「は、ハトホルさま……ごめんなさい大丈夫ですかっ!?」
頬を抑えて倒れ込んだハトホルだったが、お面の上から発せられた声を聞いて、バッと顔を上げる。
声の主を察知するのに秒も要さず、彼女は冒険者顔負けの俊敏な動きで飛び上がった。
「おかえりベル」
その勢いのままに両手を広げ、驚きを露わにするベルの首にしがみつく。
「すみません……ちょっとダンジョンで死にかけちゃって……」
「そうなんだ。死んでたら一緒に天界に行くところだったね」
「……」
ハトホルは胸に安堵が広がったが、ベルはひくひくと頬を痙攣させた。笑えない。そんな呟きが聞こえてきそうだが、ハトホルは事実を述べたまでである。
そして笑えないと言うならば、ベルの姿も笑えなかった。無数の傷口は赤色に染まっており、身体中が
「あの、僕……」
「話は後でいいから治療しよう。こんな格好で、どうして徹夜ダンジョンなんてしていたのか、そりゃあ確かめないわけにはいかないけど、私のことは後回しで良いの」
ベルは防具は何も身につけていない。何を思ってこんな格好でダンジョンしたりしたのか、それを確かめるよりも休ませてあげるのが先決だった。
どんな理由があるにせよ愚行も愚行。
ベルがやったのはそういうことなのだが、咎めるまでもなく彼は反省している。目と表情を見ればわかる。じっと見つめると泣きそうな顔で目を逸らすし、自分がどれだけ馬鹿な真似をしたのかは自覚できているのだろう。
「私はとても心配した。今はこれだけで良いね?」
「はい……すみません、でした」
「うん。じゃあベッドに行くよ。治療して休まないと。そういえばその剣はどうしたの?」
「ああ、これは……」
移動する途中に尋ねてみたところ、護身用の短剣は壊れてしまったらしい。普段使っている
ベルの体を拭いたり包帯を巻いたりしながら、ハトホルは「んん?」と変な声を出した。
「アリーゼ? まさかとは思うけどアリーゼ・ローヴェル?」
「家名は知りませんけど……確かにアリーゼって言ってました。赤い髪で目の色はエメラルドだったんですけど、知ってるんですか?」
「んー……?」
んー、んー、と唸りながら少年を包帯だらけにして、ハトホルは寂しい胸に手をあてた。もしかしたらこの子は恐怖で頭がおかしくなったのかもしれない。そんな心配に囚われるもすぐに首をフルフルする。
無言で
紅の柄。刀身の大部分は焼け落ちたように変色しており、長らく手入れされていなかったのか、見るに堪えないほどひび割れていた。
「まず、どうしてそんな無茶をしたのか。話したい?」
「話さないといけないって思ってます……こんなことをしちゃった以上は」
「聞き方を変えよう。嫌なことがあってヤケクソになってしまった。ただし、今すぐ対処が必要なトラブルとかに巻き込まれたわけではない。そんな感じでおけおけー?」
少し真面目に話したいことができた。主にアリーゼという女について。ただしその前に、確認すべきことはさせてもらおうと軽い口調で問いかけた。
「……あ、はい。そんな感じ……です」
「ならいいよー。そのうち話してくれればー」
「で、でも心配かけちゃったわけですし……」
「話したくないって顔に書いてある。それなら落ち着いてからでいいよ。深刻なトラブルとかじゃなければ私は別に構わないから。君が無事に帰ってきてくれただけで、それだけでおけおけー……って感じだから」
ぽすんと音を立てて少年の隣に腰を下ろし、フーっと大きく息を吐く。今話したことは本音だ。生きていればヤケになりたい時だってある。それに家族であっても、いや家族だからこそ話したくないことだってある。同じようなことを二度としないと約束してくれれば、ガミガミと口うるさく言うつもりはなかった。これが普段から問題児で信用ならない子なら話は別だが、ベルは分別は弁えているし本当に必要なことなら話すはずだ。
短い期間ながらハトホルは少年を信用していた。
「……ハトホルさま」
「なにー?」
「僕……強くなります」
ぼんやりと彼の顔を見る。
ベルの眼差しはこちらに真っ直ぐ向けられており、次に窓の外を睨みつけるように移動した。ハトホルはお面の下ですっと瞳を細めると、「そいやー」と少年の脇腹をつついた。指で。
「あひゃあ!?」
ハトホルはベルのその悲鳴に頬を緩め、すぐに「とりゃー」とベッドに寝転び、「添い寝」と端的に要望を口にした。
「……」
固まる少年、ベル・クラネル。
「はやくきて?」
いつもやってるじゃーん、と軽い口調で続けると、少年はおずおずと横になった。まさか意識でもしているのだろうか。たしかに今、ハトホルは少しばかり『美と愛』方面の貌を意識してはみたが。
しかしなるほど。そうかそうか。
半開きの口が良いのか、この子は。それじゃ今度は
「整理してみたんだけど、赤い髪とエメラルドの瞳。それに赤い柄のレイピア。後は凄い元気で、自分のことを可憐なレディとか言ってたんだっけ。しかも貧乳。うん特徴は全てアリーゼ・ローヴェルだね」
「! やっぱり知ってるんですか! 是非お礼を言いたいんですけど、どこの【ファミリア】なんですか?」
「激しく動いちゃらめー」
ガバッと起き上がろうした少年に右手を伸ばし、雑に額を抑えつけて寝かせる。
「かはっ」
「次にガバって動いたら胸で押え付けるからね」
「ん゛っっ!?」
「凄い声が出たね。して欲しいの?」
「そんなわけ、ありまふぇんっ!」
なるほど、少し興味はあるようだ。上擦った声を耳にしたハトホルはそのように判断した。
まあ彼の助平心の程度はともかく、今大切なことはアリーゼ・ローヴェルについてである。女神は軽く上体を起こしてベルを見た。アリーゼに関して伝えておかなければならない事実を、静かな声で口に出す。
「それはそうとー、アリーゼ・ローヴェルは
アリーゼ・ローヴェルは27階層の悪夢で死亡が確認された冒険者のうちの一人。確実に逝ったと当時の【アストレア・ファミリア】副団長は語っていたし、数少ない生き残りの一人である【ディオニュソス・ファミリア】のエルフも同様の証言をしていた。
「こじ、ん? ……え? 亡くなってるんです……か?」
「うん。残念ながらね。彼女は27階層の悪夢で冒険者達が全滅するのを防いだ。仲間のほとんどを目の前で食われながら、彼女自身の命さえも犠牲にして、それでも助けられる命を救った英雄。うん、英雄って讃えてあげるべきだと私は思ってるよ」
女神がスラスラと話し終えた後、ベルは信じられないというような顔に変わっており、すぐに青ざめた。
それなら、自分が出会った女性は何だったのか。
彼の頭の中は大方そんなところだろうが、残念ながら質問されても答えられない。神であってもわからない。同名かつ容姿が似ている別人。普通に考えればその結論になるわけだが、神の勘は告げていた。
──なーんか、本人な気がするなあ。
ただし悪戯に不安を煽るのは望むところじゃないので、ハトホルは適当にはぐらかすことを選択。固まっている少年の顔に顔を寄せ、小さく優しく囁いた。
「難しい話は休んでからにして、今は寝よう? 私があたためてあげるから、目を閉じて……はやく」
「なんでそんなに近く……!?」
「さむいから。はやく、お布団の中であったまろう?」
愛と美の女神の貌を顕現させる一方で、襲ってくるのは胸騒ぎだった。死んだはずの娘本人としか思えない人物が現れた。しかもダンジョンに。
下界の未知で片付けるのは簡単だし、本当に同名別人の可能性もあるにはある。だが、否応なしに感じてしまう不気味な感覚。これは本能的なもので、何かの前触れでないことを
────1
ベル・クラネル
Lv.1
力:H152→G233 耐久:I62→H131 器用:H149→G242 敏捷:G239→F337 魔力:I0
『魔法』
【】
『スキル』
【
・早熟する。
・
・
「……」
ハトホルは手の動きを止めて沈黙する。
お世辞にも頼りがいがあるとは言えない細い背中。そこに綴られている秩序だった文字──まるで古代書を彷彿させる【
少年に与えた『
ベルが戻ってきてくれて一晩が過ぎた。
限界を超えた疲労により昨日はずっと寝ており、早朝に起床した二人は現在、やっておかないかんだろうということで【ステイタス】更新を終えて確認中。
(いくらなんでも早すぎるなー、これまで見てきたどの子と比べても別格だー)
多くの眷族を見てきた彼女は、恩恵の進捗情報についてある程度の知識を持っている。どのように鍛えれば熟練度が伸びやすく、どのような規則性をもって魔法やスキルが発現するのか。これまで活用してきたかどうかはともかく、いわゆるノウハウ的なものも心得ている。その上で断言出来るのは、子供達に刻まれる【ステイタス】は、
そして、【
この伸び率が続くのだとしたら、あっという間にレベルアップ──ランクアップが射程圏内に入ってくる。Lv.2への最短記録が【剣姫】の約一年だったはずなので、それを考えれば少年の異常さが際立つというもの。
偉業をどうやって達成するか次第にはなるが、このままいけば後半月。いやそこまで待たずして、ベルはLv.2への挑戦権を手に入れる。
これではもはや成長というより飛躍だ。
(大半の冒険者はLv.1のまま燻ってるっていうのに……君は本当に英雄になるつもりなの?)
オラリオの冒険者の半数以上はLv.1のまま燃え燻っている。熟練度が10以上もポンポン伸びるのは初期も初期のうちだけ。すぐに伸びは鈍化して、今のベルくらいの数値になれば目に見えて
(恋心で強くなる。親としても
そう遠くない未来、この子が英雄候補として祭り上げられる時が来るのかもしれない。そんな予感を抱く。
「ベル、強くなりたい?」
気がつけば彼女は、ベルの背中をきゅっと脚で挟み込んだまま、昨日と同じ問いかけを口にしていた。
「なりたいです……もっと、もっと強く」
返ってきたのは力の
その気持ちは素直に応援してあげたい。この場合は
即席の自信は
「うん、そっか。じゃあ私は応援するよ。頑張った分だけ讃えてあげる」
やがて、ハトホルは彼を肯定した。肯定
「今回の【ステイタス】を転記するから、今日のべろちゅーは少し待ってねー」
「!? いやしませんからっ、したことすらありませんからっ」
ジタバタしているベルの腰を脚で締め付け、ハトホルはすらすらとペンを紙に走らせた。ただし、【
理由は大きくわけて二つ。
第一にアホな神々への情報漏洩対策。娯楽に飢えている神々は『レアスキル』だとか『オリジナル』だとか、そういった響きが大好きだ。そして人の嘘を見抜くのは神の十八番なので、カマをかけられが最後、誤魔化すのが苦手なベルは絶対に隠しきれない。
第二に伝えるメリットが見当たらない。効果は間違いなく特定条件下での成長速度の超強化。これは本人がスキルを自覚していなくても発動するのは実証済み。だとしたら伝える必要はない。伝えることによる心の変化がリスクに繋がるのなら、嘘をついてでも隠しておく。
(私は嘘つきだし
爆上がりした【ステイタス】を見たベルは「ひえっ」と情けない声を上げた後、プルプル震えながら何やらブツブツと呟いている。少し顔が赤い。どうやら興奮しているようだ。そりゃそうだろうとハトホルは思う。いきなり急成長したらどんな冒険者だって鼻息が荒くなる。
「と、まぁ、そんな感じだから、頑張っていけば強くなれるかもね。多分成長期」
「そ、そんなものがあるんですか!?」
「うんあるよー」
ハトホルは真顔で嘘をついた。
成長期。【ステイタス】にそんなものはない。
「ただし他の人には内緒だよー。喋ると止まるっていうジンクスがあるからー」
「……わかりましたっ」
他の神や冒険者に聞かれたら怪しさ満点なので、釘を刺しておくのも忘れない。釘を刺すといえば、ヤバい街娘がいる豊穣の酒場には近づくな、という言いつけは素直に守っているようだ。
「うん。じゃあ話はこれでおしまい。君はきっと強くなれると思うよ。願いが叶うように私も支えるから、改めて頑張っていこう」
最後に労わるように少年の背中を撫でて、女神はベッドから立ち上がる。やや遅れて顔を上げた彼はどこか吹っ切れたような表情で、告げた。
「はいっ……頑張って、必死に強くなりにいきますけど……僕、死にませんから! 貴方を残して、死ねません」
言葉に熱を込めて、宣言してくれた。
主神冥利に尽きる言葉。
ややあって彼に服を着せてあげる。恥ずかしそうに「いいですから」と抵抗するベルを無視して、女神は新妻を意識しつつやり遂げた。
(よし。それじゃ私も久しぶりにやる気出すかー。こうなったからには、まともな武器のひとつやふたつはプレゼントしないとじゃーん)
朝食の準備に向かったベルに背を向け、寝室に設置されている机の引き出しを開ける。整理整頓された書類の中から、すぐに目当てのものを見つける。
それは便箋であり、中に入っているのは文である。ハトホルは綺麗な文字を眺めながら、とある
(かくして条件が噛み合った。こうなったら面と向かって話がしたいなー。護衛はアテがあるから問題ないけどー、でも、何日も家を空けるのもなー、信用してるとは言っても心配だしなー)