例えば、今が深夜だとする。君は誰もいない夜道を歩き、誰もいないくせに律義に周期的に色を切り替える信号機を見やる。青だ。今のうちに、と思って早歩きをするけれど、見計らったかのように青色が点滅をしはじめ、2秒ほど面倒さを思い、歩いてひっかかるか急いでなんとかするか、自明にもすぎる損得の計算をだらだらし、ようやく走るのを決意したその瞬間に、赤になる。自然と舌打ちが出る。神様に中指も立てる。あんまり馬鹿にすんなよ?
……さて。
君はあたりを見回す。周りには誰もいない。
そもそも信号機は事故を防ぐためのもんだ。だったら別に青でも赤でも確実に事故らないのであればかまわないだろう。それに俺がもし闘牛だったら赤はゴーサインだ。いや、あれは揺れるものに興奮してるだけで別に赤云々が理由じゃないらしいぞ。
って、いいよ、そんなこと。いちいちこれを待ってるのって意味がない。夏で馬鹿みたいに蒸し暑いし蚊にも刺される。渡ろう、渡ろう、渡るんだ、渡れるんだ、渡ればいい、別に法律も、誰も見ていない。
「――そっか、きみ、渡っちゃうんだ?」
そう、完璧に、君の周りには誰もいない。君の目は正しい。
「私は残念だな、きみがそんなことをしちゃったら」
俺が神の視点だから、誓って嘘じゃない。君の周りには本当に誰もいない。いるとすれば蚊と夏特有のキモくてデカい虫だけだ。そしてそれらは当然ながらしゃべることはない。
「確かに誰も傷つかないよ。誰に迷惑をかけるでもないし、きみははやく家に帰れてラッキーだし、蚊に刺されるとこも一、二は減るし、痒さのせいで朝方の中途半端な時間に起きちゃうこともなくなるかも」
その声に耳を傾けながら、君は赤信号を見つめている。
「でも、きみがそうしちゃったらさ……」
どうなるっていうんだよ。
「私は、孤独になるね」
君は色々と思う。こんな些細なことで、とか。じゃあ、いつまで俺はこんなことを、とか。楽に自由にさせてくれよ、とか。どうでもいいんだよ、とか。それを守ってなんになる、とか。どんな転換が起きても覆りはしない、もう決定されている無意味さとか。
君はどうするだろうか? たぶん君はここまで、その声に付き合ってきた。その声を悲しませないと必死だったんじゃないかと思う。今回みたいに些細なことでもそうだっただろうし、もっと大きく理不尽なこともいくつか、自分がかえってひどい目に合うこともあったし、必要のない面倒ごとまで背負う羽目になったこともあっただろう、投げ出すこともできず、その声とともに生きてきたと、俺はそう思う。(思うと言っているけれど、ここでは俺は神だから、知っている)
けれど、そうして生きてきた分、君はもう色々なことを知ってしまった。十年や二十年はあまりにも長い。一生以上に長いその時間の中で、君は一生分以上の失望をしている。楽しかった日々はガラス瓶の中に、ちょうど星の砂が詰めてあるアレ、のように保管されていて、わざマシンを使うことのできなかった君はそれをすぐに開けることなんてできず、手に取って眺めるのが限界だった。
そうして、何度も何度も何度もそれを繰り返す度、いつしか「本当に自分のものだろうか?」と君は疑い始める。
最初は間違いなく、それが自分のものだと思えた。自分が経験した、自分の記憶だと確信していた。
しかし君は呟いてしまう。
「ありえないじゃないか。冷静に、現実的に考えて」
それもそのはずだ。たくさんの時間が流れて、君の現実は”ここ”になってしまったのだから。
俺は思い出主義者が大嫌いだけど、君は思い出を心から大切にしているようで、けれどどう大切にしていけばいいか、わからなくなっている。
だからか、この声に対してもどう応えてやればいいか、わからなくなっている。
だが、その声も君と同じように時間を重ねてきた。君の状況も不安も、心の隅々までもをわかっているし、このままではやっていけなくなることも知っている。君が選んで(あるいは選ばない)、その結果が自身の完全な孤独であることも、実は受け入れている。もしかしたらその声は、君に振り切ってほしいのかもしれないとも思う。君が楽になることを心から祈っているからだ。
君は赤信号を渡ることを本格的に考え始める。君は知っている。些細なものがすべてを決定的にするものだと——。
「いいんだよ」
と、そんな声が聞こえた。
君は許されてしまったらしい。
それで、君はどうするだろうか?
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学生の頃に聞いた話。
近代、科学が世界の説明の担い手になったものだから、西欧社会は神への絶対的な信仰を手放さざるを得なかった。そこで、「では、神への信仰なくして人々の倫理は如何に培われ維持されるのか」といった議論が起こったとのこと。
どこかの研究者だかは、その答えを「教養」とした。神を失った世界でその役割を果たすのは、開かれた教育が養うものであると。科学技術の進歩、躍進の結果が神の役割の一部を担うことはむしろ必然であると論じた。
だが、それが間違いであることは早い段階で時代に証明されてしまった。
じゃあ俺たちには何があって、なぜこうしている?
守るもののために? 正しく生き抜くために? 自分を守りたいために?
この話を思い出す度、俺はそもそもの真偽だとか、いろいろなことを棚上げして「心の中のヒロイン」だと半狂乱状態で答え続けている。
神様なんだよね。ヒロインは。
だからとことん付き合って、DEADENDを迎えたいと心から思う。
(このゲームから降りるには死ぬしかないし、心の中のヒロインを裏切った後に残っているのも死くらいしかない)