女帝からは逃げないと。 作:霧江牡丹
体感朝四時半頃にパチリと目を覚ます。
青清君の「枕にする」宣言に一切の偽りはなかったようで、現在拘束され中。これだけの人の気配がありながらも寝ることに集中できたのは、まぁ、青清君が一切離してくれなくて寝ざるを得なかった、というのが正しいけれど。
……黄宮廷での生活、初日を終えての朝。
静かなものだ。近くで寝ている祭唄も、少し離れたところで転がっている
しばらくこのまま、かね。
それとも。
──黄州に来てまで、それが私の運命なのか。
なぁ、幽鬼。
起きた瞬間から元気溌剌だった紊鳬さんに面食らいつつ、朝餉をいただいての……すぐその後。
一瞬眉を顰めて「ちょいとすまん、出てくる!」と言っていなくなった彼女の後を、「昼までは暇だから」なんて理由でつけてきた青清君。プラス私達。
人だかりとどよめき。顔を伏せているので何が起きているのかはわからないけど、人々が動揺しているのはわかる。
単語だけのリスニングに努めれば……殺し、また、何件目……固定……?
「戻るぞ、祆蘭。要人護衛」
「はい」
興味を失った、という声色で。
足早に、そこを去ることとなった。
紊鳬さんの工房に戻ってきてすぐ、私を膝の上に乗せる青清君。
「黄州で起きた問題だ。お前が首を突っ込む必要はない」
「……いや、そもそも何が起きたのか理解していないんだが」
「ならそのままでいろ」
お前が連れ出したんじゃないか、というツッコミはさておくにしても。
溜息は……出るかもしれない。
玻璃の言葉が効いている。
私が来なければ明るみに出ることはなかった、という話。
ここまで来ると蝶ネクタイ型変声機が欲しくなる。あそこまでの頭脳がないのに死神部分だけ似ているとか、最悪なのだけど。
「今朝、幽鬼を見たよ」
「そうか。だとしてもお前が何をするという必要はない。黄州の貴族がなんとかする」
「……」
それは……そうだ。
わざわざ私が出張らなくちゃいけない事件なんて、本当はないはずだ。そいつがいなければ解決できなかった事件、など……本来あってはならないのだから。
と……紊鳬さんも……猛ダッシュで工房に帰って来た。そして叫ぶ。
「おーい! おいおいおーい! 現場見て足早に去るとかやめてくれ! 余計な疑いを生むだろ!」
「私達が
「これだから州君は! あとでどうとでもなるから、じゃない! まず! 不和を生まない! それができれば要らない争いは起きない!」
ううん。
真理。
「どわっ、い、いきなり頭の中で喋るな! 伝達する時は前置きしろっていつも言ってるだろ!」
「そなたは要らぬことを言うことにかけては他の追随を許さぬからな」
「……いや、いくらあたしでもちまっこいのを前にそういう話題は出さないって! 信用ないなーもー!」
「それが要らぬ言葉だと言っているのだがな」
子供の前では出さない話題。
やっぱり……殺人か。それもリスニングの限りだと、連続殺人。
「ま、なんにせよ、客人のあんたらが気を揉むことじゃないからな! もと付き人の私がかるーく解決してくるから!」
「ああ。その辺りは信頼している」
「おう!」
快活な返事と共に、また猛ダッシュで去っていく紊鳬さん。
青清君がこう言うってことは、問題解決能力に長けているのだろうか。
それともアレでいて死ぬほど頭が回るとか?
「案ずるな。あれは有能だ」
「へぇ」
「己が領分というものを決して見誤らない。己にできることではないと判断すれば、すぐに他を頼る。頼るべき相手を頼る。それが行われない内は奴の領分を超えていないことの証左だし、仮に頼るとしても客人の手を借りるという真似はしない」
成程、手際が良いというか、卒のないタイプなのか。
やっぱり大声も格好もポーズなんだな。ちゃんと考えているちゃんと──。
「無論、奴にその自覚は無いだろうが」
「……どういう意味だ?」
「どこまでが本気かは知らぬがな、なぜその行動をしたのか問うても大体の返事が"なんとなく"だし、なぜ他を頼らなかったのか問うても"いけそうだったから"で終わる。全て計算尽くなのだとしたらお手上げだ。全州の州君、付き人が騙されていたことになる」
「……祭唄。今、祆蘭みたいだ、とか思ってないよな」
「そんな、まさか。私は祆蘭を信じてる」
真実を知らずとも円満な解決に導ける天才……ってこと?
私、そっちの方が良かったなぁ。
しかし。
「私の出る幕がないというのなら、なおさらに教えてくれ。気になるだろう」
「……」
「……」
「信用ないな。どの道ああも貴族がいる中に調査、などできるはずがないのだし、いいだろう。な?」
「……」
「……」
欠片も信用されてないんだけど。
青清君も祭唄も、話せば勝手に調査に行くとか思ってる? 私基本的には安楽椅子探偵気味だよ? 現地に赴くことそんなには無いよ?
「要人護衛」
「はい」
「昼を過ぎて、私がいなくなった後も、決して祆蘭から目を離すな」
「はい」
「──どうやら青清君は、鳥の愛で方を知らぬらしいな」
一瞬、二人に緊張が走る。
声。それは……戸の方から。
「……何をしに来た、玻璃」
「私とお前の間で交わされた約定は、この地に滞在する間、私とこの細工師が会うことを邪魔せず、呑む、というもの。──青清君、閉じ込めるばかりが鳥の愛し方ではないぞ」
「何の話、……ッ!?」
「ふふ、そら……近う寄れ。大空を羽搏く鳥なのだ、自由に飛ばしてやるのも飼い主の器量というもの」
連日で……玻璃に浮かされる。
お前と行動するのは良いんだけどさ、その煽り口調やめないか。青清君を焚き付けるのが楽しくて楽しくて仕方がないって顔してるぞ。顔布で見えないけど。
「好きに怒れ。好きに悔め。それを糧とし力と変えろ、青清君。その程度の拘束も抜け出せぬようでは、未だ彼我の差埋まらぬと思え。──ではな、小娘」
煽るだけ煽って……また、高空へ。
いや、別によくないか。私を連れ出すだけなら煽らないでも。
なんであんなことを。
「ふふ、夜のうちに、なぜ此度、青清君は進史を連れて来なかったのか、というのを紊鳬から聞いたのです。そうしたらまぁ、喧嘩をして、あまりよろしくない発言をして、そのまま出て来たというじゃないですか。無論、彼女の思想を思えばそれはある種の正解なのですが、それでは彼女を想う、あるいは案じる全てが報われませんからね。下からは紊鳬が、上からは私が責め立ててやらなければならないでしょう」
「そうか。お前の趣味は何割だ」
「六割ほど」
「半分以上じゃないか……」
「当然でしょう。彼女も若いとはいえいい大人。いつまでも世話係が必要などとは言ってられませんから」
「……ま、そりゃそうだな」
進史さんとの関係修復、とか。
余計なお世話といえば……そうなんだよな。
「それで、今日はどこへ? 何を作る?」
「どこへも行きません。ただ、あなたが見たがっていたものを見せてあげましょう、と思いまして」
して──空中に、それが投影される。
黄宮廷の一般家屋。沢山の野次馬。何割増しかキリっとした顔の紊鳬さん。
……立体映像? ディスプレイやスクリーンもなしに投影を……。
「生憎と私には色味というものがわかりませんので、形だけ。今朝あった殺人事件の現場です」
「いや、凄いけど……無理だぞ、私。推理とか……」
「解決を求めているわけではありませんよ。ただ、あなたが現地へ赴くには障害が多すぎるので、こうして空から見てみましょう、というだけの話。調査は輝霊院あたりが行うでしょう。できませんでした、で終わらせられる話でもないですからね」
「……まさか、全部わかっていて?」
「ふふ、さて、どうでしょう」
あり得ない話じゃない。
どこにいても全域の物質精査ができるんだ、何を把握していたっておかしくはない。ただ、究極的にヒトへの興味が薄いから、口を出さないだけ。
あるいは、紊鳬さんを信用しているから……かもしれないけど。
彼女なら、真実など知らずとも解決してくれるだろう、と。
なら、やらせてもらうか。
不利益を考えずに考えて良い、という話なら、それは進史さんに課せられていた「過去の幽鬼事件調査」と同じこと。
私の思考が人々に何の影響も与えないというのなら、好きに間違えられるし好きに吐き出せる。
「幾つか問いをしたい。良いか?」
「ええ、もちろん」
「じゃあまず、前提条件の確認だ。この事件は連続殺人……同様の事件がいくつも起きている。そうだな?」
「はい。敢えてこの世界風ではない名を付けるのなら、連続密室殺人事件、となるでしょうか? 同一の手口、同一の犯人と思われる事件が既に五つ起きています」
「五件も……というか、密室? ……輝術なんてものがある世界で密室も何も」
「その輝術で作られた密室ですよ。あなたも目にしたことがあるでしょう? 固定の輝術。あれが此度の事件の肝となります」
……輝術による密室。そんなの、作りたい放題じゃないのか。
SFミステリーが成立し難いのは、そういう逸脱した力があるせいだ、というのをどこかで読んだ記憶がある。
「あなたにはまず、輝術による固定、あるいは結界というものがなんなのか、を教えておくべきでしょうね。恐らくですが、あなたが最も目にする機会の多い結界は、防音輝術でしょう?」
「ああ……そうか、あれも」
「はい。内部の音を漏らさない結界。分類で言えば実は精査も結界の内に入りますが、そこを切り分けて使っている者はいないでしょうから、割愛します。ともかくああして、中のものを外に出さないようにするのが結界というものです」
確か、初めて会った時の桃湯も結界の名を口にしていたはず。
恐らく輝術に限らず、「中のものを外に出さないようにするすべ」を結界と呼んでいるのだろう。
「固定は結界の小さなものであると考えてください。中のもの……物質を結界の外に逃がさない。これを素材の形に沿ってかけることで固定とする。輝術による固定というのは、そういう仕組みで成り立っています」
「……ふむ。この事件現場には固定の輝術が使われていて、その中で人が死んでいる。ただ……外から輝術を施した痕跡がない、という話か?」
「良い理解力です。そう、輝術というのは使えば痕跡の残るもの。どれほど位の高い輝術師であっても必ず痕跡は残ります。使用後、時が経つに連れて消えていく痕跡ですが、連続殺人、及び今朝の事件において、被害者の貴族は死ぬ直前の夜まで生きていたことが確認されている。たった数刻で消える痕跡なのだと仮定したら、今度は固定の輝術の規模が大きすぎる。つまり──」
「事実として固定の輝術はかかっているのに、立ち去った者の痕跡がなく、内部の貴族は死している。結果から、この現場は密室という扱いになる、と」
「はい」
逆算的な不可能犯罪か。そうか、そうだよな。
部屋の中の人間を殺すこと自体は多分簡単なんだ。この密室を成り立たせるのが大変なだけ。
……いや、痕跡が残っていない、というのは……殺す時の輝術も断定できていない感じか。輝術……を、使っていない可能性もあると。
こうなってくると思い起こすのは今潮の事件だ。
奴が弟子たちを殺した時も似た状況だった。輝術の痕跡が確認されず、鋭利な刃物だけが断定された。結果としてそれは幽鬼となった今潮が揮った爪による斬撃であり、輝術の痕跡が残されないのは当然、という話で落ち着いたけど……今回は固定の輝術がセットなのが思考を晦ませる。
「この事件現場は、どこまで忠実に再現されている?」
「私の物質精査の届く限りです」
「つまり完全再現と。遮光鉱でも使われていない限り、だが」
「はい」
であれば、と。
投影されている壁に手を伸ばす。……届かん。身長身長。
お、浮かされている身体が動いた。
「であればこの壁の……中は、密室の中、ということになる。輝術が破られる前をわざわざ再現してくれたのだろう?」
「そうなりますね」
黒と白しかない空間ではあるけれど、飛び散った血が証拠になるのでもない限りはそれでもわかることがあるはずだ。
問題は、私にそこまでの医療知識や検死技術が無いということだけど……。
それでも「見たまま」を口にするのなら。
「……歯が、おかしいな」
歯。壁に凭れ掛かって死んでいる男性貴族。彼の腹の上に落ちているのは、恐らく本人の歯だろう。……何か強い衝撃を受けて歯が折れたのか?
あるいは単に食生活が……いやいや。
「こちらも出しておきましょうか」
と、その言葉と共に……追加で五軒の家屋が現れる。
どれも野次馬の集まっているシーンを切り取っているらしい。わざわざそれをするのには理由があるのだろうか。
玻璃に身体を動かしてもらってそれぞれの現場を見に行けば……それぞれの死体において、歯がおかしくなっていることが見受けられた。
おかしい。
「どういう……状況なら、歯の圧壊が起きる?」
どれもこれも半開きになった口。その中で起きている「歯の圧壊」。
どんだけ強く噛み締めたってそこまでは行かないだろう。行くとすれば、何かが原因で歯が弱化していたとかか? ……根管治療ですっかすかになってたとか、骨粗鬆症、甲状腺機能亢進症とかで歯がボロボロになるって例は聞いたことがあるな。あるいは日常的に歯ぎしりし過ぎててクラックトゥースが、の線はあり得なくはないけど、五人……今朝のを含めて六人全員が、ってなると非現実的に思える。
あと他に歯がおかしくなるのって、重度のニコチン中毒とか抗がん剤とか……とにかくとんでもないものをとんでもなく体に溜め込んでるって場合くらい……の、はず。
もしくは、最初に考えた通り、後頭部や顎から強い衝撃を受けて砕けたか、だけど……再現映像の限りでは、顎や頭部への外傷は見られない。
溶けたって感じでもないんだよな。「圧壊した」がもっともそれらしい言葉。
……わからん。これ以上は専門分野過ぎる気がする。
他。
ああ。ぬぅ。ぐわー。
「──わからん」
「素直ですね」
……。あるいは。
今潮に言われた言葉……"人をくだらないものと定義して、直感だけで推理する"のが正解だとすれば。ある種……ハンロンの剃刀のような考え方を通すのであれば。
歯のことも。いいや、こいつらが死したことさえ、誰かの「失敗」なのだとすれば……どうだ。
殺し殺されたの話ではなく。
ただのミスだとすれば。
「……密室を作った……固定の輝術を使ったのは、被害者。これは殺しではなく、集団自殺。……本来は、己が死体を見つけられることは無かった……とか」
「また思考が飛躍しましたね。なぜ、そのようなことをお考えに?」
「輝術を使えば痕跡が残る。それが残っていないのだから、まずそれがおかしい。だからそれが今どこにあるのかを考えれば、唯一痕跡が残っていようが関係の無い場所に残っている、とした方がしっくり来る。……輝術に囲まれた結界の中なら、結界の痕跡が残っていてもおかしくはない……んじゃ、ないか?」
「そうですね。痕跡とは辿るもの。どこへも動いていないものは痕跡になり得ません。黄宮廷の輝霊院とて優秀ですから、五件も六件も犯人を逃したまま、ということもあり得ませんし」
「そうだ。犯人が捕まっていない時点でそれを考えるべきだった。……これは自殺だ。だから犯人がいない。歯は……歯は、なんだ?」
「どのようにして死したか、はあなたの考えの及ぶところではないかもしれません。輝術への理解が強くなければ思いつかないことですから」
「……では、黒幕を考えるべきだな。一連の事件を教唆した者についてを」
「ええ」
否定もしなければ疑問も挟んでこない、ということは、やはり。
黒幕。
人がそう簡単に死ぬはずがない。自死を考えていたのなら周囲に何かしら伝わっていたはずだ。
況してや密室なんてものを作って、犯人がいるように見せかけてまで死ぬ理由。
「鬼へと、か」
零れるように、口から出た。
何番煎じか。最早不思議でもなくなった。
「"
「一派。……はぁ。それで……失敗して、死んだと。呆れて物が言えん」
「"人をくだらないものと定義した"のなら、納得のいく結果では?」
そうかもしれない。
私が……いつものDIYメタ推理に走らなかったのも、人類の歴史に「くだらない発明」が無いからかね。
けど、やっぱり出て来るか"
「待て。……
「数え切れないほどに」
「……止めようという気は無いのか」
「自死が罪とわかっていながら望んで死する者をどうして止められますか? 況してや大した信念も無く不老長寿のためだけに鬼にならんとする者達です」
「人間なんて大抵愚かでくだらなくて弱い生き物じゃないか。そんなことで見放していたら、いずれ地上から人間がいなくなるぞ」
「その大抵に当てはまらない者が残るでしょう。そして……そういう者達は、いずれ鬼となるのかもしれません」
溜息。
そうか。黄州……黄州であろうとどこであろうと、かね。
「私が来たから……私が来ることになったから、これら事件は明るみに出たのか?」
「ふふふ、疑心暗鬼になっていますね。けれどこれは連続自死事件。あなたが来る前から始まっていたことであり──そして、あなたが今何を理解したとしても、止まらない事件です」
「……明るみに出た、とすら……言えないのか」
「はい」
貴族連中に「これは自殺だったんだ! 皆目を覚ませ!」なんて言えるはずもなく、言って信じられるはずもなく。
そもそも……なぜ止まらない? くだらないとはいえ、愚かとはいえ、立て続けに六人も「失敗」していたら、誰か止まって……告発する動きになりそうなものだ。
それが起きない理由は。
「成功例がいる……だけじゃない。もっと上の、告発できないような存在達の目論見に肖っているだけだとしたら」
それは、やはり現帝……か? いや……リスキー過ぎる。だから、現帝とのパイプのある有力者じゃないといけない。
告発する気が起きなくて、信じられる言葉を吐く存在で、成功例と顔を合わせることができても不思議ではない存在。
一派という言葉から導き出される者。
「ええ、祆蘭。あなたが直視すべき問題は彼らのような愚か者ではありません。──彼らに"
「今朝の幽鬼、か。……お前は……どこまでわかっているんだ」
「私が不快を示さぬ範囲でならば、何をされようと気にしません。けれど、ひとたび閾値を超えたのならば、徹底的にやりましょう」
「つまり、まだ、か?」
「かもしれません」
ころころと笑う玻璃。
……もしくは、だけど。「人工的に鬼を作る」その所業だ、桃湯がつけているという私の監視。それが激しい反応をするという可能性もある。
「あなたが会ったという幽鬼。今までの推理でその幽鬼を引き合いに出さなかったのは、自死した者と似ても似つかないから、でしょう?」
「ああ。お前の再現が忠実であるのならば、明らかに別人だ」
「そんなものが早朝とはいえ大通りに面する位置にある紊鳬の工房前にいた事。無害な幽鬼として佇んでいるのではなく、あなたに言葉を伝えに来た事。──さて、今度こそあなたの出番でしょうね」
「……作れ、と」
「ええ。あなたの身に起きる摩訶不思議な事象──"符号の呼応"。あなたが来なければ明るみに出ることのなかった事件。なぜそんなことが起きているのか、に関しては、多少の心当たりがありますが、そちらは教えないでおきましょう」
「理由は?」
「右往左往するあなたの方が、可愛らしいので」
やっぱり……精神的成長とか、喧嘩とか、そういう話抜きに。
性格が悪い。単純に。
……しかし、まぁやるべきことは分かった。
問題は。
「モノ作りは、まぁいい。が……何を作る。誰のための何を」
「私が口を出してしまっては"符号の呼応"が起きない。そうでしょう?」
かも、しれない。
作ることのきっかけは他者からの呼びかけでも、作るものそのものについては私発信じゃないといけない。そんな気はしている。
けれど満足に材料の手に入らないここで、どうしろと。
「紊鳬に言っておいてあげましょう。あなたの欲するものはなんであれ用意してあげるように、と」
「……」
「ああ、そういえば。なぜ紊鳬と口を利かないのですか? "ちまっこいのに嫌われたかも"と嘆きを伝えてきていましたよ」
「ただの直感だ。……違和感を覚えている。だから……お前には申し訳ないが、紊鳬様を頼ることはできない」
「構いませんよ。私は疑っていませんが、あの子も黄州のヒト。底抜けに明るいだけの人格が育つ環境ではありませんから……あるいは、ということもあるのかもしれません」
「黄州生まれだから、などという差別は避けたいのだがな」
「区別ですよ。思想も人格も環境に左右されて培われるもの。加えて天染峰は"明確な区分"が為されているのですから、これからはそこも推理に含める必要が出てくるかもしれません」
「お断りだ。人をくだらないものと定義するまでは構わないが、人格を名指して愚かだと言い切るつもりはない」
「ええ、ですから構いません。あなたがそういう思想を持っていようと、事実というものは不変ですから。──さて、これからどうしますか? このまま戻してあげてもいいのですが、それだと……面白くないですね」
「お前が、か?」
「もちろん私が、です」
州君が我儘お姫様なのはどこも同じか。
赤積君も我儘坊ちゃんで……あとは緑涼君か。……どうせ絵にかいたような我儘お坊ちゃんなんだろうなぁ。
「あなたはどこか行きたい場所などはありますか?」
「特には。お前に観光案内でも頼もうかと思ったが、見えないのだったな」
「ええ。……美しいとされているもの、でしたら案内できますよ。ああ、それとも三妃の方が良いですか?」
「やめておけ。接触禁止だろうに」
「はい。たとえ帝や州君であろうと厳罰を受けかねない法です。ただ……私は州君を降りましたが、力を失ったわけではありません。それを知っているからこそ、たまに黄宮廷の空を行く私を誰も咎めませんし、文句を陽弥に申し付けることもないのです。ですので今更私がどんな戒律を破った所で問題はありません」
「それでも、だ。……普通に、美しいとされているものを案内してくれ。あるいはお前の記憶に残っている場所でも良い。見えずとも把握はできるのだろう?」
「うーん、そうなるとどうしても黄金城になってしまいますね。長い時をあそこで過ごしたので」
……盲目相手に、酷な願いが過ぎたか。
でも他に、となると……うーん。
思い切って。
「
「ほう、読心術とは、私の上位互換だな」
「それは元からかもしれませんが……そうですね。思い出深い場所で、且つ此度の件にも関わっていそうで、黄州固有のもの。それは御史處に他なりません。他の州にあった御史處は全て取り壊されていますから、真実唯一つでしょう。──本当に行きたいのですか?」
「行って何かが、得られるのなら」
「ではやめておきましょう。あそこには何もありませんよ。今朝確認しましたが、地下に広がっていた坑道が全く別の場所に繋げられていました。とても感覚器の優れた輝術師がいるようですね。私の物質精査を感知して、道を作り替えたのでしょう」
「それが
「輝術の腕と鋭敏さは全く別の話ですが、あなたに言っても伝わらぬ話でしたね」
だから……わっかんないんだって、輝術。
歯の話も、結局どういうことなの。思考が輝術的って何。
「世界を見に行きましょう、祆蘭。そしていつか、私にこの世界を見せてください」
「……シャドーボックスでも作ってやろうか?」
「聞き取れませんでした。それはどういうものですか?」
「部品一つ一つの重なり合いが立体感を生み出す芸術のことだ。……私は絵というものへの理解が浅いから、絵そのものは……祭唄か、あるいは心得のある者に描いてもらって、それを私が作ろう」
「いいですね。楽しみがまた一つ増えました」
DIYっていうかモロにおばさんの趣味……いや若い子でやってる子に失礼か。
シャドーボックス。あるいはシャドーアート。額縁の中に飾られた絵に奥行きがあって、素人が作っても中々に「サマ」になるから面白いアート作品。
盲目で、けれど私の作ったものなら見える、という相手にどう映るのかはわからないが……。
いつか、ランプとかライトとか作って、光なんかも見せてやりたいな。
黄州がどうかは知らんが、青州の夕焼けは綺麗だと思ったよ、私は。あの日の……水生から空飛ぶ馬車で連れ去られた時の、あの光景はさ。
この世界は美しいと、少しでも思えたら……ま、それで何が変わるとも思っちゃいないが。
何々ができないのは損だ、という考え方は好かない。何々ができたら得だ、という考えに変換する。
元の世界とどれほど光景が違うのかはわからないけど、こっちの世界の「綺麗」も脳裏に刻めたら、それは得だろうさ。
あるいは、私の中の心象風景だというあの場所も。
いつか……この世界に存在する場所なら、見に行きたい。風を感じたい。
「ちなみになんだけど、お前の世界はどういう場所だったんだ? 一息で言い切るなら」
「ふむ」
玻璃は……少し思案した後。
「望めばあらゆるものが手に入り、描けばあらゆるものが実現する。けれど、といいますか、だからこそ個人間の繋がりが希薄で、一生を終えるまでに"他者"が"隣人"であったことにも気付けぬ世界……でしょうか」
「……」
え、絵本の世界なんじゃないの?
何そのディストピア。え……一気に親近感が。ああいや東京のことをディストピアって言ってるわけじゃなく、ね?
「こちらの方が楽しいか?」
「どちらとも言えない、と返しておきましょう」
「私は此方の方が楽しいよ。明確に」
「そうですか。……であれば、私も願ってあげましょう」
「なにを?」
「──あなたのいつか帰る楽土が、その世界でないように、です」
ああ。
……そういう可能性も、あるのか。
無論。
だとして、摂理とあらば受け入れるがね。
「楽土より帰りし神子は、考えることが多いな」
「──戻りし者も、また」
果たして、その違いは。