一つ教えてやることがあるとすれば、その山は私の自我が確立した時からある。そして、同様の山が天染峰には数多く存在する。

 

「……これが、まだ」

 

 ──前にお前は、不便ないのに出られなかったのか、と私に問うたな。……この世は、お前が考えているより複雑なのだ。どれほど万事を熟せたところで、ある一つができなければ適わぬ事柄が存在する。ヒトが前に進めぬ理由も、真実を求むる鬼が長き間縛られている理由も、輝術も自然物も、在るだけの理由があって、無くならない理由もある。

 

「如何ともし難い話だ。だが、それでも私は」

 

 ──ああ。……期待しているさ、私もな。

 

 ……。

 ふん、お前の期待など背負う気はないがな。

 

「祆蘭? 考え事は終わった?」

「ああ。……水生に帰ろう。これ以上考えても意味はなさそうだ」

 

 世界。"世の理"。

 奔迹(ベンジー)か、今潮か。……一度意見交換というものをしてみるのもいいかもしれないな。




2話目の代わりのフレーバーピクチャー

おそらく一枚目の壁画と同時期に作られたもの。

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