東の空より朝日が昇り、広大な
長大な市壁を乗り越えて差し込む光は朝を告げ、鳥の囀りもどこか心地よい。
今日も暖かな風が、吹いている。
「ん、今日はここまで」
「…………」
「お姉ちゃん、気絶してるから聞こえてないよ⋯⋯⋯⋯」
「あっ」
……………おかしい。アオハルの風を全く感じないぞ⋯⋯⋯?
朝の秘密の訓練は今日で三日目。
【ヘスティア・ファミリア】は結成一か月未満の超零細派閥—————誤解を恐れずに言うと、かなり貧乏なファミリアだ。
冒険者稼業は武具の整備代や
なので訓練は毎日ではなく、二日に一回のペースでのほほんとやっている。いやまぁ、ベルくんのぼこぼこ具合を見ると、のほほんなんて言えないが。
「【
「あ、ありがとございまひゅ…………」
痛みを伴う訓練は精神的にも肉体的にも負担がかかる。肉体面、すなわち体力なんかは回復させられるけど、精神は当人にしかどうしようもない。
その点で言うと、ベルくんはよくやってる方だと思う。お姉ちゃんの手加減も上手くなったのもあって、気絶しなくなった。その代わり、悶絶するようになったけど。
そして、今日も今日とて顔を赤くした彼は、訓練の終わりを告げる朝日と共に、身体を引き摺って帰っていく。ダンジョンアタックは今日はお休みするらしい。
それもそのはず。今日は
♦♦───────♦♦
「すまんなぁー、今日は皆でまわる予定やったろ?」
「大丈夫、どうせ後で合流する気がするし〜」
「風のお告げ、ってやつかいな?」
そんな大したものじゃない───特にフィンの親指と比べれば───が、何となく直感が訴える時がある。明日に向かって吹く風みたいに、自由気ままに、だけども。
でもロキやフィンらは、ぼくの出自的に無視できないとか言うから、何となく風のお告げって言ってる。こっちの方がかっこいいしね!
そんな会話をロキとしながら向かうのは、オラリオの東区画。
やはりお祭り当日ということもあって、東のメインストリートは既に多くの人で混みあっていた。
この日のために立ち並んだ出店、朝からお酒をラッパ飲みする冒険者たち、馬鹿騒ぎする神々。
いっそ圧巻とも言うべき光景が、オラリオを
「ここや、ここ」
待ち合わせに指定された場所は大通り沿いに建つある喫茶店。
人の群れを縫って、ドアをくぐり鐘を鳴らすと、直ぐに店員が対応してくれた。そのまま二階に案内され、素直について行く。
二階に足を踏み入れた瞬間感じたのは、時が止まったような静寂。
「ロキ、ここよ」
そして冒険者として鍛えられた五感が、その人物に吸い寄せられる。
耳朶を打つ美声に振り向けば、そこには『美の化身』がいた。
「よぉー、待たせたか?」
「いいえ、少し前に来たばかりよ」
「なぁうち、まだ朝飯食ってないんや。ここで頼んでもええ?」
「お好きなように」
【ロキ・ファミリア】と同等以上の戦力を保有し、一部の者たちから都市最強派閥と囁かれる【ファミリア】の主神。
美の女神、フレイヤ。その人がそこにはいた。
「ところで────」
フードの奥に光る、銀の双眸に引き込まれる感覚を覚える。ゾッとするくらい、綺麗な瞳と、ぼくの眼が合う。
「────いつになったらその子を紹介してくれるのかしら?」
「なんや、紹介がいるんか」
「一応、彼女と
魔性の色香が放つ美貌と、紺色のローブの上からでも分かる抜群のプロポーションに魅入っていて、ぼくの紹介になっていることに気付かなかった。
慌てて服を整えて、お辞儀をする。
「は、初めまして!アリス・ヴァレンシュタインです!好きなジャガ丸くんは、あんみつきな粉味!よろしくお願いします!」
「⋯⋯⋯ふふっ、聞いていた以上に面白い子ね。こちらこそよろしく」
い、意味深だぁ⋯⋯⋯!!もうなんかこう⋯⋯一挙手一投足に色気がありすぎて、黒幕みたいな感じする!でも最後はころって堕ちそうな、チョロさも醸し出してる!エロかわいい!
久しぶりに感じた神々の凄さに驚かせられつつ、ロキの隣に座る。そう考えると、ロキは安心する。どことは言わないけど平坦だし。
「なんか失礼なこと言われた気ぃするなぁ」
「気のせい気のせい」
ロキのいい所は⋯⋯⋯うん、きっとあるよ!
心の中でそうフォローしながら、フレイヤ様と相対する。彼女の銀の瞳はぼくを見ていて、やっぱり見てない不思議な感じだった。
「じゃあキリキリ吐いて貰おかァ。一つ目、
「決まってるでしょ、
「じゃかあしい。お前がそんな奴やないのは、うちかて分かっとる」
口を吊り上げるロキは、うっすらと眼を開けてフレイヤ様をみる。それに対してフレイヤ様はローブの奥で可笑しそうに微笑むだけ。
「二つ目、最近になって、こそこそ宴やらなんやらに出てるんは何でや」
「さぁ?どう思う?」
いつの間にか周囲の客の姿はなかった。
睨み微笑み返す女神達の物騒な神威に気圧され、出て行ったらしい。唯一彼女らの傍に居るぼくは、ハラハラとしながら事の成行きを見守る。
店外の喧騒が、この場に沈む沈黙を引き立てた。
「はァ、どうせ他所の【ファミリア】の男に目ェ付けたいつものパターンやろ?余計な気を使わされたんやから、それくらい白状しろや」
溜息を吐いたロキは、やもすると強引な言い分を告げる。過程を通らない超然的な神の直感とは恐ろしく、フレイヤ様は微笑みながら口を開く。あ、お口かわいい。
「そうね⋯⋯⋯強くは、ないわ。些細な事で傷付き、簡単に泣いてしまう⋯⋯⋯繊細な子ね」
ローブの中で、美しい銀髪の一房が首からこぼれた。
「でも、綺麗だった。今まで見てきた、どんな魂よりも綺麗で⋯⋯⋯透き通っていた。あの子は私も見たことのない色を持ってるの」
幼い子を慈しむその声音に、次第に熱がこもる。言葉を立て続けに口にしたフレイヤ様は、窓の外を見る。モンスターフィリアで賑わう光景を、ぼくも横目で見下ろす。
「見つけたのは本当に偶然。あの時も、こんな風に⋯⋯⋯⋯」
そして、ほんの一瞬。大勢の人の流れを眺めていたフレイヤ様の視線が、一点に止まった。
反射的に視線の先を追い────真っ白な髪をした彼が、人波に流されているのを、見つけた。
「⋯⋯⋯ベルくん?」
ハッとしたぼくは口を閉じる。
慌てて正面に向き直れば、フレイヤ様は蕩けるような笑みで、思わず零れた言葉を肯定しているような気がした。
「ごめんなさい、急用ができたわ」
「はっ?ちょっ」
「この話は、また今度にしましょう」
ロキの訝しげな声を無視して、フレイヤ様は立ち上がる。
そして退店する前。ぼくに向き直り、呟く。
「─────あの子に、よろしくね?」
「────ッ」
ゾクリと、背筋に何かが迸る。
蠱惑的で、熱を孕んで、艶麗で、どこか畏怖すら感じるその声音。その笑み。フレイヤ様の神性とは別の顔を、今垣間見たように思える。
分からない、分からないけど、ただ─────
「どないしたん、アリスたん?『あの子』?」
「⋯⋯⋯多分、こっちの話です」
────あれは女の顔をしていたと、風が告げてる気がした。
胡乱げな視線を飛ばすロキには答えれず、この後の屋台巡りもなぜだか気分が乗らなかった。
♦♦─────────♦♦
「⋯⋯⋯貴方がいいわ」
『────!!』
大小様々な
その中央で、フレイヤは被っていたフードに手をかけ、絶世の美貌を露わにする。
凶悪なモンスターが揃って釘付けになる中、女神の眼差しは一体のモンスターを捉える。
真っ白な体毛、異常発達した両肩と両腕。野猿のモンスター『シルバーバック』である。
そして解き放つ。
自由奔放な女神の傍迷惑すぎる気まぐれに選ばれたシルバーバックは、鼻息を荒く、その瞳を大きく見開いていた。
(しばらくあの子の成長を見守るつもりだったけれど⋯⋯⋯)
女神が想うのは白髪の少年。
青臭くて、愚かなほどお人好しの男の子。
冒険者の才能はないと思っていたが、何があったのか、見る見るうちに器を広げていっている。ゼウスとヘラの時代でもなかった、常識外れの速度で。
フレイヤはその成長────否、『飛躍』を、銀の眼で見定めていた。
(ええ、そうね。確かに貴女たちが先に見つけたのかもしれないわ)
想起したのは、早朝の密会。バベルの最上階から見下ろすフレイヤは、人知れずその逢瀬───逢瀬にしては、血なまぐさいけれど───を見ていたのだ。
黄金の彼女たちの薫陶を受けた彼は、みるみるうちにその透明な魂を躍動させ、階を登ろうと泥臭く藻掻いていた。
(でも、私のほうが、彼を輝かせられるわ)
見初めた相手に対する衝動が、身体を火照らせる胸の疼きが、『愛』が────そして一匙の女の嫉妬が、フレイヤを突き動かす。
あの子の困った顔がみたい。
あの子の泣きそうな顔がみたい。
そして何より、冒険する彼の顔がみたい。
美の女神が、見初めた相手の『勇姿』を求めるのは間違っているだろうか?
「さぁ、あの子を追いかけて?」
結論、間違っていない。
全てはフレイヤの、愛ゆえに。