女帝からは逃げないと。 作:霧江牡丹
まるで初めからそこにいたかのように──瞬きの後、背景の一部として在った影。
「っ!」
トンカチを向ける。
まずい。祭唄は今以前の進史さんの一歩手前くらいまでダウンしている。意識が朦朧としているようだったから横にならせて呼吸姿勢を取らせようとしていた……そんなときだったのに。
無論、守る者のいなくなったタイミングで出て来たというのなら、見事という他ない。
……鬼か。害ある幽鬼か。はたまた別の何かか。
影としか形容できないそれが、口らしきものを開く。
「そう警戒せずとも良い。お前の命を取る気は無いし、取る意味もない」
「にしては剣呑な雰囲気を纏っているように思うが」
「お前がいつもやっていることだろう? 常在るように剣気を浴びせる。くく、こちらにその意思がないとどれほど口にしたところで警戒は解かれん」
「……」
剣気。そうだ、これは剣気だ。
いつものぞっとする感覚さえない、薄氷のような剣気。踏んでから踏み割ったことに気づくほどに透明な。
「と……なんだ、祭唄はなぜ倒れている?」
「随分と気安く呼ぶものだ。知り合いか?」
「ああ、知り合いだ。……その症状は……認識限界外の情報に触れたか? まったく、あまり無理をさせるな、可哀想だろう」
「知り合いだというのなら謝ってはおこう。その上で私は祭唄を連れまわすし、体重をかけるよ。結果何かがあって、彼女が私に恨みを抱くのであればそれは摂理だ。大人しく受け入れるさ」
「頑固者の口を曲げるつもりはない。不毛だからな。それより診せろ。ある程度の心得はある」
「穢れの塊か何かのようにしか見えんお前を祭唄に近づけさせろと?」
「なんだ、随分と慎重じゃないか。お前らしくもない。それとも、恐れているのか?」
「ああ。お前からは意思らしい意思を感じない。意思ある相手であればどうとでもできるし、意思の奪われた怪物であればいくらでも相手をしよう。だが、お前のような影法師を相手にした経験が圧倒的に無い。他者の命を抱えている現状で未知を相手取るのは中々に面倒だからな、しっかりと恐れるに越したことはない」
「くだらん。あまり恐怖に理由をつけるな、言い訳などすればするほど滑稽に見える」
「滑稽で結構だ。それで命数の足しになるならな」
診せる必要など無い。死するものではないのだから、リスクヘッジは大切だろう。
正眼に構えたトンカチ。
けれど、瞬きの後に、影は消えていて。
気付いた時にはもう、私の背後に倒れている祭唄に影が覆いかぶさっていた。
「動けぬのなら動かずに見ていろ。これはお前でもできることだ。主となるなら、これくらいはできるようになれ」
影が腕のようなものを伸ばす。その先端から出て来るは光。青と碧と、黄と赤と、黒と白の光。
ふよふよと浮遊するそれは祭唄の中に吸い込まれて行って……たったそれだけで、彼女の顔色が良くなったことがわかった。呼吸も安定している。
「……生憎とこちらは平民でな。輝術など使えん」
「これは輝術ではない。
「穢れによるものだ、と? ならやはりお前は鬼か」
「鬼というよりは、幽鬼に近いな。そして穢れに依るものでもない。ふん、なんでもかんでも聞くな、自分で調べろ」
「そうか。では問いは次で最後にしよう」
「私はお前ではない。これで満足か?」
「お前は私の何だ。お前が私であるかどうかなど疑ってはいない。私にない発想をし過ぎるからな」
確かに口調や雰囲気は似ているけれど、こいつは私じゃない。
私は祭唄の主になるつもりなどないし、そんな自覚をしたこともない。仮にそうなる未来があるのだとしたら、蹴っ飛ばして熨斗付けて張っ倒してやる。
誰が人の上になど立つものかよ。二の舞は御免だ。
「……私はお前の代替品だよ。お前がお前でなければ、お前の役割を担っていた者。とはいえお前が今お前である以上私の出番はない」
「そうか。で、なぜ今出て来た」
「干渉し得るのがここくらいだからだ。私という符合によって、お前が作るはずだったものとは違う呼応が起きる。──喜べよ。無理をしてでも世界の関節を外しに来てやったのだからな」
「私の喜怒哀楽は私の所有物だ。お前に指図される筋合いはない。……が、祭唄を助けてくれたことには礼を言う。私とて彼女に苦しい思いをして欲しいわけではないからな」
「もう少しその素直さを青清君に見せてやれ。──さらばだ、祆蘭。私はお前ではないが、お前が私にならぬことを願っている」
意味を問う時間は無かった。
ざぁと……千切れるようにして消えてしまったから。
影などどこにもなく、あるのは静かな寝息を立てる祭唄の姿だけ。
……お節介め。余計な世話だよ、それは。
「はいほい終わったよー! ってうおおお何で倒れてんの!? もしかして襲われた!?」
「根本原因はお前だからお前のせいだ」
「嘘だろ!? 俺なんかやった!?」
お前が変なモン見せるからこうなったんだ。
というか……あの代替品とやら、結局何をしていったんだ? まさか祭唄が起きた瞬間赤積君みたいに暴走するとか無いよな。
答えを知ってそうな鬼子母神はずーっとだんまりだし……。
「それで、何か見つけたのか」
「ああ、見つけたけど君は読めないよ。……え俺……今自然に対応した? 慣れて来てる! 俺君に慣れて来てる!」
「中には何があった」
「この資料と、何基かの水槽、輝術師の男が四人いたね」
「鬼は?」
「鬼? ああ理性無き鬼のこと? さっき出てきたやつ以外いなかったと思うけど」
「……」
祭唄が感じ取ったおかしな気配とやら。それはもしや、あの影のことだったのだろうか。
鬼などこいつ以外いなくて……。
いや、いるはずだ。
成功例はいるはずなのだ。……となると、やはり
なんにせよ、少し地下に長居し過ぎた気はする。
そろそろ戻らないと二次災害が起きそうだ。
「ここには多分、その資料以外の収穫は無いだろう。……脱出しなければな」
「ああ、それについてなんだけどさ。単純に真上に大穴を開ける、ってなると、上に人間がいた場合がまずい。だから崩落した洞窟を掘削して外を目指すべきだと思うんだ。崩落した洞窟なら、その上にある地面も陥没しているはず。その上で何かをしている奴なんていないだろ?」
「相当な気狂いか愚か者であればしているかもしれないが、その案が最も妥当そうだな」
「よし! んじゃ……その子は俺が背負うから」
「いや、いい。私が背負う」
「流石に無理だって。身長差も体格差も果てしないし」
「意識を取り戻した時に鬼の背にいるよりは良いだろう」
「……言い争う必要はない。大丈夫……今、起きた」
お。
祭唄は……それはもう申し訳なさそうに、罰の悪そうな態度で……うつむいたまま起き上がる。
彼女が立ちあがる──その前に、顎の下に手を入れて、強制的に上を向かせた。
さらに襟首をつかんで、頭突き……をする寸前まで顔を近づける。
「……なに」
「思い悩むな。落ち込むな。言葉は全て私に吐け。お前は現状唯一の私の理解者であるということを忘れるな。役に立つ立たないなど、初めからお前に求めてなどいない。くだらんことで己を卑下するな。──私が頼ったのだ。私の審美眼をお前が貶すなよ。怒るぞ」
「……そんなことはできない。私は……祆蘭みたいに割り切れないから、悩む」
「よーし良い度胸だ」
頭突きをする。
……。
「痛……ったぁ……」
「寝起きとはいえ輝術師の身体。平民と比べたら硬いのは当然。……大丈夫?」
弾かれるように仰け反った私に手を差し伸べる祭唄。
自然と立ち上がって、俯くのではなく覗き込んで。
──ハ、それでいい。
「帰るぞ、祭唄。流石に足が疲れた。道を切り開くのは奔迹に任せて、お前は私を抱えていけ」
「いいよ」
「……おおお……口を挟めない雰囲気……! 流離いの奔迹もここは流石に空気を読む……!」
「読んだのならとっとと掘削してくれ。ああ、私達の頭上が崩落するのは許さんからな」
「当然! 今度は間違えない!」
最初のも、お前が間違えたというよりは、という感じだったがな……なんて言葉は呑み込んで。
奔迹の懸命な掘削工事により、私達は地上へ戻ることを成功させたのだった。
私達が外に出た後、見計らっていたかのように地下洞窟が全て崩落したのがわかった。
周囲の林、その地面がところどころ陥没していったから。
これは危ないとばかりに空へ退去すれば……黄宮廷近辺の林に尋常ではないダメージが入っているのが見て取れた。
轟音に誘われ、集まってきている人影も見える。
だからなのかはわからないけど、少々焦り気味に奔迹は「んじゃ俺はこれで! 小桃には良い感じに言っといて!」と捨て台詞を残し、どこかへ飛んで行った。
お前私の監視なんじゃないのか。どっか行っていいのか。
というツッコミは届かぬまま……私と祭唄は黄宮廷への帰還を果たす。
して。
「……」
「……祆蘭」
黄宮廷・医院。
その布団で眠る……
入院理由は、頭部挫傷。
黄宮廷外の林の一角で、頭部から血を流して倒れているところを貴族に発見されたらしい。命に別条はないそうだけど、まだ起きないのだとか。
……助けを呼びに行って……その助けが、"一派"の人間だった、とかかな。
瞼を降ろして眠る彼女に、私の警鐘はまだまだ轟音を鳴らしている。
でも……私達を助けに来る、など……この人が本当に危ない人ならポーズでもいいはず。一度己の命が狙われているのだ、自衛のために諦めたっていいはずなのに。
ま、彼女が何者であるにせよ……三宿五飯の恩があるんだ。
そこに報いるくらいはしよう。
祭唄の服の裾を引いて医院を出る。
そのままそそくさと工房まで戻れば……そのタイミングで、雨が降り始めた。
「……普通に降るのか、雨」
「そんな予定は聞かされていない。……客人だから伝達が入らないこともないはず」
「意図しない雨が降ることは、どれほどあり得ない?」
「祆蘭が色気を出して青清君を誘うくらい」
「成程それはあり得んな」
どういう例えだ。
……やっぱあの光を取り込んでおかしくなってないか?
工房の窓から灰色の空を眺めている内に、今度は弾けるような光と少し遅れた轟音が響き渡る。
雷か。……あの雲雷は出せるのか。
「祆蘭、窓の近くにいちゃだめ。空の怒りは平民じゃ耐えられない」
「空の怒り?」
「今の輝術のこと」
「……輝術?」
「光ったでしょ。あれは高熱で、実体がない。直撃すれば完全防御状態の輝術師でも火傷を負う」
……ああ、雷はまだ解明されてないってこと?
確かにこんだけの……最初からある程度の文明を有していたと思われるのに、少なくとも八千年を経て未だ電気を扱えていないのは……解明されていないから。あるいは、誰もしようとしないから……なのか。
各州の宮廷では基本的に天候が操作されているから、余計に学ぶ機会に恵まれないのだろうな。
また、轟音。……遮るものがないからか、凄まじく響くな。大気を叩く音がダイレクトに伝わる。
しかし輝術師ですら焼くのか雷。雷にも耐えられる輝術師に驚くべきか?
ぴゅーん、と。
空を飛んでいく木。
え?
「今のは……え?」
「暴風で木が飛ばされて来たのだと思う」
「いやいやいや」
木だけじゃない。岩とか砂とか土とか、飛ぶはずの無いものが空を飛んで遠い場所へと落下していく。
「今回ばかりは強く言う。何があっても家の外に出てはいけない。飛ばされる」
「そんなに!? そんな暴風が吹いているのか!? 嵐という段階にないぞ!?」
「試してみる?」
祭唄が、戸に向かって小石らしきものを投げる。
無風に近い家屋の中から小石が外に出たその瞬間、ビッと……天に吸われて行った。ビッと。
「青宮城と同じ。嵐が来るとわかった時点で、宮廷は家々に防護の輝術を使う。今回は伝達が損なわれていたけど、本来であれば全住民に対して避難命令が下る。宮廷ではない貴族の街なんかが嵐に見舞われた時は、平民にも触れを出す」
「あり得ないことの割にしっかりしているんだな……」
「祆蘭がお酒に酔えばありそうだとは思っている」
「私は酒を飲まないから余計にありえん」
なんだ色気を出して青清君を誘うって。……あれ、祭唄って私と青清君の関係を知っているんだっけ? 知らずに言ってる?
しかし、凄まじいな。
これは正しく天災だ。人間の抗えるそれじゃない。
「いつ止むとか、わかるものなのか?」
「わからない。伝達の一切が来ていない」
「……そうか。嵐で情報伝達は阻害されるものなのか?」
「されない。ただ、もしかしたら客人登録が青清君だけになっているのかもしれない。それで青清君が今玻璃様と話している最中だから伝達するわけにも行かず、私の所まで降りてこないのかも」
大切な内線電話を受けたのに忙しさを理由に握り潰しちゃう報連相できない人、みたいな。
いや青清君の用事が一番のおおごとだから構わないんだけどさ。
あれ……あの飛んでるの、落ちてきたりしないよな? ……いや人里に必ず落ちて来ない、という方が不自然か?
「心配になる気持ちはわかるけど、大丈夫。黄宮廷は帝のいる宮廷だから、他州の宮廷より守りが厚い。落ちて来るものは全部弾かれる」
「そ……そうだな。確かに」
「もしそれでも落ち着かないなら……私の膝に座る?」
「今"なら"と提案が一切繋がっていなかった」
「地下で、祆蘭は私の不安を拭おうとしてくれた。あまりにも力業が過ぎたし、私はそこまできっぱりと割り切ることはできないけど……不思議と不安の心は消えていた。……未知が怖くて、心が揺らぐなら、せめて私の温もりを感じて安心してほしい」
「やっぱり言動が若干おかしいな祭唄。言葉選びがいつものお前じゃない」
「……素直な気持ちなのに」
赤積君は蝮でも食わされたか、と言っていた。
あの光が精力剤みたいな効果を持っているのなら……今の祭唄は危険かもしれない。
「逃げようとしたのはわかった」
「っ、いつの間に……いや本当にいつの間に私はお前の膝の上に!?」
「速く動いて連れ去っただけ。はい、よしよし。暴れない暴れない」
「抱きしめる必要はなくないか。座れというのなら座ってやるから、腰に回した手を離せ」
「嫌」
拒否して、ごろんと横になる祭唄。当然私を抱えたまま。
そして……ごろごろと、当然私が何度か下敷きになる形で、横転をし始めた。
ぜーったいおかしい。ぜーったい興奮してる。……発情、とかにならなかっただけ良いけど、私はぬいぐるみかなんかだと思われてるこれ。
「祭唄、ぎゅむ、落ち着け、今のお前はぎゅむ、おかしい。自己分析をぎゅむ、しろ」
「おかしくない。素直な気持ち。祆蘭はもう少し子供らしいことをしていい。遊んであげる。楽しい?」
「支離滅裂じゃないか。……ぎゅむ」
──酔いが醒めてから自己嫌悪に陥るがいい。
今度は励まさんぞ。
ぎゅむ。
夜。ようやく収まった嵐と共に、青清君が帰って来た。
彼女は紊鳬さんの容態を知っているらしく、祭唄からの報告を受けても「そうか」としか返さなかった。
というのは良いとして。
「……青清君。お前、怪我したのか」
「少しな。お前が気にすることではない」
「あんたを傷つけられる存在がいるのか」
「隠す話でもないので言うが、玻璃だ。少し争った」
いやいや。
気軽な口調で言うことじゃないって。
昼間の暴走状態が抜けて猛烈な猛省をしている祭唄がぎょっとしてるじゃんか。
「明日には帰るぞ」
「え」
「もう用は済んだ。この息苦しい黄州にいるのも飽いて来たところ。加えて祆蘭、お前の命が狙われているかもしれないというのなら、長居する必要もない」
「……紊鳬様の恢復を待つとか、そういうのは」
「奴は元付き人で、且つ玻璃の庇護下にある。そう簡単には死なぬ。そんなことより、今のお前を放置して、"穴に落ちる"よりも大きな厄災に巻き込まれるのを良しとする方が無理だ。先にも言ったが、黄州の問題は黄州の者が解決する。何が起きていようと、何が企まれていようと、私達の関与するところではない」
それは……そう、なんだけど。
実際そうなのだ。……これ以上私が首を突っ込める場所など無い、気はしていた。此度のことだって不可抗力で、それも奔迹がいなければどうにもならぬまま輝夜術のなかを彷徨って飢え果てていたかもしれない。黄宮廷に、あるいは黄州に巣食う"一派"や混幇、そして御史處などの闇は、私にどうにか出来得る範囲を軽く超えてしまっている。
ただでさえ今回地下洞窟が崩壊したことで甚大な被害が出たのだ。果ては黄宮廷にまで、なんてことになっていたら……私のせいで戦争が、なんて事態にもなっていたかもしれない。
摂理は受け入れるが、回避できる運命までも摂理扱いすることはない。
「……わかった」
「ああ。それと、
「え。……あ、いえ、勿体なきお言葉です」
「私が謝罪したのだ、大人しく受け取れ」
……なんか……さっぱりしてる?
玻璃となんかあったのかな。喧嘩して一皮剥けたとか、夕暮れの河川敷じゃないんだから……とは思うけど、もしかしてそういうのが青清君の精神的成長に必要なことだった?
一瞬、躊躇はしたけど。
聞いてみるか。
「進史様に、同じ謝罪ができるか?」
「……はぁ。祆蘭も玻璃も、私のことを子ども扱いし過ぎだろう。……無論だ。あの時は言い過ぎた。……言い過ぎたし、結果として……奴の言ったことは何一つとして間違っていなかった。……此度のそれは、私が全面的に悪い」
「おお! ……やるじゃないか玻璃……様! 良い指導者だ、敬服するよ」
「そうかそうか。では最後の夜は私と共に過ごさぬか、祆蘭」
……まぁ名前出したら後ろにいそうだな、とかは思ってたけど。
まさかいつの間にか膝の上に乗せられていようとは。
「……何をしに来た、玻璃」
「今述べた通りだ。よかろう? お前は帰ったら祆蘭を好きにできるのだ、黄州最後の夜くらい、彼女を私に貸しておくれ」
「この三日間十二分に祆蘭を借りただろう。いい加減にしろ」
「お前がどうしてもというから予定を繰り上げて今日の締結にしてやったのだ。お前の我儘を聞いた分、私にも融通するのだな」
「……」
そうだよね、元の予定では七日くらい必要みたいな話だったし。
それを三日に短縮したんだ、余程の無理を言ったに違いない。
「良いな?」
「……祆蘭は私の枕だ。眠るまでには返せ」
「枕? ……ふむ、時代によっては様々な呼び名で恋人を比喩するものだが、まさか枕とは」
「うるさい! 行くなら早く行け!!」
「おお怖い怖い。──だが、此度はそこな要人護衛も連れて行かせてもらおう」
え。
あ、祭唄が浮いた。
「……勝手にしろ」
「寂しい夜にはさせぬ。少し話し合いをしたらお前の元に帰してやる。今日の夜眠れないと困るものな」
「勝手にしろと言った。……早く行け、視界にも入れたくない」
あーあ、完全に拗ねちゃった。
……青宮城に戻るまでに機嫌が直っていればいいけど。
して。
無人の
「では、改めまして。私の名は玻璃。お気づきであったかもしれませんが、祆蘭と同じく楽土より帰りし神子ですので──まずは、全発言と全行動を許します。顔を下げるのはやめてください」
先回りで祭唄の平伏を制止し、さらにずずいと彼女に近づく玻璃。
そのまま顔布を取って、盲目であることまで明かした。……ははーん。
「抱き込む気か」
「ええ、それが手っ取り早そうなので」
「あ、あの……なぜ私にそのような開示を」
「ふふふ。それはですね」
ずずい、ずずいと顔を寄せ……祭唄の耳元で何かを囁く玻璃。
……言葉の判別ができなかった。なんて言ったんだ?
「それは……私にはどうしようも」
「ええ、今のあなたにはどうしようもないことです。でも、これから先で、祆蘭がさらに強大なものへ立ち向かっていくのなら……必要である、というのはわかりますね?」
「……はい」
「なら、尚更に、です」
「なんだ、力が欲しいか? とでも囁いたのか?」
「あら? あなたには読み取らせぬよう口元を隠したのに、わかってしまったのですか?」
「文脈でな」
流石。私がどうやって言葉を読み取っているのかも理解しているのか。
鬼子母神のサイレント力貸しや桃湯の音のような特殊なものでない限り、私は発話される口の形を読み取って言葉を判断している。それがないと全員の言葉がカタコトにしか聞こえない。リスニング能力など欠片も上がっていない証拠だ。
だから口元を見ずに言葉の判断ができている時は、鬼子母神の影響を強く受けている時だと断言できる。
話を戻して。
「……輝術の力量というのは、後天的に鍛えられるものなのか?」
「普通はできません。ですが、私にならばある力業が使えますので」
「力業?」
「ええ。──勿論付き合ってくれますよね、奔迹」
「ええええ!? 呼んじゃっていいの!? 俺達の関係性って秘されるべきものじゃないの!?」
何かいるな、とは思ってたけど……奔迹だったのか。
青宮城で言うところの青清君の寝床。その部屋から出てくるは奔迹。そして。
「ああもう、いちいち叫ばないで、煩いから」
「ちょ、そんな怒るなって
「何度も言っているけれど、私の方が年上」
「そう怒るなよ
「──……この空間にいたくないわ」
久しぶりの桃湯。……あいつ、普通にグーパンもするんだな。
「鬼……!?」
「ええ、鬼です。祆蘭が鬼子母神の依代とされている、という話は聞きましたね? それと同じように、私も元鬼子母神の依代でした。だから鬼との繋がりがあるのです」
「それは……私に明かすべきでは、なかったのでは……ないでしょうか」
「問題ありませんよ。先も述べた通り、これはあなたに必要なこと。──時間都合の合う日、私や鬼たちが、あなたを鍛えてあげます。高濃度の穢れに肉体を浸し、それを魂で押し返して浄化する。これを繰り返すことで輝術の力量は多少上がりますから、まずそれは当然のように行うとして、さらに戦闘訓練もしましょう。輝術師同士の模擬戦闘が子供の棒遊びに感じられるほどの実戦経験。この二つがあればあなたは祆蘭の隣に立つ者として相応しい強さを手に入れることができます」
「断る」
断った。
私が。
「へ」
「別に私は祭唄に強さなど求めていない。理解者が隣にいること、の方が大切だ。よって祭唄は貸し出さん」
「……祆蘭? その"隣にいること"を実現するために必要なことなのですよ?」
「必要ない。それに、鬼とは人に与してはいけないのだろう? 鬼の本意に沿わぬことをさせるなよ、玻璃」
「ふむ。大局に必要なことであれば、己の信念はともかく鬼の矜持程度曲げられるものだと思っていましたが……もしかして二人とも、嫌だったのですか?」
「いやいやいや! そんなこと無いって! 俺達基本暇だし!」
「嫌ではない。けれど、確かに人に与し過ぎるのも良くはない。……何より祆蘭がだめだというのなら、諦めるしかない」
「……でも、祆蘭。今のままじゃ私は」
「流石にくどい。なんでも自分一人でできるようになろうと思うな。強きが必要な盤面では、強き役割を持つ
「お、小祆
顔布を外した状態で奔迹ににっこりと笑いかける玻璃。
あれは確かに怖いな。
「邪魔が入ったが、そういうことだ、祭唄。お前にはお前の役割が……」
「断る」
「む」
「確かに、なんでも一人でやろうとするな、は正しい。人にはできることが限られているから。でも、あなたが私の隣で、あるいは私の前に出て……その命を振り絞るような生き様を見せてきているのに、私だけが今の私に満足して立ち止まっている、なんて……無理。そんな怠け者じゃない。できることがあるならやりたいし、祆蘭がどう思うかとか関係なく私は力不足を覚えている」
……だから、それは。
「象棋で言うなら、祆蘭は
「……なら、もうはっきりと言うが」
「もうはっきりと言う。祆蘭は私のことを見くびっている。鬼との訓練で私が怪我をしたり死したり、あるいは変質したりすることを恐れている。……あなたの目には、私はどこまでも弱く映っているのだと思う。それは私の実力不足が原因だし、要人護衛としての仕事の出来なさを見せられ過ぎて、あなたが私に重ねてしまった不安の影であると言える。だから、今はその不安を拭わない。──実力で黙らせるから、今は指を咥えて見ていて」
「いいじゃん! 俺は協力するよ、
「……祆蘭の許可が出たのなら、私も吝かではないわ」
「いや許可など出していなムグ」
むぐ。
いつの間にか背後に回り込んでいた玻璃に、口を押えられる。
「決まりですね。日時については追って連絡します。青清君への言い訳もこちらで考えてあげましょう。……ということで、お礼をいただきましょうか」
「……わかった」
いやいや横暴が過ぎる! と言おうとしたのだけど、声が出ない。身体が固められている。……以前寝起きの青清君が使って来た相対位置固定の輝術とかいう奴だ。
ただ、祭唄にはその流れがわかっていたらしく……彼女はそれを取り出した。
丸められた資料。……
「内容は覚えましたか?」
「はい。ただ、半分以上が政の話で、私が読むべきではないと判断したため、必要最低限だけを記録させていただきました」
「よろしい。ではこれは私がもらいますね。……ふふ、取引成立です。さて……青清君からの返却要請が煩いことですし、帰りましょうか」
不意に。
──玻璃は動けない私をひっくり返して、ちゅ、と……唇にキスを落として来た。
……ん?
「あらあら。今の顔を輝絵の情報として青清君に送ったら、色付きでないというのに凄い怒り様。適当になだめてくださいね」
「……玻璃様は、もしかして……不和を生む天才だったりする?」
「そんなそんな。まさかまさか」
その通りだ祭唄。こいつを信用するな。
「ああ、それと。紊鳬のことは私が見張っておきます。ですから、安心してお帰りください」
「……わかった」
「ふふふ、どうしますか桃湯。あなたも祆蘭と接吻しておきますか?」
「あなたはいいかもしれないけれど、私は青清君の怒りをそのまま身に受けることになるの。遠慮しておくわ」
「そうですか? 残念です。鬼との接吻の輝絵の方がより効果的に青清君の神経を逆なですることができそうなのに……」
「んじゃあ俺と──嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘!! 怖いって! 一人だけでも怖いのに全員から睨まれるのは流石に怖い!!」
「んー……もう一度接吻をしましょうか。ふふ、動けない少女を意のままに、というのは、中々倒錯的で楽しいですね」
「想像とは別軸に危険人物。祆蘭を返してほしい」
「嫌です」
浮遊感。祭唄も浮かんでいる。
……なんだろう、確かにこいつはいつもこんなんだけど、いつも以上に"こんなん"な気がする。
青清君がスッキリしていたように、こいつのテンションもあがるような「争い」だったりしたのかな。
しかし……今生のファーストキスが、私の総年齢よりも上の女性か。
ふむ。別に気にしやしないが……今度文で金銭でも要求してみるか?
その後。
それはもう笑顔な玻璃は、私と祭唄を青清君のもとへと返し……その帰り際。
「お前の想いを踏み躙るつもりはないのでな、舌は入れないでおいてやった。存分に楽しめ、初心娘」
と言い放ち──何らかの情報を青清君の頭に叩き込んだようだった。
なんでそれがわかったか、って。
それはもう……青清君の頬が紅潮していたから。……黒根君の齎した知識に無かったのかな、そういうプラトニックな知識は。
とにかくあれだ。
指導者として敬服する、と言ったあれ。
取り下げよう。あれは劣悪だよ。
……やっぱり州君って残念な奴しかいないんじゃ……?