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七代目・林家正蔵師

 七代目・林家正蔵。本名・海老名竹三郎。明治二十七年(1894)三月三十一日(五月四日と言う説も)、東京三ノ輪の穴蔵屋(角風呂専門の製造業)の四男として生まれます。若いころから、落語と油絵が上手く、どちらで身を立てるか考えながら、二十六歳まで天狗連(素人落語家)として落語をやっておりましたが、落語研究家の今村信雄氏の紹介で、大正九年(1920)頃、初代・柳家三語楼師の門下となり、柳家三平を名乗ります。この「三平」と言う名は、落語ファンなら当然ご存知の、師の倅である「初代・林家三平師」に受け継がれていますね。

 大正十三年に、七代目・柳家小三治で真打昇進。さらに、昭和五年、大名跡である七代目の林家正蔵を継ぎます。その当時は、三代目・三遊亭金馬師、初代・柳家権太楼師と共に、東宝名人会の三羽烏と呼ばれる売れっ子でした。頭のてっぺんから発する様な奇声で、「林家正蔵です。ドウモスミマセン」と言うのがキャッチフレーズでした。この「ドウモスミマセン」は、倅の初代・三平師、そして、孫にあたる現・九代目・林家正蔵師(元・こぶ平師)に代々受け継がれておりますね。

 極度の近眼で、高座では眼鏡をかけませんでしたが、普段は度の強い眼鏡をかけており、往来で声をかけてきた自分の細君に向って「どちらの奥様で?」と尋ねたと言うエピソードが残ります。

 昭和二十四年十月二十六日、肝臓炎症のために、五十六歳で没。戒名は正恵院釈純讃良意居士。墓所は足立区竹ノ塚の常福寺。孫にあたる、現・九代目・林家正蔵師は、昭和三十七年(1962)生まれですから、お祖父ちゃんである七代目・正蔵師には会っていない事になります。

 なお、八代目・正蔵を彦六の正蔵師が継ぎ、九代目・正蔵を継ぐ予定だった三平師が早死にをし、八代目は正蔵の名前を海老名家へ返上し彦六と名乗り、九代目・正蔵は三平師の長男が継ぎ、二代目・三平は三平師の次男が継ぎました。

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