女帝からは逃げないと。   作:霧江牡丹

45 / 150
第四十二話「漆塗り」

 前、青宮城の至る所に塗りたくった漆。

 あれは謂わば荒味漆で、不純物がとんでもなく入った漆だった。ので、これらを使える漆にするべく多少の手間暇をかけてみる。

 まず濾過。加熱してから布で濾して不純物を除去。生漆と呼べるまでサラサラにしたら、約三分の一を残して、他は攪拌してなめらかに整える。再加熱してさらに攪拌し、水分を抜けば精製透漆の完成。

 

 半分を違う器に移し、そこへ辰砂と弁柄のブレンドをin。深紅と呼ぶべき赤ができたらOK。朱漆だ。

 

 先程残した生漆に焼いた粉末粘土を混ぜ込み、そのペーストをへらで以前作った曲げわっぱに塗っていく。本堅地……これが下地となる。

 この下地の上から透漆を塗って、それが乾いたら朱漆で『祭唄』を書く。美しい華柄などは無理なので、せめて良い字を書ける自信のある漢字に走った。ペン習字が活きまくっている。

 

 あとは乾きやすいところにおいて、と。

 

「ふぁぁ……あれ~……小祆がいない~……」

「ん……夜雀、何寝言を……」

 

 どうやら起きてしまったらしい二人。体感まだ朝の四時とか五時だから、もっと眠っていて構わないのに。

 ……作業の音が煩かったというのなら謝ろう。材料はほとんど用意していて、あとは塗るだけだったから作業をしたんだけど……それでも音は鳴るからな。

 

「……祭唄でいーや~」

「ちょっと」

 

 あ、二度寝入った。

 凄い、もしかしたら輝術師になったのかもしれない。後ろ姿でしかない祭唄からHelpサインが聞こえるようだ。

 でも祭唄は休日だからな。知らん知らん。

 

 いつも働き詰めなんだから、もうしばしの良い夢を。

 二人ともまだ若いんだ。まだまだ育つよ、若い子はな。

 

 

 

 二人が完全に眠りに落ちたことを確認してから、そろーっと自室を出る。

 体感夏季であるためか、心なしか廊下も気温が高く……は、ないな。別に。いつも通りの過ごしやすい廊下だ。

 

 最早私がトンカチを佩いていようが鋸を佩いていようが何も言われなくなったし、鼠返しを逆上がりで上ってもやっぱり何も言われなくなった。ぎょっともされなくなった。

 だから、一気に五層まで上る。ここにあるのは行政系・輝術系の部屋だけと聞いているから、少なくとも私が立ち寄る場所ではない……のだけど。

 

「ほう? 珍しいな。要人護衛も付けず、しかも昼前に来るとは」

「今日は祭唄様が休日でな。夜雀様が祭唄様を抑えているから、その隙に抜け出して来た」

「……一応、要人護衛に伝達は入れておくぞ。後で俺が怒られるのは勘弁だからな」

「ああ、構わん」

 

 青宮城の貴族にしては珍しく、少しばかり粗野な言葉を扱う人。

 名を蘆元(ルーユェン)。年の頃は四十六と、これまた珍しく比較的高齢な男性。

 

 そして──。

 

「見つかる前に誰かの目に付く前に早く入れ。──俺も楽しみにしていた」

「流石だ蘆元様。既に顔があくどい」

「余計な世話だよ馬鹿野郎」

 

 悪友……でも、悪事仲間でもないんだけど。

 顔がモロに悪の役人面な、工芸仲間である。

 

 

 この部屋は令報室と呼ばれている。進史さんに並ぶほどに広範囲へ情報伝達を行うことのできるらしい蘆元が、青宮城から連絡……進史さんを介さない雑多な報告を行うためにある場所。

 青宮廷にある同じく令報室にはこの部屋に蘆元がいる、という事実が分かる輝術が施されているとかで、ここに入る時は連絡がある時だけ……なのだけど、こうやって「密会」をする際には蘆元側の輝術でそれを一時的に騙しているのだとか。

 密会と言ってもちゃんと進史さんに許可を取っていることではあったりするのだけど。

 

「今日俺が作ったのは──」

「扇子だろう? 回り灯篭の次だしな」

「……はぁ。可愛げの無い小娘め。そうだ。……出来を見てくれ」

 

 そう、蘆元は工芸仲間であると同時に、私が青清君へと献上した品の中で、彼女が既に飽きたもの、製法を公開するに至ったものの仕様書を書く、という兼業仕事のようなことをしている。

 手先が器用であり、数少ない「原理を知りたがる者」。毎度毎度青清君が先に手にする工芸を眺めては、見様見真似だけで色々作ってみては失敗する、という日々を送っていたとかなんとか。

 ……行政に携わるほどの貴族、というのはちゃんとプライドが高い。私という存在を快く思っていない者も多いし、視認するだけであからさまに顔を顰める者すらいる。

 蘆元も多分に漏れず、しかもここまでの年齢差ということもあって二の足を踏んでいた……らしいのだけど、度々行方不明になる私に居ても立っても居られなくなって、進史さんに直談判しに行ったのだとか。

 

 つまり、「コイツが死んでその製法が失われるくらいなら、プライドなんかかなぐり捨てて接触し、製法や出来について聞きたい!」というのを彼に言いに行ったわけだ。

 その熱量に進史さんが根負けし、青清君も許可を出したとかで、今こうなっている。初対面では私の尊大な態度に眉を吊り上げた蘆元だったけど、二、三話をした後に意気投合。彼が見様見真似だけで作ったという工作物や、彼が独自に作っていた工芸品などを見せてもらって、こうして足繫く通う仲になった、と。

 ……足繫く、というほどは通っていない。そこまで量を献上していないのと、先も言ったけどプライドの高い貴族ばかりなここへ私が近づくことがあまりないのだ。

 行くときは祭唄に伝達を頼んで、蘆元の「今なら誰も見ていない」に合わせて行く、という方法を取っている。接触しているところを見られるのも「貴族の人間関係」的によろしくないらしい。他の貴族の前ではちゃんとした言葉を使うしな、コイツ。

 

「……要がなっていない。加えて蛇腹も少し歪だな」

「お前、俺に駄目出しするためだけに粗探しをしていないか?」

「するわけがないだろう。とっとと直せ」

 

 大きな溜息と共に……空中で分解される扇子。

 紙、竹、糊までもが綺麗に分離し、紙についた折り目も修復されていく。……輝術って。いやもう今更なんだけどさ。

 

「輝術の固定を使えば一瞬なのだがなぁ。この糊を使うのが本当に……」

「別に改変してくれても良いと毎回言っているだろう」

「……それは俺の矜持が許さん」

「頑固者め」

「お前に言われたくはない」

 

 この男、超凝り性なのである。

 できれば原本通りに作りたい派の人間で、口ではぐちぐち言いつつも、オリジナル製法からの逸脱を良しとしない。仕様書もそれになぞって書いているらしく、近々『無術圖案書』という名で図案書を出すつもりだとか。ちなみに売り上げの一割が私に……入ることは、無い。いや、蘆元は出しても構わないと言って来たのだけど……私、作者というわけじゃないからなぁ、って。

 これで私のオリジナル作品だったら貰っても良いと思うんだけど……ねぇ。

 

「それで、私への品はどこだ」

「お前への品ではないが、そちらの棚に置いてある」

「莫迦者め。これがなければこんな取引は成立していないのだ、充分に私への品だろう」

 

 いそいそと手に取るは、鍾甌(ちょこ)

 酒飲みではない私には関係の無い品ではあるけれど、学ぶべき技術が詰まった一品でもある。

 

「いやぁ、お前はこっちだけ作っていればいいのに、と毎度思うよ」

「ふん。俺はもう青州の人間だ。そんなものを作ってやれ俺の方がお前の奴はと騒ぐ生活には戻りたくない」

「そんな生活をしろと言っているわけではないんだがなぁ」

 

 つるりとした表面。美しい手触り。琺瑯(ファラン)。つまり、七宝焼きと呼ばれるものだ。

 金属の素地に硝子を焼き付ける装飾であり、存在は知っていても私の手の届くものではなかった工芸の一つ。こちらの世界にあることにも驚いたけど、それをこんなにも身近な人間が作れると知った時はもっと驚いた。し、硝子はやっぱ酒瓶以外にも使うんだな、ってなった。

 曰く、蘆元は元黄州の人間らしく、婿入りの形で青州へ駆け落ちしてきたとか。墓祭りで出会った二人は互いに惹かれ合い……みたいな話を興奮気味の夜雀さんから聞かされた。あまり興味はなかった。

 

 とにかく、だからこそ土の扱いに秀で、琺瑯を今も作り続けているらしい。

 ……今彼がたとえに出したのは「黄州の職人の日常」。しのぎの削り合いが凄いのだと。

 

「木工、紙の工芸、糊……。くぁ~、ったくよ、ああ……楽しいなぁ」

 

 それに嫌気が差したのか、はたまた生来の気質かは知らないけど、こっちでも琺瑯を作ってそれを売り物にしていた蘆元は──運命の出会いをする。

 墓祭りの日、帝に献上された物の一つ、水中花だ。彼はアレを木製の細工だと見抜き……墓祭りとかどうでもよくなったとか。自分で作ってみたくなって、作って失敗しまくって、その間にも一切興味の無かった「青清君のお気に入り」から青清君へ気になる細工が贈られ続けているものだから、居ても立っても居られなくなった……が、先ほどの話。

 完全に木工細工に憑りつかれた彼は、奥さんが心配になるほど……日がな木工細工のことを考えているとか。奥さんは大事にしろ莫迦者。

 

「前から疑問に思っていたのだが、どうして奥方を嫁に迎えなかったんだ?」

「相変わらず唐突だな……」

「いや、今のお前は幸せそうだから構わないのだが、婿入りというのは珍しい……のだろう? よく知らんが」

「まぁ、珍しいな。だが、別に前例がなかったということはない。……州を跨いで、となると……前例はかなり少なかったようだが、それも零ではない」

「前例は理由にならんだろう。なぜお前がそうしなかったのかを問うている」

「……黄州は息苦しい。あそこに……好んだ女を呼び寄せようとする者はいない」

「帝の膝元だからか?」

「黄州は帝のいる州になる前から窮屈だったよ。俺が出てきたのもあそこが帝のいる州になる前の話だしな」

「そうなのか。……いや、私は現帝がいつそうなったのかを知らないのだが」

「十一年前だよ。……お前は、何か……いつもそうだな。やけに頭の回る小娘だと思っていると、おかしなところで常識を知らぬ」

 

 ……。

 十一年前? ……同じ符合を、どこかで。

 そうだ。

 黒州に来た御史處(ユーシーチュ)。あれが確か十一年前で……。

 

「現帝の母親……玻璃(ブァリー)様が当時の州君でな。あの方は歩くということをしないで、常に輝術で浮遊しているから……玻璃様が己の区画を通るたびに大声で見てくれ見てくれと叫びたて、あの方が興味の一切を示さずに去ると、文句まで言う。黄州はそういう場所だ」

「そりゃ……」

 

 そうだろ、と言いかけた。

 玻璃が盲目である、って多分知られてない、よな。そんな反応な気がする。

 

「そりゃそうだろう、って? ああ、本当にな。青清君を見ていると心から理解する。彼ら彼女らは本当に世俗に興味がなくて、職人の存在なぞ視界にも入れていないのだろう、と」

「青清君は、入れている方じゃないか?」

「……そうだな。お前が来てからはそうかもしれない。それまでの青清君は、華美な美術品であってもほとんど興味を示さなかった。つまらん、くだらんと一蹴することまであった」

 

 ふむ。

 まぁ、そうか。青清君は仕組み好きだものな。美しいものを愛でる感性はあるとはいえ、ただ派手に派手にとなっていくだけのものや、原理も何もない物にはそう返すだろう。

 そう考えると尺時計は……仕組みはあるわけだから、やっぱり一応見せておくか。あくまで今並(ジンビン)への祝い物だと述べた上で。

 

「玻璃……様は、多分、お前が思っているよりは、人間らしいよ」

「……なぜお前があの方を庇う。どういう思想だ?」

「ん……。まぁ、なんでもないさ。そんなことより手元の作業に集中しろ」

「お前がこの話を始めたのだろう……。まぁ、集中してよいのならそうさせてもらうが」

 

 帝。御史處。

 そして玻璃。……そろそろ来てくれないかな、桃湯。

 返事を持ってきてほしいんだが。

 

 

 

 音。

 

「いや……そろそろ来て欲しいと願ったが、まさか本当に来てくれるとは」

「なに、私に会いたかったの?」

「玻璃の文が欲しかった」

「……はぁ。可愛くない……」

 

 今回、桃湯の姿はない。ただ声だけが聞こえる。

 けれど、ゆらゆらと……音に乗って紙が漂ってきて、私の手元で落ちた。封緘はいつもの。

 

「読み上げは?」

「当然必要だ」

「なら、もう少し態度というものをね」

「頼んだ」

「……。……"お元気ですか、祆蘭。赤州では大活躍だったと聞いていますよ。さて、あなたが贈ってくれた竹で作った楽器についてですが……今生で楽器というものを演奏したのはこれが初めてでして。ただ、私の知る曲や、桃湯の好む曲を幾つか弾いてあげたら、彼女が喜んでくれてとても可愛らし"……中略するわ。ええと、"此度の問いの答えは同封しましたが、答えとなっているかは難しいですね。次も楽しみにしています"」

「おい、略し過ぎだろう。全文読め」

「無視するけれど。もう一枚が、"純血の所在。あなたが問う話題はいつもいつも危ないものばかりですね。何に首を突っ込むのもあなたの自由ですが、死ぬことだけはやめてください。して、純血の所在。申し訳ありませんが、私でも彼らの所在地は知りません。彼らは世俗を厭い、どこかの隠れ里に住んでいる……というのは聞いていますが、それがどこなのかはわかりません。少なくとも黄州でないことだけは保証しましょう。これで答えになったかどうかはわかりませんが、あなたの望む答えが見つかることを願っています"。……これで全文よ。どう、満足したかしら」

「そっちじゃないが……。まぁ良い、これが品で、次の問いが"お前はちゃんと歳を取っているのか"だ」

「どういうこと? あの方は鬼ではないけれど」

「良いから」

 

 掌の上に漆塗りの器と匙を置けば、それが音に浚われる。

 前回はバンブーマリンバだったけど、今回は日用品。いや、魂が籠ったものしか見えない世界で何が実用的かな、って考えたら、これが一番だと思った。

 今までどうやって生活してきたのかは知らないが、多少は便利に思ってくれると嬉しい。

 

「……そういえば前回もだったが、お前は知らないんだな、純血について」

「ええ、全く。……長生きだからと言って、人間の全てを知っていると思われるのは堪ったものではないわ」

「八千年もの間を生きて来て、この狭い国を隅々まで調べないとは」

「──あなた、どうして私の年齢を知っているの?」

 

 ……あ。

 そうか。……あ、そうだった。

 

 っべ。っじっべー。

 

「まー……そのー……なんだ……えーと」

「……。私の年齢を知る鬼は……もうほとんどいないはずなのだけど。あなたが彼らに接触した形跡はないし、当て推量で言ったわけでもなさそう」

「隠しても……ま、仕方がないか。聞いたんだよ。鬼子母神(グゥイズームーシェン)から」

「どういう……。まさか」

「ああ。鬼子母神は私の中で意識を保っている。いろいろ教えてくれたよ」

「そう……。そうなの。……あなたは、そこにいるのね。……。それなら、尚更にあなたを死なせるわけにはいかなくなった。これからあなたが遠出をする時は、私か、私に付き従う鬼があなたを見張っていると思いなさい」

「おいおい、助力は琴を送ってから、だろうに」

「味方になったつもりはないわ。ただ、今のあなたのように命を省みない行動をされるのが困るというだけ。……そこまで入れ込むほどの依代に選んだというのなら、それを破壊するようなことはさせない」

「鬼子母神になる気はないんだがな」

「関係ないわ、そんなこと」

 

 さいで。

 ……鬼の監視ね。次いつ外に出るかはわからんが、気付いたら撒いてみるか。

 

「それじゃ」

「ああ。ちなみに私の中の鬼子母神は、まるで幼子のような反応をすることがあってな、面白いぞ。……いないのか」

 

 いついなくなったかわからないのズルいな。もっと会話して行け。

 

 

 

 夜。

 

 自室で「本当に……一日、何もしなかった。……愕然としている」と言っていた祭唄に雨霜宮式猿真似按摩を施した夜。

 

「最近……鬼と会う回数が増えていないか、祆蘭」

「そんなことはないと思うが。というか何故見逃しているんだあんた」

「……。少し、な」

「?」

 

 そう、恐らくというか確実に青清君は鬼と私の接触を察している。察した上で知らないふりを……進史さんにさえ教えないでいる。

 理由は、今は教えてくれない、と。……ふぅむ。

 

「あんた……何を企んでいる?」

「……」

「私に言えない、ということは相当だな。まぁなんでもいいが、あまり無理をするなよ」

「お前は……。はぁ、まぁ、良い。それより……少しこちらへ寄れ」

 

 何の警戒もせずに、手招きに従ってそちらへ行けば……素早く回転させられ、膝の上に乗せられた。

 いや、良いけど。座ってほしいなら座ってやるけど。何もこんな不意打ち染みた事しなくても。

 

 とか思ってたら、青清君は私の頭の上に手を置き、さらにその上に顎を置いて……大きな溜息を吐いた。

 なんだ、かなり疲れているな。

 

「何かあったのか?」

「お前に言うことではない。……少々人付き合いに疲れただけだ」

「人付き合いね。州君は政に関わらないのではなかったのか」

「政には、だ。……人を一切合切の人間関係から切り離すことなどできぬだろう」

「なんだ知っていたのか。だったらもう少し態度を改めろ。いつかあんたが弱者となった時、誰にも守ってもらえなくなるぞ」

「……お前もか?」

「私は良いんだよ。元から守ってもらう立場じゃ」

「お前も……守ってはくれなくなるのか。私が……弱者となった時」

 

 ……藪蛇を突いたか。

 

「私が守れるほど弱くなっていたら守ってやるさ。ま、輝術師や鬼の前では私など風に吹かれる柳も同然だろうが」

「そうか」

 

 んー。

 大分弱っているな。

 

「安心しろ、だの、大丈夫だ、だの……元気付けるような言葉は使わん。足る理由があって、そこまで弱っているのだろうからな、無責任な言葉は吐かないさ。……だから、まぁ。あんたの心が休まるまで、私の体温でも感じていると良い。子供と言うのは触れているだけで元気を貰えるものだ」

「……心にもないことを」

「ああ、私はそうは思っていないが、あんたは違うだろう」

「……」

 

 ぎゅ、と。

 少しだけ強く抱かれる。いやほんと、全然言い返してこないあたりかなりキてるな。

 でもまぁあるよ人間。誰しも……ずっとずっと強いわけじゃない。

 

 それが州君とて同じだったと、それだけの話。

 

「……子供だから、ではない」

「母親に思うからか?」

「そういう話ではないと言ったはずだ。……私はお前を……好いている。だから」

「はいはい、今は小難しいことは考えなくていいよ。他人の温もりを感じながら眠る、というのも時には必要だ。あんたも進史様も、そういうことをしなさすぎる」

「進史の名を出すな……」

「え。……あ、もしかして人付き合いって」

「いいから、黙っていろ。……お前の言う通りにする。……今要人護衛に通達を入れた」

 

 持ち上げられる。

 そしてそのまま……普段は行かない、奥の部屋へ。あーれー。

 

 輝術によってだろうか、独りでに布団が敷かれ……私を抱えたまま、青清君は布団にin。掛け布団ばさー。

 

「祆蘭。……お前は私を守ると言ったが……。お前は、私がどういう人間なのかを……知らぬ」

「ま、そうだな」

「もし……私が、お前の想定以上に劣悪な人間であるとしても……お前は」

「善行と悪行あれど、純然たる善人と純然たる悪人はいない。人というのは誰もがそうで、二面性がなければただの狂人だ。……これも星々と並んで使い古された言葉だがな。元々()し世(くる)し世では心に義でも持たぬ限りは己で居続けることは難しい。私もあんたもガキだの小娘だの子供だのと言われているんだ、らしく振る舞っていた方が気楽だぞ」

 

 抱きしめてくる力が少し強くなる。

 心当たりでもあったかね、これは。

 

「もう少し我がままになれ、青清君。それで失敗して弱者になったのなら、ちゃんと守ってやるからさ」

「……」

 

 後で、「お前青清君に何を焚き付けた?」とか言われそうだな進史さんに。

 というか青清君がここまで落ち込むって、どんな喧嘩したんだあの人。

 あと……今は口に出さないけど。

 ちゃんと大事に思っているんだな、彼のことも。

 

「……」

 

 やがて、静かな寝息が立ち始める。

 子供は寝るのも仕事の内だ。睡眠がもたらす成長は、何も肉体面だけではないのだから。

 

 さて……自己に埋没するのは嫌なので、新しい工作物の案でも練りますかね。

 

 

 

 朝。

 もぞもぞと動く青清君を背後に覚え、声をかけ……ようとして、止まる。

 まどろみがしばらく続くのも、寝付きが良かった日の醍醐味だからな。こういう些細なことでもストレスというのは少しずつ発散していくものだ。

 

 ただ。

 

「ぐぇ」

「……」

 

 なんか……潰された。姿勢が、寝相が変わって、圧し潰されている。

 いる。こういう人いる。寝てる時は直立不動で動かないのに、起きる寸前だけ寝相果てしなく悪い人いる。

 

 全体重がかかっているわけじゃないから良いけど、これはもみくちゃにされる予感。早めに離脱しよう。

 あれ。

 あの……身体、動かないのだが。

 

 ──輝術による相対位置固定だな。

 

「あんた、起きて……」

「……」

「まさか寝ぼけて? ちょ……寝てる間はなにもされてなかったから油断した……!」

「……」

 

 寝惚けて輝術を使うのだとしたら危険人物過ぎる。

 おっと身動ぎもできなくなってきた。……え、輝術ってそうやってじわじわ来る系だっけ? やるならもっと一気にスパーンじゃないっけ?

 

「……というか起きているだろうあんた。そろそろ怒るぞ」

「……寝ている」

「なんだ寝てるのか……じゃあはーなーせー」

「これからはこれを抱いて寝る……」

「別にお前が落ち着くまで何日でも付き合ってやるからこういう拘束はやめろ」

「捉まるとすぐ逃げ出そうとする……。……今日はこのまま起きるし、このまま朝餉だ」

「いやいや、無理がある無理が」

 

 私の言う我がままってそういう意味じゃなくてさ。

 いやこれ本当に要らない助言した可能性が。

 

「祆蘭」

「わかったから一度離せ」

「──私は、今日から少しの間、黄州に行かねばならなくなった。……寝る時の枕として、ついて来てはくれぬだろうか」

 

 え。

 ……えぇ?

 

 

 

 曰く。

 青清君の「やりたいこと」を通すには、流石に帝の許可が必要であり、その許可は輝術による情報伝達で成立させられるものではない、と。

 遮光鉱(ヂェァフゥンクゥァン)のあの緑の粒が混じった墨で書を交わし、互いの輝術では墨と紙の分離ができないことを確認して、それでようやく、という契約を行う必要があると。

 帝を青州に呼び寄せるわけにもいかないので、青清君が黄州に行く必要があると。まぁこれはさもありなん。

 

「それで、青清君のやりたいことというのは……教えてくれないようだな」

「……」

「……」

 

 このやり取りでひと悶着あったらしい二人は、朝餉の最中でも超険悪ムード。

 どちらも今にも飛び掛かりそうな雰囲気を出していて……あの、一応こっち子供なのだが。大人二人が子供の前で出して良い空気じゃないって。離婚調停前の夫婦か何か? むしろ調停できなくて喧嘩したまであるぞこれ。

 

「大方、進史様はそれを許可しなくて、けれど青清君が伝達で帝にそれを伝えてしまった、とか……そんなところだろうが」

「……」

「どんなとんでもないことを企んでいるんだ。進史様がそこまで拒絶を示すとは……何を」

「……」

 

 全然答えてくれないものな。

 双方。これは重症。

 

「枕になれ、というのは……好みの相手に対して放つ言葉ではないように思うが、まぁ、いいだろう。ついていくのは吝かではない」

「な……。青清君!? あなたは、祆蘭を連れて行く気なのですか……?」

「祆蘭は私のものだ。文句はあるまい」

「危険すぎます。そんなこと、あなたが一番わかっているはずだ」

「ここに置いていたとて同じであろう。要人護衛もお前も、大して役に立つわけではない」

「……!」

 

 よーやく喋ったと思ったらバッチバチだった。

 ちょっと、あんたらどんだけ喧嘩したんだ。売り言葉に買い言葉も良い所だぞ。本気でガキの喧嘩じゃんか。

 

「青清君。それは流石に悪し振る舞いだよ。その辺にしておけ」

「……」

「それと進史様、大丈夫だ。青清君が隣にいるのだから、これほど確かな防衛機構もあるまいよ」

「……」

 

 あれぇ?

 もしかして私と喧嘩してる? 私と口を利かないようにしてる?

 

 心当たり……しかないけど、全部今更だしな……。

 

「祆蘭。連れて行く要人護衛は一人だけだ。誰か選んでおけ」

「ん。じゃあ、まぁ……祭唄様で」

「わかった」

 

 毎度毎度迷惑をかけるけれど、文字や言葉に関する事情が分かっている彼女はやはり側にいてほしい。

 こちらのやることをある程度理解しているというのもなんだかんだ言ってありがたい。

 

「あ……。待て、青清君。今の口振りから察するに」

「どうしようもないほどの危険に晒されたら、お前も要人護衛も守る。これで良いか?」

「む。……わかっているならあまり」

「ああ。お前の前で要人護衛を貶す発言はすべきではなかった。反省している」

 

 物分かりが良い……けど、今のはあくまで「私の前で言うべきではなかった」というだけで、要人護衛が役立たずであるという主張は曲げていない。

 加えて進史さんへの言葉も。

 

 全ては私が一人で突っ走っている結果とはいえ、青清君からすれば護衛など欠片もできていない、に見えるんだろうな。

 もう少し……考えてから行動する……いや、別に考えなしの行動というわけでは。

 

「後悔しても……手を差し伸べることは、ありませんから」

「そうか。元よりお前の手など要らぬが」

 

 おい馬鹿何言ってんだ。

 修復不可になる前にどっちか謝れ。どっちも謝れ。

 

 ちょ……え、このまま黄州行く気? このまま数日間会わない気?

 流石に……流石に焦るぞ私も。無事に帰ってきても内部分裂必至じゃないか。雇用先……は、まぁいいけど、最悪青州が分裂しかねない。

 未然に防げるものまで摂理と飲み込むほど傍観者気取っているわけじゃないぞ……?

 

「あー……っとだな。その……主義主張というのはどう頑張っても万人受けしないもので、今回はたまたま近距離の意見の嚙み合わせが悪かっただけのことで」

「……お前がそういう仲を取り持つような言葉を吐くのは珍しいな。いつもはどちらかというと不和を生み出す側なのに」

「進史様は私を何だと思っているんだ。……あんた達、長いんだろう? 気の置けない仲というのは……大人になってからだと、中々手に入り難いものだ。少し時間をかけてでもいいから、頭を冷やして……そうだな、黄州から帰る時には互いに謝れるようになっていろ」

「謝る?」

「みっともないガキの喧嘩にしか見えないからな」

「お前は、何も知らないからそういうことが言える」

「何も教えてくれないのはそっちだろうに」

「……」

「……」

 

 おーい。誰かー。

 この問題児二人をどうにかしてくれー。私じゃ無理だー。

 

 ……一応、蘆元あたりに頼んでおくか。

 私達がいない間の進史さんのメンタルケアを、って。できるかどうかは別とする。

 でも大人だし。年下の若僧叱るくらいはやってくれるでしょ、多分。

 

 私は黄州で青清君の意識改革かなー。

 いやほんと。

 どうしてこう、素直になれないものかね。

 

 ──お前が言うのか?




お久しぶりのフレーバーピクチャー。

【挿絵表示】


この世のどこにもない壁画。他の壁画より保存状態が良い。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。