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狼人の青年はヴァレンシュタインさんの前に出てくるなり、僕に鋭い目を向けた。美形っぽい顔立ちで身長も高くて、同性の僕から見ても凄く格好良い。そして威圧感が凄い。
「ってオイオイ……こいつはトマト野郎じゃねえか。何考えてんだアイズお前、こんな
僕は凍り付く。彼の後ろでヴァレンシュタインさんが眉をひそめたのが見えた。
「ベートさん、待ってください、この子は……それに、私まだ謝れてな」
彼女は何か言いかけたけど、言葉の続きが出てくる前に、複数の大きな声が僕達の耳朶を叩く。
「探したでー! アイズたんにベートも何をしておるんやー!」
まず現れたのは朱い髪の女神様。遠目から見た事がある、ロキ様だ。彼女は固まっている僕に気付くなり、「んんー?」と変な声を発した。
「あれっ、みんな何してるのー? ってその子だれ? もしかしてアイズの友達!?」
次に健康的なアマゾネスの少女が。
「アイズさんの、友達……!?」
さらには山吹色のとても美しいエルフの少女が。
「アイズさんの友達だと!?」
「男友達だとぉ!?」
「なっ、なんだってー!?」
「みんな落ち着くっす!?」
最後に目を血走らせた獣人の青年三人と、彼らの後ろで慌てている人の良さそうなヒューマンの青年が。
盾になるようにヴァレンシュタインさんの前に立ち、僕のことを凝視した。アマゾネスの少女は目をキラキラさせているが、その他は大体が怪訝な顔をしている。良い感情を持たれていないのは明白だった。
「え……っと」
ベートと呼ばれた青年は、盛大にどもっている僕を睨みつけ、次に唇を吊り上げる。
「くくっ……ロキもお前らも聞いてくれよ、
全身が発火したように熱くなった。
頭に血が上る感覚を久々に感じる。
「ベートさん……そんな言い方」
「やめなってベート。見たところその子、新人くんでしょ? 弱くて当たり前だし、そんな相手を虐めて何が楽しいのさ」
「バカゾネス妹は黙ってろ。それでコイツ、血だらけで気絶しやがってよ! それにだぜ? このトマト野郎、アイズが折角介抱してやったってのに、目が覚めるなり叫びながらどっかいっちまって……ぶくくっ! うちのお姫様がビビり倒されてるとこ、お前らにも見せてやりたかったぜ!」
僕は拳を握り締めた。
暴発寸前。こんなに激情が渦巻いたこと、これまでの人生であっただろうか。痛いくらいに手の平に爪を食い込ませて、唇を噛み締めた。
「……」
「あぁん? なんだお前、その目つきはよ〜?」
「……っ」
でも、視線は直ぐに下がって、俯き加減。
鋭い瞳はとても怖くて、直視するのは数秒が精一杯で、逃げるように視線を逸らした。そんな僕を見て彼は嫌味たらしく笑う。
「くくっ、やっぱりビビりじゃねえか! 雑魚なくせに臆病者ときちゃ本気で救いようがねえ! どうしてアイズと一緒にいたかは知らねえが、
「ひっ──」
僕は悲鳴を上げることしか出来ない。彼の言うとおり、僕は救いようのない臆病者らしい。
「ベートさ」
「やめろって言ってんの聞こえないのかな、このバカ狼。酒臭いし、まさかもう悪酔いしてんの? ねえ君、君ってば。気にしなくて良いから。誰だって弱い時期はあるわけだし、これから頑張れば良いんだって。コイツのことは怒っとくから、君はもう行った方が良いよ」
アマゾネスの少女が何か言っているけど、僕はガタガタと震えるばかりで返事ができない。そんな様子を見て、今度はロキ様が笑いだした。
「なんやティオナ〜! まさかこの少年を気に入ったんか!? でもアカンで! こんな
グサグサグサッ。心が切り刻まれる。悪い言葉ばかりがやけに鮮明に聞こえる。
「ロキまで悪ノリはやめなって……そういうの面白くないから、私嫌いだな」
「ハッ、珍しくいい子ちゃんじゃねえか、ティオナ! 愛玩動物でも見てる感じか? だがな、コイツは弱い上に覚悟もねえくせして、冒険者の真似事をして俺達の品位を下げるゴミだ! 庇ってやる必要なんざねえよ! ペットが欲しけりゃ野良猫でも探して来いってな!」
ガリガリ、ガリガリガリ。心が抉り取られていく。痛い。痛い。痛い。僕はこの時、どんな顔をしていたのだろう──。
「もうやめて下さい。元はと言えば、私達の責任で、この子は被害者……です」
「それがどうしたってんだ。ダンジョンに入る時点で覚悟はしとくべきだろうが。自分から危ねぇ場所に突っ込んどいて、被害者もクソもねえ……!」
「それ暴論って言うんだよ。ハッキリ言ってあげるけど、ベートって何様?」
「あ? やんのか絶壁アマゾネス」
「あ? 殺すよクソ狼」
ベートさんとティオナさんが恐ろしいまでの威圧感を放つ。僕はいよいよ膝が笑い始める。痛いし怖いしとても痛い。息が苦しい。
「これ、やめいベート……これ以上は流石に笑えんへんわ。これから宴会やというのに、どうして自分はベロンベロンなんや」
「うるせえ! 大体なぁ、泣き喚くくらいなら最初から冒険者になんかなるんじゃねえよ!」
仲間割れを防ぐべくロキ様が仲裁に入るも、ベートさんはおかまいなし。顔だけを僕に向けると、これみよがしに舌打ちを一発。
「久々にテメェみてえな情けねえ奴を見ちまって、こちとら胸糞
「ベート、もうええやろ。やめとき」
「いい加減ウザすぎ。そんなにイライラしてるならいいよ、
ティオナさんが僕の前に立って、庇ってくれた。
優しい人なんだと思った。それ以上の感想は抱けなかった。そんな余裕はなかった。
「よく聞けよトマト野郎! テメェみてえな奴はなぁ、逆立ちしたってアイズ・ヴァレンシュタインには
ベートさんの言葉はやはり鮮明に聞こえてきて、息ができなくなった。呼吸の仕方を忘れてしまったように、喘ぐように口を動かすも、やはり苦しい。
「身の程知らずにも程があるぜ! 冒険者
「────」
グシャッ、と。
心が潰れる音が幻聴で聞こえた。
それからのことはあまりよく覚えていない。
僕はその場から逃げ出すべく、走り出した。
「〜〜〜〜〜くっ、ご、ごめんなさい! 代わりに謝りますから、アイズさんのことを嫌いには──」
「何事だこれは! 説明しろレフィーヤ!」
「リヴェリア様!? え、ええとベートさんが男の子を虐めて──ってもういない!?」
聞こえてくる声を置き去りにして、道行く人々を追い抜いて、僕は夜の街を駆け抜けた。
追いかけてくる人はいなかった。
ティオナさんは庇ってはくれたけど、所詮は他所の派閥の人間だ。そこまでする義理はないということなのだろうと、ダンジョンに着いてから、妙に冴えた頭で思った。そう僕は気付いたらダンジョンにいたのだ。
∥●∥
「あ、アイズさん……」
少年が血河の勢いで夜の闇に消え、それをアイズが死んだ顔で見送っている。
エルフの少女、レフィーヤ・ウィリディスは流石に思うところがあり、彼を追いかけようとしたが……それよりも優先すべき問題が発生していた。
「……ベル」
「アイズさんっ、気を確かにっ」
ひとつ、憧れの相手アイズ・ヴァレンシュタイン放心中。この状態の彼女を置いて少年を追いかけることはできなかった。
「おい、かかってこいよ絶壁」
「ぶっ殺す」
「やめなさいティオナ……相手にしちゃダメ。見つけた途端に仲間割れとか、勘弁してよ」
「引っ込んでろバカゾネス二号!」
「あぁ……? ごめんティオナ、加勢するわ。このクソ狼をぶっ殺しましょう」
そしてもうひとつ。
アマゾネス姉妹とベートが一触即発で、今にも市街戦を始めそうな勢い。一歩間違えれば民間人に被害が出かねない危機を、見過ごすわけにはいかなかった。
他にも集まってきた【ロキ・ファミリア】の団員達が困惑したざわめきを漏らし、主神のロキは「なんでこうなるんや!」とダラダラ汗を流している。
「──やめろお前達! ベートっ、お前は何がしたいんだっ、見ず知らずの少年を罵倒し、仲間に牙を向けるなど!」
「黙れクソババア! 行き遅れの分際で俺に指図するんじゃねえ!」
「……加勢しよう、ティオナ、ティオネ」
「リヴェリア様!? 落ち着いてくださいっ、アイズさんは元気だしてっ、お願いです代わりに殴られてくださいロキっ!?」
バタバタと走り回る最も常識人なレフィーヤ。周囲には人集りができており、都市最強派閥の片割れは完全に見世物と化していた。
そんな中、呆れ果てた顔で歩いてくる小さな影。
黄金色の髪の小さな勇者、フィン・ディムナは現着するなり、その長い槍を石畳の上に叩きつけた。
「こうなってしまった原因はよくわからないが、まずはこれだけは言っておこう──流石に度が過ぎているぞ、いい加減にしないか!!」
闇夜に響き渡る勇者の怒声。
レフィーヤが飛び上がる中、衝突寸前だったアマゾネス達がようやく止まり、ベートは
∥●∥
(畜生……畜生……っ!)
ベルは走った。怒りを通り越し虚ろになった瞳から水滴が浮かび、何度も背後に飛んでいく。
先程の出来事が何度もフラッシュバックする。
みじめな自分が恥ずかしくて恥ずかしくて腹が立って苦しくて、主神すら馬鹿にされたのに立ち向かえなかった自分が情けなくて死にたいほど辛くて、はじめて消えてなくなりたいと思った。
(僕は……救いようのない馬鹿だっ)
ベートの放った全ての罵倒が心を潰す。
いつか彼女に追いついて親密になれれば良いな、なんて甘いことを考えていた。失笑ものだ。
いつかなんて考えていたら、そのいつかはきっと来ない。ただ願っているだけでは願いを叶えることはおろか、たった一人の主神さえ守ることができない。
殺意を覚えるのは罵倒してきたベートでも彼を止めてくれなかった他人でもない。
漠然と願って、漫然と日々を過ごしていた、愚かな自分自身に対してだ。
(悔しい、悔しい、悔しい……っッッ)
あろうことかベートを肯定してしまう、肯定せざるを得ない自分の弱さが悔しい。
少女に庇われても尚、怯え続けていた無様な臆病が悔しい。
主神を引き合いに出されても言い返せなかった、無力な自分が悔しい。
アイズ・ヴァレンシュタインにとって羽虫に過ぎない矮小な自分が悔しい。
彼女の隣に立つ資格を、欠片も所持していない自分が、とても悲しくて悔しい。
「くそ、くそくそくそくそ……くそぉっ!!」
いてもたってもいられない。
戦いたい。戦いたい。戦いたい。
あの人たちのような高みに届いたら良いな、ではない。
涙を溜めた瞳に意志を燃やし、ベルはこれまでにない勢いで目に映る敵を全て薙ぎ倒した。
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激しい雨音が聞こえる。
ぱたりと本を閉じて窓の外を見ると、少し前から降り始めた雨がここに来て勢いを増していた。
古代の文献に目を通していたエルフの魔法剣士、メルーナ・スレアは本棚の前に移動し、静かな音を立てて書物を元あった位置に戻す。
(恩恵なしで怪物と戦っていた古代人達……にわかには信じがたい。馬鹿げている)
細い指で金の髪を持ち上げ、右側の長い耳にすっとかける。メルーナは小さく嘆息した。
今から千年以上前。古代の人類が恩恵なしで怪物とやり合っていたのは周知の事実。一般的に知られていることではあるのだが、それがどれほど出鱈目な真似であるのかは、高みを見た冒険者ほど強く感じるところであった。
──馬鹿げている。
Lv.4の彼女は率直にそう思った。
選ばれし
(この文献も外れだな。英雄譚じみているのは結構だが、これではカラクリがまるでわからん)
メルーナは探究心が非常に強いエルフだ。特に彼女の知識欲は力と闘争に傾いているため、こうして強さへの探究を重ねることは日常のひとつであった。
恩恵なしで戦っていた古代人の在り方。
そこに高みへのヒントが眠っているのは疑いようがなく、だからこそ彼女は古代の文献に目がない。古ければ古いほど良いのだが、時代を遡るにつれて文献の数も減っていくのが悩みであった。
「甘んじるな……常識に甘んじるな、メルーナ・スレア。私はまだ強くなれる」
常識に囚われるということは、それ即ち
──私は神々が求める英雄の器ではない。
洗礼で己を鍛え上げ、何度も自分を叱咤した。
常識に囚われるな、甘んじるな。限界に囚われるな、甘んじるな。常に探究をやめることなく高みを目指すのだと、今も自分を奮い立たせてはいるけれど
「……ひたすら器を鍛えること、これで果たして届けるのか、私が望む高みの景色が見られるか?」
降りしきる雨に向かって問いかけると、女神がどこかで
そんなこと、貴方が一番良くわかっているでしょう──と。
彼女は全ての眷族に平等で、等しく優しく残酷だ。
「停滞とは毒だな……せめて心くらいは強くあらねば、偉業うんぬんの前に運命に呑み込まれて
自分は時代に選ばれる器ではない。
だが、時代は、世界は英雄を欲しており、これから先は様々な決着が望まれるだろう。竜の谷しかり、ダンジョンしかり。その他にも運命が渦巻く場所はいくつもある。
だから、世界も神々も英雄を欲している。
選ばれることなく、それでも身の程を弁えない自分は、きっと運命の中で散るだろう。女神の盾になれれば本望。そうではない末路も覚悟はしているし、何となくそうなる予感がある。特別悲観的になっているわけではなく、本当になんとなく、そんな風に思うというだけのことだ。
「探究を続けなければ……強くなり、せめてあの御方の盾になれるように」
昨日は大きな失態を犯してしまった。ダンジョンで売られた喧嘩を買うなど、理性に定評のあるメルーナらしくない愚行だった。いけ好かない
だがその一方で、唯一無二の女神を侮辱され、一族の王族を罵られたことは許せない。あそこで激昂しなければ、それはそれでどうなのかと思うのも事実であり、結論として『仕方なかった』とメルーナ・スレアは開き直った。
「思い出すと殺してやりたくなるが……やめておこう苛立つだけだ。死人を出さなかったのが救い。それだけ考えるようにするべきだな」
危うく殺しかけた白髪の少年は事なきを得た。今日も元気そうにダンジョンに向かったようだし、心の方もそこまで心配はないだろう。命以外を気遣う必要はなかったが、元気であるに越したことはない。
自分の失態で他派閥の冒険者を死なせ、そうでなくても深いトラウマを植え付けて再起不能にした──などということにならなくて良かった。他者に、それも他派閥の無名冒険者に関心などないが、だからと言って理不尽を強いた挙げ句、自分を正当化するつもりなど微塵もない。
「それにしても……殴り倒したのはやりすぎたか。気絶させるつもりはなかったが……いや、いい。忘れよう」
拳骨を落とした件も含め、女神には報告するに値しない些事だろう。
激しい雨音に耳を澄ませると、先程よりも僅かに大きくなったようだ。
叩き付けるような大粒の雫が、オラリオ全体に降り注いでいく──。