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乳腺外科医事件に再び無罪判決 弁護団は「遅すぎる」と批判 「長くて辛い日々だった」と医師

江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授
東京高裁の差戻し控訴審で2度目の無罪判決(日本国民救援会提供)

 乳腺外科医が、手術直後の女性患者から「胸をなめられたり、乳房をはだけさせて自慰行為をされた」と訴えられ、準強制わいせつに問われていた事件の差戻し控訴審で、東京高裁(齊藤啓昭裁判長、横山泰造裁判官、佐藤弘規裁判官)は3月12日、一審の無罪判決に「事実の誤認は認められない」として、検察側の控訴を棄却した。関根進医師(49)にとっては2度目の無罪判決となる。

 この日の判決は、東京地裁(大川隆男裁判長、内山裕史裁判官、上田佳子裁判官)の一審判決を概ねなぞる形で、検察側の反論をほぼことごとく退けた。一審判決は、麻酔学や精神医学などの専門家証言を踏まえ、被害を訴えるA子さんの証言と警視庁科学捜査研究所の鑑定を綿密に検討。A子さんは麻酔覚醒時のせん妄に伴う性的幻覚を体験していた可能性があり、科捜研の鑑定ではA子証言を補強する証明力はないとして、「犯罪の証明がない」と結論づけていた。

一審判決から6年以上かかった2度目の無罪

 関根医師は判決後の記者会見で、警察と検察を「片方の言い分を過剰に信じ、客観的なものの見方ができない、そして一度決めたら振り返りや修正することのない組織だと思いました」と批判。「これらに私の生活や仕事、そして家族を奪われたことに強く憤りを感じます」と述べ、逮捕当時のメディアの報道についても苦言を呈した。

判決後、記者会見する関根医師(右)と弁護団
判決後、記者会見する関根医師(右)と弁護団

 この2度目の無罪を得るまでに、関根医師は一審判決から6年と20日という長い時間を要した。弁護団は「遅すぎる無罪判決」と批判し、関根医師は「長くて辛い日々でした」と振り返った。

長期化した”諸悪の根源”は…

 これだけ長引いたのは、最初の控訴審で東京高裁(朝山芳史裁判長、伊藤敏孝裁判官、高森宣裕裁判官)が一審判決を覆して逆転有罪とし、懲役2年の実刑としたからだ。この判決は最高裁(三浦守裁判長、菅野博之裁判官、草野耕一裁判官、岡村和美裁判官)が破棄したが、最高裁は自ら判断するのを避けて、東京高裁に差し戻した。

 高野隆主任弁護人は、最初の高裁判決が、自ら「私はせん妄の専門家ではない」と述べた検察側証人の精神科医の証言を採用し、弁護側証人となったせん妄に関する専門家の証言を否定したことについて、「どう考えても、科学的にも常識的にも、論理的にもおかしい判決。この裁判を長引かせた諸悪の根源」と批判。自判せずに高裁に差し戻した最高裁にも長期化の責任がある、とした。

主任弁護人の高野隆弁護士
主任弁護人の高野隆弁護士

無罪判決への検察官控訴は「理不尽」

 そのうえで、無罪判決に対して検察官が上訴できる現在の仕組みにも、次のように疑問を呈した。

「検察官の無罪判決に対する控訴というのは、やはり非常に理不尽。本件は、一審は公判整理手続きに2年かかり、専門家ら24人の証人を呼び緻密な議論を積み重ねて無罪になった。多大な労力と精神的な苦痛と費用をかけてようやく達成した無罪判決に対し、国に不満があれば上訴できるというのは問題。米英のように、無罪判決には検察官は上訴できない、せめて事実誤認を理由に上訴はできな仕組みが必要だということを、本件は示している」

事件が及ぼす負の影響

 医師は職業上、患者の人体との接触が避けられない場合が少なくない。そういう中で、関根医師が逮捕・起訴され、一度は有罪判決まで出されたことは、医療界にも衝撃を与えた。本件手術が行われた柳原病院(足立区)の現院長で、当日の手術にも立ち会っていた八巻秀人医師は、この日の無罪判決に「当然の判決」と安堵しながら、「(無罪となるまで)なんでこんなに時間がかかるんだろう、という怒りや辛い気持ちもある」と述べた。

 患者の誤解から事件やトラブルとなる事態を防ぐために、患者には複数の医療従事者で対応することが望ましいと言われるが、八巻医師は「医者や看護師を増やすことは簡単ではない。患者さんのプライバシーもあるので、監視カメラを置くこともできない。(患者の)プライバシーを守りながら(医療従事者も守りつつ)診療を続けていくにはどうしたらいいか、難しい問題だ」と悩みを吐露。さらに、今回の事件による医師の間で萎縮が進み、「乳腺外科医となる男性医師が減っているようだ。乳癌の患者はまだまだ多く、(病院にも)マンパワーが必要。今後も影響が残る不安がある」と語った。

無罪判決に安堵しながら、事件の影響について懸念する八巻医師
無罪判決に安堵しながら、事件の影響について懸念する八巻医師

 以前、帝王切開手術を受けた産婦が死亡し、執刀した産婦人科医が業務上過失致死罪などで逮捕・起訴された事件があった。これは一審の無罪判決後、検察が控訴しなかったため、2年半ほどで無罪が確定したが、それでも産婦人科医不足を悪化させる影響があった、という指摘がある。

検証が必要だ

 今回の事件では、検察はなぜ一審無罪で立ち止まることができなかったのか。それ以前に、病院や弁護人らは関根医師が逮捕される前から、被害の訴えはせん妄による幻覚の可能性が高いことを警察に伝えていたにもかかわらず、その情報が適切に生かされなかったのはなぜか。また、1回目の高裁が非専門家証言を丸呑みにて専門家証言を排斥する判決を出したのはどうしてか。警察や検察、そして裁判官らも、自らの活動や判断を検証する必要があると思う。

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ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えています。

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