女帝からは逃げないと。 作:霧江牡丹
あの後、お咎めらしいお咎めも無く、私は日常に戻った。
雲妃は入院。雲妃に仕えていた宮女はそれぞれ一時的な暇を出され、帰る者は実家……といっても
「ぬぅ……」
そんな話はさておいて。
先日作った切子細工を見ながら、思う。
……素人細工が過ぎる。これ、今の青清君にあげても……なんだろう、逆効果というか、手作りチョコみたいな扱いにされるんじゃないか。
ちゃんとした職人に細工を頼みたいなぁ。献上品にするには……お粗末に見えて来た。
職人。……そうだ。それで思い出した。
「二人とも、私が雲妃のところへ行く前に、
「あ、うん。ただ要人護衛が良く使う遮光鉱の刃物鍛冶を紹介してくれ、ってお願いされて」
「契約上、情報伝達で位置を教えることができないから、案内をしていた。……
「へ?」
やっぱりか。
鉱石についてわざわざ進史さんが聞くんだ、そういう系統だと思っていたが。
──いるんだな、刀鍛冶。
「青宮廷内にいるのか、その刃物鍛冶とやらは」
「ううん、違うよ。青宮廷の外にある、……えっと、祭唄? 伝えたいことがあるなら伝達で……良くない? なんでそんなに睨んできてるの~!?」
「今の祆蘭に行動制限はない。むしろ輝霊院の背押しもあって、どこへでも行ける。……一応、聞く。祆蘭は」
「当然行きたい」
「……そう。じゃあ、申請をしておく。
「どうしたいきなりぶつぶつと。……というか、いいのか? 情報を教えてはいけないんじゃないのか?」
「そんなことないよ。ただ情報伝達で教えちゃうと、その……進史様にどれほど信用があるとしても、秘密裡に誰かに教える、ってことができちゃうから」
「遮光鉱を扱える刃物鍛冶は限られている。様々な危険性を考慮し、彼らは己の位置をあまり教えたがらない。そして私達も彼らから刃物を買う関係にある以上、その約束を守る。ただ、案内すること自体は拒まれていないから、こういう少し迂遠な取次になる」
ふぅん。
……ある意味……なんだろう、セキュリティというか。
オフラインのパソコンならクラックされないだろ戦法の奴か。
なんにせよ、行けるというのであれば行きたい。
遮光鉱は……世界を知るために必要な情報の、大事な一ピースだろうからな。
楽しみだ。
そこは……なんというか、本当に想像通りの「鍛冶場」だった。
だからこそ奇妙だ。この世界では。なんせ──誰も浮いていない。
……いや青宮廷の人達もそこまで頻繁に浮かないんだけど、青宮城に住んでいると流石に感覚が狂う。
奇妙……に感じるのは、でもそのせいじゃない気がするんだよな。
「ん……ああ、祭唄か。なんだ、また来たのか」
「はい。ただ今回は……見学をしに」
「見学ゥ?」
上裸にサロペットみたいなものを着たおじさん。
祭唄が畏まっているあたり、私は顔を伏せておいた方が良さそうだな。
「ん……何顔伏せてんだぁ嬢ちゃん。俺達は平民だぞ?」
「祆蘭、彼らは貴族じゃない。顔を伏せる必要はない」
「そうなのか。……あ、そうですか」
「ダッハッハッハ! 今更取り繕っても遅ぇやなぁ! で、なんだ祭唄このちまっこいのは。要人護衛の新人にしちゃ若すぎるだろうよ」
「彼女が、見学希望者です」
「へぇ。……なんだ、とうとう俺達の技を盗みに来たか! ダハハハハッ! こりゃ用済みか俺達は!」
豪快に笑う人だ。少しだけ
あっちは……今でも山賊みたいだ、って思ってるけど。
目が合う。
……。……何かを見極められている。なんだ?
「おでれぇた。嬢ちゃんも平民じゃねえか」
「はい、親方さん。彼女は平民で、でも"今年の"青清君のお気に入りで」
「へぇ! 平民で可愛がられてるってぇことは、嬢ちゃんも芸術だの美術だの、そういう手合いか?」
「いや、多少の細工をする。だから鍛冶……特に遮光鉱の鍛冶には興味があるんだ。……言葉遣いは、もういいよな?」
「たりめぇよ! むしろ祭唄と夜雀こそ、いつまで畏まってんだ。玉帰は……いつも通りの無口だがよ」
「いつでも緊張はします。要人護衛と直接の契約を交わしてくれる鍛冶場はここしかありませんから」
「それが要らねえっつってんだが……。ま、いいや。もう何千回と繰り返した会話だ、飽きもするってぇな! で。細工師、つったか? ちょいと手ぇ見せてみろ」
言われた通り……手を出す。
ここも気になるポイントではあるんだよなー。
今、どうやって私を平民と見分けたのか。
帰ったら祭唄に聞こう。平民と貴族の見極め方を。
「おいおい綺麗な手だな。水場仕事もしたことねぇってくらい綺麗な手だ。……が!」
「が?」
「わかるぜ、俺にはわかる。──この手は、モノ作りの手だ。よーし許可する! 好きなだけ見学していけ嬢ちゃん!」
「何を察されたのかは知らんが、感謝する。改めて、私は祆蘭。単なる平民だ」
「おうよ、俺は
握手をする。
おお、岩みたいな手だ。マメやタコだらけになった、何度も何度も皮膚の治った手。
私の手はなー。まだほんと、握力が無さすぎてな。……加えて妙に治りが早いのも相俟って、結構な傷を負ったはずなのに全部治ってるんだよな。
別に身体を傷つけるのが趣味ってわけじゃないけど、こういうゴツゴツした手にはある種の憧れがある。
「祭唄、夜雀。野郎どもの邪魔さえしなけりゃ好きに見せてやんな。ああでも、いつもの場所にはあんま近づくなよ? どうやったって弾いちまうからな」
「はい。ありがとうございます。……じゃあ、行こう祆蘭」
手を引かれる。
へー。楽しみだ。普通に工場見学の気分。
結局一言もしゃべらなかった玉帰さんを伴って、いざ鍛冶場へ……。
……。
……ん?
「あれ……静かだな」
「うるさくなる理由がない」
「いや……え? 鉱石だろ、こう、カンカン叩くものじゃないのか」
「それは、普通の鍛冶場、だな。遮光鉱の鍛冶は……特殊だ」
「あ、喋った」
「……」
「玉帰は坤立さんに泣かされたことがある。だから苦手」
「おい、祭唄」
「口止めしない方が悪い」
え、やめてくれよそういう気になる話するの。
鍛冶場に集中したいのに。
「ちなみになぜ?」
「理由は知らない。私が生まれる前の話だし」
「私も知らないけど、泣かされたことがある、ってことだけは知ってるんだよね。要人護衛の中では有名な話だし」
「……もういい。俺は、喋らない」
「拗ねた」
「拗ねた~」
なんか……なんか、珍しいな。
いや、玉帰さんのこういう姿が、ってよりは、要人護衛のこういう光景が。
青宮城の中だと一応畏まってるからなぁこの人たち。祭唄に関してはもう本当に一応レベルだけど。
外だとこういう関係なんだ。
「あ、それで、そう。遮光鉱の加工の話だよね、祆蘭が言ってるのって」
「ん……ああ、そうだ。ここにいる職人は貴族じゃない。つまり輝術師じゃないんだろ? だったら尚更」
「輝術師の方が遮光鉱の加工はできないよ~。……うーん、私達もどうやって加工しているのかは知らないし、見てもらった方が早いかも?」
「うん。こっち」
知らないのか。
ああ、だから技を盗みに、とか言ったのか。門外不出、一子相伝みたいな秘奥の技だったりするのかな。
「ほら、あそこ。精錬はああやってやってるの」
「あそこって……は?」
夜雀さんが指差すそこ。
そこでは、何か……えーと。なんだろう。
乳白色に緑のラメがブレンドされた、みたいな……モチ、みたいな……ものを、どろーっと伸ばしている男性二人が。
な……なんだあれ。
なんだアレ!
「あれが遮光鉱の原石。あの状態でも輝術を弾く」
「原石……どう見ても液体……いや半固体?」
「不思議だよねー」
だよねー、じゃない。
え、本当に何アレ。──久しぶりに超ファンタジーなんだけど。
空飛ぶ馬車、浮層岩を見た時並みにテンションが上がっている。やっぱりここは異世界だった……!
「近づいてはいけない場所、というのはあそこか?」
「違う。近づけるなら、近づいていい」
「……どういうことだ?」
「まぁこれは苦手意識というか……あのどろどろが、少しでも肌とか服に付くだけで輝術師は輝術を使えなくなっちゃうから、あんまり近づきたくないんだよね、私達」
「そんな水跳ねするような粘性には見えないんだが」
「だからただの苦手意識だよ。祆蘭が行くなら私達もついていくよ。要人護衛だし」
……三人共、ちゃんと嫌そうだな。
だったらアレを剣だのなんだのに加工するより、水鉄砲形式で撃ち出した方が効果的なんじゃ、とか思ってしまう。
「じゃあ行こう」
「ぅ」
「……嫌そうだが、行くぞ」
次、いつここに来られるかわからないし、見ないのは損。
三人は我慢してもらって……そこに近づく。
「お? おー、祭唄に玉帰に……夜雀もいるのか。ここに近づいてくるとは、さては親方からなんか言われたな?」
「新人がいるのか? にしちゃぁ……幼いが」
「ああそうか、輝術師じゃないから伝達とかないのか。初めまして、私は祆蘭。坤立に許可を貰って、遮光鉱の刃物鍛冶の見学をさせてもらっている。平民だ」
「おー、随分とぶっきらぼうな言葉を使うじゃねぇか。綺麗な顔してる割に、俺達みてぇな言葉遣いだ」
「ダハハハハッ! これで笑い方が俺達や親方似だったら、娘として迎え入れてたな!」
「親方の笑い方はうつるんだよなぁ……。ああ、で。見学だったか。いいぞいいぞ、好きに見て行け。何が起きてるかわかるんなら、だけどな。ダハハッ!」
まぁ職場の人間の奇妙な口癖が伝染るのはわかるけど、にしたって似すぎじゃない?
というツッコミはおいておいて。
おお。
なん……だ、これ。本当に。
「それ……素手で触ってるけど、大丈夫なのか?」
「大丈夫ってのは?」
「熱かったり、逆に冷たかったり……あとは、引き抜けなくなったり?」
「ブハッ……ダッハッハッハ! なんでぇそりゃ! だとしたら俺達ぁ毎日腕を斬り落とさなきゃならねぇよ!」
「なんだったら触ってみるか? 平民なら忌避もねぇだろ」
「いいのか!」
「おお、意欲的だな。いいぜ、そういう奴は大歓迎だ!」
恐る恐る。
金属製の鍋……巨大な鍋みたいなものに入っているそのラメ入り乳白色に、指をつける。
……こ、これは。
「新触感……。液体なのにサラサラしている……!?」
血がサラサラしている、というサラサラじゃなくて、こう……レース生地を触っている、いやシルク生地? とにかくそんな感じのサラサラ。
なんだこれ……なんだこれ本当に。一切分からん。面白過ぎる。
「おぅ良い反応だな。んじゃ手ぇ引き抜いてみな」
「ああ……おおお!? ぬ、濡れてない! 付着も全くしていないし、それどころか……一瞬で元に戻った? ん? あ、え? じゃあお前達はどうやってそれを引き延ばしているんだ?」
「そこが俺達刃物鍛冶の腕って奴よ!」
「ダハハハハッ、すまねぇが流石にそこは教えられねえんだ! 嬢ちゃんが俺達に弟子入りするってんなら話は別だけどな!」
「……一年後、青清君の雇用が終わったら来たいくらいだ」
「青清君の……へぇ、嬢ちゃんが今年のお気に入りなのか。成程、だから要人護衛が。……言われてみりゃ、モノ作りの手だな、そりゃ!」
「坤立にも同じことを言われたよ。似すぎだろ、あんたたち」
「ダハハハハハハ! ま、光栄だよ! 親方は全部一人でできるからな、俺達もいつかそうなりてぇんだ」
「ダハハハハハハ! とまぁ、製錬はこんな感じだ。どうだ、盗めそうか?」
「いや……一
「良いのかよ!」
「良いのか! ダハハハハ!!」
ずっと触っていたいけど……いや、というか。
これが「精錬」ってどういうことだ。ただ混ぜているようにしか……。
「原理は聞かないが、ここでは何をしているんだ? 精錬というからには、この原石から不純物を取り出す……んだろ?」
「お、よくわかってんじゃねえか。そう、これ見えるか? この緑の粒」
「ああ」
「コイツ自体にも用途はあるんだが、刃物に加工するってなるとこの緑の粒が邪魔になる。だからこうして」
あのサラサラに腕を突っ込み、如何様にしてかそれを引き延ばし……そこにある緑の粒を抓んで、違う鍋へと入れて行く。
「理解した。……緑の粒は、何に使うんだ?」
「色々だな。基本は塗料か?」
「塗料にしたり、石材に混ぜたりして、輝術の精査が通らねえ部屋を作る」
「ああそういうことか」
なるほど、刃物以外は、なのか。
となると……刃物の方が産出は多いのかな? どう考えたって緑の粒の方が採れる量少ないだろうし。
「嬢ちゃんの考えてることは大体わかるが、まぁ次の工程を見に行きな。そしたら考えが変わるからよ」
「ほら、祭唄、玉帰。案内してやんな」
「……ああ」
「相変わらず小せぇ声だな! ダハハハハッ!」
まずいな。
異世界鉱石の鍛冶場。よくよく考えなくとも興味しかないじゃないか。
それで、次は。
「っぷはぁ……。意味無いのは知ってるけど、息止めちゃうんだよね……」
「わかる。無駄に緊張する」
おお、喋り出した。
まぁすまんがお前達の反応は大体察したからいいんだ。早く次をだな。
「こんなに目の輝いた祆蘭を見る日が来るとは思っていなかった」
「いつも……何か、どこか諦めたような、あるいは……達観したような、目をしている、からな」
……。
私、まだそんな目をしていたのか。気を付けないとな。
昔言われたことだけど……「お前の目は失望の色が見えすぎてて、悪い事をした気分になる」って。
期待していないんだから失望も何もないのにな、とか。……ああやめやめ。
今は楽しい工場見学なので。
「次が近づいてはいけない場所か?」
「違う。次は私達も近づける。忌避はない」
「へえ」
「あ、でも結構熱いから、祆蘭大丈夫かな」
「お、熱いのか。それでなくては」
鍛冶場が涼しいのは解釈違いだし。
そんな雑談をしながら歩いていたら、肌を熱気が撫でる。
おお。
ごぼ、という……気泡の上がる音がした。
熱源。それは、大きな大きな釜。さっきの鍋の比ではない大きさの、「地獄の釜」という言葉がしっくりきそうなほどに大きな釜。
火にかけられていているそれ。また男たちが釜の縁から巨大な木べらを用い、ゆっくりゆっくり中身をかき混ぜている。
……あの鉱石、沸騰するのか。
そして木べらで混ぜるのか。
「おっと、それ以上近づくな。あぶねーぞ」
「危ないのか」
「おう。……おやっさんから話は聞いてる。あっちの梯子から段上に昇んな。その方が良く見える」
監督をしているらしい男性。
彼に指差された方を見れば、確かに鉄製らしき梯子と足場が。
「いつもは、私達が近づいても……何も言わない、ですよね?」
「どー見てもお前達より鍛え方がなってねぇからな」
「……お前は坤立のような笑い方をしないのか」
「……恥ずかしいんだよ。全員が全員げらげら笑いやがって。おやっさんに憧れてるっつったって、おやっさんになろうとする必要はねーだろ」
でもお前が一番見た目似てるけど。
そういう話じゃない? そういう話じゃないか。
とにかく、案内された梯子を上って足場から釜を見下ろせば……良く見えるようになる。
「ん、思ったより水嵩が無いな」
「注いだ直後はもっとある。加熱と混練を繰り返すと、ああして凝縮される」
「これが、精錬の次……凝縮工程、だ。先程、あれだけあった……遮光鉱も、ここで、掌に収まるほどの……大きさまで、縮小する」
「そんなにか」
熱すと凝縮して小さくなる。
面白い。ということは最初の時点で密度がかなり低いとかなのかな。
「ここは、これだけ。凝縮を終えるのに六刻はかかると聞いた」
「……大変だ」
「ね。輝術無しで釜の上に立って、ずっと混ぜ続けて……。本当、凄いと思う」
もしかしたら、危ないというのは私達が、じゃなくて……混練している彼が、なのかな。
確かに危ない。気を散らせて釜に滑り落ちでもしたら……考えたくもないことになる。
次、行こう。
「次で最後。だから」
「近づいちゃダメな場所か」
「正確に言えば、祆蘭は大丈夫。私達が弾かれる」
「輝術師限定か」
「そう」
えー、もう最後か……。
あくまで様子見。こじつけ程度の妄想。
だけど……。
「行ってみたい。ただ頼みがある」
「なに~?」
「上を少し警戒しておいてほしい」
「上? ……空?」
「空か、樹上か。何も無ければそれでいいんだ」
「……? よくわからないけど、わかった」
して。
「……まさか幽鬼が現れるとは。祆蘭、何か気付いていたの?」
「まだ……わからん」
本当に、現れた。
私が最後の工程……展延と研磨を行うその作業場に入ってすぐのこと。
誰を狙ったのかはわからないけれど、私達の近くに幽鬼が降りたって……降り立とうとして、空中で祭唄たちに弾き飛ばされた。
何やら輝術の使えなくなる範囲があるらしく、そこに近づかないようかなりの距離を取っての対処だったからか、威力は激減。この地の性質上青宮廷に応援を呼ぶわけにもいかず、要人護衛が私の側を離れるのももってのほか。
そして……坤立たちに聞いて回ったところ、そのような幽鬼に覚えはない、とのことなので。
「わざわざ林の中を行く必要、あった? 死角が多い」
「それは幽鬼も同じだ。……その上で、こちらには
地の利ではなく、だ。
ある程度離れた場所で……坤立に貰って来たあるものを取り出す。
途端、顔を顰める要人護衛三人。
「祆蘭、それ……」
「凝縮された遮光鉱の研磨時に出る粉だ。ここまで来ると再加工は難しいらしい廃棄物と聞いてな。──これでおびき寄せる」
「……精査が阻害される。一度しまえ、祆蘭。それがあると、俺達が……幽鬼を見つけられない」
「問題ない」
指で抓めども、するすると零れ落ちるその不思議な粉。
これの入った麻袋の口をしっかりと硬結びで結んで……思いっきりぶん投げる。
楽しい工場見学は終わり。
これからは──答え合わせの時間だ。
「っ! 幽鬼!」
「さっきの奴! ……でもっ!」
「あの袋のせいで、輝術が届かない。……祆蘭、どういうつもり?」
私の投げた麻袋に飛び掛かるようにして現れたその幽鬼。
……男。改めて見ると結構高齢だ。
全身に斑のような白い色素沈着。
ふぅん。そうかそうか。
「……祭唄。彼を見たことはないんだったよな」
「うん。……祆蘭、さっきから本当にどうしたの?」
枯れ木のような手で麻袋を持ち上げ、中身を確認せんと結び目を解こうとしている男性の幽鬼。
同じだと。
そう考えるのなら。
「……おい、お前。……坤立のことを、どう思っている」
「!」
名前に反応する幽鬼。この感情は……怯え?
言葉は喋らない。口を動かすことさえしない。
……。
「大きい音が鳴る。耳を塞いでいろ」
小物入れから取り出すは、便利も便利な紙鉄砲さん。
いつか
驚く幽鬼。手が緩んだその隙に──麻袋にもくっつけてあった紐を引っ張って、それを取り戻す。
「……!」
「これなら……!」
「待て。……もういいぞ、お前の
「……? ……、……?」
「ああ。……お前が構わないのであれば、案内を頼みたいところだが……怖いのだろう?」
「……。……」
幽鬼は。
くいくい、と……手招きをする。
「行くぞ」
「え……ダメだよ祆蘭、幽鬼の誘いに乗るのは」
「連れていかれる……。楽土に、引きずり込まれる」
「……祆蘭」
「問題ない、ということは祭唄様ならわかってくれるだろう? ──私は行く。どうする、要人護衛」
なんだか。
雲妃の件といい、今回といい……。
嫌な事件ばかりだなぁ、と。
男の幽鬼に連れられて来たのは、洞窟。
「ここ……無理、かも」
「う……。祆蘭、ここは多分」
「ああ。遮光鉱の鉱脈……採掘場のようなものだろうな。そしてあの男は遮光鉱の鉱夫なのだろう」
一歩、行く。
要人護衛の三人は……ここまでついてきたにもかかわらず、その一歩が踏み出せないでいる。
輝術師にとっては最悪の空間だろうしな。さもありなんだ。
「祆蘭……待って」
「待たない」
「ダメ……一人じゃ、祆蘭は」
「安心しろ。というか、お前達は身を隠していた方が良いぞ。──坤立に見つかるとコトだからな」
「え、親方さんが、なんで……」
手をヒラヒラ振って、幽鬼の招くそこへと入っていく。
三人は──ついて、来なかった。
「……さて。いるんだろう、
「おや。なぜわかったのかな、私がここにいる、と」
「鼬林の時にいなかったからだ。無論いつも
「他、というと?」
「他に、鬼子母神擁立に反意を持つ鬼がいないかどうかを、だ」
顔も向けずに言えば、今潮はクツクツと笑う。
「鼬林の時のことも聞いたけれど、君は気付いているのかな、祆蘭」
「──私が順調に鬼子母神になりつつあることを、か?」
「ああ。前に言われたのだろう? 君が鬼子母神になる時は、人間に嫌気が差した時。……あまりにも出来過ぎているとは、思わないのかな」
「思ったが、どうしようもない」
そんなことわかっている。
これ見よがしが過ぎる。……ずっと考えていることでもあるんだ。
私が青清君に発見されるきっかけとなった、「やじろべえ」。
あれは……両側に本体が引っ張られることで立つ玩具。
思い返せばバランスバードやおきあがりこぼしも「符合の呼応」をしていたように思うのに、アレだけしていないとは考え難い。
今、私は……輝術師に寄っているけれど。
だから、寄り過ぎたから、揺り戻しが来ているのではないかと考えている。
即ち……今度は鬼に。
私自身の呼応が、やじろべえなのかもしれない、と。
「だとして、世界は進む。くだらん話だが、私のやることなすこと、行くところ行くところで"そうなる"というのなら、逆に利用してやるしかない。今はまだ、だがな」
「いつかはそれにすらも剣気を向けるのかな」
「"それ"が"どれ"だかは知らんが……私を利用しようなどと企むお前達を含めて、それが叶わないのだと思い知らせてやるつもりではあるさ」
「怖い怖い。楽しみにしていよう」
今潮が、掌に鬼火を灯す。
その内の一つが、私の側に来た。
「この洞窟は至る所から遮光鉱が滲み出していてね。鉱溜に足を突っ込めば、君の体感したことと同じくほとんどの摩擦を感じさせないままに足を滑らされる。気を付けて進みたまえ」
「桃湯なら浮かせてくれるんだけどなぁ」
「彼女の奇怪な術が全鬼に使えると思ったら大間違いだよ。普通の鬼は爪と怪力と鬼火くらいしか持ち合わせていない」
「そうか。で、この先にいる奴は?」
「未知だ」
……さいで。
だってのに随分と楽しそうなことで。
「彼が待ってくれている。行こうか、祆蘭」
「ああ」
こちらを窺っている男の幽鬼に会釈を返し、進んでもらう。
さて……今潮ってどれくらい戦えるんだろうな。鬼歴で言えば断然に短いだろうけど、鬼として生きた年数がそのまま力量だったりするんだろうか。
「歩きがてら聞いておこうか。君の推理を」
「推理も何も、あの男は遮光鉱の中毒症状で死した男だろう。採掘を命じていただろう坤立やその他職人連中が、悩む素振り一切なしで覚えがない、と言っていたからな。覚えがあることの証左のようなものじゃないかあんなの」
「本当に君は相手に対して疑いから入る性格だよね。彼らの鍛冶場を見学していた時は、年相応の子供にも見えたのに」
「見ていたのか。趣味が悪いな」
「同じくらいの年代の娘を持つ身だからね。心配なんだよ」
「ふん。だったら鬼になどならず、今並が大人になるまで見届けてやればよかったものを」
「そうだね。それについては……申し訳なく思っているさ」
どーだか。
……恐らく坤立は真っ黒だ。鉱夫の鉱中毒による死亡隠蔽。あの「気のいい姿」は、けれど裏面を持っていないわけではなかった、という話。
あるいは人間誰しもが、か。
同時に……ここは多分治外法権も良い所で、罪を裁ける者がいない。要人護衛も強く出ることはできないし、被害者は多分この鉱夫だけじゃない。
もっと……もっともっと根深い問題。多分、本当に古くから……鉱夫は使い捨てられて来た。
前世でも鉛中毒は結構あったしな。安全な掘削機でも出て来ない限り、この現状は続く、か。
掘削機……。遮光鉱がどうやって採鉱されているかを知らないことには、作りようがないが……。
「そろそろだ。一応、身構えておいてほしいかな」
「安心しろ、油断などない。突然お前が豹変して襲い掛かって来ても私は対応できる」
「対応して、そのまま切り裂かれるんだろう?」
「よくわかっているじゃないか」
勝てるとは一言も言っていない。
クツクツと笑う今潮を背に……そこへ入る。
「おや? おや……人間が来るとは。それも随分と珍しい魂の持ち主。──もしかして、身代わりのつもりですか、
「莫迦者、そこまで考えなしではないさ、こいつも。──他の鉱夫はどこだ」
「……ああ、その見た目。似顔絵で見たことがあります。君が件の鬼子母神の種。桃湯たちが一生懸命に守っている依代ですか」
「はぁ、鬼というのはなぜそうも会話が成り立たないんだ。私は問うた。まずはそれに答えろよ」
「と言われましても。僕がなぜ人間に従わなければならないのですか? ああ、鬼子母神がどうの、というのであれば」
半歩、横にずれる。
そのギリギリ。私の耳があった位置を通り過ぎる爪。
「生きてさえいればいい、との話でしたし、無条件に降る理由は、今のところ思いつきませんねぇ」
「そうか。お前も桃湯は怖いんだな」
「ええ、あれは手が付けられませんから。……ああただ、後ろにいる若い鬼に期待をしているようでしたら、無駄ですよ。流石に僕が勝ります」
「ああそうなのかい? じゃあ私は大人しく引き下がっておくよ。それでは、後は頑張ってくれ、祆蘭」
やっぱりか。
元から頼りになどしていないが、使えんなコイツ。
トンカチを抜く。鋸は持ってきていないので、小物入れから錐を取り出して、それを持つ。
「……? 或曽も、今潮も……幽鬼に若い鬼とはいえ、多少は考える脳を持っていたと思ったのですが」
「あははっ! いやぁ、私も……楽しいんだよ、
「見世物にするなら金を取るぞ」
「それは参ったね。鬼になってからは人間の金銭を持った試しがない。どうしたら返金できるのかな」
「雇われろ、今ここで」
「いいよ。──じゃあ、やろうか」
勝てないらしい、使えない鬼と……肩を並べる。
いいじゃないか。こっちだって使えないガキだ。
二人合わされば、まぁ、多少は。
塵灰程度の役には立つだろう。
「やれやれ……僕の本懐は頭脳労働なのですが」
「それは私もそうだね、先達」
「莫迦者、そういう時はこう言うんだよ」
──老害、ってな。