森下と山村に会ってカブトエビの話をした翌日。
春休み後半が慌ただしくなることを見越して、今のうちに休みを満喫しておこうと朝から本を読んだりテレビを眺めたりと無心で過ごしていた。
だが、こういうときは往々にして予想外のことが舞い込んでくるものだ。
昼食を食べ終え片付けをしている間に、ズボンのポケットが2回震える。
洗い物を済ませてからソファーに座り、スマホを確認した。
恵かと思ったが、片方は珍しく桐山からの連絡だった。『相談がある』とのことで、1時間後に3年生寮にほど近い自販機の側の休憩所に集合らしい。
なんでまたそんな辺鄙な場所で……と思ったが、集合場所と時刻をあちらが指定してきている時点で拒否権はないということだろう。
もう片方はこれもまた珍しく井の頭からで、こちらは夕方ケヤキモールの北口に来て欲しい、というお願いだった。
オレは双方に手早く了承の旨を伝える。できれば早めに終えて休日を楽しみたいところだ。
ソファーに張り付いて離れない重い腰をあげて、出かける準備を始めた。
*
指定の場所にたどり着くと、スマホを片手に立っている桐山と、ベンチに座り浮かない顔で空を眺める朝比奈の姿があった。
朝比奈の方が先にオレに気付き、すぐに立ち上がって手を振りながら駆け寄ってきた。
続いて、桐山もこちらに向かって歩いてくる。
「春休み中に呼び出して悪いな」
「いえ。今日は特に予定がなかったので」
短い休日を満喫していたことは伏せておく。これは2年間の学校生活で学んだ、社交辞令というやつだ。
「ごめんね。私たちにとっても突然のことで、正直すごく慌ててるの」
朝比奈が申し訳なさそうに両手を合わせてくる。
「早速だが、おまえに見てもらいたいものがある」
そう言って、桐山は胸ポケットから取り出した2つ折りの紙を開いて見せてくる。
「今日の朝、桐山くんの郵便受けに入ってたみたいなんだけどね……」
『卒業式当日、南雲雅に天罰が下るだろう。防ぎたければ2000万ポイントの入った携帯を明後日午後8時に3年生寮付近の自販機群、左から2番目の自販機の下に置け。以上を、南雲雅に伝えろ』
なるほど、脅迫状か。ドラマや小説なんかだとよく出てくるが、実際にお目にかかったのは初めてだ。
筆跡はわざと崩して書かれていて、手がかりにはできないだろう。
それよりもこの文を読んだとき、かすかな違和感を感じたのはなぜだろうか。
脅迫文に幾つかおかしな点があるのは分かるのだがもっと別の——よく使われている言葉で言うならデジャブ、というやつかもしれない。
「犯人の指定場所はここなんですね」
「ああ、だからこの場所に来てもらったんだ。といっても、この場で何か対策できるわけではないがな」
だったら別の場所でよかったのではないかと思うが、飲み込んでおく。
「雅にも確認してみたんだけど、なんにも知らないみたい。雅の郵便受けには入ってないらしくて、『放っておけ』って言ってた。まったく、他人事みたいに言うよね」
「学校への報告も考えたが、脅迫の度合いが低いとはいえ、事が起これば最悪卒業式が延期になる可能性もあるだろう。そうなれば、大勢の予定が崩れることになる。卒業式当日にこの学校を去る予定の者だっているんだ」
確かに、人によってはそのまま1人暮らしをするために引っ越す生徒もいるだろうしな。
予定が狂うと業者を待たせたり荷物が行くあてもなく彷徨ったり、色々と大変だろう。
「それでオレに解決してほしいと?」
「ダメ、かな?綾小路くんってすごい人なんでしょ?交流会で雅との勝負にも勝ったみたいだし——」
「もちろん立て込んでいるのなら断ってもらってもいい。ただ、如何せん物騒な話だからな。どう転ぶか分からないのが怖いところだ。できれば、堀北先輩と南雲が認めたおまえの協力は得ておきたい」
どうやら本当に困っているらしいな。朝比奈はともかく、オレを好意的に見ていない桐山までわざわざ頼み込んでくるほどだ。
「——力になれるかは分かりませんが、いいですよ。先輩たちには何かとお世話になりましたし」
もともと春休みはほとんど返上する腹づもりだったし、少し気になることもあるしな。
「ほんと?ありがとね、綾小路くん!」
朝比奈が満面の笑みでお礼を言ってくる。
「犯人の言う『天罰』が何なのかは置いておいて、気になるのはなぜ南雲先輩にではなく桐山先輩に伝えたのか、ですね」
「ああ、俺も疑問に思っていた」
「雅と仲良しで生徒会の元副会長だから、じゃないの?」
あまりに単純な思考に、桐山が突っ込む。
「俺は南雲と仲良くしているつもりはないが……2000万ポイント——つまりAクラス行きのチケットが欲しいのなら、南雲を直接脅せば済む話だろう。わざわざ俺を介して南雲に伝えようとする理由があるはずだ」
そう、それがオレの感じた違和感の火種だ。
「雅が怖かったからとか?」
「そんな臆病者ならそもそもこんなことを実行できないでしょうね」
「そっか、たしかに……」
「それに、いくつか不可解な点もあります」
オレがそう言うと、2人は無言で先を促してくる。
「——普通、スマホにはロックがかかっていて、パスワードを入力しないと開きませんよね」
「それはそうだけど……それがどうかしたの?」
「なるほどな」
朝比奈が不思議そうに尋ねた一方、桐山は納得したように頷いた。
「ええ。犯人の要求は『携帯を置け』だけなんです。パスワードが分からなければポイントは手に入らないのに、それに対する要求が一切ない」
普通なら、『パスワード不要の設定にして』『こちらが指定したパスワードに設定して』だとかいう枕詞がついているはずだ。
つまり——と桐山が後を引き取る。
「犯人は自由に要求できる立場なのにも拘らずその程度のことにも気がつかない人物、というわけか」
それもあるかもしれないが、可能性として高いのは——
「もしくは、プライベートポイントを必要としていないかです」
「えっ⁉︎そんなのおかしいよ。だって犯人って多分3年生でしょ?Aクラスで卒業するために、今すぐにでも2000万ポイントが欲しいはずだよ」
「朝比奈先輩はなんで犯人が3年生だと思ったんですか?」
「えーと、だって3年生寮近くの自販機が指定されてるから……違うのかな?」
「そもそも手に入れたポイントを使ってAクラスに上がったとして、1年生や2年生ならまだしも、3年生ならすぐに犯人がバレますよね」
「ああ、Aクラス行きのチケットは全て南雲が管理している。3年に自力で2000万ポイントを貯められる生徒がいない以上、隠し通せるはずもない。ペナルティがどれくらいかは分からないが、卒業を目前に退学など笑えないだろう」
「じゃあ、犯人は3年生じゃないってこと?」
「そうとも限りませんよ。さっき言ったように犯人の目的がプライベートポイントでない場合は、その限りではありません」
そう。犯人の目的がプライベートポイントでないと考えれば、オレが感じていた違和感とも辻褄が合う。
「その様子だと、すでに犯人に目星がついているようだな」
「ええ、ある程度は」
「えっ———⁉︎もう分かっちゃったの?綾小路くんって本当にすごいんだ……なんか、今まで普通の子だと思って接してたから雅からいくら聞いても信じられなかったんだよね」
「大袈裟ですよ。ともあれ、この件はオレに任せてもらえますか?」
「ああ、頼む。時期が時期だ。公にせず解決できるのならそれに越したことはない」
「私からもお願いね。みんな揃って、笑顔で卒業したいの」
「はい、明後日には解決できるかと。追って連絡します」
そう答えて、オレはその場を後にした。
*
夕方、伝えられた通りの場所に足を運ぶと、俯いた井の頭が柱のそばに立っていた。オレが軽く声をかけると、顔を上げて謝ってくる。
「ごめんなさい、綾小路くん。急に呼び出してしまって……」
「それはいいが、井の頭から呼び出されるのは初めてだな」
「あの、相談があるんです」
「相談?」
「
脅迫状に脅迫、か。今日はなにかと脅迫に縁のある日だな。そんな縁、あるのかは分からないが。
「館林っていうと、交流会で井の頭のグループのリーダーだったか」
言うことを聞かない高円寺にお冠だった様子をよく覚えている。
井の頭はそれに頷き、事のあらましを話し始める。
現状をうまく受け止められていないのか話が右往左往していたが、簡潔にまとめると、交流会で交換した館林の連絡先から全財産を振り込めと執拗に送られてきているらしい。断った後も毎日のように催促してくるため無視していたら、今日この場に呼び出されたという。『来なかったら後悔することになるぞ』という脅しの文を添えて。
「呼び出されたのは30分後なんですけど、怖くて……どうしたらいいか分からないんです」
「話は分かったが、なぜオレなんだ?」
「綾小路くん、交流会で高円寺くんのことを探してくれてましたよね?あの後私も探し回ってたらいろんな場所で綾小路くんを見かけて……その度に辺りを見渡していたみたいだったので、そうなのかなって」
「結局連れ戻せなかったけどな」
「やっぱりそうだったんですね……それで、頼んだ時は断られちゃったけど、損得抜きに探してくれているのを見て、すごくいい人なんだなって思ったんです」
「そんな美化されるほどでもないが、オレで良ければ手を貸すぞ」
「本当ですか?よかったです……」
「それにしても、ほとんど関わりのない井の頭が標的にされてるってことは、片っ端から脅迫している可能性が高そうだな。そういう噂が流れてたりしないのか?」
「多分、私に送ったみたいに脅してるんだと思います。言葉の強い人ですから……」
あれを言葉の強いで済ませるあたり、井の頭の人となりがうかがえるな。
しかし、いくら館林がDクラスとはいえ、この時期にわざわざ脅迫してまでポイントを得るというのはリスクとリターンが合っていない。
あと数日で卒業式なので、どれだけスムーズにポイントを回収し続けたとしても2000万には届きようがないし、バレたら恐らく一発アウトで退学だ。
プライベートポイントは卒業後に何割かが現金化されるらしくそれ狙いという線もあるかもしれないが、退学したら本末転倒なため可能性は低いだろう。
退学覚悟の一発逆転ギャンブルか、焦りと絶望で周りが見えていないか。あるいは———
なるほど、それなら言葉だけで口封じに成功していることにも納得がいく。
戦闘において、命を捨てる覚悟で挑んでくる相手がもっとも恐ろしい、とオレは思う。
つまりこの学校において1番厄介なのは、退学を恐れない者。
『俺は退学なんて怖くない、でもお前が告げ口して退学になったら道連れにしてやる』
なんて言葉を吐けば、大抵の生徒は仕返しを恐れて黙ってポイントを渡すしかないだろう。
本当に退学する覚悟があるかはともかく、その姿勢だけでも取り繕えば真偽は判断できない。
存外、上手く考えられている。
「井の頭、今からオレが言うことを聞いて、納得できたら言う通りにしてくれないか?」
「え……?は、はい」
*
館林がここに来てから5分弱といったところだろうか。オレは柱に隠れて様子を伺っていたが、館林はずいぶんな剣幕で井の頭に詰め寄っていた。
満足げに去っていく姿を見届けて、井の頭から会話を録音したデータをもらい、その場で解散。
今、堀北に事の詳細と合わせて、井の頭からもらった録音と柱の影からこっそり撮っておいた動画を送信したところだ。
これで館林の退学は確定的になる。
オレが井の頭に伝えたのは、まずは一度抵抗して暴言や脅迫をするよう誘導し、あわよくば他の被害者の情報も引き出してもらえないかということ。
案の定、館林は井の頭がプライベートポイントを渡すまで引き下がらなかったが、一旦はポイントを渡そうとも、事が明るみになれば必ず被害者に返却される。
告げ口したら酷い目に合わせるといった脅迫をされる可能性を事前に教えておき、この先もしものときはオレの名前を出せばいいと伝えると渋々ながら承諾してくれた。
とはいえ、これで完全に解決したわけではない。早いうちに天沢と接触、もしくは連絡しておきたいが……あいつの連絡先は持ってないんだったな。
脅迫状の件についても、オレの持つ連絡網では逆立ちしても解決できないだろう。
こういうときに頼れる人物は、決まっている。
*
翌日、オレはある人物たちを呼び出してもらえるように頼むため、櫛田とケヤキモールのカフェで待ち合わせをしていた。
メッセージだと状況の説明が手間だし、電話だと呼び出したい人数が多すぎてスムーズにいかないと考え、直接話を聞いてもらうことにしたのだ。
恵には一応伝えてあるので問題ないだろう。
「綾小路君っ!」
天使モードの櫛田がほうじ茶ラテを片手に、もう片方の手をぱたぱたと振って近づいてきた。
テーブルを挟んだ向かい側の席に櫛田が座るのを待ってから、話しかける。
「わざわざ呼び出して悪いな」
昨日と打って変わって、今日はこちらが呼び出す側だ。一応気遣いの言葉を投げておく。
「ううん、大丈夫だよ?それで、話したいことってなにかな?」
さっさと本題に入れと、裏の櫛田に急かされているように感じるのは気のせいだろうか……
「あくまでも内密にしてほしんだが——」
オレは脅迫状の件について大まかに説明する。
「なるほど、事情はわかったよ。でも、私にできることがあるのかな?」
「櫛田にはこれから言う生徒たちを呼び出してもらいたい。全員が一度に集まれる時間や場所も含めて斡旋してくれないか?日取りは今日じゃなくてもいいが、明日には———最悪全員が集まらなくても、集められるだけ頼む」
「それくらいならお安いご用だよ。じゃ、名前を教えろ……て、くれるかな?」
取り繕うのも大変だな、と思いながら、1人ずつ名前を口にしていく。
人数が増えていくにつれて覚えきれなくなったのか、櫛田は慌ててスマホにメモを取っていた。
それから30分ほど気だるげにメッセージを送りつづけていたが、全員の了承を得た上で要望通り集合場所と時間も決めてくれた。
これだけ急な連絡でも8人全員が集まるとは。やはり櫛田に頼んで正解だったな。
櫛田はオレが何をしようとしているのか気になったようで同席を申し出てきたが、予想通りならすぐに終わるはずなのでそれを見返りにするのは気が引けた。貸し1つだ、と伝えると「少なくとも3つはあるからね?」と告げて帰っていった。
1つは文化祭、1つはこの間の学年末特別試験、最後が今回。ということだろう。どうやらオレ相手にとことん身を固めていくつもりのようだ。
オレの計画を読んでいるわけではないだろうが、恩は売れるうちに売っておく、ってところだろうな。
どちらにせよ、櫛田が堀北クラスにとって必要な存在なのは間違いない。
それよりも、だ。オレはついでに連絡先を教えてもらった天沢へメッセージを送る。
退学の件がいつ館林の耳に入るか分からない上、暴力に訴える可能性もある。館林が退学するまで監視してもらったほうがいいだろう。
それと、明日は桐山も同席させたほうが都合がいいかもしれないな。オレの読み通りであれば———
*
次の日の昼、ケヤキモール前にほど近い小広場に集まったのは男女4人ずつの計8人。
ただ、それぞれ何人かのグループに分かれて噴水前やベンチなどに散っている。
呼び出した櫛田の姿がないため、その大半が困惑した様子で辺りを見渡していた。
自分1人が呼び出された、つまり櫛田からのデートの誘いだと思っていた男子たちは肩を落として話し合っている。
その内の2人——新徳と豊橋がオレが近づいてくるのに気づくと、とたんに目を輝かせて駆け寄ってきた。
「綾小路先輩!もしかして、みんなを集めたのって綾小路先輩なんですか?だってこれって全員……交流会のグループですよね?」
そう。オレが呼び出したのは交流会で同じグループだった8人——それも、全員1年生だ。
「ああ、とりあえず全員連れてきてくれないか?」
「「任せてくださいっ!」」
新徳と豊橋が全員を集めに行ってすぐ、事前に呼んでおいた桐山が合流し、挨拶もそこそこに話しかけてくる。
「1年しかいないようだが、この中に犯人がいるのか?」
「ええ、恐らくは」
2人に呼び出された1年生たちが、戸惑いながらもオレたちの周りに集まったところでここまでの経緯を説明する。
「——と、いうわけなんだ。理由は言えないが、オレの予想ではこの中に犯人がいると思ってる。何か知っていたり、自白したければ申し出てくれ。そうすればこの場でなかったことにできる」
最初は話の内容と自分たちとの関連性が分からずどこか他人事として聞いていた1年生たちだが、今の発言で顔つきが固くなる。
そんな中、最初から最後まで一貫して落ち着いていたのは——
桐山が僅かな苛立ちと焦りが滲んだ声でオレに続く。
「Aクラスがどうこうに関係なく、卒業式は俺たち3年にとって、ここで過ごした3年間に区切りをつけるための大切なイベントだ。なにか知っているのなら教えてほし……」
「あ、それ私です。———南雲先輩に頼まれたので」
隠す素振りもなく堂々とそう言ってのけたのは、椿桜子だった。あまりにも早い自供に全員が呆気にとられ、空気が凍りつく。被害者であるはずの南雲の名前が真犯人として出たことも驚きだろう。
「ッ———!ふざけるな!そんなことをして南雲に何の得がある‼︎」
桐山は驚きよりも怒りの方が強いようで、般若のような威圧感を纏い椿に詰め寄る。桐山が声を荒げるのは珍しいな。
「落ち着いてください、桐山先輩」
オレは間に入り、桐山を制止した。怒り狂った桐山を前にしてもなお表情を崩さない椿を横目に問いかける。
「椿、おまえだけずっと落ち着いていたのはなぜなんだ?本当に犯人なら少しは動揺するはずだ」
「私って冷めてるっていうか、そういうところあるからさ。先輩だってそうでしょ?」
「否定はしないが、それとこれとは別だろう」
「ううん、別じゃないよ。だって———はぁ……綾小路先輩と2人で話せると思って引き受けたんだけどな。ま、1年が8人もいたらいっぺんに呼ばないと面倒だもんね。こないだの話はまた今度。じゃあね、先輩」
どうやら自分の中で解決したようで、椿は周りの目を気にせず去っていく。
「なんなんだあの1年は……」
淡々とした椿の様子に毒気を抜かれたのか、桐山は呆れたように呟いた。
オレは残った1年生たちにお礼と謝罪を告げ、帰るように促してから、ベンチに座り放心している桐山に声をかける。
「南雲先輩に確認するべきなんじゃないんですか」
「ああ、そうだな。本当にこの件に関わっているのであれば、俺は南雲を許さない」
桐山も南雲がそんなつまらないことをする人間じゃないということは理解しているはずだが、一度は敵対した身だ。心の底から信じきれているわけじゃないんだろう。
桐山がスピーカーモードにして電話をかけると、3コール目で南雲が応答する。
『どうした?』
「今朝話した脅迫状の件だが……真犯人はお前なのか?」
『待て待て話が読めねぇよ』
「犯人を名乗った1年が……」
『詳しい説明が欲しいわけじゃない。放っておけ、と言ったはずだぜ?俺は何ひとつ関わっちゃいないし、誰が何してこようと今更俺の立場が揺らぐことはないさ。念願のAクラス移籍が近づいて気が立っているのは分かるが、大人しくしてろ。それにこれ以上無駄な時間を使わせるな』
「……分かった、信じよう」
『ああ、そうしてくれ』
そうして噛み合うはずもない通話が終わる。
「南雲先輩は本当に何も関わってないと思いますよ」
「なぜおまえにそんなことが分かる、綾小路」
「桐山先輩が言ったことですよね。『犯人に目星がついているようだな』と」
「……まさか、一昨日の時点で真犯人まで分かっていたというのか?」
「確信に変わったのは今日ですが」
「おまえは一体どこまで読んで……いや、それよりも真犯人は誰だ?」
「伝えると厄介なことになりそうなので、できればここで引いてもらえると助かります」
「なっ———!俺がそこまで都合よく扱えると思うなよ……!」
「そもそも、桐山先輩からオレに解決を依頼したんですよね?『この件はオレに任せてもらえますか?』『ああ頼む』。これが一昨日の会話です。南雲先輩の言う通り、大人しくしているべきです」
「くっ、だが……はっ———」
普段は物怖じしない桐山だが、オレの瞳の奥の深い闇に気づくと、怯えたような表情を見せる。
「———せっかく先輩たちに花を持たせてやろうとしてるんだ。悪いことは言わない、今すぐ帰れ」
「綾小路、おまえは……いや、おまえの言う通りにしよう。解決したら連絡を頼む」
「はい、今日の夜中には」
桐山のしぶとさは予想外だったが、これであらかた上手くいくだろう。
あとは今日の夜、真犯人指定の場所に行けば終わりだ。
*
夕暮れ時、薄暗い倉庫の中で、館林は井の頭を壁に押さえつけていた。
「生徒会から通達が来てな……今日、俺の処遇の審議があるんだとよ。十中八九退学だろうな。なぁ。どうしてくれんだよ、井の頭ッ‼︎」
「しっ、知らないです」
「知らないだと?分かってんだよ!お前が犯人なんだろ⁉︎他のやつはどれだけ痛めつけても吐かなかったんだ。タイミング的にもお前だよなぁ?」
「ち、ちが……」
「認めろよ。あれだけ念を押して脅迫してやったんだ。告げ口したらどうなるかなんて分かってただろ?」
その問いに、井の頭は沈黙する。チッ、と大きな舌打ちをして館林は続ける。
「だが、どうもおまえにそんな度胸があるとは思えないんだよなぁ。誰かに唆されたんじゃねぇか?提供者は教えてもらえなかったんだけどよ、生徒会側には証拠があるそうだ、それも2つも。録音と動画だったか?録音はおまえだとして、動画は誰なんだ?あの場にもう1人いやがったんだろ!」
「っ———!」
なんとか隠し通そうとしていた井の頭だが、あまりの恐ろしさで表情に出てしまう。
「その反応だと図星みたいだな……いいぜ、そいつの名前を教えろ。そうしたらおまえは解放してやる」
その言葉に井の頭は再び沈黙する。震える体を両手で抱きしめて。
「黙ってねぇでさっさと吐きやがれ。分かってんのか?これで俺の人生は終わりなんだぜ⁉︎っはは……どうせなら最後まで楽しんでやんよ……!おまえも俺と一緒に終わらせてやる‼︎」
「やっ……やめてください」
「いいや、やめねぇ。なんでこんな埃っぽい倉庫に呼び出したか分かるか?助けを呼びようがねぇからだよ!謝っても許さねぇぞ、なぶり殺しにしてやる‼︎」
「いやっ!」
「はは……そうだ、もっと叫べよ。もう、なにもかもがどうでもいいんだ……!」
狂気に塗れた館林に恐怖しながら、井の頭は一昨日、綾小路に伝えられたことを思い出す。
『もし、館林がおまえに危害を加えてくるようだったら、遠慮なくオレの名前を出してくれていい。綾小路に吐くよう脅されたとでも言えば、館林の怒りはオレの方へ向かうはずだ』
正直、井の頭は何度も綾小路の名前を口にしようとしていたが、良心がそれを拒否していた。
綾小路は交流会で高円寺を探してくれていた。きっと、とても優しい人だ。
そんな人を巻き込むわけにはいかない。
井の頭を押さえつける力を強め、腕を振りかぶった館林を見ながら思う。
ごめんなさい、綾小路くん……あなたの言う通りにはできません。相談に乗ってくれた綾小路くんを巻き込むなんて、私にはできないんです。
ごめんなさい。ごめんなさい。
大きな拳が頬に向かって迫ってくる。
「———なさい、あやのこうじく……」
すぐそこまで迫っていた拳が、ぴたり、と止まった。
井の頭は咄嗟に手で口を押さえる。
——私はなんて、中途半端な人間なのでしょうか。ここまできてあまりの恐怖に、綾小路くんにすがるように、考えていることが漏れ出てしまった。
「綾小路……?確か、南雲が言っていた2年の……そいつなんだな?」
「ちっ、ちがっ」
「綾小路……殺してやるッ‼︎」
井の頭に向けていたものとはまた異なる、本物の殺意が倉庫に蔓延する。
「まっ、待って……!」
必死に絞り出した声も虚しく、殺意に満ちた館林には届かない。
館林は倉庫の床を強く踏み締めて扉へと向かっていった。
ただ、獲物を狩ろうとする狼のように。井の頭はそれを眺めることしかできない。
「ごめんなさい、綾小路くん……」
ただ、そう呟くことしか。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさ……ガンッ
館林が倉庫の扉に手をかけた瞬間、信じられない速度で扉が開いた。
「なっ⁉︎」
さすがの館林もそれに動揺し、目の前に立つ可憐な少女を認めてさらに動揺を大きくする。
特徴的な紫檀色の髪の毛を2つ結びにした女の子らしさと、嗜虐的な笑みをたたえる口元の妖艶さ。
その両方を併せ持つ可憐な少女の登場に、井の頭も館林も固まっていた。静寂を破ったのは、少女が軽く、それでいて重いものを含んで発した言葉。
「面白いこと言うね、先輩」
「は?」
「今、綾小路先輩を殺すって言ったよね」
「てめぇには関係ねえだろ」
「関係なくなんかないよ。だってあたしは綾小路先輩を、愛してるって言葉で言い表せないくらい愛してるから。えっと、名前覚えるつもりなかったから知らないけど、3年生で合ってるよね?まあいいや、どうせすぐいなくなるんだもんね」
「ふざけたこと言ってんじゃねぇ。女だからって殴られねぇと思ってんのか?舐めんじゃねぇぞ?」
「あれぇもしかして、あたしが女だからって勝てると思ってますぅ?」
「はぁ⁉︎女なんかに負けるかよ」
「うっわぁ。差別ってやつ?ゾッとするほど最低な発言だね。それに綾小路先輩はそんな言葉だけのミジンコみたいな殺意、受け取ってくれないよ。あたしからの愛ならともかく?」
「どこまでも馬鹿にしやがってッ———!」
我慢の限界が来たのか、館林は拳を固めて少女に殴りかかろうとする。
体重を乗せるため、足を一歩踏み出したその刹那。
「ふざけんじゃっ———ひぇっ」
握りしめた拳が、背筋が。全身の産毛に至るまで、震え上がるような殺意が身を包む。
蛇に睨まれた蛙のように館林は尻餅をついて、動けなくなった。
「———殺意っていうのはこうでなくっちゃ」
目にした者が揃って総毛立つような殺意をむき出しにしながら、少女は嗤う。
それがどこまでもどこまでも恐ろしくて、館林は倉庫を飛び出して逃げていった。
少女はそれを見届けてから、何事も無かったかのような笑みで井の頭の方を振り返る。
「じゃ、あたし行くねー。先輩にご飯作ってもらう約束なの」
井の頭は機嫌が良さそうに去っていく少女の後ろ姿をぼーっと見つめて、考える。
あの女の子に慕われている綾小路くんは、何者なのでしょうか。
*
天沢と夕食を共にして、片付けを終えると午後7時も半ば。
もっと一緒に居たいと渋る天沢を帰して外に出たオレは一昨日と同じ道を辿り、3年生寮付近の休憩所に向かっていた。あと数分で午後8時、真犯人指定の時刻だ。
脅迫文を一目見た時から抱いた、違和感の正体。
パスワードのこともそうだがそれよりも、犯人から桐山へ、桐山から南雲へ……という複数人を介している状況が、ある事件と酷似していたことだ。
犯人の目的がプライベートポイントではないことに気づいてから後は簡単だった。
犯人である1年生の裏に真犯人がいること、自白した椿が南雲の名前を出すことも予想通り。
桐山は気がついていないようだったが、今回の件、犯人の目的はどちらかというと南雲よりも桐山に、もしくはその両方にあったと見るべきだろう。
いや、もしかするとあの人なら——いずれにしても、本当の目的が何なのかは今から直接聞けばいい。
街灯を頼りに休憩所に辿り着くと、予想通りベンチには人の姿があった。
「やっぱりあなたでしたか」
オレは、自販機側のベンチに足を組んで座り、暗がりの中でもいつものように存在感を放っている人物——鬼龍院に声をかける。
「ふむ。おまえ1人か。桐山も連れてきてくれると思っていたんだがな。どちらにしても、あいつはすぐ突き返すつもりだったが」
「これ以上面倒ごとが増えるのは避けたかったので。椿の前では同席してもらいましたよ。これで満足ですか?」
「……なんのことだ?」
どうやら桐山への恨みはあくまでもはぐらかすつもりらしい。一言目で白状したようなものだと思うが。
「今回の件は全部、ここでオレと話すためにあなたが仕組んだもの、そうですね?」
「そうだ。さすがだな、綾小路」
「どうやって椿に協力してもらったんですか?あまりそういうことが得意な人とは思えませんが」
「否定はしないが、失礼だな。私だってやろうと思えば円滑なコミュニケーションくらいできるぞ、こうしておまえと話しているようにな」
「初対面の相手とは勝手が違いますよね」
「やれやれ。なに、溜め込んでいたプライベートポイントを少し分けてやっただけだ。当人はおまえに何か別の用事がある様子だったがな」
いつかの桐山と違って、得られるはずもない2000万ポイントを協力のダシにせず、きちんと報酬を支払うところはこの人らしいと言えるだろう。それとも、無条件に信頼される桐山のようにはいかないと理解しているからだろうか。
「万引きの罪を着せられたとき、そういう類は反吐が出る程嫌いだって言ってませんでしたっけ?」
「質問攻めだな。殺害や誘拐の予告ならまだしも、天罰が下るなんて表現は脅迫罪にならないさ。それでも2000万が現実の金であれば罪に問われるかもしれないが、この学校だけで流通するプライベートポイントだからな。法が適用されるものじゃない」
なるほど、納得はしたが釈然としない。
「こんな回りくどいことをしなくても、呼んでもらえれば応じたんですけどね。桐山先輩への仕返しですか?」
「まさか。謝罪されて尚引きずるほど私の器は小さくはないさ。意趣返しの意図が全く無かったと言えば嘘になるが———綾小路の実力を測りきれなかったのが心残りでね。卒業前、最初で最後の遊びみたいなものだ。なかなかユニークだっただろう?」
とりあえず万引きの件を結構根に持っているのは分かった。犯人として雇った椿に、わざわざ南雲の名前を出すよう頼むくらいだ。
徹底的にあの事件を踏襲して南雲と桐山にやり返したんだろう。
オレならそれを察して1年生を集める際に桐山を同席させてくれるだろうと読んで。
オレに真意に気づかせこの場に来させる目的もあったんだろうが。
しかし、オレが鬼龍院の思惑に気づけず——いや、それ以前に桐山がオレに頼らなかったのなら、今ごろ犯人が分からず鬼の形相をしてやってきた桐山と1対1で鉢合わせしていたはずだ。
まあそもそも鬼龍院はこの場に桐山の同席を望んでいたわけなので、この人はそれもそれで楽しみそうなものだが……なんにせよ全てを読んだ上でのことなのなら、やはりさすがと言える。
「——とまぁ、遊びは遊び、ここまでは建前だ。単刀直入に訊こう。綾小路、君は何をしようとしているんだ?」
思い当たる節が多すぎてどれのことを言っているのかが分からないので、適当に誤魔化すことにする。
「何をって……春休みをのんびりと過ごそうと」
「私は真面目に訊いてるんだ。おまえが何か大きな決断をしようとしていると私の勘が言っているのだが、それが何なのかまではわからない。私も晴れやかな気分で卒業したいものでな。良ければ最後に聞かせてくれないか」
まったく、本当に全て勘で当ててきているのだとしたら、恐ろしい人だ。
高円寺は具体的にオレの目的に気づいたとはいえ、この人とは違ってずっと同じクラスにいたからな。
短い時間でも、オレを見ていて察せられる何かがあったんだろう。
「交流会で椿に頼んだってことは、そのときには勘づいていたんですよね?なぜこのタイミングなんですか?」
「それも勘だ。春休み頃には答えが出ていると思ってな」
「……正直驚きました。でも、答えはまだ出てませんよ」
「ほう?結構自信があったんだがな」
「いえ、数日後には出る予定なので。誤差みたいなものです」
「なら、決まっていることだけでも聞かせてもらおうか」
それからオレは、未だ誰にも話していない真の目的も含めて鬼龍院に伝えた。
いつになく真剣な顔で、それでも時折り口の端を上げながら。興味深そうに聞いていた鬼龍院は、話を聞き終えるとしばらく間を置いてから口を開く。
「私は君のことを深くは知らないが、それを聞いてなぜか君らしいと感じた。綾小路。おまえは言うまでもなく、決めたからには突き進む男だろう。その先に何があるのかは私にも分からないが、過程——若しくは結果が、綾小路清隆という男を大きく変えるであろうことは分かる。精一杯やるといい」
「先輩らしいことを言いますね」
「らしいもなにも、私は初めから君の前では頼れる先輩のつもりさ」
「そうかもしれませんね。無人島試験のときは鬼龍院先輩に助けられましたし」
「それも今となっては懐かしいな。全く、せっかく諦めがついたというのに、やはり留年できないことが悔やまれるぞ。できればおまえの高育最後の一年間を見届けたいものだ」
「——先輩の勘によれば、オレたちは卒業後再開する。そうですよね?」
「ん?ああ。私はそう確信しているよ」
「オレはそうとは思えないんですが、もし卒業後、鬼龍院先輩にまた会うことがあれば———そのときは、オレの3年間の全てをお話しすることを約束しましょう」
「フッ。それはなんとも——留年よりも魅力的、かもしれないな」
ベンチから立ち上がった鬼龍院が差し出してきた手を握り返す。
「また会おう、綾小路。土産話を期待しているぞ」
「はい、先輩もお元気で」
鬼龍院と別れた後、桐山には『解決した』とだけメッセージを送っておく。
律儀なもので、『少額だが』と、プライベートポイントを振り込んでくれた。この先なにかと入り用なので、ありがたく受け取っておくことにしよう。
*
卒業式、続いて謝恩会と、旅立ちの儀式が何事もなく順調に執り行われた。春は、終わりと始まりの季節だ。
時の流れと共に卒業生たちは1人、また1人と、満足そうな顔をして旅立っていった。
Aクラスで卒業できたかどうかなんて、まるで気にしていないように。
オレとしては最後にもう少し先輩たちと話をしておきたかったのだが、南雲も鬼龍院も謝恩会が終わると『もう、
南雲の方は男女問わず後輩たちに無理やり引き留められていたが。
桐山も似たようなもので、後輩にはかなり慕われていたようだ。
生徒の輪の中心で言葉を交わしている桐山と一瞬目が合ったが、すぐに逸らして会話に戻っていた。
そんな中、唯一オレに声をかけに来たのは朝比奈だ。
無事に卒業式を終えられたことに対するお礼と、『もし、綾小路くんが雅と同じ大学に進学して、雅に意地悪されたら言ってね』と、卒業後の連絡先を教えてくれた。
オレは朝比奈との最後の会話を思い出す。
「それと、綾小路くん。ラブレターってもらったことある?」
「ないですけど、なんでそんなこと訊くんですか?」
「雅からの伝言、みたいなものかな」
「伝言?それにどういう意味が?」
「さあ?雅の考えてることは私にはわからないから」
「またね、綾小路くん」
季節外れのひまわりのような笑みを残して走り去っていく姿を思い浮かべながら、考える。
オレに残された最後の1年間。
先輩たちのように、輝かしい未来を掴みとろうとするようなキラキラした瞳で、この学校を去ることができるのだろうか。
答えはもちろん決まっている。瞳に深い闇が宿るオレに、そんな自由は許されない。
ただ、もしオレが自らの未来に強い期待を持てたのなら——
1年後正門の前で待っているであろう、アイツとの話も盛り上がるのかもなと、そう思った。