女帝からは逃げないと。   作:霧江牡丹

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第二十二話「マグネットボード」

 中位貴族の娘として生まれ、自我を持ってからすぐに己の境遇を理解した。

 父には二人の妻がいた。一人目の妻は女児を産んだ後、病で死亡。二人目の妻は己と弟を産んだ。

 家を継ぐのは男児だという習わしと、長子でなければ示しが付かないという習わしと、何より父がもう歳で、早めに跡目を決めなければならないという段階にあった。

 青宮廷(シーキュウテイ)には様々な権謀術数が渦巻いている。見る目が無いというべきか、分け隔てないというべきか、父が選んだ二人の妻は、どちらもがどちらも違う派閥に属する人間であり、その片方からは「反対派閥に取り込むために一人目の妻を無理矢理死なせた」などという誹謗中傷まであったという。

 悟った。

 早期も早期に。

 

 これは、中位貴族の座など捨て、そういうことに関わらない武官として生きた方が楽だと。

 肉体の筋肉量において男性に劣る女性が武官となることは少ない。何より女性は男性より使()()()()()()。だから反対された。軟禁されかけたこともあった。

 敵だった。二人目の妻、つまり己の母親にとっては、まだ幼い弟を守らせたいという意志があって、己を盾にする気概しか感じられなかった。

 一人目の妻の娘にとっては己も弟も邪魔者でしかなく、その背後にいる者達にとっても邪魔者でしかない。

 

 だから、敵だった。能天気で寿命の近い父以外は敵で、父も味方ではない。

 

 己は道具。祭唄(ジーベイ)という名さえ、道具の名から取られたもの。

 生まれた時から、親愛と言う言葉から切り離されていた己は。

 

「……媽媽(マーマ)

 

 


 

 

「すまんな、母親でなくて」

「!?」

 

 跳ね起きる祭唄さんに笑いかける。

 魘されていた。だから、夢を見ることはあるんだろう。それが知れただけでも彼女たちがロボットやAIの類ではないとわかったようで、どこか安堵する。……別にロボットやAIが絶対に夢を見ない、と言っているわけではないけれど。

 

「しぇ……祆蘭。……お願いがある」

「なんだ」

「──今の、忘れて」

「それは難しいな」

 

 私は今、博打に出ている。

 大きなリスクを背負っている。

 

夜雀(イェチュェ)にだけは、言わないで」

「つまり玉帰(ユーグゥイ)様には言って良いのか?」

「……最悪、良い。夜雀だけには……ダメ」

「そうか。良い事を聞いた。次から祭唄さんを強請る時は、これをネタにしよう」

「……外道」

「言い過ぎだろうそれは」

 

 祭唄さんの視界。必ず目に入るその場所に……竹筆が置かれている。これ見よがしに、だ。

 でも。

 

「調子はどうだ、祭唄様」

「調子? ……あ、そう……だ。私は、()()()()()()()()

「ああ。まぁ私も書けないから感覚はわからんが、そういうのは一時的にわからなくなるだけ、ではないのか?」

「そんなことないはず。……怖い、けど。……もう一度、やってみる」

「見守っている」

 

 彼女は……机に向き直り。

 目の前にある竹筆……に目もくれず、奥にある毛筆を輝術で引っ張ってきて、それを墨につけて「一」を書く。

 

「……? 書けた」

「えい」

 

 そんな彼女の背後から、違う筆で「一」にヘンな点を書き加える。

 

「……汚れた」

「汚した」

「……どういうこと? 祆蘭は何が起きているのか、わかるの?」

「怖くて辛い事実と、馬鹿らしくて気楽な嘘。どっちを聞きたい?」

 

 博打は成功。

 やっぱり──通常時だと、そもそも竹筆(アレ)を筆記具として認識できていない。

 だから今まで誰もおかしくならなかったんだ。筆記具とは規格通りの筆だけで、それ以外は筆記具ではない。あるいは……絵を描く道具、とでも思われていたのかもしれない。

 あの時私は「これは筆記具である」として渡したから、おかしくなった。

 だってこの世界の人間は、貴族も平民も、誰もがそれを筆記具として認識しないし、「違うもので書いてみよう」ともならないから。

 

 ……となると、この世界……原始時代とか無さそうだな。

 最初からあったんじゃないか、毛筆。製法と一緒に。

 

「前者を選んだら……私はまた、おかしくなる?」

「かもしれん。だが、私は他人の人生を左右するほど大層な人物ではないし、同時に他人の行く末を最後まで見守ってやるほどの甲斐性も持っていない。だから、選んでくれ。今まで通りに生きて……数刻前の記憶の一切を忘れるか、真実を聞いておかしくなって、今までとは全く違う生き方をするか」

「……選択肢、一つしかない」

「そんな無責任なことはできない──とでも思っているのなら大間違いだ。私はほとんど故意にお前をおかしくしたし、やろうと思えば青州全域、あるいは天染峰(テンセンフォン)全ての人間をおかしくさせることだってできる。その手法を知っている」

「理屈が通らない。祆蘭は私の人生を左右することもしなければ、私がおかしくなっても見捨てると言った。それは責任があなたに無い事と同義。であれば私にある。私が己の変化を無視する、などというのは、あまりにも身勝手。それこそ青州に、天染峰に生きる一人の人間として、私はこの問題に向き合う必要がある」

「それがお前の選択であれば止めはしないし、それでお前がおかしくなったとしても、私は付き合わない。捨て置く。聞くに、要人護衛はまだまだ数がいるのだろう? 別に祭唄様である必要はないんだ。むしろ些細な日常の行為で使い物にならなくなる護衛など、いたところで邪魔なだけだろう」

 

 選ばせる。

 やらせておいて、選ばせる。

 それは。

 

「……前から思っていた。祆蘭は……こういう時、必ず偽悪的に振る舞う。わざと悪意的が過ぎる言葉を使って己の心象を悪くして、自らを嫌うように仕向ける。……私の問題を抜きにしても、それはなぜ?」

「楽だからだ。気遣われて選択されるより、嫌われて選ばれた方が気楽。そうだろう?」

「それも、偽悪。だって、そうじゃなきゃ……私が起きるまで誰にもこのことを言わない、なんて。あり得ない。……私が……祆蘭の言う通り、要人護衛として使い物にならなくなったと、他ならぬ祆蘭自身がそう判断し、切り捨てようとしているのなら、進史様に既に告げていたっておかしくはない。でも、あなたはそれをしない」

「誰かを切り捨てた、という事実は己が心に傷をつけるだろう?」

「……わかった。私が選択しない限り、あなたはその態度をやめない。何が祆蘭をそこまで追いつめているのかはわからないけれど……あなたの考えがなんであれ、たった今、私を見捨てなかった恩義に報いて、私は事実を知る方を選ぶ。それが私をおかしくさせて、使い物にならなくさせる未来を引き寄せるというのなら、甘んじて受け入れる。そして、そうなったら私は自らあなたのもとを離れる」

「私を気遣って、か?」

「己を恥じらって、だよ」

 

 ──いいだろう。

 少し危惧していたんだ。夜雀さんと祭唄さんは、要人護衛の中でも比較的若い。背が小さいからそう見えているのかもしれないけれど、どこか幼く見える。精神的にも、だ。

 だから、事実は重すぎると思った。けど……今の言葉は、芯があった。私という強い思想と強い言葉を持つ毒素を跳ねのける、強い芯が。

 

 であれば、教えよう。もう一度同じことをして──己の状況と、この世界のおかしさを。

 

 

 

 祭唄さんは──今、停止している。

 半紙の前で、竹筆を持って。

 

 でも泣いていないし、取り乱してもいない。

 

「……。やっぱり、書けない。書こうという気力が起きない。……そして、確かに。祆蘭の言う通り、私はこれを筆記具として認識していない。……だからたとえば」

 

 今度はスムーズに、竹筆に墨を付け……パンダだろうか? 犬や猫ではない、私の見たことのない丸耳の生き物の絵を描く祭唄さん。

 竹筆の使いづらさに最初こそ戸惑っていたけれど、すぐにその性質を理解し、筆圧を弱めて細い線を描いていく。

 

「うん。絵筆だと思えば、使える。字だけが書けない」

「冷静だな。あれほど緊張していたのに」

「確かに、再現しようとした時は緊張した。けれどあれは突然過ぎたことによる焦り。精神鍛錬の不足。今こうして……字を書こうと思ってみれば、己の心に何が起きているのか冷静に分析できる」

「何が起きているのか、言語化できるか?」

「感覚としては……輝術を弾かれた時に近い、かもしれない。祆蘭にはわからないと思う。この懐刀と同じ鉱石で作られた、輝術の精査を受けない部屋。ああいうものを精査した時の……"あるのに気付けない"という感覚に似ている」

「……なるほど」

 

 そういえばそんなものあったな。

 そうか。……輝術を弾く鉱石。思えばこれ、おかしくないか?

 

 だって平民は輝術を使うことができない。

 そんな……一種族の一つの力限定に作用する鉱石、って。

 流石に人為的過ぎる。

 

「あと……私から、祆蘭にお願いがある」

「なんだ」

()()()()()()()()を書いてみてほしい」

「……いや、私は読み書きは」

「違う。祆蘭は読み書きができないわけじゃない。私達の認識できる文字を書けないだけ。読めないだけ。祆蘭自身は、祆蘭だけが読める文字を書ける」

「なぜそう思った?」

「祆蘭は(イーヂーシィェン)を見て、真似して……文字とは言えないものを書いて、その後に"どこが違う"と言った。あの時私は違うから違う、と思考を停止していたけれど、よくよく考えてみれば"どこが違う"と言える時点でそれを文字として認識できている、ということになる。ただ違いが分からないだけ。つまり、祆蘭は(イーヂーシィェン)とよく似た文字を知っていて、それを書いた。……私達が、あなたの言う通り……文字の規格から意味を読み取っているのだとしたら、今から行う実験には意味がある。だから書いて」

 

 ……今並(ジンビン)さんには申し訳なく思うけれど。

 祭唄さんの方が、よっぽど研究者に向いている。そしてだからこそ……やっぱり危ないな、と思った。

 儀式。あるいはそれを介さない術が偶然彼女の身に降りかかれば。

 

「わかった。じゃあ私の知っている字で、シェンランと書く」

「うん」

 

 いつもやっていること。この世界の言葉を日本語解釈して漢字に起こし直す。

 そう、「祆蘭」も「祭唄」も「進史」も「青清君」も「天染峰」も、こっちの世界では全く違う字だ。アルファベットと記号をごちゃまぜにして、しかも音と文字数のあっていない不思議な文字。

 それを日本語解釈して脳内で漢字に当てはめている。だからそれをそのまま出力する。

 

「……これが"祆蘭"だ」

「緻密で、複雑な絵。今の私にはそうにしかみえない。じゃあ、祆蘭。もう少し汚い字を書いてみてほしい」

「汚い字?」

「うん」

 

 汚い字か。……走り書きすればいいか? 昔ペン習字をやっていたせいで無理に崩すとバランスが……。

 

「……やっぱり」

「何かわかったのか」

「相変わらず私はこの二つを文字として認識することはできない。ただ細かい絵に見える。でも、同じ絵には見えないし、整った線と崩れた線の違いも理解できる。だから私はこの絵を"祆蘭"と名付けて、覚える」

 

 ──まさか、漢字でなんじゃもんじゃしようとしてる?

 

「……あー、その。私が覚えている字は……実はこの形式だけで六千文字、加えて百文字と二十六文字と二十四文字と三十三文字と十文字あってな」

「どういうこと? なぜこの文字以外も知っているの?」

「……。ま、いいか。私はな、楽土より帰りし神子なんだ。楽土出身の平民。出身地は違うが、帝の母御、玻璃(ブァリー)と同じ存在だ」

 

 あっけらかんと言ってみる。

 

 祭唄さんは……今度こそ停止した。

 

 そして……緩慢な動作で、正座し、姿勢を屈め、地に手をついて頭を下げる。

 

「今までの無礼、どうか……この首で……」

「おい、話が進まなくなるだろう。今のは前提情報なだけだ。遜れと命令したわけじゃない」

「……」

「祭唄様。元に戻らないと今から青宮城を駆けまわってお前が私を媽媽(マーマ)と呼んだことを言いふらすぞ」

「……どうぞ、御心のままに」

 

 ふざけているわけでも、また「刷り込み」によってこうしているわけでもない。

 私が最初の頃、青清君や他の貴族に対して「発言を許可する」と言われるまで話さなかったのと同じだろうな。

 これは多分、ただの信仰、あるいは習わしの問題。

 

「以降、全発言、全行動を許可する。なお、敬称は要らない」

「……ありがとう。そうしてくれないと……だめ。祆蘭……は、気付いていないけれど、神子というのは私達にとって畏敬の対象だから」

「わかったわかった。その話は後で聞く。本題に戻るぞ。で、私の楽土ではな、国がたくさんあって、言語もたくさんあったんだ。その数約七千。私はその中の六つを覚えているに過ぎない」

「国……天染峰が、いっぱいある?」

「ああ。正直なことを言えば、天染峰は小さい方だ。大陸とは言えない。ただ島国というには些か大きい。そういう認識だな」

「大陸……島国……」

「そんなわけで、私の知る文字に名前を付けて覚えようとするのは荒唐無稽だぞ、っていうのを言いたかっただけなんだ」

「それは、祆蘭が私達の文字を再現できるようになるのと、どっちが大変?」

 

 う。

 それを言われると……。

 それを言われるとぉ!

 

「……私の日常的に使う文字を祭唄様が覚えた方が、楽だろうな」

「頑張る」

「いや、私の使う文字が読めた所で何の得もないだろう。この世界に私の使う文字があるわけでもないんだ」

「別に祆蘭のために覚えようとしているわけじゃない。私が、ひいては私達が異言語を覚えることができる。その証明は多分、私達にとってとても大事なこと。別に祆蘭の文字だけじゃなく、簡易な絵に意味を持たせることができたら、符牒としても役に立つ。要人護衛の仕事にも活かせる」

「私が言うのもなんだが、輝術で伝達した方が早くないか?」

「何より、もっと簡単に平民と交流できるようになる。今は……平民の商家が抱える、"訳筆家"という専門職だけが私達の認識できる文字を扱えて、平民と貴族の橋渡しになっている。訳筆家たちは生涯を賭して貴族の文字を覚え、それを生業にする。……彼らの仕事を奪うことにはなる。でも、大局的に見て……彼らを介さずに平民と交流を取ることができると考えたら、計り知れない益を見込める」

 

 どう……だろうな。

 言語が増えるのは……今は橋渡しになるかもしれないが、いつかは壁となって隔たりを……。

 ああでも増やさないと一生平民と貴族の間にはその訳筆家が必要になるのか。……難しい。歴史嫌い女子としては……こう……。な、なんかあったんじゃないか。地球で似たような事件。大丈夫か? うわ知らないって怖いな……と、思ってしまう。

 が!

 

「何事もチャレンジ精神が大事だ。加えて、なったとしても後世のことだろうし、私達は知らん知らん!」

「……今の何? 途中で唸った?」

「これもお前の認識できない言葉さ、祭唄様。文字を認識できないんだ、言葉だって同じだろう」

「言葉まで違うの? ……じゃあ祆蘭は、どうやって今喋ってるの?」

「頑張って」

 

 実際、凄く頑張っている。

 元々言語は得意だったし、外国語も結構イケてた。

 が、それなりの速度で喋る周囲の言葉を耳に入れて日本語解釈する作業が邪魔すぎる。

 英語とかだともう意味を覚えてるというか、訳さずに「そういうもの」として受け入れているからすらすらいけるんだけど、こっちの言葉はそれができない。かなり厳しい。

 なので本当に申し訳ないけれど敬語はまだちょっとキツいかな……っていう。

 

「じゃあ、やっぱり、私も頑張る」

「ああ、もう止めはしない。──して、祭唄様」

「神子だとわかった以上、少なくとも二人きりの時に敬称はいらない」

「そうか。なら祭唄。私はこのいびつな世界やお前達のおかしさに対して思う所はあれど──別段、何かをする、という気概がない。誰に文句を言えばいいかもわからんしな」

「……確かに。帝か、玻璃様が何かを知っている、ということでもなさそう?」

「いや、何かを知っているし、私に取引を持ち掛けてきているが、それはどうでもいい。応じる気がないから。ただ……何かをする気概がなくても、何もしないというのは()()()()()

「あ、祆蘭が悪い顔してる」

 

 そう、面白くないんだ。

 私もまだまだだな。気持ちの整理。ようやくしっくりきた。

 

 毎回毎回、「それを知ってどうする、それに気付いたところでなんだ、それが私に何の害を齎す」なんて……不思議な事や幽鬼事件に遭遇するたび思っていたけれど。

 ただただ、「知らないのは面白くない。モヤモヤする」。これだけだ。

 

 推理素人偽悪小娘祆蘭物語。己の世界観は常に己が中心にあり、己の人生は常に己が足を進めている。

 であれば、これだけの疑問とこれだけの不思議を見せられて、指をくわえて見ていろ、なんて。

 

 笑わせる。

 

「私の鬼の知り合い曰く、どうもこの所、青宮廷で幽鬼が増加しているらしい。加えて私が関わって来た事件の中でも少しばかりの未解決部分が残されている」

「鬼の知り合いという言葉もおかしいし、祆蘭がそんなに事件に関わっていたかな、という思いもあるし。続けて?」

「敢えてここでもう一度言う。私は無学で無知だ。だから──この歪な世界とおかしなお前達の認識を、その未解決部分に無理矢理こじつけようと思う」

「……つまり、私が祆蘭の文字を認識できない事、筆以外では文字を書けない事、あと祆蘭が神子なこと。そういうのをひっくるめて、その未解決部分のせいにしよう、っていうこと?」

「言語化が上手いな、祭唄。そういうことだ」

 

 はぁ、という溜め息の後。

 ふふ、という笑い声が聞こえた。

 

「勝手にこじつけて、勝手な大義名分を捏造して、違ったら詭弁で乗り越えて。……ああ、そっか。祆蘭の無知で無学、っていうのは、最終的な責任追及をされた時の逃げ道なんだ」

「オイ、いきなり刺してくるな」

「全行動、全責任が神子の名によって許可されているから、つい」

 

 ──大丈夫そうだな。

 そして、心強い味方を得た。

 

「さて、祭唄。では調査と行こう。未解決部分……黒い輝術の存在と、謎の水死体についての」

「ダメ。今祆蘭は謹慎中。忘れたの?」

「……」

 

 いや、そのさ。

 あの。

 

「こう……あるじゃないか。流れというか。今のは……もう、意気揚々と扉を開いて、青宮廷に繰り出す流れだったじゃないか」

「仮に謹慎中じゃなくても私が祆蘭を青宮廷に連れ出すことはないけど」

「祭唄。まさか自分だけで行こうとしているんじゃ」

「私は要人護衛。祆蘭の監視。行かないし、詳細を聞いていないからわからないし」

「じゃあ、何をしろと」

「私の暗記を手伝って。祆蘭の文字、できるだけ沢山覚えたい。お願い、祆蘭先生」

 

 弟子、離れて行ったばっかりなんだけどなぁ。

 ……まぁ謹慎中か。じゃあ暇だし……やるか。

 

 ついでにアレ作れるか試すかね……。

 

 

 

 色々足りないものが多すぎるけれど、とりあえず。

 用意しますは牛乳と酢。あんまり好きじゃない人が多いらしく、牛乳はそこまで量が無かった。調味料としてしか使われていないそれを調理室から分けてもらって、お酢もわけてもらって。

 

 鍋に目の粗い布を敷き、そこに牛乳どばー。お酢だばー。温めてかき混ぜて、固形化して来たら濾して、下に溜まったものをもう一度かけてさらに濾して……を繰り返していくと、あら不思議。何やら黄ばんだ白っぽい塊が。

 これを一旦冷やして、その間に木枠を作成。大体指の爪と同じくらいの隙間を空けて二枚の板を重ね、枠で確り固定。ただしあとで取り外せるような構造にする。

 板中央に小さな穴をあけ、漏斗を設置。

 

 先程冷やした黄ばんだ白っぽい塊を熱し、どろっどろになるまで待って、白っぽさが消えるくらいどろっどろになったら漏斗へ注ぐ。漏斗内部のソレが木枠の中に全て入ったことを確認したら、穴を閉じる。

 本来であればここで可塑剤を入れたいけど無いので無視。しばらく待つ。グリセリンとかあれば良かったんだけど、なんて伝えればいいのかわからなかった。

 しばらく待って……いいタイミングで木枠を外す。

 そこにあるのは。

 

「……う、うん。まぁ。まぁまぁ」

 

 透明ではある。が……ガッタガタな、一応カゼインプラスチックの出来上がり。やっぱり可塑剤がないとこうなるよね。苛性ソーダもないもんね……。……まぁこれを二枚作る。

 とはいえ多分この世界初のプラスチックである。これを何に使うか、と言えば。

 

 先程使った木枠にこのカゼインプラスチックを敷いて、できるだけ平らになるよう調整。

 そこへ鉱物油を投入。どろどろさせる。量を調整しつつ、湯浴み場の石鹸を水に溶かしたもの……つまり多少の不純物は混ざれど界面活性剤足り得るものを投入。仕上げに鉄粉をダバダバ入れて、ゆーっくりゆーっくりかき混ぜる。本当にゆっくりかき混ぜつつ、鉄粉がダマにならないようにも気を付けつつ……均等に均したら、出番だ。

 カゼインプラスチックの「使えそうな部分」を気泡の入らないようその乳白色の粘液に貼り付けていく。勿論相手は粘液なので貼り付けるという表現は間違っているだろうけど、手作業の感覚としてはこれが正しいだろう。

 最後にカゼインプラスチックの外側を厳重に糊で固めて、と。

 

 とりあえず試しに、磁石を取り出して……そこに近づける。

 瞬間、乳白色の表面に黒が出た。

 おー。

 

 じゃあ、次にペンを作る。といってもこっちは普通に木の棒の先端に磁石をくっつけるだけ。

 そして消去用の丸型磁石も作れば……簡易……というか原始的マグネットボードの完成である。

 

「完成?」

「ああ」

「……白い板?」

「それじゃあ祭唄。もう"祆蘭"の絵は覚えただろう? この特殊な筆を使い、この板に"祆蘭"を書いてみてくれ。あ、筆圧は最大まで加減してくれると助かる」

「わかった」

 

 そうして……さらさらさら、と。まるで文字を書いているかのように、祭唄はマグネットボードに"祆蘭"の文字を描いた。書いたのではなく、描いたのだ。

 

「これ面白い」

「ちなみに裏でこうやってやると消せる」

 

 丸い磁石を木の裏で動かすと、消しゴムツールみたいに消えていく"祆蘭"の文字。

 今更だけど最初に習う文字が"祆蘭"なの、難度が高すぎるな。

 

「……面白い。これ、色は変えられない?」

「できないことはないが、死ぬほど面倒臭い」

「画材として優秀。絵の練習に使いたがる貴族は多いと思う」

 

 ……まぁ子供用のお絵描き道具だしな。

 本来の使われ方ではあるか。

 

「正直青清君に献上した方がいい類。製法を公開するなら、青州の名物にもできる」

「いや……鉄粉と磁石をふんだんに使っているからな。途中で黄州(オウシュウ)が声を大きくして来そうだ」

「……水で、こういうのは作れない?」

「それらしいものは今並(ジンビン)に教えてある。次の才華競演(チャイファジンヂャン)に出すそうだ」

「へえ。……じゃあ、これは私達だけの秘密?」

「青清君に見つからない限りな」

 

 実際面白いんだよなマグネットボード。プラスチックフィルム……欲を言えばマイクロカプセルを作れたら最高なんだけど、そんな技術がこの世界にあるはずも……。

 ……輝術ならいけたりする?

 

 ちなみにもう漢字は百個近く覚えたらしい。でもそこから意味があってぇ。

 

 

 そうやって謹慎中の時間を祭唄と和気藹々している時のことだった。

 

「祆蘭! いるか!? 進史だ、すまない急用がある!」

「あんたに言われて謹慎中だから勿論いるが、どうした。入れ」

 

 焦っている……し、緊急そうだけど、危険って感じの顔じゃない。

 これは……なんだ?

 

「また幽鬼絡みの事件か?」

「いやっ……普通に人間だ。あー……普通に? 普通に……人間だ」

「なぜ言い直した」

 

 なんだ、まさか今潮が人間のフリして素知らぬ顔で来た、とか。

 

 ひょこ、と。

 進史さんの背後から、黒髪短髪の、中性的な容姿をした女性が現れる。

 

「君か、青清君のお気に入り!」

「な──困ります、黒根君(ヘイゲンクン)! 許可を出していない内に城内に入られては……」

「いいじゃないか、ボクだって州君の一人。軽率な行動はしないと約束するよ?」

 

 ……なんだって?

 一応袖を合わせて顔を伏せておくか。

 

「ふふ──欠片も敬意を感じられない礼。いいね、その方がやりやすい」

「!?」

 

 びっくりした。

 いやだって、顔を伏せているのに、その顔を下から横向きに覗き込まれて、キスまでされたものだから。

 

 ……は?

 

「ん──!?」

「ふふ……っぷは、可愛い可愛い……って」

 

 判断は一瞬。唇が離れてすぐに()()()()()

 

 舐められているなぁ。

 ──私相手にそう簡単に主導権を取ろうとは……それは宣戦布告と受け取るが構わないか?

 

「な……何をしておられるのですか!?」

「……君、ボクの容姿を見て何か思う所ないのかい? ボクからの接吻を受けて……それを拭う、なんて」

「お生憎様、初対面の相手からの接吻など、何の毒が盛られているかもわからん。唾液も吐き捨てるべきだし、接触面である口唇も拭って正解だろう」

「あれ。……青清君のお気に入りとはいえ、君、平民だよね」

 

 ん。ああ、つい。

 祭唄は……ちゃんと顔を伏せている。

 

 よーし。

 

「なんだ、そんなことも調べずに来たのか、黒州(ヘイシュウ)の州君。私は無知で無学な生意気小娘でな。敬語は使えない上に果てしなく偉そうだ。──それが気に入らないというのなら、どうする。今ここで私の首を刎ねるか?」

「……」

「私がどこまで本気かを考えているようだが──なら、こういうことでもしてみるか」

 

 この部屋に普通にある鋸。

 それの簡易カバーを剥いて、黒根君に向ける。

 

「……いいのかい? ボクは黒州の州君なんだけど」

「なに、大義名分はこちらにあろうさ。なんせ青州の州君の所有物である私の唇を奪ったんだ。立派な窃盗だろう?」

「大した度胸だね。次の瞬間には首が飛んでいるかもしれないのに。それとも後ろにいる護衛や青清君の付き人に助けてもらうつもりなのかな」

「ふん、この二人は私に気圧されて気絶するような雑魚だぞ。誰が助けなんぞ求める」

 

 威圧を使うつもりはない。

 輝術は多分、私の思考よりも早く発動する。だからそんな「奥の手」を用意していたって自信や根拠には繋がらない。

 

 ただ、あるのは。

 

 私がお前よりも勝っているという──絶大なる余裕。

 

「……」

「……」

 

 膠着状態だ。誰も動けない。

 いや……黒根君だけが、頬に指をトントンと当てて、ずーっとニコニコしている。

 

「そうだなぁ」

「まずは目的を話せよ、賊」

「おっと被せて来たか。そして、言うに事を欠いて賊だって?」

「ああ。許可も取らずに他の州君の治める城に入る。賊と何か違いがあるか?」

「……ふぅん。ま、いいよ。目的は単純だ。ボクの州から青州へ移住した薬師が、最近殺人にあったというじゃないか。下手人への怒りは当然にしても、ボクみたいなのがそう軽率に動くわけにはいかない。相手が青州の人間だと面倒だし。だけど、献花をしに来るくらいならいいだろう?」

「そうか。中々企みが上手く行かないから何が原因かを探りに来た、ではないんだな」

「そうそう、そんな目的じゃないから──降ろしなよ、その武器」

「これは工具だ。そしてそっちこそ降ろせよ、その殺気。十日と餌にありつけていない野犬のようだぞ」

 

 一触即発。

 その空気は──。

 

「──何をしている、黒根君」

 

 城の持ち主によって、砕かれた。

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