女帝からは逃げないと。   作:霧江牡丹

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第十話「泥パック」

 雨霜宮(ユーシュァンキュウ)に着いた時、初めの調査時には感じなかった……異臭がした。

 だよなぁ、なんてどこか他人事になりつつも、そこへ入る。未だ無人の雨霜宮へ。

 

 無人のはずの、雨霜宮へ。

 

「うん? ──おお! 進史ではないか! どうしたどうした──こんなところへ手つきの者など連れて来て。無人の妃の宮で、幼子と睦み合う気か?」

「……劾瞬(フェァシュン)。……嘘だと言ってくれ。これは……ただの悪夢だと」

 

 大男。彼もまた、進史さんの。

 

「またケツを蹴り飛ばされたいか、()()。──よく見ろ、奴の口元を」

「ッ……!」

「ん、んーぐっ……ぷはぁ! ああいや、すまんすまん! 出て行けというのなら出て行くが、もう少しだけ待て。──今俺は食事中だからな!」

 

 赤。赤。赤。

 血だ。──血肉だ。

 

「この現状を見て何を迷っている、進史。早くアレの首を刎ね飛ばせ。それができるのは今あんたしかいないだろうが」

「く……クソ!!」

 

 お貴族様としてはあり得ない程に汚い言葉を吐いて──進史から風圧のようなものが飛ぶ。

 劾瞬に一直線に向かったソレは、けれど。

 

「おっと!」

 

 ──突然現れた虚ろな目の幽鬼によって、阻まれた。

 いや、幽鬼は……祓われたから、阻まれたというより、盾にされたというべきか。

 

「食事の作法に一番うるさかったのはお前だろう進史! まったく、無粋極まりない! ……そら、死して早々出番だぞ。俺がお前達を解放してやったんだ、他の者がお前達の同類となるまで、俺を守れ守れ!」

 

 もう疑いようは無い。決定的過ぎる言動。

 いや私は確信を持っていたんだけど、進史が揺れていたから……って、なんだコイツ。

 

 まだ動揺してるのか?

 ……。

 

「退け、意思奪われた幽鬼」

 

 前に出る。

 一歩、前に出る。

 

「む、なんだ? 俺は進史の手付きを奪うつもりは無いぞ。まぁ進史から鞍替えするというのなら、ハッハッハ、股がらせてやっても──」

 

 トンカチで側頭部をぶん殴る。

 ……止められたか。まぁ当然だな。

 

「……工具を他者に向けるな、危ないだろう。親の教育がなっていないとみた。どこの貴族だ、文句を言ってやる」

「生憎私は平民でな、最後に両親の顔を見たのは私が三つの時だ。ああ、死んだわけではない。出稼ぎに出て、そのまま帰ってこないだけだ」

「平民? なぜ平民が青宮廷にいる。進史、まさかお前、己の趣味だけで青宮廷の規則を破ったのか? それはいかんぞ!」

 

 止められたけど、掴まれたりはしていない。

 バックステップで距離を置き──もう一度殴り掛かる。止められる。

 

「というか、おおい、幽鬼たちよ! 何をしている! 俺は食事中だと言っただろう──この子供を引き離せ! 喧しくて食事に集中できないだろう!」

「微かでも、それを未練に思うなら。私の魂に触れろ、憐れなる者共。──()し世(くる)し世に見限りをつけるのは逃避ではなく自己防衛だ。それを手段にするのは以ての外だがな」

 

 虚ろなる幽鬼たちは……私に近づく。

 近づいて、そして……消えた。

 

「む……何をした。折角肉体から解放してやったというのに、まさか輝術で引き裂いたのか? おお、なんと可哀想な事をする」

「だから平民だと言っているだろう、鳥頭。いや猿頭か? なんでもいいが、そろそろ食う手を止めろ。大の男が女の乳房に噛みつく様など、子供に見せるな」

「勝手に俺の食事場に入って来たのはそちらだろう! はあ……まぁ、わかった、わかった。──そんなに死にたいのなら、許してやろう。俺は子供には優しいからな」

 

 拳。

 流石に早いな。避け切れる気がせん。

 トンカチも……間に合ったところで、それがどうした、だし。せめて鋸くらいは持ってくるべきだったか。

 

 ぞぶ、と。

 肉の断ち切れるような音が響いた。

 

「お……?」

 

 私の眼前三寸くらいのところにぶち当たって、そのままずるりと落ちる──劾瞬の腕。

 

 はぁ、ようやく再起動か。

 もっと早く割り切れないものかね。

 

「──劾瞬」

「お、おお。おおお。……酷いな進史! 俺の腕を斬り飛ばすとは!」

「お前、子供は苦手だと言っていただろう」

 

 ……え。

 あ、え?

 

 ──そっち?

 

「加えて、口では下世話なことばかり言うお前だが、その実女の裸を見ればすぐに頭に血を昇らせて倒れるような奴だった。──なぁ、劾瞬。お前は」

「待て、だとしたらマズい! 進史──輝霊院だ! 本物がいるとしたら、そ」

 

 タックルで進史さんを突き飛ばした次の瞬間、世界が閉じる。

 わからない。黒い幕のようなもの。……声が出ない。届いたか、私の声は。

 

 クソ、読み違えていた。やっぱり私は推理などできない。

 ……周遠さんも劾瞬さんも、偽物であるのなら。本人が豹変したのではないのなら。

 

 話が前提から覆る。

 

「ほう? 中々気骨のある娘だな。進史をこそ食いたかったが、逃がされたか。だが……お前はお前で、良い魂の色をしている。美味そうだな」

「ハ、人目が消えて取り繕うのをやめたか。……ん? 声、出るじゃないか。出せるようにしてくれたのか? ……しっかし、劾瞬を成りすまし先に選んだのは失敗だったな。毎度毎度大声を張り上げねばならず、苦労しただろう」

「おお、わかるか。輝霊院などという小難しい場所への潜伏を嫌ってこっちにしたが、いやはや、面倒なことこの上ない。この人間も、発話ごとに声を張るなど、気が触れているとしか思えんよ」

 

 正眼にトンカチを構える。

 けど……これは、流石に命数尽き果てたか。

 

 全然違った。

 私の読みは、「鬼になるための儀式」である、と踏んでいた。幽鬼たちの位置と、生霊の存在をなぜか知っていた者。

 これらを踏まえて「人が望んで鬼になるために必要な手順」がそれなのだと……勝手な先入観を走らせていた。

 

 でも、わかる。

 周遠がどうだったかはともかく、コイツは確実に鬼だ。いや、周遠も輝術を使わなかったあたり……。

 

「もしやとは思うが、先ほどから使っていたソレで俺と戦う気か?」

「馬鹿め。刹那の間ですら保つわけがないだろう。体格も膂力も天地の差だ。腕が一本無かろうが、反対の腕で殴れば事は済む。蛮勇に美しさなどない。踏み潰されるべき虫は抵抗の余地すらなく踏み潰されるべきだ」

「……まぁ、概ね同意するが、そこまで己を卑下しなくともいいだろうに。おかしな娘だな」

「だから、楽土の土産に一つだけ聞かせろ、鬼」

「時間稼ぎのつもりだろうが……まぁ、良い。付き合ってやろう。さっきも言ったが、俺は子供には優しいんだ」

「鬼が食うのは魂だと知り合いの鬼から聞いた。だが、お前は肉を食い、魂である幽鬼は放置した。──肉の方が美味いのか?」

「鬼に知り合いがいる、というのもおかしな話だが、お前、楽土の土産に聞く話がそれでいいのか……? まぁ肉を食うのは俺の趣味だ。他の鬼がそうであるとは……どうだろうな。そういう趣味の奴が全くいないとは言い切れん」

「そうか。であれば問題はない」

「よくわからんが、では死ね、娘」

 

 千切られていない腕による拳。

 先程よりも格段に速い。無理だな、避けるとかトンカチを間に合わせるとか、そういう次元に無い。

 

 ──だから、踏み込む。

 

「は!?」

「馬鹿なの!?」

 

 拳は……遮られた。

 音に。

 

「なんだ、遅かったじゃないか、桃湯(タオタン)。青清君の氷が冷たすぎたか?」

「あんなのすぐに抜け出したけれど……ねぇ、馬鹿なの? あなたって実は馬鹿なのでしょう?」

「誰だ。俺の術に介入するとは、無粋なやつめ。出て来い!」

「馬鹿はお前だ、桃湯。これでは私を守っているのと同然だぞ」

「だから、守ってるのよ。あなたには鬼子母神(グゥイズームーシェン)になってもらいたいのだから、守らないはずがないでしょう」

「ん? 鬼は一枚岩じゃないのか」

「そもそもが勘違い。──そいつ、鬼じゃないから」

 

 え。

 そこも違うの? いや……今日の私、全部だめだな。よく進史さんのケツ蹴り飛ばせたな。

 ……あ! そうじゃん、周遠さんには輝術による伝達が届いてたじゃん! ……え、じゃあアレは本物? いや、そもそも輝術による伝達って……相手が本物かどうか調べられるのか? 電話番号的な奴でかけているのか?

 というか苛立って進史さんの敬称飛ばしたけど良かったのかな。

 

 とか。

 雑念雑念雑念! 今考えても仕方ない! 悔いるのは後!

 

「前に話したでしょう。くだらない、俗な理由を持つ同胞の話」

「ああ」

「それと同じよ。なりかけの鬼。手法そのものは……遠回りが過ぎるとはいえ、悪くは無かったけれど」

「成りすましは? 成りすまされた人間がいるんだが」

「いるから、なに? 別にその人間を殺すかどこぞへなりと監禁しておいて、姿を変えればいいだけでしょう。そういうことに関してはむしろ鬼より輝術の方が向いていると思うのだけど」

 

 ……視覚効果は光、って?

 だからわかんないんだって。鬼に何ができて何ができなくて、輝術に何ができて何ができないのか、っていうの。

 誰か説明してくれ。額合わせインストール以外の教材無いのか!? ……いや書庫にあったな、読めないけどな!!

 

「ふむ、話を整理すると……この聞こえてくる声や、俺の拳を阻む音は……もしや、本物の鬼か?」

「ああ、私の従者だ」

「……いいの、それ。それだと本格的にあなたが鬼子母神であることになるけれど」

「山分け、なんだろう? あの宮殿にいた全員をそうだと認めなければ私は鬼子母神にはならん。だが、桃湯は私の従者だ。なぜなら私を守るからな」

「鬼子母神……? それは……鬼と、何か関係があるのか。よければ教えてはくれないものか、鬼の先達よ」

 

 じゃらん、と。

 弓が弾かれる。桃湯の溜息と共に。

 

 それだけだった。

 それだけで──劾瞬が、倒れる。あの生暖かい暴風が劾瞬から桃湯へと流れたのだ。

 

「あなたが私に贈ってくれた、木彫りの私。あれのお礼よ。──これからも私があなたを守ると思うのなら、それは間違い」

「おい、余計なことをしてくれたなお前。私を守らせながら奴から情報を聞きだすつもりだったのに、できなくなっただろうが」

「……。この輝術からも出してあげようと思ったけど、気が変わったわ。せいぜい迷いなさい。鬼子母神になることを頷いてくれたら、ここから出してあげる。それじゃ」

「あ、おい!」

 

 ……調子に乗り過ぎたか。

 まぁいい。追い払うために傲岸不遜に振る舞った節はあるしな。

 神子だの鬼子母神だの、担ぎ上げられる気はサラサラないんだ。双方共にお断り。互いの誘いの手がどうしようもなくなったら、私はトンカチと……鋸を両手に立ち向かって、敢え無く散る気だ。

 

 馴れ馴れしくしてくるな。私からは馴れ馴れしく話しかけるが。

 

「で」

 

 で、だ。

 どうやって出るんだこれ。輝術らしいけど……。

 劾瞬の身体……は、うわ。

 

 なんか剥がれて来た。……え、成りすましってそうやってやるの? 輝術でパパーン! じゃないの?

 これ……どちらかというと、粘土とか染料とかを使った特殊メイク……だな。

 

 ええい、死体解剖なんてそれこそ輝霊院にやらせればいい。私が分かることなんか何もない。

 それより出方だ出方。幽鬼……もいないし、食い散らかされていた女の死体も無い。まだ残っている者がいたけど、あれは生きているのか。それとも自我を奪われているのか。

 ……桃湯は「アプローチはいい」みたいなことは言っていた。だから、儀式である、というのは間違いじゃなかったんだろう。そして……進史さん含む輝術師が一向に助けに来ないことや、桃湯がせいぜい迷え、なんて言って来たあたり、輝術から少しだけ逸れた外法なのではないかと推測。だから最初に雨霜宮へ来た時進史さんも気付けなかったのだろう。

 

 ……雨妃も成りすましだ、とは……疑ってしまう自分がいるけれど。

 ここまで外しまくっていると、彼女はただただ優しいだけの人にも思えてくる。もうわからんわからん。

 

「というかここ、雨霜宮の中なのか? 全く別の場所に飛ばされている可能性は?」

 

 わざわざ声に出すのは、桃湯が音を届けることができたから。

 実は声通るんじゃないか説。……無さそう。

 私の言に従って進史さんが輝霊院を調べている最中だと仮定して……そして雨霜宮の中にまだいると仮定して。

 雨霜宮の中に黒い幕がある、って外部の人間が気付くのはいつになる。雨妃とその宮女は絶対に近づかないよう厳命されているだろうし、私と進史さんが調べるから、という理由で輝霊院も近づいてこない。そもそも輝霊院は成りすまし騒動で大慌てだろう。こっちへ目を向ける余裕はなさそう。

 

 つまるところ。

 

「おーい助けてくれ桃湯ー」

 

 ……。

 

「青清君ー」

 

 ……。

 

「……えーと、角栄(ジャオロン)ー、旧蓮(ジゥリェン)ー」

 

 ……。

 まずーい。

 

 今回護衛の人達は青宮城にいる。他、私の頼れる相手は。

 

 えっと。

 ……明未?

 

「鬼子母」

「なる?」

「神にはならないんだけど」

「あらそう」

 

 ……いるにはいる、んだよな。

 クソ、最悪のカードを切りやがって。自業自得だけど。

 

 手持ちの武装はトンカチのみ。釘の一本も持っていない。

 

 ──よし、フラットに行こう。

 考えても仕方ないなら、考えない。馬鹿の考え休むに似たりだ。

 

 打つ。

 打つ。

 床を、打つ。

 

「ええと……一応、何をしているのか聞こうかしら」

「私は床に立っている。この空間には床がある。壁もあるのかもしれんがむやみに動き回るのは下策。なら、とりあえずしっかりとした基盤である床をぶっ壊せば、なんとかなるんじゃないか、と思った次第だ」

「そう……これは独り言なのだけど、輝術に対して打撃を行っても何の意味もないのよね。これは独り言なのだけど」

「やっぱり優しいなお前」

「……呆れた。じゃあ私、もう行くから」

「待て待て待て待て」

 

 考えろ。考えろ私。

 フラットがダメならリセットするか?

 馬鹿の考え休むに似たりだが、馬鹿の一つ覚えともいうし。言うから何?

 

 ……いや、待てよ。

 

「そこが……偽劾瞬の倒れているところが、儀式の中心部であることに違いはないんだよな」

 

 返事はない。

 鬼になるための儀式、らしきもの。その紋様の中心部にいた劾瞬。

 あのまま……心臓を食らって行けば、鬼になれた、のか? それとも人間をたくさん集めて沢山殺して、自分が最後に死ねばいいのか?

 

 私がそこに行く……のは、なんだかマズい気がする。桃湯の思い通りな気がしてならない。

 

 今までの傾向から考えるか?

 この……私の工作に対して、妙に世界が呼応する現象について。こじつけ以外のなんでもないけど、バランスバードも水中花も、多分だけどおきあがりこぼしも……事件がそれと呼応していたように思え……なくも……なくもなくもなくも。

 

 なら、今回作ったモビールにも何か呼応がある、か?

 モビール。吊るされたオブジェ。複雑なバランスを取りながら、空気の揺れ程度でくるくる回ったりして面白いアート。

 

 現状は……規則的な幽鬼、というか生霊の配置と、わずかな揺れ程度では一切変わらない輝術と、まったく面白くない現状。

 

 ……吊るされた?

 そういえば……幽鬼は皆、塀の上や屋根の上にいた。私が印をつけた位置も、地図上ではわかりづらいけど、全て塀や他の宮の屋根の上ばかりだった。

 だから、紋様自体は二次元なんだけど、横から見ると少し浮いているはずなんだ。

 

 なぜ?

 どんな儀式を行うつもりだったにせよ、地面に接地していた方がやりやすくないか?

 

 それとも、あの高さでなければならない理由が。

 そう……そういえば、雨霜宮は……外の通路からも、屋根が見えるほど背の高い作りをしていて。

 だから。

 

 床をペタペタ触って、慎重に動く。

 そして……壁に辿り着く。

 ああ、やはり。真っ黒になっただけで部屋の構造は変わっていない。

 だとすると……こちらの壁を伝って行けば、多分この辺に。

 

「痛っ……こういう時に小指を強打するのやめろ、緊張感が削がれるだろうが……」

 

 なんてぶつくさ文句を言いつつ、見つけた階段を一段一段丁寧に登っていく。

 這うように、だ。耳を澄ませて音を拾いつつ、上がる。

 気配。……呼吸音。苦しそうな呼吸の音。

 

 階段を上がり切って……そこに。

 

「……意識があるなら、右手を動かせ。少しで良い。反応などほとんど期待していない」

 

 ピクリと動く右手。

 そうか。あるのか。

 

「お前が雨妃(ユーヒ)で相違ないか?」

 

 右手が動く。

 まぁ、実際美しいしな。これが妃というのも納得だ。

 

 であれば、避難しているという雨妃は。

 ……いや、進史さんを信じよう。あの時点での進史さんなら、全てを疑ってかかってくれるはずだ。

 

「呼吸が浅いが……外傷はないな。薬か毒……だが、死に至るものではない、か?」

 

 反応はない。わからないか。

 ……妙な、膨らみ。

 

「すまん、処罰なら受ける」

 

 雨妃を包む美しい反物。

 それを剥がして……剥がして。

 妙な膨らみのある場所を、露出させる。下腹部。

 

 そこに、まるでキノコでも生えているかのように育った……気色の悪い瘤。

 

「桃湯。これ、千切ったら死ぬか?」

「さぁ……? 私達も確かに輝術師だったけれど、全ての輝術を知っているわけではないし、況してや外法となると……判別に困るわ」

「そうか。まぁどの道だろう」

 

 トンカチの、くぎ抜きの部分をその瘤の付け根に宛がう。

 

「激痛だろうことは大前提として、これで死んだらすまん。幽鬼となりて私を恨みに来い。その摂理は受け入れる」

 

 ぴくりと。

 動く、右手。

 

 引き、千切る──。

 

 

 

 

 後日。

 私は──雨霜宮にいた。護衛も付けずに。

 

「……色々マズいだろう。しきたりだの習わしだの掟だの……お貴族様はきっちりしているべきじゃないのか」

「命の恩人を無下に卑しめることはできませんから。お茶菓子が口にあうと良いのですけれど」

 

 ──余韻とか、ハラハラとか、ドキドキとか。

 そういうのは無く、まぁ、正解だった、と。

 

 あの瘤を引き千切った瞬間、黒い世界はパチンと弾けた。そして、流石に無傷といかなかった雨妃の患部から血が溢れ始めたので、応急処置として彼女の反物を引き千切って止血。いや私の着物は調査で汚れている可能性が大きかったからな。傷口に毒を塗り込む趣味はない。

 そのままどうすることもできずに待っていたのだけど、容態の恢復し始めた雨妃が輝術を使ったようで、輝霊院……その中でも女性の精鋭部隊だという者達が雪崩れ込んできた。

 あとは彼女を引き渡し、そして気色の悪い瘤も引き渡して、私はお役御免。私の容姿や存在は進史さんを通して伝わっていたようで、特に何を疑われることも無かった。また、偽劾瞬が殺し損ねていた女たちも死してはいなかったようで、先に運び出されていたとかなんとか。今は医院で薬を抜いている最中らしい。

 

 偽劾瞬はすぐさま解剖へと送られその後は知れず、偽周遠は捕まった後舌を噛み千切って血と舌を喉に詰まらせ、窒息死。自決した。

 輝霊院の奥の部屋に本物の劾瞬さんと周遠さんは監禁されていて、けれど二人も薬を使われていたらしく、今も入院中。命に別状はないと進史さんは言っていたけれど、それが私を気遣っての言葉なのか、進史さん自身を奮い立たせるための言葉なのかはわからない。

 

 そして──偽雨妃は。

 

「また、難しいことを考えているのですか?」

「ん……ああ、まぁな。今回の事件は……少々思う所があった。いや少々どころではないが」

「……そうですね。私も……そうです」

 

 偽雨妃は、突然土塊となって崩壊したらしい。

 その土塊は偽劾瞬、偽周遠に施されていた特殊メイクと同質のものであり──土に秀でた州といえば、で。

 まぁ、調査は難航している。

 今回使われた外法の輝術に関しても同じ。アプローチの一切が掴めないようで、未だ何もわかっていない。

 被害者の数も多ければ、容疑者は全員死亡。使われた術も儀式も薬物も不明。まぁ薬物に関しては今抜いている最中なので、抜き終われば検査できるのだろうけど。

 

「……まぁ、なんだ。自信を失くした、とでも言えばいいか。……やはり私は無学で無知なのだと思い知らされたよ」

「今回の功労者であるのに、ですか?」

「当て推量の推理と妄想の域を出ない憶測で突っ込んだ結果、偶然敵の目論見と最終結論が合致してなんとかなった。それだけだ」

 

 そんな中で、使われていた薬の量が少なかったことと、腹部の傷が縫うほどのものではなかったことから他より早く退院した雨妃。

 彼女はあろうことか私を雨霜宮に呼び立て、しかも敬語ではない素の話し方で喋ってくれ、なんて言い出したのだ。

 ……そこから、数日ごとに呼び出しを食らっている。他愛のない話をすることもあれば、事件を思い出してしんみりすることもあるが、総じて最終結論は。

 

「でも、それでも。あなたがどう思っていようと……私を救い、雨霜宮を救い……果てには、無残にも利用された者達の幽鬼をも救ったことに変わりはありません」

「……娘にはならんぞ」

「ですから、私の娘になりませんか? ……あら、先に言われてしまいました」

 

 これなのだ。

 いやいやと。

 いやいやいやと。

 

 あんた、帝の子を受胎しなきゃいけないんだろ? 子がいちゃまずいんだろ?

 養子なら問題ありませんから!

 いやいやいやいやいやなんだよ。そういうこっちゃないんだよ。そもそも平民だしそもそも私がここにいるのがおかしいし、なんだよ。

 

 というかこれ最悪州君と妃がバチバチし合うっていう意味わからん展開になりかねん。

 早く飽きてくれないか。今だけ青清君の飽き性をこの人に移植できないか。

 

 なんというか。

 

「疲れたな、色々……休みたい」

「休暇、無いのですか? 青清君のお相手、というのは……」

「いや……ある。むしろあり過ぎる。いつもは暇で暇で仕方がないくらいだ。……だけど、仕事というか……仕事じゃない仕事が舞い込むと、それが必ず私の許容量を超過していて……疲れる」

「それでしたら……まぁ、子供の身である小祆(シャオシェン)におすすめするのは少しおかしな話ですが……私がいつも受けている按摩を受けてみる、というのはいかがでしょう」

「……按摩?」

「はい。日々の疲れを癒すために、全身を揉み解すのです。どうですか?」

 

 ……マッサージか。

 え。

 え、いや、ちょっと。

 ……超興味ある。ここ中国じゃないけど、あっちのマッサージって本格的ってイメージ強いし。

 それでいて平民の生まれだから、そんなもの受けたこと無かったし。青宮城でも……まぁ頼めばやってくれそうではあるけど、やってないし。

 

「痛い……奴か?」

「痛い方が気持ちいい、という方には痛くするそうですが、ただただ心地よい、という力加減にもしてくれますよ」

「……だが、いいのか? それ……妃だからこそ受けられる奴なんじゃ」

「私の命の恩人だというのに、あなたは私からのお礼をほとんど受け取ってくれないでしょう? これがお礼になるというのなら、雨妃の名のもとに命令してでもやらせます」

「そういうことをすると、帝からの心象が悪くなるんじゃないか?」

「あの方は子供に対して礼を尽くすことに怒るような方ではありませんから」

 

 そ……こまで言うなら。

 まぁ。

 なんだ。

 

「じゃあ、お言葉に甘えて……」

「はい! 少し待ってくださいね……今按摩師に伝達を入れました! ふふふ、嬉しいですね。ずっと心につっかえていたのです。あなたが……多分、本来はなんでもかんでも自分自身だけで完結してしまえる方ですから、私のような……立場だけが取り柄である者が、どう礼をしたらいいのか、と」

「そんな完璧超人じゃないと証明したはずなんだがな……」

「あれほどに秘された情報の中から、どんな経路を辿ったのだとしても、唯一の糸口である真相に辿り着いた。それは才であり、あなたの努力ですよ。何よりあなたは、私を含めた沢山の命を救ったのですから──もう少しだけ、誇りに思いなさいな。あなたが気付かなければ、青宮廷は大混乱に陥っていたかもしれないのですから」

 

 ……疑ったことを謝るよ、雨妃。

 あんたは良い人だ。ただの善人。

 

 ちなみに幽鬼を庇ったのは土塊の方だったらしいので、そこの評価はノーカウントとしても。

 

 もう少しだけ誇りに思え、ね。

 金言、余りある。

 

 

 尚。

 

「あらあらあらあら……こんなに小さいのに、肩も腕も腰も背中も……首も頭皮も、頬の筋肉まで……」

「足なんてほら、なんて固いのかしら。鍛えていると言っても、それ以上に疲労が溜まって溜まって……可哀想に」

「雨妃様があれほどまで言っていたから何事かと思ったけれど、これはあたしたち、本気の技を見せる時が来たようね」

 

 えー、古代中華っぽい異世界の、本格按摩。

 すんぎょいです。

 

「この……香……良いな。落ち着く……」

「これはね、黒州で採れた苹果(ピングァォ)って果物から作ってるの。鼻から匂いが抜けて、すっきりするでしょう?」

「ああ……身体に塗っている香油とは、別だよな……」

「こっちは緑州で売られている橘子(ジズィ)の香油ね。香りとしてはほとんどしないはずだけど、鼻が良いのね」

「生まれ故郷でな……椪柑を良く食べていたんだ。椪柑の果醤……離れてから然程経っていないのに、懐かしく思う……」

「へぇ、椪柑果醤! いいわねぇ、健康になれて美味しくて!」

「ああ……」

 

 ちょっと世間話の声が大き目なのが玉に瑕だけど、会話自体は好きなので面白い。

 そして気持ちいい。肉体的だけでなく、精神的な疲労も全てデトックスされていく感じがする。溶ける溶ける。

 

「ね、あなた。雨妃様を救ってくださった、って聞いたわ」

「ん……それは、まぁ……成り行きだ」

「それでも。──私達は皆、雨妃様に救われてるから……本当に感謝しているの。ありがとう」

「……これで推理が合っていればなぁ……素直に喜べたんだけど……」

 

 そこなんだよなぁ。

 いや、アプローチは良かった。けど結果的に劾瞬さんと周遠さんを疑いまくって、なんなら雨妃も疑っての……コレである。

 疑った相手が偽物だったからよかったものの、もし本物だったらと思うと。……いや本物じゃないって確信したから進史さんに「首を刎ねてください」って言ったんだけど。

 思えばアレも……なんか、ちょっと偉そうすぎじゃなかったか。証拠もないクセにさ……。

 

 あ゛ー……。

 きもちーけど……後悔残るなー……。

 

 ……進史さんに……謝らないと……。

 

 

「あら、寝ちゃっ……。嬉しいわぁ、そんなに……よかったのね」

「……らしい寝顔ね。……だもの、当然だけど……」

「雨妃様、苦しいでしょうね。……あの方の……妹……たら、歳の頃……しれないし」

 

 ……あのね、おばさん達。

 微睡みの中でも声って聞こえるんだよ。

 

 別に同情はしないけどさ。

 やめてくれ。気を遣うだろうが。

 

 ……水子供養、作るかね。

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