ハトホル・ミィス


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作:猫猫尾
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世界と現実と神様②


「あの……大丈夫……ですか?」

 

 ふと目を開けると、そこには女神様と見紛うような少女がいた。

 蒼色の軽装に包まれた細身の体。

 しなやかな肢体がとても眩しい。

 エンブレム入りの銀の胸当ては、自己主張している胸の膨らみを押さえ込んでいた。腰まで真っ直ぐ伸びる金髪は、いかなる黄金財宝にも負けない輝きを湛えていて。

 華奢な体の上には、いたいけな女の子のような童顔がちょこんと乗っていた。僕を見下ろす瞳の色は金。

 エルフ耳は、ない。

 

(見間違え……た?)

 

 彼女はエルフではなかった。金髪金眼のヒューマンの女剣士。【ロキ・ファミリア】に所属する第一級冒険者、アイズ・ヴァレンシュタイン。

 二つ名は【剣姫(けんき)】。Lv.5。

 

「大丈夫……ですか? 怪我とか……治療はして貰えたけど、どこか食べられてたりしたら元に戻らないし……指とか、ある? 大丈夫?」

 

 大丈夫じゃない。

 指はあるけど、全然、全くもって大丈夫じゃない。

 もうエルフだってヒューマンだって、()()()()()()()()()。今にも爆発してバーニングしてしまいそうな心臓が、大丈夫なわけなんてない。

 ほんのりと染まる頬、相手の姿を映す潤んだ瞳、芽吹く淡い……いや、盛大な恋心。

 結実する妄想。逆転する配役を悔やむことはなく、ド頂点まで膨れ上がるこの想い!

 僕の心は奪われた!

 

 ダンジョンに出会いを求めるのは間違っていたのだろうか?

 

 再結論。

 僕は、間違えてなんていなかった。

 

 

 ∥●∥

 

 

「だっ」

「だ?」

 

『だっ』てなんだろう、とアイズ・ヴァレンシュタインは首をかしげた。兎みたいでカワイイからつい観察していたら、目を覚ました少年の様子がおかしい。

 まさかシルバーバックに殴られた時の打ちどころが悪くて、言語障害を発症してしまったのだろうか?    

 頭を強く打つと脳機能が障害を受ける場合がある。

 そんな話を前に聞いたことがあるアイズは、兎の脳味噌の状態を真剣に心配した。とりあえず撫でて確認してみようと手を伸ばし

 

「だっっ」

「……だ?」

「だああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」

「(ビクッ)!?」

 

 バッと飛び退いた。

 少年が突如として奇声を発して飛び起き、脱兎のごとく走り去って行った。

 

「……? ……!?」

 

 アイズはしばし硬直した。ハッと我に返った時にはもう遅く、兎の姿はどこにもない。彼の声の代わりに聞こえてくるのは、押し殺した笑い声であった。

 

「く、くくく……っ。目が合っただけで逃げられるとか、アイズお前……く、くくっ」

「……」

 

 獣人の青年、ベート・ローガ。いかにも悪そうな風貌の彼は、それはもう憎たらしい顔で笑い声を漏らしていた。

 

「違います……何かの間違いです」

 

 アイズはそう返すのがやっとだった。

 顔を見られただけで絶叫されて逃げられたのは純然たる事実だ。付け加えるとアイズ・ヴァレンシュタインは巷で【戦姫(せんき)】であったり、【殺戮人形(キリングドール)】などと呼ばれていたことがあったのも事実である。だが、そんなのはもう昔のこと。心の中で小さなアイズが叫んでいる。 

 何となく成長した今の自分(アイズ)が、一目見ただけで怯えられるわけない! と。

 

「錯乱してたみたいだし、私のこと、あの人達と勘違い……したのかも」

「ガン見されてたじゃねえか。アレで何をどう間違うってんだ」

「……」

 

 アイズは深刻(シリアス)な顔で押し黙った。

 ド正論を前に言語能力が限界を迎えたのだ。アイズ・ヴァレンシュタインは口下手である。対してベート・ローガは口が立つ。これ以上の問答は下策だと判断して、速やかに話題を別の元へと変更する。

 

「シルバーバック、探さないと」

「……だな。ったく、面倒なことになったもんだぜ」

 

 ベートもまた深刻(シリアス)な顔に変わる。

 事の発端はダンジョン12階層。そこでアイズ達は敵対派閥の【フレイヤ・ファミリア】と鉢合わせ、何となく世間話をした後、気づいたら時には何故か戦闘がぼっ発していた。第一級冒険者同士の激戦により周囲の冒険者はおろか、モンスターまでもが震え上がって逃亡を開始し……中でも数の多かったシルバーバックが上の階層へと移動してしまった。少年を襲った個体はその一部である。

 

「今度会ったら、謝らないと……ベートさんも一緒に」

「なんでだよ。俺は悪くねえ。原因は【フレイヤ・ファミリア】の阿呆共だろ。特にあのエルフ、少し挑発しただけで大暴れしやがって……頭おかしいんじゃねえか」

「ベートさんだけには、言われたくないと思います」

「……アァん?」

 

 アイズは面倒な(ベート)を置き去りにして移動を始めた。もう撃ち漏らしは居ないはずだが、念のために。自分達が原因で死人が出たら目覚めが悪いし、とダンジョンを走り出すのだった。

 

 

 ────2

 

 

 ベル・クラネルという少年がいる。

 半月ほど前にオラリオに来た新米冒険者で、種族はヒューマン。風貌は素朴な少年そのものであり、処女雪のような白髪に深紅(ルベライト)の瞳は、見る者に白い兎を連想させる。

 顔立ちはあどけなさが残る。加えて体の線はまだ細く、ともすれば少女に見えてしまうほどである。そんな彼が冒険者になるなどと、田舎の大人達は気でも狂ったのと困惑していた。つまりどう考えても向いてないからヤメトケということだ。ベル自身も自分が向いているとは思わなかったが、唯一の肉親であり最愛の祖父を亡くした今、彼が話していたオラリオにどうしても行ってみたかった。そして冒険者になって、昔見た夢を追いかけたかった。

 

 英雄になりたい。

 青臭いと自虐的に笑いながらも、ベルはオラリオにやって来た。もう少し待てと村の村長には言われたが、先延ばしにしたら熱が冷めてしまうような気がしたので、反対を振り切って出てきた。そうしてやって来たオラリオはとても壮大で、刺激的で、皆が生き生きと生活しているように見えた。

 

 数え切れない人の波。

 夜になっても変わらぬ喧騒。

 他種族と神々が入り乱れている景色は、田舎では絶対にお目にかかれない。都会は凄いと頭上を仰げば、天に伸びている白亜の巨塔(バベル)が見えて、オラリオしゅごいと感動した。

 

 ベルのオラリオ初日は終始目を輝かせており、翌日から始まる【ファミリア】探しに、その先に待っているであろう『出会い』に胸を踊らせた。

 

 冒険者になるためには神から恩恵(ファルナ)を授けてもらう必要がある。恩恵がなければ人間はモンスターと戦うことは基本的にできない。そして、恩恵を得るためには神と契約して眷族になり、その神の【ファミリア】に入るのが手っ取り早い。だからこその【ファミリア】探しなわけだが、意気揚々とオラリオに乗り込んだベルを待っていたのは苦戦に次ぐ次ぐ苦戦だった。

 

 ダンジョン探索を主な生業としている【ファミリア】から、次々と入団拒否された。才能もなさそうだし金もないし特殊技能もない。オマケに種族としての長所もないとくれば当然の結果。客観的に見ればそうなのだが、期待が大きかった分、落胆も大きく。

 全探索【ファミリア】の半分も訪問できていない段階で、ベルの心は折れかけた。このまま金が尽きたら田舎に帰るかアルバイトするか。でもアルバイトするためにオラリオに来たんじゃないし……と不安と悲しみに駆られる中、始まるのは負の連鎖であった。

 自信のなさが顔に出始め、二日目の夜はあまり眠れず大きなクマを作って三日目へ。やつれた暗い兎の完成となり、「死神みたいな奴は要らん! 不吉だからさっさと帰れ!」とか罵られる羽目に。

 

 だが、罵倒されたり笑われたりするのはまだマシ。

 酷い【ファミリア(ところ)】には蹴り出されることもあった。もっとも入団希望者を蹴り出す派閥(ファミリア)などロクなもんじゃない。入団しなくて大正解だし、常識的に考えてもそうなわけだが、当時のベルは冷静さとは無縁の精神状態にあった。

 

 とにかく追い詰められて。

 自分は誰にも必要とされていない。そんな錯覚に囚われて、これはいよいよ潮時か。そう思ってボロ泣きしながら向かったのは、巨大市壁の上であった。  

 オラリオに来てから四日目の早朝。

 たまたま見つけた壁の入口に無断侵入し、ベルは上に上に登って行った。絶望に負けて飛び降り自殺を考えたわけではなく、田舎に帰る前に、オラリオの景色を一望してみたくて。

 

 フラフラとした足取りで向かった市壁の上。

 広大な都市を照らし始めた黎明の光を受けて、ベル・クラネルは壁の上をゆっくりと歩き、程なくして一柱の女神と出会った。

 

 

「こんなところで何をしてるんだい? ここは危ないから早く帰った方が良いよ。いや本当にさ。君は知ってるかな? 転落死ってグロいんだよ。衝撃で体が潰れて、臓器がグチャグチャになって、目玉が飛び出したりもするんだよー」

 

 

 ────3

 

 

 冒険者になってから、ベル・クラネルは()()()()()()。物凄く不出来だったわけではないが、かと言って目を見張る才能などなかった。

 平凡(へいぼん)

 英雄とは程遠い凡夫の道を歩み始めたかのように、彼も彼の主神も考えていた。ただしベルは良くも悪くも幼く世間知らずだったし、孤独と絶望感から開放されたこともあって、そこまで悩まなかった。というか全く悩んでいなかった。

 

 

 

「運命の出会い……へへっ、おじいちゃん……遂に出会っちゃったよ、運命の出会いってやつに……へへ」

 

 そして今、ベルは浮かれまくっている。誤解でアイズに恋をし、アイズにも誤解された間抜けな少年と化してしまった。頭の中はお花畑である。

 

「すみまーん! 通りまーーーす!」

「ん? うわあああああああああっ!? な、なに!? まさか通り魔の類かっ」

 

 ニタニタと笑いながら血だらけで街を突っ切るものだから、通行人達はささっと道を譲ってくれる。少女が約一名絶叫しながら鋭いツッコミを入れたが、完全に無視されてベルを睨んだ。

 ドン引きされていることすら気にせず、ベルは脳味噌アイズ・ヴァレンシュタインで爆走する。その姿を見かけた者達は当然、ベルをヤバい奴認定した。

 

「な、何あの人……血だらけでニヤニヤしながら走ってる」

「カサンドラ、見ちゃダメよ。ああいう奴は何をしでかすかわからないんだから。目が合っただけで勘違いされて迫ってくるかも」

 

 ヒューマンの少女二人はさっと裏路地に逃げ込み

 

「なんだアレは……一体、彼に何が」

「きっとモンスターに頭を吸われたのニャ。だから白髪になったのニャ。哀れな奴ニャ」

 

 エルフと猫人(キャットピープル)の少女は顔を見合せ青ざめた。彼女達から少し離れた街角にて、ハイエルフの女性は露骨に顔をしかめていた。皆が共通して考えていたのは、アイツはどこの【ファミリア】の馬鹿なのか、ということ。

 わざわざ呼び止めてまで確認する者はいなかったので、結局ベルは何も気付かぬまま目的地──ギルド本部まで駆け抜けた。

 目的はダンジョン探索アドバイザーと面会し、アイズ・ヴァレンシュタインの情報を得ることである。

 

 

「エイナさーーーーーん! アイズ・ヴァレンシュタインさんの情報を教えてくださあああああああああああああああい!!」

 

 パンツタイプのギルドの制服に身を包んだ、ハーフエルフの女性、エイナ・チュールは手にしていた書類から視線を上げ、ゆっくりと振り返り。

 

「あっ、ベル君おかえ──うわああああああああああああ化け物おおおおおおおおお!?」

 

 エメラルドの瞳に飛び込んできたのは、全身血だらけで髪も顔も真っ赤に染まった人型のナニカ。満面の笑みを浮かべているのも異様さに一役買っており、エイナは腰を抜かして絶叫した。

 

 ∥●∥

 

 エイナ・チュールは激怒した。

 かならず、この、非常識な少年を更生させてやらねばと決意した。エイナには本当のダンジョンの恐ろしさがわからぬ。エイナはあくまで探索アドバイザーであり一介の受付嬢に過ぎない。エイナは実際にダンジョンに潜ってダンジョンを体験することは出来ない。

 けれどもどうにか冒険者達の力になりたいと、今日まで貪欲にダンジョン知識をつけつつ、目の前の少年にも様々なことを教えてきた。まだ子供とも言える年齢で冒険者になった少年、ベル・クラネル。彼がちゃんと生き延びてくれて、エイナ自身は彼を担当して良かったと思うために。

 

 

「ベル君! 返り血を浴びたのならちゃんとシャワーを浴びなさい! あんな格好で走ってくるなんて、神経を疑っちゃうよ!? まだ乾いてなかった血が跳ねて飛んできて服についたしっ、これじゃクリーニングしなきゃじゃない!」

「ごめんなさい! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ! そんなつもりじゃなかったんですっ、エイナさんを汚すつもりなんてっ」

「ええいっ、なんだか言い方がいかがわしいなあっ!?」

「よくわかんないですけど謝りますからゴメンなさいッ!!」

「よくわからないのに謝らないっ、ほんと君ってそういうことがダメだよね!?」

 

 ギルド本部のロビーに設けられた面談用ブース。そこで互いに叫び合い、ぜーぜーと息を切らす。

 エイナは「ふー……」と汗を拭い、ベルはがっくりと項垂れた。

 

「と、とりあえず……シャワー浴びてきました」

「うん……見ればわかるよ」

「はい……」

「はぁ……」

 

 気まずい沈黙が両者の間に流れた。だがそれも一瞬のことで、エイナはブンブンと首を振り、はーっと大きく息を吐き出した。

 表情を怒りのそれから仕事モードに切り替え、じっとベルの顔を見つめる。

 

「ベル君があんまりにもあんまりすぎて、ちょっと取り乱しちゃった、ゴメン」

「いえ、僕が無神経でした……」

「うん、それは間違いないね。それで、アイズ・ヴァレンシュタイン氏の情報だっけ? どうしてまた?」

 

 ベルは赤くなりながら、本日の一部始終を語った。

 普段通っているダンジョンの2階層から一気に5階層まで下りてみたこと。足を踏み入れた瞬間いきなりシルバーバックの群れに遭遇(エンカウント)して、居合わせた冒険者達と一緒に追い回され、気づいたら一人になっており、危うく殺されかけたこと。

 もうダメだと思ったところを、【剣姫(けんき)】アイズ・ヴァレンシュタインに救われたこと。

 動揺しながらもお礼を述べるも、なぜか拳骨で気絶させられ、目が覚めると彼女はちゃんと見守ってくれていて、なんだか恥ずかしくなってしまい──全速力で逃げてしまってきたこと。

 耳を傾けていたエイナは、話が進んでいくにつれて表情を険しくしていき、聞き終えるなり机をパーでぶっ叩いた。

 

「もおっ! どうして君は私の言いつけを守らないの! ただでさえソロでダンジョンしてるんだから、ほいほい先に進んじゃダメ! 冒険なんかしちゃダメだって口を酸っぱくして言ってるでしょ!?」

「は、はいぃ……!」

 

 ──『冒険は冒険しちゃダメ!』── 

 それはエイナ・チュールの口癖であり、彼女自身の経験から導き出された結論でもある。文字だけ見ると矛盾しているようにも思えるが、つまりは『常に保険をかけて安全第一、さもなきゃ死ぬよ』という意味だ。

 特にベルのような駆け出しは肝に銘じておくべき。

 最も死亡率が高いのは冒険者に成り立ての時期だ。

 たしかに5階層でシルバーバックに遭遇(エンカウント)するなんて誰にも予想できない。あのモンスターは少なくとも11階層以下の迷宮に出現するというのが一般見解だ。『ダンジョンは何が起こるのかわからない』と良く言われるけど、こんなことが頻繁に起こるようになったらと考えるだけでもゾッとする。

 まあ、今回のことは原因がハッキリしているから、そこまで心配する必要はないだろうけど。

 

「すみませんでした……エイナさんから教えてもらったことは、二度と忘れないようにします」

「はぁ……こうやって素直だからタチが悪いんだよなぁ」

「えっと……」

「なんでもない。少し口が滑っただけ」

 

 男性として意識したりは全くないが、弟みたく思えてきている今日この頃。ベル・クラネルはとても人柄が良く、人格破綻者が多い冒険者の中にあって素直で優しい少年だ。きちんとお礼とごめんなさいを言える数少ない人物でもある。自ずと力になってあげたいと思うのは、至極(しごく)当然のことだった。

 

「うん、私も言いすぎたよ。ゴメンね」

「繰り返しになりますけど、僕もすみませんでした……あの、それで、アイズ・ヴァレンシュタインさんのことを……」

「……ギルドとしては冒険者の情報を漏らすのはご法度だよ」

 

 さて、お互いに落ち着いたところで少年の要望に対応することにする。

 アイズ・ヴァレンシュタインの情報。 

 どうやらベルは彼女に心奪われてしまったようだが、残念ながらエイナには守秘義務というものがある。教えられるのは公然となっていることくらいである。

 

「アイズ・ヴァレンシュタインは本名。【ロキ・ファミリア】の中核を担う女剣士。二つ名は【剣姫(けんひめ)】。初回ランクアップまでの最短記録保持者で、所要期間は約一年。その後もグングン力をつけて現在Lv.5。剣の腕前は冒険者の中でもトップクラスで、たった一人でLv.5相当のモンスターの群れを殲滅したこともある。それもあって冒険者の間では『戦姫』なんて呼ばれ方もしてるみたい。下心をもって近づいてくる異性は軒並み玉砕、あるいは粉砕。ついこの間はとうとう千人斬りを達成したって」

 

 エイナはベルに質問を挟ませることなく、スラスラと語った。

 

「す、すごいですね……それはそうと、趣味とか好きな食べ物とか、後は今言った最後みたいな情報をもっと……」

 

 少年の顔は赤い。上目遣いにチラチラとエイナを見てくる。実に庇護欲をそそる姿だが、残念ながらこの件に関しては力になってあげられない。

 

「ギルドでは恋愛相談は受け付けてないよ?」

 

 だからせめて精一杯の微笑みを送ると、少年は涙目になって身を乗り出してきた。

 

「そ、そこをなんとか!」

「だーめ! ほら、もう用がないなら帰った帰った!」

 

 立ち上がり、彼に退出を促す。ベルは弱々しく抵抗していたが、ひと睨みするとスゴスゴと部屋を出ていった。エイナもそれに続き、二人でロビーに出る。

 

「あのさベル君。口うるさいようだけど、今の君に()()()余裕はない筈だよ? 【ファミリア】からの支援が一切期待できないソロの冒険者って、君が考えてるよりもずっと苦しい」

 

 白大理石で造られた立派なホールの片隅で、エイナは神妙な顔をベルに向ける。ホール内は閑散としていて、壁際に設置された女神像が二人の会話を見守っていた。

 

「自分の状況が苦しいのはわかってますけど……そんな余裕って、どんな余裕だっていうんですかぁ……っ」

「くどい! 女々しい! 顔を赤らめるのをやめなさい!」

 

 本当にわかっているのか、この子は。

 エイナは軽く彼を睨みつけると、重々しい声で言葉を続ける。

 

「他の派閥の女の人のお尻を追いかけてる余裕、ないでしょ。養わなきゃいけない御方がいるんだから、まずはちゃんと仕えている神様を幸せにしないと」

 

 ド正論をのたまった。

 

「ぐ、ぐう……それはそうですけど……っ」

 

 ベルはグゥの音が出た。

 

「そもそも、君はもう神様を選んだ。神ロキ以外を。だとしたら、【ロキ・ファミリア】で幹部も務めるヴァレンシュタイン氏とそういう関係になるのは、難しいと私は思うよ。一般常識的にもそうだと思う」

「……はい」

「……馬鹿なこと言ってないで諦めろ、なんて言いたくはないけど、現実だけはしっかりと見据えておかないと。それにさ、優先順位を間違えたりしたら、それこそベル君自身が後悔するよ? 君がいなくなって路頭に迷ったりしたら、あの御方は今度こそ天界に帰っちゃうよ。嫌でしょ、そんな結末は」

「……はい、とっても嫌です」

「だったら、ね? まずはやるべきことに集中しないと」

 

 少なくとも今は冒険者として頑張れ。最後にそんなニュアンスの言葉を述べて、エイナはベルの肩をポンポンと叩いた。

 ただでさえベルの主神は()()()。 

 神格(じんかく)に難があるわけではないが、とある一件以降完全にモチベーションが下がっているらしく、かつての団員達は一人残らず流出。

 今はもう派閥運営などしていない。新入団員を募ることもしておらず、周囲から見ればまるでやる気が感じられない。そんな神を選んだのだから、ベル・クラネルはこれから更に苦労することになる。そんな余裕はないはずだという、エイナの指摘は実に的を得ていた。

 

「換金はしてく?」

「そうです……ね。一応、モンスターは倒してきたので」

「じゃあ、換金所まで行こう。私もついて行くからさ」

 

 この子には頑張って欲しい。その想いは紛れもなく本心だが、だからこそこんな風に考えてしまう。

 ベル・クラネルは、入る派閥を間違えた。

 彼のことを最終的に誘ってくれた【ファミリア】の数は()()。片や第一級冒険者二名、第二級冒険者四名、団員数十九名を抱える有力派閥。片や団員数ゼロで派閥の体すら成しておらず、モチベーションがダダ下がりしている主神。子供でも間違えない簡単な二者択一をベル・クラネルは誤り、進んで茨の道に足を踏み入れてしまった。

 

「……ベル君。あのね、女性はやっぱり強くて頼りがいのある男性に憧れるものだから、えっと、めげずに頑張っていれば……ヴァレンシュタイン氏とは言えないけど、もしかしたら良い出会いが……その、ね?」

 

 だが、既に選択を済ませ、スタートを切ってしまった以上、彼はもう進むしかない。一年の間隔(インターバル)を挟めば移籍は可能になるが、心優しいベルのことだ。見限るようなことはしないし、そもそもそんな思考に至らない可能性が高い。

 

「……素敵な女性が、想いを寄せてくれたりもするかも?」

 

 最後はギルド職員としてではなく、一人の知人として励まし、エイナは少年を送り出した。するとベルはぱあっと笑顔に変わり、勢い良くその場から駆け出して、叫んだ。

 

「あ、あのっ、ありがとうごさいます! エイナさん、大好きですっ」

「……は、はあっ!?」

「エイナさんに会えてよかった! さよならー! また明日ー!」

「な、な……なあっ!?」

 

 不意打ちで連続爆撃を受けたエイナは思い切り仰け反り、ばっと後ろを振り返る。すると同僚達がニヤニヤと邪悪な笑みを向けてきており、

 

「仕事中に冒険者とイチャイチャしてるなんて、随分と余裕じゃないの?」

「エイナ……もしかしてあの子エイナのこと……うわぁ、うわぁ……っ!」

「でもアレはないわ。やめといた方がいいよ……ふふっ」

 

 好き勝手な感想を述べられ、エイナはかっと顔が熱くなった。天然な少年のことは今度会ったら絶対に叱ると、エイナは心で誓ったのだった。

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