「はっ………はっ………!!」
ふわふわの白髪に
後ろを振り返る暇すら惜しむように腕を振り、脚を上げ、体力の続く限り、走っていた。
『ヴモオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!』
「ほぁああああああああああああああああ!?!?」
ほんの数日前に恩恵を授けてもらった少年では、到底太刀打ちすらできないそのモンスターの名は、ミノタウロス。
牛頭人体の巨躯が迷宮の壁を削りながら迫っているのを肌で感じながら、十四歳の少年————ベル・クラネル———は理不尽極まりない命懸けの追い駆けっこを強いられていた。
一攫千金ならぬ
『ヴゥムゥンッ!!』
「でえぇっ!!」
ミノタウロスの蹄。
背後からの一撃は身体を捉えることはなかったものの、地面は砕かれ、礫となってベルの背中を襲う。
「うぐっ!?」
『ヴォォォ!ヴヴォ!!』
甚振るようなそれに歓喜するミノタウロス。
減速を挟むも、それでも駆けるのをやめないベル。
けれどこんな窮地をあと何度か乗り越えれば、きっと生きて—————
『ヴモォォ………!』
「へっ!?も、
ちょうど十字路を挟んだ向こう側。
そこにはどうしようもない現実が魔物の形をして立っていた。
「ひ、ぃ、ぃ………ひぃ………」
何十もの通路を抜けて、辿り着いたその先で、生還の希望はあっけなく散ってしまう。
—————あぁ、死んでしまった………
みっともなく涙を流して歯をカチカチ鳴らし、筋骨隆々の身体を見上げて不細工な笑みを浮かべ、ベルはその短い生涯を—————と諦めかけた瞬間。
二体の怪物の胴体に翡翠色の線が走った。
「え?」
『ヴォ?』
『モォオ?』
揃う三つの気の抜けた声。
恐怖から閉じかけていた目を限界まで見開き、何が起こっているのかを恐る恐る確認する。
『ヴォオ!?』
『ヴォオオ!ヴモオオオオ!?』
反響するミノタウロスたちの叫び声。
そして目に映るのは、胸部、肩、腕、脚、首とバラバラに崩れ落ちるミノタウロスだったモノ、そして人影。
噴出する鮮血と灰になるモンスターの死骸の奥。大量の血のシャワーを全身に浴びてながら、自分を救ってくれたであろう人物の姿が見えた。
—————綺麗だ………
牛の怪物と入れ替わるように現れたのは二つの影。女神様と見紛うような、美しい少女だった。
蒼色の軽装に包まれた細身の体。白色のワンピースにも似た衣服から伸びるしなやかな肢体は、触れれば折れてしまいそうなほど儚く、眩しいくらいに美しい。
黄金財宝にも勝る金髪の輝きと、黄金が注がれた器のような丸い瞳が、こんなにも胸を締め付ける。苦しいのに何故か心地よい、何とも言えない不思議な感覚。それに呼応するように、顔も熱くなっていく。
「………ぁぁ、ぁ」
「あの………大丈夫、ですか?」
—————大丈夫じゃない。全くもって大丈夫なんかじゃない………ッ!!
ベルが見つめる少女の隣。同じような
そして、いつまでも動かないベルをみて、小首をかしげながら喋る。整った高い鼻筋に薄紅色の潤いを帯びたみずみずしいふっくらとした唇から、甘く優しい吐息の混ざった柔らかい声が零れる。
「あ、あれー………?ホントに大丈夫じゃない感じ?」
————違います。大丈夫なんです!大丈夫じゃないけど、大丈夫なんです多分!!
心の中で一向に言い訳をしても、ベルの体はまるで言う事を聞いてはくれない。そして懸命に振り絞って出した言葉は………
「だ………」
「「だ?」」
「だぁぁあああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?!?!?!?!?」
叫び声となってダンジョンに響く。
次の瞬間には弾かれたように、全速力で逃げていった。
そのスピードは、ミノタウロスとの追いかけっこの時よりも遙かに上回っていた。
◆◆————————◆◆
白兎みたいな少年の奇声が木霊している。
ぽかんと、目を見開いて立ち尽くすアイズの隣でぼくは場違いに感動してしまっていた。
転生者としての自覚を持ってはや九年。掠れ始めた浅い知識の中でもなお印象的なシーンを目の前で拝めるのは、感動以外の言葉では言い表せない。いやほんと、この世界過酷過ぎて………ッ!何回も死にかけたもん。
まぁ、でも。これでやっと主人公ベル・クラネルと、ヒロインのアイズ・ヴァレンシュタインの初会合が出来たわけで。物語がようやく始まったんだなぁ………こっから一年で黒竜死ぬってまじですか?
とまぁぼくが感慨深く、ほへー、と。アイズが呆けていると、後ろから震えながらお腹を抱えるベートさんの姿が。
「………っ、………くくっ!」
体を折って後頭部を晒し、ひーっひーっと言いながら必死に笑いを堪えているベートさん。でもあなた、このあとトマト野郎発言でアイズにコテンパン(精神的)にされますよ?
「………むぅ」
頬を薄っすら赤らめたアイズは、ベートさんを睨むけど、かわいい以外の何者でもない。
それから彼女は言い訳のように呟いた。
「わたしじゃ、ないもん。アリスにびっくりして逃げちゃったんだよ」
「え、ぼく?」
いきなり矛先がこちらに向いて素っ頓狂な声が出るが、否定して見せる。
「まさかぁ、今の反応はぼくじゃなくて
「違う、アリスだよ」
「絶対、お姉ちゃんだってば!」
こうなってしまうと我が姉は頑固だ。ぷくぅっと頬を膨らませる彼女に、それでもこの運命の出会いをちゃんと認識してほしかったのだ。
なぜなら、ぼく————アリス・ヴァレンシュタインは、ベルアイ派なのだ。
そこから我々【ロキ・ファミリア】の
◆◆————————◆◆
脅威が去ったというのに、ベルは走り続けていた。
ダンジョンを抜け、地上へと出た後も真っ赤に染まりながら走っていたのだ。
なぜなら彼にはやらなくてはいけないことがある。確かめなくちゃならない、たった一つの想いがある。
黄金の彼女を想うだけで今にも爆発して砕け散ってしまうほど高鳴る心臓が、熱病みたいに熱に浮かされる顔が、ベルの身体を突き動かす原動力だ。
そう。だから————
「エイナさぁああああああん!!アリス・ヴァレンシュタインさんの情報を教えてくださああああああいっ!!!」
芽吹く盛大な恋心のまま、ベルは担当アドバイザーのエイナのもとへ、駆けだしたのだ。