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常闇獣狩伝  作者: 磯崎雄太郎
序章 名を奪われた者
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序幕 常烏

 自分は望んだ世界で生きることをここに誇り、物語を記す。

×

挿絵(By みてみん)

 今日は一際強い木枯らしが吹く夜だと、我が子を抱きしめながら、女は思った。


 そこは名前もないような山間の寒村であった。人口は百かそこら。小さな村で、村民は狩猟採取型の生活で日々の糧を得て、寒さを凌ぎ、暮らしている。

 囲炉裏の白い炭——魄炭(はくたん)がぱちっと爆ぜた。

 肌の白い美しい女性が、赤子を抱きしめている。女の名は麗花(れいか)。赤子の、血の繋がらぬ母だ。

 実の母君は、この子を名付けるのも穢らわしいと言って、旦那と二人、村を出て行った。

 だから麗花が、いつか蕾が花開くようにと願いを込め、蕾花(らいか)と名付けた。


 麗花は奴婢の子であり、そして元来この国の民は苗字というものを持たない。

 だが、奴婢だろうがなんであろうが誇りはあった。自分は神闇道(しんあんとう)の熱心な参詣徒(さんけいと)であり、毎日、息子を連れて村の神社にお参りに行く。


 この子は、ある雷雨の夜に生まれた。麗花は産婆として手伝って、その様子を見ていた。

 生まれたばかりの男児は出生児に、異形の「霊獣」の影をその背に纏っていたのだ。

 それは神闇道における最高神、常闇様の眷属たる霊獣クラゲである〈常闇之烏帽子(とこやみのえぼし)〉であり、それはそのまま術式であった。


 それを、周囲は「常闇様がお怒りだ!」「その忌み子を殺せ!」と騒ぎ立てた。だが麗花にはそうは思えなかった。

 彼はきっと、祝福されるべくして生まれた子なのだ。それに、なんの権利があって生まれて間もない赤子の命を奪おうなんて非道がまかり通るだろうか? 自分たちは穢れ堕ちたケダモノではないのだ。ならば、人として生まれた麗花が、人である蕾花を育てるべきだと思ったのだ。


「角が生えてきたねえ」


 まだ一歳になって間もない我が子にいう。彼は、左のこめかみから黒紫の角が生えていた。それは小さな苗木のようで、二又に割れている。


 蕾花がじっと、戸口の方を睨んでいた。

 一体どうしたというのだろうか?


 すると外から悲鳴が上がり、直後、火の手が上がった。微かに感じる霊気の気配——誰か妖術をつかったのだ。

 麗花は息子をギュッと抱きしめ「常闇様……!」と首から下げた勾玉を、己と蕾花に押し当てる。


 悲鳴は続き、火術が家々を焼いていく。そしてとうとう麗花が住む小さな家にも、賊が押し入った。


霊脈(なめらすじ)の異常の元を発見した。拘束する」

「なんなんですかあなたたちは!」

「どけ。女に用はない。その餓鬼をよこせ」


 麗花は断固として渡すつもりなどなかった。ギュッと抱きしめ、せめてもの抵抗に睨みつけ、

 その、美しいかんばせが爆ぜた。

 体がガクガク痙攣し、糞尿を漏らしてたたらを踏む。


「おい、説得できたかもしれんだろ」


 賊の傍にいる頭巾の女に言う。その女は術師で、勾玉をつなげた数珠勾玉を握り、「見えざる手」を操り蕾花を手元に抱き寄せる。


「こうした方が早いでしょう」


 女は冷淡に言い、そうして賊は村の住民を鏖殺し、さっさと引き上げていった。


 常闇暦八五三年の、ある冬の夜の出来事であった——。


×


常烏(とこう)の様子はどうだ」

「不思議なことに、自分には名前があるのだと奇妙なことを言っております。……赤子の頃の記憶が残ると言うことも稀にあるそうですが……それに刺青が浮かび上がってきました」

「ふん、蕾花、か。あれから長く経つが……それに浮かび上がった刺青……霊獣顕現は近いか……?」


 被検体・常烏。生まれながらに常闇——くだらぬ古い神の霊獣と術を受け継いだ存在。

 禁呪院(きんじゅいん)千神室(せんじんしつ)室長・神無(かむな)は鼻を鳴らす。


「思い出したとて何もできはせん。奴は封神因子とも言うべき力を持つ「器」だ。だがたとえそうでも封印陣を破ることさえも敵わんよ」


 鬼のような冷酷さ——事実神無は鬼族であり、見た目は若いがすでに百を超える年齢である。

 彼は本来必要な副室長を任命せず、合計して十名程度の研究員のみで常烏(とこう)を監視・実験、訓練を施していた。

 呪具の移植による術式の相転移実験、式符を用いた妖術耐性実験、そしてこの土地において不可分である魂と霊脈(なめらすじ)の分離試験——そのどれもが成功というわけではないが一定の成果は上げており、副産物も生まれている。


「神の型とするに最も近い器ですな」老いた研究員が、常烏をそう称した。

常烏(とこう)との会話は禁じている。くだらぬことを吹聴するな。奴に余計な知恵はいらん」

「すみません……しかしね、奴は少々……どこかから知恵を入れてるんです。会話における語彙も、明らかに増えている」

「精神年齢が七歳児ほどだと聞いていたが」

「明らかに元服の水準です。誰か、入れ込んでいるのでは?」


 神無の眼輪筋がピキ、と力んだ。


「手間を増やしてくれる」


×


 龍を封じる等級の、特級封印陣が三重に敷かれた独居房で、常烏(とこう)——蕾花は、ある女研究員と会話し、筆を紙に走らせる。


「蕾に、花。それがあなたの本当の名前」

「俺の、名前……でも、俺は……」 

「いつかここを出られるようにする。お願い、待っててね」


 女が筆と紙を受け取り、雑嚢(ざつのう)に隠して独居房を出た。

 その女の手首には、数珠勾玉。


 ——なぜ、かつてあの子から親を奪った当人である私が、今更被検体に肩入れするの。

 ——どうして私は。罪滅ぼしのつもりか。


 あの家に残されていた記録の書によれば、母は別の女で、自分が殺したのは産婆として蕾花をこの世に生まれさせた麗花という女らしい。

 彼は実の親からも村民からも穢れと扱われ——それを知る中で、己の愚かしさを知った。

 今更許されるはずなどない。真実を伝える勇気さえない自分が、今更何を彼に言えるだろうか。


「やあ神谷さん」


 そこに、種族的にも顔立ちも、雰囲気も狸ジジイというべき男——児玉が現れた。

 神無の腰巾着で、あれよこれよと言い寄って出世を目論む狡賢い男だ。


「あんた、常烏(とこう)になにを吹き込んでいる」

「別に、なにも」

「嘘はつかない方がいい。あの部屋には壁耳符(かべじふ)が貼ってある。内部の会話は記録していますよ」


 ——やられた!


「やられた、とでも思ったんですかね。では、私は常烏(とこう)の様子を、」


 神谷はすぐさま術式・見えざる手を発動する——が、先んじて、息をするように短銃を抜いた児玉が撃った。その短銃と弾丸は、禁忌とされる金属製である。

 弾丸は、肝臓を貫いて、破壊。


「かはっ」

「みすみす術を使わせるわけがないでしょうが。莫迦(ばか)ですねあなたも」


 そんな騒ぎなど露知らず——。


「蕾花……」


 常烏は己のかつての名を、もそもそと、乾いた豆腐を咀嚼するように口の中で呟いた。

 己の内なるモノは、時折語りかけてくる。——我が声に応えよ、禁呪を放て、と。

 思案に耽っていると、独居房の扉が開いた。


 常烏はそいつを狸と呼んでいて、狸は、神谷を引きずり、部屋に投げ込む。


「その女から何を聞いた!」

「あんた……神谷に何をしたんだ!」

「質問をしているのだこちらだケダモノが! 貴様、よもや——自我を、」


 神谷が手を伸ばした。その手には、藍色の勾玉の首飾り。


「ごめん、なさい……十八年前、あなたの母君を殺したのは、私……これは、母君の、形見…………蕾花、あなたは、死なないで……生きて……!」


 血を吐き、目を見開いた神谷は完全に動かなくなった。力なく垂れた手にある勾玉を握ろうと常烏が手を伸ばすと、狸が神谷を足蹴にする。


「この豚女が。貴様なんぞはな、腐れたガキと、夢でも見ていたんだろうが、このザマだ! 私に恥をかかせよって!」

「やめろ!」


 ——我が声に応えよ。禁呪を解き放て。


「なんだガキ、貴様なんぞ、忌み子の塵芥だろうが!」


 ——解き放て。


「貴様の母親の死に様は無様そのものだったぞ、神谷に頭を握り潰され糞尿を撒き散らし、ききっ……きひひっ」


 狸の股間は膨らんでいた。

 突如、常烏の目が黒く裏返った。

 そして幽鬼の如く紫紺に燃えた両目が、それ自体が霊気を放ち、背中から黒紫のクラゲが浮かび上がる。


「な——わっ、ひ……ふ、封印陣はなぜ!? 特級を三重に巻いて——」


 狸——児玉は見た。封印陣が今まさに、黒く喰い破られているのを。

 そしてそれと同時に常烏の肉体から常闇の影が噴き出す。


「まっ、待って、許して! ——あっ」


 影が、児玉を喰い潰し、塗り込み、混沌の常闇へ呑み込み、擦り潰した。


×


「何事だ!」神無が怒鳴り、若い研究員が「封印陣が突破され、黒い影のようなものが独居房から……! 児玉さんとの念話木札も応答がなく……」


 千神室中央管制室で、神無は歯噛みする。

 水晶から投影されている映像には、黒い闇が伸び上がり、独居房のある区画全域を飲み込んでいる。雇った警備も、おそらく……。


「ち、まさか〈常闇之烏帽子(とこやみのえぼし)〉が発現したのか。……仕事を増やしやがって。おい、獣工舍から貸与されている試験型の霊獣兵を出せ。鎮圧しろ!」

「もうやっています! しかし、影に喰われて……一瞬で」


 ——「常闇」とやらめ、つくづく邪魔をする気か、混沌の荒神の、阿婆擦(あばず)れ女神の分際で。


「千神室を廃棄する。記録を持って脱出しろ、影がこちらに伸びんとも言い切れん!」

「は、はい!」


 数名の研究員が大慌てで資料や、記録札を回収、雑嚢や鞄に突っ込み、脱出準備を進める。


「俺はあきらめんぞ……常烏……!」

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