女帝からは逃げないと。 作:霧江牡丹
人とは何か。
己とは何か。
幼き頃より聞かされていた「父親」のその言葉は、
彼女のそんな反応を見るたび、「父親」は諦めたように笑って、「君はそれでいいんだよ」と彼女の頭を撫でる。
婚姻を結ぶ前から病がちな母親のために薬を学び、結婚してからも母親のために薬と、そしてお金を稼ぎ続けた「父親」。姉と今並にとって誇らしいと言える「父親」だったけれど……やっぱり。
苦しそうに眠る母親の看病をしている「父親」は、新たな薬を発掘し続ける「父親」は──どこか、他人と違った。
どこか。
ずっと何かに、怒っているような。
「……というのが、私からの父の印象です」
「そうか。参考になった。……ちなみに、今でもその理解のできない概念の箱には、それら言葉が収納されているのか?」
「どう……でしょう。人とは前を向き、歩みを進める者。己とは世界と相対し、選択を続ける者。答えの出ているものを理解のできない概念として扱うのは、些かおかしく思います」
「……ん。わかった。ああ、で、今後についてだが、お前がまだ学びたいというのなら教材を用意する。だが……
「……。……はい。そうです」
「私からも、そして
「もう、心は……決まりました」
「そうか。……なら、伝えておく。私は生前の
「はい。青宮城に面白い娘がいたと……そう聞いておりました。あんなに楽しそう……心から楽しそうに笑う父を見たのは、あれが初めてで」
「その時からすでに今潮は、"娘には絵の才があり、薬学や"世の理"などというくだらないことに現を抜かしていないで、得意なことをした方がいい"なんて言っていたよ。無責任極まりない言葉だから伝えずに終わるか、ひと月の師弟関係が終わるころに言おうとしていたが……心が決まったのなら、告げるべきだろう」
「……ありがとうございます。……いえ、ありがとうございました、先生」
「ああ」
頭を下げて私の部屋を出て行く今並さん。
何かに怒っている、ねぇ。
「私もまだ怒ってる」
「う」
当然のことであるが。
めちゃくちゃ大騒ぎになっていたし、めちゃくちゃ心配されていたし、めちゃくちゃ叱られたし──護衛の、特に
さもありなん。祭唄さんは直前まで私を見ていて、夜雀さんは私の部屋にいた。それで私が……昼から夜の数刻だけとはいえ、行方不明になったのだ。そうなる。
そして私へは、進史さんから少しばかりの謹慎が言い渡され、監視の面を含めて祭唄さんがこの物置で同居することとなった。
怪我人である夜雀さんと共にいなくていいのか、という問いは、要人護衛は他にもいる。というあっさりした回答で終了。……この謹慎が解除されるまでは桃湯との接触は無理だろうな。
「でも、いい。それより、昼餉。食べないの?」
「……食べるか」
昼餉。
あの後から、色んなものを気にするようになった。
何に規格があって、何に無いのか。
聞けば。
貴族において「家庭の味」に該当するものは存在しないとか。
誰もがレシピを知っていて、誰もが高水準の味を作り得る。ただ「効率」は違うらしく、料理人となる者は「効率」の良い者であるとか。
作るのが遅い者はいても、作るのが下手な者はいない。字を書くのが遅い人はいても、下手な人はいない。
逆に輝術や芸術と言った……なんていうのかな、フォーマット……違うな、「デフォルト」が存在しないものについては、個人差が出まくるっぽい。
私の理解や言葉の解釈に間違いが無ければ、そういうこと。
正解の存在するもの、あるいは制定されているものについては、貴族というか輝術師は絶対に間違えない。
そして少しでも違っていたら、違うものとして検出する。
人とは何か。己とは何か。もしかしたら、薬とは何か、もかもしれない。
今潮が弟子たちを巻き込んで無理心中を図ったのには、当然鬼にならんとする目的もあったのかもしれないが──納得がいかなかったから、なのだろう。
用意されている答えに満足できなかった。だから試した。
今思えば、今潮の思想を聞いた時に進史さんがああも気持ち悪がっていたのも……「理解できない思想を聞いて反射的に拒絶反応が出た」んじゃなくて、「読み込みできない拡張子にエラーを吐いた」みたいなことだったりするんだろうか。いやそんなロボロボ染みた世界じゃないとは思うけど。
……無いよな。もう全部が疑わしい……けど、そんなこと言ったってやっぱり何がどうなるというわけじゃなく。
そして……それこそ今潮が私に言った、「君なら聞かずとも辿り着ける」という言葉を信じるのなら。
「祆蘭。祆蘭の言いたいことは、正直わからない。何に迷っていて、何を怖がっているのか。……理解されないのは、傷つく。……よね」
「んー。まぁ、そうだな。あの日はそうだったが、もう落ち着いた。……傷つきも、しないさ。そこまで幼くはない」
「充分幼い」
「そうかもな」
自分と他人が違うから、という理由で傷つくことのできる思春期は過ぎ去ってしまった。その道先にあるのは、それを恥じらう道か、誇りに思う道か──あるいは、自嘲する道か。
……なんて自己問答はどうでもよくて。
やっぱり気になるのは
彼女の文字はこの世界のそれらしい機械的な文字。だけど彼女は楽土……他の世界から生まれ直した者。輝術インストールがどれほどの存在を書き換えるのか、という点において、玻璃は重要なサンプルケースに思える。
そして「符合の呼応」。
私が玻璃と会った日に作ったものは一つだけ。
琴だ。玻璃と琴が呼応しているとして……琴って、なんだ。楽器? いや……じゃあ今ここでウクレレとか作ったら玻璃みたいなやつに会えるのか?
「よし」
「また何かする気?」
「いや、共通言語を使おうと思ってな」
「?」
考えるの中止。私は推理素人なんだから。
そして、
であれば──何にも考えずに遊べるものを作ろう。
……子供向け玩具の中で最も簡単であるのは、アレか。
まず長方形の板を用意します。枠で囲みます。
右下に発射台となる枠をつけます。板に適当な障害物を設置します。ただの針とか、斜めの材木の切れ端、軸と、それに突き刺さった水車。
下部には両サイドから緩やかなV字になった枠を。その下には右下へ向かって下がる枠を。
ばねは針金の入手先がわからなかったので、空飛ぶ馬車の懸架装置を指差して、「これの、材質的には柔らかく、小さいもの」を注文したら、「ああ弩の。よくそんなの知ってる」と言われた。なんでも、平民同士の争いでは使われることがあるらしい。輝術は……そうだよね、弾道落ちなければ不可視で再装填も必要ない飛び道具使えるもんね……。
ばねが手に入ったら、それを二枚の木の板と軸で挟み込み、片方の木の板からは軸が突き出るように調整。突き出た軸には一定の所で返しを付ける。
あとはそれが自由になっている時に、先ほどの右下へ向かって下がる枠の出口と繋がるように調整すれば完成。
木で作ったボールをセットし、ちょっと斜めに傾けて、取っ手を引けば。
カコン、なんて音で発射された木のボールが、数多の障害物に当たって……落ちて来る。
「……?」
「ただそれだけだよ、これは」
「そう」
「まぁ他にも競い合えるような仕組みを加えることもできるが……」
たとえば籠を用意して、板裏に抜け道を作って下部で合流させるとか。
それを得点とする、とか。
ピンボール台。子供は喜ぶだろう。大人も……まぁ、一瞬は喜ぶ。暇人なら多分虚無でも一生やってる。
しかし祭唄さんの反応はゼロに近い。
……価値観の違い……というか、多分「それが何?」なんだろうな。まぁこの世界に射幸心を広めるつもりはない。労せずして富を得ることができた瞬間人は腐る。
じゃあ、次。
竹をたくさん用意します。
階段状になるように切って、一本だけ長くし、並べて板で固定します。両側ではなく片側だけ固定し、もう片方はできるだけ自由にさせます。ただしバラバラになりやすいので紐をジグザグになるように巻き付けて、固めます。
次、持ちやすい大きさに切った竹の板に、コップくらいの大きさの竹を固定します。
先端の竹の表面を防腐剤で塗り固めます。
完成!!
「……?」
「竹琴という。これでこの竹の口を叩くと」
しっかりと音階の有るバンブーマリンバの完成である。
「それは面白い。でもこういうのは
「……黒州ねぇ。よく話題に上がるが、確か植物に秀でる、んだったか」
「そう。薬とか毒もだし、祆蘭の好きな工作とか、あと造船技術も凄い。青州で使われている墨や染料も、半分以上は黒州から輸入している」
「へぇ……。例の雑技団なるものも植物を使うのか?」
「どうだろう。仕組みまで気にしたことは無かった」
気になる。
とても気になる、黒州。
行ってみたい。確か隣の州なんだよな?
「ダメ」
「……まだ何も言ってないんだが」
「祆蘭の興味をそそらせるようなことを言った私も悪いけど、ダメ。今は謹慎中」
「解けたら行って良いのか?」
「青清君に聞いて」
それはそう。
……んーむ。
あ、そうだ、それ関係で思い出した。
「
「空気に味なんてある?」
「……ほら、火のそばだったり、人数が多い場所の空気はあまりおいしくないだろう」
「ああ、吸いやすいという話。……それはあまり関係ない」
「じゃあなんだ、常に強風が吹いているとか」
「だとしたらそんな場所に人は住み着かない。人の住んでいない土地、青州だけでもかなりある」
正論パンチが過ぎる。
土に秀でる、火に秀でる、水に秀でる、植物に秀でるはわかる。でも風に秀でるってなに。
「むしろ緑州は一番住みやすいはず。青州も住みやすいけど、緑州みたいな大市場がないから。代わりに花街が発展してるけど」
「まぁ酒の州だしな、青州」
「そういうこと」
……風通しが良い、ってこと?
なんか……祭唄さんも、明確な答えを持っていないような反応だ。これも輝術インストールのせいか?
「
「……祆蘭。その理論で行くと、青州は水浸しになる」
「確かに」
ファンタジー概念に引っ張られ過ぎか。
いつか行ってみたい気持ち半分……この世界のことをちゃんと理解してから行きたい気持ち半分。
「あ、でも、赤州には自然に湧いた湯浴み場がある。
「……行きたい!!」
「ダメ」
い、行きたい!
食も色も好みの無い私だけど、温泉旅行は好きだった! 前世から! よく友達と行ってた!
というか。
「青州にはないのか。水に秀でると謳っておきながら、温泉がないとはどういう了見だ」
「普通にお湯を沸かしても、温泉より高い効能を得られる青州の水。行く必要が無い」
「……え、青州の水って……他の州と何か違うのか?」
「……。……誰にも言わない、って約束できる?」
「あ、ああ。青清君や進史様に聞かれたら答えてしまうかもしれないが」
「……」
祭唄さんは、突然能面のような顔になり──私に耳打ちをする。
「実は効能なんてない。けど大人たちは言い張ってる。要は矜持の問題」
「……じゃあ赤州行きたい!!」
「ダメ」
ああクソ、
墓祭り月一とかでやらないか?? というか州君と帝と妃が一堂に会する日が墓祭りだけって少なくないか。もっと会え。
温泉……温泉行きたい。
温泉行きたい……!
「どうしよう、祆蘭が壊れてしまった」
「オンセンオンセンオンセンオンセン……」
「聞き取れない。何を言っている?」
現実に引き戻される。
……ああ、言葉も、か。
そういえば書物庫でも……。
「つ……作るか?」
「湯浴み場はあるけど」
「いや、青宮廷の外の森とかに……」
「獣が出て危ないし、どこもかしこも貴族の保有する森だから、調べて許可取らないと」
なんでそういう所しっかりしてるんだよ。
……ドラム缶風呂……は、ドラム缶をどうやって作るか、だし。
いや……待てよ? まぁ温泉そのものは無理でも、入浴剤をどうにか作れないか? 椪柑……そう、椪柑の皮を……。
「祆蘭。湯浴み場に飽きたというのなら、一つある。昔から、貴族の子供で……湯浴みや水浴びを嫌う子供にやってあげることが」
「……聞こう」
「じゃあ、湯浴み場に行く。その方が早い」
そう言って、私の身体を浮かせる祭唄さん。
手を引くとかじゃない。もう運ばれている。
……そうか、輝術で拘束しておかないと逃げる可能性があるからか。
えー、では大人しく運ばれまして。
大人しく一緒に湯船に入りまして。
「じゃあ、やる。暴れないでね」
「あ、ああ……おお!?」
ざばぁ……と。
お湯が……球体となって、浮かび上がる。私が入っているお湯もだ。
球体の底面に足を伸ばしても、結構強めな力で押し返される。
……おもしろ。
「物体浮遊の応用。子供はこれを親に見せられて、自分もやりたくなって、自然と湯浴みが好きになっている」
「祭唄様は何歳までやっていたんだ?」
「私は嫌いじゃなかったからやっていない。夜雀は今でも嫌なことや悩むことがあったらやると言っていた」
「……それは……いやでもちょっと気持ちわかるな……」
「他にも、こうやって形を変えたり」
「おお」
「繋げたり」
「おおお」
「熱したり」
「それは熱いが」
「冷やしたり」
「それはぬるいが」
「輝術の知識を知ったとて、子供はまだ判断能力に欠ける。湯浴み嫌いと輝術の使用判断、及び力量診断をこれで一度にできる。お得」
なるほど。
……判断能力ね。一つ、良いヒントを貰った。
そういえば……進史さんが、「垂れ流しでうるさい」とか言ってたな。
輝術に関してはやはり完全に規格化されているわけではなさそうだ。偽
「さらにこれを回転させることで、身体を洗うこともできる」
「いや、それは、ちょ」
「大丈夫。目や鼻に入ることはない。調整は得意」
「単純にくすぐったいという話をだな──」
「気分転換」
理解した。
いつも暴走気味でちょっと抜けているのは夜雀さんの方だけど、一回走り出すと止まらないのは祭唄さんの方だ。
要人護衛……侮りがたし。
けれど、悔しくも……かなりさっぱりした。まぁ洗濯機に入れられたようなものだしな。あと……楽しかったし。
「そうだ、祭唄様」
「なに?」
「足、爪紅をしているんだな。手じゃなく足なのは珍しくないか?」
湯浴み場で見た祭唄さんの足。その指には、ラメみたいな光沢の入った白銀色の爪紅が施されていた。
おしゃれだけど、こっちの世界の人基本素足見せないから……珍しいな、と。
「……ああ、
「アンヂャオ?」
「……湯上りに向かう場所ではないけれど」
と、また持ち上げられて……練兵場に連れていかれる。
そこでは幾人かが木剣での試合をしていて、その隣で。
「見てて」
祭唄さんが練兵で使う用の石材を浮かせ──気のせいでなければ、一回転した。したように見えた。
直後、斜め一文字に割断される石材。
……。
「む……祭唄か。壊したら……直しておけ」
「わかっている。……
「手加減されている……。
……。
えーと。
「えーと?」
「見えなかった?」
「祭唄様が一回転したのは見えた」
「うん。回し蹴りと同じ。これで斬った」
これ、と。
靴の先の方を外し、素足を見せる祭唄さん。煌めくネイル。そして……さっきは気付かなかったけど、鋭利な先端。
「……暗器なのか、それ」
「そういうこと。けど、隙が大きいから、あんまり使わない」
「靴は……どういう仕組みだ?」
「これは輝術で固めているだけで、もとは小さな欠片」
「へぇ……」
輝術って……。
あと、えーと、要は爪で岩を斬ったってこと? ……ファンタジーだったりSFだったり少年漫画だったり……!
どれか一個にしてくれ! 混乱する!!
「祆蘭の部屋に帰る」
持ち上げられる。
いや、逃げないから。降ろしてくれ。もうわかったから。
暇だ。
「祭唄様ー暇だー」
「謹慎中なんだから、謹慎すること」
今並さんとの師弟関係が解消されたので、やることがどっかりと消え、さらに進史さんも青清君も来ないので、もう何をすることもない。
加えて……いつ「符合の呼応」が起きるかわからないから、一日にあんまりたくさんのものを作りたくない。
まだ昼過ぎだというのに、ここから何をすればいい。
「子供は眠るのが一番。祆蘭、いつも早起きなの知ってる」
「早起きすれば時間をたくさん使える。健康的な時間に寝れば心身に張りが出る。当然だ」
「それはいいことだけど、たまには昼寝も良い」
「時間が勿体ない」
「……暇というのは、時間が有り余っていることを意味する。有り余っているのに勿体ないとはどういうこと。……工作はダメなの?」
「ダメだなー。もう作ったし、そういう気分じゃないし」
「それじゃあ本を……は、無理なんだった。……字の練習でもする?」
……。
やるか。知るには身に着けるのが一番早い。
「する」
「わかった」
──そして、そこから地獄のような練習が始まる。
「一筆目から、違う。そこじゃなくてこっち」
「いやどこから書いたって半紙である以上大して」
「線が真っすぐじゃない。これだと読めない」
「いやいやどこが違う! 見ろ! ほら、祭唄様の字と私の字! 重ねて透かして! ほぼ一緒だろう!」
「どこが? ここ、曲がってるし、こっちは長すぎる。わざと間違えているのでもない限り、そんな風にはならない」
「……じゃあアレだ。一画の文字を教えてくれ! ないか、一画の文字!」
「これ」
横線。本当にただの横線。つまり「一」の字。
あるじゃないか。では定規を用意しまして、びーっと。
「どうだ」
「……? なんて読むの?」
「いやこっちが聞きたいが。ちなみに祭唄様のはなんて読むんだ?」
「イーヂーシィェン」
「これだけで?」
「うん」
「私のは?」
「……。……読めない」
「あー……じゃあ、そうだ。これに書き足すなり消すなりして、読めるようにしてくれ」
「わかった」
祭唄さんはそう言うと、太い筆を使って私の線を全て塗り潰し、横一文字を書いた。
「……私のは再利用できない、ということか?」
「どういうこと?」
「いやこっちが……」
だんだんわかって来た。
つまり、バーコードとかQRコードとかと同じなんだ。
それでいて文字数、画数共に少ないから、今みたいな文字だと土台が無理過ぎて塗り潰すしかなくなる。
文字そのものには確かに形が存在するけれど、読み取っているのはどちらかというと規格の方で、だから誤差レベルのズレが「汚い」「読みづらい」に変換される、と。
……なら、手で書いた一文字と定規で書いた一文字が違うのも納得だ。
そして……そのインストールがされない限り、私には文字は。
だから……じゃあ。
「これ、貰っていいか」
「勿論」
祭唄さんの書いた「
そして細心の注意を払って文字の輪郭に沿うよう短剣を突き刺し、型を作る。
あとは要らない部分を鑿で削り取り、「一」だけを浮き彫りにして、それを染料にじゅわー。
これを半紙にぺたりと押せば!
「どうだ!」
「読めない」
「……あ、そうか。左右逆だ」
気を取り直して。
「どうだ!!」
「読めないよ」
「な、何が違う!?」
「筆圧」
……!?
そこまで!? そこも規格なの!? じゃあこの世界で鉛筆とか作って……それで文字書かせたら誰も読めなくなるのか?
いや……だから筆以外の筆記具が発展していない? 誰も読めないから?
急遽作る。
竹を細く細くカットし、先端をさらに細かく縦カット。加えてトンカチで叩いてその部分を潰し、ほぐす。
出来上がるのは竹筆。毛筆の前身とでもいうべき筆だ。
「祭唄様、これでさっきの文字を書いてみてほしい」
「わかった」
受け取られた竹筆。
それが墨壺に入り、墨を吸い……筆先が紙に付いた、その瞬間。
「……これ、無理。柔らかくしていい?」
「輝術で、か?」
「うん」
「ダメだ。それで書いてくれ」
「……」
まるで。
知らない内容を入力された、とでもいうかのように……動かなくなった祭唄さん。
うん、よし。
検証成功だ。可哀想だから、さっさと終わりに──。
「な……ぜ? なぜ……書けない? 私は……なぜ、文字を書けない」
「すまん、祭唄様。意地悪をし過ぎた。もういいから」
「違う。祆蘭は悪くない。……この筆は、質が悪いだけ。なのに……書けない。おかしい。どうして? ……手が動かない。……?」
ぽろ、と。
一筋、涙を流す祭唄さん。
え、え、そこまでか。流石に罪悪感が。
「あー。あー、えーとな。祭唄様。これは……そう、書けない筆なんだ! 私が作った、誰も文字を書くことができない筆!」
「違う。わかる。私は……物質精査に関しては、青州でも上位。これはただの竹。輝術なんか使われていないし、特殊な加工もされていない。……書けない。書けない。書けない! 手が、動かない。どうして? ……違う。だから……」
目を開いたままに涙を流し……私を見上げる祭唄さん。
「どういう、こと? 祆蘭、これは」
「すまん、寝ろ」
威圧、した。
……音。
「桃湯か」
「ええ。……ダメよ、意地悪しては。自分で至らないと……壊れてしまうから」
「そういうことか。……よく今まで騙し通せてきたものだ」
「普通は誰も、思い至りもしないの。美術では思い浮かぶのに、文字では思い浮かばない。違う筆を使ってみる、という試行錯誤が無い」
「……輝術師だけ、か?」
「……」
「平民も、なんだな」
「……ええ。そう。でなければ、貴族は平民から年貢を取ったり、商家との取引ができないから。あの方も……そうでなければ、抜け出せなかったでしょうし」
そうだ。その通りだった。
貴族が貴族以外の文字を読めないのであれば、平民との交流なんて一生生まれない。
原因は輝術インストールじゃない。
玻璃が言っていたじゃないか。もっともっと、ずっとずっと根深い問題だ、と。
それは多分……始まりから、だ。
「恐ろしい?」
「一つだけな」
「それは何?」
「……祭唄様が、鬼になる可能性を考えていた。気付きを得て、疑問に思えば……途端に全てが怪しく見える。お前達は……まぁ文字から、だけじゃないのだろうが、それに自分で至ったんだろ」
「……そうね。ほとんど正解」
「なってしまうのか、祭唄様は。……鬼に」
「何もしなければ問題ないわ。ただ己に恐れを抱いて……自決を選ぶような心の弱い子であれば、わからないけれど。でも、あなたも気づいたように、鬼になるには穢れに見初められる必要がある。その儀式を完遂しなければ、その子は鬼にはならない。幽鬼になる理由もないなら、ただ自決をして、楽土へ行くだけ」
……。
そうか。
……命を背負ったな、じゃあ。
「ま、私としては……あなたが
「それは……そういえば、それはなぜなんだ? こういうのも何だが、これら事実に気付いた者は、今潮のような天才的な莫迦者ばかりだろう。であれば理論的な話し合いくらい」
「あれは特別よ。あんなにも幼いころからこの事実に気付いていて、けれど狂わなかった。言ったでしょう? 己に恐れを抱く、全てが怪しく見える。その若さでそうなった状態で、十年や二十年を過ごしてみなさいな。その後、鬼になったとしても……」
「猜疑心だらけ、あるいは誰も信じない……もしくは自分で考えない鬼が出来上がる、と言うわけか」
「そ」
疑心暗鬼、とは。
まさに。
「輝術か、鬼の使う何かで……今日の記憶を封じる、というような措置はできないのか?」
「なぁに、それ。怖い発想ね。そんなことできたら、とっくにどこかの州が大陸を統一しているでしょう」
「……そうか」
どう、するか。
祭唄さんを見殺しに、など。……私は……非情である自覚があるけれど。
だからといって襲ってきたわけでもない相手を殺して素知らぬ顔でいられるほど、顔の面の厚い奴じゃない。
「……私から提示するのはおかしな話だけど。解決方法はあるのよ」
「それは?」
「別に、全てを開示してしまえばいいの。あなたの知る限りのこの世界の仕組み。そしてあなたのこと。心配なら青清君と進史、だっけ。あの付き人も巻き込めば全問題が解決するでしょう」
「いいのか、それは。鬼的に」
「鬼的には良くないけれど、これを貸しだとあなたが思ってくれるのなら、私にとっては益だから」
全てを打ち明ける。
けど、それをしたら。
「……甘言にしか聞こえない。青清君と進史様、祭唄様……その全員を鬼にしようとしていないか、お前」
「儀式をしなければいいだけの話でしょう?」
「……いや。何かを隠しているな。儀式をしなければいいだけの話であるのなら、初めの鬼は生まれなかったはずだ。……違う、だから……お前の言う、狂い果てた者が鬼となる。そういうことは起き得ないはずなんだ。……手法を確立させた奴はいるのだろう。あの拡大鏡を思いついた奴は確かにいる。ただ、それはそれとして……別の要因で生まれる鬼もいる」
「さて、どうでしょうね。……疑うのは勝手だけれど、やらなければその子がどうなるか、なんて……ねぇ?」
そうだ。そうだった。
桃湯は私の味方でも、人の味方でもない。
彼女が祭唄さんに同情する理由などない。全ては私を引き込むためのカード。
「……っ、符合の呼応なのか、これも」
「? 何かしら、それ」
今日、私が作ったもの。
バンブーマリンバとピンボール。
その中でもピンボールが……嫌に目に入る。
勢いよく打ち出されて、色々とぶつかって、最後は元の所に戻ってくるもの。
「よくわからないけれど……なんにせよ、よく考えて立ち回ることね」
「……ああ。肝に銘じるよ」
すやすやと眠る祭唄さんの頭を撫でて。
少しばかり、考える──。