女帝からは逃げないと。 作:霧江牡丹
今、私は同じ言葉を……同じ発音を、同じ口の形を読み取ったのに。
脳は、天染峰ではなく、天遷逢だと解釈した。
「……
「いや、
落ち着け。
これは……同じだ。文字に対して感じた恐怖と同じ。
この世界の人々は、規格で意味を感じ取っている。何かが違うんだ。私の発したテンセンフォンと、シーシェイクンの発したテンセンフォンでは。
でも、それならば。
そう解釈した私も……取り込まれて。
落ち着け。
リセットしろ。フラットに考えろ。
唇を噛め。痛みで正気に戻れ。すべきことはなんだ。
だとして……これを実行させない理由になるか?
鳴り独楽の「符合の呼応」。直感に従った行動。本能の囁き。
必ず、出る。
嵐が来たら。
「……青清君。頼む、嵐を起こしてくれ」
「断る。祆蘭、お前の頼みでも、私はそれをしない。青宮廷のことは青宮廷に任せよ。そして私は、関わらぬからといって、青宮廷に無為な害を齎そうとは思わぬ」
真っ当だ。
至極真っ当なことを言っている。
実際青清君はほとんど青宮廷に降りていない。あの大火を消したのは、私が飛び降りて、それを請うたから。あの時だって……輝術師の質の低下を嘆いていた。
真っ当だ。
真っ当、なのに。
「なら、いい。他を頼る」
「待て」
何かに包まれる。
身体が……動かない。輝術か。
「今のお前はおかしい。落ち着くまで私の見えるところに」
「まずい。──青清君、すまん。逃げろ」
気が。
風を切る音に、目を、開ける。
「やぁ、お姫様」
「……
にこやかなヒゲオヤジ。
そうだ、元はと言えばこいつのせいで。
「おや、私のせいにしないでほしいかな。アレを君に伝えていなかったら、君はもっとひどい結果を青宮城に招いていたよ」
「もっと……? ……青宮城はどうなった」
「破壊されてはいない。ただ、青宮城にいたすべての人間が気を失った。正確に言うと君を中心とした半径四
首を捻ってみる。
そこに──あった。
百鬼夜行が。
「……鬼を統制する、か」
「そうだとも。おはよう、
数多の……数えきれないほどの鬼。
連れ去られた時に見かけた鬼もいれば、知らん奴もいる。
「待て……どこに向かっている?」
「君が指示した場所さ。当然だろう?」
「私が?」
私が何を指示したというんだ。
鬼子母神。……成った、のか?
「一時的だけどね。天遷逢の間だけ、幽鬼も鬼も、あの方も君も……自我の抑制が難しくなる。本能のままに、直感のままに。理性を保つことができなくなったのなら、出てくるのは本性だ。──言うことを聞かない者は全て気絶させてねじ伏せ、意に沿う者を己が手足とする。やはり君は完成品だった」
「……なら、この時が終われば私は元に戻るんだな」
「戻ってほしくないのが本音だけど、流石にそこはそうなるだろうねぇ。……君の落ち度は、折角あの方から『月と太陽が同時に出る刻』という言葉を教えてもらったのに、それを誰にも問わなかったことだ。まぁ、文字の読めぬ君がどうやってあの方からの言葉を理解したか、という問題を考えれば仕方のないことだけど、そこは君の得意な詭弁でなんとかできたのではないかな?」
……そうだ。
私は……玻璃と、そして
誰か知っていたかもしれないのに。事実、青清君は私達は、と言っていた。あれはつまり、輝術師は、ということだろう。……夜雀さんでも祭唄でも、聞けば答えてくれていたのだ。
それを……一週間もあったのに、「その時が来たらでいい」なんて考えで先延ばしにして。
「天染峰。合っているか、発音」
「合っているも何も、それはこの国の名前だね。……いや、なるほど。天染峰と天遷逢が、同じ発音に聞こえるんだね、君は」
「ああ。だが……発話者が意味を込めて発話していると、読み取れる。……まさか思考も規格なのか?」
「ふむ。純粋なこの国生まれの私にはわからないことだけど、あの方も天遷逢の名を口にしない。楽土より帰りし神子には違いが分からない、と言ったところか」
……。
今、この世、とは言わなかったな。
……こいつは……やはり、ただの研究者。凛凛さんのような何かの化身ではない。ただただ、純粋に狂った天才か。
「一応、問う。お前が文を届けていなかったら……どこまでの結果が齎されていたと予想できる?」
「青州全土、だろうね」
そんなにか。
はぁ。……私はなんなんだろうな。ただのDIY小娘じゃなかったのか。
色々……疲れて来たな、考えるの。
もういっそ本能だけの存在に……って。
「なるわけがないんだわ」
「うん?」
「いや。……ありがたいな、と思って」
「何が、かな」
太陽と月。
今はっきりした。敵はこいつらじゃない。
──星々の方だ。今、私に干渉してきたのは確実に。
この世界の天体運行など知らないが……アレ、星か? 本当に。
太陽と月も……祭唄の話がただの信仰ではなく、事実なのだとしたら。
「もうすぐ着くよ」
「だから、どこに」
今潮が、他の鬼達が降り立つそこは……とても。
とても……幻想的な、湖。
雲より高くに浮く城を見た時も、幻想的だ、ファンタジーだと思った。
でも、これは。
「お姫様。今から君を降ろすけど、この水に触れてはいけないよ」
「……なぜだ?」
「酸だから」
気に入ったのか。
今潮は、懐から取り出した紙を手早く折って紙ヒコーキに整えると、それを湖に向けて飛ばした。
着水と同時……ジュウジュウ音を立てて沈んでいく紙ヒコーキ。
……紙を? 何の酸だ?
「私が……お前達を、ここに連れて来たのか」
「ああ」
「ここはどこだ? 州で言うと」
「
「随分と遠くまで来たな……。……お前達は……輝術が使えないのは当然にしても、輝術の精査の真似事はできないのか?」
「桃湯ならできただろうけれど、私達には無理だね」
「そうか」
……私が本能的にここを目指したとして。
私の本能は、直感は……何をしたがっていた。
ぽーん、と。
視界の端にいた鬼の首が飛ぶ。
「なに?」
「これを被って」
何かを被らされる。
これは……虚無笠のようなものか。
「何者だ、そこにいるの……は……」
「鬼!? ば、馬鹿な……多すぎる!」
「まさか俺達に復讐しに来たのか!?」
復讐?
「首を刎ねられた鬼。何故倒れない?」
「彼は生前首を刎ねられて死んだからね。あの首は元から乗っけているだけよ」
「……そういうのもいるのか」
松明を持った数人の男達が湖の対岸にいる。
どこから来たんだ、あれ。……この辺、見た感じ盆地になっているから……どっかからか乗り越えて来たならわかりそうなものだけど。
「う……動かない? まさか、輝術による幻?」
「なんだ……誰だ、こんな悪戯を仕掛けたのは……本気で心臓が止まるかと思った」
「しかし悪質だな。見ろよあれ、真ん中にいるの。子供だ」
「ああ。さてはこの光景を見た奴が子供を助けようと義憤を燃やして、
「いやいや、俺達がそんな奴じゃないってわかってるからこその悪戯だろ。ガキが鬼に攫われて食われてようが、俺達にとっちゃ良い見世物でしかねぇからな」
よく……わからない。
あれらはなんだ。どこの誰だ。
一歩、踏み出す。
「え?」
「い……今動かなかったか、あれ」
「見間違いだろー?」
「お前達は、何者だ?」
問う。本能のままに。
此岸から彼岸へ、問いかける。
「お……おいおい、悪ふざけはそろそろやめろよ。子供の声なんて作って……」
「答えろ。お前達は何者で、どこから来た」
「うるせぇ輝術だな。おちおち酒も飲めやしねえ。おい、誰でも良い。あの辺一帯ぶっ壊せ!」
「いやいや、瑤湖周辺を壊したら怒られるぞ」
「ちっと地面を削るくらいならいいだろ! んで、痕跡辿って輝術敷いた奴を」
「私は答えろと言った。──お前達は誰で、何者で、どこから来」
バチン、と何かが弾ける。私の斜め前。
……岸辺が少しだけ裂けている。……斬撃?
「そのまま堂々としていろ。そうしていてくれた方が、従いやすい」
「ん……
「覚えていたのか。……別に派閥で別れているわけじゃない。姐さんは今別のことをしている。──構うな。お前は前だけを向いていろ。その方が俺達も心地が良い」
他。何か風圧のような……いや、輝術か。
それが飛んでくるけど、全て周囲の鬼達が防いでいく。
まるで効いていない。その肌は岩よりも硬く、反射神経や動体視力もとんでもないのだとわかる。
前に戦ったあの理性無き鬼とは完全に別物だな。
「……幻術にしちゃ、ちょいとおかしいな。すり抜けてるってより、防がれてる?」
「お……おい、俺今痕跡を見たんだけどよ」
「誰だ。仕掛けたのは」
「──輝術じゃねえ! 穢れだ、この痕跡!」
「問いに答えろ──人間」
威圧する。
わからない。今はもう、何が正しいのか、何をしていいのか、しちゃ悪いのか、言って良いのか。
全てに歯止めがかからない。だというのに──ああ、あまりにも甘美な全能感と高揚感が……全身を駆け巡って仕方がない。
「幻術じゃねえ! 鬼だ! 鬼が来た!! 俺達を──」
「逃げるなよ。問いに答えろ、人間」
背を向けた奴に威圧を当てる。
泡を食って倒れる人間。
「何度も言わせるな。私を煩わせるな。それとも、一匹ずつ、いや、指の一本ずつを食われながら答えたいのか?」
「……目的はなんだ。鬼っつったって色々いるんだろ? 知ってるよ。こっちは……そうだな、年若い娘や、気骨のある人間の一人や二人、簡単に用意できる」
「お前達は何者で、どこから来た。──答えろ」
諦める。
もう身体と口が私と乖離している。
だから思考を切り離し、冷静に観察する。
今私は多分、鬼子母神になっている。酔っている、が近いか。天遷逢とやらの影響で、多分前世の私ではない、こっちの世界の私の魂かなんかが引き摺り出されている。
オーケイだ。それはもうどうでもいい。どうにもならん。
問題はあっちだな。今の言動を見るに、犯罪者。人攫いグループか何かか?
取引を持ち掛けようとしている奴は、この場ではリーダー格ではあるものの、発言を省みるに組織全てのトップではないと見た。
「……俺達は、
「お、おい!」
「黙っていろ。……主な仕事は人身売買。幼い貴族や社会的・政治的に死んだ貴族の身柄を買って、労働力、あるいは政治における交渉の札として他州の貴族に売り捌く。依頼を受ければ、平民をも取り扱う」
「そうか。それはどうでもいい話だった。人間の行く末に興味はない。時間を取らせたな」
「いや。……そして、俺達がどこから来たか、だが」
「ああ。それを話せ。──その前に、気付いているか? お前の背後で、お前の命を狙う者には」
「秘を話さば殺される。道理だ」
「だが私はお前から話を聞きたい。──刹那、くれてやる」
彼の背後。林の中で、悲鳴が響く。
鬼達を向かわせたのか。……殺させたのか? はぁ、これはもう引き返せんなぁ。
「……その位置からは見えないだろうが、俺の隣の木に洞がある。そこから地下に道が繋が」
そこから先は……聞けなかった。
彼の首が飛んだから。
そして、さらに……地面から這い出て来た何匹もの虫によって、死体が食い荒らされて行く。食い散らかされている。
「やれやれ。口封じをしたつもりだろうけど、逆に露呈したね」
「アア? ソノコエ、ジンチャオか?」
虫の軋り。それで構成された声。合成音声に近いそれは、意味が読み取れない。音しか聞こえない。
「久しぶりだね、
「ヒヒヒッ、ソウカソウカ、アイツ、イツになったらセイチョウするンダ?」
「植物を体内に入れてから成長していないから、植物に栄養を取られているんじゃないかな。──君のように」
「オレのは、ムシだよ。……オット、モウこのイリグチは、フサイダからな。タドってコれねぇぜ」
「そんなことはどうでもいい。──青宮廷で攫った輝術師たちを返せ。アレは私のものだ」
「ン? ガキのコエだ。オンナのガキ。ヒヒヒッ! ソウイエバ、ジンチャオ! おマエムスメがイタなぁ!」
「私の娘はこんなにも偉そうじゃないし、こんなにもおかしな宿業を背負っていないよ」
耳障りな声だ。
とてもイライラする声。あまり長く聞いていたくない。
「耳障りな声だ。苛立つ声をしている。──私は返せと言った」
「シツレイなガキだな! シツケがナッテねぇとミた!」
「……そうか。今潮、先ほど──今の私であっても、青州全域を覆えると言ったな」
「ああ、言った」
「そこまで遠くは離れていないだろう。──気を強く持てよ、奥多徳ども」
静かに。いつもの……私のやる、発散するようなものじゃない。
水のように。あるいは根のように。あるいは火のように。あるいは風のように。あるいは砂のように。
じわりと広がり──伝播していく「威圧」。
でもそれは本当に一瞬のこと。
気付けばそんなものは消え去っていて。
「見つけた。運べ」
「……ふぅ。ありがとう、事前に教えてくれて。いつもみたいに突然やられていたら……私も気を失っていただろうね」
「そうか。昨今の奥多徳は質の低下が激しいな。昔はもっと……。……昔?」
──取り戻す。
こいつ、私じゃない。
「……気を付けろ今潮。この……魂。私よりも……」
「おや、わかっていなかったのかい? 上手く繕っていたものだから、故意に騙しているのだと思ったら……ただ内側にある彼女に影響されていただけか。思ったより大したことないんだね、最初の鬼子母神とやらも」
「ふぅ……。お前、私になんか盛ったか?」
「おはようお姫様。いや、その様子だと眠ってすらいなかったのかな? それと、問いの答えは否だよ。あの方も天遷逢の間は彼女に乗っ取られるらしいから。ただあの方の身体は不便だからね、最初の内は顕れていた彼女も、次第に姿を見せなくなったとか」
「そうか。どうでもいい話だった。……で、他の鬼気絶してないか」
「あの威圧を受けたらそうなるよ。私でさえ気を失いかけた、と言っただろう?」
……まぁ。
大丈夫か。
「今潮、お前だけで私を運べる。そう見て良いんだな?」
「無論だとも。さぁ、お姫様。君の臣下を取り戻しに行こうか」
姫抱きにされて……そのまま、今潮の身体がふわりと浮く。
……まぁ一応私も女なので、姫抱きは嬉しくはあるのだが……この胡散臭いヒゲオヤジじゃなけりゃなぁ。
今のところ「ソウイウ」面できゅんと来た事一回もないなそういえば。黒根君も青清君も論外だし。進史さんも……まぁ顔は良いけど、タイプじゃないし。じゃあお前のタイプってどんなのって聞かれたうゅーんってなる。うゅーんって。
食や色と同じで、好みってないんだよね……。
でも、問題もないだろう。
ファンタジーだったりパンデミックだったりミステリーだったりSFだったりと忙しい世界だ。
流石に恋愛やってる暇はないだろうし、どーせ平民且つ厄介ごと抱えまくり女を相手にする奴なんかいないだろうから、はいこの話終了。
「ちなみにこれどうやって飛んでいるんだ?」
「鬼火を足の裏から噴射してね」
まさかの鉄腕飛行。
流石に驚きである。
辿り着いた場所は、小屋。
窓の外から中を見ても、何もない。
でも扉を開けると……真っ黒な空間。
「こっちは偽空間の方か。正規の入り方がわからんな」
「君の威圧でどうにかならないのかい?」
「あのな。私はこれがなんなのかもよくわかってないんだ。お前こそなんか伸びる爪とか鬼火とかでなんとかならないのか」
「一応やってみようか」
黒い空間に向けて、一瞬で伸ばした爪を揮う今潮。
……。
黒い空間に向けて、青白い炎を放つ今潮。
……。
「使えない鬼だな」
「酷い言われようだ。私は悲しいよ」
「……ふむ。今潮、一般的に天遷逢は何刻から何刻までだ?」
「
「今は?」
「恐らくは
なら。
「まだ本能は力を持っているな。おい今潮、この小屋燃やせ」
「残念ながら鬼火は燃え移らなくてね」
「……本当に使えないな」
くそ、まさかこんな時にアレを作らなきゃいけないなんて。
えー、まず適当な木を折って、短剣でそれを真平らにして板を用意。枯れ枝の小枝を切って棒に。棒の直径よりちょっと小さいくらいの切り欠きを板に作成。
次、手ごろな大きさの木を切っておんなじ感じで板にして、その両端に糸を二重螺旋にしたものを括りつけ、棒の先端に括りつける。反対側の先端には同じ感じの枝を延長するように配置し、比較的固まるのが早い糊と糸と布でギッチギチに固める。
さっき作った二枚の木の板の1.5倍くらいの板を用意し、それを正八角形に切る。中心に穴を空け、そこに棒を通す。この時、できればぐ、ぐ、と力を込めないと通って行かないくらいの大きさが好ましい。大きくし過ぎたら土とか枯葉で隙間を埋める。
で、それを最初の板の切り欠きに合わせて、上部三角形の底面を持ってくるっくる回して……準備完了。
今潮にやらせる……ことを考えたけど、鬼の怪力だと折りかねんか。
やるかぁ。
底面を両手で掴み、下の板を足で固定。
切り欠きには枯葉と枯れ草をしこたま詰めてあるので、これから棒が外れないよう意識しながら……上下にしゃこしゃこしゃこしゃこする。
しゃこしゃこしゃこしゃこしている内に、焦げ臭いにおいが充満し始め……そして。
「ふぅ。……ついたついた」
「……興味深いね。今のは……"世の理"だね?」
「ん? 久しぶりに聞いたなその言葉。というか今のは別に」
って、ああそうか。
私の仮説……この世界原始時代とか無い説が本当なら、こいつらはきりもみ式も舞錐式も、他全ての火のつけ方を知らない、のか? いや平民なら知ってる……だろ。こいつが貴族だから知らない? それとも本気で今私がやったのが世界初の輝術無し火起こしだったりする?
まぁなんでもいいや。火が消える前に、小屋にどーんして。
「おお。容赦がないね」
「理屈も原理もよくわからんが、この黒い輝術はこうすれば成立しなくなると本能が言っていた。お前が言っていた最初の鬼子母神とやらが」
「彼女の声がまだ聞こえるのかい?」
「うんにゃ、何にも。聞こえてきたら追い払ってやる」
……私は楽土……というか前世から生まれ直して来た魂だから、本物の「祆蘭ちゃん」がいるのかも、と思って明け渡していたけど、ただの乗っ取りとか許せん。
成りすましだの乗っ取りだの……この世界まさかSNSか?
そんなバカなことを考えている間に火の手はまわり、ドア枠を破壊したあたりで黒い輝術がパチンと解けた。
──瞬間現れる、輝霊院の人達。
「それはマズい!」
「ふむ。高速で回転させた棒……なるほど、原理は……。だけどこの支柱はなんだろう。なんのために……」
「おい今潮手伝え! こいつら運び出す!!」
「え、なんで私が人間の命を救わないといけないんだい? 君の命令だからここには来たけど、人間なんてどうでも」
「命令す……ると、私はとうとう鬼子母神ってか! くそくらえ!」
そしてクソ本能め! こうなるとわかっていたなら初めから言え!
とか言ってないで、引き摺り出せる奴から全員引き出していく。あついあつい。
「……すまないねお姫様。私は帰るよ」
「はぁ!? な、馬鹿お前、この業火が見えないのか!?」
「まぁ大丈夫だ。彼が来たからね。それじゃ」
林の中に消えていく今潮。
……クソ! あんなの気にしてられるか!
というか気絶してる輝術師も輝術師だ! とっとと起きろ! 一人でも起きればこんな火事消せるだろ!!
「~おっれは♪ 山の~狩人~♪ あ、えんやこっらっさっさ、あ、えんやこっらっさっさ♪」
まずい死ぬほど下手な歌まで聞こえて来た。酸素欠乏による幻聴か。
まだ半分以上いるのに。
「~そう、おっれは♪ 山の~戦士! 戦士! あ、えんやこっらっさっさ、あ、えんやこっらっさっさ♪」
小物入れに水筒でも入れておくべきだった。竹で簡単に作れるだろう水筒くらい。
ああくそ、自分の準備不足が恨めしい。
神だの鬼だのに負けるつもりはないが、単純火災にはもうどうしようもないだろうが! こちとら九歳だぞ!!
「~だから、おっれこっそ♪ そうおっれこっそ♪ そうおっれこっそ、最強! 最強! 最強の~♪」
「別に歌うのは勝手だし下手でも上手くてもどうでもいいが余所で歌え気が散るだろう!」
「んぉ?」
幻聴に何を怒っているんだ私は。
よし、これで半分……だが、まずい、こいつらの着物に火の手が。
「あー、そこな……寝間着姿の
「見てわからんかクソ幻聴め! 人助けだ!」
「おぉ、この儂を幻聴扱いとは剛毅なる娘子。そしてとんでもなく口が汚い割にやっていることはまともと来た。……ふむ。ふむふむ」
ああもう、邪魔だこのドア。
蝶番をトンカチで叩いて、外して……いやダメだ、やっている暇がない。あと倒壊したらマズい。
「──状況は一切分からんが……ブァッハッハッハ! 運が良いな娘子! この儂が! 山の英雄この儂が! この儂がぁここに来たからにはぁ!」
「黙れ幻聴! 黙らんなら手伝え、これ以上は火の手以上に酸欠でこいつらが死ぬ」
「良かろう」
ふ、と。
──火が、消えた。
「……いや、まだだ。倒壊の危険性を考えたら」
「良かろう。あー、これくらいか?」
消える。今度は……私の身長の、ちょっと上くらいからの、全て。
小屋の壁とか屋根とか、その全部が……ぶっ飛ばされる。
「……。やるじゃないか、幻聴」
「おう。まだ儂を幻聴扱いするか、幻覚」
「幻聴でなければなんだというんだ。こんな山奥のなんでもない場所に来て、火事にも気付かずに下手な歌を大声で歌う奴、など。この世に存在するものか」
「儂の名を聞いたか、娘子」
「いや聞いていない。そんなものはいないと言った。だが助かった、礼を言うぞ幻聴」
「あぁ~♪ 儂の、名はァ~♪ そう、おっれの名は~、あ、えんやこっらっさっさ♪ あ、えんやこっらっさっさ♪」
「頼むから止んでくれ幻聴。そろそろ本気で苛立ってきた」
「では名乗らせろ娘子」
「わかったわかった。勝手に名乗れ」
「そう! 儂こそは赤州が州君!
「そうか。礼を言うぞ赤積君。ところでお前の情報伝達は青州の進史様……ああ、苦労人に届くものか?」
「無論だ、と言いたいが……もう少し山を登らねば無理だなぁ」
「ならいい。……さて、こいつらどうやって運ぶか。知らん山で気付け薬を配合……は、危険すぎるが……まぁ一人起きれば後はなんとか」
「こいつらを運べば良いのか? どこへ?」
「青州だ。青宮城」
「むぅ、遠いな。加えて火傷を負っている者も……というか娘子の火傷が一番酷いが。どうだ、娘子。ここは一度、一番近い赤州の
「脅しているつもりだろうが効かんぞ。……不味いな、唇も……目も……これはチアノーゼか」
「む、今何と言った?」
「酸欠だ。あれだけ長く火の中にいたんだ、当然だが……。まだ呼吸はできている。……設備も何もない以上、座して待つしか無いか……」
「いやだからな、娘子。火薪で治療を」
「とりあえず、一人一人を開けた場所に置くべきだな。できるだけ新鮮な酸素を……」
「ふぅ。……ここまで無視されたのは久方振りぞ。ブァッハッハッハ……はぁ、酔いが醒めて来た。……さ、行くぞ」
身体が浮く。他の奴らも、だ。
おい、変な持ち方するなよ。体は平行を保て。
……で、なんだって?
赤積君?
まーた州君か。どうせコイツも残念なんだろ、変な歌歌ってたし。音痴だったし。
翌日。
「どうだ、娘子。火薪の塗り薬は、火傷にはよく効くだろう!」
「ああ、かなり滲みるが、効果は凄いな。
「ほぉ! 薬学の知識があるのか、娘子。そうさな、あとで薬師を紹介してやるから、そこで詳しく聞くと良い」
「お前はわからないのか」
「儂は火傷を負わんのでな。ブァッハッハッハ!」
いやそれ人間じゃないだろ。
……改めて見ると、この赤積君を名乗る大男……すんごい筋肉だ。筋骨隆々の体現者だ。
そして身の丈ほどもある斧槍に……溢れ出るカリスマ。あの時はクソ幻聴だと思ってて一切気にしてなかったけど、あ、こいつちゃんと州君なんだな、ってオーラが滲み出てる。今まで会って来た州君の中で一番州君感出てる。
そんな大男が、どかりと。
私の前に胡坐をかいて座った。
「──話せるようになったのなら、本題だ。娘子。お前は誰で、なぜあそこにいた?」
「まずお前が赤積君であるという証拠を示せ。そうでないと」
首筋に冷たい感覚。
……いつのまに斧槍を手に取り、そして家屋を傷つけることなく……私の首に添えたのか。
「儂が、問うておる」
「そうか。だからなんだ、赤積君」
「……儂を州君だと認知した上でその態度か。加えて、平民が」
「ああ、輝術も使えなければ高貴なる血も流れていない、教養も無ければ言葉も汚い平民だ。──で、だからなんだ、赤積君」
「今ここでお主の首を」
「刎ね飛ばし、倒れていた者達に話を聞いても良いのだぞ、か? 使い古され過ぎて出涸らしとなった脅し文句だな。できるものかよ。あれらは気絶していて、起きていたのは私だけ。あれらに何を問うても返ってくるのはわからないという言葉だけ。──故に取引と行こうじゃないか、赤積君」
「ほう。この状況で、か? お主を助けてやったのは儂であるというのに」
「私があそこで何をしていたか。なぜ私があそこにいたのか。洗いざらい全部話す。その代わりに」
「その代わりに?」
「──私達を、全員無事に、青州へ返せ」
「……?」
きょとん、とした顔の赤積君。
聞いているぞ私は。黒根君と引き分けて大地を不毛の地にしたとか、その昔には勘違いだけで黄州に戦争吹っ掛けたとか。
どうせ! 青州とも! 戦争するつもりだろう!!
……。
なんか、赤積君は……顔に手を当てて、ぴくぴくと身体を揺らして……さらには天を仰いで。
「ぶ……ブァッハッハ、ブァッハッハッハッハッハ! な、なんだ娘子、お主、儂がそんな極悪人に見えたか? ククク……ブァッハッハッハ! 返すし帰すとも、火の海より大人を救いし十にも満たない幼子一人! ど、どこの誰が政治材料になど使う! ブァッハッハッハ!! 儂はそこまで強面か! 儂は……ククク、儂は子供から見ると、そうかそうか、山賊のようにしか見えんか! げほっ、ゲホッ……クククク」
「……なんだ、違うのか? だって、黄州と辰砂の件で喧嘩したり、黒州とぶつかりあったり……喧嘩っ早い上に戦争好きなのだと……」
「い、いやな、確かに儂は戦うことが好きだ。だが……黄州の件は何百年と前のことだし、黒州のとやりあったのは合意あってのこと。儂は幼子を人質に青州と喧嘩を、などという卑劣な真似はせんよ。というより、青州と戦っても益がない。……ああ、だからこそ人質になると考えたのか? 子供の考えそうなこと……いやまわりまわって賢い……?」
「違うのか。なんだ、無駄に警戒しただろう。なら全部話す。ああ、私は祆蘭という。青宮城唯一の平民女中だ。で、なんであそこにいたか、だが」
「ああ待て、少し待て、儂の笑いが収まるまで……ブァッハッハッハ!! ヒ、ヒィー! 儂! まだ子供に怖がられる! 山賊!! ククク……」
笑いのツボがわからん。
ご……。
ご、ごめんな? いや、えーっと、確かに……そうだな、うん。見た目で判断したかもしれない。
山賊っぽくて……野蛮っぽくて……えっと、あー。
ご、ごめんな。傷ついてたら……謝る。
「ブァッハッハッハ!!」
その後、彼が笑い終わるまで半刻くらいかかった。
長いよ。