地の底にある幽谷。生者はおらず、モンスターもそこには寄り付かないほどの強力な死がその谷にはあった。
その谷で一人の黒い男がいた。その男は髑髏の仮面を付けて頭を垂れている。それは神への信仰とこれから起こる事を理解しているからこそのせめてもの姿勢だった。
この男はかつて、とある教団を率いていた男だった。男は神の言葉を信じて日々鍛錬をこなし、神の言葉に従い人を殺していた。しかしある日の任務中に彼の友人が死んでしまった。普段の彼ならそんな事を気にする事はなかっただろう。しかしその友人とは古い仲であり、厳しい鍛錬にも耐え、お互いを高め合っていくそんな仲だった。友人が死んでしまった時、彼は我を失い神の教えに背き復讐心という短慮な目的で人を殺して、教団の教えに背いてしまったのだ。故にこれから起こる事は罰であり、神を冒涜した罪なのである。
暗い空間でふと青い炎が燃え上がる。
鐘が私の名を示した。
男の視線がふと上に上がる。痛みはない、ただ理解してしまった。首を斬られていることに。
男の目が最後に写したのは死神だった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「フィン、山の翁って知っとるか?」
ロキファミリア《黄金の館》にあるフィンの私室で神ロキは神妙な顔付きで、唐突にフィンに伝えてきた。自分はオラリオに来てからまだ日が浅い、オラリオの有名なファミリアなどは覚えることが出来たが、多くいる二つ名もちはまだ覚えることができていない。
「なんだい?その山の翁ってのは?」
「知らんのやったら、教えといたるわ。ええか、この都市にはな今ゼウスとヘラの所が1番強いやろ?そんな中でアイツらも恐れるのがアサシン教団って末恐ろしい組織や。んで、昔そこの組織の初代が山の翁。又はハサン・サッバーハちゅう奴や」
そんな情報初めて聞く。一騎当千の彼らが恐れるというのならその教団はかなり有名なはずだし、色々な情報が出回っても可笑しくはないはずだが今まで聞いたことがない。
「へー、ゼウスとヘラの所が。しかし、そんな教団があるというのなら、僕も聞いたことがある筈だけど?」
「まぁ、そこは聞いたことなくてもしょうがないで、その教団は表に全くと言って出ないからな」
「なんだいそれは、闇派閥って事かい?」
「やってる事はおんなじやけどちょっと事情が違うんや。教団は神ウラノスが下界に来てから直ぐに出来た組織でな、神のウラヌスの命に応じて動く、正規の暗殺集団ってところや」
随分とビックネームが出てきた。神ウラノスと言えばオラリオでダンジョンの管理を任されているギルドを統括する主神である。以前ロキから聞いた話では基本的には無干渉を貫き、見守ることが彼の方針であった様だが
「って事はだ、そのアサシン教団はウラノスの恩恵を刻まれているってことになるのかな?」
「いんや、アサシン教団はあくまでウラノスへの信仰を第一として、ウラノスの命によって暗殺を行うものなんや、恩恵を刻んで神に近づこうとする行為はむしろ教団の教えに反するんや」
「?話が噛み合わないなロキ、それならば別に脅威でもなんでもないじゃないか?」
恩恵を刻んだものと、刻まないものには隔絶とした差がある。レベル1だろうと一般人よりも遥かに強い。それこそ大人と赤子の差くらいあるのだ。ゼウスとヘラの所の団員が恐れる様な要因はない筈だ。
「アイツらはな、皆めっちゃくそ厳しい鍛錬を毎日やっとるらしい、そんで自分の中で絶対的な秘伝を隠し持っとるんや。そん中でウラノスに指名されたもんがその時代の教団を率いる者になるんや。そんでトップのみがハサン・サッバーハという名前を継ぐことが出来る。」
なるほど、常に一発逆転のものを隠し持っているというのなら確かに脅威かもしれない。暗殺というのだから街中で気付かないうちにやられたら対処が困難かもしれないな。
「まぁ、よっぽどの悪さをしない奴らには、ウラノス側も暗殺を命じたりしないからそこは安心してや。」
だからフィンも気をつけるんやで〜。とロキは呑気に話している。
「あれ?そう言えばさっき言っていた初代の山の翁なる人物はどう関係するんだい?神ウラノスが降臨してからって事は1000年は経過しているだろう?組織が出来た当初の初代だっていうなら、既に亡くなっているだろう?」
「まぁ、そりゃそう考えるわなぁ。ええか?山の翁は生きとる。」
耳を疑った。1000年前の人物が生きているなんて、そんな事あり得るのか?確かに種族によって違いはあるが1番長寿であるエルフだって1000年生きろと言われたら流石に顔を顰めるだろう。
「本当かい?そんな話あんまり信じられないけど」
「どうゆう訳か知らんけどホンマや。けど教団と山の翁の目的は違うけどな」
「どうゆう事だい?」
「さっきもちょろっと話したけど、教団は何より信仰を大切にする。んで、初代山の翁は組織の堕落や腐敗を嫌い、組織の監視者として堕落したハサンを断罪するハサンとして姿を消したんや」
「それはまた、随分と過激だね」
自分にその様な組織の運営ができるかと言われると多分出来ないだろう。それにしても山の翁か、話を聞く限りあまり会いたくはない相手かな。
「まぁ、アサシン教団も、山の翁もウラノスに目付けられへんかったら大丈夫や。ごめんなぁ怖い話してもうて」
「いや、大丈夫だよ。これからは気をつけてるよ」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
昔したロキとの会話を思い出した。アサシン教団なるものが存在するっていうから当初は警戒していたが、僕が冒険者になってからというもの姿を見ることも噂を聞くこともなかったのですっかり記憶の片隅に置いていた。しかし現在敵にしているものを名乗った時にこの話を思い出すことが出来た。
僕達ロキファミリアは60階層の階層広場にて『穢れた精霊(デミ・スピリット)』と交戦している。しかし今までのものはレヴィスの姿をしていたのに対して、今回のものは何処か異質の髑髏の面を被った黒い人物が取り憑かれており、精神が大きく乱れている様な感じがした。しかし取り憑かれているとは言っても意識はあるようで自分をハサン・サッバーハと名乗った。
「こ、、、▪️、す」
そういうと彼は音もなく姿を消した。彼が姿を消してから親指の震えが止まらない。辺りを警戒しつつ、姿が見えた瞬間直ぐに攻撃ができる様身構える。
親指が今までにないほど震える
(っ!?ここかっ!?)
自身の直感とスキルを信じて槍を横に振るう。しかし目の前には敵はいない。
(どこだ!?)
「フィン!槍の先だ!」
リヴェリアからの声が聞こえ、目をやるとそこには先ほどの暗殺者がいた。仮面越しでもニヤニヤと笑っているのがわかる。暗殺者はナイフを遊びながら握り、フィンに振るってくる。素早い速度、とてつもない身のこなし、おおよそ人間のそれとはかけ離れた動きに次第についていけなくなる。
(攻めきれないっ! 仕方ないっ!アレを使うかっ!)
暗殺者からの攻撃を受け流しつつ彼は詠う
「【魔槍よ、血を捧げし我が額を穿て】」
指先に紅い魔力が集まる。次第にその魔力は槍のような形になる。
暗殺者も詠唱を中断させようと攻撃のペースを速めるが、もう遅いフィンは指先を自身の額に刺すことでその名を叫ぶ
「【ヘル・フィネガス】!」
彼の碧眼が赤く染まり想像も出来ないような雄叫びを上げる。そして敵に向かって槍を振るっていく。先程までの理的な戦い方と違い、今の彼は凶戦士の如く槍を振るう。それは原始的かつ最もシンプルで分かりやすい暴力の嵐だった。普段だったらこれで倒せない敵はいない。倒せなくとも彼にはランクアップした時に得た新たな魔法がある。それさえ使えばこの敵は倒せると誰もが思っていた。しかし
「▪️れは、、、悪▪️だろう?」
暗殺者は距離を取る。フィンも先程と同じように再度姿を消されると面倒だと思い距離を取ろうとする、しかし後一歩遅く、彼の姿は消えた。
何処に消えたのか気配を探すが、スキルの影響でまともな思考が出来ない、忙しなく周囲を探る。するとトンっと背中に感触があった、一瞬虚をつかれたフィンだったが直ぐに後ろに向けて槍を振るう。がそこには敵の姿はもう見えなかった。スキルを解き冷静さを取り戻したフィンは何処だと敵を探すと、距離を取っている暗殺者の姿があった。その手には骨のような物が握られており、ニタニタと笑っている。親指が反応し、とても嫌な予感がする。早く止めなければと思いフィンは走り出す。
「▪️想▪️抜《ザバーニーヤ》」
そう言いながら手に持った骨を潰そうと握ろうとする。
(間に合わないっ!)
そう思ったその瞬間。
鐘の音が響き渡る。
突然響き渡る鐘の音に皆思考が止まる。鐘の音というとベル・クラネルが思い当たるが、彼の奏でる音とはまるで違う。彼の音色は言うなれば希望の音、聴くだけで心が安まり、弱った意思を奮い立たせられる、そんな音だ。しかし今鳴り響いているのは、例えるなら死神が鳴らしている様な絶望的な音。今全員動けないのはきっと身体が無意識に分かっているからだ、今動けば鳴らしている死神に気づかれてしまうことを。一音、一音にとてつもなく重圧が掛かる。頬には脂汗が流れて早くこの状況が終わることを願ってしまう。
ふと敵である、暗殺者に目を向ける。すると先程までの交戦的な性格とは打って変わり、酷く怯えた様子が見られる。
「排他よ。触れる物すべてを壊すことに怯え、異端なる教徒に願いを欲したか、ハサンとしての矜持も忘れむざむざと操られおって。馬鹿者め!・・・首を出せ」
恐らく誰も認識できていなかった、隣にいるフィンですら隣の死神には気配すら感じることは出来なかった。
(あれが、・・・山の翁っ)
「信仰なきものに生きる世界なし」
死神が歩く、ハサンの元へ。今まで戦ってきたハサンは既に操られている感じはない、操られるよりも目の前の死神への恐怖が勝っているのだろう。死神が手に持った大剣を掲げる。初代暗殺者というにはあまりにも向かないその武器は、長い間ハサンの罪を切ってきたのだろうと予想されるほど使い古した痕があった。
鐘の音は止まない
「神託は下った」
たった一言。その言葉でこの場にいる者全てが、敵であるハサンのこの後を悟る
「聞くが良い」
「晩鐘は汝の名を指し示した」
「告死の羽」
「首を断つか!」
鐘の音はより強くなる
「【死告天使(アズライール)】」
山の翁が剣を振るい、剣を地面に刺す。
撥ねられた首が、飛び出る血飛沫がまるで、天使の羽の様に舞っている。殺すという行為がとても神聖な儀式であるかの様な美しさを孕んでいた。
敵の体が斃れ、これで終わったかと思ったら死神がゆっくりと振り向く。そうだっ!まだこの人物が味方である保証は何処にもない。彼はあくまで教団の教えに背いたものを排除しにきただけまだ油断するのは早い!
(っ!?足が動かない)
恐怖していた、絶対的な死を前にして勇者の名を冠するものが動けないでいた。意思に反して体はこの死神の前に既に屈していた。
「怯えるな、勇者よ。神託に従い暗き幽谷の淵より姿を晒した。我に名はない、好きに呼ぶといい」
死神は神託に従ったと言った。それは恐らくウラノスの命によってここに来たという事だろう。・・・いやどちらもか恐らく先ほどのハサンを処する事もどちらの行いたかった事だろう。
「・・・っすまないが、ここにいる者は全員もう、限界だ。安全圏に運んでくれないかい?」
死神に助けを請うのは不思議な感じだが、背に腹は変えられない団長として、団員の命は助けなければならない。
「請け負った」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
暗い幽谷の谷の淵にて、一人の死神が立っている。
現在、ダンジョンの最深層では数多の英雄たちが血を流しながら黒龍の討伐を果たそうとしていた。傷つき、倒れる仲間もいる。それ程までにかの黒龍は強大だった。かつてオラリオで雷神とその妻の眷属が挑んだが、敗走をやむなくされた。あれからいくつもの時が流れ、今新たなる英雄たちが時代を変えようとしていた。
黒龍による絶望が英雄達に襲い掛かる。ほとんどの者が絶望の顔を見せるなか、最新の英雄は鐘を鳴らし始める。
「あの鐘の音が聴こえるか」
時代を作る英雄達が勝利するまで後、少し