女帝からは逃げないと。   作:霧江牡丹

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第四十話「壺中天」

 戦いは熾烈を極める……わけもなく。

 基本的にヒット&アウェイ、どころかガード&アウェイな防戦一方。「頭脳労働専門」という言葉に噓偽りのないらしい鬼、軽勉(チンミィェン)は、だからこそ攻撃力任せ……鋭利な爪任せの暴虐を揮ってくる。

 ただ、考えなしというわけでもないようで、洞窟の壁を傷つけかねない攻撃はしない。崩落狙いも無理ということだ。

 幸いなのは、爪が途中で曲がるだのなんだのをしないことと、それが鉄を切り裂くほどの鋭利さではないこと。

 指先をちゃんと見ていれば爪の軌道はわかるし、横薙ぎはトンカチでなんとかなる。あくまでなんとか、だ。爪の硬度と軽勉の力が強いせいで、アレに打撃を入れても無駄に終わることは初手で理解した。

 

「よし、今潮(ジンチャオ)

「ああ、祆蘭。君には」

「お前だけが頼りだ!」

「何か策があるんだろう?」

 

 ……。

 

「──私の方が早かったな」

「そうだね。君の方が早く私を頼ったね」

 

 ……。

 使えない鬼め。多分あっちもそう思ってる。

 

「随分と親し気ですね、今潮。鬼になったばかりの頃の自分を思い出しますよ」

「へぇ。あまり興味はないけれど、雑談がてらに聞かせてくれないかな、その頃の話を」

「それで僕に隙が生まれる、とでも?」

「なんだ雑談をする余裕もないか。まぁ昔語りをしたがる奴は老害の典型例だ。余裕がないならさっさと後進に道を譲れ」

 

 頭脳労働専門。戦いなれていない。

 それは──今潮も同じ。だから、攻めあぐねて奴の気が逸った時は、どちらもに剣気を浴びせて場を冷やす。

 隙などない。いや、隙だらけだけど、私達の攻撃は届かないと思った方が良い。淡い期待など持つな、莫迦者。

 

「成程。鬼子母神(グゥイズームーシェン)というのも嘘ではなさそうですね。どれほど頭で"脅威ではない"ということを理解していても、その剣気を浴びると自然と注目がそちらへ行ってしまう」

「効果的なようで何よりだ」

「しかし同時に、まだ発芽前の種であることにも変わりはない。"すべての鬼を統べる鬼"、でしたか? 桃湯(タオタン)が謳っていたのは。──それには程遠い」

 

 ──今潮を無視した、私のみを狙った挟撃。

 これは避けられない。しっかり私の足を、けれどジャンプで逃れられない高さを狙ってくるのが嫌らしい。

 

 けれど攻撃は……私の身体に到達する前に、大きく上へと弾かれた。

 

 今潮だ。彼の爪が、軽勉の爪を弾き上げたのだ。

 

「これで貸し借りなしだね?」

「ふん、雇用主を守るのは当然だろう、労働者」

「流石の私も泥船に乗せられるくらいなら逃げるよ」

「ではお前の審美眼に問題があったな。喜べ、既に泥船だ。それも凄まじく水に溶解しやすい泥船だ」

「おかしいな。乗る時は硬木でできた立派な帆船に見えたのに」

「幻覚症状つきとは、これは、事前申告されていない私が被害者なんじゃないか?」

「妄言を吐く雇用主だってわかっていれば雇われようなんて思わなかったよ」

 

 しかし、ラッキーだ。

 弾き上げられた爪が洞窟の天井に突き刺さった。これで。

 

「はぁ。あれだけの強気でしたから、何か僕では思いつけなかった策でもあるのかと思えば──ただの無策、愚か者二人でしたか」

「評価が早すぎだ莫迦者。私は細工師、こいつは植生研究者の中でも摘み取ったあとの効果を見る者。つまりどちらも準備に時をかける」

「それまで待てと? 理由は?」

「お前が思いつかなかった策が見られる」

「生憎と私はそこまでの戦好きではありませんので。終わりにしましょうか」

 

 爪が収縮する。そのほぼ直後。

 目の前に拳が──。

 

「っ!」

 

 止まる。見ることの叶わない速さで近づいて来た軽勉は、けれど何かに気付いたように元の位置ぐらいまで下がる。

 ……察しの良い鬼だな。

 

「あと少しで私の首を取ることができていただろうに、勿体ないことをする」

「今……僕は、君の命を取ろうとしていましたね。僕に何をしたのですか?」

 

 そう。

 軽勉は桃湯を恐れている。鬼子母神にならんとしつつある私に敵対しないため、青州から手を引いた桃湯ら擁立派。彼女らの掲げる鬼子母神第一主義にこそ同調しなかったらしい軽勉は、けれどそれを邪魔するつもりもない、という様子だった。桃湯が怖いからか……鬼にも社会があるからか。

 とかく、「生きてさえいればいい」に反する行為はしないつもりだったようだけど──。

 

「……この感覚は……視界のぶれは……まさか、酩酊?」

「おや、そんな自己分析までできるのか。これは私の立つ瀬がないね」

「本当にな。もっとわからないような偽装はできなかったのか」

「いやぁ、随分と気分が良さそうだったからね。これは既に効いているものだとばかり」

 

 酩酊。つまり、酒だ。

 古来より鬼殺しは酒と決まっている。この世界の鬼にも効くのかは定かではなかったけれど、今潮に聞いたら「多少の酩酊は覚えるはずだ」とのことで。

 

「……或曽(フォゾン)は、どこへ」

「奴はあの鍛冶場に恨みと怯えを持っていた。少なからず坤立(クンリー)に思う所があるのだろう。──だから、戦いが始まってすぐに鍛冶場の蔵へと酒を取りに行かせたよ」

「そうですか……酒。酒ですか。……生前は付き合いで呑まされるたび、毒だとさえ思っていましたが……成程」

「おお、同意見だ。私も酒は毒だと考えている」

「適量を楽しむのなら美味しいものなんだけどねぇ」

 

 そうか今潮は肯定派か。

 敵だな。

 

「気分が良い。──酩酊、悪くないですね」

「どうやって酒を飲まされたのか、については聞かないのか?」

「僕の爪に塗ったのでしょう? 鬼が体の外に出し、そして取り込むものなどそれしかありませんし」

「良い理解の速度だ。では問うてやる。お前を酔わせること……それが私達の狙いだと、本当にそう思うのか?」

 

 どろり、と。

 粘性の高い……餅のような滴が天井から滴り落ちる。

 

「……まさか、遮光鉱(ヂェァフゥンクゥァン)の鉱中毒を? いや、あり得ない。あれは長期間体内に蓄積することで起きる病のはず」

「曰く。遮光鉱に含まれる緑の粒は、塗料になるそうだ。丁度ここに染料を飲んで自殺した奴がいてな」

「だからそれは、貧弱な人間の話でしょう。鬼である僕に効くものではない」

「だそうだが、どうだ服毒自殺専門家」

「そんなけったいな専門家になった覚えはないけれど、そうだね。──酒が効くのに毒が効かない、なんて……なぜそんな妄想を抱けるのかな。ああいや、酒で判断能力が鈍っているというのなら私達のせいだ。謝るよ」

 

 投げる。

 ソレは……軽勉に当たる前に、その爪によって切り裂かれた。

 

 舞い散るは、今度こそ粉。

 純度の高い遮光鉱を研磨した時に出る──粉。

 

「ウッ!?」

「やれやれ。雇用主が横暴だと、雇われは忙しく働かざるを得なくてつらいところだよ」

 

 遮光鉱とはなんなのか。輝術を阻害する鉱石で、平民でも長く触れていると中毒症状を起こす。

 症状は恐らくだけどヒ素中毒に似た物。

 ああけれど……そんなもので鬼を殺せる、などとは考えていない。人間ならあるいはだけど、鬼は強靭だ。

 鬼に対して遮光鉱が特別なものとならないのであれば、その性質を悪用する以外の手は無いだろう。

 

「これ……は、なんだ、不快な……!」

「摩擦の極めて少ない鉱石。君の身体に入ったのはそういう類のものでね。無論鬼は呼吸を必要としていないし、人間のような生命活動をしているわけではない。──だというのに酒や毒が効くのは、何故だと思う?」

 

 答えは単純だ、と。今潮は言う。

 なお私は納得していない。ファンタジー過ぎるから。

 

「鬼に流れる血は、鬼にとって大切なものなんだよ。──これの純度や流速を下げることが、私達にとってどれほどの脅威となるか」

「普通に意味は分からんがな。どういう構造だ、本当に。吸引後、肺から入った鉱石粉がどうしてそう簡単に血管中へ行く。爪から取り込んだ遮光鉱が悪さをしていると考えた方がまだしっくりくる」

「そういうものとして受け取ってほしいかな、お姫様。これも"世の理"だからね」

 

 けったいな"世の理"だことで。

 それに、そんなに簡単に弱体化可能なら、輝術師がとっくにやっていそうだし、それこそ菌糸に溢れた空間になんて行ったら弱体化必至に思うのだが。

 

 今潮曰く──遮光鉱粉末の持つ「これ以上小さくならない性質」が良いのだとか。

 純度、流速を下げるのに遮光鉱粉末が最も適しているとかなんとか。じゃあなんで酒が効くんだと問うたら、「そういうものだから」だそうで。

 それ、なんでもに通用すると思うなよ、とか言おうと思ったけど、雲も「そういうもの」だったからぐぬぬである。

 

「軽勉。君は対輝術師の武器としてこの粉末を或曽に集めさせていたようだけど、まさかそれが君の断頭枷になるとはね」

「ん、なんだ。そんな目的があったのかソイツ」

「彼は元から急進派。輝術師から隠れなければならない、という今の鬼の在り方に疑念を抱いていた者。ただ、強い力を持つ鬼が揃いも揃って隠居生活を送っているものだから、業を煮やしたらしくてね」

「桃湯も鼬林(ユウリン)も精力的に動いていただろう。桃湯が擁立派としてその牙をしまったのが行動理由だと言うのなら、鼬林に同調すればよかったんじゃないのか」

「君も気付いてると思うけれど、菌糸だの虫だの音だの、鬼火以外を操る鬼というのは相当な年数を重ねた者ばかりでね。そうではない鬼はその矛先がこちらに向かないよう媚び諂いながらやり過ごすしかない。悲しいことに、鬼というのも格差社会によって成り立っている」

 

 蹲ったまま動かなくなった軽勉。

 死んだ……と思うのは軽率だろう。しかし……なぜ止めを刺さないんだ、今潮。

 

「では、どうやって年若い鬼が格上と肩を並べるのか。いつまで経っても差が縮まらないのでは、鬼はもっと多くが地に溢れているだろう。そうならない理由。それはね──こういうことが起きるからなんだよ」

 

 言葉と共に、軽勉の身体から()()を引き抜く今潮。

 何か。何か、だ。形容が……見つからない。

 

「それは、なんだ」

「魂」

 

 バリバリと。むしゃむしゃと。

 その何かを食い始める今潮。今までの今潮が見せていた、「鬼となれども人間らしい姿」からはかけ離れた……ちゃんとした化け物としての姿。

 

 へー。ああやって食べるんだ、魂って。

 

「……もう少し、気味悪がるとか……引くとか、無いのかい?」

「ん、ああ。そういうのを期待していたのか。すまん、汲み取ってやれなかった」

「これは……確かに可愛くないお姫様だ」

 

 いや。

 鬼って……むしろそっちがらしいというか。ファンタジー知識的には人間をバリムシャ食べる奴の方が……だから、劾瞬(フェァシュン)とかの方が鬼らしくってぇ。

 桃太郎でも一寸法師でも鬼は人を食うんだ、今更目の前の鬼が他者の魂をどう食おうが何も……なぁ。

 

「それは、どうなるんだ」

「それ、とは?」

「軽勉の肉体だよ」

「ああ」

 

 蹲った軽勉の身体。その目は開いているのに、生気がない。死んだ魚の目だ。

 

 今潮は彼の身体に……鬼火を近づける。

 ぼう、と燃え移る青い火。

 

「それ、燃えないんじゃなかったのか?」

「私もまだ研究中なんだけどね。なぜか死体だけは燃やせるんだよ。──これは、君にとっては良い"理解の種"になるかな?」

 

 死体だけは燃やせる。

 い……意味が分からん。ど、どういう原理? 生体と死体にそこまで差があるのか?

 ……魂の有無ってこと?

 

 して……燃え尽きる軽勉の身体。

 残ったのは、乳白色の粉末だけ。

 

「鬼の体内に入って尚、一切形を崩さず、か。やはり相当な……」

「なんにせよ、お前の目的はそれで果たせたのだろう。なら、こっちの用事にも付き合え、労働者」

「私は充分に働いたと思うんだけどねぇ」

「良いから、道中調べたことを話せよ。……で、或曾は……おお、準備が良いな」

 

 こっちの話には口を出さず──出す口がないとはいえ──、奥へと続いているらしい坑道で私達をじっと見つめていた或曽。

 彼のいる方へ向かう。私達が付いてくることを確認するとまた案内をし出す或曾のその姿に、あまりにも失礼ながらNPCみたいだな、とか思ってしまった。案内役のNPCはこういう挙動するよなって。

 

「調べたこと、ね。何を聞きたいのかな」

「なぜ軽勉がここにいたのかだ。輝術師を根絶やしにするためだけにここを見つけたとは考え難い。遮光鉱の鉱脈は、ここ以外にもあるのだろう?」

「そうだね。なのに彼は、わざわざここを選んだ。その理由はとても簡単だ」

「簡単なら早く言え、雇われ」

「……はぁ。……輝術師が物質精査というものを行うことができる、というのは知っているね」

「ああ」

 

 祭唄が得意とするもので、ほとんどの輝術師がそれを行っているように思う。進史さんや青清君のようなステージまで行くと遠隔でかなりの範囲を調べることもできるみたいだけど、基本はそこに手を当てて、あるいは目前にすることで行うもの、だとか。

 

「輝術師はほとんど感覚でそれをやっている。輝術を働かせている自覚がないんだ」

「へえ」

「だから輝術師は相手が輝術師か平民かどうかがわかる。常時相手の身体を精査しているようなものなんだよ。それも無意識に。だから、相手にその触覚が弾かれたかどうかで相手の……輝術適性とでもいうべきものを測ることができる。まぁ力量差があり過ぎると却って見えなくなるもの、らしいけれどね。木端な輝術師は州君には相手にされない……なんて噂もある」

「だったら平民は見えなくなっているだろう」

「噂というか、迷信だよ。実際はっきりと見分けがつくなら"貴族に混じった平民"なんてものは生まれない。感覚でやっているせいで、感じなくても気にしない。その存在が輝術を使えないかどうかは、大人数で個人に精査を行って初めて気付く……その程度のものだ。普通は"輝術を使わせる"という手段で洗うからね」

 

 だとして、プライバシーもへったくれもないな。

 なんだその常時透視能力。え、普通に怖。もしかして「視界」も規格に縛られてたりする? 私と見えている世界が違ったりする?

 

「待て、それは輝術師限定なんだろう? じゃあ、坤立は……」

「そう、彼は平民なのにそれができる。そこまで深い精査時間をかけずとも、一瞬で」

「……あり得ないこと、だな?」

「本当に平民ならね。……軽勉はそこに興味を持ったみたいなんだ。本当に平民ならそれは叶わない。けれど、輝術師の血が流れていて、その自覚があるなら……遮光鉱の加工業に身を置くことはあり得ない。となると、鍛冶の技術に何か秘密があるのではないか、って」

 

 なるほど。自然な考えだ。

 

「輝術による精査はあくまで輝術師かそうでないかを見抜けるだけだから、鬼であるか、はわからない。軽勉はそれを使って坤立に接触し、鉱夫となった。君の考え通り鉱夫は使い捨て。だからどれほどいたって構わない。給金と労働条件だけを平民の街などに張り出して、誰でも構わないから、と集めているみたいだ」

 

 ……労災契約無しの長期契約労働とは、闇が深いなんてレベルじゃない。

 それでも……生活に困るような奴ならありつくのだろうな。書けないけど読める、って奴はいるんだろう、特に高齢になればなるほど。

 

 毒の蓄積する仕事場で、防毒マスクは配らないけど終身雇用してあげるね、か。

 まー……でも機械というものが台頭する前は、というかそこまで昔でもない地球でも普通にあった労働環境だな。違うのは毒だと明記しないこと……。いや、こっちもしてなさそうだな。じゃあ同じか。

 

「坤立に関する研究結果は?」

「さっぱりだね。鬼には紙に記し残すという文化がないから、結果は軽勉の中にだけあったのだろう」

「お前魂を食っただろう。記憶を読むとかできないのか」

「どういう発想になったらそこに至るのか謎だけど……。ああいや、君は……自然にそれを」

 

 ふん。

 記憶は脳に蓄積されるものである──というのが当然の話ではあるが。

 世界を越えて、脳も肉体も違う私が前世を覚えていられる説明にならん。なれば記憶とは魂に刻まれるものであると考えた方が"妥当"だ。

 

 そんなこと、肉体の檻を脱ぎ捨てた幽鬼や鬼の方が分かっていると思うんだけどな。

 

「ん……どうした或曾。立ち尽くして……って、ああ」

 

 ああ、と。

 感想は……それしか出なかった。

 

「……眠っている。いや」

「死んでいる。……殺されたか?」

「全員、中毒症状こそ出ているけれど……こうも一斉に、となるとおかしいね」

 

 メインの掘削場だろう場所。

 そこで……大勢の鉱夫が倒れていた。皆一様に体に白の斑点を携えていることに変わりはないけど、今潮の言う通りこんな一斉に死ぬのはおかしい。

 

 毒か? ……いや、恐らく食事を出しているのだろう坤立に鉱夫を殺す理由はないはず。

 

 一応、裏返すなどして外傷を確認するけど……やはりそれらしいものは見当たらない。

 

 ただ、爛々と。

 採掘場……滲み出す乳白色と妖しく光る緑色が、そこにあるだけ。

 

「……なぜ、遮光鉱は輝術を阻害できるのか。輝術とは……なんなのか」

「……その疑問に答えられたモノはいないね。古い鬼でさえ答えを持たぬ疑問。ただそうであるからと使い、ただそうであるからと受け継がれて来たもの」

 

 玻璃(ブァリー)は言っていた。

 鬼とはその信念が神に見初められた死者。故にその身には穢れがある。穢れが輝術や魂に弱いのは、神が嫌がるから。

 神は……輝術を嫌う。嫌で嫌で仕方がないと。

 

 でも、穢れは魂や輝術に押し返されるんだ。

 つまり、力関係においては輝術の方が上にあるはず。それを弾く鉱石、となると……。

 

()()は、別か?」

 

 

 

「は?」

 

 思わず声が出た。

 瞬きをしたら……景色が変わっていたから。転移はないんじゃなかったのか。どういうことだファンタジー。

 

 というかどこだここ。

 雲一つない青空。風の吹く草原。……地平は果て無く丸く、山の一切が見えない。

 あの時祭唄に見せられた地図にそんな場所は無かったように思う。山が一切ない地形は……無い、はず。

 

「ここはお前の中だよ、祆蘭」

 

 声……は、背後から。

 でもこの声は。

 

「……つまり幻覚かこれは」

「認識はそれでも構わん。まったく、浮層岩に対してもそうだが、気安くアレらに話しかけるな。声を掛けられると思っていないからこそ浮層岩は返事をしなかったが……音にまで乗せられては流石に奴らも気付く」

 

 振り返らない。

 ドッペルゲンガーは見たら死ぬっていうし。

 

「お前は、鬼子母神、だな」

「通称だがな」

「こんなガキの意思に負けて表出できなくなる鬼子母神が、いったい何の用だ」

「敵意の無い者にまでそう容易く挑発をするな。流してくれる大人ばかりが敵とは限らぬぞ」

「許可なく乗っ取ろうとして来たり、許可なく意識を奪ったりする相手が敵ではないと」

「お前がここに来たのは私のせいではない。奴らは加減を知らぬ。確認のためだろうが、少し小突いた程度でこちらがどうなるか、を考えない」

 

 ……小突かれて気を失ったのか、私。

 よわ。

 

「その奴らというのは……遮光鉱や浮層岩のことを指すのか」

「あるいは、チャオチャンディツンザイ、と呼ばれるモノだ」

 

 ああ。

 そこに繋がるのか。

 

「チャオチャンディツンザイ。意思を持つモノ。非ざるモノ。神を名乗りし穢れの主とはまた違う、輝術という意識に同じくこの世に閉じ込められた、宿主を持たぬ者達」

「待て莫迦説明するな。祭唄の目標なんだ、その説明は。私はああも意欲的な奴の目標を奪うほどの鬼ではない」

「鬼ではあるだろう、私が宿っている」

「そういう意味じゃない。……まぁ、いい。で、どうしたら出られる。どうやったら起きるんだ、私は」

「知らん。これ幸いにと私も出ようとしたのだがな、出られん。相当な衝撃だったようだ」

 

 ……おい。

 今潮は若いからいいとして、あんた最初の鬼子母神とかいう凄い肩書持つ奴なんだろ。

 なんで使えないんだよ。

 

「外の状況は?」

「さてな。今潮が運び出しているのではないか?」

「まぁ……そうであることを願うくらいか、できるのは」

「諦めが早いな。私の肉体となることも、それくらい早く諦めてくれたらいいものを」

「馬鹿言え、私に特別な才など無いんだ。流石に夢中から現実に出る方法など知らん」

「そうか。では次の天遷逢(テンセンフォン)ではそれを参考にしよう」

 

 ……夢に引き摺り込まれたら砕いて出てやる。

 というかこれも明晰夢のようなものなんじゃないか? こう……念じれば何かが。

 

 出て……来ないな。というかなんでこんな綺麗な場所が私の心象風景なんだ。東京でいいだろ東京で。あと私の部屋で。

 どこだよここ。海外のどっかか。

 

「暇だ」

「お前……私に対して何か、ということもないのか」

「聞いたってどうせ答えないだろう。元より頭脳労働は専門じゃないんだ、なんで気絶している時まで頭を巡らせにゃならん」

「答えるかもしれないだろう」

「……もしかしてあんたも暇だったりする?」

 

 振り返ってみれば。

 バツの悪そうに、顔を逸らす「私」。

 

 ……えぇ。もっと……もうちょっと超然としててほしかったな……。

 

「普段は意識がない。お前の魂が巨大すぎて、私の入り込む余地がない。だが……お前がこうしてここにいると、私の意識も妙にはっきりしてしまって、正直暇だ。出られぬし」

「あー……。じゃあ、色々聞くけど、まぁ答えたくなかったら答えなくていい。そこで争うつもりはない」

「ああ」

「んー。じゃあ、まず。鬼子母神というのはなんだ」

「鬼を統べる存在だ。とはいえ私が名乗ったわけではないが」

「"子"というのが関係しているのか?」

「ああ、鼬林の奴が口を滑らせたのを覚えていたか。……まぁ、そうだな。実子ではないが、"子"と呼ばれる鬼達がそう呼び始めた、というのは事実だ。そして"子"の中には桃湯も含まれる」

「あいつ、いつの時代の鬼なんだ。ああいや、年代は関係ないのか?」

「大いに関係がある。そして桃湯は……八千年ほど前だったか。その頃の鬼だ」

 

 おい。いきなり中国四千年の歴史を飛び越えるな。ダブルスコアで。

 ……いつからあるんだ天染峰って。

 

「お前は、この世界の成り立ちを知っているのか?」

「問いが唐突過ぎないか。桃湯からどうしてそこへ行った。……まぁ、答えは知らぬ、だな。通説であればわかるが」

「通説も知らんのだこっちは。教えてくれ」

「……。曰く」

 

 はじまり。暗中漂う光が一つ。光いつしか止まり木見つけ。木の根を辿って世界を創る。

 はじまり。創りし世界に人を置き。光いつしか姿を隠す。世界に絡んだ木の根が伸びる。

 はじまり。木の根は草花雨風噴き出し。光いつしか安堵をす。其の木示せし名は建木。輝き灯すは太古の木。

 

「というのが……通説だな」

「……」

 

 世界創世。神話。

 だとして……ちょっと黒州に寄り過ぎじゃないか? いや……私の解釈の問題か?

 

「建木というのは……実在するのか?」

「長い間意識を有しているが、見たことはない。今のも通説というよりお伽噺が正しかろうな。輝術師の信じやすい、耳心地の良い話だ」

「ああ、確かに。鬼についてや幽鬼についてが一切触れられていないな。……暗中というのが穢れの中……いや」

 

 "閉じ込められた"というニュアンスが欠片も伝わってきていない。

 これは……多分、こいつの言う通り「信じやすい常識」。世界の始まりの真実ではないように思う。

 

 ……それを言及していたのは凛凛さんの方だ。盤古閉天(シュェングービーテン)。天地開闢の真逆。

 

 面倒な。智者全員集めて話をすり合わせれば真実も見えて来そうなものを、誰も彼もが言い惜しむからこうなるんだ。

 

「お前はどうやって意識を保っている?」

「……それは教えないでおこう」

「そうか。では次、お前は(ヨウ)湖にて、鬼のことを別の呼び名で呼んでいたな。あれをもう一度言ってくれ」

「聞こえていないのなら、言わないでおくか」

「そうか。では次。仮に私の肉体の主導権をお前が得たとして、何ができる。肉体が貧弱なことに変わりはないだろう」

「今のお前でも、威圧と呼んでいたか。あれを振り翳すだけで軽勉とて容易に従えられたはずだ。お前もわかっているのだろう? それができると知っていて……けれどやってしまえば鬼子母神となったことを認めたに同じ。だから使わない。確かにお前の剣気も相当なものだし、楽土で重ねた年月……お前が九歳の子供でないとしても、異常な剣気を有している。だが……」

「なんだ、お前の武器はそれだけなのか? ……もっとこう、ないのか。桃湯みたいな音とか、結衣(ジェイー)のような虫とか」

「充分だろう。広範囲の鬼を従え、従わざる者は気絶させて。気に入らないのなら魂を食えばいい。……過去、幾度となく楽土より帰りし神子を使って顕現したが……特に不便に思ったことはないな」

「無いのに、毎回光閉峰の外に出られず終わっているのか」

「……」

 

 あ、黙った。

 図星じゃん。

 

「もしや玻璃のように強大な輝術を使えて、且つ楽土より帰りし神子、というのは珍しいのか?」

「そうだな。あれは良い依代だった。盲目でさえなければお前よりもあちらを選んだだろう」

「桃湯曰く、私は歴代最高らしいが」

「素材としては最上級であろうよ。だが思い通りにならぬのならば意味はない。はぁ、今代はどちらも使い勝手が悪くてかなわぬ」

「なんだ、毎度毎度同世代に二人いるものなのか?」

「そんなことはないし、三人や四人の時もある。一切生まれぬ時もある。……法則性など問われても知らぬ。それこそ輝術か穢れに聞け」

「お前、一応鬼なんだろう。穢れのご意思は聞こえないのか」

「お前の身が穢れに冒されていれば聞こえるさ。今のお前は世界に蔓延る輝術の意思に触れている。……今潮が気を利かせて穢れを流し込んでもしてくれたのなら話は別だが……望み薄だろうな」

 

 むしろ気を利かせて流し込んでいないんだと思うけど。

 というか。

 

「まだ起きないのか私は」

「知らぬ。何かないのか、楽土の知識に。夢中より目覚める術、などは」

 

 ……いやあるけど。

 でも私あれ疑ってるんだよな。だって「痛み」って記憶できるものだし、余程の「経験したことの無い痛み」じゃないと判別には使えないっていうか。

 

 まぁ、試すか。ファンタジーだし。

 

「む……なんだ、近づいて……ぅに」

「おお、九歳女児の頬だな」

「ぁにをふる……」

「痛いか?」

ぃはぃぁあるふぁへ(痛みがあるわけ)……」

「じゃあ、夢だなこれは」

 

 起きよう。

 

 

 

 起きた。

 

「起きた! 祆蘭、大丈夫!?」

「おお、いきなり叫ぶな驚くだろう。……あれ」

 

 ここは……青宮城の、医院?

 外もかなり暗い。……ふむ。

 

夜雀(イェチュェ)様、いったい何が」

「問わねばならぬのはこちらだ。──さて、祆蘭。そなた、なぜそうも孤立したがるのだ」

 

 背後からかかる声。状況は同じだけど、声は違う。

 

「いたのか青清君」

「いたのか、ではない。……心配したのだぞ」

「そうか」

「……要人護衛。看病、及び送迎ご苦労。一度持ち場に戻れ。祆蘭は私と進史が叱る」

「はい」

「わかりました」

 

 輝術の浮遊感。

 おお。ええと。

 ……じ、今潮ー。お前説明とか……というかどうやって祭唄達に私の身体を渡したんだ。私にもなんか説明をしておけ、状況が掴めないだろう。

 

「今回は反省の色が見えるまで部屋から出さぬ。──いいな」

「私が素直に反省などする奴に」

「そうか。ではお前はもう私の部屋から出られぬ。──ところで私には黒根君(ヘイゲンクン)から渡された(トコ)における手法なるものが」

 

 おい何渡してんだアイツ。

 ちょ……いやいや、そうだ。進史さんが同席するんだ、大丈夫大丈夫。どうせこの初心娘にそういうことができるわけないしな。

 

「素振り無し、か。──良い、良い。今、進史には後で説教をするように言った。さて」

「し……仕方がなかったんだ。場所が遮光鉱の鉱山で、要人護衛は誰も近付けないから……。あ、そういえば坤立は結局どうなったんだ。なぜ鉱夫たちは」

「話を逸らすな、小娘」

 

 ──鬼子母神、なんとかならないか。私の意識を引っ張るとか無いのかお前。

 

 ああ、まずい。青清君の部屋についてしまった。

 これは、万事休すか? 始まってしまうのか……己を十歳だと言い張る成人女性と、身体は九歳だけど中身そこそこ行ってるおばさんのめくるめく白百合の世界が──。

 

「……あれ」

「ふん。……お前に嫌われるような……同意を求めずに、などするわけがないだろう。そこで座っていろ。今、進史が来る」

 

 黒根君。

 疑ってすまなかった。お前、ちゃんとした倫理を渡してくれたんだな。……今度会う時があったら、ちょっとだけ優しくするよ。

 

「だが隠し事はするな。洗い浚い吐け。──何があった」

「……まぁ、良くある話だよ」

 

 隠す話でもない。

 これで……あそこがどういう扱いになるかは知らないが。

 

 私は全てを、青清君と進史さんに告げる。

 鬼による企てとは別に走る、ヒトの悪事についてを──。

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