女帝からは逃げないと。 作:霧江牡丹
治った。
何がって、足が。
「……」
帰って来てから七日ほどしか経っていない。両足骨折だぞ?
複雑骨折ではなかったから……といったって、流石に。
……
あの頃と比べて栄養状態が良いから、というのは多少は関わってくるだろうけど……一週間で骨折全治はやりすぎだ。
輝術には肉体を治癒する類のものはない。
だけど、凛凛さんがやっていた「植物の生育過程に輝術を入れる」というのは……つまり、成長促進などの細胞に働きかけるもの、だったりするのではないだろうか。つまり輝術による「固定」は、ギプスの役割ではなく、治癒促進なんかを担っている?
もしくは青宮城や
わからん。
ただ車椅子が不要になったので、今日からまた色々動ける。
そうなってきて、やってみたくなったこと。それは。
「花街に行きたい? ……なぜ?」
「別に花街でなくともいい。平民の街に行きたい。工房街を見た時は自分で動けなかったからな、そういう欲求が溜まっているんだ」
「……ちょっと待って、進史様に相談する」
少なくとも
襲ってくるのは
が、虎穴に入らずんば虎子を得ず。今までは虎子を得た所で使い道がなかったけれど、ようやく使い道ができたんだ。趣味と実益を兼ねて、青宮城及び青宮廷の外に出ることも。
「ダメだって」
「えぇ……」
……私の"意気揚々"を返せ。この感情を。
「でも、青宮廷の中なら良いって」
「青宮廷の中を巡ってもなぁ……。私は基本喋れんし」
「要人護衛が三人ついていれば、要人だと認識される。言葉遣いが汚くても平気」
「ほー……」
まぁ。
物は試し、か。
というわけで、私よりも先に快癒していた
といっても青宮廷って総合商業施設とかテーマパークとかってわけじゃない、色んな職場がぎゅっと詰まった場所なので、当然ながら観光スポットも出店も存在しない。兵士用の食事処や、貴族が住まう区画の習い事をする場所などはあるけど、私の興味のそそられるものは正直……。
ん。
「あそこは?」
「
「ああ、公的な輝絵以外を現像する場所か」
「隣は
「へー。どっちも寄ってみていいか?」
「勿論」
行ってみる。
中は、入り口に対してコの字型になっているカウンターと、三方に吊り下げられた札。文字が書いてあるのはわかる。
「左から、一般的な輝絵、内密に処理したい輝絵、架空の輝絵、だ」
「架空の輝絵?」
「輝絵っていうのは誰かが見た光景とか、輝絵を現像する人自身が見た光景をそのまま絵にするものだけど、そういう意味では"想像し得るもの"ならなんでも輝絵にできちゃうんだよね~」
「勿論細部にまでこだわらないとぐちゃぐちゃになる。けど、できる才能があると……儲かる」
ふぅん。
まぁ青宮廷内部にあるものだから依頼料もかなりかかるだろうし、才能は金になるね、まったく。
「とはいえ、こういう個人的な場所はあまり客を取れないのも事実」
「え、そうなのか」
「輝絵っていうのは……絵画と違って、証拠とか記録とか、そういうものを残すためのものだからね~。それを使ったってことが広まると……」
「何かを調査している、というのが周囲に漏れる」
はー。
つまり……それこそ不貞……ああいや、浮気調査とか、不祥事を調べているとか、そういうことが青宮廷全体に広まって、結局意味がなくなると。
本当に悪事を調べたいなら役所に行けと。
「架空の輝絵も、そこまで細部を思い描けるなら自分で描くし」
「絵の才の無い者だけが行く。ただし高い」
才無き者には厳しい世界なのはどこもそうか。
ちなみに隣の作畫處にも行ってみたけど、ここは「家族全員が集合した絵」などの依頼が来るらしく、私にはあまり関係の無い話だった。
……あとどっちも、依頼料がとんでもなかった。貴族って……。
そこからぐるっと青宮廷を一周してみたけど、やっぱり面白そうな場所は無し。
最後に辿り着いたのは──。
「……」
「祆蘭、そんなに覗き込んだら危ない」
例の水路。内廷と外廷を隔てる水路の一画であり、下水へと繋がるそこ。
もう輝術による精査が為されているだろうから私が調べたところで感はあるけど……。
「祭唄様、夜雀様、少し離れてくれ」
「……飛びこむ気か?」
「違う。一応やってみたいことがあるだけだ」
輝術師の誰もが試していないことが一つあるとすれば──これだろう。
指向性をつけた、威圧。
……。
何も起きない。何もない、か。
……いや待てよ?
神なりし者に見つけてもらうための紋様は、全て高い場所にある。拡大鏡の役目を担うからだ。
だから……下じゃなくて。
「ちょっと……玉帰様、私を持って、この堀の上に私を浮かせてくれないか。輝術でもいい」
「……目的を先に聞かせろ。俺はお前を殺したくはない」
「前にあった
「目的を聞かせろと、言った。それは動機だ」
「……黒州に行った時、黒い輝術による不可思議な術が確認された。私がかかったものもそうだ。同じ場所に対し、二重の空間がある……正規な手段で入らないと、何もない空間に入る。それと同じものがないか調べたい」
「なら、俺がやる。何をすれば、それは見える?」
う。
……確かに私が見る必要はない。要人護衛。徹底しているな。
「この水路の水面から、家屋の二階部分くらいの高度。そこに何かないか?」
「……祭唄」
「うん。輝術を繋げておく。夜雀は祆蘭の守護」
「今度は絶対守るよ」
命綱、みたいなものかな?
何かを付着させたらしい祭唄。それを受けて、玉帰さんは……「そこ」に入る。
「!?」
「玉帰!?」
──消える上半身。ただ……消し飛ばされた、とかではなさそうだ。下半身は普通に動いている。
「わかった、引っ張る」
情報伝達で何かが伝えられたらしい。玉帰さんが引っ張られる。
すると、何もない場所から玉帰さんの上半身が帰って来た。
「手柄、だ。祆蘭。だが、俺達のような専門外ではない、輝霊院の調査員にこれ以降は任せる」
「あ、ああ。そうか、そうだな」
して、すぐに輝霊院の人達がやってきた。
その中には。
「っ、
「おっと……ああ、君は。……そうか、私を警戒しているのか。無理もないね。ただ……えーと、何が良いかな」
「これでいいだろ」
「どはぁっ!?」
恐らく同僚なのだろう、ちょっとヤンキーみたいな……えーと、不良みたいな……じゃないな、そう……貴族にしては素行の悪そうな……あー、強面の男性から周遠さんの頬に肘鉄が入る。
……ぶっ飛んだけど。
「は、はは……
「成りすましとやらは顔やら身体やらを泥で塗り固めるんだってな。おい嬢ちゃん、この通り俺達は大丈夫だ。心配なら……そうだな、全員の股間でも蹴り飛ばし──っと」
いつの間にか抜き放っていた剣を鉄切さんに向ける夜雀さん。
「あまり下品な言葉を祆蘭に聞かせないでね」
「……オウ。すまん、調子に乗った。……あー、玉帰。すぐに調査を開始する。手を煩わせたな」
「いや。見つけたのは祆蘭だ。謝るのも、礼を述べるのも、祆蘭にしろ」
「嬢ちゃんが? ……成程青清君のお気に入り。俺達とは一味も二味も違うか。あ? ってことは周遠の正体見破ったのも嬢ちゃんか!」
「いや私の正体じゃなくて、私の偽物の正体だからね?」
「ほぁー……ちびっこいのにすげぇな! よーし嬢ちゃん、汚ねェ言葉吐いたこと、んでもって、本来輝霊院がやるべき仕事を任せちまったこと。二重に謝る! 許してくれ!」
「何も気にしていないから別に構わないんだが、許す代わりに私の口調を許してくれ。平民の出でな、言葉が拙い」
「んなこた俺ぁ気にしねぇよ! なんたって俺が一番汚いからゴッ!?」
ゴッ、と。
……なんだろうあれ。本かな?
よくわからんそれで後頭部をぶん殴られる鉄切さん。面じゃない。辺の方だ。
「──自覚あんなら直せ。てめェのせいで最近の輝霊院の質低下が激しいとか言われてんだよ」
レディースみたいな人来た。
眼鏡で、貴族では珍しいポニーテール……髪を高い所で結っていて、高身長。
できる秘書、って感じと女番長、って感じが混在している。
「副院長が一番……」
「ア?」
「いやなんでもないかなー。ははは……」
ん、副院長?
ってことは。
「あ……
「その声は……おお! 夜雀!! 会いたかった……四十五日ぶりか、直接会うのは! 怪我したんだってな、だからお前はもっと安全なところにいろって……」
「副院長、じゃあ私達は先に調査を始めているので、姉妹仲をどうぞ……」
「余計な気を遣うな、と言いてぇところだが、おう。最近輝霊院良いとこ無しだからな。名誉挽回していけ!」
元気溌剌、夜雀さん。
腹黒偏愛、
不良溺愛、
……最下級も最下級貴族の、けれど出世しまくった三姉妹。
ありがとう夜雀さん……こんな可笑しな人たちに囲まれて、よくここまでのいい子に育ってくれた……。
「で、そこの宮女。この区画
「……おや気付かれましたか。最初からではありますが、輝術を使っていないというのに、視野がとても広い方ですね、祆蘭様」
「
「ア? なんだ夕燕。てめェは宮女だろうが。内廷から出てくんじゃねえよ」
「ええ、御覧の通り、ここは内廷の塀の上。出ておりませんよ」
「声届けんのも禁止だっつってんだよ阿呆」
「あなた達の騒ぐ声が内廷まで響き渡っているので、注意喚起に参りました」
「青宮廷全体に関わる調査の最中だ。内廷にとやかく言われる筋合いは無ぇ」
「調査は無論構いませんが、仕事を忘れて姉妹で乳繰り合う姿など、他人に見せるものではないのでは?」
……ほーぉ。
ホホー。
これは思わずフクロウになってしまいますね。
「夕燕お前、嫉妬してるのか」
「あん?」
「へ?」
「……と言いますと? どういうことですか、祆蘭様」
「お前、どっかで私達が青宮廷内を巡ってるのを見てたんだろ? それで、機会があれば夜雀様に会えるんじゃないか、って心待ちにしていた。けど、蓋を開けてみれば朝烏様に先を越されてしまっていて、しかも入り込めない雰囲気。──内廷から出ちゃいけないんだ、歯を食いしばるか頑張って皮肉を言うくらいしかできないよなぁ?」
「第一に、二人きりならともかく、これだけの人目がある場所であなたに敬称を略される覚えはありません。第二に、別に監視などしていません。第三に、夜雀とは文を交わしています。別に会わずとも平気です」
「そうか。ああそうだ、初めまして朝烏様。夜雀様にはいつも感謝している」
「お……ああ、お前が夜雀の護衛対象なのか。……話したいことはたくさんあるが……その紙は?」
「夕燕から、夜雀様に向けた文」
「──流石ですね、祆蘭様。青州一の嘘吐きとは名に恥じぬ様子。そんなものを常時持っているはずもなく」
「なになに? "夜雀。眠る時間を遅くしていませんか。あなたは弱いのですから、ちゃんと布団を被って眠ること。怪我をしたと聞きました。要人護衛の名に恥じぬ行いをすると豪語しておいてその無様は、本当に情けないですね。やはりあなたを要人護衛に入れたことは私の生における最大の過ちでした。折角私と朝烏が跡目から外れたのですから、あなたはどこかの良き貴族と婚姻を結び、争いとは関係のない場所で和やかに暮らせばいいものを。あなたはどうしてそこまでして死に急ぐのですか? 狂い果てた姉を持つ身として、妹が同じ道を辿りかねないのは不安で仕方がありません"……長いな。これでまだ四分の一ほどだ」
肩を竦めて夕燕を見れば……わぁ、怒ってる怒ってる。
誰が面白玩具だ。お前に返礼をするためにこういうものは常に持ってるのさ。
「……旗色が悪いですね。ではあなた方の言う通り、私はこの辺りで──……っ!?」
「まぁ待てよ、夕燕。夜雀への言葉もそうだが、私への侮辱が多い。──仕置きが必要か、これは」
塀を飛び降りる姿勢……で固まっている夕燕。これは、輝術か。
「な……内廷へ向かって輝術を使うとは、非常識な……」
「責任なら輝霊院院長が背負う。私は関係ない」
「責任転嫁の権化……」
倒れ込んだ姿勢から一切動けずにいる夕燕。
対し、朝烏様は文を読みながら会話もしながらのそれだ。
流石は長女……なのか?
「っ、副院長! この中、かなり広い上に特殊だ! 応援を!」
「あぁ? テメェら、名誉挽回つったよなぁ」
「死の危険もある! 頼むよ副院長!」
「……ったくしょうがねえ奴らだな。んじゃ姉妹団欒はこれくらいにするか」
いきなり解放されたからだろう、内廷の塀の奥でどさ、という……受け身の取れなかったっぽい音がする。
そして抱きしめられていた夜雀さんが解放された。
「──おう、コラ。初めまして、祆蘭
「ほー、いいぞ望むところだ朝烏様。その発言は、夜雀様が次も失敗すると考えている、ということに私は受け取るが、構わないんだな?」
「大姐……」
「あっ!? てめっ……ち、違うんだ夜雀! 私はお前のことを信じてるし、夕燕と違ってお前の選んだ道に文句は……あるが……信じていないとかそういうわけじゃなくてだな!」
「……大姐。あなたが私へ送ってくる稀なる文に、どうすれば夜雀を要人護衛から外すことができるか、という相談が書かれていることを私が覚えていないとお思いですか?」
「テメェは黙ってろ夕燕!! 壁の向こうからわざわざ声だけ届けてくんじゃねえ!」
ふむ。
どっちも妹が可愛くて可愛くて、大事で大事で仕方がない、というのは伝わる……が。
夜雀さんの意思は汲み取ってあげていないというか、故意に無視してでも安全なところにいてほしい、というか。
これは、もう。
「自分の理想の妹を作りたいだけ」
「不毛な、言い争い……。夜雀は、要人護衛に、必要。己の幻想を押し付ける……姉妹。それこそが、不要」
「ふ、不要とまでは言わないけど……。でも、祭唄と玉帰の言う通り。
「……ま、そうだな。おい鉄切、応援は十人くらい呼んだが、あと何人必要だ?」
「三十は要る!」
「そんなにかよ。……死の危険ってのは?」
「わからねぇが、罠が至る所に仕掛けられてる。んでもって輝術精査が利かねえ」
「……私も洗濯に戻ります。お騒がせしました」
一瞬にして──静かになる、水路の角。
「ごめんなさい、姐姐が……」
「公私混同はだめ。夜雀が最初に朝烏様を大姐呼びしたのが間違い。反省して」
「うん……そうだね。私が悪いや」
「……」
「祆蘭、どうした」
「いや……」
この騒ぎ自体はどうでもいいんだけど。
今、理由を考えていた。
この水路の上に施された異空間とでも呼ぶべき場所に、なぜトラップがそんなにも敷かれているのか。
隠れ場所じゃないのか? 自分の隠れ処にそんなものを。
じゃないとしたら。
いや──そもそもこの調査員たちは、正規の手段で入っているのか?
「朝烏様。今すぐ、調査員全員を外に排出することは可能か」
「ん? なんだ、あいつらを不安に思ってるのか? だったら問題ない、あんな奴らでもやる時は」
「っ、下がれ!」
久々に聞いた、玉帰さんの大声。
直後──「そこ」が、何か息でも吸うかのように風を飲み込んで。
「……鉄切?」
消えて、無くなった。
今、輝霊院と青宮城で緊急の会議が開かれている。
この事件に関して──上がっている議題は二つ。
一つは、彼らはどこへ行ったのか。
もう一つは、何が発動条件だったのか。
私はというと。
「……なんだ。何を作ればいい」
目の前で起きた事件。それも、発端は私のようなものだ。私が余計なことをしなければこの罠は見つかることなく不発に終わった。
もし中に入っていった十数名が死していたら、それは私が殺したに同じ。
だが……私の「符合の呼応」が、凛凛さんの戦慄していたような「とんでもないもの」であるとすれば。
今から作る何かしらであっても、解決の糸口を作ることができるかもしれない。
危険なものは作ってはいけない。一見して縁起物でも、それは疫病避けだったり魔除けだったりと、「悪いものがある前提」である場合が多い。
シンプルなもので、且つ多くの意味を含有していないもの。
考えるべきは、どうなってほしいか、だ。
閉じてしまった口。中にいる人間は危険に晒されている。それを安全に外に出す。
これと呼応させることのできるもの。
真っ先に思いついたのは貯金箱だ。
投入口にバネのついた自動開閉式の貯金箱であれば、入り口が勝手に閉じて、出す場所は下の方、という……今の状況に適った品であると言える。
本当に?
見落としは?
……安全性の確保が無い。投入口に入れられたコインは、それが貯金箱の中に落ちる時、果たして無事と言えるのか?
他……狭い入口……出てくる……自販機とか? いや、別物になるだろう。……縁起物で行く? おみくじとか……筒を振らないと出てこない上に、大凶になったらそれは死と……。
クソ、なんで私はあの時"何気なしに"赤べこを作ったんだ? 「符合の呼応」に確証がなかったからか?
もっと気軽に、手軽に……作って、そこからの推理を。
「──蘭。祆蘭」
「……ああ。夜雀様か」
「大丈夫? 顔色悪いよ」
「責任を……覚えている。私が余計なことをしなければ」
「うーん。……えっと、何が?」
夜雀さんは、本気で意味が分からない、という顔をする。
何が、って。
「私が彼らを死地に追い込んだんだから」
「でもそれがあの人たちの仕事だよ、祆蘭」
「……」
「輝霊院は……そりゃ死霊院とは違うけどさ。あそこの人達だって、死ぬ覚悟はしてる。輝術関係を調べるってそういうことだよ。もしかしたら……錯乱した輝術師が、人間に向ける威力じゃない輝術を放ってくるって可能性もある。青宮廷の中だろうと関係なくね。今回のもそう。青宮廷の中で不審な輝術を発見して、調査を行った。それによって大勢が……死んじゃった、かもしれない。でもそれって、祆蘭が気に病むことじゃないし、今も青宮城、輝霊院で捜索隊が立てられてる。──みんな諦めてない。諦めてないから、祆蘭が責任を負おうとするのは……ちょっと、諦めるのが早いかな」
諦めるのが早い。
専門的なことは専門家に任せればいい。
私の出る幕はない。
今回のことでモヤモヤなんかしないし、余計なことをしたら余計な結果を生むだけ。
……。
……。
「すまない。それでも私は……思考を止めることが、できない」
夜雀さんはちゃんと大人だ。
私を慰めてくれているのはわかるし、同時に諫めてもいる。
でも。
……でも、なんだ。すまない、夜雀さん。
「そっか。……祆蘭は、思ったより怖がりなのかもね」
「ああ。ただ待っているだけ、というのは……怖いよ」
果報は寝て待て、ができない。
果報は現地に行って聞きに行きたい。私が調べたい。推理なんかできやしないのに、私が。
「祆蘭~? いますか?
「……蜜祆さん?」
「……。祆蘭、ここで待っていてね」
夜雀さんは……背にあった腰鞘から、小刀を抜く。
同じ疑問に至ったのだろう。
この人がここに来るわけがない、と。
「あっ、凄く警戒されてる! あのですね、三層の廊下に、祆蘭宛の文が落ちていまして。別に直接渡す意味はないから、ここに置いて行きますね~」
……文?
文字の読めない私に?
夜雀さんが、慎重に……扉を開ける。
そして、地面に置いてあったそれを一瞬で引っ掴んで扉を閉めた。
「今……要人護衛を介して、私のところに伝達がきた。初めにこちらに伝達した方が良かった、ごめんなさい……だって」
「ああまぁ、私の部屋にいつも誰かがいるとは限らんからな。……文を読んでくれるか?」
「わかった」
どこかよれよれなその紙に目が行くけれど、まずはちゃんとしたリスニングから。
「……"人をくだらないものと定義して、直感だけで推理する。──あれこれ考えるから君は迷走するんだ。本能の赴くままにやってみると良いよ"……だけだね」
「夜雀様、その文貸してくれ」
「あ、うん」
……よれよれなんじゃない。
折り目が付いている。これは……。
紙ヒコーキ、だ。
意趣返しか、アイツ。
「よし。夜雀様、お願いがある」
「なに?」
「一回私を寝かせてくれ。麻酔があるんだよな?」
「えっと……あるけど、その」
「頼む」
「う、うん。わかった。何刻くらい寝たい?」
「二刻ほど」
「……じゃあ、打ち込むね」
途端、急激な眠気が来る。
最後に映ったのは、夜雀さんの心配そうな目。
大丈夫。
眠って、頭をすっきりさせて──リセットしたいだけだから。
起きる。
「起きた?」
「起きた。夜雀様、紙と筆をくれ」
「あ、うん。はいどうぞ」
本能に従って──文字を書く。日本語だ。
「何の絵?」
「……『鳴り独楽』、か。……アイツの狙いはわからんが、今はそれに従うしかない」
用意するものは竹と檜と棒と錐と鑿。加えて常備しているトンカチ。
竹を切って、できるだけ真円に近い形の部分を探し、断定。
中心に鑿で穴を空けた円形の檜で竹の上下に蓋をして、穴に棒を通す。この時隙間が一切できないよう調整する。
あとは竹の一部分にだけスリットができるよう鑿を入れ、中の残骸を吐き出せば完成。
棒に紐をぐるぐる巻いて、棒の一番上を人差し指で押さえ、紐を一気に引けば──。
……「ほわーん」という反響音が響き渡り始める。
「できはした。だが……これで何を探れと……」
鳴り独楽の原理は、このスリット部分に風が入り込み、そして出て行くことで音が鳴る、というもの。
三層で起きた共振や、洞窟を抜ける風が鳴らす音と根本は似たようなものだ。
……。
そうだ。
「嵐……嵐があれば、いける」
「どういうこと?」
「前に、嵐が来ようとしていたのを、測量室の人達で弱めに行った、ということがあったな。私が夜雀様に捕まった日だ」
「ああ。なんか室長が進史様に怒られたって」
「あの嵐が本当に人工的なもので……どちらもが本命だったとしたら、どうだ」
つまり、どっちでも良かったんだ。
測量室の面々を遠ざけて、高空から人や荷を下ろす作戦も。
それが叶わず、青宮廷を嵐に襲わせる作戦も。
どちらでも同じ結果が得られた。
「夜雀様は、嵐を起こせるか?」
「無理かな……そんなの、進史様でも無理だと思う。青清君なら、あるいは……。あとは、大勢の輝術師がいれば、なんとか?」
駆け出す。自室を出て、過去最高の速度で層を上がっていく。
人。集まっている。
……どこかへ行く、という風体。
「祆蘭?」
「退いてくれ、邪魔だ。私は青清君に用がある」
「……どうした、様子がおかしいぞ」
ああ、ダメだな。
なんだこれ。
なんだ、この──高揚感。
まさかこれが奴の狙いか?
「退いてくれ。──退け」
「落ち着け、祆蘭。何を急いでいるかは知らんが──」
退けよ、有象無象。
「……!?」
おかしい。自分でもおかしいのがわかる。
これはなんだ。私は今何をした。何を思った。
私は……。
「……祆蘭? どうした、名乗りもしないで」
「青清君。今すぐ青宮廷に嵐を呼び寄せることは可能か。もしくは、発生させることは」
「可能と言えば可能だが……それをする意味がわからぬ。わからぬし、今の私の前に寝間着姿で出てくるな。……自制が」
「自制が利かないのはこっちも同じだ。頼む……従ってくれ。おかしくなりそうだ。……おかしい、今の私は。……待て。やらなくていい。おかしい」
踏みとどまれ。
明らかにおかしい。
今、私は何をして来た?
……今にも出かける、という風体だった貴族たちを、威圧して来た。
おかしい。ありえない。そんなことをする理由がない。
「どうした祆蘭。……状況がわからぬ。少し待て、進史に聞く」
ふつふつと煮え滾る血液。
ぐらぐらと揺れる視界。
──思い通りにならないことが、苛立って仕方ないという……思考。
「ああ……なるほど、青宮廷の輝術師が。その場に居合わせたのか。……ふむ、それで気負っている、ということか? であれば気にすることはないし、私が手を貸すこともない。本来州君と宮廷は関わり合いを持たない。青宮廷で起きたことは、青宮廷に任せる仕組みだ。そこで何人死のうと、どれほどの悪事が行われようとな」
「いいから……やれ。……ああ、やるな。青清君。……誰だ。くそ……私に何をさせようとしている。お前は……」
──もうすぐ、『月と太陽が同時に出る刻』が訪れます。
──その日は鬼や幽鬼と言った"肉体の檻"に囚われぬ者だけでなく、あなたや私も気を落ち着かせることの難しい刻となるでしょう。
──どうぞ、ご自愛くださいますよう。
「ッ!」
青清君の部屋の窓。そこに駆け寄り……空を見上げる。
そして──愕然とした。
「おい、危ないぞ。そうも身を乗り出すな」
「……なんだあれは」
「む? 何か見えたか?」
水生でも、そうだったか?
……いや。
私は水生にいた頃……空を見上げていない。見上げた記憶がない。
「今は……何刻だ」
「
時間の表現。これは数字ではなく固有名詞で行われているらしく、私では理解できない。
ただ、当てはまる時間を記憶しているだけ。
十八時。夜になりかけている時間帯。
なのに──こんなに明るく。
「どうして、月と太陽が同時に出ている……?」
「なんだ、今まで見た事はなかったのか? ああ……いや、まぁ平民には見る習慣などないか。幽鬼が活発になる時節故な、私達はこれをよく見るし、名を付けている」