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『おむすび』が最終話で見せた朝ドラの限界

堀井憲一郎コラムニスト
写真:2017 TIFF/アフロ

クセのあった最終話の展開

『おむすび』は125話で最終話を迎えた。

ちょっとクセのある最後であった。

時間軸がわかりにくい。

令和7年1月へと物語は進む

タイトルは最初に出ず、終わりごろになって、B’zの音楽が流れ、タイトル「おむすび」が出た。

そのあと、テロップで令和7年1月17日と出る。

ほぼ現在、放送の2か月半前である。

令和7年のはずなのに「阪神淡路大震災から17年」

そのあと、ドラマ内でテレビが点けられる。

「阪神淡路大震災から17年」という音声が流れてきた。

ここがわからない。

令和7年は阪神地震から17年ではない、1995に17足しても2012年にしかならない、どういうことだかわからない。

とくに、いろんなことをやりながら音を頼りに「ながら見」をしていると、把握できない。

音声を中心にドラマを見てる人を無視

あとで、きちんと画面を見返して、理解した。

ドラマ内のテレビ画面をよく見ると「8:00」の文字と「連続テレビ小説」の文字が出ている。声もよく聞くと、リリー・フランキーである。

2025年1月17日金曜に放送された『おむすび』75話のオープニングであった。

ドラマ最終話(125話)で登場人物がドラマ75話を見ている、という設定であった。

75話の内容はまだ2012年1月だったのだ。

いろいろと不思議すぎる。

音声を中心にドラマを見てる人を無視している、という点で、制作側のズレが感じられる。

1話の「ヒロインの海飛び込み」と呼応

これは第1話にあった「ヒロインの海への飛び込み」と呼応しているとおもう。

1話、帽子を海に落としてしまった子供のために、ヒロインが海へ飛び込んだ。

飛び込んでから「何で飛び込んどっちゃろ、うちは朝ドラヒロインか?」と自嘲気味に独白する。

朝ドラヒロインが、第1話で「うちは朝ドラヒロインか?」と言う。

自分たちを客観的に見るメタ構造の限界

メタ構造である。

ドラマヒロインが自分たちを客観的に見る型である。

それが第1話と最終話で披露された。

どっちも、すべってしまった、といわざるを得ないだろう。

朝ドラヒロインに「うちは朝ドラヒロインか?」と言われても見ている者は困る。

30年前だと受けたかもしれないが、SNS同時視聴の時代にはちょっと向いていない。

ただ、これが『おむすび』の狙いであり、特質であったとおもわれる。

それは「現在性」という特質である。

貧乏くじを引いた

近年の朝ドラは昭和や、ときに明治を舞台にしているものが多く、現代ものはマイナーな部類になる。なかなか人気を得にくい。

なぜか「何年かに1回は現代ものを作らないといけない」という決まりがあるかのようで、それに当たると、貧乏くじを引いたようなことになってしまう。

『おむすび』はその番であった。

『舞いあがれ!』と『おかえりモネ』は未来で終わった

最近の現代もの朝ドラは、4作前の『舞いあがれ!』(2022)、その前は『おかえりモネ』(2021)であった。

この2作とも、ラストシーンは「近未来」であった。

どちらも、ふわっと終わったという感じであった。

ちなみに最終話で現在地においついた『ちむどんどん』も『カムカムエヴリバディ』も少し先を描いて終わった。

無名の人を主人公にすると、どうも未来を描いて終わりたがってしまうようだ。

現代ものドラマの苦しさ

『おむすび』は未来へは行かなかった。

でも現在地点に近づき、そこを「登場人物たちが自分たちのドラマを見ているというおもしろさ」を入れ込んでしまった。

するっと終われないところがあるようで、そこに現在ドラマ最終話の苦しさを感じる。

震災でのおむすびシーンと呼応

最後のシーンは、阪神の震災の夜に避難所へおむすびを持ってきてくれた女性と再会して高台でおむすびを食べるところであった。

なるほど、おむすびか、とおもった。

ただ、これだと震災を伝えるドラマのようでもある。

いまを生きる現在性がテーマ

このドラマは、迷いながらもいまを生きる女性を描いて、まことに朝ドラらしい作品であった。

いまを生きる現在性がテーマで、気楽に見られる等身大のヒロインであった。

でも、日常の延長がつづく、というところで終わらなかったのは、やはりなにかしらのテーマ性を持たせたかったからなのだろう。

でもかえってわかりにくくなった感じがする。

なかなかむずかしい。

現代もの朝ドラの限界のようでもあった。

ちゃんと見られる楽しい朝ドラだったとおもっている。

さあ、次は今田美桜。

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ありがとうございます。
コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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