女帝からは逃げないと。   作:霧江牡丹

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第二十話「段返り人形」

 今並(ジンビン)さんが才華競演(チャイファジンヂャン)についての講義を受けている間に、無理を言って進史さんを呼び出してもらった。夜雀(イェチュェ)さんに。

 まだ体調悪いみたいだからお手柔らかに……ね? という夜雀さんに「私を何だと思っているんだ」と返しつつ、二人だけにしてもらう。

 

「……はぁ。青清君(シーシェイクン)からの情報伝達(問い合わせ)だけでも疲れるのに、……今度はなんだ」

「今日の昼だろう、賊の処刑」

「……。なぜお前がそんなことを知っている」

「広場にあれだけの首枷があって気付かない方がどうかしている」

 

 処刑。

 少人数であれば、そういう専用の場所で済ませてしまうらしいけれど……今回のは大規模すぎたみたいで。

 加えて、下手人が没落貴族ばかりだったから、見せしめも込めてだろう、広場で処刑が行われるようなのだ。

 とはいえこの世界、それを見世物にしたり、面白がったり、なんて不遜な輩はいない。ただただ静粛に厳粛に行われるためだろう、広くに柵を敷いてあるのが見える。

 

「見える……のか?」

「ん、ああ。見えるものを作った」

 

 簡易望遠鏡。

 レンズをどう調達するかが肝だったけど、輝術でガラスを変形させられるならもしや? と思って祭唄(ジーベイ)さんにお願いしてみたら、二つ返事でやってくれた。

 そもそも眼鏡あるしな、この世界。それで製法は知っていたらしい。なお、普通の輝術師は輝術で拡大鏡を作れるのだとか。輝術って……。

 というか昨日聞き逃してたけど位置特定して音拾うとかいうとんでもないことしてたよね青清君。

 

 双眼鏡の方が距離的には適していたんだけど、まぁその辺は調整できるので。

 

「そんな話は良い。あんたは病み上がりだから、手短に話を済ませたい」

「まだ病み上がっていないのだが」

「いいから。……以前、私がこの窓から大量の紙の束を捨てたのを見ただろう?」

「ああ。ゴミになるから後で回収させようと思っていたが、すぐに……アレがあったからな。そういえばできていなかった」

「あの時私が投げたものは、これの束でな」

 

 そう言って見せるのは、とてつもなく簡素なつくりの紙ヒコーキ。飛距離は然程求めていないので、滑空していくタイプにした。

 で、この紙ヒコーキの裏面には。

 

「……その紋様は」

「ああ。雨妃(ユーヒ)事件の時の紋様だ」

 

 まぁコレの後でコレじゃなくても良かったってことが判明するんだけど、それはいいとして。

 

「この紋様はな、松脂で描いたんだ。当然臭うし、一度服に隠しでもしたら中々取れん」

「ああ、そうだろうな。とはいえ悪い香りではないだろう。過剰であれば私も顔を顰めるが」

「さて進史様。この紋様のついた紙を拾い、明らかに松脂だとわかっていながらも懐にしまう、あるいは持ち去らんとするのはどんな人物だと思う?」

 

 松脂はベッタベタする。

 物珍しさで拾っても、家に持ち帰ろう、という者は少ないだろう。紋様も別に美しい紋様と言うわけじゃないしな。

 

「……この紋様が何かを知っている人物、か」

「ああ。拙い作戦だが──どうにも私という人間は疑り深くてな。今潮の計画に乗った没落貴族らが処刑される──それはそれとして、あれが全員であるとは思えん」

「残党がいる、と?」

「昨晩確認した。あの日の風の角度などを計算し、この紙鳥が流れた場所の算出と、その周辺に集まる妙な松明の群れ。青宮廷の外の森で、見張り台から死角となるような場所にそれらは集まっていた。その地図の上に重ねて場所を記録してある」

「……お前、推理をしているより……画策をしている時の方が生き生きとしているな」

「工作好きだからじゃないか?」

 

 工作の意味が違う、というのはこっちの言葉だと伝わらないんだけど。

 

「とにかく、連中が何を企んでいるかまでは知らんが、直感的に結集してコトを起こすのなら処刑のある昼だと予想する。療養中で悪いが」

「もう伝達は入れた。輝絵の才のある者に、その地図も見せた。及び……それ。紙鳥と言ったか。松脂の付着した紙鳥を持つ者がいないか、青宮廷全体を輝術で精査させる。……これでいいか」

「あんた、使い走られている時より自分で判断して全てを処理している時の方が生き生きとしているな」

「使い走られているつもりはないが……はぁ。まぁ、青宮廷のために行動してくれていたことは感謝する。……ああ!!」

「……いきなり叫ぶな。驚くだろう」

「まただ! また青清君が恋とは何か愛とは何かと……その辺の貴族に聞け、あの我儘小娘!!」

「おいおい、私はともかくあんたそんな汚い言葉使うのか。使っていいのか」

「良いも悪いも、こっちは病人だと……。あぁ、おさまった。そう、こういうのは返事をしないのが一番なのだ……」

 

 迷惑電話も迷惑メールも、出なければいつか諦めるから、ってそれ。

 

「……なんか、すまんな。私は一切私のせいだとは思っていないが、そもそもお前が体調を崩したのは一応私のせいだし……」

「いや……お前が気に病む必要はない。私の鍛錬不足だ。ここのところずっと指示ばかりしていて、精神鍛錬を怠っていた。あれしきのことで過呼吸を起こすなど……加えて、お前に正気に戻してもらわなければならないほどの恐慌に陥るなど……。と、それで思い出したが、あの大きな破裂音はなんだったのだ」

「ああ。あれは紙……」

 

 鉄砲……の、変換先は。

 なんだ。前も防腐剤使った輪ゴム鉄砲もどきや竹を組み合わせた水鉄砲もどきを作ったけど、別に見せてないしなアレ。

 ……適切な言葉。この世界、古代中華っぽいクセに爆竹も花火も無いからなぁ。破裂するもの……泡でいいか。

 

「紙泡という、紙だけで作る轟音発生装置だ」

「少し、興味がある。今作れるものか?」

「ああ」

 

 その辺にある紙をたたたたーんたたたたーんと折って、持ち手を持って。

 ……病人に聞かせるものか?

 

「あー、かなり大きい音がするから、離れろ」

「わかった」

 

 充分に離れたことを確認し、思いっきり振る。

 パァン! という破裂音。

 

「……何かに使えそうだな」

「私にはわからんが、有効利用できるなら頑張れ。折り方は後で祭唄(ジーベイ)様に」

「いや、覚えた。問題ない」

 

 そうだった。

 この人有能なんだった。

 

「んじゃ、用件は終わりだ。苦しい中呼び出してすまなかったな」

「……益はあった。だが……そういう、大勢に関わることをするなら、事前に言え」

「返す言葉はない。寝ろ、病人」

 

 ごもっとも、なんだよね。

 

 

 

 水銀が手に入った。

 

 その昔、黄州(オウシュウ)から辰砂を買った、赤州(チィシュウ)の駆け出し鍛冶師が、それを溶かそうと試みたのだそうで。当然有害極まりない水銀蒸気と亜硫酸ガスが出る。

 ちなみに黄州からしてみれば「何を当然のことを」という反応だったらしいんだけど、赤州はこれを黄州からの攻撃だと認識。

 そこから色々あって、色々な勘違いがあって、州同士の争いにまで発展して……大義名分というか勘違いした赤州が普通に悪いので、黄州は他の州の援助も受けてこれを征伐。それ以降、赤州は「火」では大口を叩くものの、「鉱石」では大口を叩けない、なんて言葉が出回るほど赤州の旗色が悪くなった時期があった……とかなんとか。

 歴史に対する興味が根本的に欠けている私に対してそういう昔話をするのはちょっと……なんだけど、「そういう経緯で辰砂についての危険性と、そして利便性が示されて、こうして水銀がいつでも手に入るようになったんだよ」って金属管理のおじさん貴族に渡された。

 正確には私が金属の管理倉庫で水銀を見つけ、「え、水銀!?」って大声で言っちゃって、そうしたら歴史を説かれて危険性を説明された後、少しだけ分けてくれた、って流れなんだけど。

 

 水銀。

 これは、楽しいものである。危ないけど。

 

 ……久しぶりに重心玩具が作れるな。

 

 まず、ピーナッツ型の容器を用意します。容器の製作は頑張ります。……割と本気で、左右対称でくびれがあればいいので頑張って作図すればいける。

 木製の容器に水銀を入れ、防腐剤で固めて、漏れを防止。これで漏れるようなら輝術の力を借りる。

 

 外側の人形は……正直こっちの方が面倒だった。腕、脚、頭、そして臀部あたりから伸ばす支柱。

 ピーナッツ型容器を人形に組み込む必要があるため、容器自体も小さめにして、各パーツも今まで作って来たどの木彫りより細かく調整。

 両手パーツ、支柱パーツが地面に着いた時、脚が浮くように。両足パーツ、支柱パーツが地面に着いている時は両手パーツが浮くように。ただし浮かし過ぎると勢いが付きすぎて倒れちゃうので、ほんとミリ単位で微調整。直立姿勢時は背面に倒れるような調整をして……という、調整と調整に調整を調整して作り上げたるは。

 

「へぇ~! 凄い、輝術使ってないのに動いてる!」

「久しぶりに苦労した。流石にそろそろ職人を名乗れる」

 

 ぎこちなさは当然あるにしても、専用の階段をバク転しながら降りていく宦官人形の完成である。

 仕組み自体は単純だ。ピーナッツ型容器の中で水銀が流動的に動き、重心が頭と尻をいったりきたりするだけ。量産は……厳しい。これ専用の職人が欲しいくらい。

 

 背面から階段を転がり落ちる様は、とても危なっかしく、けれど止まることも倒れることもない。

 階段の続く限り、転がり落ち続ける。

 

「……脚は、流石にまだか」

「え? あ、脚ね。うーん、まだ無理かな」

 

 今遊びに……もとい仕事をしに来ているのは夜雀(イェチュェ)さん。両足を骨折しているため、まだ車椅子に乗っている。

 ……なんでも私の知らないところで夜雀さんを解雇……というか一度青宮城を降りて、完治してからもう一度にした方がいい、なんて話が出ていたらしいのだけど、祭唄(ジーベイ)さんの「今人員配置を変えるのは悪手。また成りすまし騒ぎになったら、今度こそ私達要人護衛の信用度が地に落ちる」の鶴の一声があってナシになったとか。

 私としては……まぁ、本人の望むままにさせてやればいい、という気持ち。

 そこまで気を遣われていると、夜雀さん自身もやりづらいだろうし。車椅子じゃ戦えないだろうし。……仕込み車椅子とかにすればいいかもだけど、私にそんな技術はない。

 

「夜雀さんの懐の……それは、何かの文か?」

「これ? これは姐姐(ジェジェ)の文だよ。私が両足骨折した、っていうのがどっかからか漏れちゃったみたいでね~、祆蘭には読めないと思うけど、ほら」

 

 そう言って見せられた手紙には……いやもう、これでもか、ってほどの……超、長文が。

 姐姐。お姉さんだ。

 

「愛されてる……のか?」

「んー、内容は、もっと気を付けろとか、情けないとか、やっぱり私は要人護衛になんか入るべきじゃなかったとか……厳しい言葉ばっかり」

「あ、いや……でもそれは」

「うん、わかってる。私のことを大事に想ってくれてる証拠だよね~。姐姐、面と向かってだと絶対にそういうこと言わないけど、こういう文章から伝わるんだよね」

 

 ……うん。それは絶対愛されている。

 というか、「そんな危ない仕事やめて家に帰って来なさい」みたいな空気を感じる。

 

「姉妹か。……どういう感じだ、姉妹というのは」

 

 前世でもいなかったからな、姉妹兄弟。一人っ子だった。

 気になる。

 

「どういう感じって言われても……。優しくて、頼りになって……ちょっとだけ、嫉妬の対象?」

「夜雀さんから嫉妬なんて言葉が出てくるとは思わなかった」

「ぶー、それどういう意味? 私だってするよ、嫉妬。祭唄にもよくしてるし、小祆にもする」

「まぁ、祭唄様は凄いからな……色々」

「小祆だってそうだよ。私が小祆くらいの歳の頃は、お稽古やだなぁ、お着物重いなぁ、男の子たちみたいに走り回りたいなぁ、くらいしか思ってなかったもん。それが……青清君と対等に話し合えてて、度胸も有って……他にもいろいろあるけど、正直羨ましいって思うことは何度かあったよ~」

 

 ……そういうものなのか。

 ってそうじゃなくて。

 

「えーと、で、姉妹というのは」

「え? あぁ。……でもさっき言った通りだよ。優しいことは優しいし、頼りになるの。私ね、末っ子なんだ。三姉妹の一番下。だから余計に嫉妬が強いんだと思う」

「男児がいないというのは珍しいな」

「まぁね。だけど、前も言った通り最下級貴族だから、嫁いでくれる人なんかいなかっただろうし、これで良かったと思うよ。大姐(ダァジェ)は輝霊院で輝術師筆頭! 二姐(エァジェ)雪妃(セツヒ)様の宮女! そして私は要人護衛で小祆の護衛! ね? 最下級貴族にしては、全員出世してるでしょ?」

「おー。……待て、今雪妃の宮女と言ったか?」

「うん。私が昔雨妃の宮女してたのも、それで無理矢理入れてもらったって部分があってねー」

 

 ……。

 あの二卵性双生児が違うなら。

 

「……夕燕(シーイェン)か」

「えっ!? 何で知ってるの!?」

「良く絡んでくる。あれで大姐ではないのか」

「あ……じゃあ、手紙に書かれてる、最近よく来る面白玩具ってもしかして祆蘭のことだったりして……」

「よーし良い度胸だあの腹黒宮女」

 

 本気で蓄音機作って恥かかせてやろうかアイツ。

 

「輝霊院にいるのは、何て名前なんだ?」

朝烏(チャオウー)。でも、名前で呼ばれることほとんどないんだって。副院長の方が多いって言ってたと思う」

「副院長って……出世し過ぎだろう。ああ……それで嫉妬か」

「わかってくれる?」

 

 まぁそこまでになるとなぁ。

 そりゃそーなるわ。

 

 しかし。

 

「綺麗な字だな。読めはしないが……」

「え?」

「ん? どうした?」

 

 ……え、これで汚い字ってことある?

 それとも印刷物……あ、輝絵の原理で文字書いてるとか?

 

「……小祆、ちょっと紙と筆ちょうだい」

「ああ、構わないが」

 

 渡す。

 受け取った夜雀さんは……サラサラ、と。

 

 機械的な文字を書き始めた。

 

 ……なんだそれ。

 

「どう? 私の字と姐姐の字、違う?」

「いや。……完全に同一だ」

「だよね、良かったぁ……。そんな所まで劣ってたらどうしようかと……」

 

 完全に同一だ。

 誰が書いたか、なんてわからない。筆跡鑑定に出しても分からないんじゃないか、これ。

 

 ……どういうことだ。

 姉妹だから? ……待て。

 

 進史さんがそのまま置いて行ってくれた青宮廷の全体図。そこから文字を探す。

 あった。何が書いてあるかは読めないが……達筆というより、まるで印刷したかのような文字。

 

 玻璃から貰った文を見る。

 これもだ。筆で描かれているのはわかるのに、文字がすべて機械的。フォントが定められているかのような文字列。

 

「すまない、夜雀様! 一瞬出てくる!」

「あ、うん。いってらっしゃい?」

 

 走り──鼠返しを昇って、書物庫へ。

 いつものおじさん貴族が何事か、という目でこっちを見て来るけれど、すぐに興味を失ってくれた。まぁ割といつものことだしな。

 

 それで、片っ端から書物を開いては閉じ、開いては閉じを繰り返す。

 

「なんだ、祆蘭。文字が読めるようになったのかね?」

「……これも。これも……どういうことだ。全て同じ? そんなことがあるのか? カッパンインサツはまだ出てきていないのに……!」

「む……今何と言った?」

「著者が同じ……ということもない。時代は……バラバラ。……いや、そうか」

 

 輝術インストールだから、か。

 だから文字に乱れが無い。……だとしても、じゃないか?

 

 だとしても、まぁ姉妹が同じなのはいい。同じ親からインストールされているのだから。

 けど、年代もジャンルも違う本の文字が、筆で書かれた文字が……全て同じ規格なのはどういう了見だ。

 

 ……文字は生き物だ。時が経つにつれ、形が変わる。

 この世界の文字は形こそアルファベットか記号っぽいけれど、発音は中国語っぽく、それでいてモーラ数、音節数が明らかに合っていない不思議な言葉。

 こんな不思議な言葉を、あらゆる人間が完璧に、一寸の狂いもなく機械的に書ける……ものなのか?

 

「っ、そうだ測量室! すまない、連傳(リィェンヂャン)様! その本──」

「わかったわかった、戻しておいてやるから騒々しくするな。……おい、というかどうやって昇って来たんだお前」

 

 二層にある測量室に入る。

 普通にいる貴族方々が一斉にこちらに目を向けた。が、一切気にせず……()()()()がされていそうなものを探す。

 

「……青清君のお気に入りが、何の用だ」

「ちょ、ちょっと待とうか棉圏(ミェンチュェン)! 彼女は祆蘭。ちゃんと名前がある」

「室長。名前があろうとなかろうと、青清君のお気に入りであろうとそうでなかろうと、礼儀というものが──」

「わかってる! わかってるから、ね? ただ……彼女のやることは黙認せよ、って青清君からお達しがあったよね? 忘れてない……よね?」

「……チッ」

「君の方が礼儀がなってないよ!?」

 

 なんか騒いでる測量室の皆さんには悪いけど……心臓の早鐘がうるさくて聞こえない。

 

 あった。測量時のものだろう、殴り書きの文字。

 

 ──機械的で、美しい、整った文字。

 その下に敷かれた二重下線は勢いがあるのに、文字だけが……あまりにも。

 

「起源……最初の輝術師は誰だ。そいつがすべての始まりで……今ある知識は、全てそいつから与えられた……」

 

 鳥籠。箱庭。

 ……おいおい。途端にSFになってきたぞ。

 というかキャパオーバーなんだって何度いったら……!

 

「っ、そうだ桃湯(タオタン)……」

「おい、入るのもいきなりで、出て行くのも無言か。……平民め、これだから」

「落ち着こう! 落ち着こうね!? 僕達やり方の部分で進史様にこっぴどく注意されたばかりだから! ね!? ね!?」

 

 どうすればいい。

 何をすれば……奴に連絡を取れる。桃湯。あるいは玻璃。どちらかに問わなければ。

 

 ──また、飛び降りるか?

 

「……」

 

 飛──。

 

「何してる? ……さっきから見てたけど、祆蘭、おかしい。落ち着いて」

「……祭唄様」

「落ち着いて。何を焦っているのかはわからないけれど……祆蘭なら、落ち着いて考えればいい。あなたは頭がいい」

 

 既のことで止められた。

 そう、だ。落ち着け。フラットに考えろ推理素人。

 仮にそうだったとしてなんだ。私にできることなんかないし、それで何か害を受けるわけでもない。

 

「……。祭唄様、この紙に、私の名前を書いてくれないか」

「? いいけど」

 

 サラサラと。

 まるで手だけが機械的な……プログラムで動いているんじゃないかってほど正確に文字を刻む。

 祆蘭。こっちの世界の文字だと、列車の連結部みたいなマーク、三回捩れた輪、下向きの星型を二重線が隔てているマーク。

 

「これで祆蘭。良い名前」

「そうか。じゃあ……書く」

 

 できるだけ同じになるように、そのマークを下に模写する。

 多少の歪みは出てしまうけれど、ほぼほぼ一致しているはずだ。

 

「……? これだと、最初の文字しか読めない。無理矢理読むと、シェイラになる」

「読めないのか。文字が汚いとかではなく」

「うん。文字が汚いっていうのは、こういうこと」

 

 もう一度同じマークを書く祭唄さん。

 何が違うのかわからない。

 

「何が……違う?」

「こことか、ここの線が、少し太い。これは汚い。報告書とかには使えない」

「私の文字は」

「……頑張ってるのかもしれないけど、読めない」

 

 違う。

 多分、「認識できない」んだ。

 文字として()()()()()()。完全に規格通りか、誤差レベルのズレじゃないと……わからない。

 

 輝術師とは……。

 いや、貴族とは。

 

「祆蘭、体調悪い? 顔が青白い」

「青清君……は、今は無理か。進史様も……ダメだ。誰か……頼れる人は」

「……私じゃ、だめなんだ」

「う。……あ、……ああ、すまない。祭唄様にはわからない話だから」

「そっか」

 

 しょんぼりしてしまった祭唄さん。

 ……そうだ、水生(チーシン)に帰れば。

 どうやって?

 

「いや、だから、落ち着け私。それがわかっても何もできないだろう。それを理解して私に何がある。……何もしなくても害はない。……そうだ、私は何もできないのだから、何を考えた所で」

 

 ──音。

 顔を上げる。

 

「祆蘭、大丈夫?」

「ああ。割り切れた。……すまない、取り乱した。……測量室と書物庫に謝罪しに行かなければ」

「私がしておく。祆蘭、割り切れた、って言いながら……まだ顔色悪い。戻って休んで」

「……すまん。そうさせてもらう」

「うん」

 

 そうして、一層に降ろされて。

 部屋の前まで来て……「寝る前に厠へ行きたい」と言う。

 あまりにも古典的なソレに、けれど本気で心配してくれている祭唄さんは「わかった」と言ってくれた。

 

 わからない。彼女がどこまで察しているのかはわからない。

 だけど。

 

 厠についている窓。その中心で窓を支える撑木(チェンバン)を取り外し──外に落ちる。

 

 フリーフォール、ではない。

 抱き留める存在がいた。

 

「ふふ、珍しく随分と憔悴しているようね」

「ああ……。正直、お前の弓が聞こえた時……心から、安堵した」

「あら素直。……それで? あの方のところへ行きたい、という話で合っているかしら」

「会えるなら、会いたい。無理なら……お前に聞く」

「私はもう輝術を使うことができないから、聞くにしてももう少し近づかないと無理。どうする? このまま私と逢引きするか、黄州のあの方のところまで小旅行をするか」

「……わからん。どちらの方が……正しい? 玻璃は楽土より帰りし神子とはいえ、輝術師だ。加えて盲目。……であれば、お前の方が詳しいんじゃないか」

「何について?」

「この世界の……ああ、そうか。……天染峰(テンセンフォン)の成り立ちについて」

 

 そうだ。あの言い回し。

 じゃあ、進史さんは、知ってたのか。

 

 ……どの道病人。無理はさせられない。

 

「それを教えてあげたら、あなたは鬼子母神(グゥイズームーシェン)になると言ってくれるの?」

「……狡いぞ、それは」

「鬼ですもの」

「あー……正直に言う。"どちらが閉じ込められたのか"までは辿り着いていたんだ。だが……ここまでとは思わなくて、少し……怖くなった」

「へぇ、凄い。そこまでわかっているのは……人間には今のところいないでしょうね。少し前まで一人いたんだけど」

今潮(ジンチャオ)だろう」

「ええ。まともに話の通じる鬼が出てきたのはこちらとしてはありがたいことだった」

 

 あくまで私と玻璃は鬼扱いか。

 なんでもいいけど。

 

「桃湯」

「なにかしら」

「教える、教えないは抜きにして……少し、外の空気を吸いたい。あの城にずっと籠っていたからわからなかったが……この世界は広いのだろう」

「いいえ、ずっとずっと、ずーっと狭いのよ」

「……そういう話をしているわけじゃない。……頼む」

「はいはい。いずれ私達の神となるお姫様は、我儘お姫様ねぇ」

 

 すまん。

 気分転換が、したい。

 

 

 

 海に来た。

 浜辺。

 人っ子一人いないそこ。

 

「……船。……で、死ぬ人間は、どれくらいいるんだ。幽鬼は……泳げるのか?」

「見たい?」

「……ああ」

 

 桃湯が弓を奏でる。

 すると……海に、穴が開いた。そしてその穴の上へと、桃湯が私を抱え、飛び立つ。

 

 眼下。

 

「……!」

「あれ、全部幽鬼よ。ふふ、海藻みたいでしょう」

 

 海底まで通ずる穴。そこでゆらゆらと佇む──幽鬼幽鬼幽鬼幽鬼。

 

「害のない幽鬼だし、仮に害があっても浮上できないから、輝術師はこれを祓おうとはしない。そうやって蓄積されて行く幽鬼の中に、時折自我を保つ者がいて」

「一種類目の鬼……共食いの鬼になる、か」

「そう。そういうのは、浮上できるけれど……ま、基本は無いわね」

 

 海の穴が閉じる。

 今の一か所だけ、なんてことがあるはずがない。

 もっともっと。沢山の。

 

「ああでも、ある一定深度まで行くと、幽鬼も消えてしまうのよ」

「水圧で、か?」

「いいえ。輝術が使えなくなる深度と同じ。だから、高度もね」

 

 輝術。

 魂の。

 

「あいつらは平民なのか?」

「いいえ? 大体が漁に出た貴族よ。あなたの言う通り、平民は基本的に生死を割り切っているから、幽鬼になんてならないもの。ああ、あの寧暁(ニンシャォ)って幽鬼は別だけど。……その顔は、貴族が漁なんてするのか、という顔ね。……あのね、祆蘭。青州の貴族が青宮廷にだけいるわけがないでしょう? こういう辺境に住む武官からなる貴族も結構いるのよ」

「……そうか。青宮廷だけだとしたら……数が少なすぎるか」

「ええ、そう。あと、平民の中には自分に貴族の血が流れていると知らずに死んでいく没落貴族もいるみたいね。知識が与えられなければ、輝術の使い方なんてわからないでしょうし」

 

 知識が与えられなければ。

 ……思わず桃湯の顔……というか、脳を見る。

 

「なぁに、その顔は」

「いや。……なんでもない」

「そう? それじゃ、海の次はどこがいいかしら。山? 洞窟? 川? 沼?」

「山は山で、幽鬼がたくさんいそうだな」

「管理されていない山はそうね。あと沼の中にも結構いるわ。幽鬼がいない場所がいいなら、川かしら。川で死んだ貴族は一度は川で幽鬼となることもあるけれど、大抵流されて海に行くのよねぇ」

「水流で押し流されるのか、幽鬼。すり抜けそうなものだが」

「……あなた、結構、それなりに幽鬼を見てきた……でしょう? あれらがちゃんと障害物をよけるの、見ていないの?」

「だが、海底の幽鬼は圧し潰されていなかっただろう」

「あー……。圧し潰された結果、あんな海藻みたいになっているのかも? 私も別に幽鬼に詳しいってわけじゃないから……」

「そうなのか」

「そうなの」

 

 鬼と幽鬼は別物、だものな。

 ……。

 

 ……。

 

「お前でも、光閉峰(グァンビーフォン)は……越えられないか」

「ええ。けれど、鬼子母神がいれば、あるいは」

「やっぱりそういう意図か。玻璃の意図とは少し違うとは思っていたんだ、お前の目的」

「……まぁ、いずれ気付かれていたでしょうから、これは教えた事ではない、としましょう。……そうね。そう。私は……帝となって、人と鬼のどちらもを導く女帝になってほしい、なんて思っていない。人なんかどうでもいい。……あなたが鬼子母神になる時は、この世界に嫌気が差した時であるはずだから。……私は、その景色が見たい」

 

 謳う。謳うように語る。

 

「私達を閉じ込めるあの忌々しい空が割れて、私達を閉じ込めるあのおぞましい峰々が砕けて、私達を閉じ込めるあの苦痛を澱ませた水底が抜けて。……それでようやく、私達は外に出られる」

「玻璃は、できないのか」

「わからない。ただあの方には……それをする気力がない。目が見えないから、世界の狭さも広さもわからない、らしいわ」

「なるほどなぁ」

 

 そうして次第に、世界が閉じていく。

 太陽は峰々の背後に入り、不規則な影を地に落とし。

 やがて見えてくる月と星々は、こちらを見下すように輝く。

 

「……帰るか。大事になりそうだ」

「もうなっているでしょう」

「ああ、悪いことをしたよ」

「……助けるのは、あなたから贈り物を貰ってから、ということにしているけれど……」

 

 桃湯は……私の頭を撫でて、言う。

 

「耐えきれなくなってどうしようもなくなった、っていう時に頼るくらいは、別にいいから。いつでも逃げ出しなさい」

「……。お前、何歳だ?」

「さぁ? 死んだときは二十六だったけど、鬼になってからは……何歳かしらね」

「若いな……」

「九歳が何を……って、そっか。あなたは楽土より帰りし鬼だから……。ね、楽土では年齢を重ねられるの?」

「それを教えたら、この世界の成り立ちについて教えてくれるか」

「……じゃ、興味ないわ。さて、音に乗せてあなたを送り届けるから、言い訳とかは全部自分でやってね」

「もちろんだ。お前の名前は出さないよ。鬼に攫われた、とは言うかもしれんが」

「別に、元から嫌われ者ですもの。好きに使いなさい」

 

 ……ああ。

 助かった。少し……落ち着いた。

 

「ありがとう、桃湯」

「……いつもそうなら可愛いのに」

「褒め言葉として解釈する」

「そういうところが可愛くないって……」

 

 わかってるわかってる。

 本当に助かったよ、ありがとうな。

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