藍色の空が見える。
少し冷たい風が肌上で滑るのを感じながら、稜線の向こう側—————まだ夜明けが始まっていない東の空をぼうっと見つめる。
あの空の、夜と朝の境目が曖昧なように。僕—————ベル・クラネルの意識も、どこか曖昧だった。というか、非現実的だと思った。
(たしかここは………)
そんな市壁の
「ちょ、ちょっとお姉ちゃん?今の結構やばい音しなかった?………ゴギッ、って」
「ウウン、ソンナコトナイヨ」
「いや絶対したって!人からなっちゃいけない類いの音だったよ!?」
「ダイジョーブ。テカゲンシタヨ」
「なんでずっと片言!!」
「アッ、ヒザマクラシナイトー」
「もしかしなくても、
鈴の音のような声が頭上を飛び交い、やいやいと気安いやり取りが繰り広げられている。
それを呆然と聞いて、やっぱり非現実的だなぁと思う。
手を伸ばしても届かない高嶺の花、何もかもしなくちゃあ並び立つことも許されない金の憧憬。隣に立つ資格を、欠片も所持してない自分がどうしてこんな近くに居れるんだろうと不思議に思う。
どういう
仰向けになっている僕の顔を、金色の瞳がのぞき込んできた。
「だ、大丈夫?」
「………ほあぁ!?」
視界のど真ん中に現れたヴァレンシュタインさん—————アリスさんの顔に、僕は奇声を上げて起き上がる。
膝から転げ落ちるように回転し、立ち上がりながら振り向けば、アリスさんは膝を綺麗に揃えて石畳の上に腰を下ろしていた。「お姉ちゃんじゃなくてごめんね?」なんて、はにかみながら。
やっぱりこれ、僕に都合がよすぎる夢なんじゃ?
そう疑いたくなるくらい、めちゃくちゃ嬉しいんだけど………………消えてしまいたい。いろんな意味で情けなさ過ぎて。
顔を真っ赤にする僕とは反対に、アリスさんのお姉さんのアイズさんは落ち込んでいた。
「ま、また膝枕した……!!アリスの膝は、私のものなのにっ」
「ぼくの膝はぼくのものなんだけどなぁ~」
アリスさんが諦めたように呟いて、アイズさんは眼光を鋭くして僕を射抜いてきた。
その
アリスさんの膝枕を受けた僕に嫉妬(?)してアイズさんが容赦なく僕の意識ごと吹っ飛ばし、アリスさんの膝枕で意識を覚醒させて………今までずっとこの繰り返しだ。
「ん、続き、やるよ」
「は、はい!よろしくお願いします!」
「がんばって~」
なけなしの意志と………
惰弱で、貧弱で、虚弱で、軟弱で、脆弱。ありとあらゆる罵倒を足したってまだ拭いきれない自分の
『冒険者ですらねェ雑魚じゃあ、アリス・ヴァレンシュタインの隣に立つ資格すらねェよ』
あの
何も言い返せない自分は、どうしてこんなに無力なんだ。
(悔しい、悔しいっ、悔しいッ!!—————だからこそ!!)
「————行くよ」
彼女の隣に立つ
安物のナイフを二振り構え、金の剣となったアイズさんと相対する。
圧倒的な
◆◆—————————◆◆
「冒険者ですらねェ雑魚じゃあ、アリス・ヴァレンシュタインの隣に立つ資格すらねェよ」
その通りだ。
アイズ・ヴァレンシュタインにはその言葉を否定することは出来ない。
アイズの目は常に前に、遥か高みに向けられている。叶えなくてはならない願望がある。その先の平和になった日常で、家族と過ごすささやかな願いがある。
そのために、弱者を顧みる余裕はない。
遥か後方にいる者のために、足を止めることは出来ない。
何より、自分より弱くて、軟弱で、無知な誰かに、妹の隣を預けることなんて、考えるだけでも恐ろしい。
そう。そのはずだったのに……………
「ッぁああああああああああ!!!!」
『———!?』
『ウォーシャドウ』が撃ち出した右腕を紙一重で避け、握り締められた無手の右拳が黒い影の顔面部分に吸い込まれる。
響き渡る、鈍重な破砕音。
まだ青い冒険者未満の少年の咆哮、灰に舞うモンスターの骸。
止まらず、顔面から腕を引き抜いて、残る一匹に電光石火を思わせる勢いで肉薄。床に突き刺さった短刀を構え、捨て身の特攻が魔石を砕く。
「はぁっ、はっ、は………っ!!」
全身で息を吸いこむ白髪の少年を視界に収めて。アイズの中の疑問は、徐々に確信へと変わりつつあった。
「成長が早い……?」
技術が、ではなく。
冒険者を冒険者たらしめる
どうしてだろう。そんな疑問が降って出る。
「ねぇアリス………」
「わわ………危なっかしい!!見てられないぃぃ………っ」
疑問を共有したい
疑問はまだ多い。
激上する能力値に釣り合わない、駆け引きの拙さ。
(まるでつい最近、戦い始めたみたいな…………)
そこで、はっ、とする。
アイズの思い違い。疑問の正体。
(この子、
現在ダンジョン6階層。さっき白髪の彼が相対してたのは、この階層でも随一の戦闘能力を持ってる『ウォーシャドウ』。
『上層』と定められているダンジョン一階層から十二階層の内、
一対一での戦闘は愚か、多対一の数的不利で勝利してのける
「ハァァァァ!!!」
呼応するように瞬く安物のナイフが、雑な扱いに耐え兼ねて砕ける。
さっき発生したドロップアイテム『ウォーシャドウの指刃』を代わりに装備しながら、ウォーシャドウの群れに突貫する彼。
「すごいね、彼」
「………うん、すごくすごい」
アリスの称賛に、アイズは素直に賛同する。
何度ひざを折っても立ち上がり、意志を燃やす白い彼を見て、アイズは自然と手を握り締めた。
どこか昔のアイズを思い出させる淡さが目に焼け付く。純粋に笑いあっていた、無垢で無知で無力なあの頃だ。
アイズにはあの少年のことなんてわからなかった。
彼がミノタウロスに追われて何を思ったのか、ベートに貶されて何を感じたのか、何一つ、わからない。
「くっ!?—————ッああああああああっっ!!」
だからこそ、アイズは見た。
目を背けたいほど未熟で、見苦しいくらい傷だらけで、それでも戦いを辞めない少年の姿を。—————その雄々しき背中を。
けれど、あの純白の咆哮の源が、きっと透いているだろうことは分かった。
(たしか、たしかあの子の名前は————)
酒場を飛び出す彼に、店員の少女が叫んでいたその名前は確か…………。
その答えは、アイズの隣の少女からもたらされた。
「ベル。ベル・クラネルだよ」
アイズたちが昨日救った少年の名前。
今、冒険者への一歩を踏み出した少年の名前。
アイズに昔の思い出を運んできてくれた、その名前。
アリスが夢中で見つめる、白い兎。
「………ベル」
きっと忘れない。その名前を。
「ほら、いこ?」
「っ………?」
「話してみたい、って顔に書いてるよ~」
手を引くアリスに、抵抗はしなかった。
認めよう。
アイズ・ヴァレンシュタインは、ベル・クラネルに興味がある。
あの純白の源を、強さを求める理由を知りたいんだと、アリスが気づかせてくれた。
自分の黒い炎と何が違うのか、確かめたくなった。
「うん、行く」
そのあと顔を真っ赤にして逃げる兎を捕まえて、何故かとんとん拍子で師事することになった。
アリスは後方で腕を組んで、満面の笑みをしていた。
◆◆——————————◆◆
「うん、そう。死角を殺して」
「っ!」
「
「ふぁっ!?」
アイズの———お姉ちゃんの訓練は、熾烈だった。
かのスパルタ人も裸足で逃げ出すくらいに、ベルくんはボッコボコのメッタメタにされて、くたくたの洋服みたいになっていた。訓練しちゃおーぜって提案したぼくの浅慮を、今更ながら後悔シテマス………
ベルくんは修行、お姉ちゃんは師範役、ではぼくは?
「【天紡ぐ平癒の
「あ、ありがとうございますッ!!!」
「これくらいしかできないからねぇ~」
太陽よりも顔を真っ赤にするベルくんに魔法をプレゼント。気合十分とばかりにお姉ちゃんに突貫して…………あ、また吹っ飛ばされた。
石畳と熱い抱擁を交わすベルくんに、しかし容赦なくお姉ちゃんは剣の鞘を振り下ろす。ほんとに容赦ないじゃん。
慌てて真横に転がった勢いで跳ね起きた彼は、地面を破壊してのけた鞘の威力に顔を青ざめ、それでも勇気をもって前へ進んだ。
「…………防ぐのが苦手みたいだね。それじゃあ————」
「~~~~~っっ!!」
縦横無尽に走り抜ける無数の斬閃。
無意識に後ろに後退る彼の逃げ道も封じる結界だ。
防ごうとするナイフを、手首を、隙だらけの全身を咎めるように滅多打ち。きっと言語化が苦手なお姉ちゃんからのメッセージなのだろう、『まだまだ死角が消せてないぞ』っていう。
流石の
それだけでなく、お姉ちゃんは積極的に言葉にしようと努力もしていた。
「…………
「ぇえ………?」
「みんな、恩恵に依存する。能力と技術は違う」
剣の猛威を弱めながら、薄い唇が開く。
「それが、『技と駆け引き』」
「!!」
「もし【ステイタス】を失っても、君の中に残るもの。きっと君が、この先で必要になるもの…………だと、私は思う」
真摯な音色に帯びるその言葉に、ベルくんの瞳は見開かれる。
徐々に、本当に徐々にだけど、ベルくんが対応し始める。半歩早く動き、半瞬早く反応する。それは未熟でも確かな『技と駆け引き』の芽生え。図らずして、感心させられる。
「ッッ………続き、お願いしますっ!!」
「うん、いくよ」
あそこまで自分の弱さを直視できる人がいるだろうか?
そんなことを、ふと思う。
激励ですらないベートさんの発破は、ベルくんをダンジョンに追い立て、突き動かした。奮戦し、冒険者に変わる彼を、ぼくらは見た。
あんな純粋無垢で、純情極まる想いで戦う彼を見て、尊敬すら感じる。あんなに人を想えるなんて、羨ましいとも思ってしまう。
だからこそ、約束された宿命からアイズ・ヴァレンシュタインに手を差し伸べられるのは、ベル・クラネルしかいないと思う。
いつか。
うん、全部が平和に終わったいつかに。
アイズお姉ちゃんが昔みたいに真っ白な笑みを浮かべられたなら。
向けられる相手がぼくじゃなくてもいいかな、って思うわけなんです。
それがぼくの願い。誰もが描くハッピーエンドを、想っているんだ—————。
「う~ん、今日も風が気持ちいいや」
「ん、油断」
「ぴぎゃあっ!?」
こんな光景も二人の結婚式でやるスピーチのネタになるなぁと、心の中でメモしつつ、情けない声と共に風が吹き抜けていった。
オラリオは今日も平和である。
◆◆————————————◆◆
おまけ
酒場を飛び出した翌日。
強くなりたいと願ったベルと、傷だらけになった彼を見て驚いたヘスティア。
【ヘスティア・ファミリア】にて。
「べべべべべベル君!?なんかすっごくステイタス上がってないかいっ!?一体なにが…………」
「ダンジョン(とか)で、ウォーシャドウ(とLv5二人)にボッコボコのメッタメタにされました…………」
「ええぇ……………」
最終的に、ウォーシャドウたちvsベルvsヴァレンシュタイン姉妹という本当によくわからない地獄を潜り抜けたベルは、一つ大人になった。
【ロキ・ファミリア】では。
「リヴェリア……もう許して………」
「ダメだ」
「ジャ、ジャガ丸くんがぁ…………」
「打ち上げで勝手に消え、あまつさえダンジョンに軽装で向かったお前たち二人の罰だ。これに懲りたら、二度とするなよ」
「「ごめんなさい………」」
「それはそれとして、今日はこのまま生活してもらうが」
「リヴェリア……そ、そんな………!?」
「鬼畜
「え、ちょ、アリスたん擦り付けんといtぎゃああああああああああああああああああああああああああ!?!?!?!?!?」
「バ、ババァ!ふざけっぐはぁぁぁぁああああああああああああああああああ!?!?!?」
二人の大好物のジャガ丸くんを、団員全員が美味しそうに食べている。もちろん二人は食べられず、お預けをくらってる。
そんなアイズとアリス、二人の首には、『わたしたちは、あさがえりをした、ふりょうむすめです』という札が掛けられていた。
今日もオラリオは平和であった。