第71話 戦略物資

1546年(天文15年)8月12日 山城国山科 長尾軍陣所




山城国宇治郡山科、此処は東山により京都盆地から、音羽山や醍醐山などにより近江盆地から隔てられており、古くから京都と東国とを結ぶ東海道が通り、宇治街道へ抜ける分岐点でもある交通の要所であった。

この山科の地の地勢的重要性は、東海道新幹線、名神高速道路が走り、東京・名古屋から京・大阪を結ぶ主要な交通路として現代においても変わっていない。


俺は、北花の陣に2千の兵を残し2万8千の軍を率いて北花より6キロ程東の、この山科に陣を張った。


俺が陣を構えたのは、四ノ宮川と山科川の合流地点で、かつて強固な堀と土塁による防衛機能を有した城郭都市であった山科本願寺の廃墟だ。

元々此処山科が本願寺の本拠地であったのだが、10年以上前に将軍の足利義晴と敵対した証如は室町幕府から謀反人と認定され、本願寺の横暴とその勢力の拡大を恐れて細川晴元と法華宗徒、それに此度の戦相手の六角定頼によって攻撃され焼亡した。

この地を追われて、本願寺は今の大坂石山に本拠地を移した訳だ。


現在は唯の廃墟でしか無いが、深い堀と強固な土塁は往時のまま残っている。

平地の為に北花程の堅陣とはならないが、唯の平地よりは幾分と強固な陣を築けるだろう。


北花の堅陣に籠って六角を迎え撃つのが一番被害が少ないのは判ってはいるが、

此度は大戦になりそうな為に万一にも帝や公卿達達に怪我でもさせれば、此方の沽券に関わる大事となるし、京への被害を考えての事だ。


それに何時までも、帝達を無粋な仮御所に御住まい頂くのも気が引ける。俺もさっさと、この戦に片を付けて越後に帰りたいしな。六角としても堅陣に籠られるよりも、此処での野戦の方が此方に出向き易かろう。


現に俺が山科に陣を張ったのを知った六角が、直ぐに此方に向けて4万5千軍勢を動かした。少し数が増えているのは、六角配下の北伊勢の軍勢が合流した為だ。

六角は総力戦の構えだな、六角のこの戦に掛ける意気込みが伝わってくる


其処まで、本気出さんでいいのよ?


総力戦とかマジ勘弁してもらいたい所であるが


まあいい、此方の準備は概ね整った。


此度の上洛戦の大ボス・六角定頼との最終戦は此処、山科でケリを付ける。





1546年(天文15年)8月15日 山城国山科 長尾軍陣所




「暑いですわ⋯旦那様。」


「さっさと、六角を捻り潰し越後へと帰りましょう新様。」


「京の都の夏は暑い、と聞いておりましたが⋯これは堪えます。」



ここ山科にて、六角勢と睨み合う事3日、盛夏の日差しが容赦無く大地を照らし、何もしていなくても汗が噴き出てくる。

この暑さに兵も嫁達も大分参っている様だ。この時代重く通気性の悪い鎧や鎖帷子を着けての戦だ。そりゃ暑いわ。

それでも、対峙する六角勢と比べてみれば、此方は随分とマシと言って良いだろう。うちの工兵達の一部には、江戸時代後期に上総国で発達した竹の弾性を利用して鉄のノミを打ち付けて掘削する「上総掘り」の技術を習得させている。この技術に依って比較的短期間で井戸を掘削する事が出来、掘削した井戸に手押しポンプを設置すれば、戦場でも冷たく新鮮な飲水を兵士達に供給する事が出来る。

兵士の鎧も従来の物より、かなり着脱の手間が掛からない物に変更済みで、今ではその着脱に掛かる時間は慣れれば1分程だ。

その為、最前線以外は戦闘時以外は鎧を脱ぐ事も許可している。

油断して居る訳ではなく、緊急時以外に無駄に体力を消耗する必要は無いからな。長期戦の秘訣は、抜ける時は力を抜く。それが出来なければ、有事に力を発揮する事は、出来ないだろう。


因みにだが、井戸の掘削で役立っている『上総掘』の技術は将来的には油田や天然ガスの掘削にも応用が効くはずで、目下春日山にて温泉の掘削を目指している所でる。

あ〜、早く温泉に浸かりながらの雪見酒、などと洒落込みたい所である。


「⋯お主達、少し弛んで居るのではないか?」


むっ、嫁達と余りの暑さに鎧を脱いで、だらけて居たら脳筋のジジイが登場しやがった。

そういえば、このジジイ熱帯の台湾で暴れ回っていたからな。この暑さでも割と平気な顔をしてやがるな。


「父上、今の所敵勢は此方に攻め寄せる気は無いでしょう。今から気を張っておっては肝心な時に力を出せませぬ。それでは、本末転倒と云うものでしょう。」


お、千代が反撃に出た。いいぞ、もっと言ってやれ。


「ほう。この儂に戦の説教とは、随分と偉くなったものよの千代。何故、敵勢は此方に攻め掛かる事は無いと思うのじゃ?」


大殿も別に怒っている訳では無さそうだ。どちらかと云えば愛娘と戯れている感じだな。娘に構ってもらえて、何処か嬉しそうである。


「敵勢は、雨を待って居るからです。」


「クククッ。我軍の銃への対策か⋯おそらく、主の見込みは正しかろうが、あくまでも予想に過ぎん。万一に攻め掛かって来たらなんとする?此方は不意を突かれる事になるぞ。」


「その様な時の為に、旦那様は現在この戰場に多くの物見を放って居るのです。決して、油断して居る訳では無く力が必要な時に出せる様に備えて居る。それも戦に必要な事と存じます。」


「うむ。其処まで判って居るなら、儂が出る幕では無いのう。流石は儂の愛娘よ。随分と成長してくれた事、父は嬉しく思うぞ。後は⋯⋯早く孫の顔を、儂に見せてくれれば何の文句も無いのじゃがな!」


「なっぁ!?⋯ち、ちっうえ⋯な、、なにを⋯⋯」


顔を真っ赤にして俯く千代、最後は親父のセクハラ発言に撃沈した。

その姿はなかなかに愛くるしい、千代も随分と成長しているがやはり、まだまだ年の功には勝てん様だな。


千代の言う通り、おそらく六角は雨を待って居るのだろう。

去年の河越合戦で、うちは本格的に戰場で銃を使用している。敵が銃に付いて研究するのは当たり前の事、敵陣を見ても明らかに銃対策で有ろう竹の束を持った兵達が見えるし、僅かだが火縄銃を装備した兵も居る様だ。

火縄銃が日本に伝来して3年、いよいよ日本にも銃が本格的に普及し始めているいる様だ。うちが既に、関東での戦で本格的に使ってその有用性を示しているからな。

他家も、うちに対抗する為に必死なのだろう。

今生の世界では、銃の普及は史実よりも早いかもしれんな。


しかし、銃の運用には火薬が不可欠となるが、この時代の黒色火薬の原料となるのは木炭と硫黄、そして硝石の三種類の原料の配合によって作成されている。

その黒色火薬の製造に必須である硝石は、日本の様な高温多湿な気候では天然で採掘する事は出来ない。

うちは現在、佐渡にて『硝石丘法』と呼ばれている、風通しのいい家屋に窒素を含む木の葉や石灰石・人や家畜の糞尿・を土と混ぜて積み上げ、定期的に尿をかけて硝石を析出させる手法により、自前での調達に成功しているが日本の統一まではその製法を他家に広めるつもりは無い。


つまり、今の所黒色火薬の製造に必須となる貴重な戦略物資である硝石を日本で生産できるのは長尾家だけだと云う事だ。

となると、他家は銃を使いたければ硝石を海外からの輸入するしか無くなる訳だが、その輸入ルートである対馬・琉球・台湾は、既にこちらが押さえている。

当然俺は、海外からの硝石の輸入は認めない。

それは、銃や大砲などの火器が日本に広まれば広まる程、長尾家は硝石の販売により莫大な利益を得る事も出来れば、何時でも敵対勢力に対してその供給をストップする事が出来るようになる訳だな。


俺が川越合戦にて銃の使用を解禁したのも、佐渡での硝石の安定供給の目途が付いたからだ。


新兵器である銃の有用性に一早く気が付き、それを導入、研究しその対策を工夫する六角定頼は流石の名将と言われるだけの事は有るが、そもそもにして定頼が研究した火縄銃とうちが使用しているフリントロック式の銃とは、その性能・構造が大きく異なる。


そして、その運用に必要な重要な戦略物資を俺に握られている危険性を、定頼は果して気が付いているのかな?


「新様。風が湿り気を帯びて参りました…おそらく、明日には久方振りの雨となるかと。」



確かに、美雪の言う通り少し空気が湿気を含んできた気がする。



西の空をを見れば、其処には灰色の厚い雲が浮かんでいた。







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