女帝からは逃げないと。 作:霧江牡丹
袖を合わせ、顔を伏せ。
その場に──入る。
「
青清君の声色から伝わってくるのは……緊張?
緊張なんてするのか、この人。
「おお、そうか。いや、母があの鎮魂水槽を毎夜のように眺めては、何かに思いを馳せているようでな。ああも感情的な母を見るのは十数年ぶりのこと。直接の礼と、何か褒美を取らせたいと思っていたところよ」
「……」
「して、細工師よ。何か望みはあるか? 発言を許す。なんでも申してみよ」
「……」
「
「……。……帝、陽弥様。あなた様の母御……
青清君も
定型文ではダメだと。教えた言葉では見抜かれると。
だから、お前の考えつく限りの丁寧語を使え、と。それが無礼となっても不敬となっても。
「母に? ふむ……理由を申してみよ、細工師」
「問うべきことがあるゆえでございます」
「して、その問うべきこととはなんだ」
私は、私を曲げるつもりは無い。
「
肌の粟立つ感覚があった。
大気中の水分が凍り付いたかのような、首筋にナイフを添えられたかのような感覚。
竹簾の奥。帝より──背後にいる者。
「鬼子母神? 聞かぬ名だが、それを母に問いたいと?」
「それは答えと受け取るが──構わないな?」
帝を完全に無視した言葉。そして、丁寧語でも敬語でもない粗雑な言葉。
恐らくほぼ同時。青清君と帝が「何を」という問いをしようと口を開いたその瞬間。
「陽弥。そのおなごだけを、こちらに。州君と会うつもりはありません」
「……母よ。それは」
「お願いします、陽弥。これは……私の、過去に纏わる話です」
「!」
乾ききった口から出るような音。二の句が継げぬ音。
けれど……竹簾の向こう側にいる帝と、そのさらに奥にいる「彼女」は、やはり事情を知っている。
「──よかろう。細工師、お前の望みを通す」
竹簾が持ち上がる。そこを通れ、ということか。
……さて。鬼は出たが、蛇はまだだ。
其は何者か──。
そこには、光しかなかった。
あり得ない。今私は、竹簾を潜っただけだ。
前兆など欠片も無かったし、外側から玻璃の姿はシルエット程度でも見えていた。
だけど、ここは……まるで別の世界だ。
「まず、名を。敬意は不要です。──楽土より
「祆蘭だ。そして、神子である自覚などないよ、鬼子母神」
「……そうですか。では、私はあなたを祆蘭と、そう呼びます」
「なら私はお前を玻璃と呼ぼう。これで対等だ。気を悪くするな」
玉座にも見えるそれに座った女性。
顔布で顔は見えない。膝の上で合わさっている手は……綺麗なまま。帝の年齢を考えても、あり得ない程に若い。
「問う。お前は今も鬼か?」
「いいえ。そして……私が鬼であったことは、一度もありません」
「なるほど。つまり、騙くらかしていたわけだ。輝術師の身でありながら、古の鬼共を全て」
「それは……少し、悪意的な表現ですね。より精確な言葉を使うのならば、古の鬼達は全て元より私の手の者である、というべきです」
……私の頭は良くない。
だけど、思考は止まらない。聞いた事実を考え続ける。続けてしまう。
「鬼と輝術師の違いが分からない。死を境界に使ったその二存在は、その実同一存在に思えてならない。……いや、鬼が輝術を厭う理由がただただ受け入れられぬものである、拒絶反応である、というのなら」
痛い、と言っていた。
なぜか痛いと。理由はわからないと。
「あなたが私に問いたいことは、本当にそれですか? 輝術師と鬼の関係性など……あなたがその一生を終えるまでに辿り着き得る真実に思えますが」
「いや、すまない。性分でな。一度考え出すと止まらないだけだ。ああ、お前の言う通りだ」
フラットにいこう。
難しい話はしない。私は私の問うべきことを問う。
「楽土とは、どんなところだった?」
「……そうですね。豊かなところでした。欲したものはすべて手に入り、思い描いたものはなんでも実現できる」
「今は違うとでも? 政から身を引いたとはいえ、帝はあれほどの母親好きだ。望めば意のままだろう、この国など」
「彼が……陽弥が私を気に掛けてくれるのは、母だから、ではありませんよ。ただ私の境遇を不憫に思ってこそ」
「それは、お前と帝の血が繋がっていないことに関係しているか?」
「……!」
初めて動揺が見て取れた。
ま、これは単純な疑問だ。
帝の母親の話はいくらでも出て来るのに、父親の話が一切出てこない。早死にしたという話も無い。
そして、そもそも神子は州君として育て上げられ、世俗から隔離される、という話なのに、玻璃が中央にいる事実。
過去、州君が帝と争い、その座を奪った事実。
「今の帝は、お前の養子だろう。それで、お前は元々どこの州君だ。……いや、符合を考えれば……青州か緑州だな?」
「ふふふ。今の言葉は、凡そ九割が憶測ですね。証拠も確信もなく、けれど根拠なき自信に胸を張る才。あなたの特筆すべき部分は知識や魂の在り方ではなく、そこでしょう」
「褒められていると解釈する。そして、今の問いが合っているかどうかにはあまり興味がない。問いは先ほどのものだけだ。楽土とはどんなところだったのか。……いいや、回りくどいな」
光り輝く部屋で、玻璃を正眼に捉える。
「楽土は、この世界ではない。そうだな?」
「ええ。私のいた楽土はこの世界のものではありませんでした。ですが……あなたのいた楽土とも違うように思います」
「ああ、私もそう思う。私の楽土出身であれば、鎮魂水槽に思いを馳せるなど……まぁいないと言い切ると少々角が立つが、どうにも考えられんしな」
地球文化に思いを馳せた、にしてはこの世界の文化が地球に似すぎている。
その上でオイルタイマーにそこまで大きな感情を抱く地球人が果たしてどれほどいるだろうか。いや綺麗だとは思うけど。
「鎮魂水槽。あれの正式な名はどういうものですか?」
「オイルタイマー」
「……ふふ。やはり違いますね。今の言葉を聞いても、上手く発音できる気がしません。……ああ、だからあなたの言葉はとてもたどたどしいのですね。言語体系の違いと、貴族の血が流れなかったこと。さぞ苦しめられたことでしょう」
「ふん、その程度を苦に思うようなら、生まれ直した時点で死を選んでいるさ。むしろ平民で良かったよ。時間が有り余っていて、言葉が下手でも咎められない。おかげで趣味に九年の全てを費やせた」
「そうですか。あなたは、強いですね。……私はあなたほど強くはありませんでした。他と隔絶した輝術の才に、尊ばれるような生まれ。ですが……私の世界には、光が無かった」
顔布を外す玻璃。
その顔は端正で、少しだけ桃湯を彷彿とさせる美形。
けれど彼女の双眸は、固く閉じられている。
「……盲目か」
「はい。楽土では見えていましたが、この世界に生まれ直してからは、何も。ただ……輝術の光だけがはっきりと見える。どうなのですか、この世界は。美しいのですか?」
「さてな。どこにでもある普通の世界だろうよ。しかしお前、目が見えぬのに、どうして鎮魂水槽に興味を示せた?」
「私が見得るものが、輝術の光だけではないゆえです」
「というと?」
「……今も、目の前にいるあなたが。強く強く、目の見えぬ私が目を細めてしまうくらい、強く。明るく輝いて、揺らめいて見えます」
「だがそれは、輝術が魂と根源を同一としているからだろう?」
「そして、あなたの作り上げた鎮魂水槽も。あなたが住まう青州、その青宮城のある場所も。まるで空に輝く星々や、海面を煌かせる陽の光が如く、美しき光に見える」
……ああ。
そういうことか。
「感情を込めて作ったものには、魂が宿る、なんて話が私の楽土にはあったが……それと同じことか」
「はい。この世界では、それが顕著であるようです」
言葉を紡ぐ。
頭を通り抜けない言葉。
「鬼と共に居たのは、彼らの姿をはっきりと視認できるから、だな?」
「……あなたは予感や直感、そして己の感性を酷く重要視するのですね。……ええ、そうです。鬼や高位の輝術師は、その身体は疎か、表情までもがはっきりと見えます。ふふ、あなたほどになると、眩しすぎて逆に何も見えないのですが……」
「孤独か? 玻璃」
口を突いて出る。
思考がそのまま言葉になっているようだ。考えたことがそのまま、吟味を通さずに口を出る。
あまりよろしくない傾向だ。隠し事ができない。
「孤独……ですか?」
「ああ。暗闇の世界。鬼くらいしかまともに見えず、人間たちのほとんどは透明。月明りも星明りもない、ずっとずっと夜である世界。それは孤独かと聞いている」
「……はい。孤独ですね。……私を気に掛けてくれる陽弥の顔もわからないこの世界は……孤独です」
「そうか。ならば、取引をしよう」
「取引ですか?」
私は何者にも手を差し伸べることのできるような聖人ではない。
けれど、まぁ、目が見えずに困っている人間がいたのなら、手を引き、道を示してやることくらいはできる。
「先程お前は、本当に聞きたいことはそれか、と私に問うたな。……確かに一番に聞きたいことはあの問いではなかったが、一番でなければ問いたいことはこれでもかというほどにある。……いいか、玻璃。私は無学であり、無知だ。だがお前の世界を照らすことができる。ゆえに──教えろ。お前の知る全てを。お前が秘す全てを。代わりに私は、お前の世界を光で満たしてやる」
「……あなたは確かに無学で、無知かもしれません。あなたの言葉は甘美で、あなたの提案は……私から願い出たいくらい、嬉しいものです。でも」
「もっと周りを見てやれ、とでも言いたいのだろう? 特に青清君を気に掛けてやれと」
「わかっていて、
「覗き見とは悪趣味……だと思ったが、違うな。さてはお前、今でも鬼と繋がっているな? ……具体的には、遠くに声を届けられる術を持つ
「あの子は、優しい子ですから」
「お前が根本的に人間の味方ではない、ということは理解した。私もそうであるつもりはないが、帝は咎めないのか?」
「拍車をかけている、といえば伝わりますか?」
「……ああ、盲目で、時折何もない虚空へと語り掛ける養母。成程、心優しい帝であれば、誰よりも何よりも優先しないはずがない。……存外最低だな、お前」
「先ほどから、少しばかり悪意的な表現を多用するように思います。私はあの子に報いたいと思っていますし、あの子も私をどうにか救いたいと考えている。相思相愛とは、まさにこのことでしょう?」
「相互監視の間違いじゃないか? ただ……優しいだけで帝を続けられるものかね」
さっきから引っかかっているのはそこだ。そうだ。私は引っかかっている。
完全なイメージだけど、宮中とか大奥とか、お貴族様だの豪族だの後宮だのの中で、帝、殿、といった権謀術数渦巻く閉鎖空間における中心人物が、「ただ心優しいだけの者」である可能性がどれほどあるか。
他者に対する審美眼。害を遠ざける危機管理能力。州君たちのと絶妙なバランスを保ちつつ、平定の世を維持する手腕。
玻璃が盲目である以上、政へは大して干渉できないはずだ。ある意味、私と同じで文字が読めないのだから。
報告書、資料、あるいは密告文。
それだけじゃない。世界が暗闇であるのなら、盤面整理も難しいだろう。
であれば、やはり。
「確認する。ここでの会話は外に漏れていない。そうだな?」
「ええ。楽土に関する話は、秘されるべきものでしょうから」
「ならば、聞かせろ。お前の目的はなんだ。鬼を利用し、鬼と通じ、何をしようとしている?」
「……桃湯から、何も聞いていないのですか? 全てを話したと、あの子は言っていましたが」
「鬼子母神になれ、と言われた。だが、鬼子母神の名は知らぬと言っていた」
「桃湯は賢い子ですからね。何かを画策していたあなたに全てを話すより、私が直に話をした方が良いと考えたのでしょう。そして、あの子の言葉は本当ですよ。そのままに」
……。
……?
「まさかとは思うが……継げ、と?」
「はい。楽土より帰りし神子。楽土より帰りし鬼。そして、幽鬼を慈しむ心の持ち主で、輝術を使わずとも"世の理"を魅せる者。私では足りなかった……足り得なかったその座も、あなたであれば夢ではありません」
「器じゃない。私は……どこかの田舎で工作をしていられたら、それでいい。その程度の人間だ」
「私の世界を照らしてくださるのに、ですか?」
「孤独を苦しむお前と知識を欲す私の目的が合致しただけだ。お前を救いたいから、という理由ではない」
「であれば、尚更に平等でしょう。あなたは州を贔屓しない。あなたは種族を贔屓しない。ただただ対等に、取引相手……同じ存在であるとして扱う。……陽弥が妃を取れば、かならずどこかの州の声が大きくなります。それは争いの火種を生み、この平定たる世を踏みにじるでしょう」
「帝に報いたい、と言っていたのは虚言か?」
「私が州君であり、帝の座を奪った。その私があの子を養子にしてしまっていたから、あの子は帝となった。報いとは何か、など人それぞれでしょうが、私にとっての報いとは、あなたの在り方と同じ。どこかの田舎で慎ましく生活できたら、それでいい。──私は陽弥を、その報いに巻き込もうと考えています」
「……酷い母親もいたものだ。子の意見は無視か」
「子が何を企んでいようと、私は母ですので」
フラットに行け。惑わされるな。
考えれば考えるほどドツボに嵌る。
「私の今の所属は青州だ。その私がお前の跡を継げば、当然青州が声を大きくする」
「けれど、たった一年の契約なのでしょう? 一年後、あなたは自由の身となる。その時でも構いませんよ。……私にとっては、今更、一年も十年もそう大して変わりませんから」
「鬼子母神を継いでも、私は輝術が使えない。州君共に目の敵にされて殺されるが関の山だろう」
「鬼を統制した、という功績。及び鬼を従えた、という事実。並びにあなたが神子であることを明かせば、州君とて頭を下げざるを得ないでしょう。そこには青清君も含まれます。いえ、むしろ青清君は鬼と共にあなたの力となってくれるやもしれませんね」
よし。
無理だな。口で勝てなさそうだ。
ここは逃げ──。
「逃げられませんよ。この世界には囲いがありますので」
「……
「いいえ。あれは私達のような神子を逃さぬようにするための鳥籠でしょうね。……そして、知識の統制。ふふ、そんなことにまで辿り着いていたことには驚きですが、これも私の仕業ではありません。もっともっと根深い問題です。私達の話が矮小に思えるほど、深く、大きな問題」
「神とは何者だ」
「……あなたは段階を踏み越えるくせがありますね。どうしてその疑問に至ったのか、言葉にできますか?」
「鬼子母神。神子。纏わる単語がこれほど出ているくせに、肝心の神の姿がどこにもない。鬼子母神はただの通称だと聞いている」
だから、いるはずなのだ。
神とやら。この世界を閉じ、情報を統制した、この世界をちっぽけだと言う神とやらが。
……待てよ?
それらすべてが神の仕業で、輝術や鬼そのものが魂由来なのだとしたら……神の入る余地など、一つしかないじゃないか。
「穢れ、か」
「称賛を。ええ、そうです。鬼とはその信念が神に見初められた死者。故にその身には穢れがある。同時に穢れは輝術や魂に弱い。神が嫌がるからです。嫌で嫌で仕方がないから閉じ込めたソレが、己の見初めた存在に手を伸ばすことに、耐えられない」
「つまり、最終的なお前の目的は、神殺し、ないしはこの世界から神なる者の干渉を取り除くこと、で合っているか?」
「ええ。良い理解ですね」
「私が鬼子母神となり、この魂とやらを以て穢れを駆逐し……そうした上でヒトも鬼も援け、導く……女帝となれ、と」
「はい」
……。
うん。
「お断りだ。一年……そうだな。青清君との契約満了の後、私は雲隠れしよう。それまでに……そうだ。輝術の届かない海底か光閉峰の天辺か、あるいはその外側にまで行けるようなモノを作って、おさらばさせてもらう」
「たった一年で、この世界の歴史の全てを上回ると?」
「お生憎様、私のいた楽土では夜空の星々や、中天の月にまで手を掛けていた。雲より高い程度の峰を超えることくらいワケはない」
深海は難しいかもしれないが。
輝術を使わない、空を飛ぶもの。
──あるじゃないか。いっぱい。
私が再現できるかどうかは正直微妙だけど。
「楽しみにおりますよ、祆蘭。あなたの選択を」
「そうか。勝手にしていてくれ。そして、それはそれとして取引はどうする。応じるのか応じないのか、まだ返事を聞いていない」
「……桃湯を通じて、文を交わしましょう。ふふふ、私の楽土では文通というものをしなくなって久しかったものですから、今から楽しみです」
「一応聞くが、桃湯こそがお前の本当の娘、ということはないんだよな。少しばかり容姿が似ているように思うのだが」
「あら、そうなのですか? 私は……自分の容姿も桃湯の容姿も見たことが無いのでわかりませんが。……ただ、少なくとも私は誰とも番っていませんので、娘ではないことは確実ですね」
「そうか。……さて、そろそろ私は帰る。お前が帝を信じるのなら、私は疑ってかかる。どうも最近妙な事件が起こり続けているからな。半分くらい桃湯のせいだが」
「では……そうですね。忠告があります」
「桃湯は鬼で、私の味方ではない。そういう話だろう」
「ええ、あなたもまた、賢い人ですね」
でも、あの偽物騒ぎは桃湯の仕業じゃない。
まったく……神だの鬼だの人だの、流石は異世界だけど……なんというか、キャパオーバーだよ普通に。
歴史は嫌いだって言ってるだろ。誰の思惑がどうでこうでとか、知らん知らん知らん。
「ああ、最後に一つだけ」
「なんだ」
光り輝く部屋の中で──極光が集う。
青清君や進史さんのそれとは一線を画す光。
そこから、ふわり、と。
何かが出て来た。それは空中をふよふよ漂って、私のもとに来る。
「元結、というものをご存知ですか?」
「……髪を結ぶもの、であっているか? なんだ、くれるのか」
「ええ。私には見えませんが、あなたの髪は長いのでしょう? 桃湯から聞いた話だと、この世界には珍しい常盤色の瞳をしているとか。顔立ちも整っていて、だというのに風に吹かれる柳のような黒髪を無造作にまとめているのだけが勿体ないとぼやいておりましたよ」
「桃湯に顔立ちの整っている、なんて言われてもな……」
ワックスでもかけてるんじゃないかと思うほどの艶髪。長い睫毛。瞳の色は黄金のような琥珀。……幽鬼と鬼は、琥珀色か翡翠色の目しかないんだけど、これはなんかあるのかな。
赤い反物に身を包んで弓を弾くその様は、古代中華風異世界には申し訳ないけれど、和装美人、という感じだ。華美過ぎないというか煌びやか過ぎないというか、あれだけ鮮やかな赤色の反物なのに、それが目立たないというか。
あと、怖くない、というのも印象的だと思う。ほら、美人って「整い過ぎていて怖い」なんて表現をされることがあるけれど、桃湯はそれに当てはまらない。
むしろ親しみやすいというか……自然体? は、ちょっと違うな。それこそ柳のような、風に紛れて、けれど根はしっかりしているみたいな……。うーん、形容が難しい。
「あらあら。私からけしかけておいてなんですが、青清君も前途多難ですね」
「何の話だ……と、おい、この元結動くんだが」
「結んであげます。こうでもしないと、あなた持ち帰るだけ持ち帰って箪笥の奥にでもしまってしまいそうですから」
なぜわかった。
……意思を持っているかのような動きで、元結が髪に結ばれる。
まぁ長すぎて邪魔だったからありがたいと言えばありがたいか。
「……この元結、ここを出た後も動く、とか言わないよな」
「あなたの愛が籠れば、見えるようになりますから……動かせるかもしれませんね」
「成程。棚奥に突っ込んで、その引き出しだけ糊と粘土で固めておくよ」
「ええ、夜中、無理矢理でてきてあなたの髪を縛るでしょうから、問題ありませんよ」
それはもう呪いでは。
ホラーだよそれは。
「……名残惜しいですが、そろそろ戻らないと……二人とも心配してしまいますから」
「ああ。じゃあな、玻璃。次第に明るくなっていく世界を心待ちにしているといい」
「ええ。今度こそ、本当に楽しみにしております」
直後、パリン、という薄い硝子の割れるような音がして……私は、竹簾を潜った所にいた。
……どういう。輝術……か。今の、全部。
でも元結はある。
「ありがとう、陽弥、青州の州君。この世に生を受けて……初めて、充実した時間を過ごせました」
「母よ、そんなに気に入ったというのなら、その細工師を黄州に置くというのはどうだろうか」
「帝。──それは青州との戦争宣言と受け取るが、良いのか?」
「陽弥。母は満足しました。ふふ、それに……待つだけでは実らぬ果実、というものも存在するのです」
竹簾を出る。
そして、袖を合わせて顔を伏せ、青清君の隣にまで戻った。
「……!?」
「誰のものでもない果実には、紐でも巻いて、印をつけておくことをおすすめしますよ、青州の州君」
「……お、穏便に。穏便に。すまない青清君、お前がその細工師をそんなにも気に掛けていたとは知らなかった。取り上げよう、などという気はないのだ。悪かった。……だが、可能であるならば、またその細工師の細工を母に見せてやってほしい。私は母の笑う顔が見たいのだ。どうか、頼めぬだろうか」
「ダメだ。この娘は私のものだ」
「いや、だから、取り上げる気はないのだ。青清君、どうか気を鎮めてくれぬか」
「……ひと月に一つ。最大限の譲歩だ、帝」
「おお、ありがたい! 母も喜ぶだろう!」
「……もう帰る。帝、次、もしこの子を私から奪うような発言をすれば──」
「わかっている、わかっている。……はぁ、どうしてこう州君という奴は。
なんて帝の言葉を背に、むんずと腕を掴まれて帰路を辿る。
まるっきり自分の玩具が取り上げられそうになって怒ってる子供だな。
まぁ……目的の見えない帝や、見えているけれど到底受け入れられない玻璃よりかは、可愛く見えて来た。
さてはあんた、本当にただただ私というおもちゃ箱がどっかに行くのが怖いだけだな?
青宮城に帰ってきてすぐ、私は例のものの製作に取り掛かることにした。
まずは、板材……ではなく、原木の切り出しから。
DIYの範疇に無いことは重々承知だし、元来は熟練の職人が長い年月をかけて辿り着くものであることも知っている。
お琴、家にあったしな。
「じゃあ、頼む」
「任せて!」
元物置な自室を占領する巨大な原木。それが鋸などを使わずに、
滑らかな断面。琴の表面部分、底面部分の曲線も、流麗と表する以外の形容の見つからない美しさで剪断されている。さらに底面には繰り抜きまで行ってもらって、次は祭唄さん。
「それで、乾燥させればいい。合ってる?」
「ああ」
「わかった」
輝術による乾燥。割らないようにするため、細心の注意を払って行うそれに合わせて、刳り抜き部分に覚えている限りの模様を彫っていく。私の家にあったものはカクカクした模様だったので、それを忠実に。
あとは表面に鉋をかけて、つるっつるにして、上部の出来上がり。
今度は下部の……蓋って言えばいいのかな。さっき刳り抜いた底部の形に合うように板材を切り出して、微調整を加えながら、時には夜雀さんの斬撃も貰いながら調整していく。
「固定する」
「……いつ聞いても思うが、輝術のこの固定というものが一番わからん」
「固定は固定だけど」
接着剤、糊要らず。
説明が輝術寄り過ぎて半分くらいは理解できてないけど、絶対位置と相対位置を決めて固定するらしい。輝術って……。
焼きの作業。
ここも輝術に頼る。炎の扱いは
焼きが終わったら、
あとは器具・金具をまた輝術で加工してもらって。それを取りつけて……弦を張って、おしまい。
弾いてみる。
ぶょぁあん……という、凡そ琴ではない音がした。
「不思議な音色だね!」
「うん。聞いたことが無い」
「このような楽器は、見たことが無い。青清君の献上品として、相応しい」
「いや、普通に失敗だ。……見様見真似じゃ無理か……?」
記憶にある琴はもっと綺麗な音だった。
どこの工程をミスったのか。
……やっぱり本物が欲しいなぁ、楽器に関しては。
「これは琴という楽器なんだが、同じものを見た覚えはないか?」
「ないかなー」
「少なくとも俺は……知らない」
「……
「行くか、黒州」
ま、簡単に作れるものが対価になるなんて思っていなかったしな。
試行錯誤の日々だ。いいじゃないか、楽しいぞ。
青清君への献上品、文通で行う玻璃への贈り物、とは別に。
桃湯を完全な助っ人にするための作戦は、今始まりを迎えたのであった──。