Taj 多事

2009

 
 

ついに今日の夜には家族が日本に戻る。朝食後に、妻と長男と二男は、まず荷造り。三男は、さすがに疲れたかまだ寝ている。長男と二男は、とっとと荷造りを終えて、またもやセナさんのお宅へ遊びに行く。バビーが三男を迎えに来るが、まだ寝ているのを知って残念そうだ。


ニュースを見ると、今朝もデリーでは霧が深くて、インディラ・ガンジー国際空港では、国内便が9便欠航、11便の国際便に遅れが出ているという。家族が乗るのは、夜の6時ごろに成田からニューデリーに到着して、8時ごろに引き返す便だから、それまでには正常に戻っていると思うのだが。セナさんがやってきて、飛行機よりも空港までの送迎の車が問題かもしれないという。先日のバラナシからの帰りもそうだったように、一度空港に車が出てしまうとお客を乗せるまで車が戻らない可能性があるというのだ。もしもセナさんの車に荷物を全部載せることができれば、セナさんが空港まで連れて行ってくれると申し出てくれた。小生が下に降りて確かめると、紅茶の詰まった段ボールを小生が持って乗れば、十分に載せることができそうなので、セナさんの言葉に甘えさせてもらうことにした。


妻は、中央家内工業物産店街で大枚をはたいて買ったパシュミナのストールをセナさんに見せてくれと言われたのでセナさん宅へ行く。セナさんに言わせると、うーんとクオリティの高い商品を中央家内工業物産店街で手に入れるのは難しいとのことだ。それなりのものは、それなりの専門店でないと手に入らないようで、少々がっかりした風情で妻は戻って来た。でも小生のようにMr. Singhに騙されたわけではなく、金額に見合ったクオリティの商品を買ったわけだから凹むこともない。ただ自分が思っていたクオリティほどのものではなかったというだけだ。


最後の昼食は、子供たちがアフガニ・チキンを食べたいというので、おととい妻と買い出しに行った店で買って来て、ここで食べようということになった。セナさんにそのことを告げると、今日は日曜だから昼間は働かないかもしれないという。電話で確かめてくれたのだが、やはり営業は夕食の時間帯だけだそうだ。ということでバラナシに行く前に食べたV3Sのモティ・マハル(Moti Mahal)へ行くことになった。アフガニ・チキンを二皿とろうとしたら店員が一皿は骨なしのチキン・ティッカにしたらいかがかと勧める。小生がここに初めて来たとき食べたノンベジ・プレートにはチキン・ティッカも入っていてスパイシーでなっかた記憶があるので、一皿はチキン・ティッカにした。妻がかねてから食べたいと言っていたほうれん草のカレーをまだ食べていなかったのでパラク・パニール(Palak Paneer、ほうれん草とチーズ)とバター・チキンを注文する。


実は二男は、三日ほど前から少々腹の調子が悪い。日本の医者から抗生物質をもらってきていて、それを飲み続けているので大事にはいたっていない。食べることに関しては、人一倍好奇心の旺盛な二男は、スパイシーな食べ物や生野菜そしてラッシー(ヨーグルト飲料)などが出て来るたびに「これ食べてもいい?」、「これ飲んでもいい?」とダメもとで妻に聞くが、「がまんしなさい」と切り返されて寂しそうである。小生が二男に「直ったって嘘ついて食べちゃえ」とか、食べてから「まちがって食べちゃった」とか言っとけ、どうせ今からなら調子がおかしくなったって家に着いてからだろうと冗談めかして言うと、妻はカンカン。三人も連れて帰る立場からすれば無理はない。すいません。1年半程前に、三男がウイルス性のひどい下痢になり、何も食べることができずに死んでしまうのではないかと思う程に憔悴してしまい、衛生状態のよくないインドでこんなことになっては大変だと、単身で来ることを決めたのを思い出す。


二男は満足いかないという様子であるが、ほうれん草のカレーを食べられた妻も、もう一度アフガニ・チキンを食べられた長男も、最初は眠そうであったがナーンが出て来てからは絶好調の三男も、それぞれに最後のインド料理を楽しんで、家に戻った。


4時に出発するので、3時半を回ったころに小生が荷物を下に降ろす。セナさんが車に詰めてくれて、出発準備は完了。最後の一時をセナさん宅で写真を撮ったりして過ごす。最初の晩に三男を見た途端に「He is cute!」と迎えてくれたセナ家のみなさんは、三男に会えなくなるのがたいへん寂しそうであるが、また来ることを約束して空港へ向かう。


日曜日ということで空港までの道は順調だった。11.26以降空港のセキュリティが厳重になり、航空券を持っていない者は一切中へ入れなくなった。セナさんは、車を止められそうにないので、もう一周してくるということで、ここでお別れ。チェックインと出国カードの記入が終わって問題のないことが確認できたら、もう一度入口まで出て来てもらうことにして、ここでお別れした。日本を出国するときと同じく「じゃあな。またな」である。30分も経たないで、三人の子供たちが入口にやってきた。入口と小生のところまでは20mほど離れている。銃を持った警備員が何しにきたんだと子供たちに言っているようだったので、こちらから手を振ってやると、子供たちも反応してこちらに手を振ったので、警備員も事情を理解したようである。二男が「もう大丈夫だよ」というので、もう一回「じゃあな」で後ろ姿を見送った。


10分ほどしてセナさんが戻ってきたので、助手席に乗り込んで家まで戻る。セナさんの方が、小生よりよっぽど寂しそうな雰囲気だ。部屋に入ると閑散としている。でも、ちっとも静かじゃない!隣の家の工事でセメントを2階にあげるベルトコンベアの音がけたたましく小生を迎えてくれた。セナさんが現れて、工事10時までには終わると思うよ...


10日間という長いようで短い来印だった。初めてのインドだったので、観光名所ばかりを訪ねる旅になってしまったけど、デリーでは中心地のホテルに泊まるのではなく、シャカルプールという一つの町に滞在して普通の生活もしたので、ただの旅行とは違ったインドを見ることができたのではないかと思う。子供ながらに日本となんでこうも違うのだと感じたことだろう。子供たちの時代は、インド、中国そして他のアジア諸国との結びつきがもっと強くなっていると思う。小生が滞在している間にぜひもう一度来て、もう少しインドを見ほしい。そして将来は、どうしてこうした違いが生じたのかを考えられる人になってほしいと思う。言葉の勉強も、海外でいろいろなものを食べられるようになることも大事です。セナさん一家も待っています。


/4の天気 最高気温18℃、最低気温8℃、平均気温13℃。

またね

09/01/04