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ウクライナから県内に避難する若者のいま

逆境と闘う水戸市の大学の避難女子学生
  • 2025年3月21日

ロシアによる軍事侵攻から3年。停戦に向けた動きも見られるものの、今後の具体的な見通しは立っていません。こうした中、茨城県内に避難している50人ほどのウクライナ人の中には、長期的な滞在を考える人も少なくありません。
このうち水戸市内に住む大学生は母国の情勢を懸念するとともに、みずからの卒業を前に将来への不安を募らせています。軍事侵攻に人生を翻弄されるウクライナの若者の現状を取材しました。

3年となる茨城での避難生活

水戸市内のアパートに暮らす大学4年生のソフィア・マシチェンコさんです。2022年9月、水戸市の常盤大学に留学生として避難してきました。

キーウ大学で日本語と日本文学を専攻していたソフィアさんは、避難しながらも勉強を続けたいと考え、日本を避難先に選びました。県内の大学を選んだ理由は、茨城の町並みがふるさとウクライナに似ていたからです。
しかし、思いをはせるのは、キーウの自宅にいまも暮らす母と弟のことです。

ソフィア・マシチェンコさん
「私がウクライナにいると、母が常に心配で不安になってしまうということで、母から説得されて、2,3週間後に避難することになりました」


 

母とテレビ電話するソフィアさん


月に2、3回、テレビ電話で家族と話しますが、戦況によってつながらないこともあります。
空襲の有無がわかるアプリを見ながら、タイミングを見計らってやりとりします。
特に2月24日の直前は、ロシアによる攻撃が集中し、なかなか連絡が取れない日が続いたといいます。

ソフィア・マシチェンコさん
「電波が悪いときもありますし、電話に出ないときは心配してしまいます。だから、たまに必死になって弟に何度も電話をかけます。やっと電話に出た弟から、『そんなに慌ててどうしたの』って言われてほっとしたり。毎回無事なのですが、心配はなくならないです」

破壊されたイルピンの祖母の家
破壊されたイルピンの祖母の家

 

シェルターに避難するソフィアさん(2022年)


侵攻が始まった3年前、激戦地ブチャの近く、イルピンにある祖母の家は、大きく壊されました。
そして、軍隊に入った大学の後輩だった友人1人も犠牲になりました。戦争のこうした影響によって、ソフィアさんは心に大きな傷を負ったといいます。そして、いまは停戦をめぐっての動きにも懐疑的です。

ソフィア・マシチェンコさん
「国際社会から諦められているなという印象を感じています。もっとウクライナ自体がもっと愛されると期待していた。今はどちらかというと戦争が長引いてきたなというより、あまり守られていないというつらさがあります」

大学でウクライナの文化を発表
大学でウクライナの民族衣装を紹介

避難して以降、日本でさまざまな支援を受けてきたソフィアさん。堪能な日本語を生かして大学で勉強しながら、この2年半ほどの間に母国の状況を知ってもらうためのイベントなども開いてきました。

3月で大学を卒業してからも今後も日本で生活したいと考えていて、いまはアパートを自分で借り、アルバイトで生計を立てています。


この日の夜も、市内の飲食店で働いていました。 ソフィアさんは店では仕事の全般を任されています。まかないを担当すれば、ウクライナ料理を作ることもあります。
 

ソフィア・マシチェンコさん
「ここで働き始めたときは全く料理ができなくて、キッチンで働いている間にできるようになったし結構料理が好きになった。恩返しまでではないけれど、自分からも何か作ってあげたいと思っていて、だんだんウクライナ料理を作るようになりました。きょうは、デルニーというしょっぱいジャガイモパンケーキをみんなで食べます」


この店でのアルバイトは1年ほどですが、ソーニャという愛称で親しまれ、店からも信頼されています。

和田まゆみ店長
「彼女は性格的にテキパキしていて、ものすごく気がまわります。ソーニャ(ソフィアさん)は独り暮らしで、心配な部分もあるので、食事やメンタルも含めてこれからもサポートしていきたいです」。


 


ソフィアさんはこの春の卒業を前に就職活動もしてきましたが、決まりませんでした。
ただ5月には、いまのビザが切れるため、定住ビザを申請していて、アルバイトをしながら就職先を探すことにしています。

ソフィア・マシチェンコさん
「この1年間でアルバイトしながら、ちゃんと勉強して、ちゃんと就活をしたいと思います。就職できたら、頑張るしかありません」


部屋の壁には、体調を崩したときに、アルバイト先の同僚が自宅に届けてくれた食事に添えられていた手紙が飾られていました。
支えられてきた日本で、これからも生きていきたいと考えているソフィアさん。
停戦や和平ということばが聞かれるいまの流れの中で、ウクライナの実情を、これからも伝え続けたいと考えています。

ソフィア・マシチェンコさん
「時間がたつほど殺される人が増えるのに、忘れられてしまうのが怖い。ウクライナのために生きるというのもあります。多くの国民が虐殺されているから、自分は生きるしかないと思います」

ミハイロ・コチュビンスキーの短編集

市内の自宅には、ウクライナの民族性が書かれている古典文学がありました。この本を大切な文化の象徴だと感じているソフィアさん。ロシアの軍事侵攻から守るために日本に持ってきました。

ソフィアさんは「ウクライナの大切な文化なので、安全な場所にあってほしいと思い大切に持っています」と話していました。母国の文化をつないでいきたいというソフィアさんの強い思いを感じました。

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  • 藤田梨佳子

    水戸放送局・記者

    藤田梨佳子

    2021年入局で3年目まで警察担当。育休を挟み、現在は遊軍。興味分野は、医療と国際、福祉。

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